秋に三条木屋町のMediaShopで見つけてから、ずいぶん長い間読んでいたけれど、読み終えたら冬になってしまった。
例のタウトと安吾の思想のぶつかりあいに対する一つの結論が、ここにあった。
賛美もせず、否定もせず。文化はたえず「編集」されてきたのです。
あとがき
(一行空きは中略)
日本を語るにはいろいろの方法があります。司馬遼太郎さんのように大きく「この国のかたち」を問う方法もあれば、網野善彦さんのように「無縁・公界・楽」というマージナルな視点で掘り下げる見方もある。けれども専門的な個々の研究を別とすると、おおざっぱには日本礼賛と日本批判に分かれてしまう危険性がまかりとおっているように思われます。これでは新しい見方は生まれない。海外の民族文化との比較という方法もありますが、あまり薦められないのは、たとえば「石と鉄の西欧」と「木と紙の日本」とか、箪笥に「たたむ日本」とハンガーに「つるす西欧」というふうに、やたらに東西を比較するやりかたです。こういった比較でなんとなく日本がわかった気になってくる場合があるとしても、ほんとうにそれで日本が見えるのか、これはいささかあやしいものです。それにこの方法では、中間部によこたわる多様なアジアの文化の変遷が抜け落ちてしまいます。
観音菩薩は古代ペルシアの、万葉集は古代朝鮮「郷歌」の、初期修道院のしくみは東ゴート王国の、千夜一夜物語はインドの「パンチャンタントラ」の、株式会社の前身コンパニアはイスラム経済システムの、マイセンの陶器は中国や九州の、新聞連載小説はトルコの、ピカソのキュビズムはアフリカの、アメリカの百貨店にティールームができたのは東京の百貨店の、それぞれ文化混入によって成立したのです。
そんなぐあいだから、いちいち「お里」を調べあうだけでは社会文化の本質は見えてきません。とくに日本はコードを輸入してモードに編集するのがたくみな歴史をもってきたので、日本の問題はおおむね「氏より育ち」にあります。
私は本書で、花鳥風月というしくみを通して日本のなかに流れてきたいくつかの重要なコンセプトを検討し、それらの生成過程や変遷過程をつないでみるということをしています。なぜ花鳥風月を話題にしたか、一言でいえば、花鳥風月とは日本人のコミュニケーション様式のためのユーザーインターフェイスだったのではないかというものです。
松岡正剛