tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
写真から見た八丈島
八丈島は、地域の危機の度合いとしては正直ぬるま湯だと感じた。しかしそれなりにも危機感はあって、もともと井上英之さんが、ANAの特割の一件(羽田空港-八丈島路線について、2005年10月から「特割1」が設定され、実質値下げとなった。ただし、継続には2005年10月から2006年3月までの搭乗者が前年度実績より10%(1万人)上回ることを条件としており、実現しなければ2006年4月から2005年9月以前の運賃に戻すとしていた - wikipediaの対応策を相談されたことがきっかけで井上研が合宿で島にやってくることになった。そのときに学部生だった柳明菜が「この島を盛り上げるためにあなたはどうしますか?」というゼミ合宿の課題に対して「私、ここで映画を撮ります!」と宣言して映画の撮影が始まった。その映画「今日という日が最後なら」のラストシーンで八丈島にお祭りをつくろう!と言い出したことがきっかけで、この島にかつてあった祭りが復活した。その4回目の開催に合わせてみんなで島に集まろう。というのが今回の趣旨だったらしい。ようやく納得。

ぬるま湯な感じ。というとネガティブなように受け取られるかもしれないけれど、なんだかとてももったいないのである。東京都下でお金が入ってくる上に、過疎化高齢化もそんなに深刻にはなっていない状態。だから危機感のようなものはあまり見あたらなかった。それよりも世界はもっともっと広いんだなってことに対して、リアリティを持った感じ。これはちょっと小笠原っていう所に竹芝桟橋から26時間かけて行ってみなくては。あんなとこ日本にまだあったんだね。新聞毎日読めないし、船の入港前日にはお店に品物がなくなってしまう。笑。滑走路もつくれないから飛行機が飛んで来れない。ってことはきっとなにかありそう、って直感が言ってます。



www.flickr.com|2010.05.02 - 06 八丈島
http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/sets/72157623884652231/

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2010.02.11 慶應義塾大学 井上英之研究会にて
http://tamachan.jugem.jp/?eid=658

2009.05.09 六館堂と映画監督 柳明菜
http://tamachan.jugem.jp/?eid=550

「今日という日が最後なら」八丈島映画応援団
http://8jo.jugem.jp/
| real japan travels | 13:01 | comments(1) | - |
植生から見た八丈島
八丈島に上陸すると空気が甘い。九州、沖縄、東南アジアともちょっと違った、甘ぁーい空気が漂ってきます。その臭いを発している植物の写真を撮っているだけでも楽しい。

この島の主要産業は、まさにこの植物、とくに花なのだ。ストレチア(Z軸で左上から3番目)トケイソウ(同1番目と12番目)は都内の花屋さんでもけっこうお見かけする。特に島の木にも指定されているフェニックス・ロベリニー(同2番目のヤシみたいなもの)は、この島の主力商品で、観葉植物として出荷されている。この木が島中の畑にグリッドで田んぼの稲のように栽培されているのだ。かつては1本1万円の値段で売れたこの木は、その後価格が暴落し、現在では観光と植物を中心とした特産品産業の複合がこの島の産業構成である。

しかし、植物の造形というものには抗しがたい魅力がある。なぜなら絶対に人間が作り出すことができないからだ。昆虫に魅せられた学者さんも、デザイナーさんも、このあたりに根源があったりする。何故、気温の変化でこうも鮮やかかつダイナミックな造形になるのだろうか?かくして南方の世界に対する世界の謎がまた一つ増えたのでした。



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地図から見た八丈島
http://tamachan.jugem.jp/?eid=677
| real japan travels | 12:37 | comments(3) | - |
地図から見た八丈島


久々に西粟倉村と京都以外のところに行きたくて、SFC井上研の人たちが八丈島に行くっていうんでついていってみた。思えば島っていうと瀬戸内の島ばっかりだったり、せいぜい隠岐の島の海士町くらいしか行ったことがなく、太平洋側にも当然、島は浮かんでいるわけで。そういえばぜんぜんなんの知識もないまま、とりあえず着いた。羽田空港から飛行機で50分。なんともあっさり着いちゃったもので、感慨も何もない。



