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デザインって本当に人を幸せにしているのか?ランドスケープ・アーキテクト 山崎亮


トビムシ オープニング企画「ランドスケープアワー」studio-L 山崎亮
speaker:山崎亮氏(株式会社studio-L 代表)@yamazakiryo
date & place:2010.03.21
3331 Arts Chiyoda(旧練成中学校)1F 株式会社トビムシオフィスにて

僕はランドスケープデザインということをやってます。風景をデザインする仕事。1862年にニューヨークにセントラルパークをつくったフレデリック・ロー・オルムステッドという人がいます。

日本は幕末ですね。その当時マンハッタンはまだ集落が立ち並ぶ場所だったんですが、その時代に地政学的にいって将来ここに高層ビルが建ち並ぶ場所だといってここにあらかじめ緑の場所をつくっておくことが重要だと予見してつくったという。自分がこのような広い公園をつくる職能をなんと呼ぶかっていうことについて、こういう仕事は建築家って呼ばれちゃうんだけど、ランドスケープデザイナーの第一号だと言われています。庭を設計したり、会社や大きな建物で空いてるスペースに緑をつくる仕事をランドスケープデザイナーと呼んでいます。風景をデザインするって言ったとたんに「そんなことできるのか?」って思えてきてしまいます。あるいは風景の側からするとおまえにデザインされるのか?って思う。同時にコミュニティデザイナーって名乗っているときもあるのですが、コミュニティもどっかにデザインされることでもないと思うのです。ソーシャルデザインとかね。大きなものをデザインするときにつきまとうことなのかなと思っています。それが一点目の違和感

それから次に、これからどんどん日本の人口が減っていきますね。2100年には、1910年とほぼ同じくらいの人口規模になるんじゃないかと言われております。2050年で、1970年くらいの人口規模。つまり、これまで大阪だったとすれば、里山を壊して宅地にしようと言っていて宅地の周りの緑をどういうふうにつくっていこうというのがランドスケープデザイナーの仕事だったものが、これからはなにをつくっていこう?というわけです。人口が減っていくと同時に税収も下がっていきますから、公共事業っていうのも順調に減らしていかなければならないわけですね。


人口が減るのにまだつくる?

こんな時代に建築家すごろく?


人口が減るのにまだつくらきゃくちゃいけないのか?だから、最初はちっちゃな庭からつくって、だんだん仕事していくうちにオルムステッドみたいに、でっかい公園をつくれるようになるような夢を僕らはいまから描くべきなのか。住宅コンサルをやって最後は巨匠と呼ばれるような夢を描くべきなのか?っていうのは悩みの一個です。

で、もう一個の悩みは、デザインって本当に人を幸せにしているのかな?っていうフィリップスタルクがたとえば椅子をデザインしてくれって頼まれて、ミラノサローネかどっかに椅子を出すと。椅子をだすとそれはいいなー、かっこいいなーって、椅子を買いたいって8人中8人が思うと思うんです。でも1人しか買えなかったとすると、買えなかったひとはしゅんとすると。買えた一人をハッピーにする仕事をしているのか。それとも買えなかった7人をちょっと不幸な気持ちにしているのか。ちょっと買えなくて悔しいという人を増やし続けているだけなのかもしれない。新しいのが出たときに「あ!そっちの買えば良かった」と思う人を、ちょっと不幸な気持ちになっている人を増やしちゃう。

それの調査をずっとつづけている大学があって、日本のGDPっていうのは1960年くらいにですねー、ここいまに至るまでに30倍くらいになって、給料も六倍になったって言われていますけども。生活の満足度ってずうっと横ばいなんですね。デザインて携帯電話なんかまさにそうなんですけども、手に入った瞬間だけ嬉しくて。そういう分野で仕事をしつづけることをしていきたいのか?っていうのが僕の二つ目の悩みなんですよ。オシャレな庭つくりましたって言って、これからの自分の時間をずうっと過ごしていく気になれるのかどうか。っていう。デザインは人々を幸せにするのだろうか?それから、デザイナーというのは、これからもものをつくって、それをユーザーに与え続けることをするのだろうか?それが僕がわかんなかったところです。

以上が、ちょっと違う道に歩みたいなと思ったきっかけです。綺麗につくった壁に、ちょっとヒビがはいっていたらお客さんからクレームがくるとかですね。お客さんと一緒につくっていくっていうプロセスがあるだけで、お客さん度合いが変わってくるんですけども、街も一緒だと思うんですね。昔は街普請ていって住んでいる人たちが出て来て、一緒に道をつくったりしていたんですけども、いつの間にか道路っていうのは行政がつくるもんだしー、道路ってのは行政が掃除するもんだしー、打ちの目の前に落ち葉がいっぱい落ちているのがけしからん!っていって、役場の道路課に電話して「おい!掃きに来い!」っていうことを言うようなことが、これからことさら増えていくような世界に僕が住みたいかというと、そうでもないなぁ。。。と思ったわけですね。街普請っていうのは、街のことは自分たちでやるっていうことが基本で、この50年、60年の間に、完全に行政がやることがあたりまえになってしまって、隣の家に誰が住んでいるのかもわからない、また、コミュニティ再生事業をやりましょうとかいって、なんか、無駄なことをやっているんじゃないかなぁと思います。

