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地球大学アドバンス 第14回 藤田和芳「日本のスローフードの先駆者」
地球大学アドバンス 第14回 藤田和芳「日本のスローフードの先駆者」
speaker:竹村真一氏×藤田和芳氏(大地を守る会会長)
date & place:2009.01.15
新丸ビル エコッツェリアにて

大地を守る会はとても土のにおいのする会社なのに、創始者である藤田さんは、常々、風のような人だなと思います。

今回はその独特の語り口を音声で聞いていただきたかったので、録音してきました。
http://www.sustena.org/tama/mp3/20090115_fujita.mp3(02h18m23s)146MB

実はこの会があった前夜、直接、藤田さんや竹村さんと話をする機会があり、そのときにカストロとゲバラについて聞いたことが、以下の内容なのですが、まさかそのような認識でいたとは思わず、ただただ驚くばかりでした。
藤田
1960年代当時、キューバ革命というのは、革命の亜流であって、本流はマルクスでありレーニンだと思っていましたね。カストロとかゲバラの話は知っていましたが、今回キューバに行こうと思ったのは、なんだかあっちが有機農業で盛り上がってるらしいぞ、と聞いたからなのです。

ほんとここ最近になって彼らの功績について本当の意味での理解をしつつあって、あの当時から既に多様性のある社会作りをしていたんだなあということを知ったのです。
今なぜカストロでありゲバラなのか。9.11を経て、金融危機を迎えて今本当に幸せとはなんなのかを問われつつある今だからこそ、彼らの功績が意味ある時代なのではないかと理解し、またそういう生き方に触れる良いタイミングであったんじゃないかなと思いました。

(22,230字)
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竹村
本日は、大地を守る会の藤田さんをお招きしました。私五年ほどまえからイタリアのスローフードなんかも視察していまして、スローって言うのはけっしてゆっくり食べることを楽しむためだけではない。ファーストフードというのはマクドナルドだけじゃないですね、もうなんでも促成栽培で、わずか五週間で出荷されるブロイラーであれ命の、まっとうに育ちまっとうに調理されていくプロセスがファストな形で工業化されていっている。そういうことに対してまっとうな生産者、まっとうな作り手をはぐくむ地域。そしてそれを大事にする暮らしのあり方それ全体をちゃんと担保していこうということがスローフードだと思いますし。やっと生物多様性を言う人が多くなってきましたが、多様な菌、多様な生物、多様な料理の仕方があることそのものが地球の担保であり最大の安全保障だ。イタリアのスローフードを持ってくるならそれより前からやっている骨太な動きがあるよ。それを日本でいちばんいいかたちで育ててこられたのが大地を守る会だと思います。33年やられてきました。創業当時からリアカーを引くことから始められたのだと思うんですがどういう経緯からそういうことを始められたのか。最近ではご一緒に100万人のキャンドルナイトなどの活動もしかけさせていただいております。そういう活動、そしてちょっと日焼けしておられますが、キューバに行っておられたんですね。さすが藤田さんキューバの有機農業に気配りされてるんだなあと思っていたのですが、予想されていたことより大きな成果があったようです。

藤田
いま竹村さんの話にありましたように、一昨日の夜にキューバから帰ってきたんですけども、ずうっと農村を歩いておりました。日焼けもしておりますけど、なによりも寝不足なんです。昨日から仕事始めたんですけどなかなかうまく仕事ができないくて、今舌が回りません。

まずは大地を守る会という団体を1975年にスタートしました。私は若干28歳でした。ご多分にもれず我々の年代は学生運動、ほとんどすべての大学にバリケード封鎖されたり、学生達がベトナム戦争に反対したり安保条約に反対したり、あるいは沖縄の返還をもとめたり、そういう極めて政治的な時代に学生時代を過ごしました。そのあと一般の企業に入っていくわけですけど、そういう自分が天下国家、世界や社会のことを真剣に考えていたにも関わらず、普通の小市民的な生活をすごしていることに素直に自分を見つめることができない時代を過ごしたんですね。最後に気がついたのが、社会を上から変えていこうということよりは、もっと原点である第一次産業っていう、もっともベーシックなところ、農業や林業、それから水産業のようなそういうところに自分の身をおいてそこから社会を見てみたいと思ったわけです。そこから大地を守る会という会をつくりました。大地を守る会の特徴的な所は、市民運動団体と株式会社大地を守る会と、二つ同時に動いている。車の両輪のように動いているというのが大地の特徴です。一方ではさまざまな環境問題に発言したりですね、農業問題についてさまざまな行動をしたりして、例えば原子力発電に反対したり、100万人のキャンドルナイトのような例えば地球温暖化の問題に対しても行動したいし、食べ物でいえば遺伝子組み換え食品に反対したり、そういう市民運動団体をしてるわけですね。もう一方では株式会社大地を守る会という形で、全国の農家の人たちがつくってくれた農産物を都市まで運んできて、消費者の玄関先まで食べ物を宅配するという事業をしております。組織は会員制になっておりまして、全国で登録されている農家が2500くらい、それを支え食べ続けている消費者の数が9万世帯を超えました。小さなレストランとか農産加工の会社を経営しておりますので、全体で事業高は165億円くらいになっております。

なぜこういうことをしたのか?っていう。もともと市民運動とか社会運動っていうのは、現在でもそういう傾向がありますけども、なにかをこう、政府を攻撃したり大企業を告発したり糾弾するということがありがちなんですね。私たちも学生時代にはそのような運動のパターンをとったわけですが。この農業の問題、農薬の問題とか環境の問題ということを考えたときに、特に農業の問題を考えたときに、農薬はいけないぞと。人間の体をむしばみ、それから環境を汚染する農薬公害をなくそうとしたときに、政府や農薬会社にデモをすれば済むかと(当初は)思ったんですね。もっと直接的には農家の人が農薬を使っているわけですから、農家のところに行って、あなたたちのやっている農業は間違っていると糾弾したり告発すれば済むのかっていうと、そんなことでは社会は変わらないと思ったですね。で、我々が行き着いたのは農家の人たちが農薬を使わなくても済むような生産の技術とかシステムをつくるとか、あるいは出来上がった農産物をちゃんと買ってくれる人に売ったりという流通をつくることをはじめて、それでやっと無農薬のたった一本の大根も、そうやってつくらないと状況を変えることはできないわけです。告発糾弾ではなくて、新しいものを提案するという方に変わらないと出来ないと思ったんですね。そのためにはどんな技術が必要なのか、出来上がったものは虫が食っていたり、あるいはちょっと形が悪かったり、そういうものが出てくるわけですけど、それが農協とか市場では相手にしてくれないのであれば、それに変わる新しい流通のありようとかですね、それから消費者の方に届いたときに食べ物に対する価値観が変わらないといけないわけですね。虫が食っていたら根引きしろとか、色が悪かったら返品しろというようなそういう関係性の中では安全な農産物は農家の方でも生産できないし、ましてやそういうものを流通させることもできない。最後の消費者の方の食べうるっていうことについての価値観が変わらないと、この三つの段階がすべて変わらないと安全な農産物が流通できないというふうに思ったわけですね。

