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生態学的な思考による地域のデザイン「ニシアワー」





西粟倉・森の学校が販売する商品展開およびピーアールキャンペーンの総称を「ニシアワー」と呼びます。これまで高度成長期を通じて培われてきた「なるべく時間をかけないで、流行を追いかけてゆき、やがて捨てられていく」そのようなものではなく、永く使い続けられるものをお届けしていく。そしてそのバックグランドにある作り手の想い、そのような商品がつくられている場所はどんな所なんだろう、という時間を見える化する、という仕事を2月の初めからやっており、徐々にかたちが出来てきたので、まずはそのコンセプトから少しづつ公開。

それにしてもこの二ヶ月間は、なんてエキサイティングだったんだろう。先に行きすぎちゃっててわけわかんない人の言ってることを見えるようにかたちにするときが、最も天職だなーと思う。

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speaker:牧大介氏(株式会社西粟倉・森の学校 代表取締役)@daisuke_maki
date & place:2010.02.20
神戸・三宮にて

岡山県西粟倉村は川の上流にあって、吉野川という岡山県内の三大河川のひとつの源流域なんです。村内の農業は100%無農薬にして、そこから用水路を通って流れ出す水も、川下の地域には影響を及ぼさないようにするというのが「100年の森林構想」にある。エネルギーも村内に水力発電もあるし、化石燃料を使わなくていい村にするっていうのが5年から10年後にあるし、村内で農薬をつかわない農業をしていこうという農家さんも出て来ている。



本当の意味での持続可能な農村の営み

稲が出穂(しゅすい)後、穂が巻くまでに農薬を撒かないと、カメムシが多い地域なのでカメムシにやられちゃうんだけれど、カメムシに稲が食べられるとシミが黒くなっちゃって、食べても問題ないけれどなんか嫌じゃないですか。200万円くらいの投資ができると光選別器っていうのが買えるんですね。そのために撒いていた農薬を撒かなくてよくなる。そうしたら農薬を被ってない米ぬかができる。それは床材に昔から伝統的に使われている。そうやって、木が床材として商品になっていくときに繋がりができてくる。短い範囲で繋がりが見えてくるし、単品では生まれない価値を認知させていく。ってことが森の学校ならできる。ほんとに優秀な農家さんを全国で繋がって売っていくのとは違う価値がある。ちゃんと仕組みとして稼働していくことにあと5年くらいかかるんですよ。それに賛同してくれる人たちをお客さんとして囲い込んでいるし、そのお客さん達にこれくらいの値段で売れているんですよ、ってことでそういう繋がりが価値になるんだということを教えていけるし。リアクションがとれてしっかり村民が納得できる。それが、大地を守る会や、ラディッシュぼーやなどの有機野菜の宅配事業とは違う点ですね。(いままでの有機宅配は、日本全国のどこかしらでポツンポツンと局所的に無農薬や無肥料の栽培をやっているところがあって、それをネットワークして売るっていう手法でやってきたけれど、それでは本当の意味での持続可能な農業や林業や、農村の営みということにはならないんですね)

人間も生き物なんだけれど、生き物っていうところから離れてきている。生き物の一員として生きていくっていう場所がここにあってもいいじゃないか。生きているという実感を感じる村。

大量生産大量消費の中で流通が縦に垂直統合されていった

昔は農民、漁民みたいに明確に仕事内容と業種が別れていなかった。生き物の行き来が専門化してきたとも言える。大量生産大量消費の中で流通が縦に垂直統合されていって、横の繋がりが薄くなったんで、規格化されたものをスーパーマーケットに卸されていくシステムはすごい整備されていったんだけど。田んぼはドジョウもいたし。生産量の単位あたりの最大化って概念は昔は無かったわけではなかったけれど、今はそれしかなくなっていて。稲をつくるだけが田んぼの仕事じゃないんですよ。春先からいっぱいプランクトンが涌いてきて、田んぼの中でばくばく食べていて。田んぼが魚の揺りかごになっていた。特に田んぼは面的な側面が重要なんだ。部分最適を追求して流通を縦に繋いできたことによって、たくさんの価値を失ってきた。