飛行機は一日に三往復もしており、さくっと来てさくっと帰ることができてしまう。アクセスがいいようだけれど、風が強い島なので着陸できずに羽田空港に引き返すということが多々あり、ANAはあまり運行に対して積極的ではないらしい。2004年まで一日4便だったものが3便に減ったり、関西方面からの直行便が無くなったことで現在の状態に至っている。

当然船で、東京の竹芝桟橋から来ることもできる。距離にして287km。12時間の船旅となる。12時間てけっこう遠く感じるけれど、287kmって東京から名古屋くらいまで行けちゃう距離なのだ。深夜に竹芝桟橋を出発して、早朝に八丈島に到着する。島はやっぱり船だよね!っていう向きにはオススメ。



16時着の3便、ANA829便で島に到着。上空から見ると既に家の形や植生がだいぶ違うことに気づく。なんだかモコモコしていて、ちょっと日本の風景ではないような。亜熱帯気候なので、雨がものすごく多い。植生に関しては追って詳しく書くことにして、八丈島は北緯33度06分34秒の位置にあり、ほぼ福岡や大分あたりの緯度になるのだ。どおりで生えているものがまったく違うのである。そこらじゅうの植物がいつも見慣れている日本列島の植物とはなにか根本的にまったく違うのはとても驚く(それも東京からたかだか50分で来れてしまうところで)その温暖な気候から、かつて戦後の1960年代の八丈島は「日本のハワイ」などと呼ばれて積極的に観光誘致している時期があったが、70年代以降、海外渡航の制限が解除され、本物のハワイが近づいてしまったために観光客は減少傾向にある。



この島。チェーン店などは無いけれど、飲食もそこそこ揃っており、24時まで営業しているコンビニ(といっても個人商店)まで存在する。道路もやたら整備されていて、とても離島とは思えないくらい綺麗なのである。なぜならば、ここは東京都なのだ。地方交付金は無いけれど、東京都であることによって投下されている金額は大きい。元々かつて八丈島を含む伊豆諸島は駿河国の国主が支配する地域であった。江戸時代に幕府の直轄地になるが、明治の廃藩置県後はいったん静岡県に属するが、江戸時代からの物流や人の流れが江戸に向いていたために、東京府に編入される。当然、大人の事情的な国境線を巡る攻防、という事情が絡んでいるということもあるだろう。

しかし、ここまで書いていて気になった。果たしてどこまでが「東京都」なのか?



インフォグラフィカルな図にしてみて衝撃を覚える。東京都って実はこんなに大きかったのです。東京都生まれの人間としてショックだ。軽く日本列島と同じくらいの広さがあろうか。なんだか海士町とか瀬戸内海の離島のスケールとはわけが違う。おそらく一般人が公共交通機関で行くことができるのは小笠原の母島までである。それでも片道26時間半もかかるのである。それに渡航のチャンスは6日に1回しかない。南鳥島は三角形の島で、一片が2kmほど。なんとか滑走路一本引けたという程度の島であり、沖ノ鳥島に至ってはキングベッドサイズの岩なのだ。(追記:日本の排他的経済水域から計算すると、実は日本は国土の12倍もの面積の海域を領有していて、実はこんなに広い国なのだ)

この小笠原諸島という島のことは、とにかく1968年にアメリカから返還されたということが頭の中にあるだけで、あとは天気予報と台風のたびに聞くだけの記号としてしか認知していなかったな、という思いである。ウィキペディアの情報からどんな所なのかを想像するだけでもそうとう面白い。

ショッピングは本土からの輸送船が到着する前の日には、店から物がなくなり、船の入港日によってさまざまなスケジュールが組まれる。書店が無く、新聞も一週間分まとめて船の入港時に入ってきて店頭販売される。小笠原は宅急便が始まった最後の地域であり、1997年にクロネコヤマトが「最後の営業開始地域が東京都である」と新聞広告を打ったという。そして、日本一高齢化社会から縁遠い人口構成比をしているあたりがとても興味深いが、これは一度行ってみなければと思う。ここもまた戦争と戦後の諸々に翻弄された場所なんだろう。まぁ、とにかく八丈島のおかげで世界がだいぶ広がった気がする。



