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[log] メディア寺子屋#37 21世紀型の新しい万博 堺屋太一氏
speaker:堺屋太一氏(作家)
date & place:2005年2月21日 13:00 - 17:00
国際大学グローコムにて
私が28歳のときにはじめて日本で万国博覧会をやりました。そのころは誰も万国博覧会というものは知りませんでした。1940年に日本で万国博覧会を開こうという計画がありました。東京のお台場でこれを開こうという話になりました。国際条約。格式が非常に高い。規模がとても大きい。極めて公式的。
イベントをつくる方法は何百年間つみあげられてきた。草野球やるつもりでオリンピックやってもできない。そういう学問があります。日本的に展開するにはどうしたらいいか?世界的に最も有名な理論。堺屋太一の十段階理論。まず政府に働きかける。日本ていうのは世界で唯一偉くない人が大事業をすることができるんですね。明治維新にしても満州国をつくるにしても新幹線にしても万国博覧会にしても偉くない人が言い出して、実現している。偉くない人の知恵がとりあげられるのは世界にありません。この伝統はどうやら関ヶ原。石田三成という人。いわば今の局長クラスですね。大臣でも大金持ちでもなかった。そのひとが知恵をしぼってあの大プロデュースをやった。

1:第一は志を立てる。これが明確でないと絶対に成功しません。次に大義名分です。大義名分で動く人が世の中にいると思っている。これがロマンです。多義名文があるほうには予想以上に人が多く集まるに違いない。その次にPRが必要です。PRにはお金がかかるからスポンサーを探さなくてはいけない。名目的な。あのひとがやれば失敗しない。名目大将がいます。慎重居士でしてだいたいうんといわない。それをなんとか口説き落とさなくてはいけない。これは大変苦しみであります。日本で万国博覧会をするのは大変いいですよと言いました。まず私は役所の運転室?にいってくどきました。暇なんですね彼らは。で文章をつくります。当時はガリ版でしたから。まさかひとりで書いてるとは思わないから。そしてスポンサー。地域にいきました。大阪商工会議所で、最初は専務理事交際費で40万円。いまでいうと400万円をもらいました。それが印刷費になりました。それがだんだん通産省に広がり、佐藤栄作さん、石坂泰三さん(経団連の会長)を名目上の会長になってもらいました。なかなか直接いけないから、その先の先の先を口説きました。それでようやく志が通じて日本で話題になるようになりました。私自身も相当お金を使いました。文京区に当時家をもってましたから、それをていとうにいれました。自分がお金を使わないと人はつかってくれないですね。そして目的を明確にする。万国博覧会はどんな名目をもっているか?近代化した工業社会、二番目は地元の社会。三番目にこれは、公共行事ではなく文化行事だということにしました。関係者の間で合意をとる。すくなくともこの三つは合意しなくちゃいけない。目的の合意っていうのは大変むずかしい。

2:次にコンセプトをつくる。ここで最大の問題が生じました。1965年になりますと万国博覧会法。これに日本が批准してないという問題が出てきました。1929年に日本はこの条約に批准してるんですが、これに批准するとその他法律も批准しなければならなくなる。閣議決定をせねばならん。このへんになるとそうとう空中戦になります。通産省では大反対になり、辞表をかけといわれたりして、辞表する気はありませんでしたから懲戒免職にされそうになった。公務員法で出勤しなければクビできますから家に監禁されたりしました。明治維新では殺されたりしましたね。そして部署ができるとようやく英雄になれます。勝てば官軍であります。そしてVIEに通さなければならない。日本の場合は相手はメルボルン。ようやく大阪商工会議所が408万円だしてくれましたから、メルボルンをつぶせ、ということになりました。イギリスをおろせばいい。ニュージーランドとカナダで二回やりましたから、英連邦でつづけてやるのはよくないですよ、と外交交渉をしました。ここまではプロジェクトメイキングですね。

