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Output and input from 1998 to 2010
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人間性の未来に対する、50年の相剋の歴史
こういう知識ってぜんぜん技術的な話ではなく、一つの思想が半世紀をかけて生まれてきた歴史として今や既に常識だと思っていたんだけれど、案外知らない人が多い。いままでインターネットとITはやたらといっしょくたにされて、技術的な側面ばっかりが強調され、誤解されまくってきた。いまだにそれは変わらない。けれどでもそれではそろそろまずい。コンピュータが使いこなせることが大事なんじゃなくて、個人と個人がネットワークされて、そこでどういうことができるようになるかを想像することが大事なのであって。その上で、なんでもかんでもデジタル化することが大事なんじゃなくて、人間性の本質に立ち返るためにデジタルがあるっていうことが大事なんだ。そのあたりを勘違いしている人が多すぎて、多すぎて。わからないとかで済まされる時代は終わったんだよ〜。無知ではもう済まされない。


下記の年表は、日本とアメリカのインターネットとコンピュータと、新しいメディアが生まれるまで。ある意味では、人が人であろうとするための人間性と向き合ってきた歴史だとも言えるだろうし、トフラー的に言えば「第三の波」を生み出してきた歴史である。

前提として。
15世紀ヨーロッパで起きたグーテンベルクによる活版印刷技術によって、当時ラテン語でしか写本されていなかったキリスト教の聖書を「大量に」印刷できるようにした。それを一、地方言語に過ぎなかったドイツ語に翻訳して出版したマルティン・ルターによって宗教改革が起こり、ローマ・カトリックからプロテスタントが派生し、ひいてはフランスで市民革命が起こるに至る。そのように15世紀の活版印刷技術に対応するものが、20世紀のインターネットだっていうのは、ずいぶん前から言われていることである。


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1964年
文明批評家マーシャル・マクルーハンが「ホット」と「クール」なメディアという分類や、「メディアはメッセージである」というテレビメディア論、グローバルヴィレッジ(地球村)のような分析・視点を著書「メディア論」の中で展開した。

1967年
評論家の竹村健一によってマーシャル・マクルーハンの解説本が出て、日本にマクルーハンが初めて紹介される。

1968年
アラン・ケイが、まだ大型のメインフレームコンピュータしか存在しなかった時代に、個人の活動を支援する「パーソナルコンピュータ」という概念を提唱した。

1968年てのは、それ以前とそれ以後でだいぶ変わってくる。それまでは社会があって個人があったんでしょうね。期せずしてアランケイがパーソナルコンピュータを発表したのが1968年だったんですね。人間てなんなんだ。ってのが全部ばれちゃった時期だと思うんですね。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=167

1969年
米国内への核攻撃に対する軍事ネットワークの分散のために自律分散協調をコンセプトとした「ARPANET」が開発され、インターネットの原型となる。1990年以降、ARPANETが商用事業化され、インターネットと呼ばれるようになる。

慶應義塾大学理工学部に相磯秀夫研究室が設立される。相磯研から1969年に「ソニーコンピュータサイエンス研究所」を作った所真理雄が。1973年に「ユビキタス・コンピューティング」の坂村健が。1979年に「日本のインターネットの父」と言われる村井純が。1982年には「ウェブ進化論」の梅田望夫がそれぞれ在籍していた。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=595

1970年
ゼロックス・パロアルト研究所の設立。イーサネット(LAN)、レーザープリンター、グラフィカルユーザインタフェース(GUI)等、現在のコンピュータの基礎がここで生み出される

大阪万博はテレビ時代の博覧会になるので、通産省は、当時非常に高名だったマクルーハンの弟子達にみてもらわなければならないということで、日本政府は調査費用として三億円を計上する。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=54

1974年
世界初のパーソナルコンピュータ「Altair 8800」が発売される。一般消費者向けに販売された世界初の個人向けコンピュータ。当時まだコンピュータは、巨大で高価かつ貴重な演算資源を個人が所有し占有することは、経済的に困難と考えられていた。

1979年
スティーブ・ジョブズが「ゼロックスからの出資を受け入れる交換条件」としてパロアルト研究所を見学し、マウスとグラフィカルユーザインタフェース(GUI)が前提として動く研究段階のコンピュータ「Alto」に衝撃を受ける。これに影響を受けて1984年にMacintoshを発売するに至る。

1981年
未来学者アルビン・トフラーが「第三の波」出版。プロシューマーの出現を予言する。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=561

1984年
アップル・コンピュータがMacintoshを発売。発売を予告するCM「1984」は、全体主義的な未来像に挑戦状を叩きつけている内容で、そのカゲには巨人IBMの姿が見え隠れしており、その過激な内容と映像が全米の話題となった。

村井純が慶應義塾大学と東京工業大学を接続。同年10月に東京大学が接続され日本におけるインターネットの起源となる。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=399

1990年
ティム・バーナーズ=リーによって、World Wide Webシステムのための最初のサーバとブラウザを完成させる。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの開設。80年代終焉、明治以来の工業化=物的大量生産の時代が終わり、「脱工業化社会」「第三の波」「知価社会」を模索する中設立され「未来からの留学生」というコンセプトが生まれる。相磯秀夫が初代環境情報学部長に就任する。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=631

1995年
Windows95の登場で一般個人でのインターネットの利用に加速がかかる。

2000年
ITバブルによって、急速に資金が雪崩れ込んだために、インターネットは従来型のメディア構造の波に飲み込まれ、マスメディアの延長線上とそう変わらない位置付けに矮小化されていく。すべては資本主義の渦に組みこまれていくかのように見えた。

物理世界とバーチャル世界の新たな関係性を説いた論文「アトムからビットへのパラダイム転換の諸考察」が情報文化学会で発表される
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001882411

2003年
スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授によってクリエイティブ・コモンズ誕生。従来の産業を保護するために極端に作り替えられた著作権法に対して、一石が投じられる。知的所有権のスタンスを表明するという概念が生まれる。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=5

2006年
ネットは新聞を殺すのか?西暦2014年、グーグルとアマゾンが合併し、グーグルゾンが生まれるという映像。「EPIC2014」が話題になる。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=339

Googleが脳に変わる日
http://tamachan.jugem.jp/?eid=85

2010年
新聞社、出版社の淘汰、改革が始まる。日本において、年間のインターネットの広告費が遂にテレビの広告費に迫る。従来のメディア構造が雪崩を打って崩壊し始めた記念すべき年。

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以上の歴史をふまえた上で、下記の文章を読むと世界がどう変化していくのか、という方向性の一端がうっすら垣間見えるような気がするのです。

デジタルメディアの出現は、地球の生命史における4番目の跳躍だ。竹村真一氏に聞く。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=193

そして、それらをほぼ共有した人たちで雑談していたわけだ。
http://tamachan.jugem.jp/?eid=662
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