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iPadは何がどうイノベーティブなのかについてご説明します


iPadを見ていて。20代から40代くらいまでの、パソコン黎明期を生き抜いてきて、いまバリバリに使いこなしている世代にはすこぶる評判が悪いように感じる。そんな様子を見ていて、しかしまあよくもあんなに使いにくいものを、あたりまえのように使いこなせるようになった我々の方がよっぽどどうかしているんだ。と、思った。

スペックだけ見てると、そんなふうに感じるんだと思う。だけどもまずはこの映像を見てみよう。



あー、やっぱりなー、と思うのは、先日のGoogle Chrome OSについてもまるで同じ事が言えるけれど、いま、我々が慣れ親しんでいる、カーソルやアイコンでおなじみのWindowsやMacOSの、ほぼ完成された水準にある現在のグラフィカルユーザーインターフェイス(以下 : GUI)の時代が終わろうとしているということである。

我々は、初めてコンピュータに触れたときの、どうしていいのかわからないあの悔しい気持ちを、長い年月の間に忘れてしまっていて、すぐに思い出すことはできないけれど、両親や年配の方にコンピュータの使い方を教えたときの、なぜこの人は解らないんだろう?というはがゆい気持ちを思い出せば、少しは理解できるかもしれない。あちこちのブログでの説明を見ているとiPadは、そんなデジタル文房具だというような説明ばかりだ。だけど果たして、それだけなんだろうか?



おそらく一個人としてGUIが実装されたコンピュータを使えるようになったのは、1984年の初代Macintoshからだろう。それが広く一般化したのは1995年のWindows95以降のことであると思う。それから現在までの間に広く蓄積された常識から見ると、マウスの無いiPadでスプレッドシートを書いたり、プレゼンテーションをつくることは非常に面倒で手間のかかる作業のように思えるかもしれない。

iPadに関して言えば、当面は上記デジタル文房具的な使い方や、コンテンツの「受信機」としての役割に特化する形で展開されていくように思う。GUIをベースとしたパソコンは開発環境として棲み分けされていくようにも思われる。しかし、遅かれ早かれデジタルコンテンツのものづくりをしていくプロセスについても、タッチスクリーン上で展開されるようになるであろう。一般的には1995年以前の黒い画面に白い文字が浮かんでいた頃のコンピュータを使っていた頃も、GUIに移行するときにまったくおなじような不安と動揺があったのだ。「あんなものでは作れない」と。



これから初めてコンピュータを触れるようになる世代は、もう最初からタッチスクリーンなのだ。iPhoneに限らず、世界の主要な携帯電話メーカーは、故障部品の点数をできる限り少なくしたいという思いから、一斉にタッチスクリーンへの移行にシフトしようとしている。

年始の記事に書いた、ほのかちゃん二歳は、両親のiPhoneをしっかりと握って、ロックを解除して好きなアプリケーションソフトを起動して遊んでいた。まだ言葉もろくに話せない子供でも、あんなに直感的に操作できるものなのかと。あのとき、次にアップルが作る物がなんなのかってことが、ちょっと見えた気がする。



この映像を見ていると、GUIをベースとしたコンピュータに熟練してしまった我々は、いかにコンピュータというものを操作する上での既成概念にまみれてしまったんだろうと、改めて思う。キーボードとマウスと、ウインドウ操作と切り替えバーによるマルチタスク画面が無ければ、ついつい不安になってしまうのだ。

Googleは、Googleらしい発想でGoogle Chrome OSによって、次のコンピュータのあり方を表現しているし、やはりアップルはユーザーインターフェイスの革新によるユーザー体験の質の向上によって、イノベーションを起こそうとする。



iPadは、ビジネスモデル的には、アメリカで大流行のアマゾンのキンドルに対抗して、出版業界を再編するっていうことらしいけれど。僕はそれよりも子供達がクレヨンで絵を描いたりするような、一昔前でいえばキッドピクスnotaのような、個人の情報発信の手助けになるソフトウェア作りができることにだいぶワクワクします。

GUIは、それがメインストリームになるまで11年かかったけれど、タッチスクリーンインターフェイスは何年でメインストリームになるだろう?初代iPhoneが登場してから現在までに、既に3年が経とうとしている。







| 情報デザイン・メディアデザイン | 21:12 | comments(15) | - |
なんとなくだけど、久々に使う人を限定するmacが出てきたんではなかろうかと思っています♪でも結局、流行んのかな?
| 王子 | 2010/01/28 11:07 PM |
なんとなくおもうのは、そうやって専門分化させてひとつひとつリリースしていくことで世の中に生み出しているあたりは「パーソナル」コンピュータの逆を行っているように見えるんだけれど。いずれ気がついたときにはぜんぶこのスタイルにリプレースされてるんじゃないかと思ったんだわ。新しいものを産み落としていく作法みたいな。
| tamachang | 2010/01/28 11:40 PM |
iPadという製品にたいする、ものの見方が僕と非常に似ていておどろきました。

そうなんですよね。
いまのPCの概念を「基準」に考えてしまうと、iPhoneやkindleのような一過性の流行をねらったようなデザインにみえて、サブマシン的なとらえ方をしてしまいがちですけれども、じつのところ、ほとんどの人がデスクトップやラップトップのコンピュータに求めているものをより直感的に使いやすいように内包している製品だと思います。
そういう意味で、デザインでうまく再構成して、集約された新しいコンピュータとよべるものかもしれません。
| 荒井順平 | 2010/01/28 11:59 PM |
なるほど。

