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作り手と売り手、そして使い手の関係性。エフスタイルのものづくり


京都精華大でのプレデザイン授業 第三週
speaker : 西村佳哲氏 x 五十嵐恵美氏、星野若菜氏(F/Style エフスタイル)
data & place : 2010.05.29 京都精華大学黎明館 L-001教室 2限〜4限

たぶん、いま一番興味のある分野かもしれない。ものを売って、買って、使うということは、イギリスで18世紀に産業革命が起こってから現在までの間に、分業化、専業化が繰り返され、そして20世紀の初めにアメリカでT型フォードが大量生産されるようになった時点でだいたいの基本形が完成した。その後100年を経て現在の僕たちがものを売り買いしている状況になっているのだけれど、様々な観点からこのシステムの矛盾を日々感じながら暮らしている。大量につくられることで発生する大量のゴミの問題。大量に販売されることによる造形としてのデザイン上の矛盾、プライスと流通の原則の前では、なにをやってもいいかのようなメーカーとマーケット関係者の振るまい。このような矛盾が何故生まれたのかということについて、僕も十数年ずうっと疑問に思い続けているし、そして西村さんという人も思い続けてきたのだろう。今回のお話は、その原因の一つに、作り手と売り手、そして使い手の関係性が希薄になってしまっているのではないかという仮説に基づいて、その最新の調査結果と挑戦の報告といったような内容だったと理解している。

日本のものづくりに魅力がなくなってきたと言われはじめてだいぶ経つけれど、この一年くらいで遂に終わり(と同時にドラスティックな変化の時期を)を向かえつつあることを感じている。崖っぷちのソニーが、自らの最大の弱点であるソフトウェア技術を補うためにグーグルと戦略的提携を行うなどの対策がとられているけれど。ひとつひとつ掘り返していけば、さまざまな問題点があったといくらでも理由付けをすることはできるけれど。そもそものところで一人一人の思いを丁寧に受け渡していくことを僕らは忘れていたんじゃないだろうか。等身大のスケール(ここが重要)で、そういったごく当たり前のことが日本の隅っこから、小さく小さく始まっていることが、どういうことなのかを考えるいい機会になった。
西村
プラッタっていう中目黒のカフェがあります。そこのシェフをやっている子が、真っ黒に焦げた鍋をぴっかぴかにできる技術とかをもっているわけ。「それをきみどこで学んだの?」って聞いた。学校で学んだ、辻調理専門学校で学んだと言っていたんですね。一年生から二年生で、そういうこと全部やりますよ。って言っていたことが衝撃だったんですね。彼女がパティシエだとか洋菓子だとか専門的なコースは専門的なことしか学ばないんだけども、彼女がやっていたことは総合的な教育だったんですね。小さなのれんを下げれるような店をつくれる人をつくろうとしていたんですね。辻調は自分で生きていくことに責任を持てる人を育てていた。

そのときに自分が受けたデザイン教育はなんだったんだろう?って思ったんですね。武蔵野美術大学ってとこにいたのですが、僕が受けてきた教育っていうのは要するにどこかに就職して生きていくためのものだったんですね。どうやって自分のデザイン事務所をつくっていくか、っていう授業。10人くらいのアトリエ事務所、個人でやっている事務所ってのはぜんぜん違うなぁ。

大学って、各学部が、産業構造の事前組織みたいなんですね。家電とか車とか分野があったら、それをやるためのインダストリアルデザインコースがあったり。あらためて産業構造のために教育があるのか。って改めて思ったんですね。僕はインテリアデザインコースだったんですけど、その後鹿島建設に入って。30歳のときに辞めたんですけれど。

精華大学にも疑問を感じていて、とにかく漫画学科ができたときに「冗談だろ?」って思ったんですね。小学校のときに漫画家になりたかったから、見よう見まねで描いてたんですよ。そういうもんだから漫画なんて大学で学ぶものか?って思ったんですよ。要するに漫画が産業構造になったんですね。今の漫画家って、原作書けないんだけど、絵が上手だから絵だけ描けるみたいなことがあるんですね。昔の漫画家はみんなシナリオが書けた。そんな感じで、大学のデザイン教育に疑問を感じていました。

