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ワークライフバランスなどという言葉は死語だ!
ワークライフバランスなどという言葉は死語だ!死語以前にナンセンスだ!
本日は長文です。本気で書いているので意味がわからないことも多々あるかもしれません。

さて「仕事=趣味」でありたいと多くの人はそう思うであろう。理想ではあるし、最近の僕はそうなりつつある。しかしそこまで来るには大変時間がかかった。少なくとも10年かかったことになる。18歳でelephant designに居たときはすくなくとも、ワークライフバランスという概念があった。12時間(労働基準法では8時間と定められているやつ)を会社に捧げています、みたいな概念の中で仕事をしていた。

その後、20歳で会社をやめたときに、その概念が崩壊した。しかし、仕事=趣味とまでは、まだぜんぜんたどり着かないのである。その次に来るのは「死の恐怖」だ。食っていかなければならないことに従属してしまうのだ。それは、会社から自由になるだけでは、到達されないものなのである。死の恐怖から解放されるにあたって「スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチ」と西村さんの「自分の仕事をつくる」という書籍から得たインスピレーションは大きいし、その二つがなければ、仕事=趣味という領域まで来ることはできなかっただろう。

その結果、現在はポジティブになることでしか、本当の意味での仕事はできないという仮説の元、さまざまな活動をしている。そのはずなのに自分でもそれを時々、いや、かなりよく忘れる。仕事の上でポジティブになるためには、仕事を趣味化するしかなかったんだ。自分の興味のある方向に持っていくしかなかった。それが29歳、最新の状況であり、最新の仮説だ。

そうなってくると、需要と供給という概念が成立しなくなる。というか、需要に対応するのが仕事じゃなくなる。需要に対応するための供給仕事をしているうちは、ワークライフバランスとか言う概念の世界の中に居ざるを得ない。今は確実に需要がないのに、仕事をつくっているという自覚がある。

仕事を「受ける」と。仕事を「つくる」の違いかもしれない。後者は趣味になりうる。前者は、需要に対する供給でしかない。仕事をつくることが、つまり、クリエイティブだということだ。需要に対応する仕事は、たとえデザインだとしても、クリエイティブと呼べるのだろうか。そこが、僕が誰かにデザイナーと呼ばれることに対する懸念事項だ。残念ながら、まだまだデザイナーという職業はクリエイティブな環境でないことが多い。あとは、自発性の存在と、自足できているかどうかだということが重要だ。それからイノベーションがなければクリエイティブではないかもしれない。だからそういう意味でいうと一般的なデザインの業界には興味がないことが最近はっきりとしてきた。

ある時期のソニーは、とてもクリエイティブだった。それは、他社が絶対につくっていないものをつくっていたからだった。常にイノベーションが存在していた。その遺伝子はアップルが継承した。
国でいえば、キューバは非常にイノベーティブで、クリエイティブだと思った。戦後日本がある時期までは非常にイノベーティブで、クリエイティブなのは当然。それはなにもなくなったのだから。

自立できていないものを、勝ち取ろうとする動きは、だから常に美しいんだね。白洲次郎が日本国憲法を日本人の手で作りだそうとしたものも、同様のロジックだと思う。しかしそれには失敗した。60年代半ばから、この国はまた元のもくあみに戻っていった。全共闘運動は、悲しいかなそんな時代のあだ花のようなものだ。

話がちょっとズレた。
少なくとも、1999年の時点で、僕が理解に至ったのが、T型フォード以来今日まで丁度100年間の間続いてきた大量生産・大量消費はクリエイティブから遠ざかるということだった。それがelephant designで得られた最大の学びだった。

マスプロダクト、マスメディア、マス広告、etc...
マスメディアに対してはインターネットがその代案として有望視されたのは周知の通りだが、そのような構造は社会の隅々まで普遍的に存在していると思うようになっていった。だから、構造的に、トップダウンになってしまうことで、全体のクリエイティビティが一気に低下してしまうんだね。自発性の欠如。つまり今の日本社会の姿だ。