3:これからがプロデュースです。コンセプトを決めます。今はやたらに広告代理店が出てきますが、コンセプトは日本語にすると概念ですね。人によってはテーマと間違えている。一度きめたら変えちゃいけませんね。日本万国博覧会の場合はまさにこれです。テーマってのはキャッチフレーズなのでたいした意味はありません。「人類の進歩と共存」。みなさまのNHK。あれがテーマです。本当は近代工業国家になった日本を見せなければならない。コンセプトメイキングがはっきりしないと非常にゆらぎます。

4:第四段階としてストーリーを書かなくてはならない。みなさんにこれを浸透させなければならない。思いつきがどんどんでてきてしまうんですね。これもやりましょうあれもやりましょう、これが一番怖いです。ストーリーってのは言葉の通り、連続した流れでなくてはならない。ところが必ず場面を想定する人が出てくる。私は大河ドラマ2つほか映画もつくりましたが、必ず場面を言う人が出てくるんですね。こういう場面を先考える。やっぱり冬ソナをみているとストーリーがしっかりしていますね。ズームばっかりでつまんないけど。ハリウッドは予算の10パーセントを脚本につかってます。

5:ストーリーからはずれないようにシンボルをつくります。19世紀の博覧会は珍品探しでした。20世紀の博覧会では博覧会行事の中核になるものを選ばなくてはならない。

6:六段階目になるとようやく基本構想が出てきます。ここで会場が決まります。そしてお金が決まります。

7:予算構造。金額よりも構造が大事なんですね。このへんで人選が行われる。ひとつはディレクターなんです。もうひとつはデザイナー。このディレクターとデザイナーをこれより前に決めてはいけません。このひとたちは必ずシンボルをつくりましょうと言い出しますから。丹下健三さん、花博のときは安藤忠夫さん。この人達がこれより前に出てくると必ず失敗します。思いつきになってしまうから。プロデューサーがやらなければならない。

8:そして八番目に基本設計が始まります。

9:九番目に基本構造。基本構造というのは縦と横があります。縦は空間設計、横は時間設計です。ここで空間プロデューサー。丹下健三さんと岡本太郎さん。行祭事プロデューサー。

10:最後に運営です。これがすごい時間かかります。アメリカ大統領がくるのかどうか、それに三年くらいかかったりします。60人国賓を呼びました。当時はタキシードが二枚ぼろぼろになりました。テロを非常に警戒しなければなりません。一時万国博覧会でもパトリオットミサイルを16基おかなくてはいけない計算になった。一時、大変行きたいとおっしゃっておられたパレスチナのアラファト議長が死んでくれたおかげで今回は助かった。そして総点検します。あとはデザイナーにまかせればいい。

大阪万国博覧会は延べ350万人のボランティアがきてくれました。ボランティアとプロの間をどうつなぐか。これはオリンピックをみるとわかるんですね。万国博覧会は自分が選手になりたい競技がでてくるんですね。スポーツなら上手下手がすごくわかるんですね。音楽でもピアノ引いてみたら上手下手がほぼわかる。ところがこういう行事になりますと上手下手が最後にならないとわからない。今の愛知の万国博覧会は100万人くらいですか、ボランティアは?花博は大変だった。300万人くらい。彼らが自分で出展したいと言い出す。それをどう整理するか。

万国博覧会は世界で最も高度な行事です。次に歴史をお話します。世界で最初に万国博覧会をひらいたのは、旧約聖書、ペルシャのスーサで開かれたのが最初。これは紀元前500年くらいですが、旧約聖書のロト記にでてきます。近代博覧会は19世紀。1851年、有名なロンドン博覧会が開かれます。ヴィクトリア女王の夫、アルバート公が開いた。このとき有名な水晶宮をつくりました。世界で最初の規格生産型の建物なんですね。このあとだだだだだーっとたくさんの博覧会があって、1915年、サンフランシスコの博覧会がありました。ここまでを第一期博覧会といいます。珍品を見せて人々を驚かした。ウィーンの大観覧車とかね。ところが第一次世界大戦がおこりまして、中断しました。その後、いまや映画とラジオの世界になりました。したがって博覧会は時代遅れだという意見がでました。1925年のパリ博からはじまるのが芸術の博覧会になりました。デザイン。一番よくでてくるのはマチスですね。レイモンド・ローウィ。いわゆる三大デザイナー。流線型とか。最後は1933年のNYで中断するんですが。日本も1940年に開いていたら芸術の博覧会になったはずです。それをやろうとしたのがムッソリーニですが第二次世界大戦で中断しました。

