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ソニーの終焉と、日本株式会社の終焉


たまたま立ち寄った青山ブックセンターで平積みされていた @ktsujino さんの本を手に取った後、以下のことをつぶやきながら一気に読み切った。

ソニーへの鎮魂歌

辻野晃一郎さん。ソニーでVAIOのデスクトップ事業の創業期を担った人らしい。この人がつくったのか。と同時に読み進めていくうちに「ソニー」という存在そのものを思い出させてもらった。初期のVAIOからはノート型からもデスクトップ型からも、たくさんたくさん夢を貰った。それと当時に、ああ、もうあの神々しいまでにポジティブなエネルギーを放ち、インスピレーションを与えてくれるソニーは、本当に亡くなったんだな。と寂しくなった。この本は、そんなソニーへの鎮魂歌のような本だ。本当に悲しい限りである。

背景にいる創造的な個人の存在

この本を読んで益々思うのが、企業内における一個人の力がどれほどか大きいということである。薄々ながらも当時の一連のVAIO製品群には、その背景にいるであろう創造的な個人の存在を感じさせていた。2000年を過ぎた頃からであろうか徐々にそれを感じなくなっていった。このことから思うのは、すべて「SONY」の四文字にブランド価値を託すのではなく、@ktsujino さんのような開発者個人は全面に立ってピーアールされるべきである。ということだろう。はっきり言って、現在のソニーはウソである。当時のイノベーティブなソニーはもう既に亡い。
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iPadとTwitter時代に松岡正剛を読む
Twitter時代、もっと具体的にいえばライフログ時代に、改めて松岡正剛を読んでみると、以前にも増してかなり具体的に読めるようになっていることに気がつく。TwitterやiPhone、iPadが現れてようやく具体的に未来が議論されるようになって久しい。けどもこの知の巨人と呼ばれるおじさんは、2001年頃にこんなことを書いていたな、と思って本棚から引っ張り出してデジタル化してみた。

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知の編集工学 毎日文庫
http://www.amazon.co.jp/知の編集工学-朝日文庫-松岡-正剛/dp/4022613254

情報が情報を呼ぶ。情報は情報を誘導する。このことは本書がたいそう重視していることだ。「情報は孤立していない」あるいは「情報はひとりでいられない」ともいえるだろう。また「情報は行き先をもっている」というふうに考えてもよいかもしれない。単語と単語がリンクを張りあって、それだけでも連鎖してくるのだ。連想ゲームは、このようなことを私たちに示唆してくれるのだ。かくて私たちは、連想ゲームなどの遊びをとおして<編集的状態>というものがどういうものかということを知っていく。情報の連鎖の中にいかに入っていくかということ、そこにこそ編集の秘密が待っているのである。(P.36)

日本の社会は情報化されてしまったのである。けれども、ここが重要なところなのだが、「情報化」されたといって「編集化」されたとは言えない。そもそも<情報化>と<編集化>は一体であるにもかかわらず、なぜか日本では高度情報化はハードウェアの情報化であって、ソフトウェアによる編集化ではなかった。私はかなりはやくに通産省やNTTなどの高度情報化システムの現場にかかわり、そこに「情報化」はあっても「編集化」がまったく発案されていないことに、かなりの危機感をもったものだったが、残念ながら当時は誰も耳を傾けてくれようとはしなかった。
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男女の役割の分離
ジェンダー論というものがとにかく嫌いだ。男だからどう、女だからどうという議論は、本質的にまったく意味を成さないにもかかわらず、古めかしい既成概念から、逆に突破しようとあがいている余波が、時に凶器となって降りかかってきたりするからだ。

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産業革命による第二の波は、ちょうど核分裂の際の連鎖反応のように、それまでずっとひとつの統合体であった人間の生活を、強引に二極に分裂させていった。その課程で、第二の波はわれわれの経済生活、精神構造、さらには男女の特性にまで、いわば目に見えない巨大な楔を打ち込んでしまったのである。生産者と消費者とを分離させた、第二の波の社会の巨大な楔はまた、労働を二つの種類にはっきりと分ける働きをした。このことは、家庭生活、男女の役割、および個人の内面生活に非常な衝撃を与えた。

産業社会でもっとも一般的な男女差についてのきまり文句は、男性は自分の置かれている状況に対して「客観的」であり、女性は「主観的」であるという考え方である。もし、男女の違いについてこうした見方が核心をついているとすれば、それは生物学的に不変の事実ではなく、いま問題にしている、見えない楔による心理的な効果であろう。

