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Output and input from 1998 to 2010
本屋のイノベーション 松丸本舗
丸の内オアゾの中にある丸善の四階で、密かに本屋のイノベーションが起きていた。「松丸本舗」にびっくり!なにがどう驚くかっていうと、本が全てカテゴリーではなく「文脈」で配置されてるってところ。それもただの文脈ではない。人類の知の体系に基づいた、松岡正剛の脳みその中をそのまま形にしたような文脈で配置されているのだ。



自らのことをセイゴオと称する、この一見ファンキーなおじさんが松岡正剛という。僕のブログのスタンスとしては、難しくてよくわからないことを、なるべく伝わるように説明したいと思っているけれど、この人ほど説明が難解な人もそうそういないと思う。

編集工学研究所所長、東京大学客員教授等々の肩書きをお持ちの方だが、要するに現代の文人の一人だと勝手に解釈している。wikipediaによると、「高校から大学にかけて、革命的マルクス主義派に属し、学生紛争の論客として鳴らす」とある。なるほどそういう出自の方だったのか、と妙に納得する。



2000年頃から「松岡正剛の千夜千冊」なる書評サイトをやっていた。googleで本のタイトルを検索すると、かなりの確立で現れるこの松岡正剛さんの書評サイトは、いつしか千冊を超え、今日現在では「松岡正剛の千夜千冊 連環篇」として、1345夜を数えるまでになっている。



この人は、頭の中に壮大な年表というか世界というか、宇宙観を持っているんだろうと思われる。NTT出版から出版された「情報の歴史」を読んでいると、ただ、何千年もの年表を眺めていることにはあまり意味はなく、シェークスピアが関ヶ原の戦いと同時代であるとか、ピューリタン革命が日本の近代化に直結しているといったように、歴史を縦割りで見るのではなく、文脈を繋いでこその学びであり、アカデミズムの真骨頂なのではないのか、と思ったものである。そこまで文脈を繋いで世界を見れるということについてはもはや芸術的な領域に達しているのではなかろうか。



そんな松岡正剛さんが丸善とコラボレーションしてできたのが、松丸本舗らしい。本棚の棚板の幅はすべて40ミリ!そんな厚さの棚板がある本屋はほかにないという。渦巻き状に配置されている本棚は、平積みはまったく無いけれどいたるところに積み置きされていて、まるで松岡正剛さんの書斎の書棚のような状態なのである。もう10年近く昔、当時代官山にあった編集工学研究所の本棚を拝見したことがあるが、まるでファイナルファンタジーに出てくるような、古代図書館さながらの迷宮のような書棚であった。後にも先にもこれだけの地層を感じることができた本棚は、松岡正剛の本棚と竹村健一の本棚くらいな気がする。



ちなみにこの松丸本舗の書棚、メンテナンスはそうとうめんどくさいらしい。
準備期間に1年以上をかけ、30万冊近いストック本から、丸善と松岡さん主宰の編集工学研究所のスタッフ計8人が日々、本棚のメンテナンスに努める。松岡さんも毎週、閉店後に本棚をチェック。その痕跡が本棚の落書きや、手書きの推薦本掲示コーナーに現れている。

顔見える本屋、売り上げ2倍 東京・丸善本店の「松丸本舗」 - ITmedia News
ただ、ここまで濃密な知の体系に沿ったものでなくとも、いくつか文脈形情報配置がされた書店は既にあったのである。まずはみなさんご存じ、東京・青山の青山ブックセンターだろう。2004年の7月に一時は閉店騒ぎもあったものの、現在は青山本店のほかに六本木と丸ビルにある。

それから京都では大変有名な、左京区の京都造形芸術大学のちょっと手前にあるガケ書房は、文脈形書店の走りなのかもしれない。そのちょっと北2kmほどの場所にある恵文社一乗寺店も入り込むとなかなか出てこれないタイプの深い森のような本屋だと思う。京都にお越しの際は、北白川でこの二つの本屋をはしごするのは大変オススメ。



しかし、本屋に限らず、情報がただカテゴリーのみで分類されていることは、なんてつまらないんだろうと思う。こないだの孫さんの話にも通ずるけれど、人は感動があって、興味をもち、初めて主体的になれるものだろう。そこにたどり着く情報の整理のための最適解が、文脈や物語なんだろうと、少なくとも松岡正剛って人がなに考えてるのかがちょっとだけわかったような気がする。

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白川静 漢字の世界観 松岡正剛(平凡社新書)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=533

アラン・チャンは中国に眠るイメージを自在に変換するデザイナーである
http://tamachan.jugem.jp/?eid=251

花鳥風月の科学 松岡正剛
http://tamachan.jugem.jp/?eid=236
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崖の上のポニョとその背景に潜んでいるもの


スタジオジブリの新作「借りぐらしのアリエッティ」は、7/17(土)公開。そのための発表に今夜の金曜ロードショーは崖の上のポニョのテレビ初公開だったのでした。

崖の上のポニョの舞台は広島県の鞆の浦なんですね。宮崎駿がスタジオジブリの社員旅行で訪れたっていう鞆の浦に惚れ込んだ宮崎監督が、二ヶ月間滞在しここを舞台に映画の構想を練ったということになっています。そんな崖の上のポニョは、一見おだやかな作品のようにも見えるけれど、その裏にはいろいろあるんだよね。映画制作当時、鞆の浦は開発の危機にさらされていたのでした。



鞆の浦、広島県福山市の南にあるこの港町は、江戸時代から続く港町だ。「浦」というのは、津々浦々(つつ・うらうら)といった言葉で今でも聞くことがあるけれど、要するに港町のことである。鞆の浦は「常夜燈」「雁木」「波止場」「焚場」「船番所」という、江戸時代の港湾施設が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみなんですね。あとはすべて、港湾施設がコンクリートで埋め立てられていたり、テトラポッドがあったりと散々たる様相を呈している。

この鞆の浦の港を壊して道路を作ろうとしていることを知ったのは、2007年のことだった。昔からの町並みのために道幅が狭く、通行人と車がすれすれのところですれ違う状態になっているということを理由に、広島県が道路開発をしようとしており、賛成派の住民と反対派の住民との間でもう20年もの間言い争いが起きていた。