いい加減、机の前にすわってディスプレイとキーボードはやめよう
ということですね。

次の「動作」や「行動」にむかうべきだなと思いました。

デバイスの価値って中身以前に、行動のベクトルにあるね。

アランケイの(たしか80年代の)パーソナルコンピューターの
スケッチをおもいだした。

あれもこどもが直接パソコンにさわっていた気がする。
| そうた | 2010/01/29 3:38 PM |
iPadの可能性を見れる感性は凄い
DSiLLと同じくiPhoneLLと進化したiPad、団塊の世代より上の人々にインターネットの世界を提供するキラーToolになるのではないでしょうか。
大きい画面で、指で簡単する事でWebページを見たり、メールを使ったり...
でも最初の切り口としては、電子辞書でしょうか、大きな文字で探して見られる国語辞典や漢和辞典、等々
歳を重ねて視力が落ちた者にとっては、大きな文字で見れるというのはとってもありがたいことです。
| Ken | 2010/01/29 9:31 PM |
タッチスクリーンを乗り越えられるかどうかが、我々コンピュータに慣れ親しんでしまった世代が乗り越えられるかどうかって時代がもうすぐ来るんでしょうね。既成概念って、想像以上に大きく押し被さってくるもののようです。

僕だってiPhoneに慣れるまでに既に二年くらいかかって、いまやっと普通に使えるようになったところで。一度習得してしまったことって、ハンデキャップにもなってしまう。

うちの実家のおばあさんが今日、興味深げにMacBookの画面をのぞき込んでいるのを見て、これはもしや良いiPad被験者かもしれない、などと思ってしまいました。
| tamachang | 2010/01/30 2:20 AM |
まさしく待ち望んだDynaBookの登場ですね。
もはやアラン・ケイの夢想と異なるのはSmallTalkプログラム機能くらいのところまで来たでしょう。
現代的HyperCardが載ってくれればなぁ。(^_^;)

そしてiPadが、ThinkDifferentとデジタルハブの完成型を示した第一歩となるように感じます。
Macintoshはホームサーバーと高度作業へと特化集約されて行く事でしょう。
そうして考えてみると、AppleTVとMac Miniがイチバン未来に近いのかもしれません。
| qhara | 2010/01/30 7:34 AM |
GUIではなくWIMPの終わりじゃないでしょうか。
| | 2010/01/30 8:09 AM |
いよいよ、GUIの次が広まっていく段階にきていると。

キーボード&マウスは「いずれ」なくなるべくものと思っていますが、iPadの登場とは結びつけてなかったです。


| taiji | 2010/01/30 10:43 AM |
うちの家族はもとより周りを見回してみると、ほとんどの人は、ウェブ、メール、音楽、写真。
そのくらいしかしてない。それならiPadで十分でない?
それ以上の事がしたいほんの一握りの人はいわゆる今までのMac or PCを使えばいいのだ。
世の中の9割の人々はこの新しいガジェットで事足りるのかもしれない。
| aquino | 2010/01/30 11:04 AM |
全く同感です。全てのものを求めるあまりあまりにも様式化、複雑化してしまったコンピュータ社会において原点回帰とも言えるべき製品だと思います。
最低限出来る事をシンプルに出されると余りにも明快な解に戸惑いますが、結局毎日行っている事って大抵はこれで事足りるんですよね。
しかもサードパーティが更にこの製品を魅力的にして行くことでしょう。
| て | 2010/01/30 11:15 AM |
同感です。
今、PCに入れなければならないソフトは、アンチウィルスという状態になってますしね。
そうすなると、iTunesをいれる母艦がクラウド上に出来ると、家からマックも不要になります。
今の金額のまま、1テラの容量があれば。。
と書いてて気がつきました。
きっとそういう事ですね。
| take | 2010/01/30 3:07 PM |
全く同感です。
パソコンが使える、使えないっていう話ではなくて、パソコンの次の段階に入った感じですよね。
ちょっと前のパソコン教室って何だったのか?という感じがします。
コマンドライン(古くはパンチカード??)で操作していた時代からすると、大変な進化です。
人類とインターフェース、両方が進化してきた感じですね。
「説明書をみて機械を動かす」というのはどんどん減っていくのでしょうかね?
| yey | 2010/01/31 8:24 PM |
かれこれ十数年前に始めてMacに触ったときの気持ちを思い出しました。

そういえばその頃、GUI vs CUI はかなり話題になっていましたね。

もう一度、時代の変わり目に立ち会える喜びを感じることができそうでわくわくします。

素晴らしい記事をありがとうございまんじゅう。
| wiwi | 2010/02/01 10:30 AM |
みなさま。多くのコメントありがとうございます。

文中に書きましたnotaについて、先ほど公開しました新しい記事「感動を生み出すソフトウェア 洛西一周」とあわせてお読みいただけると、なおよりご理解いただけるかもしれません。

http://tamachan.jugem.jp/?eid=654
| tamachang | 2010/02/02 11:04 PM |