産業革命後の社会においても、家庭は依然として、こどもをつくるという生物学的な再生産をはじめ、育児や文化の伝承に従事する、独立したひとつの単位であった。ある家庭がこどもの育児に失敗したり、こどもを将来の労働形態にうまく適応させることができなかったとしても、その結果は必ずしも隣家の出産や育児などに、悪影響を与えるというわけではなかった。言い換えれば、家庭内の労働は、相互依存度が低いままだったのである。こうした状況下でも、主婦は相変わらず決定的な経済的機能を果たしてきた。出産と育児そのほかの家事労働である。主婦の仕事も「生産」であった。しかし、その生産は自分の家庭用であって、市場に出すようなものではなかった。

一般的に言って、夫がどんどん直接的な経済活動に乗り出していったのに対し、妻は家庭内にとどまり、間接的な経済活動に従事する場合が多かった。男性は歴史的に見てより進んだ形態の労働を分担し、女性はそれ以外の、もっと古いおくれた形態の労働を引き受けた。男性はいわば、未来へと前進したのに対し、女性は、過去にとどまったのである。

こうした男女の役割分担は、人々の人格と内面生活に、分裂を引き起こした。工場や事務所は本来大勢の人間の集まる公共の場であり、調整や統合を必要とする性格を持っていた。そのため、工場労働やオフィスワークが一般化すると、客観的分析や客観的人間関係が一般化した。男性はこどもの時から、将来、相互依存の世界である企業内の役割を果たすように育てられ「客観的」であることが期待された。これに対して、生まれた時から社会的にはかなり孤立した仕事である出産、育児、そのほかもろもろの単調な家事を分担するようしつけられた女性は「主観的」たらざるをえなかった。したがって女性は、多くの場合、合理的、分析的な思考が苦手であると思われてきた。なぜなら、合理的思考や分析的思考は、本来、客観性がなくては不可能だと考えられていたからである。

こう考えてみると、比較的孤立しがちな家庭を飛び出し、他人との関係が深い生産活動に従事する女性が、ともすると、女性らしさを失い、冷徹でしぶとくなったと非難されたのは、当然であった。要するにそういう女性は「客観的」になるのである。

男女の差、その役割についての固定観念は、実際は男性も消費活動を行っており、女性も生産活動を行っているにもかかわらず、男性は生産だけに従事し、女性は消費だけを行うという誤った考えによって、いっそう強調されることになった。つまり、第二の波が地球上を席巻するはるか以前から、女性は抑圧された存在であったが、近代の「男女の闘争」は、巨視的に見れば、二つの労働形態の対立とともにはじまり、とくに生産と消費の分離と軌を一にしていた。生産と消費とが分離した経済は、男女の乖離にも拍車をかけたわけである。

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー 第三章 見えない楔
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かくれたカリキュラム
文科省が親のかたきにも思えるくらい憎い気持ちは一生消えないだろう。奴らによって、一度は規格化されそうになり、ゆえにそこからの離脱は、僕の人生にとって最大の開放であったと、今でも思う。

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労働の場が田畑から工場へ移行するにつれて、こどもたちは工場労働に適合する教育を受ける必要がでてきた。「いったん思春期を過ぎてしまった人間は、農業から転業した場合でも手工業から転業した場合でも、工場の有能な働き手になることは、むずかしい」と、一八三五年にアンドルー・ウールが書いているが、産業化したイギリスでは、初期の鉱山や工場経営者がまずそのことに気がついた。若年層があらかじめ産業のシステムに適合するように育っていれば、後年、産業社会で生きていくための訓練を受ける際に直面する困難は、大幅に軽減するはずであった。その結果出現したのが、すべての第二の波の社会に共通な構造。大衆教育(マス・エデュケイション)である。

工場をモデルにして設立された大衆教育の場では、初歩的な読み書き、算術を主体にして、歴史やそのほかの課目もごく簡単に教えられた。これはしかし、表向きのカリキュラムだった。実はその背後に、目に見えない、かくれたカリキュラムが存在し、この方が、はるかに産業社会の基盤として、重要だったのである。それはまず第一に時間厳守ということである。そして第二が服従第三が機械的な反復作業に慣れる、ということである。工場労働者にまず要求されるのは、定められた時刻に出勤することであり、とくに流れ作業の要員の場合がそうである。そして上司である管理者の命令に、文句も言わずに従う労働者であること。また、男も女も機械あるには事務机に向かって、まったく機械的な反復作業を飽きもせずに、こつこつやっていける忍耐力の養成が必要とされたのである。

