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イサム・ノグチ 宿命の越境者
本を読むことにこんなにのめり込んだのは本当に久しぶりだ。すべてを読み終えてこんなに爽快なのは「犬と鬼」以来だろうか。この本は茨城県の笠間にある春風万里荘に行く下調べをしていたときに出てきた。かつては北鎌倉にあった北大路魯山人の住居に、一時期イサム・ノグチが住んでいたという。そのとき、イサム・ノグチは李香蘭との新婚だった。(李香蘭については過去に記事を書いた http://tamachan.jugem.jp/?eid=264


岐阜の市長に依頼されてつくった照明「AKARIシリーズ」は、サラリーマンでもデパートで購入できる彫刻であることをイサムは生涯自慢していた。

イサム・ノグチは、壮烈な運命に翻弄され続けたアーティストだ。その壮烈さたるや並大抵のものではなかっただろう。彼の運命は生まれる前から既に波乱含みだった。父、野口米次郎は、母、レオニー・ギルモアが身ごもったと知った時に、レオニーの元から姿を消し、日本に帰国してしまう。イサム・ノグチはこうして私生児として生まれた。時に1904年、日系人が徐々にアメリカ西海岸から排斥され、太平洋戦争にまで繋がっていく有名な排日移民法のきっかけとなる日米紳士協定が1908年に結ばれる。そのような状況下で日本人としての血を持つ子供をまともにアメリカで育てられないと判断したレオニーは、2歳のイサムを連れて単身日本へ移住する。このような日米のハーフであることによる二国間の問題は、結局1945年の終戦までイサムにつきまとうことになり、その後も広島平和祈念碑や、ジョン・F・ケネディ大統領の墓所のデザインが不採用になるという直接の理由になっている。

しかしその壮烈な運命と日米どちらの国にも帰属することのないという思いを、彼は、自ら作り出すアート作品に昇華させたのである。この一点において、僕はとても彼の人生に救われたという思いである。


イサム・ノグチの傑作の一つ。草月会館ロビー「天国」 東京・赤坂

また、彼はとても恵まれた人間関係を構築している点でも興味深い。
若い頃に野口英世によって医者ではなくアーティストへの道に導かれ、なんとあのバックミンスター・フラーは一時期彼に強烈な影響を与えたメンターだったそうである。(バックミンスター・フラーについてはこちら http://tamachan.jugem.jp/?eid=214)フランク・ロイド・ライトの嘆願書によって日系人の強制収容所から解放され、戦後は北大路魯山人という類い希なるパトロンの元に身を寄せていた。作庭家の重森三玲はイサムに日本庭園と石について教えた。(重森三玲についてはこちら http://tamachan.jugem.jp/?eid=275)そして、二国間に翻弄されつづけたことではこちらもぜんぜん負けていない李香蘭との結婚である。


モエレ沼公園。イサム・ノグチの遺作となり、2004年に完成した。北海道・札幌

この本で最も印象深かったのは、明治の日本に2歳の息子を連れて移住し、自邸の設計を8歳の息子にさせ、アーティストとなる将来を築くきっかけとなった母、レオニー・ギルモアの存在である。イサム以上に孤高の人生を歩んだ彼女の足跡については、映画化されるという話もある。

東洋と西洋の融合、モダンの追求者として、今の自分にとって適切なロール・モデルを得たような気持ちである。

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イサム・ノグチ - 宿命の越境者 (講談社文庫)
ドウス 昌代
| | 03:55 | comments(1) | - |
I can't read your language but yours photos is sooooooo nice.
So happy to find your blog.
Bon courage !
| kimnaen | 2008/12/05 1:21 AM |