tamalog

Output and input from 1998 to 2009
Google Chrome OSはテレビのように

こちらをクリックすると大きな画面で開きます

Google Chrome OSはテレビのように高速に起動するんだとか。

さてさて、Google Chrome OSのユーザーインターフェイス画面が公開された。Googleがオペレーティングシステムをつくることがどういうことかっていうと、Windows95以来この方、世間の一般認識としてコンピュータってのは電源を入れるとまずデスクトップにアイコンが並んでいて、クリックするとウインドウが出てきて、アイコンをクリックするとアプリケーションソフトが起動して、という概念の上に成り立ってきた。インターネットエクスプローラなりSafariなりっていうウェブブラウザも、そんなアイコンのひとつだった。

ところがこのGoogleのOSってやつは、おそらくたぶん、起動した瞬間から画面がウェブブラウザそのものなのだ。僕らは2〜3年ほど前にメーラーアプリケーションを使うことをやめてGmailに切り替えていたから、メールはブラウザの中でつかうもの、という概念はさほど驚くことはないだろう。更に、スケジュール管理もGoogleCalenderで、ドキュメント制作はGoogleDocsで、オンラインコミュニケーションはSkypeとTwitterで、映像はYouTubeで、写真はFrickrでと、ここ数年で劇的なまでにすべてをブラウザの中に委ねてきた。最近では遂にPhotoshopまでオンライン化し始めた。(https://www.photoshop.com/ ※英語版のみ)

そんな流れの一つの集大成として、GoogleはOSをつくった。おそらくWindowsでいうところのタスクバーのようなものも無く、タブがその代わりとなるんだろう。コントロールパネルのような、コンピュータのセッティング画面もブラウザの中。つまり、いままでのコンピュータのデスクトップとブラウザの立ち位置が逆転したのである。はっきりいってしまえばデスクトップなんぞいらないわけだ。インターネットを接続することが前提の設計。そう。iPhoneのように。

そしてこのOSは、主に5万円〜の価格帯が存在する、安価で小型軽量なネットブックと言われているコンピュータのためのOSだということだ。このことの本当の意味というのは、日本のコンピューターメーカーにとっては驚異的な真実が隠されている。ほとんどのコンピューターユーザーは、現在のような多機能ハイスペックなコンピュータは使いこなせないという、メーカーがいままで目をつぶってきた真実があることを、多くは気がついていたにもかかわらず、遂にそこから目をそらすことができない状況が、このGoogleのOSによって露見せざるをえなくなるだろう。

まぁ、そんなふうにコンピュータや、情報にまつわる環境が、文房具のように使えるようになるかも、っていうことはなによりなことだなー、と思うわけです。

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The Chromium Projects
http://www.chromium.org/chromium-os/

Chrome OSの登場は2010年11月ごろ まずはソースコードを公開
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/20/news039.html
| 情報デザイン・メディアデザイン | 14:02 | comments(0) | - |
情報発信主義宣言
インターネットを中心とした「情報」を取り巻く環境が、大きな変化の時を迎えている。

2009年11月11日からの数日間。twitter上でこの国におけるインターネットや情報、メディアといった分野の歴史がいくつか生み出された。来年度の日本の国家予算を決める「事業仕分け」のストリーミング映像を見ながらtwitterで呟いていた、いや大激論をしていた人たちは、いくつかの歴史的瞬間を見ることになった。これはちょっとしたはじまりのはじまりなのかもしれないが、インターネット創世記の頃にあった創造的な、エキサイティングな空気を感じる。



事はそれだけではない。先日、深夜twitterを眺めていたら「東龍なう!」と呟かれていた。それはつまり、僕の家の近所のラーメン屋の名前が出ており、そこに友人が、自分がいまそこにいるということをそれとなく伝えていたのだ。それを見た瞬間、僕は彼に電話をかけていた。そんな些細なキャッチボールが成立すること。



それから、最近のtwitter動向を探るためたびたびSFCを訪れているが、とある授業を聴講しているときに、同じ教室のノートをtwitterで書いていた学部生の女の子から、とてもよく知っている人の名前が飛び出してきた。その子の居場所はわからないが、ここかなと思った場所を指し示してみると、彼女は先ほどの子の友達だった。というような出会いが起きたりすること。

このようなことが何故起きうるのか。それはやっぱり情報をある程度開示しているからにほかならない。


情報発信主義宣言

情報は、恥ずかしがらず公開することが大事なのである。誰になんと言われようと公開することが第一歩なんだ。不完全な情報でもいいのです。その瞬間、生み出された言葉は真実なのだから。そして、どんな内容であっても公開された情報をネガティブにバッシングしてはいけません。

公開された情報にポジティブなフィードバックをすることが、きっと誰かを勇気付け次の新しい価値を生み出すんだっていうことを信じなくてはならない。それはなにか、いいことを言わなきゃいけないんだなんて思わなくっていい。ブログでもいい、twitterでもいい。インターネット上に発信すること。伝える事をためらってはいけない。