そこから大地を守る会の活動を始めました。会社の全体の売り上げが165億円くらいっていう話をしましたけども、現在でも無借金経営です。借金をしていないということが自慢になるのかというふうに言われるときもあるんですけれど、私たちは借金をしないということが自立の証だとずっと思っているのです。今後苦しくて借金をするということもあるかもしれないけれど、でもこの社会的な起業といいますか、社会活動をしながら次の経済システムをつくっていくというときに、特に農業の問題では、時の政府の農水省の、近代農法の農薬や化学肥料をつかった農業政策に対して意義を申し立てながら運動と事業を始めたんですね。農業協同組合とかそういう人たちからも白い目でみられたり、ある所では農家の人たちはある種の妨害をうけたり、そういう環境の中で支持者を拡大していったわけですけれど、それを始めようとしたときにどこかから大きなお金を借りたりですとか、政府から補助金をもらったりしていったら、どこかで私たちの志が曲がってしまうかもしれない。自立というのは自分達の足で立つことだ。極端に言えば外からの弾圧や攻撃があったときでも自分たちの力で生き抜けるだけのそういうものをつくろうと思ってですね。従って、なるべく借金しないで歯を食いしばってがんばろうと思いました。

今、株式会社大地を守る会の株主は、23000人くらいいると思います。ほとんどは農家の人たちと、消費者の方が株主なわけですが、毎年普通の企業のように株主総会をやっているわけですけど、2万人を超えた人を集めた株主総会をできる場所を用意できないのですが。それでも毎年200人から250人くらい株主の人たちが集まります。ここ数年はそういう質問はないのですけど、株主の方から大地を守る会は今年もこんなに利益が出たのにどうして今年は配当してくれないんだと言われることがあるんですね。私は議長をやってますので私が答える他の株主の方が意見を言う場合があるのですが、他の株主の方が立って意見を言う場合があるんですね。その、配当してほしいっておっしゃった株主の方に向かって「あなたはいったいどういう気持ちでこの会社の株を買ったのかと、株式会社大地を守る会は、その設立の時に確かに株式会社を作るので、株主になりませんかと呼びかけたけど、それは日本の第一次産業を守るために株主になりませんかと、日本の環境を守るためにそのことに投資しませんか消費者の人たちの健康を守るために株主になってそのことに投資しませんかという呼びかけに答えてあなたは株主になったんじゃ投資したんじゃなかったのか?、どこかで気が変わって、個人的な利益とか個人的な配当が欲しくて株主になったのですか」という風に言うわけですね。まぁそのあまり辛辣には言わないけど、そういう個人的な利益がほしいのなら、もっと儲かる会社が外にはあると、言って、私たちはことあるたびに自分たちの存在が、社会的なミッションを達成するために役割があるんだと確認してやってきているわけです。それが、今、大地を守る会という団体が、外から見たときに社会的起業と言う、ソーシャルエンタープライズとか、ソーシャルアントレプレナーと言われるような存在になってきている、ということでありますね。

キューバに行ってきた話をします。なぜキューバに行ったかといいますと、もちろんキューバ革命という、カストロさんやチェ・ゲバラの痕跡にふれたいという気持ちもありました。しかし、本当の理由としてはキューバの有機農業の現実っていうものを見てみたかったんですね。キューバという国は1959年にカストロが政権をとって以降、アメリカからずうっと経済封鎖を受けてですね、非常に困難な道を歩いてきていたわけです。それをソ連を中心とする東欧諸国、特にソ連ですがアメリカに対抗して、ずっといろんな支援を続けていたのですけど、1991年、ソ連の崩壊とともにいきなりキューバにはソ連からの援助がなくなりました。1989年から1993年までの間に、ソ連、東欧諸国からの輸入量が70%も減ったといわれるくらい急激に物が止まってしまったんですね。食べ物も入ってこなくなりました。なによりも大変なのはキューバにはもちろん農業はあったんですけども、それはソ連からの農薬や化学肥料の援助、農業資材の援助が、あるいは農機具の援助というものがあって、キューバの農業が成り立っていたんですね。それがいきなりストップしてしまった。1100万人を超えるキューバの国民は食べる物がなくなってしまったんですよ。生産する手段もなくなってしまった。カストロはこの国家食糧計画というのを打ち出すんですね。それは化学肥料や農薬がなくても自分たちの土地をつかって食べ物を生産するんだ、という決意ですね。それはもう有機農業しかなかったんですよ。初めて有機農業に転換していったというところから、20年弱の間に有機農業では世界の最先端になっていったんですね。僕も一応有機農業ということについては経験もあるし、ものも見ているけれど、キューバがどのくらいのことが出来ているのかなと半信半疑で行ったのですが、本気になると出来るんだ、と。見事に有機農業をやっていました。カストロはこの国家非常時に国家食糧計画っていうのを打ち出すんですね。それは農薬を使わなくても化学肥料が無くても自分たちの土地を使って農業をして食べ物を生産するんだという強い決意です。それはもう有機農業しかなかったんですね。我々からみると1991年追い込まれたキューバが有機農業に転換したと。貧しい国がそうやって変わっていったというところから約20年弱の間に、キューバは有機農業というところでは世界の最先端になったんですね。僕も一応有機農業とかそういうことについては経験もあるし物も見てるし、キューバがどれくらいのことができているかなと、半信半疑で行ったんですけれど、本気になってやればできるんだと。日本だって本気でやったらキューバのようにできるんじゃないか、っていうくらい見事に有機農業をやってました。カストロはですね、まずは「あらゆる場所に食べ物を作れ」と言ったんですね。僕がみたものは、三っつに分けてですね、一つは家庭菜園を徹底してやれと、自分ちの空き地ですとかねそれから近所の公園でもビルの屋上でもいいから家庭菜園を徹底してやれというのが一つですね。それから国営の研究菜園というのを全力でやる。これは日本でいえば大学の農学部の農場だとかを、化学肥料に頼らなくてもできるようにするということです。それから三つ目が、凄く威力を発揮してたのが人民菜園と呼ばれたものでした。ソ連のクロホーズとかソホーズのようなものか、あるいは中国の人民公社のようなものか?と思って質問したんですけども「いやまったくそうじゃない」と言ってましたが。人民菜園というものが都市の周辺にものすごい勢いで出来ているわけですね。これはガレキのような場所でもなんでも、土地はすべて政府の土地ですので、一人の市民が農業をやりたい、と言えば土地を貸してくれる。あるいは5人とか10人とか家族全部でこの人民菜園をやりたいと計画書を出せば、種を貸してくれて農業資材も技術も提供してくれ、まったくゼロから農業を始めることができて。で、できあがったものは80%の農産物は国の指定するところに安く出しなさい、と、残りの20%はあなたたちが好きなところに売っていいですよというやり方をしていました。80%の方はどこにいくのかというと病院とかですね、小学校とか、あるいは妊婦さんが入るような施設があるということですが、食べ物は配給制ですから、そういう配給に回すような食べ物としてそれぞれの人民菜園が農産物の80%を出してくれとなっているわけですね。最終的には決算報告のようなものを政府に提出しながら、人民菜園というのはいろんなところに出来ている。