で、風景の話をすると、風景っていうのは結局できあがっちゃうんで、みんながそこで活動していることの結果として風景っていうのはできてくるんで、風景ができあがる元の人々の生活をなんとかしていきたい。お客さんを変えていきたい。お客さん化している市民をなんとかしてお客さんではなくしたい。そういうアクションを起こしていくきっかけをつくっていく仕事がしたい。StudioLのLは、生活とかライフっていう言葉が好きで。「ランドスケープだからLなんですね」って言われると「そうです!」とか言っちゃうんですけど。笑。やっぱり生活を、生活「者」になってほしい。無責任陳情型住人とか言われますけれど、生活している人になってほしい。市民なり生活者にとって、少しでも状況が変わっていくならそのお手伝いをしたい。なのでデザインではなくて、マネジメントの方が近い。で、デザインからマネジメントに変わってきて、今、いくつかの仕事をしている。ということです。

基本はコミュニティベースド。そこに住んでいるひと、あるいは住んでいなくてもコミュニティをやってる人と一緒にやるっていうのが基本で、それがデザインからマネージメントまでのグラデーションがあって。デザインの仕事はやりますが、そこに住んでいる人、使う人、ユーザーの意見を聞きながらつくるというか、実際にそこの空間をつくるっていうことに携わってほしいので、一緒につくっています。ハーフマネジメント。街作りっていうことをやってみなさいっていってひっぱっていただいて。水都大阪2009というのは大阪の都市部の中之島というところで、お祭りをやっているイベントだと思っている方もいらっしゃると思うんですが、主催者の意図としてはそれをきっかけに大阪の街をもう一度水辺との関係を取り戻して、水辺で意識的に活動をする市民、府民が増えたらいいねということで始まったイベントなんです。水都大阪に52日間いたんですが、そのあと集まってくれた350人が、イベントはまったくだけども我々も水辺の街作りということであれば関わりたくて、そのファシリテーションだとかモチベーションをマネジメントしていくっていうことです。

栃木県益子町。土祭(ひじさい)



栃木県の益子でやったやつっていうのも、300人の町民達が15日間のイベントの間に、道案内をすることから全部住人の方がやったんですね。イベント会社に出すんじゃなくって、住民がやる。で、重要なのはそれで安く上がってよかったね、ってだけじゃなくって、そういうことをやっているうちにチームに関わった人たちが、イベントが終わったあとも街作りに関わり続けるっていう。いまブルータスが特集してくれていて「アンチ東京 whowどこか」っていう企画で益子が13位に入ったっていう。で、これは街作りで、お客さん化していた市民が立ち上がるというきっかけを伝えられたらいいなあっていう。

で、そんなに街作りに関わっているんならっていわれて、町(ちょう)が作る総合計画っていうのがあるんですね。これから10年間、町がつくる環境も福祉も産業も全部の課がこれからなにをつくっていくっていう総合計画ってのが、たぶんどこの市町村でもつくっているんですが、これはつくらなきゃいけないって法律で決まっているんですが、これを市町村と一緒に作ってくれないかっていうようなかたちで呼んでくれるところがちょっとずつ出て来たんですね。そういうところで、住民の人たち100人や200人の人たちと、これから十年間、この街はどうなっていったらいいと思いますか?っていって、計画に、みんなが言ったことを乗せて、ちゃんとやってくださいよ、っていう話をして。総合計画が出来たら議会を通して、実施計画に落とし込んでいくんですけども公になるんで、事業は実際に行政が予算をつけます。で、予算ついたものに対して住民がちゃんと参加して行政の政策の一部を住民が実際にやる。ということになりつつある。

ソーシャルデザイン。自分でさっき違和感を感じているって言っているやつですけども、やっぱりデザイナーは社会的な課題に対して、取り組むっていうことをやりたいと思っていたんでですね。いくつかの大学で教えさせていただいていて、でも教えてることは実際住宅の設計だったり庭の設計だったりっていうことになっちゃうんで、それも悪くないんだけども他の先生もみんな教えているから。より売れる住宅や庭をつくるというようなことではなくて、震災が起きて困っている人たちがいるとか、日本の職場の安全といったことにデザイナーがいったいなにをできるんだろうかっていうことを、学生と一緒に議論したい。とくにそれは博報堂さんがですね、一緒にやろうと言ってくれたので一緒にやってるんですけども。震災で避難所に避難したときに、騒音とかニオイとか問題がたくさんでてくるのですが、この問題に対してデザイナーはなにができるのかっていうことを、学生達のプランをブラッシュアップしたり、っていうことをしています。


三重県伊賀市。穂積製材所プロジェクト「ホヅプロ」

三重県の伊賀市って忍者の街で、島ヶ原って駅の前に1000坪の製材所を構えていた人のオーナーが、ここをしめるから公園にしてくれ、っていう依頼で行ってみたんですけども、現場行ってみたらここめちゃくちゃ面白かったんですね。製材がまるのまま残っていて、そこから家具を作り出すような加工機械まで全部残っていて1000坪。機械もあるしまだ職人さんたちも結びつきがあるので、だったらこれなくして滑り台なんで置いたらぜんぜんつまんなくなっちゃうから、これがそのまま使える状態で新しいプロジェクトを起こしませんか、っていうのが略してホヅプロです。これは大阪とか京都とか滋賀とか奈良とか、二時間くらいで来れるところから来てもらって、そこで週末になったら家具を作りに来ると。で、家具は置いておいてウィークデイは働いて、また週末に作りにくると。それでできたものは宅急便で送ってもらおう。といった準備を今しています。それで土日にやってきた人たちが寝泊まりする場所が必要なんで、それを木材でつくったりとか作業場とか、ご飯たべる広場をつくっている状態です。


