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Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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未来の自分自身を予測するということ
2003年から書いてきたこのブログですが、今日で一旦終了します。

今後については、こちらのサイトで情報発信していきますので、ブックマークやRSSリーダーのURLの変更をお願いします。(このサイトは今後も残ったままにするつもりです)

http://tamalog.me/


2013年の自分はどうなっているんだろう。

このサイトは、もともと2003年頃に、十年後の自分がどうなっているかっていうことを考えるために書き始めたものでした。2013年に、自分がどうなっているかを知るためには、過去と、それから現在の自分自身のインプットとアウトプットをアーカイブして集積していくことによって、それが繋がっていくとそこから演繹的(えんえきてき)に未来の方向性が見えてくるんじゃないかと思って始めたものでした。いわゆるライフログのひとつの実験とその成果だと言えます。この間、僕の記憶の大部分をこのサイトに逐一アーカイブしたために、他人の方が僕のことをよく知っているというような出来事が起きたり、予想外の人間関係が生まれたりということが起きました。結果的には、それは予想以上の効果をもたらしてくれたと思っています。特にTwitterが登場してからこの一年数ヶ月間の出来事は非常にエキサイティングなものでした。

CONNECTING DOTS

そのような手法がまさか本当に未来予測の現場で使われていることだとは知らずに、当時は本当に個人ブログとして始めたものでしたが、その後、2005年の夏に、スタンフォード大学でスティーブ・ジョブズ氏が、卒業生向けにスピーチを行った中の一節が、その後の自分をどれだけ勇気づけてくれたことでしょう。
大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。 CONNECTING DOTS|http://tamachan.jugem.jp/?eid=56


そして2008年頃から徐々に自分の進みたい方向がハッキリとしてきてからは、日本固有の文化の中における発見や、地域社会のレポート、それに最近ではイノベーションや、変化の第一線にいる方々のレポートサイトのような性格を帯びるようになってきていました。関係者も徐々に広まってゆき、ここ最近はとても個人のライフログの実験の範疇には収まらなくなっていました。

最近「きみはジャーナリズムをやっているのか?」と言われたりすることもあります。

そう言われると、そうなのかな?と思ってしまったりするのですが、ジャーナリズムにシンパシーは感じていつつも、ちょっと違うなと思っています。どちらかというと、もっとポジティブな未来を描くための材料を提供したい。ここ一年くらいは、第一次産業が変化をしていく地域社会の第一線の現場を取材しながら、そんなことを思っていました。マスメディアには、信じられないくらい一次情報が流れておらず、なにを拠り所にしてこれからの社会をつくっていって良いのか、その指針が最近ではまったくと言っていいほどありません。そのために必要な、前の世代が残してくれたものを発見したり、今起きている変化の最前線を伝えていくということは、今後もやっていきたいと思っています。演繹的に、未来を予測するべき対象が、自分個人という存在から、ちょっと広げていかなくてはならなくなってきたということかもしれません。

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とにかく社会という現場に出てみたかった。

そういえば、このサイトのタイトルは「Output and input from 1998 to 2010」と、1998年に遡って、それからこちらのことを書いています。1998年というのは、僕が初めて会社というものに所属した年で、キャリアが始まったときのことです。当時18歳で、とにかく社会という現場に出て、世界を見つめてみなければ、自分の人生は始まらないと思っていました。それまでの人生は虚構に過ぎないと、そんな風にも思っていました。丁度16歳で高等学校を中退してから2年が経っていました。当時働いていたエレファントデザイン株式会社は、1998年から、都合一年半とちょっとで退職することになって以降、現在に至るまで基本的にはずうっと個人で働いているという立場をとっています。僕は集団行動がとても苦手で、たくさんの人がいるところだと、自分の存在を消してしまおうとしたり、ペースを乱されるとパフォーマンスを発揮できなくなるのですが、そういったことが個人で働くことに繋がっているのかもしれません。