1967年のモントリオール、1970年の大阪。この博覧会はテレビ時代になるので、当時マーシャル・マクルーハンという、60年代世界で最も有名な情報学者でしたが、テレビはクールなメディアである。人間はあつまることはなく茶の間で情報を得る。町は壊れて村になるという名言が出ましたね。したがって集まって博覧会をやる必要はない。通産省は、当時非常に高名だったマクルーハンの弟子達にみてもらわなければならないということで、日本政府は三億円を出しました。そして野村総研が空前絶後の調査をしました。その結果万博の参加者は1850万人と計算しました。到達メディアと集人メディアは、マクルーハンの理論は単純なメディアでラジオであるとか映画であるとか、そういうものが出てくると次に必ず集人型メディアが成功する。郵便と新聞配達で、到達型メディアがどんどん出てきた。ロンドンで博覧会をやったら成功すると言われた。パリでは4000万人。これは郵便の効果。シカゴ博覧会が大不況の中で大成功した。これはラジオの成果。大阪博は6000万人。このときはテレビ。そして愛知博はインターネットだろうと。こういうコンセプトをつくりました。

大阪博では月の石を見に来る人なんてほとんどいませんでした。何をみるかって人間見に来るんですね。来る人がお互いをみる。たとえばカジュアルウェアなんてのは大阪博までなかった。暑い千里丘陵を毎日あるいているときに、仕事着でもない遊び着をつくったらどうですか?と繊維業者に言ったらまったく相手にされなかった。そこを当時の中小企業がつくって大もうけしました。ファッション。4億円かけてもうかるはずがない、つかもとさんていうガソリンスタンドやってたひとがフランス館やって40億円もうけました。大阪博でファッション感覚ができた。次にファーストフード。博覧会はリピーターを期待してはいけません。ただ一回だけやるから大胆な試みができる。初見客ばかりくるから。当時は建物の中でしか飯を食わないと思われていた。外で食おうっていいだしたら、当時の飲食業者は大反対でした。たとえば藤田さん。藤田田は当時ネクタイの輸入業者だったんですが、彼だけがやりますと言って、おおあたりました。それでほかの飲食業者も全部壁をぶちやぶりました。なので、ファーストフード業者は万博が終わった次の月に、全部1970年の10月の設立です。それがずーーーっといままできてしまいました。規格大量生産大量廃棄文化。ここまでマニュアルが徹底して浸透した国は傾く。大阪万博は1920億円。今日でいうと4兆円くらいもうかった。もうかるという習慣がついたから、いたるところで行事がでてきました。いたるところでコンセプトがあいまいな博覧会が乱立してきました。地方博と万国博覧会はまったく別物なんですね。万国博覧会は全国全世界から人をあつめる、オンリーワン。地方博覧会はどこかにあるものをもってくる。二番目にはとにかく入場者を集めればいいわけですから、政治力です。まあ、ビールパーティーと一緒。そしてできるだけ公共事業的なんです。万国博覧会公共事業論というものができました。

大阪博では強い要望がありましたが前売り券は600万枚しかうりませんでした。当時30代、磯崎新、いしいもとこ、コシノジュンコ、私もそのひとりですが、これらの人たちが90年代までは日本のトップでした。丹下健三さんが市長をなぐったり、デザイナーのけんもちさんなんかも会場で自殺しましたし、モントリオールは初期メンバーの半分以上が死んでいます。モントリオールに比べれば日本は大変人的被害が少ない。ほとんど死んでますからね。タイムスパンに関しても新幹線は1年6ヶ月でつくっています。成田空港を20年かかってるのとはケタが違う事業ですよね。これは平和の戦争なんだ。万国博覧会は一つの時代をつくるということが大事です。