食べる米をとる以外にぬかを穫ったり、藁(わら)はいろいろな用途で使ってきた。層の連関というのは生き物の行き来があって、面的な生態系の豊かさ、賑わいってものがあったけれどそういうものが失われている。西粟倉でも昔は田んぼに魚が入っていた。田んぼと川がそんなに分断されていなくて、用水路とかが今ほどきっちり整備されていなかったから魚が田んぼに入ってくるんだけど、今は排水と給水が完全に分離されていて、水量の管理はしやすいんだけれど多様性は失った。

生態系全体としての価値を高めていきたい

要するにやっていきたいと思っていることは、生態系全体としての価値を高めていきたいっていうこと。衣食住を合わせて提供していく。人を含めた空間構造がどう変化してきたかってことが重要。昔は牛がいたから、牛を媒介にして山と田んぼが結びついていた。山って、木ばっかりが生えているわけではなくて、草地をたくさんつくっていた。田んぼを耕すのに牛がいるので、昔はトラクターがなかったので牛が草をたくさん食うんで、草山が広がっていた。雪解けのあとに火入れをして、焼けた後から草が「わっ!」と育ってくる。牛に食べさせてそれが堆肥になって、という循環があった。重機の代わりは牛しか動力がなかった。平地だと馬をつかっているケースもあるけれど。



牛は黒毛の和牛が多くて、大きく育てるとえらい良い値段で売れた。昔は数少ない現金収入だった。牛を怪我や病気で殺してしまうと、そこの嫁さんはものすごい大きい責任問題になってたくらいで。牛が食べる草を刈るのも奥さんの仕事で。1960年代まで、江戸時代よりちょっと前から1960年代までだから、4〜500年はそういう営みが山村では続いていた。そのときは山がしっかり手入れされていたから、ちゃんと間伐されて明るかったしね。今は川縁まで木が生い茂っちゃってるから暗くなっちゃってる。それに川にも生き物が多かった。今の10倍くらいいた。日本人のタンパク質は川から取っていたっていうくらいで。川も今みたいにダムがなかったから、海から上がってきたうなぎとか、鮎が採れた。いろんな養分が下流に流れていくんだけれど、河口から一気に産卵のために上に流れてくるから、流出した窒素分が魚と一緒に上に上がってきた。北海道のシャケなんかは顕著だけどね。

生態の循環は森が起点になっている

だから、単純に森とか林業を再生するっていうよりも、森が起点になってるだけだから。森が育むおいしい米を育てて、タニシは気候的に西粟倉にはいないんだけれど、どじょうが戻ってきたりするといいなっていう。農薬も昔に比べたらあんまり使わなくなってるんだけれど、最近、節足動物とか昆虫類に特化した農薬がでてきているらしいんだけれど。それ使うとプランクトンも死ぬんだよね。虫がたくさん川の中に涌いているってことが重要で。できればそんなに農薬を使わないような農業ができて。日本の中の、ある特定の地域で無農薬の農業をしていても、あまり生態系全体にとって意味がない。西粟倉は村全体でそういった生態系の繋がりをつくることができつつある。そこから僕らが食べる食料も得られるような可能性が、西粟倉にはあるんじゃないかと思っている。

絶滅危惧種に、川ガキっていうのがいるの。川で遊んでいるがきんちょのこと。笑。ほぼ全国的に絶滅しかかっている。


滋賀県高島市で発見した「川ガキ」2007年8月 http://tamachan.jugem.jp/?eid=341

そういうのも含めて失われた価値を取り戻す。そんなに莫大な量にならないんだけれど。売るってことに繋げていかないと。森の学校は家だけ売っていればいいんだけれど、なんで米とかまで口を出すの?って村の人によく言われるんだけれど、いちいち説明するのは大変なんだけれど。笑。単に木を売っている会社では、できないことができるんじゃないか。