ひいてはそれが、仮想空間で完結する事なく、生活空間にも結びつけていくことを忘れてはならない。とかくデジタルが否定されがちな風潮をいちいち気にする事はもうやめよう。インターネットがわからないというのは、もはや単なる思考停止でしかないのだから。

発信された情に「報いる」ということが、情報っていう日本語の語源なのだから。情報発信するということが新たな未来を作り出す源泉であると、僕は信じてやまない。

我が国の情報を司る最高学府の一つである、未来を創る大学にて。

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Twitter「なう」のリアル
http://d.hatena.ne.jp/sotacafe/20091029/1256829628
| 無意識の意識化 | 01:04 | comments(0) | - |
2009年ダライ・ラマ法王東京講演「地球の未来」への対話 −仏教と科学の共鳴−
2009年ダライ・ラマ法王東京講演「地球の未来」への対話 −仏教と科学の共鳴−
speaker:
ダライ・ラマ法王14世(ノーベル平和賞受賞者)
清水博(東京大学名誉教授/NPO法人「場の研究所」所長/薬学博士 )
田坂広志(多摩大学大学院教授/シンクタンク・ソフィアバンク代表/社会起業家フォーラム代表)
竹村真一(文化人類学者/京都造形芸術大学教授/Earth Literacy Program代表)
星野克美(多摩大学大学院教授/日本技術者連盟会長/グローバル・マネジメント・アカデミー会長)
企画・モデレーター:尾中謙文(青山プランニングアーツ代表/認知科学者)
date & place:2009.11.01
両国国技館にて



今回のログ取りは、かつてなく困難を極めた。イベント運営会社の前時代的なスタンスと不手際に対する問題はすこっちに託したい、が、たとえなにを禁じられようとそれを超えて広くこの会の内容を伝えるということはこの会の登壇者の面々に価値を感じてあの場を共有したものの責務であると、僕は考える。結果的にはiPhoneに録音機能が備わっていたことが大きな救いとなった。昨日だれかがつぶやいていたのだが、最先端というのは常に異端なのだ。そして中盤からなし崩し的に始まったtwitterによるつぶやきがあの瞬間のフラストレーションを超えて良いディスカッションになっていたのは、面白かった。そして録音の失敗によって今回ログに起こせなかった箇所において、最新の脳科学と古代仏教とインターネットに、自律分散協調という考え方が根底で共通しているんだ、という発見が、個人的にはなによりも成果であった。最後の「compassion」の箇所で、エーリッヒ・フロム「愛するということ(原題:Art of Loving)」が引用されてもいいのになあと、思いつつ付け加えさせていただきたい。


以下、会場でtwitterによる発信を行った箇所だが、今回テープ起こしによる原文そのまんまで大変長いので、興味のある箇所からご覧になられたらと思う。

「現在の心理学というのは、古代インドの哲学と比較すると幼稚園のようなものである。」↓

「そもそも科学は西洋から生まれたが、仏教的概念は含まれていない。宗教と科学との対話を日本のお寺で行ったらどうかという話をしたことがあります。コスモロジーいわば宇宙科学、脳科学、量子物理学、心理学。このあたりの分野の対話を行うことは非常に有益なのではないか。」↓

「脳はなにかをコントロールする機能はないそうです。これは大変仏教のコンセプトに共通しているのですが、キリスト教の感覚からするとコントロールするということになりがちですが。」脳も仏教もインターネット的!↓

「若いひとたちには常に新しいことを考えてもらわねばなりません。私もそして四人の先生方も20世紀の産物でありますから、我々はそろそろグッバイであります」↓

「すべての宗教にはコンパッション、思いやりと愛というものにおいては共通します。そういう点において科学的に研究する必要があります。神やブッダを必ずしも信ずる必要はない。そして私は世俗主義です。それをそれぞれの家庭で行えれば良いのです。」↓
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| ログ | 16:19 | comments(0) | - |
社会起業家という言葉が嫌いなんだ!


