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かくれたカリキュラム
文科省が親のかたきにも思えるくらい憎い気持ちは一生消えないだろう。奴らによって、一度は規格化されそうになり、ゆえにそこからの離脱は、僕の人生にとって最大の開放であったと、今でも思う。

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労働の場が田畑から工場へ移行するにつれて、こどもたちは工場労働に適合する教育を受ける必要がでてきた。「いったん思春期を過ぎてしまった人間は、農業から転業した場合でも手工業から転業した場合でも、工場の有能な働き手になることは、むずかしい」と、一八三五年にアンドルー・ウールが書いているが、産業化したイギリスでは、初期の鉱山や工場経営者がまずそのことに気がついた。若年層があらかじめ産業のシステムに適合するように育っていれば、後年、産業社会で生きていくための訓練を受ける際に直面する困難は、大幅に軽減するはずであった。その結果出現したのが、すべての第二の波の社会に共通な構造。大衆教育(マス・エデュケイション)である。

工場をモデルにして設立された大衆教育の場では、初歩的な読み書き、算術を主体にして、歴史やそのほかの課目もごく簡単に教えられた。これはしかし、表向きのカリキュラムだった。実はその背後に、目に見えない、かくれたカリキュラムが存在し、この方が、はるかに産業社会の基盤として、重要だったのである。それはまず第一に時間厳守ということである。そして第二が服従第三が機械的な反復作業に慣れる、ということである。工場労働者にまず要求されるのは、定められた時刻に出勤することであり、とくに流れ作業の要員の場合がそうである。そして上司である管理者の命令に、文句も言わずに従う労働者であること。また、男も女も機械あるには事務机に向かって、まったく機械的な反復作業を飽きもせずに、こつこつやっていける忍耐力の養成が必要とされたのである。

第二の波が到来して以降の学校は、幾世代にもわたって若い人々を規格化し、電動機械と流れ作業に都合の良い、画一的な労働者を育成してきた。核家族と工業労働者向けの教育は、若い人びとが産業社会で有能な役割を果たすための、総合的な準備体制の一環として機能した。この観点からも第二の波の社会は、資本主義社会であれ共産主義社会であれ、北であれ南であれ、すべて似たようなものだった。

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー 第二章 文明の構造
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