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化粧する脳 茂木健一郎
正直、脳科学的に見た女の化粧がどうの、っていう話はどうでもいい。けれど、その前提の上で後半に出てくるメタ認知についての記述がとても興味深い。

いま、無意識にやろうとしていること、つくろうとしていることが、以下の文章に集約されているように思う。

神の不在を、なにかによって穴埋めしようとしているのだねえ。
キリスト教には一般的に知られている告解(懺悔)という儀式がある。自分が犯した過ちを神に告白し、赦しを得る信仰儀礼である。この行為も、メタ認知のトレーニングといっていいだろう。というのも、自分自身の行動を客観的にかえりみて、他者の理解できる言葉に翻訳しなければ、語ることができないからだ。こういった、神に対して語りかけるという心の動きが典型的だと思うが、ヨーロッパの人びとは、どこか「神様が自分たちをみている」という神の視点をつねに感じているように思えてならない。それは実際の信仰の深さやどの神を信じているかということとは別の話で、神のように普遍的で、個を超越するような存在が自分たちの生き方をみているという感覚があるのだ。それが社会全体を俯瞰するメタ認知として機能している感がある。そうした人びとには倫理観という確固としたプリンシプルがある。それがいかに生きるべきかを確認するための一枚の巨大な鏡になっている。

僕はこのヨーロッパの人びとの倫理観を支えている一神教というものが、人類にとって大きな発明だったとひしひしと感じている。

中略

街並を見ているだけでも、社会の鏡の存在はあきらかである。ロンドンでもパリでも先進国の名立たる都市では、建物を建てるときに風景全体に照らし合わせて個別を考える。それにくらべて、昨今の日本の風景を眺めていると、あまりの景観の醜さに絶望することがある。江戸時代には浮世絵で日本橋の風景などが描かれていたが、現代のこの街並を描こうとする人はそんなにいないだろう。自分はこう表現したい、こんな建物をデザインしたい、建てたいというエゴと個人の欲望だけが剥き出しになってしまっているかのようだ。日本でも、社会の全体性を鑑みる意識を根付かせる必要があるのではないだろうか。
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