2008年末に鞆の浦を訪れ、反対運動推進派のNPO「鞆まちづくり工房」をやられている松居さんにお話を伺ったところ、次の裁判で開発取りやめの方向になりそうだと聞き、既に事は決着を見ていたのでした。結局は大ヒット映画の舞台となった景観を破壊するのはいかがなものかと国会でも話し合われる事態になったことが、そのような結果になったのではないかと松居さんは言う。その、大ヒット映画をつくった宮崎駿さんと鞆の浦を繋ぎ、結果として「崖の上のポニョ」が生まれるきっかけを作ったのはピース ウィンズ・ジャパンの大西健丞さんだった。

事業体としてのNGO活動「ピース ウィンズ・ジャパン」大西健丞さんに聞く
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_20060307.htm




もはや言うまでもないが、宮崎駿さんは自分がつくる作品に、ことごとくこのような現代社会への警告を、直接的ではないにせよなんらかの形で描いている。そんな宮崎駿さんが朝からゴミ掃除をしているというので、お話を聞きに行くという機会が去年の夏にあった。名古屋の平針という里山が開発保全問題に揺れていて、そのためにどうしたらよいかと名古屋市長である河村たかしさんが相談に来るという会だった。

2009.08.31
宮崎駿、日本人の帰る場所を作り続けている人
http://tamachan.jugem.jp/?eid=614



あくまで宮崎駿さん本人は、具体的な紛争に直接的には関わろうとしないというスタンスのようだけれど、世界のアニメーション監督という立場で出来ることを一生懸命考えているんだっていうことが、強く強く伝わってくる。次に彼が生み出す作品には、どんなメッセージが含まれているんだろうか。

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埋め立てのピンチにある“崖の上のポニョの海”こと鞆の浦に遊びに行ってみた
http://greenz.jp/2008/10/21/tomonoura/

約17万枚の原画のほとんどがこのオープニングの海のシーンで使われている。「ポニョの映像演出 奥井敦」
http://ascii.jp/elem/000/000/196/196436/
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ネットビジネスイノベーション政策フォーラム 孫正義部分のみ


慶應義塾大学SFC研究所 ネットビジネスイノベーション政策フォーラム キックオフシンポジウム
speaker:孫正義氏 @masason(ソフトバンク株式会社代表取締役社長)
date & place:2010.02.04
グランドアーク半蔵門 富士 (4F) にて

ちょっと賑わってたので、テープ起こしならぬustream起こしをしてみました。
録画されたustreamの映像はこちらで。また、twitterでの議論は #nbipol で見ることができます。



孫さん、36:00あたりから

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ちょっと今日は、ソフトバンクのためというよりも、ヤフーのためというよりも日本の成長のためにどうあるべきか。日本の国民すべてのみなさまの願いではないかなと思います。このためになにをすればいいか。ITの角度から考えてみました。12月末に鳩山総理から日本のGDPを2020年に650兆円にしたいと。GDPを毎年3%ずつのばしたいと。大変大賛成であります。ヴィジョンのない国家はたいへんふらつくことになるわけですけども。環境と健康と観光。この分野で50兆、45兆、10兆円増やしたい。合計で105兆円になるわけですけども。650兆円と、現在の500兆円若。これに105兆円足してもギャップの70兆円があるわけです。これをなにでうめるというお話はありませんでした。ここで私は情報立国として70兆円を埋めるということを提言したい。三つの成長分野のところで、一番大きいのがITの70兆円の部分になるのではないかと。過去十数年でいろんな産業を見てみますと、唯一一番伸びているのがこのITの部分なんですが、孫子の兵法にもあるように「勝ちやすきに勝て」という話があります。成功させるためにはのばしやすいところを更にのばす。国家にしてもそうだと思います。いろんな他の産業ものばさないといけないんですけども。80年代、日本は電子立国ということが大いに言われていました。現在では電子部品を組み立てるということについては、台湾、中国、韓国といったところにだいぶ差を縮められてしまった。むしろ逆転された部分もある。だからこれからは情報立国としてレベルアップしなければならないかなと思うわけです。なんか今日はustreamでストリーミングされているようですけども、twitterでみてみるとプレゼンの資料がアップされていないというお話があったようですけども、是非カメラの方はときどき画面も映してほしいなと思いますが。
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感動を生み出すソフトウェア 洛西一周


INSPIRE lab 第1回 感動を生み出すソフトウェア 洛西一周
speaker:洛西一周氏 @rakusai(ソフトウェア作家)
date & place:2010.01.17
social creative agency SUSTENA オフィスにて
participant : @ryutaro_i, @tamachangg, @8rukun, @stkbys, @scommunity, @ayakoairline, @from_saico, @tumaMo
document : PowerPoint Download

「未来へのインスピレーション」をテーマにした勉強会を始めようということで、第一回の講師は洛西一周くんにお越しいただきました。毎回、同年代で未来をいままさにつくっている人にお越しいただいて、お話を伺う会をこれから月に一回ペースでやっていこうと思います。第一回目は告知はせず、少人数にて行いました。

洛西一周くん。彼の作り出す直感的なユーザーインターフェイスの発想はどこから来るんだろう?と前々から気になっておりました。中学校時代にシュタイナーの学校に通っていたことが関係あるんだろうかなどとも勝手に思っておりました。

この日から10日後、発表されたiPadの仕様を細かく見ながら、iPadは洛西くんのためにあるようなものだなぁ、と、深く深く思ったのでした。
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| ログ | 22:24 | comments(0) | - |
iPadは何がどうイノベーティブなのかについてご説明します


iPadを見ていて。20代から40代くらいまでの、パソコン黎明期を生き抜いてきて、いまバリバリに使いこなしている世代にはすこぶる評判が悪いように感じる。そんな様子を見ていて、しかしまあよくもあんなに使いにくいものを、あたりまえのように使いこなせるようになった我々の方がよっぽどどうかしているんだ。と、思った。

スペックだけ見てると、そんなふうに感じるんだと思う。だけどもまずはこの映像を見てみよう。



あー、やっぱりなー、と思うのは、先日のGoogle Chrome OSについてもまるで同じ事が言えるけれど、いま、我々が慣れ親しんでいる、カーソルやアイコンでおなじみのWindowsやMacOSの、ほぼ完成された水準にある現在のグラフィカルユーザーインターフェイス(以下 : GUI)の時代が終わろうとしているということである。

我々は、初めてコンピュータに触れたときの、どうしていいのかわからないあの悔しい気持ちを、長い年月の間に忘れてしまっていて、すぐに思い出すことはできないけれど、両親や年配の方にコンピュータの使い方を教えたときの、なぜこの人は解らないんだろう?というはがゆい気持ちを思い出せば、少しは理解できるかもしれない。あちこちのブログでの説明を見ているとiPadは、そんなデジタル文房具だというような説明ばかりだ。だけど果たして、それだけなんだろうか?



