tamalog

Output and input from 1998 to 2010
未来の自分自身を予測するということ
2003年から書いてきたこのブログですが、今日で一旦終了します。

今後については、こちらのサイトで情報発信していきますので、ブックマークやRSSリーダーのURLの変更をお願いします。(このサイトは今後も残ったままにするつもりです)

http://www.marebito.info/


2013年の自分はどうなっているんだろう。

このサイトは、もともと2003年頃に、十年後の自分がどうなっているかっていうことを考えるために書き始めたものでした。2013年に、自分がどうなっているかを知るためには、過去と、それから現在の自分自身のインプットとアウトプットをアーカイブして集積していくことによって、それが繋がっていくとそこから演繹的(えんえきてき)に未来の方向性が見えてくるんじゃないかと思って始めたものでした。いわゆるライフログのひとつの実験とその成果だと言えます。この間、僕の記憶の大部分をこのサイトに逐一アーカイブしたために、他人の方が僕のことをよく知っているというような出来事が起きたり、予想外の人間関係が生まれたりということが起きました。結果的には、それは予想以上の効果をもたらしてくれたと思っています。特にTwitterが登場してからこの一年数ヶ月間の出来事は非常にエキサイティングなものでした。

CONNECTING DOTS

そのような手法がまさか本当に未来予測の現場で使われていることだとは知らずに、当時は本当に個人ブログとして始めたものでしたが、その後、2005年の夏に、スタンフォード大学でスティーブ・ジョブズ氏が、卒業生向けにスピーチを行った中の一節が、その後の自分をどれだけ勇気づけてくれたことでしょう。
大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。 CONNECTING DOTS|http://tamachan.jugem.jp/?eid=56


そして2008年頃から徐々に自分の進みたい方向がハッキリとしてきてからは、日本固有の文化の中における発見や、地域社会のレポート、それに最近ではイノベーションや、変化の第一線にいる方々のレポートサイトのような性格を帯びるようになってきていました。関係者も徐々に広まってゆき、ここ最近はとても個人のライフログの実験の範疇には収まらなくなっていました。

最近「きみはジャーナリズムをやっているのか?」と言われたりすることもあります。

そう言われると、そうなのかな?と思ってしまったりするのですが、ジャーナリズムにシンパシーは感じていつつも、ちょっと違うなと思っています。どちらかというと、もっとポジティブな未来を描くための材料を提供したい。ここ一年くらいは、第一次産業が変化をしていく地域社会の第一線の現場を取材しながら、そんなことを思っていました。マスメディアには、信じられないくらい一次情報が流れておらず、なにを拠り所にしてこれからの社会をつくっていって良いのか、その指針が最近ではまったくと言っていいほどありません。そのために必要な、前の世代が残してくれたものを発見したり、今起きている変化の最前線を伝えていくということは、これから始める http://www.marebito.info/ の中で、仲間達とやっていきたいと思っています。演繹的に、未来を予測するべき対象が、自分個人という存在から、ちょっと広げていかなくてはならなくなってきたということかもしれません。

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とにかく社会という現場に出てみたかった。

そういえば、このサイトのタイトルは「Output and input from 1998 to 2010」と、1998年に遡って、それからこちらのことを書いています。1998年というのは、僕が初めて会社というものに所属した年で、キャリアが始まったときのことです。当時18歳で、とにかく社会という現場に出て、世界を見つめてみなければ、自分の人生は始まらないと思っていました。それまでの人生は虚構に過ぎないと、そんな風にも思っていました。丁度16歳で高等学校を中退してから2年が経っていました。当時働いていたエレファントデザイン株式会社は、1998年から、都合一年半とちょっとで退職することになって以降、現在に至るまで基本的にはずうっと個人で働いているという立場をとっています。僕は集団行動がとても苦手で、たくさんの人がいるところだと、自分の存在を消してしまおうとしたり、ペースを乱されるとパフォーマンスを発揮できなくなるのですが、そういったことが個人で働くことに繋がっているのかもしれません。

個人で働くということ。

どうも個人で働くということをとても能力が必要であったり、そのための強さが自分には足らないんじゃないかと思っている方が、いまだにたくさんいらっしゃるように思っています。ユダヤ人の哲学者、エーリッヒ・フロムが著書「自由への逃走」の中で書いているように「人間というものは自由を望んでいない、という命題を背負っていて、多くの人は集団の中に属しているから安心感を得られるんだ」ということを、肯定されている方のなんと多いことかと驚きます。

確かに、僕自身はある程度能力によって、かなり早期に自分自身の価値を社会に対して提示して、経済的にフィードバックされるようになったかもしれません。でも、それが可能だったのは、なによりインターネットのインフラストラクチャーが日本では1994年頃から整備されてきたからであり、その上でウェブサイトをつくったりデザインするということは、極めて換金することがし易かったということがあります。そのために必要な営業や出会いも、そのインフラの中で成立してきました。能力を磨くという作業は、これらの生態系の中での誰かとの共同作業であったのです。

なまじ会社員になると、自分の生んでいる価値と収入の因果関係が解らなくなる。

会社を辞めてから既に10年近くが経っていて、その後ずうっとこの労働集約作業が収入の大部分を占めてきているのですが、自分の働きがそのままメシに直結するため、当初はかなりスリリングな生活をしていました。しかし、それが当たり前になってくると世界の見え方が徐々に変わってきます。

先日、@daisuke_maki さんが「なまじ会社員になると、自分の生んでいる価値と収入の因果関係が解らなくなる。」ということを言っていて、とても本質を突いた言葉だと印象に残っています。社会が複雑化しすぎてしまったために、自分と世界の因果関係が極めて薄くなってしまって、組織や、ひいては国家が思考停止に陥ったりするケースが多々起きています。そういった理由から、個人で働くという選択肢を取ってきてしまったわけですが、必ずしも集団で働くということを否定したいわけではないのです。もしも、会社組織に所属しながらも、社会と自分自身の因果関係を感じ続けながら、キャリアを得ることができる世の中であったのならば、本心としてはそうしたかった。所属という安心感の中で、守られながらも本質を外さずに生きて行くことが非常に難しくなっている。

仕事の三つの意味。「稼ぎ」「勤め」「学び」

とまぁ、そのような形で経済的なフィードバックを生み出していく生活をしていくうちに、一年くらいで労働集約的作業には限界があることを感じるようになりました。なによりも、それを続けて行くためのモチベーションに繋がらないような仕事(それを労働というのかもしれません)も当初は受注していました。このブログを書き始めた2003年頃というのは、丁度そのような悩みを抱えていた時期でもあります。そんな当時、僕が師事していた文化人類学者の竹村真一さんによって、仕事というものには三つの意味があるということを教えられました。一つ目は「稼ぎ」であり、日々を暮らしていくための糧を得るための仕事をすること。二つ目は「勤め」これは、たとえ経済的なフィードバックがされなくても、使命感を持って取り組むことができる、自分にしかできない仕事のことを指します。三つ目は「学び」これは遊びであるとも言いますが、インプットのことを指します。インプットのための作業もまた、仕事のうちの一つであると。これらを丁度三等分するくらいのバランスで仕事の時間に割り当てられるのが良い。といった内容だったと記憶しています。

情報を発信することが、結果的に自分の未来をつくることになる。

その話を聞いたときに、自分自身の未来を演繹的に発想するということを思いついたのかもしれません。とにかく見聞きしたものをひたすらに書いていました。自分自身がそのときそのときに興味を持っていること。それを情報として発信することが、結果的になんらかのフィードバックを生み出してくれるのです。情報としてのフィードバック、人としての繋がり、仕事の受注。その結果として、今僕自身が関わっているプロジェクトの多くは、僕自身の興味や関心に必ずなんらかの関係性があるものだけになりました。Twitterが相乗的に、その可能性を加速してくれたというのも大きな一因になっています。


自分が自分らしく生きていくということ。その戦略的方法論を研究開発してきたのが、この12年間であったのかもしれません。このような生き方が可能なのだということを、誰かがその頼りとして、一つの事例として参考にして頂ければ幸いです。

多くの人々が、自律的に生きて行くために、社会と自分自身の因果関係を明確化して地に足をつけた感覚を取り戻せますように。

2010年12月31日 大晦日の夜に

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ことのはじまり
http://tamachan.jugem.jp/?eid=314

地に足のついた仕事してますか?
http://tamachan.jugem.jp/?eid=424
| - | 23:55 | comments(0) | - |
ソニーの終焉と、日本株式会社の終焉
SFCには、年に二日間だけ遠く藤沢の地から六本木ヒルズに出張してきて、研究発表をするORF(オープンリサーチフォーラム)なる会がある。Twitter一色に染まった去年の会から比べると、今年はなんだか勢いがなく、あまり感じ入るものが無かったので、欲求不満に立ち寄った青山ブックセンターで平積みされていた @ktsujino さんの本を手に取った後、以下のことをつぶやきながら一気に読み切った。



ソニーへの鎮魂歌

辻野晃一郎さん。ソニーでVAIOのデスクトップ事業の創業期を担った人らしい。この人がつくったのか。と同時に読み進めていくうちに「ソニー」という存在そのものを思い出させてもらった。初期のVAIOからはノート型からもデスクトップ型からも、たくさんたくさん夢を貰った。それと当時に、ああ、もうあの神々しいまでにポジティブなエネルギーを放ち、インスピレーションを与えてくれるソニーは、本当に亡くなったんだな。と寂しくなった。この本は、そんなソニーへの鎮魂歌のような本だ。本当に悲しい限りである。

背景にいる創造的な個人の存在

この本を読んで益々思うのが、企業内における一個人の力がどれほどか大きいということである。薄々ながらも当時の一連のVAIO製品群には、その背景にいるであろう創造的な個人の存在を感じさせていた。2000年を過ぎた頃からであろうか徐々にそれを感じなくなっていった。このことから思うのは、すべて「SONY」の四文字にブランド価値を託すのではなく、@ktsujino さんのような開発者個人は全面に立ってピーアールされるべきである。ということだろう。はっきり言って、現在のソニーはウソである。当時のイノベーティブなソニーはもう既に亡い。

まぁ、でもこの本に書かれていることを読んで、ずうっとプロダクトを通じて、薄々感じていたソニーの内部腐敗がかなり鮮明に告発されたので、気分的にはだいぶスッキリした感じである。個人の存在抜きにして、企業の永続性などありえないのだ。