話を八丈島に戻すと。言うまでもなく魚は美味い。コハダやトビウオを漬けにした、島寿司なる寿司がどこにいっても出てくる。それからくさや、明日葉、焼酎、黄八丈と呼ばれる染め、フェニックス・ロベレニーという名のヤシ、フリージア、パッションフルーツなどなどが特産品であるとウィキペディアには書いてあるが、ほぼ網羅していると思うが、続きは次回。

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慶應義塾大学 井上英之研究会にて
http://tamachan.jugem.jp/?eid=658

日本の排他的経済水域
http://www.h5.dion.ne.jp/~s_coral/webmaster/haitatekikeizaisuiiki.html
| real japan travels | 18:19 | comments(1) | - |
加賀で本当に面白いところは
加賀で本当に面白いところは、金沢からちょっと外れた田舎にこそあると思う。

あらためて加賀に来てみて思ったのは、金沢はただの観光地になってしまっていて、面白いのは金沢からちょっと外れたところにある田舎に、尋常ならざる素材が眠っていることだ。


北大路魯山人の別荘「いろは草庵」


魯山人の机

ぱっと見、山代温泉はご多分にもれずバブル期の乱開発の影響で経営破綻寸前の旅館が建ち並ぶさびれた温泉街だと思ったが、星野リゾートによるテコ入れによって再建された旅館「白銀屋」は、ずいぶん前から一度は泊まってみたい宿だと思っていた。


白銀屋の外観

ここは、魯山人の別荘「いろは草庵」からわずか300メートルの距離であり、先々代のご主人が魯山人と交流があったという。山代温泉の旅館のご主人たちは皆そうして魯山人との交流があったというが、相当な文化人達であったのだろう。つまり、山代温泉には再建できるだけの文化資源が眠っていたのだ。


白銀屋のロビー

また、同じくリニューアルによって成功していると思われる旅館「べにや無何有」は、原研哉によるアートディレクションによってだいぶシンプルモダンよりのコンセプチュアルな旅館となっており、多少、21世紀美術館的なミーハー色を感じるが、わりあいリニューアルに成功しているパターンだと思われる。


べにや無何有のエントランス

そんな加賀で、今回発見したのが九谷焼だ。京都にいてずうっと清水焼、信楽焼と追いかけてきたが、いまいちそこに手を出す意味を感じられていなかったが、九谷焼の鮮やかな釉薬の色は、やっと見つけた、これこそ追い求めていたものだと感じるものがある。


九谷焼作家 人間国宝 三代徳田八十吉の作品

帰りがけに立ち寄ったうどん屋さんで目にした雑誌に書いてあった、小松にあるという「吉田屋」の花器の青緑色は、珊瑚礁の海の色にも、瑠璃の珠の色とも見えて、よく磨かれた日本刀を見つめているときのように、心地よく奥に奥に吸い込まれていくのだ。

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山代温泉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/山代温泉

九谷焼作家 人間国宝 三代徳田八十吉
http://www.mangetsu.co.jp/tokudayasokichi/
| real japan travels | 23:40 | comments(1) | - |
加賀に来たからには行かなくてはならないところがたくさんあるのです
金沢に来たのは5年ぶりだ。その頃はまだ21世紀美術館もなかったし、金沢駅も古い頃で日本海沿岸独特のどことなくさみしげな、しかしそれがまた良い雰囲気を残す古い古い駅舎だったが、だいぶ派手にリニューアルされてしまった。全体的に再開発後のピカピカした感じになってしまっているが、金沢の、あの「名古屋と京都を足した」派手だけど洗練されている感じは健在だ。東京からだと飛行機を使わざるを得ない感じがするけど、京都からだと車で約3時間で着くので、だいぶ気楽に行ける。このあたりが京都に家があることの大きなメリットだと思っている。


