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世界を駆け巡ってきた文様であるからこそ、普遍性があり、今見ても新しく見えて、美しい。
シンポジウム「伝統の文様・図案・意匠の重み」-京都の知恵が新たなトレンドを生み出す-
speaker:トトアキヒコ氏(唐長・KIRA KARACHOプロデューサー) 
date & place:2009.10.23
京都商工会議所 講堂にて



今年七月に知り合ったトトさんが、唐紙についてお話されるっていうので行ってみた。

ちょっと、ひさびさ、言葉に感動した。文字として読んでもつたわんないかもしんないけれど。和とかモダンとかに囚われてると危ういなあと。その後の登壇者がそういう表層に囚われていることとコントラストがはっきりくっきりしてたからかもしれない。和モダンとかってテーマでインテリアやりまくってきた人が、とても痛いのは、表層に駆られてしまって、ぜんぜん勉強していないからかもしれない。トトさんの締めくくりの言葉に、自分がなにに惹かれているかということの、輪郭がはっきり見えてきた気がする。
僕たちはあまり「和」ってことを思ってないんですね。ユーロアジア全体の人類の営みが文様として入ってきたり、シルクロードを通じて入ってきたこと。世界を駆け巡ってきた文様であるからこそ、普遍性があり、今見ても新しく見えて、美しい。唐紙自体には、版木の力、先人達の力がいっぱい宿ってるんですね。そういうものを写し取れたときに、美しい唐紙が生まれるんですね。だから単に装飾されただけのものではありません。
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写真:トトアキヒコ

文様(もんよう)。文(もん)。文様は文化そのものだと思っています。子供が生まれたときに、ひたいに×印を書いたんですね。それが文。非常に呪術的なところから始まっている。京都では子供のことを「ややこ」っていいますけれど、それが文(あや)になっているんですね。

桂離宮でありますとか二条城でありますとか、公家武家商家問わず、しつらいとして唐紙をやってきたのですが、それをどう今の暮らしに溶け込むのか、ということを企画しています。



昨年の春にミッドタウンの「とらや」で行った展示。会場内に水を張って、水面に唐紙の明かりが映り込む。桜の舞い散る静かな空間を感じてもらいたかった。静かさと儚げ。唐紙ととても相通じるものがあった。



「青い桜」
唐紙の美術的価値に光をあてるという試み。唐長はよく伝統工芸っていう言葉をつかいますが、僕は単なる伝統工芸ではないと思っています。和紙の文化であるということと、文様美という二つの価値があいまっている価値だと思います。自然界への畏敬であったり、人類の英知そのものであり、はたまた呪術的な祈りの形だったり。今なお生まれつつある現代の美。妻である愛子とともに四ヶ月展覧会をしました。青い桜をつくりました。明け方の空をイメージしたんですけれど、明け方のあおい舞い散った桜が光を受けていると、桜の色は青なんじゃないかと。



「波紋」
唐紙を通じて世界が平和だったらいいなーっていうことをこの頃から思うようになりまして。この渦の文様はですね、派生と終演。西の極み、今でいうアイルランドに遺跡としてたくさん残っています。それは東の極みである僕たちがいまなお使っているというのは、文様をつかって世界が通じているということなんじゃないかと思います。ケルトのひとたちは、いのち、太陽、死生観としてつかっていたようですが、今の私たちは水を感じる人が多いと思うんですね。宗教、文化もそうだが、時代時代で意味が編集されている。ということで渦の文様っていうのは研究材料になるのではないか。松岡正剛さんの本をたまたま読んでいて山川草木悉有仏性(さんせんそうもく、ことごとく、ぶっしょうあり)ということばがあり「すべてのものに魂は宿っている」山を見ていて、葉の色があったり、蝶の色があったり、そういう山の美しさを表現できないだろうか。そう思って手がけたのがこの紙なんですが。従来の刷毛などで染めるやりかたとは違いまして、ひとつひとつ私の手で染めています。ドットというか点になっていると思うのですが、3メートル全部染めるのに三万回とか四万回という行程でつくっているのです。不揃いの中に透明感をつくるという試み。文化人類学の教授である竹村真一さんという方がおられるのですが「触れる地球」というプロジェクトの一環でイスラム美術館に唐紙が納められることになりました。



「祈りの形」
十字架っていうのは、単にキリストの十字架っていうことを意味しているのではなくて、東と西の融合ということを私なりに考えて、唐紙にメッセージを託した。九曜文(くようもん)。空海がもたらした文様なんですね。もともとインドから中国に渡った星占術の中に描かれているのが九曜紋ですね。これを十字架と組み合わせたことで、東の文化と西の文化として組み合わせた。ちょうどこれをやっていた時期が七夕っていうこともありまして。つくってみてから、はくちょう座のくちばしにアルビレオっていう星があるんですね。気になって調べてみると385光年の星だったんですけど、385年前にきらんと光った光を今見ているんですね。385年前というのは唐長の創業なんです。そういうことが唐紙に自然と現れているのが初代からのメッセージなのかなと。



「Inochi」
鳥がたくさん飛んでいるのですが、先頭の一羽だけ青い鳥なんですね。長いかたは三時間くらい眺めてらっしゃいました。感情という言葉が適切かわからないんですけれど、研ぎ澄まされた感情や感覚の中で生まれたものっていうのは、普遍的に認められるのかなと思うのですが、英語でいうと「ああと」っていう言葉になると思う。先頭の一羽だけは幸せの青い鳥です。実はこの四作目のいのちっていう唐紙は、東洋西洋の古代美術のコレクションをされている国内でも指折りの美術館があるのですが、そこのオーナーさんのコレクションに入れていただくことができました。


僕たちはあまり「和」ってことを思ってないんですね。ユーロアジア全体の人類の営みが文様として入ってきたり、シルクロードを通じて入ってきたこと。世界を駆け巡ってきた文様であるからこそ、普遍性があり、今見ても新しく見えて、美しい。唐紙自体には、版木の力、先人達の力がいっぱい宿ってるんですね。そういうものを写し取れたときに、美しい唐紙が生まれるんですね。だから単に装飾されただけのものではありません。

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唐長
http://www.karacho.co.jp/

静寂と美を紡ぐ唐長トトの写真とことばによる「唐長美術館」への軌跡
http://blog.goo.ne.jp/kiratoto/
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