震災+design

これはNTT出版からも本が出たので。社会の課題に対して、なにかアプローチできるんだと、特にデザインの分野の人たちにですね、知らしめたい。だけど学校のカリキュラムは文部科学省で指定されたことでシラバス組んでいかないと単位が取得できないんで、ぜんぜん違う授業はできないんですね。だけど僕のゼミは「ぜんぜん違う分野にいけ!」って言うんだけど、他のゼミや他の大学の学生はぜんぜんそういうことができないんで、だったらもう学校関係ないほうがいいって行って、博報堂さんけしかけて、予算つけてもらって。そういう活動しています。それの第二弾が「子供の放課後+design」ていうのを今年やりました。


鹿児島県鹿児島市。マルヤガーデンズ

天文館ていう、昔すごく栄えていたけど、今は新幹線が通るっていう鹿児島中央駅っていう方に、商業が移動しつつあるんですね。中心市街地問題って言われるやつですね。そこにいきかけつつあるといった天文館に、三越があったんですけど撤退しちゃったんですね。そこはもともと丸屋っていうデパートがあったとこなんですけど、丸屋はもともと呉服やさんだったんですね。つまり150年前には呉服屋さん丸屋がいて、いろいろ事業に成功してデパートを100年以上やったんですけど、時代においつけなくなったときに三越が入りました。25年前です。丸屋の社長が、女性の社長なんですけども、社長に就任した数ヶ月後に三越が撤退しちゃったんで、三越に場所を貸していればいいやっていうつもりだったそうなんですけども、いろいろ判断を求められちゃった。それで丸屋の歴史をいろいろ調べていったら、丸屋は地域によって育ててもらったということが解ったと。それで空いた十層の空間をそのまままた誰かに貸しちゃまずいんじゃないかというふうに考えたそうなんですね。三越のあった場所をつぶしちゃって超高層ビルをたててもよかったし、あるいはヨドバシカメラに貸しちゃおうっていうこともあったのかもしれないですね。でもやっぱりここはもう一度踏ん張らなきゃいけないんじゃないかと思って、もう一度丸屋デパートをやらなきゃいけないんじゃないかと。実際にそれをマルヤガーデンズという名前でオープンさせると決意したんですね。



紆余曲折したんですが、公園的な空間というか空いたスペースを十個つくっていく。各階に空いたスペースをつくっていくことにした。都市再生の手法に穴を開けるっていう手法があるんですね。有名なのはバルセロナに密集市街地があるんですけど、だんだんスラム化していってしまうような状況だったんですけど、家をつぶして広場にしちゃう。そこで戦略的に人が歩いていく道筋にそって広場をつくっていくと、そこに人が流れてきて、広場の周りにお店が入ってくるんですね。それで結果的に税収が多くなる。人が対流するような場所に広場をつくっていった。そのような形で活性化していったんですね。これに近いことをしませんか?という提案をしたんですね。穴っていうのは物理的に穴が空いているわけじゃない。テナントに貸さない場所をつくっておいてくれっていう意味ですね。で、テナントのブランドとはまったく違う活動をしていこうってことですね。フロアによってテーマがある。地下だったら食品とか、一階だったらコスメファッション、二階はアウトドア、で、四階にD&Departmentっていうナガオカケンメイさんて人がやっているショップが入るんですけども。それぞれのテーマに合った活動を、たとえば知的なことをやるとすればジュンク堂さんが入るフロアでやってみたらいかがですか?とかね。ここ数日のここの空間(トビムシオフィス)の使い方に近いですね。エコの活動を、エコなんとかっていうところで一所懸命やっていても、エコに関心のある方しか来なかったりするんですね。乳がんの検診を受けてくださいっていう活動を鹿児島でやっている方がいるんですけども、それ病院でやっているんで、そういう方しか来ない。グッチ見にきた人が、乳がんの大切さをちょっと耳にするとかですね、その関係性って重要じゃないかなあ、って思っています。それと、その活動をしている人同士が組み合わさると面白いことになりますねっ。コミュニティシネマを扱う方々がいるんですね。マニアックだけどすごく良い映画、映画の文化を鹿児島に広げていきたいと思っている人たちなんですね。モンゴルの映画ってなかなか日本に来ないですね、って言っているときに、料理教室の人がいて、モンゴル料理ってどんなんですかね、って、で、ちょっと調べてみますって料理研究家の方が言うんですね。モンゴル映画を7階で見たあとに、モンゴル料理を食べに地下一階に下りていく。とかっていうことが、そのガーデン間で繋がることができるだろう。地域コミュニティの人たちの活動が、結果的にテナントに入っている人たちを刺激して、テナントの人たちも自分たちがやりたいイベントに、その人たちを誘えたらいいなあ、というところです。そこで当然コーディネーターが必要になるんで、マルヤガーデンズが雇ったコーディネーターを教育しているところです。ブランド品を買いたいと思わない人たちを、コミュニティの活動で惹き付けて、コミュニティの人たちにとっては、自分たちの活動をPRするのにすごく良い場所だと言ってくれているのです。