第二の波が到来して以降の学校は、幾世代にもわたって若い人々を規格化し、電動機械と流れ作業に都合の良い、画一的な労働者を育成してきた。核家族と工業労働者向けの教育は、若い人びとが産業社会で有能な役割を果たすための、総合的な準備体制の一環として機能した。この観点からも第二の波の社会は、資本主義社会であれ共産主義社会であれ、北であれ南であれ、すべて似たようなものだった。

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー 第二章 文明の構造
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「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー
過去11年間、僕が関わってきた主要な仕事には、常にこの本の影響があった。と、言っても言い過ぎではないだろう。エレファントデザインの西山浩平、当時慶応大学SFCの教授だった鈴木寛、そして竹村真一、多大に影響を受けてきた師達は、必ずこの本を携えていた。村井純からも、そしてSFCの設立にも、この本の影響を強く感じる。まさに聖書だ。そして、それぞれの解釈が、それぞれの弟子達によって空想生活になっていったり、フェイスやメディア寺子屋になっていったり、触れる地球になっていったり、センソリウムになっていったりしたのではないかと、今となっては思う。ほぼすべての仕事に気持ち悪いくらい共通する未来観が、ここに記述されている。

そういう存在があることは知っていたけれど、実際に読むことはいままでなかったが、実家の本棚から出てきたので、恐る恐る開いてみることにした。1980年に書かれた本だが、2008.09を経た今だからこそ、何倍も何倍もリアリティを感じる内容だ。

最初の20ページ読んだだけで既に感慨深いものがある。ここに書かれていることは、まさに自分の仕事そのものだ。僕は、この本に書かれている未来を、いろんな人を通じて形にすることをいままでずっとやってきた。それが実家の本棚においてあったなんて。そこに辿り着くまでにどれだけか回り道をしてきたようにも思えるし、いまだからこそ読むときなのかもしれない。

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第一章 明日への大闘争
いま、われわれの生活のなかに、これまでなかった文明が出現しようとしている。そして、そのことに気付かない人々が、あちこちでそれを阻止しようとしている。この新しい文明とともに、新しい家庭像が生まれ、仕事、恋愛、生活の実態が変化し、経済も新しくなり政治もまた新しいものとなる。なにより大きいのは、意識の変革が平行して起こることである。早くも無数の人々が、自分たちの生活を明日の生活リズムに合わせている。

その一方で、未来を怖がるがゆえに一生懸命過去へ逃避し、前向きの姿勢も示さず、ただいたずらに自分たちが生を受けた時代の、すでに死にかけている世界を懸命に守ろうとしている人々もいる。

とりわけ重要なことは、後述するように、産業革命によって分離を余儀なくされた生産者と消費者をふたたび融合させ、「生産=消費者」(プロシューマー)とでも言うべき存在に支えられた、明日の経済をつくりだすことである。こうした理由からだけでも、新しい文明は、われわれが多少知的な努力さえすれば、歴史上はじめて人間性に溢れた文明になりうるはずである。

今日、二つの明らかに対照的な未来像が、一般の人々の想像力を拘束している。多くの人々は、われわれの知っている世界が際限なく続いていくと考えている。現状に安心しきっていて、少しでも未来のことをなど考えるのはめんどうだ、と思っている。自分たちがまったくいまとちがった暮らし方をするなどということは、想像することもできない。ましてや文明が全面的に新しい様相を呈することになるなど思ってもいない。もちろんかれらも、物事が変化しているのは認める。しかし、現在進行中の変化は、ともかく自分たちの傍らを通り過ぎていくだけで、慣れ親しんできた経済機構や政治体制は、微動だにしないと決め込んでいるのだ。未来は現在の延長線上にある、と信じて疑わないのである。

この直線的な思考は、さまざまな形態をとってあらわれる。けっして検証されることのない思いこみが、単純な段階では、ビジネスマンや教師、親、政治家などが決定をくだす際の前提となっている。もう少し高度の段階では、こうした考え方が統計とかコンピューターのはじきだすデータ、未来学者の専門用語などですっかり粉飾されて、世の中をまかり通る。いずれにせよ帰するところは、未来の社会も本質的には現在と大差ない、ということに尽きる。