社会起業家が集まるという「横浜ソーシャルベンチャー・ナイト」では大変有用な気づきを得た。

なんていうか、これから社会起業家を目指すとか言っているやつが、学生時代に世界を放浪していて、これこれなにがしの問題を発見したから解決しようっていうストーリーを描いてしまうのは、もはや痛々しく僕は思うね。2002年くらいにそういうことを言っていた人達にはオリジンを感じたけれど。もはやフォーマットの上に乗っからねばなにもできないと言っているに等しい。

その社会起業家なるキーワードを最初に見たのは2002年頃のHOTWIREDのページでだった。その発信者であるETICはいつまで同じことを繰り返すんだろうか?もはや社会起業家シールを発行すればいいって段階は過ぎたのではないだろうか。社会起業家という言葉で彼らを記号化してしまうことは、あの時点では大変有用なことであったかもしれないが、もはや時代は変わってきている。社会起業家なる言葉が作り出された背景に、どこか選民思想を感じてしまうのは僕だけだろうか。

社会起業家という言葉が嫌いな人はけっこう多いのではなかろうか。社会起業家自身は大変意味のある活動をしているとしても、周りの人間がそれをあまり好ましくなく思う風潮を作り出してしまうという悲劇。そもそも元を辿れば、ソニーだってその設立趣意に書いてあるのは、社会起業そのものなのである。それをわざわざ「社会」起業とソーシャルだの社会だのと飾りをつけなければ経済、ひいては経国済民するための活動が行えないというくらい乖離していること自体がそもそも問題なのであるし、ここでいう社会起業的なマインドを持たずに起業を志すなどという輩は、マネーゲームに参加しているだけの不届き物であると言われても仕方ないだろう。

記号化というのは、功罪あいまみえる機能を持っている。ダライ・ラマも言っていたけれど、メディアに関わる人間は大きな役割があるのだから、方法論をそろそろ見直す時に来ているのではないかとETICさんにはちょっと言ってあげたい。

そういえば、上のキャプチャー、よく見てみたらtext井上英之って書いてあるではないですか。笑。この方、そろそろどこかでお会いすることになりそうな予感がしております。

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社会起業家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/社会起業家

社会起業家という生きかた。Hot Wired Japan(Internet Archive Wayback Machine)
http://web.archive.org/web/*/http://hotwired.co.jp/matrix/0202/
| - | 01:50 | comments(1) | - |
世界を駆け巡ってきた文様であるからこそ、普遍性があり、今見ても新しく見えて、美しい。
シンポジウム「伝統の文様・図案・意匠の重み」-京都の知恵が新たなトレンドを生み出す-
speaker:トトアキヒコ氏(唐長・KIRA KARACHOプロデューサー) 
date & place:2009.10.23
京都商工会議所 講堂にて



今年七月に知り合ったトトさんが、唐紙についてお話されるっていうので行ってみた。

ちょっと、ひさびさ、言葉に感動した。文字として読んでもつたわんないかもしんないけれど。和とかモダンとかに囚われてると危ういなあと。その後の登壇者がそういう表層に囚われていることとコントラストがはっきりくっきりしてたからかもしれない。和モダンとかってテーマでインテリアやりまくってきた人が、とても痛いのは、表層に駆られてしまって、ぜんぜん勉強していないからかもしれない。トトさんの締めくくりの言葉に、自分がなにに惹かれているかということの、輪郭がはっきり見えてきた気がする。
僕たちはあまり「和」ってことを思ってないんですね。ユーロアジア全体の人類の営みが文様として入ってきたり、シルクロードを通じて入ってきたこと。世界を駆け巡ってきた文様であるからこそ、普遍性があり、今見ても新しく見えて、美しい。唐紙自体には、版木の力、先人達の力がいっぱい宿ってるんですね。そういうものを写し取れたときに、美しい唐紙が生まれるんですね。だから単に装飾されただけのものではありません。
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写真:トトアキヒコ

文様(もんよう)。文(もん)。文様は文化そのものだと思っています。子供が生まれたときに、ひたいに×印を書いたんですね。それが文。非常に呪術的なところから始まっている。京都では子供のことを「ややこ」っていいますけれど、それが文(あや)になっているんですね。

桂離宮でありますとか二条城でありますとか、公家武家商家問わず、しつらいとして唐紙をやってきたのですが、それをどう今の暮らしに溶け込むのか、ということを企画しています。



昨年の春にミッドタウンの「とらや」で行った展示。会場内に水を張って、水面に唐紙の明かりが映り込む。桜の舞い散る静かな空間を感じてもらいたかった。静かさと儚げ。唐紙ととても相通じるものがあった。



「青い桜」
唐紙の美術的価値に光をあてるという試み。唐長はよく伝統工芸っていう言葉をつかいますが、僕は単なる伝統工芸ではないと思っています。和紙の文化であるということと、文様美という二つの価値があいまっている価値だと思います。自然界への畏敬であったり、人類の英知そのものであり、はたまた呪術的な祈りの形だったり。今なお生まれつつある現代の美。妻である愛子とともに四ヶ月展覧会をしました。青い桜をつくりました。明け方の空をイメージしたんですけれど、明け方のあおい舞い散った桜が光を受けていると、桜の色は青なんじゃないかと。