狩猟時代は「考えて、作って、使う」っていうことが一直線の構造にあったんじゃないかって思うんですね。人類史を振り返ってみると、それを分断されてきた歴史があるなあって思うんですね。社会のあり方が労働集約的になってきて、分業制になってきた。「考えて、作って」と「使う」ということが一番最初に分離してきたのは、建築です。都市国家が必要とする建築規模。それまでは大工さんがいて設計する。専門性が分離してきて、いいこともあるんだけども。今デザイナーがこの構造の中でどうやって生きているのかなって考えると。最初から関わらせてもらっているデザイナーもいるけども。できたものをエンジニアに渡して、そこからパッケージの人に渡す、みたいな。なんか仕事の全体像がないなー。って思ったんですね。

よくF/Styleのプロダクトを見ていると。デザイン教育の中からこういう光が差してくるとは思わなかったなー。って思うんです。メーカーポジションでやることを、全部お二人でやられていて。二人でできないこと以上はやらないんです。彼女たちの在り方っていうのは、デザイン教育に新しい光の当て方だなあと思っていて。デザインっていうと、みんな東京に出て行っちゃって。

F/Style 星野、五十嵐
私たちは東北芸術工科大学を卒業しまして、当時の生産デザイン科でした。在学中の三年生のときに、山形の地場産業で新しいものづくりをしようというワークショップに参加しまして、最終的には展示というかたちまでこぎ着けたんですが、そこで終わりになってしまったんです。どこで売られることもなく終わってしまったんですね。そのときは私たちもデザイナーという職種がなんの仕事をするのか知らなかったんですが。売れっ子の東京のデザイナーさんを呼んで、工場の技術でなにかすこしオシャレなデザインされたものをつくって、工場さんからデザイン料を受け取ったらそこで終わり。ということを大学三年生のときに知ったんですね。こうやって地道にこつこつ日々の仕事に向き合っていいものづくりをと思って、地方の製造業はがんばっているんですけども。どういう地方でどういう取り組みをしているかということをお店で伝えてくれるのかと思ったら、ぜんぜんそういうこともありえずに。東急ハンズとかで売られている。そこに疑問を持ってしまったんですね。そこから先を伝えてくれる人たちがいなければ、デザイン教育も受けていたんで、果たしてこれは、デザインされて素敵だけども。何?みたいなことをずっと思っていた。



この犬のマットは三年生のときにつくって、心残りのままになっていた。卒業したら新潟に帰ってきなさいと言われていたので、新潟で就職先を探していた。入りたいと思っていた会社があったので、入れてもらったんですけれど、入ったとたんに仕事がなくなってしまいました。ただ、そこでお金は払えないけれど好きなことをやっていいよって言われて。果たして私たち二人でなにをしましょうか?っていう話になった。あのとき作り上げたマットってどうなったんだろう?と思って、まずはあのマットをとにかく売ってみるっていうことから始めてみようと思って、私たちはF/Styleという活動を始めてみることになりました。で、工場は県の特別な予算が降りない限り、デザイナーさんにお支払いできるような状況なところはぜんぜんないので。最初は行商人のように自分たちの好きだったお店にマットを置いてもらうことから始めました。最初は自然にそんなに恐れもせずにスタートしました。

結果的に今どのような仕事になっているかというと、新潟にオフィスがあるんですけども。流通に至るまでとりあえず全部私たちがやってみるのってどうだろう?と思ってやっています。製造側が手に負えないことをやっていく。企画から関わって一貫して流通までやっていくことがポリシーです。日々私たちの仕事っていうのはほとんどが出荷業務ですね。作り手から届いたパッケージもなにもないものを、一枚一枚触れて、数が揃ったら出荷する。私たちクロネコヤマトと日々戦って。18時っていう時間にめがけてやっています。この棚に、少なくなったら補充しよう。というような目分量でやっています。



亀田縞っていう、新潟で大正時代にもんぺなんかにつかわていた布なんですけれど。今の時代にあわせて風呂敷にしたり。いろいろ考えています。



どんな物作りをしているかって言うと、一つものを作ると、ずっとしつこく延々と売り続けていく。企画のときに今年の流行で終わらないようなものを企画します。あと、工場にとって負担が少ないといいなあと思っています。今年の流行のためにストイックにつくったものを、来年になると終わりです。みたいなのはねぇ。

工場を訪ねる順序っていうのがあって、なにかつくりたいものがあって工場を訪ねるんじゃなくて、その工場になにがあるかを知ってからものづくりを考えます。工場の人もつくっていて楽しくなければならないし、なるべくできる範囲でせいいっぱいつくれるものがないか。良いものをつくれる枠ってのがあって、お客様に伝わっていくものがあったらいいなあ。