ハードディスクレコーディングの一時代

先日、実家を掃除していて、ずうっととっておいてあった PCV-S610(型番まで良く覚えている。1998年に購入)を廃棄した。なにか尋常ならざるオーラを感じるコンピュータだったので、売り時を逃したままだった。およそ、パソコンでテレビ番組録画ということができるようになって、一番最初に実用的に使えることができるものであったこのコンピュータを購入したその日から、ハードディスクレコーディングというものを始めた。(ハードディスクレコーディング12年の蓄積)インターネット時代などと呼ばれてはいつつも、地上派テレビ放送からインプットしてきた知識は計り知れない。そんな、ハードディスクレコーディングの一時代を作り出したのも @ktsujino さん達だったことを知って、いくら感謝してもしきれない思いである。


PCV-S610。2000年頃。現役を引退してもなお、ワークステーションとして愛用していた。


沈みゆく船と共にする

沈みゆく船だと解っていながらも、最後の最後までやるべきことをやった人達は、幕末の幕臣にもいたわけで。そういう人達は、ついつい思い入れが深くなってしまうのです。彼の人生は、榎本武揚に似ているなぁ、と思った。勝海舟の部下でありながら江戸城無血開場へと導いた彼とは真反対の生き方だった。大政奉還後に幕府海軍の軍艦8隻を率いて転戦。最終的に幕府側の生き残り3千余名と共に、箱館の五稜郭に立て籠もり、蝦夷共和国として独立国家を宣言するに至る。ここまでは、ソニーでの22年間の出来事を彷彿とさせるものがある。

榎本武揚は五稜郭での敗北後、数年後に明治新政府に登用され、数々の大臣を歴任した。東京農業大学を創設したりもしている。このあたりは、これからの展開を想像させる。

遊びは、格が違う者同士では成立しない

ソニーの話に戻す。「自分の仕事をつくる」の著者として数々の仕事と生き方について語ってこられた西村佳哲さんのブログにソニーについての記述があった。
様々な文化的領域をみずから形づくる人たち。切り拓いた場所を愛して、率先して遊び・楽しむ人。たとえば10代・20代の頃の僕には、ソニーもそんな存在のひとつだった。商品についても技術についても、漁夫の利を狙う二番煎じの仕事はしない。常にその分野を拡張するパイオニアで、後から参入してきた別の企業がより賢い商売をして稼いでも、さらに新しい場を拓いて先へ進む(たとえばベータ、VHS、そして8mmビデオの流れのように)。彼らが次にどんなものを「これ、どう?」と差し出してくるか、いつも楽しみでワクワクしていた。

しかし、30代になった自分が実際にソニーと仕事をする機会を得て気づいたのは、そこで出会った社員の大半に、さほどパイオニア性が感じられないことだった。たまたま僕が出会った数名の話であってどう考えてもサンプル数は少ないが、就職先として新卒の人気が高い他の企業にも同じような印象がある。

つまりその場が魅力的になってから、イケてる感じになってから憧れを持って近づき加わろうとする人たちは、ファンやフォロアーであって、メンバーではない。格が違う。

遊びは、格が違う者同士では成立しない。遊びとはお互いの力や可能性を確かめ合うような時間なので、ある程度「格」が揃っていることは欠かせない要素だと思う。手応えのない相手と遊んでも、一言でいえばツマラナイわけだ。

生き生きとした場をつくる? http://www.livingworld.net/blog/100316_millefeuille/
いまとなっては、という話だが。恥ずかしながら十代後半の自分がキャリアの上で、まずは目指そうと思った会社はソニーである。なんとかしてプロダクトデザイナーになり、この会社に入ってみようと思った時期があった。(しかし、現実はそうはならなかったけれど)結果として、自分の行く場所ではなかっただろうし、入ったとしてもそうそう長続きはしなかっただろう。


日本株式会社の終焉

ソニーを思い出すと共に、かつて、アップルやグーグルのような創造的でイノベーティブな会社が、日本にもあったことを思い出させてもらった。確実にそんな時代があった。そういえば、半年ほど前に @a_kodama くんが、「ソニーへのオープンレター」という記事で、製品開発の現状について感じることを述べていた。そのときに彼と話をしていて「ソニーがダメになったら、本当に日本の企業文化は終わりだね」と、半ば冗談交じりに言っていたことが、遂に本当になったのだろう。

本を読み終えて、やっぱり僕はものづくりをやりたいなぁと。ソニーの次をやってる人に会いたいなぁと。アップルに対抗する必要があるかどうかはわからないけれど、かつてのソニーの文化遺伝子を引き継いだ会社と、そのプロダクツを想像するとワクワクする。そんな @ktsujino さんのところに、取材がてらに遊びに行きたいと思った。

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グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた
http://www.amazon.co.jp/グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた-辻野晃一郎/dp/4103288213

「ミスターウォークマン」黒木靖夫
http://tamachan.jugem.jp/?eid=356

大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた
http://www.amazon.co.jp/大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた―ともに泣き、ともに笑った三十四年の回顧録-黒木-靖夫/dp/4584185239
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農地改革と、八郎さんのメダカ米


今年の初めからお手伝いさせていただいている、岡山県の西粟倉村で、また新しい企画が始まった。「メダカ米」というこの福島八郎さんという地元のおじいちゃんが育てた米を販売するということなのだけど、八郎さんによると合鴨農法もやったし、なるべく農薬を使わないところでいろいろと試してきたけれど、結局行き着いたのはメダカだったという。田んぼの中を泳ぐメダカ達が死なない程度に除草剤もつかっているのだそうだけれど、除草剤を使いすぎるとメダカの動きが鈍くなってきたりして解るんだそうです。メダカが生きていられる環境でつくった米ならば、人間の体にも悪いものではないはずという。詳しくはメダカ米のページを見てください。



http://www.nishihour.jp/medakamai/

食べ物の、来し方、行く末。

僕は、マクロビオティックだとかビーガンだとかいうものは、あまり好きではなくて、割と気にせず外食とかする方だけれど、仕事上の関係というかなんというか、食べ物のつくられている裏側と、本当に良いものをつくり、お届けしようとしている人の話を聞くことが多い。

100万人のキャンドルナイトでもうかれこれ8年近くお世話になってきた、大地を守る会の藤田さんからは、その活動の原点になった全共闘運動の話や、戦後、頭にかけられたDDT散布の話や、先進諸国より30年先を行っているというキューバでの有機農業の話を聞いた。[ 藤田和芳「日本のスローフードの先駆者」]

種屋さんの野口勲さんからは、現在の工業化された農業では、1929年に発見されたカリフォルニア赤玉葱の雄性不稔個体(つまり無精子の玉葱)をベースに開発された、流通と消費に都合の良い品種の種を使っていることで一見、経済的な整合性がとれているように見えるけども。それを続けてきた結果、玉葱の中にある無精子であるミトコンドリア異常が蓄積されていって、2007年になって遂に、その玉葱を受粉させているミツバチの雄蜂の無精子症によって、女王蜂が卵を産めなくなり、巣を見限って大量逃亡し始めたのではないか。という仮説に基づく話をお聞きした。 [ 野口勲「地球の担保『種子』を守る」]

農協ってなんなの?

そんなこんなで、最近うっすらと、日本の農業っていうのは第二次世界大戦の後に大きな変化があったり、いろいろと問題として取り沙汰されていることの大半は、この頃に原因があることが多いなぁと思っている。日本が戦争に負けて、その結果なにが起きたのか。それから、要所要所で出てくる「農業協同組合」という組織の存在。農薬を農家に売ることが、農協の最も大きな収入源だとか、最近では介護保険まで始めて、揺りかごから墓場までとか言われたり。そんな農協が設立された背景について、今回「八郎さんのメダカ米」を始められたプロデューサーの牧大介さんに聞いてみた。

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date & place:2010.09.08
新丸ビル1階のカフェにて

日本では、1947年に農地改革があった。それまでは、地主って単に地主として儲けてるんじゃなくて、今の農協が担っていた機能を地主が担っていたり、農地改革によって自由経済を日本に洗脳していく一環として農地改革があった。「平等」とか「自由」っていうことを過剰に与えたり、日本がもともと持っている組織的な力を解放するということについて、アメリカが相当介入している。酪農が広がったのも、なんでか日本中「給食にパンと牛乳を食する」というのをアメリカが押しつけてきて、酪農で必要な飼料がアメリカから入ってくるから、文化をつくれば市場が出来るっていう。

植民地支配っていうのはヨーロッパに圧倒的にノウハウがある。

人類学っていうのも植民地支配のために発達した技術だし。ブッシュがイラク戦争のときに「日本では上手くいったのに」っていうことを言ったけどイラクでは上手くいかなかった。いろんな仕組みを見えないところに入れていて。「乳脂肪分が3.5%以上っていうのが農協の引き取り条件」になるように、アメリカが仕組んだっていうのがあって、乳脂肪分3.5%以上にするには乳牛の体調にはよくないんだけれど、アメリカから大量に飼料を受け入れなければいけなくなった。

日本人の価値観とか社会構造を丁寧に丁寧に分析して、アメリカの都合のいいように手を打った。

戦争が終わったあとの一番重要なことが「日本ていう国がふたたび脅威にならないようにする」ってことだったけど、その次に「アメリカの商品をたくさん買ってくれる国にする」っていうことだった。たぶんその頃のアメリカっていうのが生産が余りすぎていて、輸出する先を開拓していかなきゃいけないっていう状況だったんじゃないだろうか。っていうのは憶測だけれど。

財閥も解体されたし、財閥を解体するのと同じ感覚で地域を解体した。

かつては、集落単位での地域経営っていうのができるだけの自立性があった。

今は、地域が地域を経営するための機能がなくて、全部役場がやっている。役人ていうのは自分たちのために仕事をする人だから、主体性が地域にない。役場がいろんな仕事を発注して雇用を生み出すんだけれど。役場は村民のためにあって、税金で役人を食わせていることが先に前提としてあるので、金を出す側がずっと文句を言い恫喝されながら仕事をくばるという特殊な関係にある。非常にゆがんだお金の流れ方がある。

江戸時代だと年貢を納めないといけないし、江戸時代の公務員である武士は、地域で年貢を納めていくためにがんばるし、あとは自分たちのためにってやらないと地域が良くはなっていかない。

戦争に負けて、自治を奪われ、自立心を失い、そしてアメリカの都合のいいような仕組みを埋め込まれた。それが日本の田舎の現実。それをどう乗り越えて行くか。メダカ米はそのための一歩だとまじめに考えています。