個人で働くということ。

どうも個人で働くということをとても能力が必要であったり、そのための強さが自分には足らないんじゃないかと思っている方が、いまだにたくさんいらっしゃるように思っています。ユダヤ人の哲学者、エーリッヒ・フロムが著書「自由への逃走」の中で書いているように「人間というものは自由を望んでいない、という命題を背負っていて、多くの人は集団の中に属しているから安心感を得られるんだ」ということを、肯定されている方のなんと多いことかと驚きます。

確かに、僕自身はある程度能力によって、かなり早期に自分自身の価値を社会に対して提示して、経済的にフィードバックされるようになったかもしれません。でも、それが可能だったのは、なによりインターネットのインフラストラクチャーが日本では1994年頃から整備されてきたからであり、その上でウェブサイトをつくったりデザインするということは、極めて換金することがし易かったということがあります。そのために必要な営業や出会いも、そのインフラの中で成立してきました。能力を磨くという作業は、これらの生態系の中での誰かとの共同作業であったのです。

なまじ会社員になると、自分の生んでいる価値と収入の因果関係が解らなくなる。

会社を辞めてから既に10年近くが経っていて、その後ずうっとこの労働集約作業が収入の大部分を占めてきているのですが、自分の働きがそのままメシに直結するため、当初はかなりスリリングな生活をしていました。しかし、それが当たり前になってくると世界の見え方が徐々に変わってきます。

先日、@daisuke_maki さんが「なまじ会社員になると、自分の生んでいる価値と収入の因果関係が解らなくなる。」ということを言っていて、とても本質を突いた言葉だと印象に残っています。社会が複雑化しすぎてしまったために、自分と世界の因果関係が極めて薄くなってしまって、組織や、ひいては国家が思考停止に陥ったりするケースが多々起きています。そういった理由から、個人で働くという選択肢を取ってきてしまったわけですが、必ずしも集団で働くということを否定したいわけではないのです。もしも、会社組織に所属しながらも、社会と自分自身の因果関係を感じ続けながら、キャリアを得ることができる世の中であったのならば、本心としてはそうしたかった。所属という安心感の中で、守られながらも本質を外さずに生きて行くことが非常に難しくなっている。

仕事の三つの意味。「稼ぎ」「勤め」「学び」

とまぁ、そのような形で経済的なフィードバックを生み出していく生活をしていくうちに、一年くらいで労働集約的作業には限界があることを感じるようになりました。なによりも、それを続けて行くためのモチベーションに繋がらないような仕事(それを労働というのかもしれません)も当初は受注していました。このブログを書き始めた2003年頃というのは、丁度そのような悩みを抱えていた時期でもあります。そんな当時、僕が師事していた文化人類学者の竹村真一さんによって、仕事というものには三つの意味があるということを教えられました。一つ目は「稼ぎ」であり、日々を暮らしていくための糧を得るための仕事をすること。二つ目は「勤め」これは、たとえ経済的なフィードバックがされなくても、使命感を持って取り組むことができる、自分にしかできない仕事のことを指します。三つ目は「学び」これは遊びであるとも言いますが、インプットのことを指します。インプットのための作業もまた、仕事のうちの一つであると。これらを丁度三等分するくらいのバランスで仕事の時間に割り当てられるのが良い。といった内容だったと記憶しています。

情報を発信することが、結果的に自分の未来をつくることになる。

その話を聞いたときに、自分自身の未来を演繹的に発想するということを思いついたのかもしれません。とにかく見聞きしたものをひたすらに書いていました。自分自身がそのときそのときに興味を持っていること。それを情報として発信することが、結果的になんらかのフィードバックを生み出してくれるのです。情報としてのフィードバック、人としての繋がり、仕事の受注。その結果として、今僕自身が関わっているプロジェクトの多くは、僕自身の興味や関心に必ずなんらかの関係性があるものだけになりました。Twitterが相乗的に、その可能性を加速してくれたというのも大きな一因になっています。


自分が自分らしく生きていくということ。その戦略的方法論を研究開発してきたのが、この12年間であったのかもしれません。このような生き方が可能なのだということを、誰かがその頼りとして、一つの事例として参考にして頂ければ幸いです。