なので大学卒業して、どこにも勤めずにこの仕事を始めてしまったので、たくさん失敗もしたんですけども。土地の風土に育ててもらったっていうのが大きくて、いろんな人に育ててもらっています。現場でつくっている人たちも、生活レベルがちょっと違った、高級な人たちの層に向けて、ああ、こういうものがいいものなんだって、洗脳させて売っているところもあるので。それより私たちは生活しているレベルで提供していくんで、ズレが少ないというか。

すべて天然繊維でなければいけないとか、そういうことは思っていなくて。自分たちが身近で知り合った人たちと、どうやって生活をつくっていくかっていうことが大事なんで。返品だとか発送というものも楽しくやっています。

今はだいたい15〜6社くらいと一緒に仕事しています。最初二年くらいはあのマットだけを売っていました。自分たちの取引先さんがショーに連れて行ってくれたりして。二人が三人になり。地道な人の繋がりがいまのような形になっています。最初に手作りでカタログをつくって、作り手さんたちがなにを考えているのか、っていうことをすごくしつこく書いたレジュメみたいなのをくっつけて。暮らしの背景をきちんと理解してもらえたら、ものもよく伝わるんじゃないかな。って思ってやっていました。

-どこの誰ともしれない若いのが二人来て、どういう反応だったか

珍しがられた。(いわゆるデザイナーは)センスで攻めてくるけど、中身がなにもないとか。私たちは中身に関しては得意なんで、それに関してはすごく熱く語って。「東京ではそういうのがないんだよね」とか言われて。そういう方達とはいまだに繋がっています。表参道のファーマーズテーブルさんとか。

そんなことを始めて来年で十周年ですね。タグ付けの内職仕事とか、返品とかを近所の方にお願いしていることもあるんですけれど。せっぱつまったときは家族を巻き込んで。90歳のおばあちゃんに内職手伝ってもらったり。笑。



自分たちがつくりたいものを持って工場に訪ねるんじゃなくて。って話をしたと思うんですけれど、工場の人たちが自分たちのために作り出したものを、世に出したいっていう思いが強くて。自分たちのためにつくった120%力を出し過ぎちゃって売れなかったものを、もういちどステージに。既にそこにあるものを視点を変えて、素敵でしょ?って見せるのが好きですね。

-デザイン誌の取材を受けることはある?

昔はちょっと。AXISさんとか。

-スターデザイナーとして喧伝されたり、ものの枠組みには収まらないから、デザイン誌もとりあげずらいんじゃないかなあ。って思ってね。

人間同士の生々しい関わり。作り込みのことでけっこう言い合ったり喧嘩もあるんですけれど。そんな中で関係が深まっていくことが好きなんです。起こりうる関係性の方が、商いをやっていて安心する。カタログでなにか注文すればぽんって届くっていう・・・。きちんとその人にお金を支払って回っていくっていう生々しさ。普段の暮らしでも大事にしたい。



- 最初、靴下買ってみようと思って。ウェブサイトにオーダーフォームとかないんですね。で、注文したら届いた靴下の色が違ったんですね。それで電話したら「間違って届いたものはもらってください!」って言われて。

ネットショッピングに対してあまり積極的ではないのは、人から買って欲しいっていう。あと卸としての仕事もやっているので、お店に届いているのでそこから買ってくださいと。あと、うちの商品を楽天とかにばーーーん!と乗せているところがあって。お客さまからその話を聞いて、楽天での出品はやめてください、と言ったんですね。

-なんでウェブの販売はダメなの?

売ってもらっているところもあるんです。楽天に出店していたところは、実際そこの会社の本部でやっていて、お店の方もよく解ってなくてやっていたんですね。大きな分業化がされていて、そこのネット部門の方がやられていたのであれば、それは違うだろうと思うんですね。

-それはなんで違うと思うんですか?

私たちはそのお店に置いてもらっている意味がないと思うんです。ネットでうちの商品が見えたときに、すごく生理的に「商品だな」って思ったんです。ただ新聞でくるんで焼き芋を売っているような感じ。深い理由っていうか、ただ嫌なんだ

-自分たちはビジネスがしたいんじゃなくて、関係を持って生きたいんだ。品物は媒体なんだ。っていうのようなことを聞くとどう思いますか?