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第二章 文明の構造「かくれたカリキュラム」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=562

第三章 見えない楔「男女の役割の分離」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=564
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化粧する脳 茂木健一郎
正直、脳科学的に見た女の化粧がどうの、っていう話はどうでもいい。けれど、その前提の上で後半に出てくるメタ認知についての記述がとても興味深い。

いま、無意識にやろうとしていること、つくろうとしていることが、以下の文章に集約されているように思う。

神の不在を、なにかによって穴埋めしようとしているのだねえ。
キリスト教には一般的に知られている告解(懺悔)という儀式がある。自分が犯した過ちを神に告白し、赦しを得る信仰儀礼である。この行為も、メタ認知のトレーニングといっていいだろう。というのも、自分自身の行動を客観的にかえりみて、他者の理解できる言葉に翻訳しなければ、語ることができないからだ。こういった、神に対して語りかけるという心の動きが典型的だと思うが、ヨーロッパの人びとは、どこか「神様が自分たちをみている」という神の視点をつねに感じているように思えてならない。それは実際の信仰の深さやどの神を信じているかということとは別の話で、神のように普遍的で、個を超越するような存在が自分たちの生き方をみているという感覚があるのだ。それが社会全体を俯瞰するメタ認知として機能している感がある。そうした人びとには倫理観という確固としたプリンシプルがある。それがいかに生きるべきかを確認するための一枚の巨大な鏡になっている。

僕はこのヨーロッパの人びとの倫理観を支えている一神教というものが、人類にとって大きな発明だったとひしひしと感じている。

中略

街並を見ているだけでも、社会の鏡の存在はあきらかである。ロンドンでもパリでも先進国の名立たる都市では、建物を建てるときに風景全体に照らし合わせて個別を考える。それにくらべて、昨今の日本の風景を眺めていると、あまりの景観の醜さに絶望することがある。江戸時代には浮世絵で日本橋の風景などが描かれていたが、現代のこの街並を描こうとする人はそんなにいないだろう。自分はこう表現したい、こんな建物をデザインしたい、建てたいというエゴと個人の欲望だけが剥き出しになってしまっているかのようだ。日本でも、社会の全体性を鑑みる意識を根付かせる必要があるのではないだろうか。
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化粧する脳 茂木健一郎(集英社新書)
http://www.amazon.co.jp/化粧する脳-集英社新書-486G-茂木-健一郎/dp/4087204863
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白川静 漢字の世界観 松岡正剛(平凡社新書)
この本は、家に屋号をつけようと思っていて、漢字の勉強でもはじめるかあ、と思っていたところでたまたま青山ブックセンターで手に取った本だった。

白川静伝説は多方面からよくよく聞いてはいたけれど、読んでいくうちにこりゃあぁとんでもない人だということがよくわかってきた。端的に言っていいものかわからないけれど、つまり、白川静の発見というものは2000年近く語り継がれてきていまなお教科書でも説明されているような漢字の読み解き方の原理の根本をすっかり覆してしまう新説であり、それによって見えてくるものは、今日失われてしまった多くの記憶をよみがえらせる「時空の方舟」だというのである。その上で、東洋を如何にして理解し、活用するか、ということを問うていると僕は勝手に想像する。

しかし、それよりなにより、そもそも松岡正剛の本なんて、中身の一割くらいは理解できればマシな方なんだけれど、この本は三割くらいは理解できる感じがする。なんかはじめて松岡正剛の本が役に立ったなー、ということが驚きであり、彼自身相当襟を正して本気で入門書を書いたらしいことが、あとがきに書いてある。もっと詳しく言うと、松岡正剛という「最もよく解らない日本人の一人」(記号化に迎合する気のない一人)が、不特定多数に対するわかりやすさに対して向き合ったことがもうなんというか感動的ですらあるのだ。
これから本書で、白川静という清冽で深甚な、巨大で精緻な、比類のない知性がどのように「漢字の歴史」を解読し、制覇し、独自に再構築していったかということを、いくつかのステージに分けて私なりにお話したいと思います。