島根県海士町。隠岐ですね、後鳥羽上皇が流されたっていう。



ちなみに上皇が流されるっていうと、豊かな島に流すんですね。ほんとに貧乏な島に上皇は流せない。だから魚とか農作物がきっちりと採れるといういい条件の島だっていう、証査なんですけども現在はそうとうめんどくさい場所にあります。境港、あるいは七類っていう港から、フェリーで三時間半くらい朝鮮半島の方に行ったとこにある島なんですね。頻繁に行き来できる場所にある島ではない。家島町の話をうけて頼んでくれたのは、海士町なんですが、島根県。2400人の方が住んでいる島なんですが、住人参加で総合計画を作ってほしいという依頼。5年で200人以上のIターンの人がドサーッと入ってきているんですね。なので打ち合わせに行く度に新しい人が入ってきている。この人は早稲田大学卒業で、なになにを勉強していて、ここから入ってきました。東大とか、話を聞いていると一般的にやたらと学歴の高い方達がやってきているような感じがするんですが。都市部で働くっていうことが家賃のために働いているだけって感じていたり、新鮮な食べ物を食べていたいとか、そういう若い人たちがここに移住してきている。そういう人たちと一緒に、行政がどんな役割をするべきかということを10年分考えましょうというのが総合計画づくりです。これをつくったらそのあとは当然組織化をやりますから、主体形成って呼んでいますけど。で、主体が出来上がって、いまはプロジェクトをそれぞれの自治体がやっていってくれています。

合併するかしないかっていうときに、やっぱり自力で歩んでいこうっていう。単独行政でいきますって決めました。町長が元々NTTに勤めていた人で、島出身で帰ってきたときに自分の給料をまず半分にして、半分にしたら若い人二人くらい雇えるだろうってそれで新規事業立ち上げさせたりして。課長級には「私のまねは絶対にするな」って言って、だけど志としてはこうだ!って言って。役場も一つの会社みたいにならねばダメだっていって。だから営業活動もどんどん行くしそこで役場の人たちは島根県庁も行くし霞ヶ関も行くし、どんどん、今自分たちがなにをしているのか。国は自分たちになにをしてほしいかって話をしているような人たちです。そういう仕組みにどんどん変えていった。課長級も三割は給料をひかせてくれ、って願い出たという島です。住民参加というときに、漁師の人とか住民と話をしていくうちにどんどん話がつまっていったときに「とはいえおまえ給料役場からちゃーんと出てんのやろ」って言われてしまう。事実漁師さんより、お金の額面でいうと漁師さんより高いんですね。減らした三割を各課から集めてきて、これでまた若い人を雇えるんじゃないかとか言って、東京から来たひとが特産品開発をしたりして。かなり行政的に改革されているので評価されているんですが、問題がないわけではないです。確かに役場の意識は変わった。それで200人以上のIターンがやってきた。その家族とかもいるので、だから2000人くらいの人口が2400人くらいでキープできている。でも結局もともとの地元の人たちは、役場はIターンの人たちにばかりお金をつかっているじゃないかと文句を言っている状態が実はあったんですね。町長から総合計画をつくって欲しいとお話があったときに、地元の人たちにもっと関わって欲しい。総合計画をきっかけに役場がいまなにをしているかということを解ってほしいということもあるし。僕が持っていた問題意識とまさにフィットしたので、3-4年前に総合計画作りに携わらせてもらうことになりました。



で、島の人たち100人くらいに集まってもらって、会場で我々が何者か。どうやって進めていくかという話をさせていただきました。そこで住民の人たちが、このまま住民として生活しているだけじゃダメなのかなあ、やっぱり島のために私たちの一肌二肌脱がなきゃいけないし、脱ぐことが実は人生の楽しみに繋がるんだなあということを理解してくれたのが嬉しかった。海士町の強みをヒアリングして回りました。どんな視点でこれから10年の海士町にしていきたいですか。KJ法的にまとめていくと「なにしろ人が大事だ」という人と「生活が大事じゃないか」っていう人と「いやいや産業だ」という人と「環境」と。大きくこの四つくらいになって。チームに分かれて話をしていきましょうかということになっています。詰めていくときは二泊三日の徹夜とかの合宿で会議をやるので、もう最後はふらふらになってて、そこに僕らスキッとした顔で「煮詰まってますか!?」とか聞くから、そしたらここはこうこうこうで、こうでどうですか?って整理していくと、みんな体力の限界で「そうかもしれないですー」って言って決まっていっちゃったりとかもしますがー。最終的には総合計画なんで言葉を決めていかなければいけないです。総合計画って法律で定められていることなんで議会の決定を受けなければいけないってことになっているんですね。どこの市町村に行っても総合計画っていうのは行政がやりたいことが書いてあるから、議会としてはちゃんとチェックしなければいけないんで、役場がやりたいことだけ書いてあるんちゃうか!っていうことになるんですが。海士町の場合は一年以上の時間をかけて住民の人たちが話し合ってきたんだっていうことを議会の人たちはみんな知ってますから、住民の人たちがまとめてもってきた総合計画に対して、議員が否定する理由がみつからないんですよ。それですうっと通ったんですね。これは本質的なところに近づいたなあと思いました。いままでの総合計画っていうのは役場の各課と、それからシンクタンクとコンサルタントとだけで話し合って決めていましたから、中身なんか「潤い豊かな街作り」とか、どっかでなんか聞いたことがあるような名前が、ずざぁーっと並んでるんですよ。なんでそういうふうになっているかっていうと、十年間やっていくうちでぼんやりと全部入っていないと、行政としても都合が悪いからっていう理由もなくはないんですが、そういう総合計画の作り方ってやっぱりすごくもったいなかったですよね。実際それをやる担い手が私たちはこれをやりますっていうことをきっちり出したっていうことと、それを受けて行政は、住民はやらないかもしれないけれど役場としてやらなければいけないことはここですねと、きっちり提案できて住民提案と行政提案が、一つの総合計画の中にしっかり入ったっていうことが、今回すごく良かったことかなあと思います。総合計画のことを議会に説明するときに、コントのようなことをやって説明するチームが出て来たりするんですが、こういうのやっぱり異例ですね。環境のチームとか、カニとかお面つけて劇とかやり始めるんですよ急に。「焼却場が無くなってこまってんねやー」ってゴミどうしよーって「えーい海にすててやれー」って捨てると、カニかなんかが「コラぁー」って出てくると。笑。そういうのをやって議員の人たちが笑っているっていう風景はなかなか見ないなぁっていう。