ちょっと違う。そういうことを言っていて、商売が成立していなかったら絶対的に意味が無い。そこで回せることが理想ではなくて、大儲けはできないけれど、商売としては回っていきますよという形は維持していきたい。今月、この作り手にいくら払えた、っていうのが私たちの目標なんで。「そんなこと言って」って言う人はたくさんいると思うんだけれど、そういう人たちに言えるためにはちゃんと売れなきゃならない。

-地方のセレクトショップさんだとか、行ってみて自分たちが望むような展示のされ方でなかったりってことはあるんですか?

置き方が綺麗だとか、あまりそういうことにこだわりはなくって。スタッフさんが、靴下履いてみてよかったですよ、とか。まるで親戚のものを預かってくれているような。そういう関係になるまで取引を始めなかったりすることもあって。そのシーズンの取引だけで終わっちゃって次会うのも気まずいみたいな。

-前「簡単に始まるものは簡単に終わっちゃう」って言っていたね。

基本的には作り手に丸投げにして。まず作り手さんが、私たちに会って、次になにをするかは丸投げにするんですね。キャッチボールしながらものをつくっていく感じはありますね。



-この先仕事をしてお金が入ってこなくなる不安はありましたか?

基本的になんとかなるんじゃないかって。どうやって生きてきたか。でもそのとき車は無かったし。ラッキーだったのは、場所を貸してくれたところが電気代とか払ってくれてたし。日常的にかかるお金はサポートしてくれてた。その期間が二年間くらい。その辺りから品物が増えてきましたね。新潟の人たちと知り合いになっていく。そこからだんだん作り手と知り合ったり。

-二年間の間にいろいろ出会っていきながら、どうやって実を結び始めたか

作り手さんの紹介で作り手さんに会うことが多くて。靴下屋さんと知り合ったきっかけは、柄を譲ってもらえないか、みたいな話をもらって。人の縁で。

私たち新潟の作り手さんは、直接できたものを持ち込んでくれたりとか。そういう近い関係性を大事にしていて。作り手さんの心は近いというか。会える確立もすごく高い。会えることが大事なんですね。工場の事情とか、家族構成で今日は社長がやってんだな、とか、このへんは息子さんにまかせてるんだな。とか。そういう動きには敏感でありたい。

-二人で仕事をやる際、考え方が揃わないときはどうしてるんですか?

役割分担ははっきりしているので。体験を共有しているからずれは少ないかな。同じ体験を重ねているから。リンゴっていうとみなさん同じ印象をお持ちだと思うんですけれど。あのときたべたあのリンゴ、みたいな体験を積み重ねていて。そういうことを共有していると、大事な部分でのずれは無い気がしますね。もう一人増えるっていうのは、なかなか考えられないですね。キャパが小さいんですよ。

えいっ!と飛び乗ってしまった10年くらい

出来るだけ無駄が無かったりとか。風呂敷は残布が出ない作りになってたりとか。最近は古い民族資料からインスピレーションを得ることは多いので。図書館に行って古い資料とか読みあさって構造を考えることは多いですね。



企画展示会。「さらす」って言ってるんですけど。ほんとにじゃあそれをお金出してくれる人がいるのかどうかって。お金を出すのは正直な行為だと思うんで。できるだけ世の中に早めにさらして、自分たちで、ああでもないこうでもないと、悶々と考えてないで。お客さんの反応がいいものと、よくないものはすごくよく解るんで。できるだけみなさんの評価をもらうのは大事にしている。新しい商品に取り組んだりしているときは、目標の展示会があることが多いんです。

新潟の津南ていう。一番積雪の多いところで、余った米ぬかに、玄米と粗塩を入れて。昔の民間療法なんですけれど。具合の悪いところを暖める。記事はさきほどお話したかめだじまとか、残布をとっておいてつくっている商品があるんです。郷土色が強いのっていいな、って思っていて。

-うちにもあって。独特なにおいが。釣り堀の釣り餌のにおい。俺これいつも小学生のときに嗅いでたな。って。

売るっていう立場にいつか立てたらいいな、っていうところで学生さんをやっていたときに。目の前で実際に売れたときの感動を共有できるといいな、っていう。ものづくりのテンションを高められたら。世界が細かい。地方によって売れるものが違う。そこが知れたらものづくりもよくなってくるんじゃないですかね。デザイナーの有名な人に評価されたりして。そうじゃなくて。売りやすいようにできてたり、こうなっているとサイズが合うから在庫しやすいとか。

-デザインのためのデザインになってしまうのが、つまらないところだよね

わりと売る側の世界に近いところにいると、デザインの世界って狭いんだな。っていうことを強く感じました。

Q.値決めはどうきめてますか?