さて愛知博は東京ではあまり話題になってませんね。愛知県では大変もりあがっています。これはこの原則に従っていませんね。ループだけはやめてくれといいました。10mの幅で両方交通は大変危険だと。そして明石の花火大会で事故が起こりましたね。あの場所は竹村真一先生たちとインパクのオープンをやった場所でした。そのあとに9.11のテロがおこりました。そしてなによりも一言で言えるシンボルが無い。だいたいセビリア万国博覧会で人間の博覧会は終わったんじゃないかといわれています。上海は非常に明確に新しい都市である。参加予測者数は7000万人といわれていますが、実際は1億人になっています。非常にそういう都市機能を徹底的に追求しようとしています。愛知博はそれがないですね。非常に残念です。


対談

小川
端的に今回の愛知博は10のメソッドをほとんど違反しているなあと、正直思ったところであります。やってはいけないことばかりやっている万博ですが、これは時代ということろもあるんじゃないかと。81年に21世紀初めての万博を日本でやろうと決意した。もめない万博は無いと。まさにプロの仕事であり最大の高度な技術や思想を必要とする。今回すごく揺れ動いていて、どういう視線で愛知博をみていますか?

さかいや
大きな地方博というかたち。大きな地方博にするんですか?万国博覧会にするんですか?と聞いたときに、非常に評判を気にしていた。なので今回は、成功するかと問われると、大きな地方博覧会として大変成功するのではないかと思います。

小川
万博というのは大衆のニーズに応えなければならない。ひとりの組織や文化人がやるというものではない。会所の森で当初小さな反対運動が起こるんですね。それがどんどん大きくなって、環境三団体まで動かすということになるんですが、一度たちゆかなくなる。人の絡み、プロセスがあって、今デザインができてきた。環境問題と市民問題が併走してきて、今の万博ができてきた。

さかいや
そのプロセスっていうのがよく意味がわかんないですね。問題なきゃなんでもいいや、という感じにもみえますよね。
そもそも会所の森でやろうといったときにも、公共事業だったんですね。博覧会は公共事業ではなく文化事業だ。だから批判に耐えられなかった。公共事業的発想が続きすぎましてね、なかなか地元の人がそれを理解できなかった。公共事業の話ばっかりするんですね。マスコミも現在の日本も全部それですけど。それが文化事業としての愛知博を流してしまった。テーマはあったけどコンセプトがなかったんですね。

小川
今の20世紀後半の文化を創り出した人が、まさに30代でいろんなやくわりをされていて。それが今回どんな人が生まれるのかがあまり見えない。
僕は市民、新しい人が生まれてきている。本当に地球の問題とか私たちの問題のソリューションを生み出そうとしている。

さかいや
国土交通省で順番がきまっとるんですよ。だからなかなか若い人が使えない。万国博覧会の頃は冷戦構造がありましたから。安田講堂事件が万博でいっぱつで消えて残った人たちがよど号で逃げちゃった。翌年に浅間山荘事件。万博ってのはいろんな人が消えるんです。

竹村
100年1000年の計をふまえながら、しっかりと理念設計をされて、日本の万国博覧会という本をだされていましたね。30前後にかかれていたのだと思いますが、なぜ万国博覧会が日本でされるべきなのかということがとうとうとかかれている本ですが、図書館にあると思います。愛知博なにがたりない、と言っていてもしかたない。骨太の設計ができなかったにせよ、クリティカルな世界のなかで一級の国際博覧会が始まってしまう。なにはやっておくべきだよ、すくなくともこれだけはいまからでもやるべきだと言っていただきたい。

さかいや
私が一番やりたかったことは情報メディアの拠点にしたかった。ヘクタールヴィジョン、10000平米のテレビをつくろう。全国全世界に対する情報発信の拠点で、インターネットでもケータイでもそれをみて、大きな現物を見て、それを実感する。実感すると小さい画面でも実感できますよね。そういう情報拠点。万国博覧会をインターネットにも100本、ケータイ電話にも10000本くらい。むずかしくて、誰も理解できなかった。独創性というか新しいメディア、フジテレビとライブドアがやっていますが、テレビ時代を抜け出していない。運営の面でも巨大行事、思想としてjの巨大な行事をやって、全国、全世界の人が興味をもつもの。費用はそんなにかかるものではない。たいへんたくさんの資料を博覧会実行委員会にだしていますから。ただ、凄くめんどうくさい。放送法と通信法の問題なんです。それに文句を言うのがめんどくさかったからやらなかったんですが、私がxx大臣のときに法改正しているんです。