「波紋」
唐紙を通じて世界が平和だったらいいなーっていうことをこの頃から思うようになりまして。この渦の文様はですね、派生と終演。西の極み、今でいうアイルランドに遺跡としてたくさん残っています。それは東の極みである僕たちがいまなお使っているというのは、文様をつかって世界が通じているということなんじゃないかと思います。ケルトのひとたちは、いのち、太陽、死生観としてつかっていたようですが、今の私たちは水を感じる人が多いと思うんですね。宗教、文化もそうだが、時代時代で意味が編集されている。ということで渦の文様っていうのは研究材料になるのではないか。松岡正剛さんの本をたまたま読んでいて山川草木悉有仏性(さんせんそうもく、ことごとく、ぶっしょうあり)ということばがあり「すべてのものに魂は宿っている」山を見ていて、葉の色があったり、蝶の色があったり、そういう山の美しさを表現できないだろうか。そう思って手がけたのがこの紙なんですが。従来の刷毛などで染めるやりかたとは違いまして、ひとつひとつ私の手で染めています。ドットというか点になっていると思うのですが、3メートル全部染めるのに三万回とか四万回という行程でつくっているのです。不揃いの中に透明感をつくるという試み。文化人類学の教授である竹村真一さんという方がおられるのですが「触れる地球」というプロジェクトの一環でイスラム美術館に唐紙が納められることになりました。



「祈りの形」
十字架っていうのは、単にキリストの十字架っていうことを意味しているのではなくて、東と西の融合ということを私なりに考えて、唐紙にメッセージを託した。九曜文(くようもん)。空海がもたらした文様なんですね。もともとインドから中国に渡った星占術の中に描かれているのが九曜紋ですね。これを十字架と組み合わせたことで、東の文化と西の文化として組み合わせた。ちょうどこれをやっていた時期が七夕っていうこともありまして。つくってみてから、はくちょう座のくちばしにアルビレオっていう星があるんですね。気になって調べてみると385光年の星だったんですけど、385年前にきらんと光った光を今見ているんですね。385年前というのは唐長の創業なんです。そういうことが唐紙に自然と現れているのが初代からのメッセージなのかなと。



「Inochi」
鳥がたくさん飛んでいるのですが、先頭の一羽だけ青い鳥なんですね。長いかたは三時間くらい眺めてらっしゃいました。感情という言葉が適切かわからないんですけれど、研ぎ澄まされた感情や感覚の中で生まれたものっていうのは、普遍的に認められるのかなと思うのですが、英語でいうと「ああと」っていう言葉になると思う。先頭の一羽だけは幸せの青い鳥です。実はこの四作目のいのちっていう唐紙は、東洋西洋の古代美術のコレクションをされている国内でも指折りの美術館があるのですが、そこのオーナーさんのコレクションに入れていただくことができました。


僕たちはあまり「和」ってことを思ってないんですね。ユーロアジア全体の人類の営みが文様として入ってきたり、シルクロードを通じて入ってきたこと。世界を駆け巡ってきた文様であるからこそ、普遍性があり、今見ても新しく見えて、美しい。唐紙自体には、版木の力、先人達の力がいっぱい宿ってるんですね。そういうものを写し取れたときに、美しい唐紙が生まれるんですね。だから単に装飾されただけのものではありません。

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唐長
http://www.karacho.co.jp/

静寂と美を紡ぐ唐長トトの写真とことばによる「唐長美術館」への軌跡
http://blog.goo.ne.jp/kiratoto/
| ログ | 20:15 | comments(0) | - |
琵琶湖ほぼ一周 自転車の旅2 一泊二日 181km
前から行こう行こうと言っていた琵琶湖一周のつづき。今回は、前回の終着地点の近江八幡駅を朝09:00にスタート。



今回も僕のアウトドアの先生、やよいちゃんと。最近彼女は大阪のロッククライミングジムに通っているらしく、そこのメンバーこてこて関西人8人パーティーで、一泊二日の行程だ。さすがにみなさん日頃鍛えている上に全員ロードバイク系なだけあって、最高速時には時速30kmくらいのスピードで進行する。

それにしてもJR琵琶湖線沿線は安土桃山時代の旧所名跡のオンパレードである。近江商人の町、近江八幡から始まって、織田信長の安土、井伊直弼の彦根、石田三成の佐和山、中仙道と北国街道の分岐点であり、現在は新幹線こだまが発着する米原を過ぎて、羽柴秀吉の長浜とつづく。



長浜を抜けるまではスイスイ。なんていっても大津からここまで約90kmの間はほぼアップダウンなしのアスファルトによるサイクリングロードが整備されているのです。そして長浜を抜けると秀吉が柴田勝家を打ち破って天下取りの後継者となった、賤ヶ岳古戦場跡がある。ここを北に抜けたら福井県という、琵琶湖の最北端だ。今回はここで進路を湖沿いに西へ取る。この山の下にあるトンネルは路肩50センチくらいだろうか、車道にはみ出し気味で通過しつつも隣をトラックが駆け抜けようものなら風圧で自転車が足を取られそうになるが、集中力で突破。

