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歴史上、たった一人の人間の考えた政策がずいぶん多くの人間の運命に影響することがある。


彼の考えた政策は多くの日本人にとって無関係では済まされない。

彼の持論だった政策によって、工場からの排出物によって深刻な環境問題が発生し、農村では深刻な後継者不足に陥いり第一次産業の衰退が起きた。彼の政策はもちろん、この国に良いことをもたらしたのだろうけども、僕らの世代は常にこの政策の副作用と向き合わなければなくなったとも言える。なんてことを、田植えの終わった田舎の水田を歩きながら考えていた。

そんな彼の考え出した政策とは、国民所得倍増計画。これについてはいままで漠然と 戦後の焼け野原から国民一丸となって・・・なんて漠然と思っていたけど、そんなシナリオを書いた人っていうのがやっぱりいるのだった。下村治。昭和35年、池田勇人内閣の経済政策の立案を担当した経済学者だったらしい。

身近なところでは、年末年始、GW、お盆の新幹線の乗車率150%とか、東名高速30kmの渋滞なんていうのもこの影響の一つなんだろう。うちの父親なんかが上野駅で感じているのであろう郷愁もその結果の一つだとも言えるけども、感覚としてはわからないし、僕自身には確固たる故郷が存在しないので、人の実家に行ったりすることでその感覚を追体験してみるけども、やっぱりわからない。けども確実なのは彼の描いたシナリオの上に今の日本があるということだ。
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日本が戦争に向かってしまったのは、明治維新以来100年近くも国内の貧富の差が激しかったことに起因し、それによって海外に富を求めるために、戦争を起こしたのではないかと下村は考えました。

需要ではなく供給、つまりものをつくる側が経済成長の起爆剤になると考えました。たとえば、供給側である工場が、技術革新により魅力的な新製品を作ったとする。すると消費者の需要も生まれる。それが日本中で同時多発的に起これば波及効果は足し算ではなくかけ算で現れる。その結果経済は爆発的に成長する。下村が自らの計算で行った試算によると、GNPで毎年一兆円以上、成長率11%という驚異的な数字でした。「日本は歴史的勃興期にある。日本人本来の勤勉さと工夫が光を放つようになれば、国民生活が向上することには、いささかの疑念もない」それを実現するためには、民間企業が技術革新に向かうよう政府が思い切って「減税」や「金利の引き下げ」を行うことが重要であると主張しました。

国民所得倍増計画の最大の目標は、農業と非農業間、大企業と中小企業間に存在する格差の是正。その実現のために今後10年以内にGNPを現在のおよそ13兆円から、26兆円に倍増させることが目標とされました。下村自身が制作した予測表に基づく、通称「下村プラン」によると、具体的に毎年どれだけ減税などの政策を実行すれば所得倍増が達成できるかが試算されています。下村のプランによると7年後に倍増が実現されると予測されていたのです。政策一年目、政府は日銀金利を戦後最大の下げ幅0.37%引き下げ、更におよそ800億円の減税を実施します。その一方で二年以内に9割の貿易自由化も決定。企業を海外との競争に向かわせます。これによって企業は一斉に設備投資に向かいます。これに技術革新が伴いました。

技術革新の波は家電製品の開発にも及びます。テレビジョン、電気冷蔵庫、電気洗濯機に、いわゆる三種の神器と呼ばれる製品が生まれました。2DKの団地に住み、三種の神器を備えることが庶民のあこがれのライフスタイルとして誕生します。日本の経済成長を支えたのは、集団就職によって農村からやってくる若者達でした。農家の次男、三男が工場労働者になり、以前より高い収入を得るようになります。集団就職は所得倍増の目的である格差解消に繋がり始めます。

結果的に、所得倍増計画は昭和42年、スタートから7年目に達成されました。この年発表されたアンケートでは、国民のおよそ9割が自分は中流だと答えました。所得倍増計画の最大の目的だった格差の大幅な是正も実現したのです。

昭和46年、下村はそれまでの成長論から一転、日本経済は減速すると主張し始めます。欧米に並んだ以上、海外からの技術移転ではもはや成長できないと見込んだからです。「日本は江戸時代のような姿になるのがいい、文化とか芸術とか教養に力を入れる時代になるべきだ」下村は来るべき低成長時代に向けてこう語っています。日本はその後も右肩上がりの成長神話を信じ走り続けました。下村はバブル経済まっただ中の平成元年6月にこの世を去りました。
| 昭和 | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
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