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「美しき日本の残像」アレックス・カー
アレックス・カーという、とても僕たちと似た感覚を持ったアメリカ人が情熱大陸に出てるというので、東京に戻って番組を見る前に著書の方を読んでみた。そしてそれはやはりいつものようにガケ書房に、まさに手を取って読んでくれといわんばかりに表紙を見せて一冊だけ置いてあった。

1993年、僕たちがウインドウズ95やインターネットなどのテクノロジーに浮かれに浮かれた直前の時代に、彼は一冊の本をまとめた。「美しき日本の残像」海外では「Lost Japan」という名前で翻訳されている。小さな頃から日本での滞在経験があった彼は、エール大学での日本学専攻を経て、自分の研究する日本は果たして本当に住みたい国なのかを確認するために、1972年に三ヶ月間に及ぶヒッチハイクでの日本横断を実行する。その最終到着地点の四国の山奥で、彼は「桃源郷」を発見する。そこは平家の落ち武者が住み着いた山里で、大正時代まではろくな道も無いまま、二十世紀まで保存されつづけてきた世界だ。そこで彼は一軒のうち捨てられた古民家を買い取り、独力で修復を始めることになる。二十世紀に入り、人々の生活に大きな変化がもたらされ、東洋での急激な変化は、著しい文化と自然の破壊を起こした。その頃、自分の家から出て行かなければならなかった人たちは、家からほとんど何も持ち出さず、置いたままでパッといなくなったように見えたのだという。
なかでも興味深かったのは、一九五〇年頃書かれた少女の日記でした。その中には祖谷(地名)の生活の貧しさ、家の中の暗さ、そして大都会に対する絶望的なまでの憧れが、涙と共に素直に書かれていました。その日記を思い出すたびに日本人はなぜ自然破壊に手を染めてしまったのか、なぜコンクリートと蛍光灯という生活環境の中に住みたがったのかが少し理解できるような気がします。その少女が十八歳になったときに日記は突然途絶えています。
そんな彼は、今、京都のボロボロになった町家を修復し、宿泊施設として作り替える事業を行っている。古くて住みにくくなった町家、古民家に住むことはただノスタルジーに浸るためにするのではなく、そこに新たに手を加えて新しいものをつくってこそ意味がある。





この本の最後に書いてある、司馬遼太郎がアレックスに言った言葉が、僕たちに与えられたミッションそのものだ。
「君たちは、まちがったときに日本にきた。五十年前か、それとも五十年後に来るべきだった」と、いった。
五十年前は、農村を水田ごしの遠景でみても、村の入り口から近景でみてもすべて秩序があり、どこからみても絵になった。五十年後にきてくれ、といったのは、むろん修辞である。そのくらい時が経てば日本人たちは今の乱雑さに反省して手直しをはじめるだろうという希望的観測によるものだ。
はたして二年、三年前の自分がこの本を読んだときに、これが最先端の出来事で、強烈なシンクロニシティを感じるほど共感できたのだろうか、西洋のモダニズムばかりを追求し、テクノロジーにのみ未来を感じていた自分が理解できたかどうかは、ちょっと定かではない。だから、どの程度の人が、番組を見てそれがただのノスタルジーではなく最先端の出来事であると理解できるのかなと思うが心配なのだけども、これがまさに、芸術、デザイン、建築、エコロジー、および文化の分野における最先端の出来事なのです。
(当時の日本は)おとぎばなしの世界っていうか夢の世界でしたね。
これはやっぱり美の国。
僕が子供の時代にそれがまだたっぷり残ってましたね。
悔しくて仕方がないのが、僕らは1960年代、70年代の日本の風景を見ることはできないってことだ。でも、悔やんでも悔やんでも仕方がないから、新しいものをつくり出すしかないんだ。

alex-kerr.com|美しき日本の残像
http://www.alex-kerr.com/jp/

庵 京都町家再生プロジェクト
http://www.kyoto-machiya.com/

チイオリ 
http://www.chiiori.org/indexja.html
| 日本の残像 | 23:12 | comments(0) | - |
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