おそらく一個人としてGUIが実装されたコンピュータを使えるようになったのは、1984年の初代Macintoshからだろう。それが広く一般化したのは1995年のWindows95以降のことであると思う。それから現在までの間に広く蓄積された常識から見ると、マウスの無いiPadでスプレッドシートを書いたり、プレゼンテーションをつくることは非常に面倒で手間のかかる作業のように思えるかもしれない。

iPadに関して言えば、当面は上記デジタル文房具的な使い方や、コンテンツの「受信機」としての役割に特化する形で展開されていくように思う。GUIをベースとしたパソコンは開発環境として棲み分けされていくようにも思われる。しかし、遅かれ早かれデジタルコンテンツのものづくりをしていくプロセスについても、タッチスクリーン上で展開されるようになるであろう。一般的には1995年以前の黒い画面に白い文字が浮かんでいた頃のコンピュータを使っていた頃も、GUIに移行するときにまったくおなじような不安と動揺があったのだ。「あんなものでは作れない」と。



これから初めてコンピュータを触れるようになる世代は、もう最初からタッチスクリーンなのだ。iPhoneに限らず、世界の主要な携帯電話メーカーは、故障部品の点数をできる限り少なくしたいという思いから、一斉にタッチスクリーンへの移行にシフトしようとしている。

年始の記事に書いた、ほのかちゃん二歳は、両親のiPhoneをしっかりと握って、ロックを解除して好きなアプリケーションソフトを起動して遊んでいた。まだ言葉もろくに話せない子供でも、あんなに直感的に操作できるものなのかと。あのとき、次にアップルが作る物がなんなのかってことが、ちょっと見えた気がする。



この映像を見ていると、GUIをベースとしたコンピュータに熟練してしまった我々は、いかにコンピュータというものを操作する上での既成概念にまみれてしまったんだろうと、改めて思う。キーボードとマウスと、ウインドウ操作と切り替えバーによるマルチタスク画面が無ければ、ついつい不安になってしまうのだ。

Googleは、Googleらしい発想でGoogle Chrome OSによって、次のコンピュータのあり方を表現しているし、やはりアップルはユーザーインターフェイスの革新によるユーザー体験の質の向上によって、イノベーションを起こそうとする。



iPadは、ビジネスモデル的には、アメリカで大流行のアマゾンのキンドルに対抗して、出版業界を再編するっていうことらしいけれど。僕はそれよりも子供達がクレヨンで絵を描いたりするような、一昔前でいえばキッドピクスnotaのような、個人の情報発信の手助けになるソフトウェア作りができることにだいぶワクワクします。

GUIは、それがメインストリームになるまで11年かかったけれど、タッチスクリーンインターフェイスは何年でメインストリームになるだろう?初代iPhoneが登場してから現在までに、既に3年が経とうとしている。







| 情報デザイン・メディアデザイン | 21:12 | comments(15) | - |
地球大学アドバンス 第26回 生物多様性シリーズ : 1「地球の担保『種子』を守る」


地球大学アドバンス 第26回 生物多様性シリーズ : 1「地球の担保『種子』を守る」
speaker:竹村真一氏 × 野口勲氏(野口種苗研究所 代表)
date & place:2010.01.25
新丸ビル エコッツェリアにて

昨日の地球大学の講師「野口勲」さん、そうとう面白い。面白すぎる。種屋さんなのに、若い頃に手塚治虫に憧れて虫プロの出版部に勤めていたり、家業の看板に火の鳥をつかってたりってだけでもものすごいなと思っていたら。野口さん、なんとクラシックMacintosh信者だった。野口種苗のサイトもご自身の手によってとても作り込まれている。

タネ屋の業界紙『日本種苗新聞』の2010年1月11日号に、野口勲氏の「年頭の辞」がある。
http://noguchiseed.com/shubyoushinbun20100111.gif

つまり、現在の工業化された農業では、1929年に発見されたカリフォルニア赤玉葱の雄性不稔個体(つまり無精子の玉葱)をベースに開発された、流通と消費に都合の良い品種の種を使っていることで一見、経済的な整合性がとれているように見えるけども。それを続けてきた結果、玉葱の中にある無精子であるミトコンドリア異常が蓄積されていって、2007年になって遂に、その玉葱を受粉させているミツバチの雄蜂の無精子症によって、女王蜂が卵を産めなくなり、巣を見限って大量逃亡し始めたのではないかと。

ということまでは、野口氏個人の「仮説」ではある。が、問題はその先で、去年放送されたNHKスペシャル「女と男」内で、ここ数年で急激に先進国における成人男子の精子の数が減少しているというくだりについて、原因は環境ホルモンではないかという程度で放送されていたことについて野口氏が言うには、当然そんな技術をつかってつくった食べ物を食べ続けてきたのだから、ミツバチに起こっていることが人間に起こっていてもおかしくない。ということを言っているわけで。

