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正直者が馬鹿を見ない社会づくり


嘉村賢州率いる京都のNPO。場とつながりラボhome's viの大変フリーダムな面々と、加賀・小松に九谷焼を見に行ってきた帰りに、有益な議論をしました。いや、最初は演説しました。笑。でもいい振りだったと信じています。青春の1ページなのかもしれないけれど、これをここに刻みます。

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若者が自炊をしないなどと言われるけれど、そもそもうまいもんをつくろう!と思えるようなインスピレーションが沸くスーパーマーケットがないじゃないか。今のスーパーのレイアウトで、よくなにをつくろうかなどと思いつくもんだと常々思う。

問題はそれだけではまったくないわけで、見渡してみると、世の中の一つ一つが許せないことに気が付く。食の問題への仮説をうちたてているのが木村さんのリンゴで、子供を産み育てることの問題への仮説をうちたてているのが吉村医院だよね。病院なんて行きたくないよね。病気になりそうで。家の問題にしてもそう。東京のマンションに何千万円も支払ってなんて、とても住みたくない。教育の問題、学校に代わるものがまったくと言っていいほど存在しないことが、最大の問題である。いまだ、義務教育は軍隊訓練施設として、戦後も変わることなく兵隊を増産している。武器はお金に代わり、兵隊は毎日満員電車に揺られて戦地へと送り込まれてゆく。この構造の根本的な部分はいまだ「まったく変わってない」のである。

問題の源泉をたどると、霞ヶ関に辿り着くことが多い。農林水産省、国土交通省、厚生労働省、そして文部科学省。文科省は最後の敵だ。ラスボスのようなもんだと思う。しかし、ないないと愚痴を言っていても仕方がない。創造的に新しいものへ、古い物を作り替えていかねばならない。

だから最近のトピックは国をつくることだ。ゲバラの話を僕がいままで29年間に集めてきた知識を総合して判断するに、明治維新なんかよりよっぽどリアリティがあって現実的なストーリーだなと思っている。彼らはそれをやっちゃった。幕藩体制は移動の自由が存在しないことは嫌だけれど、文化と経済のバランスという意味では、理想だったのかもしれない。でもそのときの感覚は僕らには解らない。だから、古き物を伝承している人たちに会いに行かなければならない。

では、政治を変えて地方分権して、政策立案をすることで規制を撤廃していけばいいのではないか?しかし、そんなことをしていても、時間ばかりかかって実例はできてこないだろう。実例をつくってしまって、それにあわせて法律を変えていくしかないのではないかと、最近思い至る。ゲリラでやってしまうしかない。一生ゲリラ戦だ。

社会がどんどん単一的に、効率的に処理可能な記号になっていっている。共産主義にせよ資本主義にせよ、大枠で見たとき、20世紀は普遍的にフラットに交換可能な社会を目指してきた。結局、あらゆる空間は金に変えられるという枠組みからは抜け出すことができなかった。

ここでメタ認知能力というトピックが登場する。村社会というのは、メタ認知が欠如し、かつ単一の思想によって完結している世界のことをいうのだと定義しよう。何度も言うが、このような状況は江戸時代ならずとも、現在でも一般的に起こっている事象である。ある程度自分を廃して、メタに世界を認知することができなければ、アート作品を見て純粋に感動することはできない。

アートに感動するには、それだけの知識と経験の蓄積が必要だ。そもそも、人は生まれた時点で、なにかに感動する価値判断などできないのではないだろうか。もともと生まれながらにして感性は備わっているにせよ、一定の価値判断力を蓄積しばければ、判断のしようがない。人がなにかに驚いて、それを純粋に受け止めることを真似ることでしか価値判断を行うことはできないと最近思う。そうして、いままで出会ってきた人たちの価値判断をインプットし続けてきたからこそ、本物を見つけると、心躍るのだ。

そもそも、そういうことを始めたのは、高校をやめて、レールから外れた瞬間に自分で生きていく必要が生じたからだったのではないかと思う。でも、それだけではなくて、たぶん子供の頃に、一からものを作るということをさんざんやっていたからなんじゃなかろうか、ということに気が付いた。手仕事の大事さということの意味を考えさせられる。なんとかの資格がないから、やってはいけない、では済まされない状況ではないのだろうか。

僕らのおじいさんくらいの世代の人は、人が生きる、ということに対して、平均的なスキルを持っていたのだと常々思う。ちょっと家が壊れても、直すことができることや、食に対しても医療に対しても、最低限のことはこなすことが出来た。それが僕らの世代にはまるまる存在しないのである。仕事も恋愛もなにもかも、すべてが選択式。選ぶことでしか、生きていくことができない。つまり、作り出すことができないという致命的な構造欠陥を内包している世代なのだ。

年金など絶対に払いたくない。人口構成比を考えれば、どこに負担がかかるなどもはや自明なのに、これがもし税金化などしたら、いよいよ戦う時だ。メタに世界を認知したときに、ふと気が付くことは、最大の敵は親の世代なのかもしれないという避けがたい事実がそこにある。どこぞの国のように、銃を持って戦うというリアリティーがこの国にまったく無いこと自体が、既にスポイルされている証拠だ。

自分がなにをしたいのか解らないというようなことは、その人自身が悪いのではなく、システムが悪いのである。そんな社会作りをしていきたいのが、home's viだ。(by 嘉村賢州)

自立心が本物を生み出す源泉だ。自立している心であるから、主体的に、創造的になれるのであろう。

賢州たちは、そんな世界への繋がりをつくれ。僕は常にゲリラとして代案を作り続けよう。

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とまぁ、こんな話を二時間もしている間、小松から京都へ延々運転してくださった、世界で唯一の竹画家の八十山和代さん、大変ありがとうございました。
| 無意識の意識化 | 19:49 | comments(2) | - |
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make history
| まーしぃ | 2009/05/10 9:46 AM |
やぁ、まーしー。
makeの手法はいろいろあると思うけれど、未来の認知を共有できたのはよかったですな。
こゆりーにタカ派だね、と言われましたが。笑
| tama | 2009/05/10 12:01 PM |