有機農業の質も「なかなかやるな」と思ったんですね。化学肥料がまったくないので牛糞とか鶏糞とかを使いながらそういう有機質を畑に入れていくんですけれど、それを分解するのに「みみず」をつかってました。僕も30年くらい前の日本にもみみず堆肥のブームっていうのが一度ありましてですね、山形とか新潟とかでみみずをやっている農家をずいぶん歩いて回ったんですけれど、それよりも凄い勢いでみみずをやってましたね。みみずっていうのは自分の体重の10倍の食べ物をたべてうんちをするんですね。牛糞とかある程度発酵したものをみみずがたべて。本当は牛糞をそのまま畑にまいたのではなかなか良い肥やしにならないですけれど、そこにみみずに噛ませて、みみずのフンが土になっていくんですね。みみずの堆肥をつくる工場にも行ってきたんですが。工場っていってもたいしたことはないんですけども。それを作って家庭菜園の人たちに安く売ってあげたり、人民菜園の人分けてあげたりしているのですが。そこにはなんと3300万匹のみみずがいました。しかも世界中にみみずっていうのは何百種類もみみずってのは居るんですが、日本のように大きなみみずはいなくて、キューバのみみずはみんな小さなものでした。このみみずはほんとに良いのか?って聞きましたら、彼らはみみずをとてもよく研究していて、生産力が非常に高いのはカリフォルニアの赤みみずと南アフリカの赤みみずだと。この二種類のみみずが最もよく食べて最もうんちをするので良い肥やしになるのだと言ってました。で、あとは我々が知っているフェロモンをつかって、雄雌の交尾を邪魔しながら害虫を防ぐ技術だとか、天敵を利用する技術だとか、本当に徹底してやってましたね。我々の周りの農家にもそのくらいまでのことはやっていますが、もっと大胆にやっているのは混植でしたね。効率は非常に悪いんですけども、葉ものの野菜の横にジャガイモを植えてトマトがあってカボチャをはわせてトウモロコシがあってひまわりの花があって、まるで畑そのものが雑草のようになっているんですが、どこの農家に行っても「効率が悪いけれどこれが一番いいんだ」って、言ってましたね。害虫はある種のいろ、におい、あじ、それから高さとか光の加減とかに反応するんですが。例えばある黄色い害虫は緑が嫌いだったりですね、それから光がほしいと思っているやつは暗闇が駄目だとか、そういうことが畑中に縦横無尽にあることが、ひとつの病気とかひとつの虫をはびこらせない、で、全体としてひとつだけ見たら生産量が少なくなることはあるのですが、でも全滅することはなくて。一つ一つは70%とか60%ぐらいの、例えば日本の人たちがやっているトマトならトマト、キャベツならキャベツと同じものをすべてつくるのですが。それから社会の作り方が、競ってどこかに高く売らなければならないというようなことはなくて、80%は政府の指示するところの小学校とか病院に持って行くわけですから、ほんとにちゃんとした見かけのいいものというよりは、安全で安定的に届けられるものを作ればいいのだ、という気持ちで農業をやってられるわけですね。ですから非常にゆるやかに農産物を作っているなあと思いました。しかも日本とまったく違うのは、国家を上げて有機農業を支援しているので、大学とか研究機関は全力でサポートしてくれるのですね。しかも、家庭菜園ていうのも、普通の主婦の人たちが家庭菜園を始めようとすると技術がなかったり、すぐに虫が来たり、病気が来たりということになるんですけども。というか食べ物をつくって自分で食べていくということですので、これも凄いなと思ったのは、農業相談店ていう、農業を教えるお店っていうのがハバナ市内にいっぱいあるんですね。ハバナ市内に52箇所あって、その周辺に450箇所ある。若い男性と女性が立っていてですね、そこへ家庭菜園をやっている人たちが、こんな虫がでてきてしまったんだけれどどうしたらいいか、とか聞きに来るんですね。その若者達は大学で有機農業を勉強した専門家なんですよ。一応はすべて答えることができるように訓練された人たちなんですけれども。そこで簡単な農業資材、それからみみずでつくった堆肥をわけてもらったり。それから相談は無料。でも畑で見てもらわないとどうしても答えられないものなので、その畑まで出かけていくとお金貰いますよと言ってましたが。一日休みなしに相談にくると言ってました。国家を上げて食べ物をつくっていくというやり方がどこまでも徹底しているなと思ったです。それから農民の給料は医者の二倍、って言ってましたね。キューバのお医者さんってのは世界的にも凄くてですね、キューバの国民は医療費はすべて無料です。なおかつ大学の医学生も無料。それから留学生、例えばアメリカ人だってキューバに来て医者になりたいって言ったら無料だ、って胸を張って言ってましたが。経済封鎖されていても私たちはアメリカ人を医者にしてあげると言ってました。医者の数が国民165人に一人、医者がいるってこれは世界一のレベルだって言ってましたね。しかも大きな病院に医者がいるということが主ではなくて、ファミリードクター制っていうのを採用して、つまり地域医療ですね。地域の人の健康状態を常に医者が把握してるっていうような医療制度をやってますって言ってました。我々のような観光客が行って怪我をしても全部無料だって言ってましたね。海外のなにか災害があった場合に、医師を派遣するということをラテン・アメリカが一番行っているのはキューバだって言ってましたね。それでもなおかつ農民の方が医者より給料が二倍もあるんだって。農家になる方がお金もたくさんもらえるんだって言ってましたが、しかしキューバ人は医者になりたい。医者になって誇りを持ってたくさんの人たちに尊敬されるような仕事をしたいと言ってましたね。