--- 講演ここから

竹村
野菜など食べ物をつくる「種子」のリスクマネジメント。生物多様性というのは、地球の安全保障の担保だと思うんですね。地域の固有種が残ってるということが、安全保障の担保になっているわけですね。あるいはO157が流行した場所は、衛生や抗菌が行き届きすぎている。結局いろんな存在が、多様性が担保されているということが安全保障なんですね。「いいかげん」(良い加減)の共生状態っていうのは生命のバランスの根源であり、安全保障の鍵になっている。それを無視すると経済コストとして大変なしっぺ返しをくう。エコノミーの意味でもっても。ほとんどの農家はF1種に依存してしまって、多様性が失われてしまっている。大規模農業では種取をしていくということが成り立たないということを、ひょっとしたらベランダ菜園で守っていくことができるかもしれない。そういう意味で都市農業の可能性というのも出てくるかもしれないですし、地球の農業をどうデザインしていくか。種の多様性という問題は避けて通れないと思うんですね。

野口
手塚治虫の大ファンでありまして、高校時代にSFにはまって、現実逃避をしておりました。大学時代は文学部に行きまして、朝日新聞の新聞広告で虫プロダクションの出版部が人材募集をしておりまして、応募してみたら受かったんで入ってしまいました。虫プロが潰れてからは、いろいろと出版社に行ったのですが、お菓子を編集するような仕事しかさせてもらえないので、家業のタネ屋を継ぎました。

家業を継いでからも、漫画の世界と接点をもっておきたいと思って、アトムの銅像をつくったりしました。どさくさに紛れてうちの看板は火の鳥になっております。笑。


人類最古の栽培植物はひょうたんであるという説があります。採れたものから種をとってまく、ということが始まった。土器はひょうたんを真似たものであると。ひょうたんによって人間は水を持って長距離航海ができるようになり、大陸を渡ることができるようになった。ということを東京農大の湯浅先生が言っておられます。そして移動した先でひょうたんをつくって、また移動していくということができたと。

メンデルの法則でいう有性と劣勢という呼び名がそもそもおかしいのではないかと思っております。アフリカ大陸を出たときに人間は全部黒人だった。メラニン色素はビタミンDを必要としているんですね。ところが人間がどんどん北に北に移動するとビタミンDを必要としなくなる。なのでメラニンが薄くなってくる。父親と母親のいいところが出てくるから、F1(交配種(F1)野菜とは何だ?)はいいんだ、って言われますけれどそれは違うんです!

揃いの良さ(規格適合)がF1の強み。生育が早いということはきめが荒いんです。それからすごく水っぽいですね。いまのおかあさんは、F1の大根を梨みたいに水っぽくておいしいっていうんですけれど、それはおかしい。固定種の種をつかって三浦半島にほんものの三浦大根を復活させてみようという試みがありました。愛知の方領大根ていうのが、江戸時代に練馬大根になって、それがいま三浦半島で三浦大根になっている。徳川綱吉の時代に練馬に持ってこられて、形がだいぶ長いものになりました。長くて1メートルくらいになるんですが。昔の方領大根みたいな形のものもできまして。多様性があるんですね。だけれど、いまは一本定価で売れなければいけないんで、残念ながら三浦大根を三浦半島に復活させる夢はなくなってしまいました。



大根はもともと中国から渡ってきて、その土地の気候と土にあわせて広がってきたのですが、ざっと200種類あります。が、現在はほとんどがF1の青首大根しかなくなってしまいました。

どうしてF1が広がったか。戦争が終わって、爆弾が大量に余ったんですね。それを化学肥料にしてくばったらいいじゃないかってんで、化学肥料が大量にまかれるようになりました。爆弾と化学肥料の原料ってのは窒素なんですが、窒素ばっかりまくと光合成ばっかりしてはっぱばっかりつくっちゃうんですね。それでどんどん背が伸びちゃってこめでもむぎでもそれが倒れちゃうんです。それでどんどん品種改良が進んでいって、とにかく肥料をやればやるほど収量が上がっていく。これを緑の革命って言うんですがね。笑。そういう品種改良に転換されていくんです。それから毒ガスですね。これは農薬に結実していきます。とにかくこういう技術が重なって、現在のいつでも好きなものが食べれる素晴らしい食料事情に繋がっているんです。
現在、なぜ一代雑種の時代になったかというと、戦争で食べ物がなくなったことが原因です。第二次世界大戦後、都市はまったくの焼け野原でした。大勢の兵が復員してきたりして、食料は絶対的に不足していました。アメリカの進駐軍が、この状況を改善するよう要求してきました。増産に必要な化学肥料は、大正時代から存在しています。電気で水を分解して空中の窒素を固定するという方法で化学肥料を製造してきました。ところが戦後、電力不足で窒素肥料ができなくなりました。窒素肥料は爆弾原料でもあります。戦後、爆弾の必要性がなくなり、アメリカの軍需産業の爆弾原料が余ってしまい、食糧不足を窒素肥料の利用で解消しようとしました。

http://noguchiseed.com/hanashi/kouen3.html
固定種のいいところってのは、まずは味がいいところ。それから自家採種できるってことです。つまり自分の畑に合ったものがどんどんつくっていけるってことです。



スイカは元々縞がなかった。旭大和(あさひやまと)っていう品種なんですけど、甘くて美味しいんですね。ところがこれは皮が柔らかくて輸送に耐えないんです。みんな高値で取引されるからって東京市場で売りたいですから、輸送に耐えるものをつくろうとするんですね。それで皮を堅い品種をつくっていったら、日本中スイカが縞のあるものだらけになっちゃった。縞王(しまおう)なんて品種は縞が綺麗ですよ!なんて言って売ってるんだけれど。笑。

菜っ葉ってのは欧米では食べない。ヨーロッパの世界観では鳥がメインディッシュになるんですね。その次に果物が成っていて、それで地面を這いつくばっている獣類がくる。最後に地面に植わっている草花。にんじんやジャガイモって地面に埋まっているものは悪魔ですよ。それで上流階級はぜんぜん食べてこなかったからぜんぜん進化しなかった。カブもロシア民話でご存じかもしれませんが、あれは家畜か奴隷だけがボルシチにして食べるものだった。