だいぶ元に戻るけれど、それはつまり、仕事を「受ける」ことしかないように思えてしまう元凶を生み出すことにもなっている。なんかクリエイティブとか創造性とかが結局根底にあるのは自発性なのかなと思う。それをある人は、ポジティブアプローチと呼んでいる。僕の周りにいる人たちは、こういう人種がやたら多い。いままでは単なるクソポジだと思っていたが、一つの方法論として確立されているようだ。結局「自分で生きる」ということは「自分に自分で責任をもてるか」ということだ。

支配されないようにするのがレベル1。死なないようにするとこまでは、レベル2的な段階だ。レベル3が、好奇心のバランスかなと考えている。このレベルはいくつくらいまであるんだろう?僕にもまだわからない。レベル1で止まっている人に相談されることが多くて、ちょっと困る。もちろん、組織の中にいるけど支配されていない人、というのもあるとは思う。そこは相対的にどちらにもありうる構造だ。

いままでの、大航海時代以来の組織論で考えたらレベル1がなるべく多くなければ成り立たなかった。それが、東インド会社以前にアラビアに存在したというコンパニアの起源である。大西洋を横断するためには組織の結成が不可欠であって、そのために株式会社制度が誕生したけれど、それってもはや500年も前の話だよね。時代錯誤もいいところだ。



いままでこのような話を共有しなければならない人は多数いたと思うけれど、それを僕はやってこなかった気がする。文脈や暗黙知がありすぎてそれを共有していないから、そもそも話にならないのだ。それをひとつひとつ説明しているうちに、なんの話をしていたのかがわからなくなるし、第一疲れるので、あきらめてきた。その上、それを上回る速度で知識がインプットされていくから、結果的に間に合わなくて、ギャップは拡大の一途をたどっていく。

では、そのギャップの存在に対してどういうアクションをとれるかということだが、まずそもそもの株式会社制度が古いという問題がある。株式会社というか、資本主義というか、それがどう変わっていくのか、だいたいそこに行き着く。

「我々がどうあるべきか」

20世紀において、それは三択であった。資本主義、共産主義、ファシズム。極端に言えばどの仮説も、結局は失敗した。僕らはいまだ資本主義に対する「処方箋」ばかりを思考しているということに気付く。ここらで「処方箋」より「理想」を作るべきなのかもしれないと2006年くらいから思い始めた。

しかし、実際問題「処方箋」の方が主戦場なのだ。地球温暖化云々にやたら予算が付き、盛り上がるのは、記号化しないと主戦場での武器にならないからである。そこで、2004年の時点ではサステナという仮説ではその主戦場で戦うことにしたのだった。それは今も変わらないし、今後も当面は変えないだろう。シンプルモダンイズベスト。オシャレエコ万歳。

でも、2006年以来いまは、ポスト「我々がどうあるべきか」を模索したいという気持ちに駆られている。それを模索しているうちに京都や関西、四国、つまり地方に行き着き、そこらへんの整理がつかないから、東京と京都を物理的に分けるしかなかったのだった。どちらも僕の中の最適解のつもりだ。

それを二年考え続けた結論が、東京と京都の50%づつの分割というライフスタイルだ。きっと、30半ばにさしかかるくらいまでにはそれらを融合する方策が見つかるといいなと思っている。時勢も変わってくるだろうし。東京に居続けたのでは、ポスト社会がどうあるべきか、すらわからないというのが、29歳の現時点での仮説である。

時勢がどう変わってくるかが、まだなんとも見えないし、しかし意外と早く変転がやってきたという感がある。


まあ、なんか、こういうことをなにかに一度きちんとまとめなきゃってことだね。相当無意識に言語化していないことがあるみたいだ。しかも、その仮説は一生実践しつづけて、その経過報告ができるに過ぎないかもしれないけれど。
| 無意識の意識化 | 05:23 | comments(0) | - |
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