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Output and input from 1998 to 2010
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未来のインスピレーション


ほのかちゃん。彼女の笑顔を見ていると、ここのところ抱えてた諸々が吹き飛ぶようだよ。2010年最初の記事に、彼女の写真と、それにまつわるストーリーを書くことは、今年のテーマが「未来」と「インスピレーション」という二つの言葉で始まろうとしているときに彼女の笑顔はふさわしいと思った。

そうそう。僕が彼女のパパに出会わなかったら、今の僕はいないと言えるし、彼女もいないかもしれない。



山本尚明くん、31歳。パナソニックで働くプロダクトデザイナーだ。家電機器や設備を通じたソーシャルコンセプトクリエイションの実践と研究が主な仕事らしい。1999年の夏を過ぎて季節は秋に変わりはじめていたある日、エレファントデザインでの仕事に疲れ果てていた僕が、彼に連れられてSFCに行っていなければ、その後の僕のほぼすべての人間関係も存在しないことになるし、従って今の僕はいないことになる。そのくらい大きな大きな転機だった時期を共に過ごすことになった、初めて知り合ったSFCの学生、当時環境情報学部の2年生だった。

当時の僕は、彼を通してその先にあるSFCの学生達が共通して持っている、未来に対するあふれんばかりのアグレッシブさを感じ取っていた。彼はもともと、空想生活の開発をサポートしてくれるスタッフとして参加していた。そんな彼に誰かが、SFCの学生だったらこのプロジェクトをどのようにつくる?と質問したときに「SFCの学生だったらこんなん自分たちでつくっちゃいますよ」と言っていたのを聞いたのが、SFCという場所に対するファーストインプレッションだった。

SFCって、慶應大学が10年前に藤沢に作った新しいキャンパスということすら知らなかった僕は、その言葉の意味不明なくらい強気で、しかもあたりまえのように言う態度によって、その存在に気がついたように思う。彼は、まさしく「未来からの留学生」そのものだった。



そもそも、センソリウム竹村真一さんについて最初に教えてくれたのも彼だった。彼に2001年にメディア寺子屋に連れて行かれなければ、その後の100万人のキャンドルナイトにしても、そこから派生した全てについてもなにも無かったことになる。

彼とは当時「時間」についてよく語り合った。時間という概念が人によってつくられたものであること。それは特に産業革命以降、19世紀、20世紀を通して社会は時間に都合を合わせて進んできたけども、そこには幸せはなかったのかもしれない。21世紀はそういう概念から脱却しよう。なんでもかんでも同期をとろうという考えはやめましょう。非同期で、お互いにストレスをかけない関係でコミュニケーションして、そこに出来上がってくるものに、何か幸せを見てみましょう。なんていう議論をしていた。それは後々、環境の世界ではスローという言葉で呼ばれていたり、アメリカ人の未来学者アルビン・トフラーによって1980年代に書かれていたことだということを発見した。

ともかく、10年前の僕らは、世紀の変わり目に未来というものをアグレッシブに捉え、来たるべく未来はどのようなものであるか、一つ一つ学んでいっているうちにあっという間の10年が過ぎて、2010年になった。僕は彼が当時示していたコンセプトの世界をひたすらに突き進んでおり、彼は父親になった。



2009年の終わりに、僕のアウトドアの先生である弥生ちゃんとこれからについて話していたとき、彼女は「子供に冒険を教えたりできる場所をつくりたいんだ」と言っていた。

そのとき、僕は、子供達に未来を見せてあげる人になりたいんだ。と強く思った。

みらい。
僕は、宮崎駿さんに、未来をたくさん見せてもらったなー、と思う。ほかにも、いろいろな人に、見せてもらったけれど、そこで何が見えたんだろうか。何が良いか悪いかなんて価値は、自分自身ではわからなくて、こうあるべきだ、これが美しいんだ、美味しいんだ、いいことなんだ、っていう価値は、いろんな人から教えてもらって、それをまねして、知ってきたと思う。

宮崎映画っていうのは、子供達がこういう未来をつくっていったらいいんだよ、っていうことを暗に示しているところが、僕はとても共感するところであるとおもう。そんな、未来。