それから私が感じたのは、キューバという国は、人種差別が世界で最もない国だ、ってことを言ってました。町を歩いてますと治安もいいし、ほんとにたくさんのいろんな人種の人がいるんですね。もともとスペインの人たちが入ってきたわけですけど、ヨーロッパ系の白い人たちもいるし、インディオの混血とか黒人の人たちとか、いろんな人がいますけど、ほとんど仕事で差別されることは、少なくとも私が見た感じではありませんでした。普通の農家の家に訪ねて行ったときも出てきたおじさんはスペイン系の欧州系白人で娘も息子もみんなそうだったんですが、おなかのおおきい黒人の女の人が出てきて、そのお父さんは、俺の息子の奥さんだ。って言って。それでその女の人に食事をつくってもらって食べたんですけれど、まったくこうなんて言うか違和感が無く、自分に孫が出来ることをすごく喜んでいるし、その若者は自分の奥さんをいたわりながら家庭の中でうまくやっているのですね。人種差別が世界で最も無い国ということが、その光景一つ見ていてもその通りなんだなあと思いました。でもキューバ政府は人種の統計を発表していないって言ってましたね。人種差別に繋がるので発表していないって言ってましたけど。それでも黒人は10数パーセントかなと言ってました。キューバという国は外から見ていたのとまったく違うなと思ったんですね。

我々が学生時代にですね。ベトナム戦争に反対したり日米安保条約に反対したりというようなことをしていたときに。気分的には日本でも革命が起こるかもしれないと周りの人たちが議論していたんですね。実は昨日の晩も竹村先生とちょっと話していたんですけれど、我々の学生時代はやっぱりこう世界を、社会を、国というものを変えていこうというときに、国を変えていくモデルを、ヨーロッパとかそういうところに求めていたと思うんですよ。マルクスとかレーニンとか。国としてはソ連とかですね。あるいは中国の毛沢東とか。そういうところをずっと見ていたけれど、確かにキューバにカストロがいて、チェ・ゲバラがいてということはいろんな本で読んでよく知ってはいたけれど、しかしそれを少なくとも僕はそれを参考にするということはなかったんですよね。今回キューバにいってみて、ほんと貧しいですよ。もう50年も経済封鎖をされていて。あらゆる物資が入らない。農家の人に日本からのおみやげはなにがいいかってあらかじめ聞いていたときに、日本の石けんやタオルが欲しいっていうんで持って行ったんですけども、そういう当たり前のものすらないんです。で、その農家の息子が「この周りの土は赤土なので、農作業すると真っ赤にあれてしまうんですけども、その後デートに行こうとするとですね。そこに土が落ちないと。キューバの石けんでは土が落ちないんだっていうんですよ。日本の石けんは落ちる。日本の石けんで洗ってデートに行くと、もてる。って思っているんですね。そこまで経済的にいろんなところで追い詰められているんですけれど、しかし人種差別が世界一無いとか、医療費が無いとか、農民の給料は医者の二倍とか、しかもほとんど犯罪がなく治安もものすごく良いわけですね。それは一つはアメリカという強い強い圧力の中で、国民全体が必死に生き延びようとすることの優しさとかいうのもあるのかもしれないけれど、でもひょっとしたらカストロとかチェ・ゲバラのような人たちが作りあげようとした社会っていうのはスターリンとか毛沢東のやり方とはちょっと違ったのかな、と思ったんですよ。それは農業という分野を見て畑を見てですね、さっき言った混植、多様性をあらゆるところで認めているんですね。人種の問題もそうですし畑の問題も、キャベツならキャベツをつくるとかあるいはトマトならトマトをつくるってんじゃなくて、あらゆるものを混在させてその多様性の中で生きていくものをつくっている。スターリンのように一つのプロレタリアート独裁ですとかね、宗教で言えばある一つの宗教だけ信仰を求めていくとか、単一の社会をつくっていく。もちろんそれは効率がいいし支配もしやすくてそういう社会もひょっとしたらどこかと競争する場合には、軍事とかいろいろなところで強いかもしれない。でも、農業っていうものからキューバの社会を見たときに、ものすごいレベルで本当の意味での多様性が認められていて、人々は貧しいけれど胸を張って誇りをもって生きている。僕らに説明してくれた人は「キューバは今は食料もすごく足りなくて経済的に苦しいけれど、でもこうやって家庭菜園をやり、人民菜園をやり、研究機関がそれを支援してですね、で少なくとも飢えて死ぬ人がいない。こんなに強大なアメリカというものからの圧力を受けていても飢えて死ぬ人がいないということは我々の誇りだ」と。でしかもわずか10数年の間にソ連の援助がなくて化学肥料がなくていきなり有機農業に転換してここまでやれるっていう。なんだそれだったら日本でもやれるんじゃないかと。考えようによってはですよ。というのをキューバの中で私は感じてきましたですね。