竹村
9.11の跡地に何をつくるべきか。そこに行けば感じられるプレゼンス。そこにいけば地球を実感できるものがなんでないんだろう。と思った。それを今回市民パビリオンでそれを小規模ながらそれをやろうと思っています。マクルーハンも構想はしていたけど、つくってないですね。マクルーハンの50年前にイタリア未来派というひとたちも言っていますが、誰も実現していないですね。そういうことを実験する場として、万博はあると思うのですが。

さかいや
一番問題なのは採算がのらなければだめだろうと。その大きさが大きな計画の方がお金は乗りやすい。小さな計画は赤字になるから非現実的になるんだ。話は上手に大きな計画になって、大きなテーマになっていく。世の中の人は小さくやったほうが安全だと思うんですよ。国際博覧会では大きく生んで大きく育てる。
いかに計画をつぶすかなんです。乞食の宴会。乞食がホテルの残飯で宴会をやるとなんでもあるんですが。ボランティアのひとがいうことをいかにつぶすか。これが一番プロデューサーの仕事になっちゃう最後はね。

小川
インターネットは地球大ですが、いままでのマスコミといわれる人たちは大きく伝えるということをやっていたんですね。インターネットは小さい情報をみせる。小さなものを見えるとか、見えないものをみせる、弱いものをみせるという20世紀のパラダイムではみえなかったものを見せる必要があるのでは。地球回廊はなかなかお金があつまらない。

竹村
アフガンの子供達はすごい未来への希望をもって、あそこにいるんですが、目に見えない。そういうものを半年間でも運営してみたらどうなるか。人間の博覧会であったと58年の博覧会以来ですね。技術の博覧会から芸術の博覧会、そして人間の博覧会ということですが、技術と芸術のときは明確にイメージできますが、人間の博覧会については明確にイメージできません。21世紀こそ本当に人間の博覧会をしなければなりません。20世紀は人間蔑視の時代だった。ものを規格大量生産うるために人間を規格大量生産してきた。人間の価値にようやく日が差してきた。老人とか子供がもってたハンデは工業化社会だったからで、ようやく人間の世紀が始まろうとしている。アンビバレンツな人間観がこれから問われてくる。

さかいや
人間の博覧会と言われたことの特徴は、まさにすべての人間を見るということであった。今は知恵のある人間が問われている。地球大ということが大切だと思うんですよ。アフガニスタンは出生率が世界で一番高いんですよ。何故アフガニスタンの女性は子供を産むのか?考えたことがありますか?アジアは急に減っている。インドも減りだした。アフリカも減りだした。アラブは増えているんですね。特にアフガニスタン。これは我々が及ばぬ世界があるわけですよ。そういうことがね、竹村さんのシステムを通じてわかればいいと思うんですよ。そういうことがわかればと思ってヘクタールヴィジョンをやりたかった。大小を別として地球規模でそういうことを考えてみたらいいと思うんですね。

小川
63億の人々がかかえている問題を、ひとりひとりがどう関わっていくか。250くらいのプロジェクトがあるのですが、そのなかで新しい人というのが、地球大に視点をもって動こうとしているんです。新しい時代の先端のアートとして見せようとか、愛知博のプラットフォームに集まってきています。

竹村
バックミンスター・フラー。ワールドゲームというコンセプトを1970年代にだしていて、さかいやせんせいはサンシャイン計画で太陽光ともおつきあいされたと思うんですが、現状これだけ世界上で扮そうがおこっている時代ですが、こういう時代だからこそ発想しうる、地球大のエネルギーの融通、知恵の融通、どうしてそういうことがないか。