福光屋本店

とりあえず加賀に来たからには行かなくてはならないところがたくさんあるのです。

日本酒の「福光屋
加賀麩の「麩室屋
兼六園の中にある茶室「時雨亭
茶屋「志摩」(国指定 重要文化財)
北大路魯山人の別荘「いろは草庵
山代温泉にある旅館「白銀屋」と「べにや無何有
山中漆器の「嘉門工藝


時雨亭の縁側

いずれも現代まで残った文化資源と素材を生かした最高の料理であり、日本的なサステナビリティーのかたちであり、非常に「21世紀的な」文脈を持った地域だと昔から思っていた。やっぱり素材の上では京都ではとうてい太刀打ちできないものがあり、どこで飯を食っても基本的に美味いのは、素材の質が良いからだと思う。考えてもみればすぐそこに日本海があるので当たり前といえば当たり前だが、あらためて当たり前に驚く。


志摩のエントランスの吹き抜け

そんな日本海でとれた食材によって作られた料理によって魅せられ、料理人への道を開かれたのが北大路魯山人だ。当時は篆刻作家だった魯山人は32歳のときに山代温泉の看板をつくるために加賀へやってきた。逗留中に金沢の近江市場で買ってきた食材で京料理をつくりはじめ、とうとう九谷焼で自分で皿をつくるまでに至る。この間約半年間であったらしい。この出会いがきっかけで、一篆刻作家が、あの美味しんぼの海原雄山のモデルである美食家、北大路魯山人となるのである。


麩室屋の井戸と「わらじ麩」

最近、家をつくっていて思うのは、電気配線でも水道管工事でも棚板をつくるためにのこぎりをつかったり、かんなをかけたり。案外やってみればできるもので。デザインだけでなく、写真も文章もといろいろやっているつもりで、まだまだ世界が狭いと思わざるをえない。魯山人から学ぶものがあったとすれば、どこか一つの領域を突き詰めるのみにあらず、マルチに世界観を作っていくことに恐れないということかもしれない。

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北大路魯山人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/北大路魯山人

2007.03.28 北大路魯山人の皿 - tamalog
http://tamachan.jugem.jp/?eid=283
| real japan travels | 19:07 | comments(0) | - |
real japan travels #02 day2「祖谷峡」+ アレックス・カー インタビュー
今回の旅の目的のひとつに、アレックス・カーに会うという目的があった。その人を学ぶには、その人と一緒に仕事をすることが、もっとも手っ取り早いというのが昔から常々思っていることなので、前回撮影した写真をベースにいろいろと作って持っていってみた。やっぱり現物を見てもらうのが、どんなプレゼンテーションをするより話が早い。

そんなアレックスに皆でいろいろと聞いてみた。



Alex
日本の古い建物は目的なしの再生を行ってしまっている。飲食禁止や時間制限が設けられていて使えなくなってしまういわば死んだ博物館だよ。今の人々が泊まりたいような宿泊施設ではなくて、目的があって作られても最後には結局誰も使えないものとなってしまう。勉強不足でやってしまって後戻りがきかないか、あるいは蓋を開けたら使えない。

Q
「日本的」と呼ばれるものは不便なものが多いのが実状だと思うのですが?

Alex
住みにくいと思うのは改築する技術がしっかりとしていないから。技術なしのゼネコン。古い家を現代に持ってくるということを京都の町屋で試みているんです。たとえばボストンは京都より木造建築が多い。それはなぜかというと技術を用いているから。不便、というのは言い訳にすぎない。要は勉強不足。新築にするのが文明だという先入観があるんですね。現状のままでの日本古民家なんて住めたものではないんですよ。たとえば改修していない京町家のお風呂はまるでホラー映画の世界。現代の人々が「昔ながら」を受け付けないのは当然であって、それにはおじいちゃんやおばあちゃんが時代に対応する知恵を持っていなかっただけで、今の技術でならやり直せるはずですよ。