僕は、日本の食糧自給率が40%であるということにひどく心を痛めているんですね。アル・ゴアさんの不都合な真実の上映運動というのがありました。日本中で五十万人とか七十万人の方が見られたというので見た方もおられるかもしれませんけれど、地球温暖化の問題をクリントン政権時代の副大統領であったゴアさんが、不都合な真実っていう映画をつくって科学的なデータをあらゆる方向から検証して、このまま温暖化が進行したら地球はどうなるのか、人類がこれからどうなるか、繰り返し繰り返し言っている映画でしたが、いま言おうとしているのは地球温暖化の話をしようとしているんじゃなくて、その最後のところでアル・ゴアさんが言ったことなんですが。「私が生まれた年に世界の人口は20億人だった。それまで人類は1万世代を経て地球の人口は20億人になった。アル・ゴアさんの年齢はたぶん私と同じくらいですから、1947〜8年くらいに世界の人口は20億人だったと思いますね。1世代は20年とか30年だとしても、20万年とか30万円というような気の長ーくなるような、長い長い年月をかけて世界の人口は20億人になった。それがいまどうですか?世界の人口は65億人ですよ。私が丁度還暦になろうとしているときにを世界の人口は65億人になりました。私がもしみなさんと同じように平均年齢まで生きるとして、たぶんアル・ゴアさんは2025年くらいのことを言っているんじゃないかと思ったんですけれど、私が死ぬ頃に世界の人口は95億人くらいになると科学者達は言っています。私のたった一世代で20億人から95億人になる。科学者達が言っている紛れもない事実だと。世界の食糧はどうなりますか。世界の環境はどうなるんでしょうか。エネルギーはどうなるのか。とゴアさんは言ったんですね。その中の「食べ物はどうなるんですか」という問いかけにことに僕はピリピリっときたんですよ。こんな勢いで人口が増えていったら、我々の世代はうまいこといって平均寿命まで行くことができるかもしれないけれど、次の世代、次の次の世代は明らかに食べ物が不足するような時代に入っていくかもしれないですね。どんな知恵を働かしてももうダメなのかもしれないけれど、少なくとも世界はそういう方向に向かっているときになんで日本という国は自給率40%なんていう数字でですね、平気な顔をしていられるんだろうと。お金があれば世界中から食べ物を持ってこれるのはもう何世代も前の話じゃないかと思うんですね。そうじゃなくても地球温暖化の問題があったり、耕作地の砂漠の問題があったり気候変動の問題があったりして、食べ物が地球上から少なくなるというのに、日本という国は政策的にはキューバのような政策は採らないわけです。あらためて日本の農業の現実というのを見てみるとですね、私はいつも名刺に日本の耕作地とか書いてるんですけど、日本の耕作地は全部で約457万ヘクタールあります。このうち耕作放棄地という、本来は田んぼや畑だった場所で放棄している、が約39万ヘクタールあるわけです。もうひとつ、不作付地が約20万ヘクタールあるわけですね。耕作放棄地というのは農家の人が高齢化したり、息子が東京に行って帰ってこなかったりして、もう何年も農作物をつくっていない放棄された土地のことを言うんです。不作付地は、たまたま今年お母さんがぎっくり腰になったとか、お父さんが病気になったとかで本当は作るんですけれど、作っていない土地。減反政策の減反なんかもここにカウントされるんですけれど。併せて59万ヘクタールですね。ものをつくろうと思えばつくれるのにつくってないんですよ。日本の耕地でいえば十数%あるものがまったくなにも作らないで遊ばせているわけですよ。それでつくらない上に海外から食べ物を大量にもってきているわけですよ。世界中で八億五千万人が飢えているのに「なんということをしているのか」と思うのです。日本が買わなければもう少し国際価格が下がるかもしれないのに、お金をたくさん持って、飢えている人がいるのに、構図上はですね、そういうやり方を日本はやっていっている。しかもこのあと農業の技術が伝わらないとか、農民の数も減っていくとかもっと日本の農業は衰退していくかもしれないという気持ちで日本の農業をなんとかしなくちゃいけない、という気持ちでキューバに行ってみて、日本の政府の人や学者の人たちも有機農業で国民が全員食べていけない、そんな技術は有効でないとかいろんな意見を言う人たちはいますけれど、キューバの現実を見て、国を挙げてやろうと思えばできるのだなと思ったんですよね。とりあえず僕の話はそんなところです。

竹村
とても話の内容もさることながら、お人柄が伝わる話をいただいたと思いますけれど。僕も残念ながらそういう視点ではまだキューバに行けてないんですけれど、ずっと注目していたのは有機農業、ソ連からずっと石油も提供され、化学肥料も提供されてきたのが、全部ストップしたときにそれまでは農業といえば全部サトウキビ畑であったと。輸出用の外貨作物でしかなかったんですね。だから自分たちが食べるものではなかったわけです。そこで急に大パトロンでサトウキビを高値で買ってくれるソ連が無くなり、逆に自分たちで食料も入ってこないからつくろうと思っても、田舎でつくってもそれを都市まで運ぶトラックを動かす石油もない。やっぱり化学肥料もないので有機農業にならざるを得なかった。それで耕作地が都市にあるかっていうと無いからコンクリートをひっぺがして農地をつくった。一時期は北朝鮮と同じような状況であったが10年くらいでV字回復した。これはどういう統計の取り方によるかと思うんですけども、ハバナ200万都市がですね、かなり基本的に自給しうる体制を今つくっている。これは有機農業とか都市農業の成功例ということもありますが、もっといえば近未来の地球の状況を先取りして実験してくれた一つの大変な参考例ではないかと思っていたんですね。先ほど、農業これから90億になる地球を食わしていくことができるのかということがありますが、僕は藤田さん以上にやっぱり大きな滝壺が迫っていると思っていて、黄河の枯渇、あるいは源流ヒマラヤチベットの水資源が急速に枯渇しているんですね。同じようにインダス川ガンジス川、アジアの源流が枯れていく。そうするとインド中国東南アジアだけ併せても30億くらいの人がいて、その人達を食わせる。基本的には20世紀中には自給していた30億の人たちが食えなくなっていくっていうときに地球の人口の半分近くがこれからそれだけ大変な、食料を輸入しなければいけない大マーケットとして地球貿易に大参入してくる。お金があれば食料が買えるという時代が極めて近い未来になくなっていくことははっきり見えているし。中国はそこで作れなくなったぶん、地球の裏側のアマゾンを毎日山手線内くらいの面積を伐採しながらどんどんアマゾンでは毎日開拓が進んでますけども、その中心的なものが中国による遺伝子組み換えの作物だったりする。そういうことについて大地を守る会は警鐘を鳴らしてこれてますけども。遺伝子組み換え作物も、この地球から多様性をなくしていく非常に大きな原因の一つですね。ファーストフードの一つの大きな形だとも思いますし、そうすると、どう量を確保するのか?という問題もあるけれども、その量の確保の仕方で、アマゾンをあんな形で開墾してると20年後に、アマゾンの広大な森林が60%も失われる。そうするとアマゾンのような広大な森でも決してサステナブルではないわけですよね。地球人口をサステナブルに養っていけるだけの耕地をつくろうと思って中国はあそこに進出して、で、一世代分も持たない勢いで伐採は進んでいるから。そうするとどんな形でそういう農業を展開していくか。農業の量だけでなく質がすごく問われていく。そのときに量の問題だけでなくて質の問題まで含めてキューバっていうのは近未来の地球の状況をスモールスケールではあるけれども、東京の我々からしても決して縁遠くない、つまり200万都市幅ですからね、200万都市なんて日本でもそうそう無い。それだけのところが農業を中心としてもっていけたっていうのはものすごい参考例であります。これはほんとに僕もちゃんと学ばないといけないことだなと思ってましたし、そこを藤田さんが見てこられたということが印象的だったんですけども。このままだとキューバ談義になってしまうのでちょっと話をもどします。

現代だからこそこれだけ食と農に関する近未来の滝壺が見えている状況だからこそ地球の食はどうなるのか。藤田さんが大地を守る会を始められた頃っていうのは、良い社会をつくろう、学生運動がああいう形で終わってしまったけれども、その変わりになにをやろうっていうときに、食の選択っていうのはどういうところから出てきたのか。食とか生命っていうのはですねぇ、さきほどキューバで農民の給料が医者の二倍だっておっしゃりましたけども、真っ当なことだと思うんですね。中国医学なんかでも病気になってから病気を治す医者は二次的な医者、二次的な医学であって、第一次の医療は病気になる前に直す。医食同源というようにどういうものをどういう季節にどういう形であるいはその人の体質に合わせて食べるか。それそのものが壮大な医療行為であり、生命を調律していくようなプロセスだって考えると、食とか農のありかたってほんとに人間の命をコーディネートしていく根本だと思うんですけど、これは現代だからこそ言えるようになってきていると思うのですが、あの頃どういう気持ちで藤田さんが社会運動として食とか農っていうことを考えられたのか。