科学的にしっかり手法を体系化した上で、一つの地域を再生させる

パーツパーツも科学的に、しっかり体系化して、その手法を確立していくっていうことはアミタの持続研でかなり出来たんだけれど、それを統合して一つの地域を再生させるってことはやったことがなかった。農水省、林野庁って縦に割れてるところでは、シンクタンクとしては利益も縦でしか出せなかった。要は戦後の産業構造そのものの問題を農山村が抱えている。農村での一番元締めが農林中金だけれど。中央組織のための末端組織、下請けになってきた。地域が地域として全体性を持って価値をお客さんに届けてくれるのは、自らものを売るっていう考え方は放棄せざるをえなかった。

インターネットが普及してくるとともに、それまでの流通とは違うやりかたをしていくことができるようになってきたけれど、売るってことに対してはすっかり意識がなくなってしまった。自分でお客さんをつくるっていう気持ちが萎えている。単なる下請けだったら、中国とか海外の方が優れている。特に大規模だとね。

伝統的なワックス。米ぬかのまま布に包んで拭けばちゃんと油がのってくるから、買わなくていいんですよ。けっこう高いですしね。

養殖もやりたいんですよ。粗放養殖。ローインプット、ローアウトプットの方が、出てくるもののクオリティがより自然に近いっていうか。ちゃんと利益が出る。土地生産性を最大化するっていう考え方から、いまだに大学の農学部は抜け出せていない。できるお米のクオリティを優先して、粗放的、ローインプットでもやっていける。土地が限られた中で、きつきつで人が生活してきたから、土地生産性を高めたいってことを日本人は深いところまで組み込まれている。

何日か前に藤原久美さんがつぶやいてたけれど、イタリアの方で河口で養殖していて、病気になった魚は勝手に鳥が食べにきて二割くらいは減ってしまうけれど、手をかけずに自然が自然のままに処理してくれるっていう養殖のシステムがあって。魚を収穫することで無駄な窒素分が魚に吸収されて出荷されていくから、水質が綺麗になるっていう話。こういうことを産業化していかなければならない。

いくらでも虫がいる。アマゴとかイワナとか。虫を夏場に食べるんだけれど、虫は光があれば勝手に集まってくるから。西粟倉には休耕田がたくさんあるんで、そういう魚の育て方をしてもいい。土地の利用ってのは技術体系を変えればやれることはたくさんあると思う。


春になって、間伐されて光が差し込む場所にだけ咲くミツマタの木。まるでホタルか妖精のように輝く

山もちゃんと干ばつができれば、できることはたくさん増えてくるから。ミツマタっていう木があって、和紙の材料になる。順調にいくとミツマタがこれから増えてくるんだけれど、丁度和紙の作家さんが村に入ってくるから。いい森になると、いろんな生き物が増えてくるし。あと、道沿いの木を干ばつして光が入ってくるようになると、自然に山芋が増えてくる。天然の山芋も自然に発生してくると。

人口1600人くらいのスケール
人口1600人くらいのスケールじゃないとそういう新しいモデルをつくることはできない。新しい仕事とか雇用っていうのは生態系もふくめて「生」のポジティブな連鎖が始まると村全体としてのブランドがじわじわ高まってくるし、エネルギーも面白いことができると思っている。年間一万立方メートルくらいの木材が売れるっていうルートがつくれたら、製材所から出てくる木くずだけで、村内の灯油の需要の三倍から五倍くらいのエネルギーができる。具体的にはペレット燃料って言って、木くずを固めてペレット状にする。指くらいの大きさの固まりにして、ボイラーに連続投入できる。薪ストーブもいいんだけど、人間が手をかけてくべなきゃいけないからね。そういうのが楽しめる人ならいいんだけれど。まぁ、灯油の代替になる。村でやると輸送コストもかからないんで、灯油より安い。灯油買わなくて済むし。