Q
私は学生時代に京都の町屋で生活をしてみたり着物で大学に通ってみたりもしたがどこか違和感があった。まるでコスプレのように。

Alex
そうですね、やはり限界がある。現代的なのはもちろん欲しい。しかし、かといって昔のものを壊してしまったら二度と同じものはできない。ヨーロッパでは歴史的なものがちゃんと保存されている、だからといってかつての貴族のように大きなカツラを頭にのっけて生活しているわけではないよ。わたしは三年ほどオックスフォードの寮で暮らしていましたが、石壁が1メートルくらいあって、ものすごく分厚いんだけど、壁に水道管を通すのは大変だったりするわけで、一方で日本の家屋はそれに比べて時代に適応できるものがたくさんある。日本の木造家屋にしても。まぁこのお話はCHIORIでは実感し難いでしょうが、京都のIORIでの方がわかりやすいと思います、IORIは100年以上経っている町屋を改築して、とてもエレガント。

小値賀(長崎県)では二年後に、8軒の古民家の改装を予定している。根本構造を変えないのを約束として設計士と相談しているんだけど、いかに現代的にできるかがポイントになる。日本の古民家は暗さとの闘いですが、天窓を入れたりすると明るくなる。それでいて味は消えない。



Q
やはり改築には莫大な予算がかかるのではないでしょうか?

Alex
そうですね。まず無駄が多すぎるんです。昔の手仕事といっても全部をそれでやるわけではない。たとえば断熱材もいれる。なぜなら資料館を作るわけではなく「家」を作るのですから。最近は京都で町屋専門のゼネコンができていて知恵ができはじめた。今の日本に足りないのは古いものへの理解と新しさ。

Q
何が「新しい」のかわからないというのがあると思うのですが。

Alex
それは不勉強な証拠です。僕はアジアのリゾートホテルをまわったりして枕の置き方ひとつとってもたくさん勉強をしてきました。そこにはちゃんと哲学があり美学がある。彼らは本当のニーズをわかっている。たとえばアマンリゾートなんかはいい見本になります。インドネシア人のオーナーさんが言うには、サービスは特別に素晴らしいわけではないけれど余分なサービスを省いたのがよかった、と。本当にお客さんが必要としているもの例えばインターネットなどを完備していることなども大切な要素です。しかしIORIのインターネットはワイヤレスで、CHIORIはケーブルのまま。お金なくて大変なんですよ(笑)。とまぁアマンには特別な美学があり、妥協をしない。そうするとお客さんが安心する。あるいは小さな家にバックパッカーが泊まれるようにしたり、安いからといって、ちゃっちくしないで要は簡略化したつくりにしたり。小値賀は素晴らしいですよ。島にはいろいろなものがある。浜や港、無人島、昔の天主堂もある。一軒につきレンタカーがひとつつく。すると泊まりながらあちこちにまわれるんです。マイホームからマイアイランドへ。



Q
例えば軽井沢にある「星のや」のようなものでしょうか?

Alex
いや小値賀はもっと素朴ですよ。結婚式場やらなにやら置いたら、、、ねぇ。小値賀ならではの世界。

Q
そういう施設と地元の人はいかに関係を結んでいくのでしょうか?日常生活に根付かせるためには?

Alex
外部の人がやって来ないかぎり、地元の人だけで(良い部分を残したまま建物を改修したりすること)はなかなか難しいでしょうね。でも外部から人が来ることによって職業が生まれ過疎化に歯止めをかけることができ、地元は(経済的に)潤うんです。地元の人にその良さを伝えても無理がある。残念だけれどそういうことは現実的に、リアルに考えなければだめです。「田舎のリサイクル」というのがあるでしょう。日本はお金をかけて守ろうとしすぎていて、でもそれには限界がある。その意味でリサイクル。外部の人の力によって変える、そして地元は恩恵を被ることができる。

http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/tags/祖谷/

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小値賀町 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/小値賀町

アマンリゾート - flicker
http://www.flickr.com/search/?w=all&q=Amanresorts&m=text

alex-kerr.com|美しき日本の残像
http://www.alex-kerr.com/jp/
| real japan travels | 15:52 | comments(1) | - |
real japan travels #02 day1「倉敷」













http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/tags/倉敷/
| real japan travels | 15:54 | comments(0) | - |
real japan travels #01 day3「比叡山延暦寺」