そしてトンネルを抜けたところで17:30頃。あと30kmで初日の目的地というところまで来て、夕焼け、日没。なんか今回たいしたことないじゃん。と思っていたら、地獄はここから始まったのでした。


奥琵琶湖パークウェイから見える長浜方面と琵琶湖。そこらじゅうリアルにたぬきだらけ。

奥琵琶湖パークウェイ。標高280m程度の、琵琶湖に突き出た半島の山を登り始めたころにあたりは真っ暗に。70km近くも走り続けてきた足にアップヒルは相当堪え、そんな山中を10kmほど進んだ頃には、全員バラバラになっていく。まったくの一人で、暗闇の山中を走っていたときに林の中には常にガサガサっていう物音がして、後ろからはなにか歌声が聞こえていたときは、賤ヶ岳付近っていう場所が場所だけに、ちょっとしたお化け屋敷より怖いものがあった。そんな所を20km、1時間半か2時間ほど、延々登り続けてやっと温泉に到着したときの嬉しさっていったら。ああいう生々しい自然環境への恐怖感っていうのは、東京近郊ではちょっとやそっとでは味わえないものがあるね。


その後は湖畔でバーベキュー。さすがアウトドア慣れしている人たちだけあって、荷物はすべて宅急便で郵送されていたり。一日目はここで終わり。



一日目に100km走ったので、二日目はのんびりお昼から出発。ここから湖西地方、高島市に入る。高島ってのは、滋賀県の中でも際だって昨今、環境だったり文化だったりっていうことに対して活発な地域。例の「NHK 映像詩 里山II・命めぐる水辺」に出てくる葦原の日本の原風景もここにある。行きたいところのソラノネ食堂もこのあたりなんだけれど、今回はスルー。



高島市を抜けると、水中に鳥居のある白髭神社で休憩。ここはいつも車で湖西に行くときに必ず通るから一度降りてみたかった所。ここらへんの水質がやたら綺麗なのはなんでだろう?

より大きな地図で表示

最後はJR堅田駅でゴール。他の人たちは堅田駅からスタートしてるから、これで丁度一周。でもほんとは大津からやりたいなあと思いつつ。

最近自転車がブームだというけれど、町乗りだけしてないでこのくらいやんないとまったく意味ないなあと思っていたけれど。車や電車で旅行してても見えてこないものが見えてきたり、世界の解像度がだいぶ上がった感じがするところが自転車旅の魅力なのではないかと思う。

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2009.08.17 しまなみ海道から淡路島まで瀬戸内海548km(うち自転車126km)6泊7日の旅
http://tamachan.jugem.jp/?eid=605

2009.06.29 琵琶湖ほぼ一周 自転車の旅 京都から近江八幡まで60km
http://tamachan.jugem.jp/?eid=585
| 自転車生活 | 02:09 | comments(0) | - |
2009年10月 東京にて
いろいろ動きだした2008年9月から一年経って、東京で、ひたすら今後を考える時間を過ごしておりました。


10月3日、今年日経新聞にご就職されたあかねちゃんと横須賀美術館に行く。パウル・クレー展。横須賀美術館のサインシステムは廣村正彰さんがやったって話を聞いてからずっと気になっていた場所。観音崎灯台の真下から中秋の名月をのぞむ。

10月5日、横浜へ。すこっちが横浜でどういう活動をしているのかってことをつぶさに見学。だいぶ地域に根を張っている感じが良い。その後、久しぶりに代々木公園サステナオフィスに寄ってみる。2004年からの蓄積を感じる。なんだかんだと5年も続けていれば、それなりのものになってくるものだね。いろいろと思い至ること多数あり。

10月6日、東京大学の本郷キャンパスへ。ともちゃんと瀬戸内国際体育祭の打ち合わせ。その後、イギリスから帰ってきた絢子と六本木青山ブックセンターの西村佳哲さんのトークイベントへ。西村さんがなにかに惹かれるときのポイントは「すこやか」だそう。朝日新聞で仙台にいる小林智子にばったり出くわす。

10月7日、代々木八幡のオーガニックパスタ屋さんLIFEで、ワイデンひのさんが会社を辞めたって話を聞きつつランチ。Greenz鈴木奈央さんとベラガイアの打ち合わせ。その後100万人のキャンドルナイト幹事会。合宿日程等々決める。18歳SFC1年生もっちに出会う。

10月8日、台風だから空いてるだろうと思って、上野の国立博物館でやっている皇室の名宝展を見に行く。二年ぶりに見た伊藤若沖「動植綵絵」にしばし打ちひしがれる。

10月9日、ダイアログ・イン・ザ・ダークの茂木さんのトークイベントにささぼんと行く。400人満員の会場を、完全に真っ暗闇に。今年見た講演イベントの中ではピカイチだった。その後、あかねちゃんと囲碁サロンへ。ルールを一から教えていただく。