充電場所をおばあちゃんたちの交流場所に
電気は家庭用の電力をまかなう水力発電を村営で持っていて、村が小型の発電所を持ってるっていうのは全国的に例がなくて。村で独自に小さな発電所をもっている。本当は行政が発電所をつくってはいけないことになってるんだけれど、農協にお金を出して、実際あまり運用されなかったんで、結局それを村が運用している。そのまま家庭用の電力として供給するよりはモビリティ(公共交通)の方に持ってったほうがよくて、これから電気自動車が普及してくるから。ガソリンを買わなくても村内及び周辺の移動手段は確保できる。充電場所をおばあちゃんたちの交流場所にしたらいいんじゃないかって思ってて。電気は村内でほぼタダで手に入るという状況にしてしまって。今つくっている高速道路が完成すると、ほぼ外の車が村の中に入ってこなくなるから、おばあちゃんがうろちょろするのにいい環境ができる。チャンスだなーって思ってる。まずはモビリティを優先してしまえば、ガソリンの高騰があっても西粟倉は影響を受けない。生態系も豊かになっているから、田んぼだとか川を見ても、地域内で食べるものがふつうに落ちている状況。米だけは3000人分くらいつくれる。米だけじゃなくていろんな価値を生み出せる状況を多層的につくってきたら、食料だけでも豊かになるし、物質的に村が豊かになる。

自然資本をベースにした経済システムをつくれる可能性
いままでは、森の学校を単に「木を売る会社です」って言ってきた。だけどもう会社としては設立できて、そろそろ本音の話をし始めてもいいかなっていうタイミングになってきた。本気で思っている夢を語ってもいい状況。



西粟倉は、貨幣資本じゃなくて、自然資本をベースにした経済システムをつくれる可能性のある村だと思う。源流域であるということも含めてやりやすい村だったわけで。役場や村長が単に応援してくれる、ってだけでもないんだけど、条件としてはかなり揃っているわけ。こういう風に面白くなってくんだ、ってことがじわじわとでも集まってきたら、もっとスピードが上がるんだけども。村民で、こういう話がわかってくれる人はいないわけではないんだけども。時間はかかる。森の学校の社内においても、ちゃんと見える形にしておかないと。

全体の設計図はできているけれど、適切なタイミングに、部分部分で話をするってことを今までやってきた。ここ一ヶ月くらいはずっと村でエネルギーの話をしていた。

オオサンショウウオ。川の生態系の一番上にある。森があって川が豊かになってくると、生きていくことができる。人間はオオサンショウウオ以上に川から得られる恵みをえて生きていくっていうことから、ファンドメンバーの象徴として携帯ストラップになっている。これを見せると村内の宿泊施設が安くなったりする。

海士町とか、得体の知れないエネルギーがあるようにはなかなか西粟倉はならないんだけれど。設計はできているんだけれど、どう説明していくの?っていうことはあって。海士町によく出入りしている人たちは、西粟倉まで来るとわかるんだけど。ぱっと見のわかりやすさは海士町にはかなわない。

僕は生態学的な思考で地域のデザインが、たまたまできる。だから生態学の基礎がある人たちと話がしやすい。

西粟倉に新しい製材所をつくらないといけない。数億ぐらいの規模でお金を回していくってことをやらないと次のフェーズに行けない。

今話したようなことはたぶん10年かかる。最短でも5〜6年。順調にいけば7〜8年。西粟倉のモデルが完成したら、他の地域から参考にしようとしてくる人たちが見にきて、それを自分たちの地域に展開していこうというところまで、まずは持っていこうってことですね。見に来た人たちは、単純に横展開はできないから応用することを考えなければいけない。結果を模倣するということにはあまり意味がないから、地域なりの模倣論を体系化していかなければならないかもしれないし、そのときの僕が自分の住んでいる周りの関わりのあるところだけがんばろう、っていう気になっているかもしれないし。まだわからない。地域プロデューサーの育成っていうこともあるかもしれないし。あんまりまだ地域プロデューサーみたいなものは職業になってないし。西粟倉をまず圧倒的な成功事例にもっていかなければいけない。それが出来てから考えていけばいいんだろうなと。

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ホントに持続可能な地域作り「西粟倉・森の学校」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=670

そうだ、あの森へ行こう! 岡山県「西粟倉・森の学校」の地域デザイン | greenz.jp
http://greenz.jp/2009/11/03/nishiawakura_forest_school/
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