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枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け 三浦梅園


実はめがねを買ってみた。生まれてこのかた、視力を補うことをまったくしてこなかったものだから、昔はきちんと見えていたのだろうけど、実は0.3くらいになっていたらしい。そしたら世界があまりにも綺麗で綺麗で綺麗なもので、千駄木から根津、上野公園、湯島を通り越して御茶ノ水まで延々と歩きながら世界を改めて見渡して見ると、人工物よりもむしろ自然物の精緻さに驚く。上野公園でちらっとのぞいてみたシャガールの展示よりも、公園のなにげない木の枝の先端のディテールに衝撃を感じたのでした。

そして三浦梅園を思い出した。江戸時代中期の哲学者である彼は、とかく私たちは派手で奇跡的なことばかりに驚くけれども、本当に驚くべきことは、毎年春になるとあたりまえのように花が咲く、そのことにこそ驚くべきではないか。珍しいものや珍しいことではない、ふつうにあるもの、ふつうにあること、花が咲くこと、人が生きているということ、そうしたことにどれだけ奇跡的なことが起きているのかということを、上記タイトルの言葉で言い表している。

今僕たちが生活している文明は、あまりにも作られた、記号化されたもので構成されているけれども、東洋やアメリカの、既に滅亡してしまった文明に(「日本の文化」も文明としては既に滅び去ったものだと思う)魅力を感じてやまないのは、むしろそれらの、現代の価値基準から見たら一見何の役に立つのかわからないことにと共存していたからだと思う。それを僕は勝手に複雑系の科学と名付けているのだけれど、そこにこそモダンや未来を感じてやまない。

そういえば、星の王子さまも言っている。

「本当に大事なものは、目に見えないんだよ」って。

僕はなんとなくその言葉に、梅園の言葉を重ね合わせて理解している。
だからね、季節の移ろいとか、一瞬一瞬の夕焼けの移り変わりがたまらなく好きなんだと思う。
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