(この前段の話の後、メダカ米のミーティングに移った)

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日本の戦後は、まだまだ終わっていない。

なるほどなぁと。戦争に負けるっていうのはそういうことなのかと改めて実感する。沖縄の基地の問題は、距離的に遠いからいまいち実感できないけれど、日常普段食べている食べ物にまで敗戦の影響が残っている、残っているどころが問題が肥大化、複雑化しすぎていて、とても常人には理解の及ばないところまできている。

去年、さかんに話していたけれど、日本の戦後はまだまだ終わっていないのである。それは、農業や食の問題に限らず今の社会を構成する、ほんとにいろんなことについて言えると思うんだけれど、それについてはまた別の機会に書きます。

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日本の田舎の問題はきちんと資本主義が定着していないことだ。|makilog
http://daisukemaki.jugem.jp/?eid=1

農地改革|Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/農地改革

乳脂肪分が高いのがおいしい牛乳という幻想?
http://travel-lab.info/tech/pblog/article.php?id=57
| - | 16:08 | comments(0) | - |
アップル代は、もはや水道代や電気代のような感覚になっている。


日本時間10月21日未明、アメリカはカリフォルニア州クパティーノで行われたアップルの新製品発表のストリーミング映像を見終えた僕は、割となんの躊躇も迷いもなく、新商品入れ替えのための「We'll be back soon」の画面表示が終了した直後あっという間にクレジットカード決済を行い、粛々と買い換え作業を行っていたのでした。

今回購入作業をしたのは、MacBook Air 13インチ(2.13GHzのIntelCore2Duo、256GBのフラッシュストレージ、4GBのメモリ)である。最上位モデルのフルセット。メモリやストレージを後から行うことはまったく出来ない仕様なので、オンラインでカスタムした上で発注。消費税込みで168,330円也。出荷予定日は3営業日後とのことなので、いまのところまだ手元には無い。MacBook Airは2008年の1月に初代モデルを購入してから、スペック的な問題から2009年に二代目モデルに買い換えて(劇的な速度向上が行われた為)これで三台目となる。とても良いコンピュータだと思う。

今回買い換えに踏み切ったポイントは主に3点。ひとつは液晶の解像度が1280x800pixelから1440x900pixelに向上したこと。それから、メモリの上限が2GBから4GBになったこと。(大量のメモリ消費をするような作業を繰り返すことが多いので、メモリ不足に常に悩まされてきた)そして、バッテリの持続時間が4.5時間から、7時間まで増えたこと。しかし、まぁ実際の所はどれも決定的な問題でもなんでもないんだけれど。

月々5,500円ちょっとの、水光熱費的ななにか。

じゃあなんで買ったの?って聞かれて。たぶん一番大きな課題なのは、まだある程度値段がつくうちに二代目の方を売ってしまって、そのお金+αの投資分で買い換えてしまいたいのである。Appleの下取りサービスを使うと、ソフマップの本日時点での買い取り価格査定49,000円にさらに+15%が付け足されて、56,000円くらいで売れるわけで、今回の購入価格からそれを差し引くと、だいたい10万円くらいの投資となる。これをどの程度の期間で焼却するかということになるのだけども、過去の購入履歴から考えるとだいたい18ヶ月で買い換えているので(ここの期間の見極めが難しい。一年以内に決行してしまった方が、買い取り価格が高く損も少ないケースもある)一ヶ月あたりにすると5,500円ということになる。水道代よりは電気代に近い感じだろうか。スペック的な問題や保証の問題、バッテリのへたり、液晶が暗くなるなどなどの時限的な問題は、買い換えのタイミングで一気に解消される。

できれば、もう「所有」はしたくないんです。

「所有」とはいったいなんなんだろう?コンピュータを買い換える度に、この根本的な問いについて考えてきた。(2007.04.28 指数関数的増大)コンピュータと速度の問題、つまりコンピュータそのものである集積回路チップが18ヶ月で二倍の集積密度になるために、速度が二倍ずつ指数関数的に増えていく(その結果として経済価値が半分になる)ものと、当面は付き合っていかなければなさそうなわけである。なのでそういった劇的に速度向上したりスピード変化の速い所有物に関しては、もはや「所有などしたくない」というのが正直なところなんだけども、メーカー側はそれに気付いているのかいないのかはともかく、いまのところ個人向けの手頃なレンタル/リースサービスは無いように思う。



そんなわけで、今回の第四世代MacBook Airは、メジャーアップデートでありながらも、いままでのものと比較して、実はそんなに差異が認められない程度の進化でしかなかったのだが、どうも発表以来めちゃくちゃ売れている。一つの大きな要因は11インチっていう日本人のライフスタイルにぴったりなサイズをリリースしてきたことがあると思う。けれどももう一つ面白いのが、いままでMacBook Airに興味を示さなかった層の人達までリーチしている感じがする。どうしてそこまで到達できたのだろうか?

関心層の変化。

今回からすべてのモデルに搭載されるようになった「フラッシュストレージ」というものについて、どうもまったく新しいものだと思っている人が多いのだが、これはもう二年も三年も前から存在する「SSD」(ソリッド・ステート・ディスク)と同じものであり、いままでのMacBook Airの上位モデルにも必ず搭載されてきた。これはいいもんだぞ〜!(2009.01.06 あなたのコンピュータが3倍速くなると聞いたら)と、周囲に散々言ってきたのだけれど、ようやく最近これの価値に気がつける価格になってきたっていうのもある。しかし、直接的にはずいぶん長い仕込みがあったのです。

iPadやiPhoneの速さで起動します。

一度iPadやiPhoneを使うと、コンピュータっていうのはボタン押して一瞬で起動するもんだと思うようになる。(当然これは「フラッシュストレージ」が実装されているからである)実はMacOSもずいぶん前からそういうことになっているのだが(フタの開け閉めだけして、稼働時間一ヶ月以上とかざら)いまだにそれを知らずにコンピュータを使う度に電源を入れて、OSの起動時間を待っている人がいるのだが(これ本当の話)特にウインドウズPCはいまだに、スリープモードからの復帰に何秒もかかる仕様のままなので、多くの人達にはまだまだ伝わっていない話なのかもしれない。



今回の発表の中で、来年夏に発売するという新しいMac用OS「MacOS X 10.7 Lion」についての発表もあった。その中で、Lion の設計の考え方は、まず、コンピュータ用に開発されたMacOS Xの技術をMacOS Xをベースに開発された iPhoneに引き継ぎ、そのユーザビリティを、iPadで発展させた。そして、それによって得られたものをMacにフィードバックしていくというような趣旨のプレゼンテーションであった。この図を見ていると、どうもこのような流れはソフトウェアの話だけではないように思えてくる。

人間の認知への文脈の繋ぎ方。

つまり、今回のMacBook Airの内容には、まるで技術的には新しいものは(ほぼ)一つも無いのである。既にあるものや、いままで広く認知されていなかったことの文脈を、ひとつひとつ丁寧につなぎ替えていったことよって、今回の劇的な購買行動に繋がっていると言える。

周到に練られた、人間の認知にアクセスするための、流れっていうか文脈の繋ぎ方、その設計が素晴らしいのだと思う。SSDとかそういう難しい言葉を無理に理解させようとせずに「iPhoneとかiPadの起動速度」だから買う。みたいなことが起きている。それでiPhoneやiPadで広まった認知が、そのままMacBook Air(いずれすべてのMacがそうなる)に注ぎ込まれていくその勢いっていうか、周到に仕込まれた文脈が繋がって、まるで濁流のように流れていくさまを見せつけられたという印象を受ける。これがまさにイノベーションというものである。(今回はノートブック型コンピュータにおけるイノベーションでした。)

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iPadは何がどうイノベーティブなのかについてご説明します
http://tamachan.jugem.jp/?eid=653
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イノベーションは学びのプロセス 東京大学i.school 田村大


INSPIRE lab 第3回 イノベーションは学びのプロセス 田村大
speaker:田村大氏 @tamdai99(東京大学i.school ディレクター)
date & place:2010.08.05 まれびとハウス にて
participant : @MiUKi_None @tamachangg @a_kodama @scommunity @sotacafe @mikitty0905 @ryutaro_i @stkbys @8rukun @DialogueBar @t_mashiko @ikeyu @2gta9

「イノベーション」という言葉を初めて聞いたのは、2002年くらいにトム・ケリーさんが書いた「発想する会社! ? 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」を読んだ時だったような気がする。そのときにはっきりと解ったのが「製品のデザインが優れている会社の製品」が好きなのではなくて、「イノベーションを起こして変化することが出来た会社の製品」が好きなのだ、と、明確に言語化されたのだった。それは、例えば90年代前半までのソニーと一連の商品群に感じていたことだったり、日本文化における傘についてもやはりただ古い物が良いというだけではないと言っている人がいたり、JR九州という会社が20年前の赤字経営から脱するために考えたこともやはりイノベーションだったのだと思う。また、慶應大学SFCに感じていたものもまさに教育環境におけるイノベーションであったと言えるだろう。西粟倉・森の学校がやっていることもまさに地域社会におけるイノベーションそのものだ。僕の趣味、仕事、生きていくことそのほぼすべてに共通するキーワードとも言える。そのくらい、ずいぶん長いつきあいになってきた「イノベーション」について、田村さんにお話していただいた。


変わるってことがどういうことか

今日僕がお話したいのは「変わる」ってことがどういうことかを僕なりに考えてきた事、変わるってことがどんなに大変か、また変わる事をどうやったら手助けできるか、ということをお話したいと思います。

会社で働いていると、変わる事が如何に大変かということが分かりますよね。たとえ自分は変われても他の人を変えるのは難しかったりして。僕は研究者として、研究した内容をいかに実践で活かすか、ということを考え続けていた人間なのですが、以前、実践する時に常にボトルネックになっていたのは、「いいアイデアや革新を起こす事こそ、社会に何らかの変化を起こす要因だ」と思っていたことです。例えば、それは「innovation」という言葉の捉え方一つにも現れているのですが、この言葉を、野中郁次郎は「技術革新」と訳した。これはけっこう罪深いと僕は考えていますが 笑。僕も技術を変える事で世の中が変わると思っていた時期がありました。僕は修士・博士過程を東京大学大学院の坂村研究室 (※) で過ごしました。坂村先生と言うのはマッドサイエンティストで知られていて 笑。毎日毎日コードを書かされていた。それでだんだん先生への不満が高まっていくんですが、年末に集まったとき、坂村先生が必ず、未来を語るんですね。で、その内容がすごい、悔しいんだけどワクワクさせられるんですよ。騙されてるとわかっていても 笑。