多くの人々が、自律的に生きて行くために、社会と自分自身の因果関係を明確化して地に足をつけた感覚を取り戻せますように。

2010年12月31日 大晦日の夜に

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ことのはじまり
http://tamachan.jugem.jp/?eid=314

地に足のついた仕事してますか?
http://tamachan.jugem.jp/?eid=424
| - | 23:55 | comments(1) | - |
ソニーの終焉と、日本株式会社の終焉


たまたま立ち寄った青山ブックセンターで平積みされていた @ktsujino さんの本を手に取った後、以下のことをつぶやきながら一気に読み切った。

ソニーへの鎮魂歌

辻野晃一郎さん。ソニーでVAIOのデスクトップ事業の創業期を担った人らしい。この人がつくったのか。と同時に読み進めていくうちに「ソニー」という存在そのものを思い出させてもらった。初期のVAIOからはノート型からもデスクトップ型からも、たくさんたくさん夢を貰った。それと当時に、ああ、もうあの神々しいまでにポジティブなエネルギーを放ち、インスピレーションを与えてくれるソニーは、本当に亡くなったんだな。と寂しくなった。この本は、そんなソニーへの鎮魂歌のような本だ。本当に悲しい限りである。

背景にいる創造的な個人の存在

この本を読んで益々思うのが、企業内における一個人の力がどれほどか大きいということである。薄々ながらも当時の一連のVAIO製品群には、その背景にいるであろう創造的な個人の存在を感じさせていた。2000年を過ぎた頃からであろうか徐々にそれを感じなくなっていった。このことから思うのは、すべて「SONY」の四文字にブランド価値を託すのではなく、@ktsujino さんのような開発者個人は全面に立ってピーアールされるべきである。ということだろう。はっきり言って、現在のソニーはウソである。当時のイノベーティブなソニーはもう既に亡い。
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| | 00:47 | comments(2) | - |
農地改革と、八郎さんのメダカ米


今年の初めからお手伝いさせていただいている、岡山県の西粟倉村で、また新しい企画が始まった。「メダカ米」というこの福島八郎さんという地元のおじいちゃんが育てた米を販売するということなのだけど、八郎さんによると合鴨農法もやったし、なるべく農薬を使わないところでいろいろと試してきたけれど、結局行き着いたのはメダカだったという。田んぼの中を泳ぐメダカ達が死なない程度に除草剤もつかっているのだそうだけれど、除草剤を使いすぎるとメダカの動きが鈍くなってきたりして解るんだそうです。メダカが生きていられる環境でつくった米ならば、人間の体にも悪いものではないはずという。詳しくはメダカ米のページを見てください。
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| - | 16:08 | comments(0) | - |
アップル代は、もはや水道代や電気代のような感覚になっている。


日本時間10月21日未明、アメリカはカリフォルニア州クパティーノで行われたアップルの新製品発表のストリーミング映像を見終えた僕は、割となんの躊躇も迷いもなく、新商品入れ替えのための「We'll be back soon」の画面表示が終了した直後あっという間にクレジットカード決済を行い、粛々と買い換え作業を行っていたのでした。
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| - | 00:41 | comments(1) | - |
イノベーションは学びのプロセス 東京大学i.school 田村大


INSPIRE lab 第3回 イノベーションは学びのプロセス 田村大
speaker:田村大氏 @tamdai99(東京大学i.school ディレクター)
date & place:2010.08.05 まれびとハウス にて
participant : @MiUKi_None @tamachangg @a_kodama @scommunity @sotacafe @mikitty0905 @ryutaro_i @stkbys @8rukun @DialogueBar @t_mashiko @ikeyu @2gta9
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| ログ | 01:20 | comments(0) | - |
ダカフェ日記と広松木工さん
前回のつづき。