1929年にカリフォルニアの農業試験場で赤タマネギの中に、花粉が出ない異常な花を持つ個体が見つかったのです。この赤タマネギの雄性不稔個体(ゆうせいふねんこたい)が、1944年にF1たまねぎの元祖として出荷されました。都合の良く売れる個体に変えていくことで、植物の本質をねじ曲げていく。こんなことはまだ序の口なんです。恐ろしいでしょ?
タマネギなどユリ科の作物は球根や子球による栄養繁殖でも育ちますから、そうした方法でこの異常個体を増やしながら、品種改良に生かす方法を試行錯誤し続けました。その結果わかったのは、花粉を持たない雄性不稔株は、他の健康な株の花粉でタネが実るが、実ったタネは全て母親譲りの雄性不稔になるということでした。これは大発見でした。

赤タマネギはタマネギの中ではマイナーな作物ですから、まずメジャーな黄色のタマネギにしなければなりません。そのために黄タマネギの花粉をかけると、受精した胚は減数分裂して赤50%対黄50%の合いの子になります。この子は母親譲りの雄性不稔ですから花粉を持ちません。そこでまた健康な黄タマネギの花粉をかけます。すると赤25%対黄75%の雄性不稔個体ができます。これを5、6回くり返して、ついに雄性不稔の黄タマネギを誕生させたのです。(他品種から必要な性質を取り込むこの方法を、バッククロスまたは戻し交配といいます)

こうしてできた黄タマネギは花粉を持ちませんから、ヘテロシスを発現できるほど遺伝的に遠い系統の健康な黄タマネギを花粉親としてそばに植えておけば、除雄も自家不和合性も必要とせず、効率的にF1タマネギのタネが採種できるというわけです。こうしてできた最初のF1タマネギのタネが販売されたのは、第二次大戦もたけなわの1944年のことでした。

http://noguchiseed.com/hanashi/hitotsubunotane.html
植物も動物も雄性不稔の原因は同じ。男性不妊の原因はミトコンドリアが変異することが原因であると、2006年9月28日にわかった。アメリカで1960年頃にゴマはがれ病によってトウモロコシが大凶作になっちゃったのは、元がひとつの個体から始まっていることが原因なんです。タネってのは、一粒万倍っていうでしょ。だいたい翌年には一万粒になるんですよ。それをまた翌年まくと一億、その翌年には一兆、またその翌年には一京ってなってくんですよ。ひとつの型だけが増やされて、みんなそれを食べる時代になっていると。

自分の子孫をつくることが生命の本質なんですよ。それが雄性不稔だとできない。

ミツバチがなぜいなくなったか。2007年頃話題になったんですが、なんで集団生活の見本のようなミツバチがいなくなっちゃうんだろうか、っていう話なんですが。ミツバチの受粉に頼っている植物が100種類。リンゴ、アーモンド。それだけならわかるんですが、タマネギ、ニンジン。雄性不稔野菜の受粉にもミツバチをつかっているわけですね。


竹村
あたりまえに食べているもののリスクは大変なものだなと思っていたのですが、ただ単に多様性が減っているという以上のリスクが我々の文明の根底に存在していると。皮肉なのはF1というものは、掛け合わせによって収量の多いものをつくろうとした。それを大量に工業的につくろうとすると、無精子症といいますか、生物として不健康なものを残してきた。我々の工業化された生産プロセスにそもそもの矛盾が存在する。経済性を度外視して自分たちがおいしいものをつくれる家庭菜園、都市農業の役割として期待しています。自分で最低限の食料をつくれるという環境を身の回りにつくっておかなければ。工業化した論理としてはF1種みたいなものがひろがっていかなければならない。生活とは「生命を活性化する」と書くわけですけれども、逆に消費者の方が本当の意味の「生活者」として歯止めをかけていくと思うんですね。野口さんのネットワークについて、そのあたりはいかがでしょう?

野口
いま、インターネットで12,000人を超える顧客リストができてまして、店くるひともたまにいらっしゃいまして、なんとなくのかんじなんですけど、お客さんの半分近くが、60歳以降の人たちが、昔食べた野菜が忘れられないといって注文してこられる方と、それから30歳以降で子供ができて、自分がつくった安全な野菜を食べされてあげたい。っていう方々が多いですね。

竹村
農業にとってもこれは持続可能であるのか。農業そのものが世界中で壊滅しているような気がするのですが。

野口
実際利益があがらなくてみんな泣いてますよね。規模をおおきくすればするほど利益があがらない。農水省が、大市場に出荷されたものを大根何トンなんて計算してますから。それで結局固有種でつくった野菜は自然食品店やらで売ることしかできないけれど、それでは食っていけない。「僕は箱にあわせた野菜はつくってません、口にあわせた野菜だけをつくってます」なんていう農家さんもいらっしゃいますけどね。

竹村
都合にあわせてつくっているというけれど、人間はそんなものを望んでいるのだろうか?局所合理性。多様なものを選べる世界に生きているようで、ぜんぜんそんなことはないということが解りました。

ニーズは21世紀人にあるのに、情報環境が20世紀のままなんですね。いま、田んぼスケープというものを考えています。

野口
花も雄性不稔化している。ひまわりなんかみんなそう。花粉で衣服が汚れない方がいいってね。家畜の飼料についても雄性不稔化している。彼らは生き物ではなくて食材になってる。そういうものがすべてF1になっている。

一時、ハイブリットライスが世界を支配する、なんて言われましたけどあれが雄性不稔なんですね。このタイプを打っているのは三井物産が「ミツヒカリ」っていうのを売ってるだけで、まだそれほどたいした量ではないんですが、中国ではこれを大量に売っています。いずれあれは問題になってくるでしょうね。一番問題なのは、法律で定めている表示義務に、F1なのか固有種なのかもわからないんですね。

無肥料栽培は固定種でなければ育たない。そういうものを扱っているのは、大地を守る会のとくたろうさんと、ナチュラルハーモニーで取り扱っています。あと、埼玉県ふじみ野市にある自然食品店のサンスマイルと、羽村のスーパー「ふくしまや」でも売っています。

竹村
家庭菜園付きの住宅なんかが売れていますが、これはひとつ野口種苗さんと一緒に住宅開発をしたりとか。丸の内大手町でもビルの屋上ごとに植わっている種が違う。そういう丸の内にしようじゃありませんか。