島の幸福論



第四次海士町総合振興計画(PDF Download

みんながヘロヘロになって、結果的に最後にえい!やぁ!で決めて言ったというのが「島の幸福論」ていうですね。結果的になにを目指しているのか。島ならではの幸せって結局なんなのかってことを、全てのチームは追求したいと思っている。都市では相対的に学力とか教育が高いんですね。こんなに多くの人が大学院まで行っている場所ってのは地方ではあまりありませんから。ここが高い。なぜ学歴を高くしたいかっていうと、少しでもいい大学を出て、いい会社に入り所得を高くしたいから、ってことになっちゃいますね。それだけじゃないと思いますけども、なぜ所得を高く持ちたいかというと少しでも広い家に住みたい。少しでも安心安全のある場所に住みたいとか、少しでもおいしい野菜を食べたいとか、少しでもやりがいのある仕事とか、少しでも自由になる時間とか、少しでもいい仲間と出会いたい。



一方で海士町は、高校卒業とかいうひとはいっぱいいますから、学歴は高くない。所得は正直言えばそんなに高くないです。だけどその目的になっている広い家だとか新鮮な野菜とか自然とか楽しい仕事とかコミュニティとかってのは、もういっぱい島にはあるんですよ。だから都市が目的にしているところを、海士町はすでに持っているとすれば、我々はいったいなにを大事にしなければならないのか。本当に都市部と同じくらいの所得が必要なんですか?と。そのために一所懸命になる必要があるんですか?高卒ってこと恥ずかしいですか?とか。もうまったく違うじゃん、手に入れられるものが違うんだからって。島の幸福てのは都市の幸福とぜんぜん違う。どっちが正しいではないんだけども、島に住んでいたいと思う人たちはどこが強みなのか。どこを売りにすべきなのか。そしてどこを楽しむべきなのかを、もう一度考え直しましょうと。だとすれば、どういったことを行政と一緒に展開していくのか。あるいはこうやって街作りのために話し合っていくこと自体も楽しみだよね、と。そういうことになりました。



そしてこの大綱ができています。総合計画としてはちょっと異例なまとめ方なんですね。なぜかというと教育委員会はどの政策をやればいいか、産業振興課はどの政策をやればいいか、環境課はどれをやればいいかよく見えないです。住民視点になっちゃってるから。



で、各課ごとに振り分け直したのがこっちのページです。色が変わるんですね。住民視点の方と入れ子になっているんですが、10年間各課はなにをするのかということを色を入れ替えて示しています。



第四次海士町総合振興計画「別冊」(PDF Download

もう一個別冊という方を作ったんですが、こちらはまさに住民が提案したものを作っています。住民が提案したものが24あって、24の政策を行政も一緒にやりましょうってなったんですね。理念として「家の前に落ち葉が落ちているから掃きにきてくれ」って役場に電話をするっていうのはナンセンスだから、一人で掃くとか、隣の家と七軒で一週間に一回朝子供達が通学する時間に掃除するとかって安全安心の通学路をつくることにもなりますよね。一週間に一回それをやるだけでも街作りですよと。ひとりでも街作りができるということが伝えたかったことです。プライベートからできる街作りとパブリックからできる街作りが流動する。一人でできることは一人でやってくださいと。十人いなければできないことは十人集まってやってくださいと。それぞれ10人でできること、100人でできること、1000人でできること。1000人以上集まらないとできないことだけ、役場に相談しに来てくださいということをまとめました。この冊子の文字は11級以上。お子さんでもおじいさんでも読みやすいものにしたいな、と思いました。総合計画に関しては書かなければいけないと法律で決まっているので書きましたが、それはもうなるだけ薄くしようと。通常一センチくらいあるんだけれど、できるだけ薄くしちゃって、別冊の方を充実させています。それでこれしゃもじがモチーフになっていますが、しゃもじが有名なキンニャモンニャ祭りというのがありまして。このしゃもじの顔が一人一人提案した人達の顔になっている。微妙に。島の人が見ると「あぁ〜。あの人ちゃうか?あんた載っちゃってるんだから、やらなきゃあかんで!」ってなる。で「しゃぁないなぁ」ってことでみんなやり始めていますね。実際にこの24の提案の中の四つは動き始めています。

