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Output and input from 1998 to 2010
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未来からの留学生
いろんないろんな大事なことを、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下SFC)から直接的にも間接的にも学んで、それが僕の血肉になっている。初めて山本尚明くんによってSFCに連れてこられてから、まるまる十年経ちました。あのとき、それまで僕の頭の中で形骸化された大学のイメージが、ガラガラと崩れ去って。学生達が新しいものをつくっていこうと自発的に、そこで実に生き生きとしている姿を見て、やっと自分のフィールドと仲間達が見つかったって思った。



そのとき感じた感覚は、いまでもタロー坂を登ってα館が見えてくると、まったく色褪せることなく鮮烈に思い出して身震いがする。その後たくさんの大学を見てきたけれど、あのとき感じたものは、やはりSFCにしかなかった。

では、そんなSFCに、いったいなにがあるんだろう?今日改めて、メディアセンター、ラムダ館映像編集部屋、デルタ館村井研究室、ドコモハウス小檜山研究室とSFCを案内してもらって思うのは、やっぱりここには常に最先端の情報機器とインフラが満載されていることだ。



僕が2002年当時キャンパスを歩いていた頃は、既にキャンパス中にパスワード不要な無線LANが張り巡らされていた。1996年当時は有線LANケーブルが。そして各教室には最先端のコンピュータが導入され、一年ないし二年置きに最新のコンピュータにすべて置き換えられる。たとえば、今日時点では映像編集用コンピュータは、最新のMacProに16GBのメモリー、4テラバイトの供用ハードディスクスペース。(当然RAID仕様)ソニーのHDVテープ編集装置が取り付けられ、24インチワイドのAppleCinemaLEDディスプレイ、といった仕様だった。表層的にはそんな感じ。そりゃあSFCからIT長者も生まれるよね。でももっと大事なのは、根本部分に存在するコンセプトなんだと思う。


すこっち。本名、須子善彦。30歳、横浜在住、システムエンジニア。学部時代には村井純研究室に所属。現在博士課程。

日本のインターネットの父と呼ばれる村井研究室。インターネット、情報分野における日本の最高学府の中枢に彼が入った経緯と、これからなにをしていきたいのかを聞いてみた。

当時SFCで出来ていたことって?
ホームページを立ち上げるためには1998年当時、月に四千円とか五千円くらいかかっていたよね。そのときに10MBくらいのスペースしかもらえなくて、メールアドレスもドメインなんかもらえないし。インフラストラクチャーとしてあまり使えるものではなかった。当時SFCでは100MBの個人スペースが、全学生に配られていて、そこではすべてのCGIが動く。LANっていう言葉がまだ専門用語だった時代。このケーブルはコンピュータに刺し込んただけでインターネットに高速に接続されて、しかもそれはタダなんだ。って、SFCに入ると教えられる。つまり、SFCのインターネットを使わなければ、できないことが多すぎたんだ。僕らの世代はSFCに来て始めてインターネットに触れたり、始めてパソコンを買うような状況だった。それが2000年入学くらいから変わってきた。

インターネットの世界をつないできた人は、学術系の人たちが多かった。大学の中はLANが広がっているけれど、大学間は電話回線をつかうしかなかったんだ。大学の中は超高速なのに。当時は電話の上にインターネットが乗っていたんだけれど、それを逆にするのが村井先生の仕事だった。日本は当時国策として大変に遅れていた。ISDNっていって、既得権益にこだわるもんだから電話回線の上に高速なインターネットを敷設しようとしていた。そのときに通産省とかNTTが遅れていて、このままじゃ日本がつぶれてしまうよといって。それでまあ戦ってきたと。その成果として日本のブロードバンドの普及率は世界で一位になったんじゃないか?2000年ぐらいだよね。

そのSFCにしかなかったインフラの上で、学生達はなにをやっていたんだろう?

例えば体育の授業の予約システムは、当初は体育館の前においてある紙にわざわざ書きに行かなければならなかった。その予約をインターネット経由でできるようなプログラムを書いた学生がいて、そのシステムを大学側が取り入れた。と、そんなかたちでSFCの学生達は大学生活を自分で作り出すことは、当たり前になっていった。

十年経ってみて。では、SFCの役割はいったいどう変わってきたんだろう?

当時ほど、世の中一般と大学の中のインフラのレベルの違いは顕著ではなくなって、SFCの中で「インターネット」っていう時代はとっくに終わっていて、新たに「社会起業」っていうキーワードがでてきたんだと思う。今ブームになっているけれど、フラットな人間関係とか社会構造ってのがあたりまえになってきて。当時、SFCを卒業した人間は企業ではつかえないって言われたんだけれど、それはこっちからすると企業に勤めることが本当に幸せなのかな?って考えていた。それで起業家がたくさん生まれてくる。生き甲斐ってなんなのかな?こんだけたくさんの人たちが「働く」っていうことをやっているのに、働き方と社会の関係を考え直す、っていうことをインターネット的に始めたのが、SFC発の社会起業だと思うんだ。

「インターネット的」っていう言葉をよくSFCの学生から聞くような気がするね

自律分散協調、アドホック、ベストエフォート等々。インターネットが成立している背景にある技術的思想のひとつひとつが、「インターネット的」な事象である、と言える。たとえば自律分散協調組織ってのは、一人一人がミッションをもっていて、他人に依存をしないで自立して行っているんだけれど、共通のミッションをもっていてその範囲でお互いコミュニケーションをとっていきましょう。たとえば、ある人が突然忙しいからって抜けても、普段協調しているからフォローすることができる。といった具合に、インターネットはそれまでのヒエラルキーに基づく組織論や、既成概念を打ち破った、あるいみ「都合の良い」考え方を生み出すことで成立してきた。

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その他の大学において多くの場合ツールとして位置づけられている、インターネットというものが、SFCにおいてはコンセプト、思想そのものなのである。故に大学としてのオリジンにもなり、そこに集う人々の考え方の根本を成しているわけだ。そのような情報環境の上で、いかなる社会をつくっていくか?ということが、SFCの花形学部である環境情報学部の役割なんだろう。と僕は勝手に推測する。

なんかでも今日、点と点が繋がったのよ。SFCにはセルフモチベイテッドな、自分から問題やテーマを見つけて突き進んでいくことができる人がやたら多いなあって思っていたけれど、よくよく考えてみたらインターネットの持っているコンセプトを換骨奪胎して応用したら、そういう生き方になるのです。そんな環境を作ってきた村井純は有り難いなあと思うし、その先達には相磯秀夫というSFCの創設者がいた。すこっちにはその系譜に並んでほしいなあと常々思うわけです。

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日本のインターネットの父・村井純
http://tamachan.jugem.jp/?eid=399

創造性を最大限発揮できる環境作りの、現代日本における原点・相磯秀夫
http://tamachan.jugem.jp/?eid=595

SFC生その1 吉本龍司
http://tamachan.jugem.jp/?eid=380

SFC生その2 中澤久美
http://tamachan.jugem.jp/?eid=421

SFC生その3 柳明菜
http://tamachan.jugem.jp/?eid=550

SFC生その4 伊藤智子
http://tamachan.jugem.jp/?eid=551
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