10月10日、道端でばったり再開した西川君夫妻の家におじゃまする。彼は相変わらず黒田鍋をつくっていて、こんな風に味の遺伝子が西川家に定着していてなんだか嬉しい。西川君に今度囲碁を教えてもらおうと思う。

10月11日、すこっちと横浜の赤煉瓦倉庫でやっている「オクトーバーフェスト」へ。もみくちゃにされながらビールを飲む。京田辺の森王子くんに出会う。

10月12日、あかねちゃんと六本木ヒルズのIGO FESTIVAL 2009へ。まぁお仕事だけれどねと彼女は言うけれど、面白いおもちゃをみつけたなと思っているはず。

10月13日、三菱地所平本さんに乃木坂倶楽部での会合にお連れいただく。地域活性に志のある方々に出会う。そういう世界とある程度対話もしなければと思う。名刺が大量に無くなる。

10月14日、Greenz兼松くんと代々木のタリーズコーヒーで語る。彼は年齢もやってることも近い(つもり)なので、Greenz立ち上げ当時のことを聞く。最近ちょっと行き詰まっていたらしい。その後、DADAcafeで最近知り合ったイラストレーターかんなちゃんと話す。彼女はかなりあたたかな、しかし、とてもエキセントリックな絵を描く。

10月15日、日本画家の大竹寛子ちゃんに、日本画を描いているところを見学させてもらいに茨城県は取手にある東京芸大のキャンパスへ。来春から本格的に日本画を教えてもらおうと思う。その後、新中野のNPOカタリバのオフィスへ。二年ぶりに行ったカタリバのオフィスは、ぎゅうぎゅうずめのパンパンで、大変熱気あふれる感じは昔とぜんぜん変わっていなかった。

10月16日、カタリバ副代表、竹野優花と、全国公民館大会なる集会に東京国際フォーラムに行く。公民館って形骸化されてああなんか残念な感じになっちゃってるんだと気づく。生涯学習のあり方は改めて考える必要があると思った。その後銀座へ。秋服を買おうと思って寄ったシャンハイタンのお店が無くなっていることに気づく。どこへ行ってしまったんだろう?

10月17日、はるくんと阿佐ヶ谷神明宮にバリ舞踊を見に行く。この神社は今年すべて建て替えたらしく、能舞台から檜の香りが漂ってくる。その後、丸の内OAZOでりゅうと今後について語る。やっぱり僕は彼と一緒に仕事をしたいと思う。

10月18日、はるくんを連れて、慶應大学湘南藤沢キャンパスへ。キャンパスを巡っているうちに、いろいろと忘れかけていた大事なものを思い出す。すこっちに、村井純教授を紹介してもらう。「三年くらいSFCにもぐっていた〜」っていう紹介のされ方にちょっとびびりつつ。彼はそういうのが好きな人らしいのでよかったのかもしれん。

10月19日、エコッツェリアに地球大学の話を聞きに行く。今回のテーマは「食」だけれど、記号化されてないスピーカーなのに、満員御礼になっている。三菱地所平本さんとMUSMUSで語る。今後日本の文化に関係する仕事を一緒にやっていきたいと思う。

10月20日、父親の口から大本教って言葉が出てきてちょっとびっくり。大本教ってのはアレックス・カーが一時期勤めていたこともある、大変芸術に対して開明的な神道系の宗教ですね。彼は60歳手前の今やっと人生の第三フェーズに入ったらしい。その後、湘南台で宮原万智と語る。
| 雑記 | 18:48 | comments(0) | - |
地球大学アドバンス 第23回 「日本の「食」をどうするか?」


地球大学アドバンス 第23回 「日本の「食」をどうするか?」
speaker:竹村真一氏 × 戎谷徹也氏(NGO大地を守る会 理事)× 島村菜津氏(ノンフィクション作家)
date & place:2009.10.19
新丸ビル エコッツェリアにて

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| ログ | 01:53 | comments(0) | - |
すこっちと、SFCと、これからについて
いろんないろんな大事なことを、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下SFC)から直接的にも間接的にも学んで、それが僕の血肉になっている。初めて山本尚明くんによってSFCに連れてこられてから、まるまる十年経ちました。あのとき、それまで僕の頭の中で形骸化された大学のイメージが、ガラガラと崩れ去って。学生達が新しいものをつくっていこうと自発的に、そこで実に生き生きとしている姿を見て、やっと自分のフィールドと仲間達が見つかったって思った。



そのとき感じた感覚は、いまでもタロー坂を登ってα館が見えてくると、まったく色褪せることなく鮮烈に思い出して身震いがする。その後たくさんの大学を見てきたけれど、あのとき感じたものは、やはりSFCにしかなかった。