--- 講演ここまで

昔、小学生の頃だったか。どらえもんのどの回だったかは忘れてしまったけれど、未来世界でのび太の孫の孫であるセワシ君が、野菜が嫌いで食べられないっていうことをどらえもんとのび太がタイムマシンで未来に行って、どういうふうに野菜がつくられているのかを調査するという話があったのだけれど22世紀の未来の世界では、野菜はベルトコンベアーを通って、ちょこっと角がとれた程度の四角いにんじんや大根が箱詰めされて出荷していくシーンを見たときに、なんだか不味そうだなとは思ったんだけども。結局セワシ君は20世紀にやってきて、不揃いのかたちのにんじんを食べて感動するんだな。

でもそのとき描かれていた22世紀の未来は、ぜんぜん200年も先の話じゃなくて、今起きていることだったわけで。正直どこまで藤子不二雄が未来を見ていたんだろうと思うのだけれど。藤子不二雄にしても、宮崎駿にしても、手塚治虫チルドレンであるってことは、十把一絡げなわけで。そんな手塚治虫と十年という時間を共にできた野口さんて人を、ちょっと羨ましく思ったり。その期間にインスパイアされたことが、何十年も経って自分自身の家業の中で蘇って、文脈が繋がったりして新たな世界が見えてきているさまをこの話で垣間見た。って感じだろうか。

ともかく一つ解ったことは、あのとき見たどらえもんで流れていたベルトコンベアーの野菜は、カップ麺とかファーストフードを揶揄したとかいう次元の話ではなく、もう一レイヤー上の、素材に対する疑念だったり、局所的な都合によって最適化された考え方そのものに対する問題意識なんじゃないかと思った。

地球大学アドバンス 第23回 「日本の「食」をどうするか?」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=632

地球大学アドバンス 第14回 藤田和芳「日本のスローフードの先駆者」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=508
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未来のインスピレーション


ほのかちゃん。彼女の笑顔を見ていると、ここのところ抱えてた諸々が吹き飛ぶようだよ。2010年最初の記事に、彼女の写真と、それにまつわるストーリーを書くことは、今年のテーマが「未来」と「インスピレーション」という二つの言葉で始まろうとしているときに彼女の笑顔はふさわしいと思った。

そうそう。僕が彼女のパパに出会わなかったら、今の僕はいないと言えるし、彼女もいないかもしれない。



山本尚明くん、31歳。パナソニックで働くプロダクトデザイナーだ。家電機器や設備を通じたソーシャルコンセプトクリエイションの実践と研究が主な仕事らしい。1999年の夏を過ぎて季節は秋に変わりはじめていたある日、エレファントデザインでの仕事に疲れ果てていた僕が、彼に連れられてSFCに行っていなければ、その後の僕のほぼすべての人間関係も存在しないことになるし、従って今の僕はいないことになる。そのくらい大きな大きな転機だった時期を共に過ごすことになった、初めて知り合ったSFCの学生、当時環境情報学部の2年生だった。

当時の僕は、彼を通してその先にあるSFCの学生達が共通して持っている、未来に対するあふれんばかりのアグレッシブさを感じ取っていた。彼はもともと、空想生活の開発をサポートしてくれるスタッフとして参加していた。そんな彼に誰かが、SFCの学生だったらこのプロジェクトをどのようにつくる?と質問したときに「SFCの学生だったらこんなん自分たちでつくっちゃいますよ」と言っていたのを聞いたのが、SFCという場所に対するファーストインプレッションだった。

SFCって、慶應大学が10年前に藤沢に作った新しいキャンパスということすら知らなかった僕は、その言葉の意味不明なくらい強気で、しかもあたりまえのように言う態度によって、その存在に気がついたように思う。彼は、まさしく「未来からの留学生」そのものだった。



そもそも、センソリウム竹村真一さんについて最初に教えてくれたのも彼だった。彼に2001年にメディア寺子屋に連れて行かれなければ、その後の100万人のキャンドルナイトにしても、そこから派生した全てについてもなにも無かったことになる。

彼とは当時「時間」についてよく語り合った。時間という概念が人によってつくられたものであること。それは特に産業革命以降、19世紀、20世紀を通して社会は時間に都合を合わせて進んできたけども、そこには幸せはなかったのかもしれない。21世紀はそういう概念から脱却しよう。なんでもかんでも同期をとろうという考えはやめましょう。非同期で、お互いにストレスをかけない関係でコミュニケーションして、そこに出来上がってくるものに、何か幸せを見てみましょう。なんていう議論をしていた。それは後々、環境の世界ではスローという言葉で呼ばれていたり、アメリカ人の未来学者アルビン・トフラーによって1980年代に書かれていたことだということを発見した。

ともかく、10年前の僕らは、世紀の変わり目に未来というものをアグレッシブに捉え、来たるべく未来はどのようなものであるか、一つ一つ学んでいっているうちにあっという間の10年が過ぎて、2010年になった。僕は彼が当時示していたコンセプトの世界をひたすらに突き進んでおり、彼は父親になった。



2009年の終わりに、僕のアウトドアの先生である弥生ちゃんとこれからについて話していたとき、彼女は「子供に冒険を教えたりできる場所をつくりたいんだ」と言っていた。

そのとき、僕は、子供達に未来を見せてあげる人になりたいんだ。と強く思った。

みらい。
僕は、宮崎駿さんに、未来をたくさん見せてもらったなー、と思う。ほかにも、いろいろな人に、見せてもらったけれど、そこで何が見えたんだろうか。何が良いか悪いかなんて価値は、自分自身ではわからなくて、こうあるべきだ、これが美しいんだ、美味しいんだ、いいことなんだ、っていう価値は、いろんな人から教えてもらって、それをまねして、知ってきたと思う。

宮崎映画っていうのは、子供達がこういう未来をつくっていったらいいんだよ、っていうことを暗に示しているところが、僕はとても共感するところであるとおもう。そんな、未来。

宮崎駿さんの手段は映画で、僕の手段はまだわからない。だからブログを書いている。景気が悪くなったり、世間の雰囲気が悪くなればなるほど、なにかを照らしていかなきゃと思う。特に東京にいると余計それを感じる。