僕らがこう決めたんで、これこれ一緒にやってください、っていうことは極力なくそうとしています。正直やっちゃってるときはけっこうあるんですけどね。七人くらいのテーブルで、これこれいいねこれこれいいねって言って出してきて、最終的に決めたっていうプロセスは共有しておきたい。だから、誰かが出してきた言葉っていうのは最終的にいいわけで、専門化が入ってきて用意された答えはあまりよろしくない。それでも、えいやぁ!で決めなければ決まらない時もあるんですよね。さっき言ったみたいに、二泊三日の合宿で徹夜明けでふらふらだったりすると、第三者から見ると、これこれこう見えます。って言って決めちゃうことはありますね。

というような海士町での活動でした。


兵庫県姫路市。家島



家島ってのは兵庫県の姫路市の沖合にある島です。そこに一人で入っていって、だんだんだんだん仲間を集めて、漁師のおばちゃんとかね、漁協のおばちゃんとか旅館のおばちゃんとかと仲良くなっていって、街作りって大事ですよと。街作りって社会に対してなにをしてあなたの生活がすごく充実します。すごく友達広がりますよって言って呼びかけ回っていった結果、その島で初めてのエヌピーオーってやつが生まれて。7000人の島なんですけど、その島の人たちは、島の中で積極的に街作りの活動している10人のおばちゃんたちのことを「エヌピーオー」って呼ぶんだと思ってるんですよって。笑。ちょっと勘違いされてる。だからテレビのニュースとかでNPOって言葉が出てくると、あのおばちゃんえらい遠くでもがんばってるんだなぁ!って。笑。凄い勘違い。そんな認知度です。たまたまうちのスタッフの女の子が島に入っていったんですけど、島のおばちゃんたちとえらいバトルして。「そんな写真ださんといてくれ」とか言われて。「いやいや恥ずかしいといより僕らはこういうとこが面白いと思うんですよ」というような話し合いをして島作りをしてきたというのが家島の話です。

家島っていうのは兵庫県の沖合にある島ですね。淡路島と小豆島の間にある。採石業、山ガンガン削っているんですね。関西国際空港とか、南港、築港、っていわれる大阪の港の基礎の部分。堅い石なので、土台をつくるのにつかえる。もともとは漁師の島。で、家島の課題として採石海運は衰退。原油は高い。「街作り」っていう言葉は誰も聞いたことがない。行政もやったことがないという状態。2002年に僕が担当していた子が卒業制作で街作りやりたいっていうから、街作りやりたいって言うのはだいたい有名な街作りの所に行って「ここはこうこううまくいったから成功しました」みたいなレポートにすることが多いんだけれど、やっぱ僕らも街作りの仕事をやっていて一番大事だなぁと思うのは、いかに地域に入り込んで行って、笑顔とコミュニケーション能力でその人達と会話して、町で今なに困っているかを聞き出せるか。課題は聞き出せばわかると。答えは自分でみつけると。半分くらいは、見ず知らずの人達から話を聞いて、その町の本質的な課題を炙り出すこと。で、その子に「研究室の壁に西日本の地図を貼って、大阪めがけてダーツをぴっと投げていって刺さった地域に入っていくくらいの気持ちでやらなきゃダメだよ」って言ったら、彼女は本当に研究室の壁に西日本の地図を貼って、投げたんだけれど、姫路の沖合の島に刺さっちゃって。笑「先生、島にあたっちゃったんですけど。行ってきます」って言って「いや、それ、例えだから行かなくていいんだけれど」って言ったんだけれど、もうそのまんま船に乗って行ったんですね。姫路港から25分で着く島なんで、島に入っていったら、人口7800人の島に、女子大生が一人でウロウロ。それで島中で噂になって、あいつはなにしてんだ!と。しかも「困ってることないですか?」ってやたら聞くと。すぐ噂にはなるんですね。その当時、石の出荷額とかもかなり減っていましたから、家島町再生プランっていう検討委員会があるんです。検討委員会に、その学生の若い意見も入れた方がいいんじゃないか?って話になって、その委員会の委員の末席に加えさせてもらったらしくて、そこで委員会の最中にずっとケータイのメールとかで「いま、こんな話になってます。なんて言えばいいですか?」なんて。笑。僕の所に送られてくる。生活自体を見直すとか、住み直すとか、そういうキーワードが必要だ、って言ったら、そのまま「住み直すっていうのが必要だと思うんです!」ってばばぁぁっと言ったら、漁師のおっちゃんに凄い怒られて、泣いてた。っていうような委員会ですね。ただ、この委員会の座長が、一橋大学の関先生っていう人で、その先生がゲラゲラ笑っていたらしくて、面白い!あの学生は面白いって言って。それで海士町の企画財政課に「あの女の子面白い。あの女の子にいろいろ聞いてやりなさい。」って言ったらしいです。それで彼女を通じて僕の所に話がきて「島で初めての街作りっていう冠が着いた事業をやりたいんですが」っていうから、それはもう有り難いことだから街作りをするにあたって、その石上さんていう女子大生とか、その他学生さんも一緒にやりました。