突然やってきた福岡で、点と点が繋がった僕らは、翌日、当然の如く大川市に向かっていたのでした。博多の町から高速を使って車で一時間半ほど。



広松木工さんのショールームに入っていろいろと実物を見ながら家具のクオリティにひとつひとつ溜息をしつつも、なにより一番衝撃だったのは、この写真達だったわけです。大々的に大判に引き延ばしたダカフェ日記の写真が、これももちろん木で作られた専用のフォトフレームに飾られて、店内のあちこちに飾られていたこと。
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| - | 01:28 | comments(0) | - |
福岡県の「日本一の家具の町」のこと
あれは今を遡ること一週間前のことでした。いつものように西粟倉村にニシアワーの取材のために訪れていた後に、ふと九州に行ってみたくなったのでした。年間に結構な回数、東京から岡山あたりまでは往復しているにもかかわらず、西は岡山以西にはあまり行ったことがなく、岡山駅から新幹線のぞみ37号に乗って、広島を過ぎたあたりでもうテンション上がりっぱなし。とりあえずの目的地は、福岡県大川市。



西粟倉の仕事を始めてからずっと気になっている一冊の冊子がありました。大川コンセルヴと書いてあります。(http://www.okawa-cci.or.jp/conserve/mokuzi.html)福岡県に大川という町があるそうな。その大川市の商工会議所が中心となって始まった、大川にある食べ物と木のコラボレーション事業なのだそうです。もうかれこれ半年くらい前から気になってはいつつ、ここにはなにかあるに違いないという勘でとりあえずは博多に辿り着いたのでした。
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| - | 23:28 | comments(4) | - |
デザインは新聞を救えるか?


今年の年初から突然のように始まった紙メディアのシフトチェンジについて、ポスト紙メディアはどんなカタチになるんだろうか?iPadアプリとして登場したReederとか、大本命かもしれないFlipboardとか、いろいろ出てきつつあるし、行き着くところ前述のECサイトくらいのものがウェブマガジンというか電子雑誌のようなものになっているくらいになんなきゃダメでしょと思っているのですが。

そんなこんなと日々模索していくなかで、ああそっか、こういうのもありなのかっていう興味深い事例を見つけた。もう既にある新聞をリノベーションしたような試み。JR九州の車両デザインを20年かけてやってきた水戸岡鋭治さんに近いかもしれない。
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| 情報デザイン・メディアデザイン | 01:13 | comments(1) | - |
ネットでものを買うこと。ecの未来について


いや、なにが良いって、よくわかってるなぁと。生活をするっていう超、超、超、基本的前提の上に、生活雑貨を買うっていう。無印良品とかで買うんじゃなくって、IKEAとかで買うんじゃなくって。だけど代官山のインテリアショップのバカ高い値段の雑貨を買うでもなく、ミッドタウンのやたらと無駄に資本投下されてしまっていて、扱っているものはいいものだけども買う気が起きないくらい高いものではなくて。

ちょっと良いもの。だけれど骨董だったり、焼き物だったり、木だったり。きちんと誰がつくったかストーリーが語られていて、どこでつくってるのかが見えていて。文脈がきちんと多方向に延びていて。結果的に払ったお金が誰に届いていて、誰が幸せになっているかが、しっくりくるもの。みんな、そういうものが欲しいんじゃないのか?それも「欲しい」というよりも、関わりたいというような言葉の方が正しいのかもしれない。

だけど、そういうもんが無いんだなぁ。今の若者が消費しない世代、だなんてウソだ。いままでの大人達があの手この手で消費させようとしているものが、だいたいウソばっかりだってことが見えて来ちゃっただけの話で。特にネットの世界では。eコマースっていう言葉が生まれて15年くらい経つのだろうか。その間いろいろいろいろさまざまーーーな取り組みがされてきて、Amazon.com みたいに流通を根本から作り替えたような存在も出てきたけれど、僕はなぁんかインターネットっていうものをまったくわかっちゃいない奴らが、都合の良いように勝手な流通構造をつくっているようにしか感じられない。
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| - | 02:47 | comments(1) | - |
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| ポートフォリオ | 16:17 | comments(1) | - |