さかいや
一番こういうときに困るのが、私はいいこちゃん、だけどどっかに愛してないひとがいます、という発想におちいるんですよ。こういう発想をやめて横のつながりをつくらんといかん。みんな愛してるからこそ大切にしている。嫁と姑の関係を見ればわかるんですけどね、夫を愛しているから起こるんです。この原理がやっぱり大切なんですよ。アフガニスタンは遅れてるかもしれないけど、東京の出生率が1.0をわってるほうがどうかしている。近代文明にとらわれましてね、1970年くらいまでは進歩の基準てのがありましてね、成長率ではかっているほうがまだよかったんですが、これが善悪の基準になったんですよ。善悪の基準ほど人類を損なうことはありません。原発をつくっている人も、温暖化ガスをだしている人も善意でやってるんですよ。みんなが善意だということになると大きな統合的な計画ができるんです。みんな人類のためにやってるんだというふうに発想することが大事なんですねぇ。

小川
市民ほど連携できないものはないなあと、この三年間実感しているのですが、万博をご縁につながることができないだろうか、と思っているんです。

さかいや
万博同窓会は3000人あつまっています。沖縄は300人くらい。万博同窓会のときは、みなさん当時の服装をもってきたり、4年に1回ですけど。それだけ自分たちが変われたという実感がある。30の企画を一つにすることが前提だ。


質疑応答

Q.ボランティアの話、300万人のボランティアを集められる理由は?
A.ボランティアが25ヶ国全都道府県から集まってきたこと。大阪府の人は1/100くらいに押さえた。広い範囲からたくさんきました。万博が大きかったということですね。

Q.愛知博はITの次にくるものと言われているユビキタスを中心にした技術をベースにしたものになっていたら?
A.それは議論があったんです。いまの世の中で三年前に企画したものが実現したときに最新だろうか?ということが問題なんですね。2001年に企画したものを実現したときに最新だろうかという議論がありましたね。

Q.さかいやたいちの原点
A.子供の頃にみた天王寺公園での博覧会をみたのがきっかけ。プロデュースに必要なのが建築と会計。積算見積学。ぱっと設計図みたら、これはなになにとわからないとダメ。博覧会をやると恒久建築物をつくっちゃうんですね。予算オーバーの原因が積算学ができるひとがいなかった。一所懸命やると三年くらいでできますから。数学はそんな高等数学でなくて、ゲームの理論くらいでいいですから。積分方程式くらいとけるくらい。

愛知博はそうなりませんでした。主要な関係者の目的が一致してなかったですね。みなさん苦労されているのは県と市とトヨタさんと経済産業省の理念がわれているんですね。これを統合しようとしたんですが、地元も乗らなかった。トヨタ会長の理念は非常によかったと思う。地元の行政は違うコンセプトだった。やっぱり万国博覧会を目指すんですよ。通産省は通産省の範囲でやろうとするんですよ。この三つのコンセプトが最後まであわなかった。

Q.成功すると言っているのはリップサービスではないか?公共事業としては赤字という流れでもいいと思っているか
A.1入場者が多い(大衆の支持)、2出展者が満足する、3無事故、4黒字、5何を残したか、6いわゆる国際親善。こういう基準をとりまして、入場者が一人あたりの補助金額、これが低い。許容範囲であるというのが一つの基準なんですね。各出展者がもうけたと思うこと。無事故はわかりやすい。赤字になると後の処理が大変。なによりも大事なのがなにを残したのか。どんな人材を残したのか。その地域のPRに役だったか?こういう評価でいきますと、観光開発してみんなよんでやろうとはじめからやったのが沖縄海洋博です。はじめからここをねらった行事でしたね。最初の4っつは大事。あの会社いいことやったけど、やっぱりつぶれちゃったね、じゃダメなんですよ。中部空港とかはあるけど、あとはどうかな。地方博というのはにぎわえばいいから。

Q.一回制について。
A.新婚旅行は一回だけですよね。それが生涯の思い出になる。聖なる一回制っていうのはそのひと、地球にとってどんな影響を残していくか。


東大カフェというものを愛知博に出展します。情報メディアを加えたファーストフードが成り立つかを実験しています。
| 昭和 | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |









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