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未来からの留学生
http://tamachan.jugem.jp/?eid=631

sensorium と Night and Day
http://tamachan.jugem.jp/?eid=392

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー
http://tamachan.jugem.jp/?eid=561
http://tamachan.jugem.jp/?eid=562
http://tamachan.jugem.jp/?eid=564
| - | 23:53 | comments(3) | - |
大変素晴らしい人たちに出会った一年とちょっと
2008年9月から、今年いっぱいまで日本中のあっちこっちに行って、ほんとうにたくさんの出会いと、知見を得ることができたようにおもう。


誰よりもまずその最初のきっかけとなった、青い目の文人アレックス・カーに感謝したい。

● アレックスに導かれてきた人々
それからその出会いのきっかけとなった元脳科学者の橋本さん、指物師の修行をしていた村松さん、ちいおりの住人ポール、すべての日本文化に精通した文人沢田実先生、茅葺き職人小川さん。

● 一緒に家作りをした仲間達
今年の1月に家を借りようと僕が言い出した瞬間からずっと一緒に家作りをしてくれたご近所の建築家の卵ともやん、職人であり同居人でありシェフ黒田、神楽の踊り手 渡守希、力仕事をいろいろやってくれたよしお & 今度SFCの大学院に入学するさやかちゃん。

● 京都での日々
京都での日々を最も楽しく一緒に過ごしてくれたほんとうの妹以上に妹のような丹羽妙、アウトドアと自転車の先生やよいちゃん、呉服屋さん一年生のはまゆう、京大の図書館司書 植田久美子ちゃん、日本で唯一の竹画家 八十山さん

京都でカフェを始めようとしたときに知り合った友人達、農協を辞めて春からカフェをはじめる黒ちゃんと白川さん、若き映画監督であり実業家 柳明菜、大阪のバリスタ 田中裕也、あじき路地でカフェをやってる照明デザイナー ムーラン、同じくあじき路地に住むグラフィックデザイナーだるま商店安西さん

京都を拠点に活動している活動家達。パニック障害を持った社会起業家 深田くん、京都市未来街作り100人委員会いいだっち、京都の情報通といえば精華大学筒井先生、世の中の不思議な現象と原理を解明したい柴田有三さん、世界を相手に若き建築家水口さん、世界中の子供達をつなげるパンゲア高崎さん

京都を通じて知り合った友人達。日本中の島という島を駆け巡る かおりん、ヒーラーであり踊り子でありいつも癒してくれる ささぼん、ブックコンサルタント古屋荘太くんにはいつか僕の本を書いてもらいたい

● 瀬戸内国際芸術祭から始まった
今から丁度一年前に瀬戸内国際芸術祭から始まった友人達。元ADK四国支社長 三井さん、四国から世界を変える!伊藤智子のパワーにはいつも圧倒されてばかり、愛媛の和紙職人の娘 佐藤友佳理、高松の古本屋でありこえび隊隊長の甘利ちゃん、高松のIT屋さんでビーチコーミングの森田さん

小豆島で知り合った神山町の盟主 大南さん、高松の港で伝説のゲリラワインバーを始めた栗生さんというお二人は西村さんの言う「すこやか」を体現している二人だった。しまなみ海道ツアーの初日にお世話になった松下整形塾出身で政治家にならず弓削島に移住した兼頭一司さん、倉敷町家トラスト中村さん

● 竹村真一さんから始まるご縁
仕事と生き方を哲学し続ける西村佳哲さん、pingmagの編集長トム・ヴィンセント、日本文化を広めたい 三菱地所ひらもとさん、エコッツェリア戸部さん、創業1624年唐紙の唐長 トトアキヒコさん&愛子さん、創業1675年伏見の酒蔵 月の桂 増田科手未気

● 東京でもまだまだ出会いがある
同い年の日本画家 東京芸大博士課程 大竹寛子、Amazingな映像作家ケンジ・ウィリアムス、面白法人カヤック鈴木さん、僕の床屋コンプレックスを多少なりとも取り払ってくれた自由が丘カキモトアームズの美容師さん小山祐子、大阪大学の博士課程 萃点堂 津田くん、占星術師のシュガー、元日本デザインセンター デザイナーの樋口賢太郎、書道家であり目利きであり日本的デザインの先人 ハミル・アキ

● 2004年以来のリメンバーSFC
秋祭で日本のインターネットの父である村井純先生に初めてご挨拶した、その弟子で慶應大学博士課程 すこっちとはもっと早く知り合っていたかったな、京都系雑誌のライターの森王子はとても食通、クリスマスのミサにつれていってくれた某新聞社記者stkbys

リメンバーSFCは、基本OBか先生が多いのです。社会起業家を育てる井上英之先生の金八先生っぷりには大変感動いたしました、元小熊研 化粧品で世界を救う向田麻衣、元井上研 最近岡山西粟倉村ラブな亀ちゃん&木村くん、紙copi開発者の洛西くん、ユーザーインターフェイスといえば児玉くん


そしてそのほかの誰よりも僕に振り回されたであろう。はるくん、こゆりーに感謝するよ。

この約70人の人たちに知り合ったことで、僕の2009年はとても色濃いものになりました。有り難う。
| - | 13:15 | comments(0) | - |
頑張るものが報われる社会
最近ブログが書けていません。近々リニューアルしようと思いつつなかなかできていないためですが。

さてさて、久しぶりに人のブログを読んで、胸を打つものがあったので、そのまま転載させていただきます。

あまり深く絡んだことはないけれど、SFCで知り合った中で、企業経営ということに関してこんなに英明な人はいませんでした。そんな彼は現在オックスフォード大学に留学しつつ、日本に一時帰国した際に見えたものを、書き綴ったこの記事を読んで、そういうふうに見えているのか!っていう素直な驚きと、彼の見識に感謝しつつ。

彼がどのような意図でこれを書いたのかということと、僕がどのように受け取ったかということは、ひょっとしたらぜんぜん違うのかもしれない。人によっては、未来を暗いものとして受け取ってしまうのかもしれないけれど、僕はむしろなんだか希望を感じてしまうのです。