売値を決めてものづくりをしないので、いいものを作り手がつくってから、素材を考えたりしながら、最後に出て来たところで「この値段で自分なら買うかな?」というところできめます。私たちはお店に1000円のものを、600円なり700円なりで買ってもらいます。一般的には、原価は三分の一で設定する。1000円じゃきびしい。っていうときもあるし。その商品に関しては数パーセントあげるときもあるし。利幅はそれぞれ違います。

-作り手って、こだわりがあるからトコトンこだわっていくと思うんだけれど、限界があるから。

けっこうバッサリ言います。ほんとに高いものになってしまった場合、売れないという現実もある。本作りのときに立場が逆になって。取材経費がすごいかかってしまったんです。やりとりは濃いものにしたんで、高いものにはなったんですけど、本を読んで出会う人たちも濃いものになったんです。

-プライスって凄い大事だと思ってるんで。このくらいまでなら売値になるだろうと。

全部公開なんで、どれだけとっているとか全部見えるんだけれど、それはぜんぜん恥ずかしくないし。これくらいならお客さんも買ってくれるんじゃないかって。いくらで売ってるかぜんぜん恥ずかしくない。売値は自分たちの経験で決めますね。これをいくらで売りたいから、卸値はこれくらいで。製造を違うラインにかえればもっと売れるんじゃないかとか。ロットの調整。もうちょっと細かくというか、つくるところのコストを削減する。コストはもうちょっとここを細かくすれば売れるとか。クオリティを落とすとかっていうことではなくて、他の方法を考える。ここは譲ったらいいんじゃないかっていう見極めがあって。

-事情って言葉が五十嵐さんからよく出てくるんですけど。事情派。プライシングって、陸上生物になるくらいの変化ですよね。ネーミングも魔術的。

Q.F/Styleの名前の由来。位置ってなんなんだろう?

鉛筆にFの濃さってあるの知ってますか?Fの濃さは好きだった方で、HBって流通している鉛筆って、HBだと濃いとか。HBよりもちょっとシャープで、やわらかい。たぶん、Fって後からできたと思うんですよ。隙間産業っていうか。HBとHの間のFっていうのは、どうしても必要だから作ったんじゃないかって思うんですよ。そういうイメージでつけました。

-Fが象徴することって、隙間

-地元のため、作り手のために、少しでも貢献できてるなあと思うポイントはありますか?彼らのためにやってるもので

人助けでやっているつもりはない。それを掲げて潰れてしまうのもやだなと。ほんとに気の合う人たちと一緒にやっていけたらいいなっていう。私たちも地場産業に注目してやっていったのではなく、生まれ育った場所で、近い人たちと一緒にやっていったら、結果的にそうなっていったっていう。矛盾があるのが、県の予算で東京のデザイナーさんに頼んでいても、結果的に税金は東京に落ちていますよね。地場産業をなんとかしようとか、社会貢献的な活動をしようと思ってやっているのではない。

Q.なんのためにやっているんですか?

みんなで食べるために。自分が食べていくのも大事だし、家族が食べていくのも大事。作り手の人も、売り手の人も。日々の生活がかかっている仕事は美しいと、私たちは思っていて。県の予算が、、、ほんっとすいませんさっきから、そういう話を聞くとイライラするんですね。自分の給料体制をくずされないようにするために、企画がつぶされてきたりとか。自分たちの年収を守ろうとしている人たちはすごい純粋ですよ。村が良くなるとか、そういうこと関係ないですからね。ちょっとでもそういうことを考えて企画しようとすると、すぐにつぶされちゃいますからね。
予算さえつかってしまえばいい、っていうことに予算がたくさん使われていることがありますからね。

-日々の暮らしがかかっている仕事は美しい、って言ったよね

自分の財布が傷まないと、ほんとに良い仕事はできない。意識のある人たちはそればっかりじゃあないし。単に自分たちのつかっていい資源というのも水のように出ているものではないし。もっと自分のことのようにやってほしいっていう気持ちはありますね。今日のご飯を食べなければいけない仕事って、美しいものづくりとは違ったことで出てくることもあると思うけれど。そういう仕事は素晴らしいと思いますね。

-環境にどうとか、エコマテリアルであるとかいうことより、そういうことの方が大事なんですね

そういう仕事を始める人が増えていってほしいと思いますね。私たちも現代っ子なので、そんなに環境破壊を目の前でリアルに起きてないと、感じられない世代だし。だからこそそういう恐怖感もあって、生々しさとか。

-ほんとに田舎の、近くに郵便局もないひとたちと。件名に触れているとリズムがあるんでしたっけ?