では、そんなSFCに、いったいなにがあるんだろう?今日改めて、メディアセンター、ラムダ館映像編集部屋、デルタ館村井研究室、ドコモハウス小檜山研究室とSFCを案内してもらって思うのは、やっぱりここには常に最先端の情報機器とインフラが満載されていることだ。



僕が2002年当時キャンパスを歩いていた頃は、既にキャンパス中にパスワード不要な無線LANが張り巡らされていた。1996年当時は有線LANケーブルが。そして各教室には最先端のコンピュータが導入され、一年ないし二年置きに最新のコンピュータにすべて置き換えられる。たとえば、今日時点では映像編集用コンピュータは、最新のMacProに16GBのメモリー、4テラバイトの供用ハードディスクスペース。(当然RAID仕様)ソニーのHDVテープ編集装置が取り付けられ、24インチワイドのAppleCinemaLEDディスプレイ、といった仕様だった。表層的にはそんな感じ。そりゃあSFCからIT長者も生まれるよね。でももっと大事なのは、根本部分に存在するコンセプトなんだと思う。


すこっち。本名、須子善彦。30歳、横浜在住、システムエンジニア。学部時代には村井純研究室に所属。現在博士課程。

日本のインターネットの父と呼ばれる村井研究室。インターネット、情報分野における日本の最高学府の中枢に彼が入った経緯と、これからなにをしていきたいのかを聞いてみた。

当時SFCで出来ていたことって?
ホームページを立ち上げるためには1998年当時、月に四千円とか五千円くらいかかっていたよね。そのときに10MBくらいのスペースしかもらえなくて、メールアドレスもドメインなんかもらえないし。インフラストラクチャーとしてあまり使えるものではなかった。当時SFCでは100MBの個人スペースが、全学生に配られていて、そこではすべてのCGIが動く。LANっていう言葉がまだ専門用語だった時代。このケーブルはコンピュータに刺し込んただけでインターネットに高速に接続されて、しかもそれはタダなんだ。って、SFCに入ると教えられる。つまり、SFCのインターネットを使わなければ、できないことが多すぎたんだ。僕らの世代はSFCに来て始めてインターネットに触れたり、始めてパソコンを買うような状況だった。それが2000年入学くらいから変わってきた。

インターネットの世界をつないできた人は、学術系の人たちが多かった。大学の中はLANが広がっているけれど、大学間は電話回線をつかうしかなかったんだ。大学の中は超高速なのに。当時は電話の上にインターネットが乗っていたんだけれど、それを逆にするのが村井先生の仕事だった。日本は当時国策として大変に遅れていた。ISDNっていって、既得権益にこだわるもんだから電話回線の上に高速なインターネットを敷設しようとしていた。そのときに通産省とかNTTが遅れていて、このままじゃ日本がつぶれてしまうよといって。それでまあ戦ってきたと。その成果として日本のブロードバンドの普及率は世界で一位になったんじゃないか?2000年ぐらいだよね。

そのSFCにしかなかったインフラの上で、学生達はなにをやっていたんだろう?

例えば体育の授業の予約システムは、当初は体育館の前においてある紙にわざわざ書きに行かなければならなかった。その予約をインターネット経由でできるようなプログラムを書いた学生がいて、そのシステムを大学側が取り入れた。と、そんなかたちでSFCの学生達は大学生活を自分で作り出すことは、当たり前になっていった。

十年経ってみて。では、SFCの役割はいったいどう変わってきたんだろう?

当時ほど、世の中一般と大学の中のインフラのレベルの違いは顕著ではなくなって、SFCの中で「インターネット」っていう時代はとっくに終わっていて、新たに「社会起業」っていうキーワードがでてきたんだと思う。今ブームになっているけれど、フラットな人間関係とか社会構造ってのがあたりまえになってきて。当時、SFCを卒業した人間は企業ではつかえないって言われたんだけれど、それはこっちからすると企業に勤めることが本当に幸せなのかな?って考えていた。それで起業家がたくさん生まれてくる。生き甲斐ってなんなのかな?こんだけたくさんの人たちが「働く」っていうことをやっているのに、働き方と社会の関係を考え直す、っていうことをインターネット的に始めたのが、SFC発の社会起業だと思うんだ。

「インターネット的」っていう言葉をよくSFCの学生から聞くような気がするね

自律分散協調、アドホック、ベストエフォート等々。インターネットが成立している背景にある技術的思想のひとつひとつが、「インターネット的」な事象である、と言える。たとえば自律分散協調組織ってのは、一人一人がミッションをもっていて、他人に依存をしないで自立して行っているんだけれど、共通のミッションをもっていてその範囲でお互いコミュニケーションをとっていきましょう。たとえば、ある人が突然忙しいからって抜けても、普段協調しているからフォローすることができる。といった具合に、インターネットはそれまでのヒエラルキーに基づく組織論や、既成概念を打ち破った、あるいみ「都合の良い」考え方を生み出すことで成立してきた。