※ 東京大学の坂村健は日本語OS「TRON」の開発者だが、インターネットの父と呼ばれる慶應大学SFCの村井純、ソニーコンピューターサイエンスラボの所眞理雄、ウェブ進化論を書いた梅田望夫は、皆、慶應大学理工学部にあった相磯研究室の出身である。これら、我が国における情報分野の先駆者は皆、この研究室から始まっているという文化の遺伝子について大変興味深い。
- 原点(創造性を最大限発揮できる環境作りの、現代日本における原点)http://tamachan.jugem.jp/?eid=595


アイデアを出すより人間が変化する方が世の中が変わる

けれど、やっぱり技術で社会は変わるかっていうと、そこに関しては、やっぱりかわんないな、と。僕は半分は大学教員で、半分は博報堂の兼務出向社員としてデザインコンサルテーションの仕事をしています。IDEOが日本を撤退したのは2003年ごろですが、とはいえ日本の会社と交流したいということで、2006年頃から一緒にIDEOとリサーチしたり手伝ったりしていました。エスノグラフィをデザインの領域に持ち込んだ論文を書いたのは多分僕が日本で最初だと思います。IDEOは、世の中を変えるような素晴らしいアイデアを出してくれる会社だと思われていたので、僕もそんなことができるようになればいいなあと思っていた。実はそこはある意味IDEOというブランドに対して少し騙されていたという感じはあるんです。IDEOの人たちはオープンで自由なのですが、じゃあ素晴らしいアイデアが社会を変えるのか、というと、それはさきほど言った技術が社会を変えるのか、という問題と等価で、実は技術が世の中を変えないのと同様に、素晴らしいアイデアは世の中を変えない。アイデアを出すより人間が変化する方が世の中が変わる、という結論に僕は至ったんです。



IDEO(アイディオ)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パロアルトに本拠を置くデザインコンサルタント会社。http://www.ideo.com/



IDEOがクライアントであるアップルに提案したソリューションとして大変有名なのが、PowerBookDuoシリーズにおける、デスクトップ用ドッキングシステム「Duo Dock」である。アイデアからプロトタイプ作りまでを二週間の工程でやり抜いたことが、アップル社内で評判になり製品化されることになった。


コトが大切な時代になってからは、モノをどこに置くかが大事になった

@a_kodama
- どういうコンテクストによってそれが動き始めるのか

「バンクオブアメリカ」の「キープザチェンジ」という商品があります。これはデビットカードに二つの口座が付いていて、ひとつは貯蓄口座、普通口座が同時に開けます。それで、例えば43.37セント買い物したとき、普通預金のほうから44ドル引かれて、おつりの63セントが貯蓄預金に入りますよ、と。消費しながら貯める。アイデアとしてはそこそこいいな、と思うけど、売れるか売れないかで言ったらどうでしょう?アイデアとしてはすごいつきぬけたものではない。しかしこの商品は実際に蓋を開けてみたら、とんでもない大ヒットになった。半年で250万口座が開口され、99.8%のリテンションが得られた。この例で思ったのが「アイデアって実際重要じゃないんじゃないの?」ということです。アイデアとしてはそこそこだけど、これをあてはめた文脈がすごかったんじゃないか、と。キープザチェンジを日本に持ってきても成功しないでしょう?それはアメリカのベビーブーマー世代の人たちの間に、お金を貯めたいけれど貯められないという問題があって。彼らはなんでお金を貯められないのかってわかってないんですよ。おっきな買い物をしちゃうから、お金が貯められないんじゃないかって思ってる。だけど、実際に観察してみると、おっきな買い物って計画して買うから意外と収支が合ってるんですよ。実は、日常のちいさな買い物でお金を失っていることを発見したのがIDEOだったんですよ。だから、「キープザチェンジ」はヒットしたんです。そこを発見することが重要なんじゃないですかね。彼らにすると、使うときに貯められるという新しい貯蓄の習慣を作ろう、という逆転の発想が響いたんですよね。そこのチャンスにアイデアを埋め込んだ。



http://www.bankofamerica.com/promos/jump/ktc_coinjar/

@a_kodama
- それで彼らなりの商品をつくるっていうことは銀行にとっても、彼らにとっても良かったんですね。テクストの発見というか、モノからコトへの変化っていうのは解りやすい。そこにある気付いていない行動習慣みたいなものがあって、それを見つけることがビジネスデベロップメントになっているっていう。

そうですね。まったくそうです。それを見つけるってことは、それってなにかっていうことを知るってことと、文化を知ることなんですね。文化を知るためには何百年も人類を知るために培われてきた人類学っていう方法に辿り着くのが一番早いと僕は思いますけどね。僕はもともと認知心理学から来ているんで。実験やさんでした。学部の頃はねずみを走らせたり。人間の超短期記憶が人間の行動にどう作用するのかっていうようなことを学士のときの論文にしていました。

@a_kodama
- 人間の行動やふるまいに興味があるんですね

それはまったく一環していますね。僕はでもそういう話をしているとよく考えるのは、なんで広告代理店に入ったんだろうなー、って思うんですけど、共通してるなぁと思うのがコミュニケーションが苦手なんです。広告の人ってそういう人が多いと思います。社交的じゃないし。今では話すのはそれなりに上手くなったと思いますけど、高校生の頃って最悪で、自分で話をするときに次になにを話していいのかわからなくなっちゃう。それで無言になっちゃったりして。

@a_kodama
- 研究者ってけっこうそういう人多いですよね

意志決定システムの不合理さにフラストレーションを感じている

コミュニケーションをなんとかしたいっていうのが最初の動機で、最近でもよく思うのが会社で仕事をしていて、事情で仕事をする人っていうのが本当に嫌いなんですよ。「これこれこういう事情だからしょうがないじゃん」みたいな。例えばあとよく会社であるのが「上のナントカがナントカって言っています」って言う人がいるんですよね。僕はそういうのすっごく嫌いで、おまえはどうなんだ?って。なんでこんなに腹が立つんだろう?って思ってたんですけど、たぶん意志決定のシステムっていうもの自体が不合理に出来ていることに対して、僕はそこにフラストレーションを感じているんだなって思います。

変化しないのは、人間が変化をすることを拒んでいるから

そこでエスノグラフィっていうことが、アイデアの創造に効くっていうことが大事なのではなくて、自分が「これが正しいんです」って言えることにストーリーをつくれるための道具というか、アプローチだって思っているんです。だって、自分はこう見えてきたんだし、こう見えることがもっともでしょ?って言える。それを元にして、例えば偉い人の小さな脳とか小さな経験の中で、これが正しいことだとかって決められないようなしくみを作りたいんです。だからこそ僕はフィールドに行け、とか、おまえの頭で考えろよ、とか、インプットもきちんと自分でしようと思っていて、そのときになにが大切なのかなって考えると僕は「変化」っていうのが大切なんじゃないかと思っています。それで変化をしていくってことが、自分も変化するし社会も変化していきますと。当たりなんですけど、人間が社会をつくっているし、社会が変わると人間も変わるんです。それで人間が変化するってことがなんで今日本はダメなのかっていうと「人間が変化をすることを拒んでいるから」だと思います。そういう人達が変化をしたい、って思うような環境をつくりたいんです。

新たな道筋を与える事で新しい知覚や価値観、習慣を作り上げる事がイノベーションである

僕のやっているエスノグラフィの手法というのは、広告代理店やマーケティングがやってるような「世の中には正解がある」という態度ではありません。むしろ世の中に真理は無いという考え方です。今まで世の中にないような事象や知覚や習慣というものは、真理を探究する事で生まれた合理的なものではなく、人間の行動やインタラクションを通じて生まれた、単に習慣化された行為の集積である、と考えた方が実は正しいのではないか、と思うんです。イノベーションは真理に近づいていくことではなく、僕たちがやっている事に対して新たな道筋を与える事で新しい知覚や価値観、習慣を作り上げる事がイノベーションじゃないかな、と思ったんです。

ビジネスエスノグラフィで出てくる発見と言うのは、言われてみれば「そりゃそうだよね」というごくごく当たり前の事なんですが、自分たちが置かれている状況によっては、その発見やモノの見方と言うものの影響を与える大きさが全然違うんですね。僕はその見方を変える事をリフレーミングと呼んでいますが、新しいアイデアが世の中を変えて行くと言うより、見る側がどうやってセンシティブになり、自分自身が変われるのか、視点が変わるといろんなことに気付くきっかけになる。

会社っていう文脈と個人っていう文脈がますます離れている

@a_kodama
- 非常に大変な事業ですね

でも面白いじゃないですか。人を見ていると最近の日本では、会社っていう文脈と個人っていう文脈がますます離れているように思うんです。個人は勝手に変化してってますよね。最近の子達を見ていると、あぁ〜、どんどん変化してっているんだなぁとすごく思います。でもそれは、小さな成功体験に満足しているおじさん達から見ると「最近の若者達は、勢いがないとか、チャレンジ精神がない」とか言うんです。でもなんでそういうことを彼らが言うかっていうと、彼らにチャレンジしてこないからなんです。でも最近の子達を見ていると、彼らにチャレンジしないのは、彼らにチャレンジしてもしょうがないから。ていうことを意志決定をする人達が気付いていないってことが問題だと思うんです。その「しようがない」っていうのは、そのおじさん達に対して「人間として会話ができない」からではないでしょうか。


i.schoolを何故東大に作ったか

2008年の春ぐらいからi.schoolの現校長である堀井先生と僕が3、4年前に出会い、一緒にいろいろやってて。「東大ってそもそもなんのためにあるんだっけ?」ということを考えていた。東大が持っていた大きな特性の根本の事を考えると、リーダーシップなんじゃないか。新しいリーダーシップをどう作っていくか、を考えると、今の時代って「俺がこういうことを考えてるからお前らついてこい」というようなリーダーシップなんてもはや機能しなくて、むしろヘテロニジアスな組織の中でその中にある異質さとか多様さを統合してあたらしいシナジーを産み出す事を自分が引っ張っていくのではなく後ろから押す事ができる人材というのが新しいリーダーシップだと思うんですね。じゃそれを一言で表すとどういうことかというと、それはイノベーション人材じゃないかと思うんです。つまり、異質なものに対して常に開かれていて、そこに新しい道筋を与えられる人が魅力的なリーダー。昔、深澤直人が言っていた事で、「エスノグラフィ(観察)なんて必要ない。なぜなら僕は毎日やっているから」。本当にその通りだなと。素晴らしいアイデアを考えるのと同時に、それはどこに置くのか、時代がどう変化し人はどう生き、価値観というものはどう変遷してきたのかについて人一倍興味を持つ。今まで工学的なイノベーションとは、新しいアイデアを出して、とにかくどこかに着地させることだと企業活動の中では考えられていた。けれど本当は、コンテクストのほうが重要で、それを知る方に技術がいるんじゃない、と思っています。