藤田
そんな大げさな、高い志があったわけではなくてですね、いろんな偶然が重なってそういうことになったんです。まぁ振り返ってみて、こういうことだったんだなぁと言えるのがありきたりなことですけど一つの本に出会ったことですね。有吉佐和子さんという方の複合汚染という小説に出会いました。この本には日本の農業っていうのは戦前の辛い、辛い労働、牛や馬を使って腰を曲げてやる労働からも解放されたし、それから虫や病気も専門に出てきた化学肥料によって防ぐことができるようになってきた。生産量も何倍も収穫できて、農村の人たちは良いことづくめのようにも見えるけれど、でも失ったものがあるのではないかという書き方がされていたんですね。昔農村に居たみみずもまったくいなくなったではないかと。小川にいたドジョウもいなくなったし、トンボも飛んでないし、夏になると飛んでいたホタルもまったくいなくなった。近くの森にも鳥のさえずりも聞こえないようなそんな農村風景になってしまった。これは農薬の力で小動物が消えていっている。小動物の世界で起きていることはそのうち人間の世界、人間の体にも起こりますよ、って書いてあったんですね。すべてこれの通りに書いてあったかどうかはわかりませんが、複合汚染という小説を私は読んだんです。私は元々東北の岩手県の農村の生まれですので、そこに書いてあったホタルとかトンボとかみみずっていうのは僕の原体験にあったし、そういうものが消えていく、丁度そのきっかけになるときに東京に出てきたんですね。そういうものが丁度なくなってしまって、農民は生産量が上がって余裕ができて、お金は楽になったけども、いろんなものを失っているというときに、他の人よりも強くこの有吉さんの警鐘を僕なりに感じたんですね。

もう一つ影響をうけたのはたまたまサンデー毎日という週刊誌を読んでいたら、一人のお医者さんの話が出ていました。水戸に住んでいるお医者さんだったんですけど、このお医者さんが戦争中に実は毒ガスの研究をやっていた。記事にそう書いてあったんですが、旧満州でソ連軍に捕虜になってシベリアで長い長い抑留生活をして日本に、新潟港に帰ってきたときに頭から真っ白な粉をかけられた。今から言えばそれはDDTだったんですが、シラミとかそういうものを駆除するために当時は頭から全部DDTをかけたんですけれど。そのお医者さんは「なんでそんなことをするんだ。これは私が研究していた毒ガスの元ではないかと」で、まぁ強く抗議したんですけれど聞き入れられない。酷いことをする。しかも彼は抑留生活の間非常に精神をやんで、このあとどういう人生を送ったらいいかわからないという状態になって、日本に帰って来たんですが、すぐにふるさとに帰らないで昔の戦友の家を転々とするんですね。その転々と歩いているときに、日本中の田んぼや畑に、私の頭の上にかけたあの白い粉が撒かれている。あの、すべての生命を殺し尽くすような強い毒をもったDDTが巻かれているっていうのを彼が見るわけですね。なんという酷いことが日本の農村で起こっているんだと。で、生きる希望も何もなくなって日本に帰ってきた高倉さんというお医者さんなんですが。そうだ、自分は医者だったんだということに気がついてですね。この白い粉を撒いた田んぼや畑で出来た食べ物を食べる人たちはいずれ中毒になるだろう。いずれ病気になって患者さんが出てくるだろうと思って、医者が必要だ、故郷に戻ってもう一度医者になろうと思って茨城の水戸に帰ってきて医者を始めるんですね。何年か経った頃、案の定、農薬中毒になった患者さんがやってくる。もともとミネラルの研究者だったので、土壌を改良すれば農薬や化学肥料を使わなくても農業ができると思って、土壌改良材をつくったんですね。それで近所の農家の人たちを一件一件説得して歩いているということをサンデー毎日が記事にしていたんですよ。タイトルが「毒ガス博士、今はきちがい博士」という記事が出ていたものを僕が読んで心惹かれるものがあったんです。これがきっかけです。

高倉先生のところには二、三回訪ねているうちに、そのお百姓さんのところに連れて行ってくれました。彼らも「私たちも本当は農薬なんか使いたくないんですよ」と言うんですね。「自分の妻が妊娠したら、絶対に農薬なんか撒いたビニールハウスには入れないぞ」と。誰よりも農薬の怖さを知っているんで。だけどもし農薬をつかわないでつくったものを、誰が買ってくれるんだ?って。農協や市場にトラックで運んでいくと、必ず抜き打ち検査っていうのがあって、あ、虫食いのキャベツがあるってわかると、トラックいっぱいのキャベツが2000円になってしまうんですね。そんな値段で買われたら農業なんてやって食っていけないから、どうしても無農薬でなんて作れない。それでどうしても農薬をつかってないものを作れない。市場も農協も買ってくれない、ってみんな言ってるんですね。その話を聞いて僕は、生協だったら買ってくれるだろうと思ったんですよね。たまたま学生時代に知り合った人たちに生協の人がいたんですね。それで農家の人たちに生協に売ったらいいと言って一緒に生協に行きました。生協の人たちの前で話をして、彼らは「いいですね、いいですね」と。複合汚染の話もして、ホタルもミミズもトンボもみんな死んでいく。みんな農薬のせいですよね。いいですね、ほんとそのとうりですね。って言ってくれて、最後に、ところで値段はいくらでしょうねという話になったときにお百姓さん達は「高く買ってくれとはいえないけれど、無農薬でやろうとすると2割は虫にやられちゃうんですよ」って言ってそれくらいは面倒見てくれませんかと言ったんですね。それは高いっていうことですか?という話になって、生協の人たちは高いものは支持されないと言われて、結局買ってはくれなかったんですよ。なんていう酷い生協だって思いましたね。まぁ、あいつがきっと頭が固いやつで、昔の学生運動やってたときに僕のことをあまりよく思ってなかったのできっとダメだったんだなと思って、また別の生協に行って、同じような話をして同じように聞いてくれたんですけれど、それを何回か繰り返して、結局はどこも買ってくれないということに気がついたんですよ。お百姓さん達も、なんか偉そうなこと言ったのにダメだったねって言われて。