宮崎駿さんの手段は映画で、僕の手段はまだわからない。だからブログを書いている。景気が悪くなったり、世間の雰囲気が悪くなればなるほど、なにかを照らしていかなきゃと思う。特に東京にいると余計それを感じる。

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未来からの留学生
http://tamachan.jugem.jp/?eid=631

sensorium と Night and Day
http://tamachan.jugem.jp/?eid=392

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー
http://tamachan.jugem.jp/?eid=561
http://tamachan.jugem.jp/?eid=562
http://tamachan.jugem.jp/?eid=564
| ひと | 23:53 | comments(3) | - |
はじめまして。デザインの勉強をしているSFC2年です。
SFCが生まれた年に生まれた「SFC世代」です。
(このことばはぼくが勝手につくりましたw)

「アラン・チャン」の検索からとんできました。
SFCに関してそんなふうにおっしゃっていただけて本当にうれしいです。
と同時に、すごく不安になりました。
いまのSFCは、もしtamachanさんがはじめてSFCに来たのが2010年でも、
同じようなものを与えることができるのだろうかと。

ぼくは高2のときからSFCに憧れて、
それこそこのブログに描かれているようなSFCを想像して、
無事入学することができたんですが…

最近よく聞くのは、
いまのSFCはむかしのSFCとはちがう
って言うことです。

別のある人は「SFCの日吉化」なんて言ってました。
(日吉の学生にすごく失礼な言い方ですが。。)

つまり、SFC生はいまやふつうの大学生と変わらなくなってしまった
ってことです。

ぼく自身、むかしのSFC生がやっていたことを聞いて
「すごいな〜」
で終わってしまいます。

むかしほど人気がなくなってきたことや、
ゆとり世代であることや、
単位システムの改変が影響しているのかもしれません。。
(「SFC生は会社を3年でやめる」っていうことが社会で言われはじめたり、
アグレッシブな学生がいる一方でついていけなくなる学生がいたり
といったことの影響らしいのですが、履修が以前ほど”自由”ではなくなりました)

いまでも夢を語る学生が多い印象はあるのですが、
学生のうちからそれを実行にうつせている人が、
むかしの話をきくと減ってきているのかなぁという印象です。
(「プレゼン」は得意なのですが、「実物をつくっちゃう」
ような学生はそれほど多い印象がありません)

ただ一方で、ぼくは2つのNPOに在席しているのですが、
そこで出会う別の大学の学生たちを見ていると、
ぼくが高校のとき持っていた
「日本の大学でまじめになにかしようとしているのはSFC生ぐらいでしょ」
っていうイメージは間違いだったなぁと感じます。
別の大学でも、自分の手でなにかをしようとしている学生がたくさんいるんです。

実際、おそらくSFCの影響で、日本の本当に多くの大学で
「総合政策学部」と「環境情報学部」の名を持った
学部が生まれました。

SFC生がむかしより「普通の大学生」になったと同時に、
SFCが日本の大学全体を底上げしたという事実もあるのではないかと思います。

それで、、
これからSFCがどうすればいいか
なんてことはぼくには思いつかないんですが、、

最近考えていたことが、
このブログを読んでぶわーっとまた思い出されてきたので
そのまま書かせていただきました。

あ、それと、
もうご存知かもしれませんが、日吉キャンパスに
「KMD」っていう大学院ができました。
SFC出身の教授がかなりいて、
同時にスキルを持った学生も多いと思うので、
SFCよりむしろKMDのほうがいまは、
10年前ぐらいの「SFC」に似てるかもしれません。。
| う1 | 2010/01/23 2:23 AM |
11月のgreens drinkで会ったhitomiです♪
明日、トトロの森、清掃しにいくのだけど、
今回も参加する??
| hitomi | 2010/01/24 1:14 AM |
>う1
なるほど。ここでそういう話をするのはちょっときびしいので、よかったらtwitterで話しかけてください@tamachangg です。

>hitomi
いこうと思ったけど寝坊しました。。。
| tamachang | 2010/01/24 2:47 PM |