田村さんが作った、東京大学の新しい教育プログラムi.school(http://ischool.t.u-tokyo.ac.jp/)第三回ワークショップ「新聞の未来をつくる」についての記事

単位は出さない、学位は出さない

i.schoolでチャレンジしていることの一つは、最初に堀井先生とかなり議論をして、最初は半分妥協でやったんですが今は確信を持っているのが、単位は出さない、学位は出さない、けども、そこに高いモチベーションを持ってやってきている学生に対しては必ず報いるっていうようなプログラム、っていうふうに考えている。普通にやっていても会えないような人達に会える。世界中回っていって、いろんな人と会って話をして議論をしてっていうことをやっている。北米の大学や企業を回って、東大に呼んでくる。グローバルネットワークづくりっていうことを、自分たちが率先してやっている。そこから、普通にやると呼べないような人達を、ある種の信頼関係をつくった上で呼んでくる。i.schoolは、基本東大の全学部に開かれています。少し厳しいセレクションがあって、だいたい20人くらいが一年間受講します。他のパートナースクールと提携していて、去年はそれこそIDEOのチームが来て、彼らと学生が一緒にワークショップをやったりしていた。今年だと博報堂のイノベーションラボで、今週末から韓国のKAISTと一緒にやります。で、その次はポートランドにジーバというすごく面白いデザインコンサルがあって今度一緒にやります。最後が堀井先生と住谷俊樹さんという元マッキンゼーの方で、教育に関するソーシャルベンチャーをやってる人ですね。

サラリーマンの人たちは無意識に制約を持ってしまう

で、i.schoolにはスポンサーが5社付いていて、出資してもらうだけでなく、人も出してもらってます。それが学生にとっても企業にとってもいいシナジーになっていると思っています。学生とサラリーマンではどちらが発想の飛躍があるかというと、圧倒的に学生なんですね。サラリーマンの人たちは無意識に制約を持ってしまう。「これは通らないだろう」とか。学生にはそれがない。躊躇せずにばんばん出しちゃう。社会人にとっては、昔を思い出すと言うか 笑。ああ無意識に制約してたんだなあ、ということがわかった後に彼らがどうするかというと、学生が出したその荒唐無稽なアイデアを、どうやって着地するかを考え始める。おかげでそのアイデアが空中分解せずにうまく回るんですね。スポンサーとパートナースクールと大学、この3者の絶妙な仕組みで回している。これ、税金でやってるんじゃないかとよく言われるんですが、全部スポンサーが出してくれているので、講義内容には税金は一切使っていません。けっこういい仕組みができていると思います。

去年、「働く母親と子供のいい関係」というテーマでワークショップをやりました。実際保育園に行ったり、母親にインタビューしたりとかして、そこからいろんなアイデアを出したのですが、いい発見があったのが、実は働く母親にとって、両立が大変だとか時間的な制約があるとか保育園が見つからなくて困っているとかに隠れて深刻な悩みになっているのが、「孤独」だということです。子育てに一人で向き合う孤独を解消するのは実は困難。そこで出たアイデアが「SONO(small office nursary office)」SOHOのもじりですけれども、一階が保育園、2階がVPMを備えたリモートオフィスなんです。一階で預けながら2階で仕事ができる。これすごく面白いなと思ったんですけれど、焦点の当て方が、今までのように時間不足を解消するかより、母親にとって子供とどうリレーションを保ちながら働くか、これにいい見通しを与えられたなと。働く母親にとって、アイデア自体は大したことないんだけど、見つけてきた事とそれをどう結びつけたのか、そっちのほうが僕は大事だと思っています。

異業種のコラボレーションを通じたイノベーション

最近はオープンイノベーションをやりたいと思っていて、それはいろんな技術を企業が出し合って、一緒にやろうと言うものだと思われていますが、僕の考えは違って、今やっているのは「オーナーシップ」。所有のモデルがどう変化してゆくかについてグローバルに5つの会社に参加してもらって調査していて、出資してもらってフィールドワークやインタビューをやったり、各社のインターナルのステークホルダーインタビューをやったり、各社変化のシナリオを創っていこうとしていて、僕の後輩がインドや中国にいってフィールドワークをやっています。ほかスペインやデンマークなど7カ国8都市で調査をし、新しい未来のシナリオを作ってゆこうと言うことをやっていました。僕の中である種これは異業種のコラボレーションを通じたイノベーションだと思っています。

イギリスではシンクパブリックという会社があって、そこは行政や地域の変革を支援する専業のデザイン会社です。イギリスでは、デザインコンサルタントは、プロダクトやサービスをデザインするというより、もっといろんな方面に広がっていて、どうやったら社会を草の根的に手助けするのかという方向に来ていて、今僕がチェンジ・ファシリテーションと呼んでいるのは考えているのが、企業の人たちのマインドセットを変えてゆくことなんですが、イギリスはそれをむしろ社会全般でやってゆくということを考えています。イギリスのひとつの自慢が「国民皆保険」。しかし、その一方でNHS(国民健康保険)のサービスの質は低いわコストがむちゃくちゃかかるわ、でイギリス国民はあまりいい印象を持っていない。そこでNHSがなにをやり始めたかというと、自分たちで草の根的にヘルスケアの制度をどうつくっていくかをデザインコンサルタントに頼んだ。で地域の人達とワークショップをやって、自分たちがどう役に立つのかまで考えながら新しい制度を作っていこうとした。僕もそういうところに興味はあるんですが、まだそこまでたどり着いてないです。


デザイン思考は「フォワードシンキング」つまり未来を見ている

ピーター・マドローリという先生が言っていた言葉で「デザイン思考」という言葉があるんですが、それが何かというと、「デザイナーの考え方だよ!」みたいな。笑 マドローリが言っていたのは、「デザイン思考」と対比する考え方で「マネジメント思考」というのがあって、デザイン思考は「フォワードシンキング」つまり未来を見ている、「マネジメント思考は「バックワードシンキング」である。まったくそのとおりだと思ったんです。僕がエスノグラフィーの話をするときに聞きに来る人たちはたいてい新しいことがやりたい意欲的な人たちなんですが、講演のあとに言われるのが「ついては、今までに先行した事例を教えてください」その気持がわからないでもないですが、今までに起きたことから未来を考えるというのが、企業に限らず合理的とされるものの考え方です。フォワードシンキングというのは今あるものや手がかりからとりあえず勝手に想像してみる。で僕が言うのはもっともらしいか、そこに流れがあるか、それがあると、これは未来の道筋としてあるんですよ。デザイナーの仕事というのは、過去を見てもデザインはない。過去とか現在から勝手にイマジネーションをふくらませて未来を想像し、そこから振り返って現在を見る、というある種のバックキャスティングですね。実はその過去の要素から演繹的(えんえきてき)に未来を想像するのは、バックワードシンキングというのは過去の延長線上でしかない。デザイン思考は、過去の延長線上に未来を見ない。28日のイベントに来るマイケルシャンクスという先生は、スタンフォード大学のd.schoolというデザインを生み出すためのエデュケーションセンターがあるんですが、彼は考古学者です。考古学にとっての現在というのはローマ時代、そこから未来としての現在を見ている。今(未来)からローマ(現在)をバックキャストすることで歴史の動きが見える。

理系の話というのは、昔あったものを延長させて作っても面白くないよね、という考え方ってあるとおもうんです。ただ、面白いものを作ったとしてもそれがお前売れるのか?ヒットするのか?と言われたら、エンジニアたちは何も言えない、だからとても今はやりにくくなってると思います。だからこそデザインシンキングという言葉が出てきたとき、僕がやりたいことと近いかも、と思ったんです。マネジメントシンキングは、ある種管理する側の考え方なんですよね。基本的にどう失敗しないかを考えている。基本的に、デザイン思考というのは「なんでだろうなんでだろう」と考えることだと思っていて、自分自身が変化するのを好まない人にはこの仕事はきついだろうなと思います。

-- 講演ここまで。以下番外編。@a_kodama と田村さんの対談


ソーシャルメディアの未来と広告代理店

@a_kodama
- 僕は十代くらいからインタラクティブメディアをつくっているんですが、ある意味マスメディアをやっつけてやりたいっていうのがあるんです。15歳のときに書いた論文に、今のCGMみたいなものがあるのですが、そのときに書いた仮想的がいまのマスコミュニケーションそのもののモデルが変わっていってほしい。すごくマスコミュニケーションが一つにはパワーがシフトしていく。みんなのコミュニケーションの取り方が変わっていっている。そこを博報堂みたいなところが、対応というか、どのように入っていくんだろうかっていうのは興味深い。

ソーシャルメディアってどうなんだ?みたいな話。ソーシャルメディアっていうのに今の広告代理店のシステムが対応できるかっていうと、できないでしょ?