それで最後に自分たちで売ろうと思って、江東区の大島団地っていうところに知ってる人がいたんで行って、そこでござを引いて、野菜を持ち込んでバナナのたたき売りのように、無農薬ですよ、安全ですよって言って売り出したんですね。そこを通りかかった主婦たちが「これを子供の頃に食べたトマトの味よ」って言ったんですね。いまから思えばそのとき通りかかったひとたちは僕と同じ年代の田舎から出てきた人たちだったんですね。田舎で食べた味、水の味が全部(記憶に)残っていて、それとは違うものを日々食べていてじれったさを感じていたときに、無農薬のトマトに出会って「絶対いいわよ」って評判になって、隣の大島四丁目団地でも始めることになり、持って行って売り切れになるのといやなので、だんだん注文されるようになっていく。そこでたまたま通りかかった練馬区の区会議員さんかなんかが、あらいいわねっていう話になって、場所は近くの公園借りておくからっていってどんどん拡がっていく。当時サラリーマンだったので、土曜日日曜日はそうやってやっていたので、今度は水曜日に来てほしいって。それは行けないので、学生アルバイトをつかったりしながらやっていったんですけど。当時出版社に勤めていたんですけれどだんだんいやになって、妻が働いていたんですけれど彼女に頑張ってもらえばしばらくいいかな、と。笑。と思って独立したんですね。八百屋になっちゃおうと。ホロ付きのトラックを買ってですね、トラックに「頑固な八百屋」って書いて、野菜を売っていく。それが大地を守る会の始まりですね。

竹村
そういうところの方々は、生協が言った「高いのね」っていう何故高いのかっていうことに納得づくで買ってくれたんですかね?

藤田
そうですね最初の消費者の人たちは、当然お百姓さん達のこともわかるし、1割2割は(収穫量が)減っていく。自分たちが安全なものが欲しいというときにこの農家の人たちがいなければ安全なものが手に入らない。我々もそのときにいろんな言葉をつかっていくんですけど、このじゃがいもやキャベツは単なるモノじゃないよとある種の文化の固まりだという農家の人たちの知恵とか経験とか、あるいはその土地の季候とか風土が凝縮されて、なおかつ彼らが来年も生きていく保証をしてあげないと、安全なものが入ってこないわけですので。対等にやっていくためにはこの価格が必要なんだって話をすると、少なくともこうやって直接話をした人たちは解ってくれたですね。さきほど申し上げた生協がぜんぶダメだって言っているわけではなくて、生協も今はそういう有機農産物にだいぶ理解もあるけど、当時我々が考えた方式は、、、生協ですら大量生産大量消費という流れの中にあるんだなという状況だったわけですね。たまたまその生活協同組合、生協っていうのは消費者の生活を防衛するっていう時計を一個千円だけど、一万個まとめて買うから一個を800円にして、ってつまり間をぬいて産直っていう形にすると値段が安くなる。それが消費者の生活を防衛するっていう考え方で生協はやってたと思うんですよね。ですから数の力をたくさん集めて値段を安くする。そこへ、そういうことじゃない有機農業っていうか、そういうものが入ってきたときに、すぐに変わりきれなかったんだと思うんですよね。で、我々が目指していたところが大量生産大量消費という社会が向かっていくこととは違ったんですよね。

竹村
量を増やすことで、コストを安くできたり、あるいは効率化できたりっていうのは、工業製品の論理ですよね。ほんとに工業製品の論理では農業はできないっていうことが、あの当時農業をやっている人にとっては当たり前のことだったと思うんですけど、社会全体の中では逆に工業製品でないと受け入れられなかった。それはどうしてそういう論理の断絶っていうのが起こっていったんですかね?

藤田
効率をよくするために単一化とかを求めていったんだろうし、最終的には人間は幸せになりたいわけですけど、幸せになるためにはものがたくさんあったら、とか、お金がたくさんあったら幸せになれる。そういう社会に向かって戦後日本の社会は一斉に進んだんでしょうね。労働時間をなるべく短くして、なるべく給料をたくさん欲しいと、質を問わないで数字の世界で労働運動も成り立っていった気がするんですね。学校給食なんかでも給食費が安ければとか、たくさん食べればいいとか、数字の世界だけで追いかけていってそれが社会の豊かさとか人間の豊かさだと思っていったんですね。日本中そういう流れだった。これは工業の世界でもそうだし農業の世界でもそうです。東京から大阪まで行くのにかつでは8時間くらいかかったものが、3時間とか2時間くらいで行けるようになり、短くすることがいいことだとみんな思ったんですね。そういう流れのなかに有機農業っていうのはまったく違う。スローなフードっていうのは、それとはまったく違う価値観を提起するような流れだったと思うんですよね。何年か前に藤原正彦さんていいましたっけ、国家の品格っていう本にも戦後一貫して日本はアメリカのようなものを効率や生産性を追い求めてものやお金がたくさんあったら人間は幸せになれると思って、アメリカンドリームのようなものをみんな追い求めていって、ここまで生活を変えてきたけれど、結局どうなったんだ?と。なんと品格のない国になってしまったんだと。僕はそんなふうにしかあの本を読まなかったんですけども、豊かになろうとみんな一斉に走ってきて、品格が無くなって、企業としても品格がなくなっていって、ライブドアの社長のような方が出てくるとかですね、それから人間も品格のない人たちがたくさん出てきた。それでいいのかと書いてありましたけども、近代農業として政府が進めてきた近代のありようというのは、みみずとも共生できるような有機農業と、まったく違うものだったと思うんですね。社会の作り方、人間と人間の関係性、あるいは人間と自然との関係もまったく違うものを提起する内容だったんだろうなと思うんですよね。そういうことができないとみんな言ったんですけども、最初に大地を守る会に野菜を提供してくれた農家は、農薬を買わないっていうだけで、村八分になるようなですね。無農薬で野菜なんて絶対できるはずがないって、学生運動崩れが八百屋なんてやっても絶対うまくいかないとか、有機農業で食糧自給率100%なんて絶対できるわけがないとか。それは農業の近代化とか工業化した社会とか、石油に依存した競争原理の世界でなけば健全な社会じゃないんだって、みんな言い続けてきたけれど。ここまで来て有機農業だってやれるじゃないかと。国の法律だって有機農業推進法だって出来るまで変わったじゃないかと。大地を守る会っていう団体は金儲けを前面に出してこないで、社会を変えるだとか日本の農業を大事にするっていうことをポリシーとして。出来るはずがない!って言われても30年も続いてきた。しかも無借金経営じゃないか。日本だけじゃなくしかもキューバがやっているじゃないか。まったく違う価値観の国の作り方っていうことに、もっと謙虚になったらいいんじゃないかって思うんですよ。