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その他の大学において多くの場合ツールとして位置づけられている、インターネットというものが、SFCにおいてはコンセプト、思想そのものなのである。故に大学としてのオリジンにもなり、そこに集う人々の考え方の根本を成しているわけだ。そのような情報環境の上で、いかなる社会をつくっていくか?ということが、SFCの花形学部である環境情報学部の役割なんだろう。と僕は勝手に推測する。

なんかでも今日、点と点が繋がったのよ。SFCにはセルフモチベイテッドな、自分から問題やテーマを見つけて突き進んでいくことができる人がやたら多いなあって思っていたけれど、よくよく考えてみたらインターネットの持っているコンセプトを換骨奪胎して応用したら、そういう生き方になるのです。そんな環境を作ってきた村井純は有り難いなあと思うし、その先達には相磯秀夫というSFCの創設者がいた。すこっちにはその系譜に並んでほしいなあと常々思うわけです。

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日本のインターネットの父・村井純
http://tamachan.jugem.jp/?eid=399

創造性を最大限発揮できる環境作りの、現代日本における原点・相磯秀夫
http://tamachan.jugem.jp/?eid=595

SFC生その1 吉本龍司
http://tamachan.jugem.jp/?eid=380

SFC生その2 中澤久美
http://tamachan.jugem.jp/?eid=421

SFC生その3 柳明菜
http://tamachan.jugem.jp/?eid=550

SFC生その4 伊藤智子
http://tamachan.jugem.jp/?eid=551
| ひと | 00:15 | comments(0) | - |
世界観を構築するということ
自己ブランディングや、コーポレートアイデンティティ、カフェ、なんでもいいけれど。自己表現をふまえた活動をするためには、大変有効な手段となるのが、世界観を構築するということなんじゃないかと思う。世界観を表現するのに、ただ絵を描くだけの人もいるし、それをなんらかのプロダクトにしている人もいたり。広告的なマス・コミュニケーションに落とし込んでいる人もいる。

イバラード/井上直久 http://iblard.com/

イバラードは、スタジオジブリ作品「耳をすませば」の中に出てくるバロン男爵の住む世界と言えば、知ってる人も多いかもしれない。宮崎駿はこのイバラードの世界観に惚れ込んで、最近ではコラボレーション作品を三鷹の森ジブリ美術館で短編作品として放映していたりする。
イバラード(Iblard)は画家・井上直久によって創造された架空の世界にある国。魔法の存在する世界であり、人々はソルマという技法でシンセスタという鉱石を用いて自分の思い浮かべたものを形にして表わす。空にはラピュタと呼ばれる浮島あるいは小惑星が多数浮かび、街の建造物は植物に覆われる。この世界の公共交通機関は車輪がなく宙に浮く路面電車と同じく空に浮かぶ鉄道「ジーマ」である。


タニマチ 1997年


塔と迷路 2004年


野原のアクアショップ 2006年

スタジオジブリ「星をかった日」の原作者 井上直久さんインタビュー
http://www.7andy.jp/esb/docs/sp/ghibli/ghibli_interview_inoue01.html

イバラードの地図
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/2396/map/map.html

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メイド・イン・コルキニカ/酒井景都 http://www.colkinikha.com/

元々オリーブのファッションモデルだった酒井景都は、2002年、慶應大学在学中にファッションブランドとしてメイド・イン・コルキニカを発表した。架空の国を舞台にしたブランド設計は、あー。その手があったか。と思わされる。ちなみにコルキニカの国民服は、メイド・イン・コルキニカブランドのTシャツである。
COLKINIKHA「コルキニカ」は、ロシアの近くにある架空の国。国土は小さく、気温は平均14℃という寒さ。この小さな国の中には幾つもの村があり、空の色がグレイの日も、雪の日も、心は暖かく暮らしています。そんなコルキニカの普段着、身に纏うとどんな気持ちになるのでしょう。


第7話 「モノクロームの谷」 - Colkinikha 2006 a/w


第11話「カーテンとオーロラ」 - Colkinikha 2008 a/w フラワーモチーフ付きコート ¥60,900


第13話 「星降る夜のエピローグ」 - Colkinikha 2009 a/w ソルジャーコート ブラック ¥39,900

酒井景都、コルキニカン|ホットインタビューズ
http://moura.jp/clickjapan/interviews/040225/index.html

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寄藤文平 http://www.bunpei.com/

JTの広告から、フリーペーパーのR25、最近はシブヤ大学とかグリーンバードとかのグラフィックをやっているこの人は、ちょっと前の二人とは違うかもしれないけれど。なんともいえない世界観をつくってるなぁと思う。ストーリー性がない分、広告として展開しやすい、なんだかレゴブロックみたいな世界観だなと思う。





GA info.:creator's file :寄藤文平
http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/yorifuji/p1.html
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