不要になる巨大広告代理店のシステム

@a_kodama
- オーエスが違う感じですよねぇ

ビジネスモデルが違うので、無理だと思います。そこは代理モデルからグーグルみたいなソーシャルメディア企業が勝手にやって、それで成長していくんだろうなぁと。広告代理店はこれからジリジリと死を迎えていくんだろうなぁと。たぶんテレビは無くなんない。けれど、テレビが無くなんない代わりに、総合広告代理店というシステムはいらなくなると思います。単純にそこは機械化されるだけなんじゃないかと。メディアバイイング(広告媒体社から広告枠の仕入れ・買い付け)というものが普通にオークションで買えるようになればいいだけなので。新聞とか雑誌は小さなメディアとしては残ると思うんですよ。逆に言うと四媒体っていうのは成立しなくなるんで、テレビだけが残ってあとは死にます。

@a_kodama
- それに付随して広告代理店も死んでゆくと

でも、いる人達が能力の低い人達かというと、別にそういうことはないと思っていて、そういう人達がその中で、自分が面白いと思っていることをできるような仕組み、プラットフォーム作りはやりたいと思っていて。

@a_kodama
- 紙のメディアのライターさんとか、これで食っていけるのか?っていう

個人のライターとしては食っていけるかもしれないけど、雑誌社として高給を保証するシステムはつぶれるでしょう。付加価値というよりは既得権益ですね。能力を持っている人が既得権益と共に淘汰される必要は、僕はないと思っているんです。

オールドメディアなりの方法でこれからもやっていけばいい

@a_kodama
- そこの受け皿は今はまだ無いですし。僕が興味があるのは、その人達がどうするのかっていうことなんですよ。その人達が持っているエディトリアルのスキルが、ソーシャルメディアの中でどう生きていくのか。

僕はあまりそこは信じていないです。そういうオールドメディアの人達が、ソーシャルメディアの世界で活躍できるかっていうと、ちょっと違う気がしていますね。ただ、例えばこの近くに往来道っていう書店があるんですけどね、本屋大賞っていう本屋の店員が選ぶ年間の本の大賞がある。本屋大賞をつくったきっかけが、千駄木にあるほんとにちっちゃい本屋がある。そこに行くと本当に品揃えが、ワクワクするっていうか。なんだこのセンスは!みたいな。自分が、あぁー!この領域の本を読みたかったよみたいな。そのセレクションもけっこうしょっちゅう変わっている。ある種の本のセレクトショップなんですけど。これってセンスの問題だよな?って。それで本屋大賞をつくろうって提案したのが往来道の店主なんです。小規模本屋っていうのはもう無理です。全部Amazonになりますって言われていたのを、たぶん往来道はかなり繁盛していると思います。あぁ、こういうモデルだなって思ったんです。

@a_kodama
- オールドメディアが、いま言ったみたいに無くなるけども、変えた文化として

そういう人達は無理してソーシャルメディアに行かなくても、普通の本の編集者で食ってけばいいじゃん。って思うんです。例えば広告代理ビジネスは死ぬかもしれないけど、例えばメディアプランニングっていうので食っていきゃいいじゃんって思う。それを組織として支えることができなくなるだけだと思う。だから別に僕はあえてそういう人達が今のソーシャルメディアが流行っているからってそっちに行くのは、苦手なものに今更取り組んで自分を劣勢に置くだけだと思うんです。

グローバルなリサーチは、会社でなければできない

博報堂の僕らのチームっていうのは、ぜんぜん一人で食っていけるひとたちがいるんですが、博報堂にいるよりフリーになった方がぜんぜん給料が高いんじゃないかっていう。だけど、僕が思っているのは、全員が全員そうではないけれど、博報堂を離れても、組織がなくてもぜんぜんやっていける人達がほとんどだと思う。だからこそ、ここでは個人でやってもできないことをやっていきたいと思っている。

@a_kodama
- そのために会社をつかっているという感覚ですね。

そうです。ここでチャレンジしているのでいくつかあって、一つはグローバルだと思っていて。例えばグローバルのリサーチをやるのって、お金がめちゃめちゃいるんですよね。個人で受けるとするとそのパーツしかできない。グローバルのリサーチプロジェクトを、一回大きなくくりでつくって、インドに行ったりとか世界中でフィールドワークしてくる。そういう環境をつくることを今年実現させたんですけど。あとは、日本の企業とだけ仕事をするのをやめようと。韓国とか中国とか、とりあえずアジア圏の会社と関係をつくっていて、その辺りの仕事を今年の後半からやろうと。

@a_kodama
- たしかにそれは個人では難しい

個人でやっていたような人達がむしろここに来た方が面白い仕事がやれるっていうような人達が来る。そういう環境作りをやっていることが実験なんですが、それで本当に会社でやった方がいいか個人でやった方がいいかを見極めたい。たぶん僕は個人でもぜんぜんやっていけると思いますよ。ただ、決定的に問題なのはお金を儲けることに興味がないんで。たぶんだから僕は、フリーにはなんない。次になるとしたら大学の教員になっていると思います。

会社員はすぐ「事情」を話し出す

@a_kodama
- 大学っていう環境の方が魅力を感じられると

たぶん僕は、会社員からよりも、大学生からの方が刺激を受けます。会社員はすぐ「事情」を話し出すんで。笑。

@a_kodama
- そこが田村さんにはつまらないと。

自分がなにをやりたいのか、よくわからない。でも僕はぜんぜん自分のことをすっごい頭がいいと思ってないし、人並み。だけど僕がなにができるのかっていうと、組織の正義にノー!って言えるところはたぶんあると思う。僕の中の培われた親から受け継いだ人格なんじゃないかな。建前がすっごくキライ。そこは自分の中のコアですね。

上の人と正面切って戦いを挑まず勝手に動かしていけるかどうか

若い人達がこれからどうなっていくのかを見たい。シェアハウスをつくったりとか、がんばっている若い人。それでも彼らは建前に、長いものに巻かれちゃうのか。それぐらい日本の文化っていうのは強いのか。それぐらいの人達っていうのが「そんなの関係ないよ」って言って生きていけるのか。それがすごい興味があって、上の人と正面切って戦いを挑まず勝手に動かしていくのかなー、となんとなく思っていて。2ちゃんねる的に「スルー」するっていう。ことでやってけるってことが見えたらすごい希望がある。50歳くらいの人を、どれくらいスルーできるのかは、ちょっと気になってるんですよ。賢い子達だし、処世術もある子たちだから、そういう子たちがなんだかんだ言って、上の人達の意見にイエスって言っちゃうのかなー、ってちょっと心配だったりする。で、イエスと言いながらもスルーしてくれればそれはそれでぜんぜんオッケー。

僕はすごい上の世代の人達からいやがられます。何故かというとすごい戦いを挑んでくるから。「おかしいですよねえ。おかしいとおもいませんか?なんでおかしいと思ったのに正そうとしないんですかー?」っていうことを言う。でもそれはうざいって思われるんです。でもまあそういう年代だからしょうがねえかあって僕は思ってますが。僕と似てんなー、って思うのがStudio-Lの山崎さん(※)とか。あの人もおかしいおかしいおかしい!ってずっと言ってます。それで大半の人にうざがられます。でも一部の人に、山崎さんのことは好きだって言われる。

※Studio-Lの山崎さん(デザインって本当に人を幸せにしているのか?ランドスケープ・アーキテクト 山崎亮)http://tamachan.jugem.jp/?eid=672


東大のこれから

@a_kodama
- たぶんその承認のありかってのが大事で。それを通して承認のありかっていうか、コンテクストをつけられるのがすごい大事なんでしょうね

でも日本社会のメインストリームってなんだとおもいます?僕はそれを確かめるためにi.schoolをやってるところもあるんです。「i.schoolってなんなんですか?」って聞かれたときになんて答えるかっていうと「東大のこれからです」って答えるようにしているんですね。最初に堀井先生と議論をしたことの一つに「東大ってなんのためにあるんでしたっけ?」っていうことなんです。東大と、慶應と、早稲田は一緒ですか?ただ賢い子達が来るところですか?昔は明らかに意味があった。官僚を養成することと、それから科学技術を開発すること。その二つにはっきり絞ってもいい。ところが今は、官僚はいらないって言われる。科学技術も外から持ってくればいいと思っている。少なくとも、東大が特別な科学技術を出せるとは誰も思っていない。ていうのがなんのためにあるのかっていうときに東大ってなんの意味があるんでしょう?で、そのときに歴史的に見て東京大学がある意味っていうのは、上位の国立大学のためにあるんじゃなくて、東京大学は国のための大学ですと。日本という国のために東京大学はあったし、そうあるべきだっていう。とすると日本という国が、知っていう面から見たときに日本を代表するところでなければだめだ。そのレーゾンデートルを示せるようなところでなければいけないっていうふうに思っていて。だから東大から出た人達っていうのが、少なくてもi.schoolから出た人達っていうのが、これからの日本ていうものを背負う上でのモデルになるべきだと思っています。

@a_kodama
- たぶん一般的な意味ではなくて、さきほどから田村さんが言っているような意味での変化ですよね

そうです。常にいままでの自分を軽やかに否定できる人だと思っているんです。偉そうにしないで、常に学ぼうと思う姿勢を持っている人。そういう人達が出てくれば成功だったのかなー、とか、それを元にして日本ていう国が変わってくれれば、東大も在る意味があったのかなーって。それこそ受験秀才だったら、東大行っても京大行っても慶應行ってもどこだっていいと思ってるんですけどね。東大は国のための大学、だとすると、やっぱり国を背負ってもらわないと、と思います。

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INSPIRE lab 第2回 個人発メディアの作り方 greenz.jp 鈴木菜央
http://tamachan.jugem.jp/?eid=690

INSPIRE lab 第1回 感動を生み出すソフトウェア 洛西一周
http://tamachan.jugem.jp/?eid=654
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ダカフェ日記と広松木工さん
前回のつづき。

突然やってきた福岡で、点と点が繋がった僕らは、翌日、当然の如く大川市に向かっていたのでした。博多の町から高速を使って車で一時間半ほど。



広松木工さんのショールームに入っていろいろと実物を見ながら家具のクオリティにひとつひとつ溜息をしつつも、なにより一番衝撃だったのは、この写真達だったわけです。大々的に大判に引き延ばしたダカフェ日記の写真が、これももちろん木で作られた専用のフォトフレームに飾られて、店内のあちこちに飾られていたこと。




説明をしてくれた店員さんによると、ダカフェ日記を書かれている森友治さんは、この広松木工の家具デザイナーさんの息子さんなのだそうな。自分自身のなにげない日常の生活を見せて、お父さんがやっている家具をさりげなく写真にとっていて、それが結果的には広報に役立っているっていう家内制手工業っぷりになにより驚いたのでした。広告代理店とかそういう野暮ったいものが入っておらず、自然な関係性で、とても未来だと思った。そしてなによりダカフェ日記のファンが、ここにこの手作り家具を買い求めに来るわけで。




それからダカフェ日記を眺めていて、もう一つ気がついたこと。このサイトの一日7万PVっていうのは、エッジが尖ってたらとても到達できない世界だっていうことだ。ブログを見ている人って、みんな、自分の生活に近いけれど、ちょっと背伸びすれば実現できそうなことには、とても共感するんだ。