竹村
ほんとに国レベルでやっていくってときに、ほんとに関係を作っていくってことですね。そういう話はほんとによく聞くんですけど、無農薬無肥料でリンゴをつくってられる木村さんも、最近ではテレビに出たりしてますけれども、三年くらい前はほんとに村八分だった。10万ていう規模になってきたときに膝をつき合わせて話すってことはできないですよね。そこでどうしているのか。ゆっくりしたジャンプがあると思うのですけども。

藤田
印刷物もありますけども、ウェブをつかうということもありますけども、最も大事にしてきたのは、祭りに参加するとか、年間で200回以上そういうイベントがあります。秋口なんかは必ず生産者と消費者の交流が毎週土日に必ずある。ずいぶん世の中が変わってきたなぁと思うのですけども。80年代、つまりバブルの頃までは消費者の人たちがうまく集まらなかったのですよ。打てば響くような関係ではなかった。90年くらいから少しづつ生産者が農地に行ったりするようになったんですよ。2000年を超えてから、ぐーーっと増えてきた。男達が農地に行くようになったんですよ。食べ物のことは女子供の世界だと、まさにどれだけ利益が上がったのかということだけ会社の中で議論されていて。週末はゴルフに行っていてなんで田んぼにいって泥に汚れるようなことをしなければならないんだっていうようだったと思うんですけども。ここ数年の関東圏の生産者と消費者の交流は、ほとんど抽選ですね。三浦半島のトウモロコシ狩りは1500人とか集まるんですよ。トイレのこととかいろいろ問題があるので、500人くらいしか入れられない。僕は農家の生まれなので、なんでジャガイモなんて掘って楽しいのかと思うのですけども。30年まえに声を枯らして買ってくださーいって言ってた時代とはなんて変わってきたんだろうと思います。何年か前に北朝鮮がテポドンを日本海に打ち込んだことがありましたね。そのとき僕は能登半島で勉強会をしていたんですけども、農家の人たちはその話題でもちきりだったんですけども、テポドンが日本海に向けてミサイルを撃ってきたと。ならばこちらから先制攻撃するべきだというような風潮すらありました。戦争というのは相手のことがわからないといきなり戦争が起こってしまうけれど、本当はそこに自分の信頼する友達がいたり、愛するものがいたら、なんでそんなことが起こったんだとその人たちに聞くだろう。関係性をつくるということが戦争の最大の抑止力であると思う。今日本と北朝鮮はそのようなことになっていないけれど。あなたたちと消費者の方達もそうだったでしょう。そういう形で社会は健全になるだろう。と、僕はあのとき能登半島で農家の人たちに話をしました。

竹村
顔が見える相手にリスペクトする。品格っていう言葉で呼ばれることっていうのは、そういう関わりの中にしか生まれないことだと思いますから。品格っていうのはまさにさきほどおっしゃったことにしか生まれないと思います。大地を守る会には20年来大変な恩義を感じていまして、こういう安全な食べ物が食べられるとか、理屈の話じゃなくて、日々感動、本当の人参を噛んでいるときの感動。その土に寝そべらせて頂いたときに、不思議な暖かさがあったりとか。僕はそういうことに男達も参加するようになってきたっていうときに、大事なモノに触れているというか、本当に人間の五感を発揮してくれる、感性・知性を発揮してくれる。藤田さんがやってこられたことっていうのは、安全性、それから消費者と生産者の切れた関係を繋ぐことから始められたんだと思いますけども、経験を提供するような産業に入ってきていると思うんですよ。

藤田
僕は世界の平和にも貢献したいんですよ。国債を推進しているのですが、国内でとれないもの。バナナとかオリーブオイルとか珈琲もそうですけども、そういうものを輸入しつつ、ものを通じながら関係をつくることをしたい。今、一番心を痛めているのはパレスチナです。今、仲間達がやろうとしていることが、救援物資をガザの西岸地域に入れることをしようとしています。ガザに運び込もうってことを準備しています。来週くらいから大地を守る会の会員の人たちに食べ物を送って支援しようっていうことをよびかけようと思っているんです。パレスチナにだいぶ通っているんですが、オリーブの木が、下から上を見上げると荒れているように見えるんですよ。イスラエルとパレスチナの人たちの関係が非常に厳しいので、上に住んでいるイスラエルの人たちが、自分の娘が襲われるとか過激派の人たちが襲ってきたとか思って、下の人たちにライフルを打つんですよ。

ここに農道があったらいいなあと思って、1km、100万円くらいでできるって言うんですよ。パレスチナに平和の農道をつくろうと呼びかけました。かつての学生運動の仲間には、飛行機を乗っ取ってパレスチナと連帯をしようとしてきた人もいますけど、僕らにはそれはできないので、農道をつくろうということだったら僕らにふさわしい平和貢献なんじゃないかって思ってお金を集めて、またパレスチナに行って農道をつくりました。一昨年パレスチナに行ったら、1.3kmの道が本当にできていて、こんな風に道をつくってくれるっていうことを、それをやってくれたっていうことが非常に嬉しいと言ってくれました。大地を守る会は、そういう、農業を通じて我々のやり方で世界に貢献したい。

竹村
海外の関わりっていうのはどういうところから始まったんですか?

藤田
例えば、竹村さんのような人に紹介されたりとか。当時オリーブオイルを小豆島から買っていたんですけども、生協とかいろんな人が買うようになってきて、足りなくなってきたときに、たまたまフランスのNGOの人たちから、アラファトを守ろうとした運動をした人がフランスにいるんですが、その人からオリーブを買うのならパレスチナがいいんじゃないのかって思いました。そこから入っていったっていうことですね。

竹村
ものを買うときにも大地を守る会ではただのものではないんですね。ものの奥に誰がいるかということが大事なんですね。


世界で一番格好良い男 チェ・ゲバラ
http://tamachan.jugem.jp/?eid=506

100万人のキャンドルナイト インタビュー 藤田和芳
http://www.candle-night.org/musubi/03.html

1969年、機動隊突入前夜の席上で
http://tamachan.jugem.jp/?eid=315

木村さんのリンゴ
http://tamachan.jugem.jp/?eid=244
| ログ | 00:05 | comments(3) | - |
全部読ませていただきました〜!ありがとうございます!
キューバの家庭菜園の様子は年末にテレビ番組で見て、
興味を持っていたし、僕も挑戦したいところであります。
自給率40%って、よく考えたら本当に危険ですね。。
| kawabe | 2009/01/20 1:02 AM |
なんか必死で文字打ったけれど、音声聞いた方がいいよ音声。
| tama | 2009/01/20 1:19 AM |
早い!すばらしい記事です。
音声もダウンロードしたよ。
ロンドンバスに揺られながら、
iPodにいれて聞いてみます。ありがとう!
| yousakana | 2009/01/20 9:26 AM |