中略

私がなにかをできるとしたら、白川静というあまりに巨大な山岳や山脈のところどころに分け入って、多少の地図や立て札をつけてみるということだろうと思います。いささか口はばったいことですが、私自身はいつがこのような「白川山脈」に分け入って、そこにいくばくかの立て札を残してくる作業がまわってくるような気が、なんとなくしていたのです。
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白川静 漢字の世界観 松岡正剛(平凡社新書)
http://www.amazon.co.jp/白川静-漢字の世界観-平凡社新書-松岡-正剛/dp/4582854400
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イサム・ノグチ 宿命の越境者
本を読むことにこんなにのめり込んだのは本当に久しぶりだ。すべてを読み終えてこんなに爽快なのは「犬と鬼」以来だろうか。この本は茨城県の笠間にある春風万里荘に行く下調べをしていたときに出てきた。かつては北鎌倉にあった北大路魯山人の住居に、一時期イサム・ノグチが住んでいたという。そのとき、イサム・ノグチは李香蘭との新婚だった。(李香蘭については過去に記事を書いた http://tamachan.jugem.jp/?eid=264


岐阜の市長に依頼されてつくった照明「AKARIシリーズ」は、サラリーマンでもデパートで購入できる彫刻であることをイサムは生涯自慢していた。

イサム・ノグチは、壮烈な運命に翻弄され続けたアーティストだ。その壮烈さたるや並大抵のものではなかっただろう。彼の運命は生まれる前から既に波乱含みだった。父、野口米次郎は、母、レオニー・ギルモアが身ごもったと知った時に、レオニーの元から姿を消し、日本に帰国してしまう。イサム・ノグチはこうして私生児として生まれた。時に1904年、日系人が徐々にアメリカ西海岸から排斥され、太平洋戦争にまで繋がっていく有名な排日移民法のきっかけとなる日米紳士協定が1908年に結ばれる。そのような状況下で日本人としての血を持つ子供をまともにアメリカで育てられないと判断したレオニーは、2歳のイサムを連れて単身日本へ移住する。このような日米のハーフであることによる二国間の問題は、結局1945年の終戦までイサムにつきまとうことになり、その後も広島平和祈念碑や、ジョン・F・ケネディ大統領の墓所のデザインが不採用になるという直接の理由になっている。

しかしその壮烈な運命と日米どちらの国にも帰属することのないという思いを、彼は、自ら作り出すアート作品に昇華させたのである。この一点において、僕はとても彼の人生に救われたという思いである。


イサム・ノグチの傑作の一つ。草月会館ロビー「天国」 東京・赤坂

また、彼はとても恵まれた人間関係を構築している点でも興味深い。
若い頃に野口英世によって医者ではなくアーティストへの道に導かれ、なんとあのバックミンスター・フラーは一時期彼に強烈な影響を与えたメンターだったそうである。(バックミンスター・フラーについてはこちら http://tamachan.jugem.jp/?eid=214)フランク・ロイド・ライトの嘆願書によって日系人の強制収容所から解放され、戦後は北大路魯山人という類い希なるパトロンの元に身を寄せていた。作庭家の重森三玲はイサムに日本庭園と石について教えた。(重森三玲についてはこちら http://tamachan.jugem.jp/?eid=275)そして、二国間に翻弄されつづけたことではこちらもぜんぜん負けていない李香蘭との結婚である。


モエレ沼公園。イサム・ノグチの遺作となり、2004年に完成した。北海道・札幌

この本で最も印象深かったのは、明治の日本に2歳の息子を連れて移住し、自邸の設計を8歳の息子にさせ、アーティストとなる将来を築くきっかけとなった母、レオニー・ギルモアの存在である。イサム以上に孤高の人生を歩んだ彼女の足跡については、映画化されるという話もある。

東洋と西洋の融合、モダンの追求者として、今の自分にとって適切なロール・モデルを得たような気持ちである。

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イサム・ノグチ - 宿命の越境者 (講談社文庫)
ドウス 昌代
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星の王子とわたし 内藤濯
「自分の仕事をつくる」の西村さんのオススメで、栃木県の益子に行った。益子は、隣町の笠間と並んで関東圏で唯一の陶芸の里だ。西村さんも個展をやったという有名なカフェ「スターネット」で1976年に内藤濯が自ら「星の王子さま」を翻訳したときのことを語った本があって、読んでみていろいろサン・テグジュペリと、この作品について新たな発見があった。