そんなわけで、当初気になっていた大川コンセルヴのことはすっかり忘れて、この広松木工さんの本店ショールームをひとつひとつ眺めているときに、ふらりとやってきたのがこの広松木工さんの社長、廣松嘉明さん。なんだか楽しげなおっちゃんだ。廣松さんが、大川市のこと、物作りのこと、原材料としての広葉樹について語ってくれた。

-- 以下、廣松さん談

うちは本当に自分が使いたくて作っているものだけなんだ。だから良い物ができるし、売れるんじゃないかなあ。大川市としては日本一の家具の街って言われているけれど、何が日本一って出荷額なんじゃないかなあ。中国とか外から来た家具が大川で陸揚げされて一旦倉庫に入る。そっから先の物流システムが完全に出来上がっているから日本中に届けやすいんだ。だから、うちみたいにエンドユーザーのことをきちんと考えてものをつくってるところって、他にはあまりないんじゃないかな。

大川全体で、どんどん売り上げが下がって行っている中で、うちだけは前と変わってないんだけど、うちだけ売れてもねぇ。職人は15人。30代も多い。



- ちょっと変わった家具も多いですね

年に一回社員のコンペをしていて、ネームを出して売っている。園さんだからSONOっていうシリーズ名だったり。


- そういえば家具って原材料は杉や檜のような針葉樹ではなくて広葉樹なんですね

ナラで材料として使えるようになるまでに200年かかる。針葉樹の倍。広葉樹はとっても時間がかかるんだ。だから国産の広葉樹で家具作りをしてるとこは国内にはどこもないんじゃない?

あのカラフルな引き出しの表面に使っているのは全部外国産の広葉樹なんだけれど、ウォールナットはアメリカ、チーク材はミャンマー、メープルはカナダ、オーク材はロシア、黒いのはアフリカから来ている。国産の広葉樹は北海道でちょっとだけあるらしいけれど、ほとんど外国産だね。そういえば大航海時代が生まれたのはチーク材がとれるようになったからなんだって言われているくらい頑丈で堅い木なんだ。だから同じ椅子をつくるにしてもチーク材だと価格は三倍くらいする。最近はだいたい高級ヨット材に流れてしまうけどね。



- 日本では広葉樹を切ってしまうと、資源が枯渇してしまって回せていけないのに、なんで海外だとそれができるんでしょうか?

アメリカだとそもそも広葉樹の生えている面積が大きいから、全体の3%だけ切って売っているんだけども、3%でも立派にビジネスになるんだよね。200年周期でやっていける。

このテーブルの年輪見てみてよほら、ザイールから来た樹齢900年の一枚板を天板にしているんだけれど、一応定価で150万円で売っています。



- そういえばこの丸いものはなんですか?

廃材がもったいないからいろいろつくってるんだけれど、おもちゃをつくっててね。100グラム1,000円で量り売りしてるんだ。この丸いやつは削っていくと必ず楕円になるんだよね。柔らかい部分と堅い部分があるからなんだけれど。



木の丸いのは全部アフリカの植林プロジェクトに寄付していたり、更にそこから出てくるおがこを粘土にしたんだけど、これも東京の鉛筆屋さんと共同開発した。ケニアのワンガリ・ マータイさんがMOTTAINAIとか言ってるでしょう?だから僕なりにもなにかできるかと思って。

- 日本の国産材で家具を作ってみないんですか?

そうだねぇ。産地の方までなかなか見れてないのが現状。気にはなってるんだけどね。

-- 廣松さん終わり

九州恐るべし。

文脈があると、不思議と自然に出会う。仕事だって、友達だって、恋人だって、たぶん、自分という人間の生きていく筋道に、必ず文脈に沿って存在している。その文脈っていうのは、だいたい自分自身の欲望や、主観的なものの見方とは違うところからやってきたりする。

自分の仕事や、やるべきこと。自分の使命やミッションや。自分にしかできないことが必ずあるんだけれど、それを遂行するための手助けみたいな感じで、それらはやって来ることが多い。文脈を追っていくと、ミッションそのものが変わってしまうことも多々あるんだけれど、それはそれでかまわない。

そうやって、文脈を繋いでいって、次が出てきた瞬間が嬉しくてたまらない。次にいかなきゃいけない場所とか、仕事とかって、自分ではわからないんだけれど、だいたい決まっている。別れが多かったり、仕事がなかったりするのは、そのための準備であったりするのだ。

--

廣松嘉明さん 九州人からのこだわりアドバイス
http://www.saibugas.co.jp/product/teinei/life/ecostyle06.htm

| - | 01:28 | comments(0) | - |
福岡県の「日本一の家具の町」のこと
あれは今を遡ること一週間前のことでした。いつものように西粟倉村にニシアワーの取材のために訪れていた後に、ふと九州に行ってみたくなったのでした。年間に結構な回数、東京から岡山あたりまでは往復しているにもかかわらず、西は岡山以西にはあまり行ったことがなく、岡山駅から新幹線のぞみ37号に乗って、広島を過ぎたあたりでもうテンション上がりっぱなし。とりあえずの目的地は、福岡県大川市。



西粟倉の仕事を始めてからずっと気になっている一冊の冊子がありました。大川コンセルヴと書いてあります。(http://www.okawa-cci.or.jp/conserve/mokuzi.html)福岡県に大川という町があるそうな。その大川市の商工会議所が中心となって始まった、大川にある食べ物と木のコラボレーション事業なのだそうです。もうかれこれ半年くらい前から気になってはいつつ、ここにはなにかあるに違いないという勘でとりあえずは博多に辿り着いたのでした。




今回の旅はかめちゃんと。かめちゃんは、今年の一月に、西粟倉村へ連れていってくれた(より正確には、その西粟倉村に行くための最初の交通費をとってきてくれた)まさにその人であります。彼女によって、ずいぶん大きく運命が変わったと僕は思っているけれど。人材コーディネートでけっこうな確立でクリティカルヒットを飛ばす。そんなかめちゃんの帰省にくっついてきたわけです。




亀田邸のモーニングはホテル並みです。w

お医者さまであるお父さんと、おもてなしの大好きなお母さんにご挨拶を済ませた後、今年新築でピカピカになった、かめちゃんの実家でくつろいでいたときのこと。「ダカフェ日記、っていうサイトがあってねぇ」なんのこと・・・?と思いつつ、そのかめちゃんが昔から大ファンだという、綺麗な写真ブログを見せてもらいました。




ダカフェ日記(http://dacafe.petit.cc/)。いまやデイリー7万PVを誇る、大人気ブログらしい。知らなかった。恐らく九州のどこかにお住まいの、グラフィックデザイナーのお父さんと三人の家族が暮らす、日々の写真集。とてもほのぼの。

「このブログに出てくる家具がとても気になってね。特にこのカラフルな引き出しのついた机」おおっ!これはちょっと気になる。ところでこれ、どこの誰が作ってるのか知ってるの?と僕が聞き返す。「うちの近所のインテリアショップで取り扱っててね」ということでさっそく福岡市内にあるお店に向かう。




あった!




広松木工さん(http://www.hiromatsu.org/)の直営ショップが、亀田邸から歩いて15分ほどの季離宮(ときりきゅう)にありました。かめちゃんが店長さんと小一時間ほど話し込む。

「広松木工さん、大川市に本店と工房があるんだって。」
点と点が繋がった瞬間!こうしてまた一つ文脈が繋がって新しい世界が見えてくるのです。




ところでこのダカフェ日記、やたらと広松木工さんの家具が出てくるのだけれど、一体ナニモノなんだ?


次回へつづく。

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デザインは新聞を救えるか?
今年の年初から突然のように始まった紙メディアのシフトチェンジについて、ポスト紙メディアはどんなカタチになるんだろうか?iPadアプリとして登場したReederとか、大本命かもしれないFlipboardとか、いろいろ出てきつつあるし、行き着くところ前述のECサイトくらいのものがウェブマガジンというか電子雑誌のようなものになっているくらいになんなきゃダメでしょと思っているのですが。

そんなこんなと日々模索していくなかで、ああそっか、こういうのもありなのかっていう興味深い事例を見つけた。もう既にある新聞をリノベーションしたような試み。JR九州の車両デザインを20年かけてやってきた水戸岡鋭治さん(http://tamachan.jugem.jp/?eid=487)に近いかもしれない。




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ジャチェック・ウツコは問う「デザインは新聞を救えるか?」
speaker:Jacek Utko date:2009.02

新聞は今にも絶えそうです。読者は古い情報にお金を払いたがらず、広告主もそれに従っています。それよりも携帯電話やパソコンの方が、新聞の日曜版よりよっぽど手軽です。さらに森林も保存しなくてはならない。これではどんな産業もダメになってしまうでしょう。ですので「新聞を救う術はあるのか?」と質問を変えるべきです。



新聞の将来についていくつかのシナリオが考えられます ある人は「無料であるべきだ」と言ったり「タブロイド版かもっと小さいA4サイズがいい」「コミュニティごとに発行する地方紙がよい」「小さなビジネスなどニッチを狙うべき」 しかし無料にならずとても高くなってしまう 「新聞は意見主体であるべきだ」「ニュースは少なく、見解を多く」「できれば朝食の時に読みたい」「後の時間は通勤の車の中でラジオを聞くし」「会社ではメールチェック、夜はテレビ」 良さそうに聞こえますが、どれも時間稼ぎにしかなりません 長い目で見たら 新聞が生き残るべき実際的な意味はないと思うからです。

そこで私達に何ができるのでしょう?(笑)私はこうしました。20年前、ボニーエというスウェーデンの出版社が 旧ソ連圏で新聞を始めました。数年後には中央と東ヨーロッパに複数の新聞を発行するようになった。それらは経験の浅いスタッフにより運営され、レイアウトなど見た目を重んじる文化がなく、かける予算もありません 多くの新聞にはアートディレクターすら居ませんでした。私は新聞のアートディレクターになろうと決めました。それ以前私は建築家で、祖母に一度聞かれたことがあります。お前は何で生計を立てているの?私は「新聞のデザインをしているんだ」と答えました 「デザインするものなんてないじゃない。つまらない活字だけ」(笑)彼女は正しかった。私はフラストレーションを貯めていました。