3日目は雨。比叡山延暦寺は織田信長に焼き討ちされたことで有名なお寺。いつも京都の街から見えていて、でも始めて来た。そして、すごくいいタイミングにやってきた。そこはまさに長谷川等伯の描いた「松林図屏風」の世界。



延暦寺の中心、根本中堂にはいつの頃からか延々と現在まで灯され続けている火がある。その脇にはこんな言葉が掲げられていた。

国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり
道心ある人を名づけて国宝となす

径寸十枚 是れ国宝に非ず
一隅を照らす 此れ国宝なり

伝教大師 最澄

つまりこの言葉の意味は、お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝であるという意味らしい。



偶然がいくつか重なって、だいぶリッチなツアーになった。同じツアーはたぶん再現不可能、一瞬一瞬は二度と訪れないのだ。

2006.12.14
余白の意味を探る「松林図屏風」長谷川等伯
| real japan travels | 14:10 | comments(0) | - |
real japan travels #01 day2「NHK映像詩 里山II・命めぐる水辺」


近江の国、滋賀県高島市に今も残る水文化「かばた」を、去年の夏に見に行った。今回はその地域の民家に泊まって、かばたを体験するという企画。今回のツアーのメインディッシュだ。エコだとかロハスだとかいう言葉を使わないでsustainableっていうことを実感するにはとってもいい場所。




あのポエティックな映像の主人公、世界のミスター三五郎さんの船。



でも後ろを見てみると、映像の中に出てくるちょっととても日本には見えない葦原の風景の周りが別荘地として開発されていることにびっくり。やっぱり映像は映像として過剰に作り込まれているんだなあって納得する。



ケータイをかばたの中につっこんで何をしてるのかと思ったらこんな映像ができてた。名古屋から来た、くにくんの天才っぷりに一同驚愕。



それにしても濃いいメンバーが集まったもんだ。みんなそれぞれなにかに秀でてその分野ではスペシャリスト。だけどなにかとても大事なものが足りなかったりする。偏差値やIQでは計れない人たちの集団。

2007.08.09
日本の原風景シリーズ「命めぐる水辺」滋賀県高島市針江地区
| real japan travels | 12:01 | comments(0) | - |
real japan travels #01 day1「重森三玲 龍吟庵庭園」
最初はサステナの社員旅行的なノリで始まったこのツアー。海士とはメンバーも変わって、常に一緒に仕事をしつづけている仲間たちが京都に集結。第一回の大地の芸術祭・光の館に続き、第二回は京都・滋賀。スケジュールは行き当たりばったり、変更しまくりだったけれど、いつもの東福寺にある重森三玲の方丈八相庭園を見に行ったら、偶然にも年に数回しか見れない「龍吟庵」(りょうぎんあん)が公開していた。この庭の方丈(住職の住むところ)が国宝に指定されているため、普段は一般には公開されていない。



この庭は白砂と黒砂による雲間から、その字の通り龍が現れる場面をモチーフとしている。いくつかの寝かされた岩が龍の胴体になっており、建石が龍の頭になっている。奥に見える竹垣の模様は稲妻を表しており、竹垣が山を表している。間違いなく重森三玲の最高傑作。二年前の秋に一日違いで見逃して以来、やっと見れた。次の公開は11月の紅葉の季節の数日間だけ。



こちらは東庭、鞍馬の赤砂で作られたこの庭は、龍吟庵開祖の仏心大明国師が幼少の頃、熱病にかかって山中に捨てられた時、二頭の犬が国師の身を狼の襲撃から守ったという故事にもとづいて作られた。奥の岩が犬を表している。

昭和39年作庭。永遠のモダン、重森三玲にしばし打ちひしがれる。

2007.03.15
伝統文化の破壊 重森三玲のモダニズム

2008.03.24
重森三玲庭園美術館
| real japan travels | 00:07 | comments(0) | - |