以下は、後半部分のみなので、是非元記事を見ていただけたらと思います。

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これは日本の政治が悪いとか、国の問題とかそういうものではない。全世界的な富のシフトが起きているだけの話しだ。その分、途上国でいきる人は生産が移転し豊かになる。単純に頑張るものが報われる社会になっているだけなのである。

合理的な意思決定の連鎖と、世界の流れ、構造の変化の帰結として、国家という一つの固まりが中にいる全員を守れるような時代は終わろうとしているだけなのである。

そもそも、日本に生まれただけで、大した努力もせずに楽しく暮らせると思っている若者は、世界を見て、貧困を肌で感じて、そこから這い上がろうとしている自分たちと同年代の若者の力と、情熱と、信念に触れるべきとも言える。

毎日15時間労働して、ろくに楽しみもせずに、月に5万円もかせげず、しかもその半分以上を家族に送金しているような若者が、世界には五万といる。ニートが出来るような日本は、まだまだ皮下脂肪の固まりであり、それに安住してしまっているのである。

ただ単に、国が守れる時代ではなくなっているという事だけなのである。日本という国がこのようなグローバルな社会の到来を予見し、それに備えた準備ができた可能性もあったが、私の理解ではもはや手遅れである。手遅れというのは、何かを犠牲にしなければいけないところまできてしまっているという意味である。

日本がどうなるとか、そのように他人に任せていれば自分の人生がどうなる時代は終わろうとしている。それはよくよく現状を分析すればつまびやかになっていくのである。一人一人がその時代に向けた自己防衛の準備をしなければならない時代がやってくる。

日本は、全ての日本国民を守ることは出来ない。それは構造的にもはや不可能に等しい挑戦なのである。

さて、どうするか。。。。それが解れば苦労しない。色々な人がそれを真剣に考えている。私も考え続けてはいるが、その答えは未だ見えない。

original writing : cotton
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元記事 Cotton Articles v6: 構造的に不可能に等しい挑戦
http://www.kotosaka.com/article/136425908.html
| - | 16:31 | comments(1) | - |
日本の地域資源と文化資源における未来的考察
2008年9月から、2009年末まで。導かれるままに、直感と嗅覚とご縁でひたすら馬鹿のように地域社会を駆け巡っておりました。そして、そこでの発見と出来事を写真におさめ、文章を書いていくことから、なにか未来が見えてくるのではないかという漠然とした思いから動き始めたのでした。

大変素晴らしい人たちに出会った一年とちょっとであったと思うんだ。この先、十年、二十年のおつきあいのベースをつくったという感じもするんだ。これだけ濃厚に人との出会いを楽しみ、未来に大きく投資をした日々を過ごしたことはなかった。

丁度、2008年の9月に世の中が変わっていく地響きのような音が聞こえ始めたときに、もう、東京の真ん中から、エコやスローなんて生やさしいことを言っている場合ではないと思ったんだ。今、こんな時代だから、やらねばならないと思った。自分自身の未来を本気で考えたときに、日本人と呼ばれる民族が、ローマから始まる文明の最終着地点として編集し、まとめあげてきたもの。近代、僕らの上の世代の多くの人々が捨て去ろうとしてきたものの中にこそ、未来のかけらが残っているんじゃないか。

ついつい狭い世界に陥りがちな、僕らの生活に、多少なりとも「メタ」な視点を持ち込むことができたら、自然の風景や登場人物達の英知からインスピレーションを感じていただけたら、それらから読んでいただいた方自身の未来をデザインしていくことに希望を持っていただけたら幸いです。


2008.09.26 徳島・祖谷「アレックス・カーの桃源郷・篪庵
2008.10.17 岡山・倉敷「倉敷町家トラスト
2008.10.18 香川・牟礼「イサム・ノグチ庭園美術館
2008.12.06 京都・亀岡「夢の中に住む・天満宮
2008.12.21 愛知・岡崎「しあわせなお産・吉村医院」
2008.12.27 香川・高松「瀬戸内国際芸術祭キックオフ」
2008.12.28 広島・福山「崖の上のポニョと鞆の浦ツアー
2009.01.11 京都・東山「あじき路地
2009.01.27 奈良・桜井「日本最古の神社 大神(おおみわ)神社」
2009.02.14 石川・金沢「金沢
2009.02.15 石川・山城温泉、山中温泉「旧北大路魯山人邸・いろは草庵
2009.03.01 愛知・有松「有松鳴海絞り」
2009.04.05 岡山・犬島「犬島精錬所跡地・犬島アートプロジェクト
2009.04.26 京都・木屋町「京町家宿泊体験・庵プロジェクト
2009.05.03 香川・小豆島「肥土山農村歌舞伎
2009.05.05 京都・美山「美山茅葺きの里」
2009.05.07 石川・小松「九谷焼人間国宝作家の工房見学ツアー
2009.06.05 香川・高松「瀬戸内海・女木島、男木島、豊島、フィールドワーク
2009.06.07 徳島・神山「神山アーティスト・イン・レジデンス
2009.06.28 滋賀・近江八幡「第一回琵琶湖長距離自転車の旅
2009.07.17 京都・中京「祇園祭二〇〇九 宵山
2009.07.21 京都・亀岡「文人・沢田実」
2009.07.28 京都・上京「唐長サルヤマサロン
2009.08.07 京都・東山「五条坂の陶器市
2009.08.10 広島・尾道〜今治〜小豆島〜徳島〜淡路島〜明石「しまなみ海道長距離自転車の旅
2009.09.02 新潟・十日町「越後妻有アートトリエンナーレ2009
2009.09.15 香川・五色台「アーティスト・川島猛
2009.10.22 滋賀・信楽「MIHO MUSEUM・若沖ワンダーランド」
2009.10.24 滋賀・堅田「第二回琵琶湖長距離自転車の旅
2009.12.06 京都・伏見「月の桂のにごり酒」
2009.12.08 京都・綾部「出口王仁三郎の耀盌」

交通費計 549,556円(2009年分のみ)

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交通費2008
http://tamachan.jugem.jp/?eid=498
| - | 16:15 | comments(0) | - |