ある日ロンドンに来てシルク・ド・ソレイユのショーを見た時、大発見をしたのです「こいつらは、気味の悪い」「しけた"興行"というものを」「考えられる限り最高の"パフォーマンスアート"に仕立てあげた」だから「つまらない新聞でも同じ事ができるかもしれない!」と思ったのです。そしてその通りにしました。1つ1つデザインし直したのです。1面が我々の特徴となりました。私が読者と近い距離で対話するための私的なチャンネルでした。

ここでチームワークや恊働について話すつもりはありません。私のやり方はとても利己的でした。私はアーティストとして主張がしたかった。私なりの現実の解釈をしたかった。私は新聞ではなく、ポスターが作りたかった。雑誌ですらない、ポスター。我々は文字の見せ方で実験していました。イラストや写真でも、とても楽しかった。それらはすぐに結果をもたらし始めました。ポーランドでは我々の作品は「カバー・オブ・ザ・イヤー」に3年連続選ばれました。ここにある他の例は、ラトビア、リトアニア、エストニア、中央ヨーロッパの国々からのものです。



でもそれは1面だけのことではありませんでした。我々の秘密は、新聞全体を ひとつの作品として扱っていた事。まるで楽曲のように、音楽にはリズムや起伏があります。デザインはこれを読者に体感させる責任があるのです。ページをめくりながら読者は様々なことを感じる。私はその体験に責任を持っているんです。我々は見開き2ページを1つのページと捉えました。読者がそのように捉えるからです。

このロシア語の新聞のページは、スペイン最大の情報グラフィックス大会で多数受賞しましたが、1番の賞はニュースデザイン協会からのものです。ポーランドでこの新聞をデザインし直して1年も経たないうちに、世界一素晴らしいデザインの新聞と謳われたのです。そして2年後には、エストニアの新聞も同じ賞をいただきました。すごくないですか?



もっとすごいのは、これらの新聞の購読数が どんどん増えていったのです。いくつか例を出すと、ロシアでは1年後に11%増。リデザイン3年後には29%増。ポーランドも同様、最初の1年で13%増 3年後には購読数35%アップ。このグラフで見てお分かりの通り、何年もの停滞期のあと、リデザインするや否や 新聞は成長し始めました。でも1番のヒットはブルガリアでした。これはとてもすごかった。

デザインがこれを成し遂げたのでしょうか? デザインはプロセスの一環に過ぎません。我々のとったプロセスは外見を変えるだけではなかった。商品を完全に改良することでした。私は建築における機能と形式の鉄則を、新聞の内容とデザインに応用したのです。その上に戦略をのせました。まず最初に大事なことを考えます。何のためにやるのか?目標はどこにあるのか? そこから内容を調整していきます。その後、大抵2か月後くらいにデザインを始めます。私の上司らは初めはとても驚いていました。ただ原稿を見せるだけでなく、なぜこんな ビジネスみたいな質問をしてくるのだ、と。 でもじきにこれがデザイナーという新たな役割だと気付きました。プロセスの最初から最後まで関わることです。

ここから得られる教訓とはなんでしょう? 最初の教訓は、デザインは商品を変えるだけではなく、ワークフローも変えることができる、というより会社の全てを変えてしまえる。会社をひっくりかえすことができる。あなた自身をも変えてしまえる。誰のせいかって?デザイナーです。デザイナーに権限を与えてください(喝采)でも2つ目の教訓の方がより重要です。皆さんも私のように貧しい国に住み、小さな会社のつまらない部署で働きながら、予算も人材も何も無いところで、それでも自分の仕事を最高のレベルに持っていくことができます。誰でもできることです。必要なのはひらめきと、ビジョンと、決断力だけです。そして、ただ「良い」だけでは足りないと覚えておくことです。

ありがとうございました。

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ジャチェック・ウツコは問う「デザインは新聞を救えるか?」
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/jacek_utko_asks_can_design_save_the_newspaper.html

上記プレゼンテーションの映像(再生ボタン右の View subtitles から日本語の字幕を表示できます)


個人発メディアの作り方 greenz.jp 鈴木菜央
http://tamachan.jugem.jp/?eid=690

ごくごく近い未来の雑談
http://tamachan.jugem.jp/?eid=662

iPadは何がどうイノベーティブなのかについてご説明します
http://tamachan.jugem.jp/?eid=653
| 情報デザイン・メディアデザイン | 01:13 | comments(1) | - |
ネットでものを買うこと。ecの未来について
ふと気がついたら八月も後半になろうとしているが、今月まったく記事を書いていないことに気付く。そういうときは大抵クオリティ・オブ・ライフが極端に低下しているときなのであるが、夜中ネットサーフィンをしていてたまたま見つけたサイト、これが良かったんだ。



http://www.kurasukoto.com/

いや、なにが良いって、よくわかってるなぁと。生活をするっていう超、超、超、基本的前提の上に、生活雑貨を買うっていう。無印良品とかで買うんじゃなくって、IKEAとかで買うんじゃなくって。だけど代官山のインテリアショップのバカ高い値段の雑貨を買うでもなく、ミッドタウンのやたらと無駄に資本投下されてしまっていて、扱っているものはいいものだけども買う気が起きないくらい高いものではなくて。

ちょっと良いもの。だけれど骨董だったり、焼き物だったり、木だったり。きちんと誰がつくったかストーリーが語られていて、どこでつくってるのかが見えていて。文脈がきちんと多方向に延びていて。結果的に払ったお金が誰に届いていて、誰が幸せになっているかが、しっくりくるもの。みんな、そういうものが欲しいんじゃないのか?それも「欲しい」というよりも、関わりたいというような言葉の方が正しいのかもしれない。

だけど、そういうもんが無いんだなぁ。今の若者が消費しない世代、だなんてウソだ。いままでの大人達があの手この手で消費させようとしているものが、だいたいウソばっかりだってことが見えて来ちゃっただけの話で。特にネットの世界では。eコマースっていう言葉が生まれて15年くらい経つのだろうか。その間いろいろいろいろさまざまーーーな取り組みがされてきて、Amazon.com みたいに流通を根本から作り替えたような存在も出てきたけれど、僕はなぁんかインターネットっていうものをまったくわかっちゃいない奴らが、都合の良いように勝手な流通構造をつくっているようにしか感じられない。

その最大の戦犯にして諸悪の根源が、最近英語を社内共通語にするとかいう馬鹿げた会社の 彼らなんだけれど。彼らのおかげで、ecサイトっていうのは、こういうもんだと思われてしまっている。こういうもん、っていうのはつまり商品ひとつひとつを丁寧に紹介していなかったり、丁寧に扱っていなかったり、そもそも自分たちでも使っていないようなもんを売っていたり、いらん押しつけ広告メールを送りまくってきたり・・・(省略)とにかく、強欲資本主義の果てに生まれた、なにかこう、とてもグロテスクな行いになってしまっている現状のecサイトの現実がある。そして悲しいかな、なにひとつ、ろくに文脈的な豊かさを提供できていないにもかかわらず、海外進出しようなんていうのは愚の骨頂以外のなにものでもないであろう。




さて、その楽天とかがまったくできていないのが、商品に文脈付けをするっていうことだけども、たとえばこういうことだと思う。ただ、陶芸作家さんの作品を取り扱うにしても、最終的にはどんな風に食べ物に盛りつけるかっていうことなわけで、使うシーンまでビジュアライズされてようやく、あ、これ買おっかなって思う。ここらへんはレシピサイトなんかも「わかってないなーーー」と日頃常々思っていることなんだけども、レシピだったらひたすらレシピだけがとんでもない量掲載されてたりするけど、まったくなにを食べたいとかっていうインスピレーションが沸かないんだよね。リアルなとこでいえば、スーパーマーケットとかはほんとに酷い。食べ物を買いたくなる空間じゃない。

例えばこれ、花器だったらフラワーアーティストさんなりアマチュア華道家さんが花を生けていてもいいかもしれない。そこから花屋さんに繋がっていく。そういうことがつまり文脈付けをするっていうことだと思う。



そしていざ買おうと思って詳細ページに行ってみると・・・。品切れ中だった。でも、それでいいのです。いつでもたくさん在庫がストックできるような大量生産品はいらないし、作家さんが大量につくらなければいけないような状況をつくってしまっても作る側の負担が増えるだけなので。「いまちょっと忙しいからこれ以上つくれない!」とか、作る側の顔が見えるっていうのはそういうことなんじゃないかと思う。



季節っていうのは、大きな文脈の一つだ。その季節にしか楽しめない空気があったり、それにあわせた豊かな営みがある。桜の花見のためにお弁当箱を新調するとか、七夕祭りのために浴衣を新調するとか。季節は、その時々の文脈をかなり多方面に広げてくれる。



そうして一つ一つ掘り下げていくうちに、これはいったい誰がつくったのかということが気になってくる。もちろん加工業者ではなく、その材料一つ一つをつくった農家さんだったり。その材料は農薬は使われているのか、有機っていったいなんなんだろう?そしてなにより、なんでこれはこんなに美味しいのか。美味しかったものっていうのは結局どこかで必ず理由があるものだ。そしてそれ相応の価格になっているはずだ。美味しくて安全な食べ物が安いなどということは決してありえない。そういうものは内情を調べていくうちに必ずグロテスクな事情に出くわすことになる。

このサイトを眺めていると、そんな文脈の多様性について気付かされるとともに、如何にてきとうなできあいのものを買わされる世の中に生きているものだと実感させられる。かつて何度も言っているが、インターネットは人間性を豊にする方向を目指していると思っている。ecサイトの本来あるべき姿を、インターネットの本当の使い方を、少しでも考えるきっかけになることを願って。

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人間性の未来に対する、50年の相剋の歴史
http://tamachan.jugem.jp/?eid=680
| - | 02:47 | comments(0) | - |
和傘のイノベーション「京和傘 日吉屋」


interview:西堀耕太郎氏(株式会社日吉屋 五代目)
date & place:2010.06.07
京都市上京区堀川寺之内 株式会社日吉屋 工房にて

イノベーションってなんだろうか?技術の革新、人間の革新、さまざま言われているけれど。究極の所、切羽詰まらないと人は変わらないんだなぁと常々思います。ホントに食えなくなったときほど、変化のチャンスはありません。いろいろ意見はあると思いますが、中途半端なぬるま湯のまま、中途半端な危機感からはなにも生まれないのですね。

ものがあふれていて「物」から「事」が大事になってくる時代になると、伝統というのは一つの大きな文脈として力を持ちうる。日吉屋さんは、京都のど真ん中でひたすらに文脈作りをされておりました。
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