探られる島プロジェクト

街作りをやりたいって言ったときに、最初に現れたのが10人のおばちゃんだったんですね。このおばちゃんがさっき申し上げたエヌピーオーってやつを立ち上げる核になってくれたんですね。すっごいダイナミックなおばちゃんですね。ピーナッツ鼻の穴の中に入れて、ふんっ!て飛ばしちゃうようなおばちゃんです。漁師の奥さんですね。で、街作り研修会の中で、おばちゃんたちに「なにをしたいですか?」って聞いたらガイドブックつくりたいっていうんで、自治区毎のガイドブックをつくりたいっていうんで、町歩きしたり。家島神社とかですね、お祭りとか、風景が綺麗な所、桜の名所、そういうの入れて出来上がったら行政の人達も「いいのができたねー」ってニコニコ笑ってるんですがぁ。僕らからして見たら、大阪や神戸からそのガイドブックを見て行ってみたいと思うひとはいませんぜって、ずーっと言ってたんですね。申し訳ないけど、家島神社も大阪には住吉大社がありますぜ、っていう話になっちゃうんで「むしろ家島もっと面白いところいっぱいあると思いますけどね」ってなことを言ってたら「だけど街作りは島の人達がやりたいように作るのが街作りだからこれでいいんじゃないか」っていうような話をされちゃって、だったらもう行政のお金を使わずに勝手にやりますということになりました。町遊びみたいなことをやろうってなって、勝手に島の外の人達が入ってきて「島のこの部分面白い!」みたいなのをピックアップしてまとめて、島の人達に、正直に言って外から来たときにこの部分が面白いと思うんです。ということを言うだけ。それが否定されようが肯定されようがいい。それを五年やり続けようって言って始めたのが「探られる島」っていうプロジェクトです。で、この探られる島っていうのは、僕らがいつもやっているようにアイスブレイキングしたりチームビルディングしたりして、全国から集まってもらった人達に、自費でやってもらいますから参加費2万7千円なんですね。泊まったり、講師の人を呼んだり、最終的なアウトプットの印刷費をそれぞれ出してもらうってことで20人限定で募集したんですが、九州とか東京からも若い学生さんが来てくれましたね。で、その人達に面白いところで30秒に一回シャッター切ってくださいって言って何万枚も。その中で、あー面白いなーと思えるものの編集作業をやりました。で、どういうことが書いてあるかというと、神社とか見て僕らは面白いと思わないんですね。家島に行くと、外に椅子は置いてあるし、ソファーはぜんぜん防水じゃないのに置いてあるし、これ犬小屋でソファに座ってたりするし、やたらと冷蔵庫が外にあるんですね。時計も防水じゃないのに外に置いてあったりして、止まっちゃったらかけかえる。くらいのニュアンスなんですね。これ船の時間とかも関係してるんだと思いますが。およそ家の中にあっていいようなものが、外にボロッて出て来ちゃってるのが、僕らとしては面白いと。こんな島があるなら一回見に行ってみたいって思う。つまり家島っていうのはもう「家」「島」なんですね。島一個が家みたいになっていて、島に着いたらもうお邪魔しますって言って入っていくような島で。だから食べ物もいたるところに置いてあって。みたいなことを一年目の冊子にはまとめました。これ猛反対されましてね「こんな恥ずかしい写真のせんといてくれぇ〜!」って言われてね。五枚くらいは絶対に載せないでくれって言われた写真があって、かなりやばい写真とかもあったんですけど。そういうものの方が僕らは面白いと思うんですっていうことを理解してもらいたいと思って一年目はまとめました。

で、これを持って大阪から来る人がちらほら現れて、あぁ、ああいうもんが外の人にはいいんだ、って島の人達も解りかけて、二年目は少し心が寛大になったんですよ。だからそこにつけ込んで「絶対に入らんといてくれ」って言われていた環境破壊っていっつも言われている石を採っている島を探らせてくれ、って言ってそこ入らしてもらいました。関西国際空港の下地を作った石がいっぱいあるわけですねぇ。実は関空自体の土台をつくった島が、ツーリスティックですよと。かなり砂漠みたいなんですよ。山を爆破して石を取り尽くしますから、そういう状態の中で、舗装されていないとこから石をガンガンガンガンとって行くんですが。そういう所が面白い。そしてまたつけこんで、三年目は民泊させてくださいって言って、家に上がり込んでいって、料理食べさせてもらったり。いろいろ話を聞かせてもらったり。僕ら一般的に「おみやげ」って言って渡されるものとぜんぜん違うものが出て来たりしてこれまた嬉しい。去年は空き家を貸してもらってそこで疑似生活を体験して、お金使わない生活はどこまでできるか?ってことをやってました。