ひとつは、サン・テグジュペリは四六時中文章に向き合った、文学作家ではなかったということである。人生の大半を航空士として飛び回り、その多くの体験を、ごくごく一部の時間で書いていたということである。つまるところ、職業作家にならずともその人の経験が文章の内容的価値を決定しているという事実である。これは、最近、文章を生業とすべきか否か、と考え始めた自分への一つの答えであると思う。

もうひとつは、僕らが「星の王子さま」として認識している文学は、サン・テグジュペリ一人の世界観ではなく、内藤濯という訳者があってこそのものだったといえることである。この訳者がなければ、ただの「小さい王子(原題:Le Petit Prince)」のままであったといえる。彼が王子に「星の」という名前を与え、本文の内容も原著よりももっとも魅力的なものにつくりかえたことにより、原文より優れた訳文が生み出され、至高の文学作品として記憶されることになったことである。
はしがき 内藤濯

もはや二十三年ほど前のことである。児童文学に堪能な石井桃子さんが、美しいフランス本を私のところへお持ちになった。英訳で読んでみたのだが図ぬけて秀れた作だと思うので、いま私の関係している書店で本にしてみたい。で、もしお気が向くようだったら、日本語訳を試してみて下さらないか、とおっしゃる。おっしゃり方に、なみ大抵でなく熱がこもっているのに引かされて、石井さんがお帰りになるとさっそく、ページを繰りはじめた。そして何よりもまず、短い序文の結びとなっている一句「おとなは、だれもはじめは子供だった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない」というのにぶつかった。私は身のすくむ思いがした。おとなの悪さを、やんわりつついている志の高さに、頭があがらなかったからである。問題の書はほかでもない。アントワヌ・ド・サン・テグジュペリの「星の王子さま」(ル・プチ・プランス)である。

サン・テグジュペリといえば、今はもはや故人で、七月三十一日が祥月命日に当たる。二十歳の頃から、航空に宿命的な情熱を傾けはじめた異常人だった。したがって、肉体を底の底までゆさぶった経験といえば、なん度とも数知れぬ搭乗機の不時着だった。見はてのつかぬほどまで拡がっている砂漠に向かっての激突だった。したがって「星の王子さま」は、ただの作家の作ではない。航空士といたいけな王子とが、一週間そこそこ、人間の大地を遍歴する記録ではあっても、つまるところは、人心の純真さを失わぬおとなの眼に映じた社会批判の書である。

正直なとこと、私は石井桃子さんを介して、はじめてこの作の存在を知った。そして作者の無類な人間価値が、作の経緯となっていることに気づくと、昼となく夜となく、翻訳の仕事を進めながら、一方では、リズムに綾どられた日本語の発見を楽しんだ。読んで読んで読み抜いて、この作の値打ちに浸り、社会批判のくだりで、自分自身の愚かさをつつき出されたあげく、それに苦しむほどの人には、私がこの作に心ひかれているわけを、たやすく察して頂けるだろうと独りぎめしている。フランス文学と日本文学との間を行きつ戻りつしながら、童心のいたいけさを解きほぐしたこの作のために、こうお心打たれることになろうとは、まったく思いもよらぬことだった。サン・テグジュペリのおかげで、私はすくなくとも、ただの理屈で自分を縛ることの悪さだけは、知ったらしいのである。この小著は、サン・テグジュペリの生涯を追いながら、同時に私の心の中に住む「星の王子さま」を探し求めた私の生活の反映である。
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アルビン・トフラー「第三の波」1980年
ずいぶん久々に開いてみた。10年ぶりくらいに。そろそろ改めて読み直してみると見えてくるものがあるのではないかと思って。

簡単な解説

sustenaに限った現象ではないけども、NPOや、環境問題、社会問題に取り組んでいる世界にいると、すべてをエコの一言で片付けられ、禁欲的なものを求められ、その偽善的な空気を気持ち悪く感じる瞬間が多々ある。そんな時にいつも、問題はそんなに単純ではないんだ、と叫びたくなってこの本のことを思い出す。

地球環境問題、貧困問題、格差問題、規格大量生産文化、記号化社会、ゴミ問題、教育、時間、所有、その他諸々さまざま現代社会には問題が溢れているけども、その流れは「第二の波」つまり、産業革命以降の工業化社会に起因していると断言したのがこの本である。僕がこの10年間に関わってきたプロジェクトの大半が、この「第二の波」の影響によってもたらされた何らかの社会問題に対処するための企画提案及び啓蒙活動及びデザイン制作の仕事であったといえる。
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