生活の営みの中で、機織りにしても作家として食べていっている人たちもいるけれど、農閑期に子供さん眠ったあとに機織りしたり。生活の中にあった仕事。そういうリズムの中でつくった仕事っていうのは、本当に重いことを言う。説得力がある。世界中を旅した人より、重いことをぼそっと言ったりするんですよね。人間サイズで感じられるリズム。感覚的なものですよね。

-自分が仕事をする、じゃなくて、自分が仕事になる、っていう感覚ですよね

自分たちって何者か?みたいなことってあんまり考えてないんですよね。私たちは地場の産業をこうこう思っていて、みたいなことは考えていなくて、仕事の中で表していけばいい。

Q.規模をある程度大きくしていこうっていうことを私は考えているんですけども

今のところ、そういうところもふくめて、取引をするかしないかを考えたりすることもあるんですね。私たちの規模だと、その工場さんにご迷惑をかけてしまうことがあるのでお断りしたり。出荷のリズムがあるので、その中で何千個一気につくれる商品をかかえて、ほかのいつもの商品を出荷しようとすると、その商品に引っ張られてしまったりする。そういうキャパオーバーなことはまず手をつけない。デザイナーさんとか工場さんを紹介しない場合もある。タグに工場さんの名前をつけるんです。私たちの工場さんはそういうことを考えてくれている。責任のある工場さんもたくさんあって、私たちが止めると成り立たなくなる工場さんもあるんで。できるだけ売り方も、いっぱいたくさん売れたらいいなと思ってますね。たくさん売り先を増やして、うすーく伝わっていくよりも、ネットワークの築けた売り先で売ってますね。

-人とものとの関わりや、繋がりについて。

続けていくのはほんと大変だなと。そういういろいろがあるから。この人と関わり続けていきたいから、ものづくりをがんばるというのもあるし。あとは、いろんな人が関わって、支え合っていることがものに込められると思っていて。

もっとみんなそういう方向になれたら楽なんじゃないかなって。いまってコンセプトありきじゃないですか。そうならないものも多かったり、正直に結果って出るんですよね。大学三年生のときにつくったマットが、毎月コンスタントに売れているし。キャッチーなものって、年間何百枚売れても、次の年から売れなかったり。少量でも毎月毎月コンスタントに収入があるのって有り難いし。次の年から売れなかったらさみしいじゃないですか。工場の方でもそういうことを見込んで機械を買っちゃったり。そういうことがおっかないですね。

-みんなの腑に落ちるところを探している。っておっしゃったけれど

今日の休み時間に「いいものってなんですか?」っていう質問があって。腑に落ちるもの、って答えてしまったんですけれど。みんなにとって幸せな場所。作り手にとって負担になることで喜ぶのもおかしいし。買う人も喜ぶものがいいし。その点がどこなのか、っていうことを一生懸命考えて。これが10年後も、20年後も残るってことなんじゃないですかね。腑に落ちるって、おなかかなあ。あとはさっきみたいに自分たちが勝手に腑に落ちても、いろんな土地に行っていろんな職種の人とお話することによって、きっとあの人はこっちを選ぶだろうな。とか。いろんな人をイメージして、それでもこっちって言うんじゃないか。っていう方を見つけ出すのが好きなんでしょうねぇ。民俗学とか地域学とか、見たりするのは好きなんですけれど、違いを見つけるというよりは、同じ所を見つけ出そうとしているんじゃないかって。


-このお二人は、関係っていうところで、ものをつくられていて、今、僕の中でほんとうに眩しい存在です

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西村佳哲さんのデザインレーベル「リビングワールド」
http://www.livingworld.net/

西村佳哲さんの著書「自分の仕事をつくる」
http://www.amazon.co.jp/自分の仕事をつくる-西村-佳哲/dp/4794965850

F/Style(エフスタイル)
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