いえしまをつくる25の方法。

おのずと人間関係が出来てくるんで、役場から総合計画をつくりませんかっていう話がきたので作りました。ただ、姫路市と合併することになっちゃったんで、町の総合計画は要らないってことになっちゃって、二年目の最後で合併が決まっちゃったんで、これはもう「家島を作る25の方法」として読本として冊子にして全戸配布することにしました。このときもまた10人でできること、100人でできることみたいにしてたんですが、それが出来上がってチームができたんでまさにこれからやる!っていうときに合併の話が持ち上がって。家島町の貯金が三億円ある。町の貯金が、この三億円が姫路市と合併すると姫路市の財政下の貯金の中に入ってしまう。そうなると姫路市は家島のために三億円つかってくれ「ない」かもしれない。と、思ったんですね。だから、合併まで残り一年だけれど、この一年の間に三億使い切りたいよと家島町から相談を受けて。「あんたんとこ設計やってんだぁ。やっぱりハコモノかなあ?」って話があって、なんか文化会館とか建てたいって、それの設計の図面を書いてくれないか?っていう依頼があって。三億円っていうことは県からも半分出してもらって、三億円も使って、トータル十億円近い事業になるっていう話だったんだけども。まぁ、デザイナーだったら僕ものどから手が出るほど欲しかった仕事ではありますけども、やっぱりそれやったら後で困ると。どうしてもそのハコモノの中を回していくお金がなかったりとか、面白くないことになっちゃうから、断腸の思いでそれを「やめたらどうですか?」って言って、やっぱり三億円あるんだったら街作りをこれからやろうと思っている人だったり団体に、上限100万円でいいからちゃんとしたことをしようとしている人達のスタートアップにお金を出していくのは重要で、そのことに使っていっても一年に10団体助成しても1000万円ですから、30年間ずーっと街作りの活動を支援し続けられる。町は自分たちでマネジメントしていくもんだ、っていうのが広がりますって言って。それを基金としてどっかに預けちゃったらどうですか?っていうことで、じゃあどうやったらいいんですか?って言われて、いろいろ調べてみて、わりとあるんですね広域信託銀行っていう制度が。これ主務官庁である兵庫県がオッケーって言えば、そこに預けちゃって選定委員会っていう委員会が出す、っていうふうに決めたところでないとお金が出せないってことになりますから、姫路市と合併しても姫路市が触れないお金になるんですね。じゃあそれやりましょう!っていうことで、当時の企画課課長がもう走り回って兵庫県から取り付けて、で、三井住友銀行の広域信託銀行に預けちゃって、家島ふるさと基金っていうのをつくっちゃったんです。こっれは姫路市怒りましたけどね。いまでも怒ってますが、でもやっぱり家島の公共的なことのために使いたいという当時の家島町の町長の意志もあって、これを決行しちゃったということでまぁ、おまえも発案者なんだから、選定委員会の委員になれと言われて僕も今その選定委員会の委員もやらしてもらっています。

で、最初に集まってくれた10人のおばちゃんなんですけども、NPO法人いえしま、っていうのをつくってくれました。これの特徴は本人達のキャラクターっていうのもあるんですけども、漁師の奥さんとか、仲買の奥さんとか、漁協の奥さんとか、旅館の奥さんとか、奥さん連が入ってくるってことなんですね。漁師さんっていうのは揃っているモノについては、仲買さん通じて漁協で取り扱ってもらえるんですが、ハンパものっていうのは自分とこで食べるか、捨てるかしなくちゃいけないんですね。これ、独自のルートで売っちゃうと、漁協とか仲買から総スカンをくらうんですよ。おまえらそんなことするんだったら、もう買い付けせえへんぞ。って言われちゃう。だからいままでそれもったいないぞ、ってなってたのが、おばちゃん連中の面白いところは「漁師さんのおくさんがこれだけ採ってきて余ってるやる、これ使って特産品開発しようや」って言ったら「アカン」て言うはずの漁協の奥さんが「いいねぇ!やろうやろう!」ってなって、漁協の奥さんも「ええやんええやん」ていうことになって、ホントは流通したらダメな魚をつかって、どんどん特産品をつくっていっちゃうと。で、そのために真空パックの機械が必要だって言ったら、助成金出してとってきて。そのレシピをみんなで公開したり、その売り上げを街作りのための福祉的なものに使って、っていうことで自己資金を稼ぎながら、街作りをやりましょうよ。というようなことになっている。この特産品の名前をおばちゃんたちは「手間いらず嫁いらず」シリーズって言ってるんですけれど、湯煎をしたらすぐ食べれるようになる炭火焼きの魚とかなんですよ。だからお湯で戻したらすごく香ばしくて、お嫁さんがいなくてもこれつくれるでしょ?っていう商品なんですが。

ありさとおばちゃん



それと「ありさとおばちゃん」っていう包装紙をつくってくるんで売ってるんですけど、これはさっき言った石上ありさっていうんですが、彼女が学生時代にたまたま島に入っていって、おばちゃんたちと悪戦苦闘して、NPO法人を遂に立ち上げて、その法人が東京とかにもいろいろと出荷してっていう仕組みが出来るまでを、七枚の新聞にしてくるんでるんですね。だから新幹線とかで食べるときに、ちょっと開いて、あぁ、家島ってそういうことをしてきたんだ。そんな面白い島があるんなら一回行ってみたい、って思ってもらえるようなものになったらいいねぇ。っていう。


以上、01:58:00のところまで。続きをご覧になりたい方はこちらから。
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