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イノベーションは学びのプロセス 東京大学i.school 田村大


INSPIRE lab 第3回 イノベーションは学びのプロセス 田村大
speaker:田村大氏 @tamdai99(東京大学i.school ディレクター)
date & place:2010.08.05 まれびとハウス にて
participant : @MiUKi_None @tamachangg @a_kodama @scommunity @sotacafe @mikitty0905 @ryutaro_i @stkbys @8rukun @DialogueBar @t_mashiko @ikeyu @2gta9
「イノベーション」という言葉を初めて聞いたのは、2002年くらいにトム・ケリーさんが書いた「発想する会社! ? 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」を読んだ時だったような気がする。そのときにはっきりと解ったのが「製品のデザインが優れている会社の製品」が好きなのではなくて、「イノベーションを起こして変化することが出来た会社の製品」が好きなのだ、と、明確に言語化されたのだった。それは、例えば90年代前半までのソニーと一連の商品群に感じていたことだったり、日本文化における傘についてもやはりただ古い物が良いというだけではないと言っている人がいたり、JR九州という会社が20年前の赤字経営から脱するために考えたこともやはりイノベーションだったのだと思う。また、慶應大学SFCに感じていたものもまさに教育環境におけるイノベーションであったと言えるだろう。西粟倉・森の学校がやっていることもまさに地域社会におけるイノベーションそのものだ。僕の趣味、仕事、生きていくことそのほぼすべてに共通するキーワードとも言える。そのくらい、ずいぶん長いつきあいになってきた「イノベーション」について、田村さんにお話していただいた。


変わるってことがどういうことか

今日僕がお話したいのは「変わる」ってことがどういうことかを僕なりに考えてきた事、変わるってことがどんなに大変か、また変わる事をどうやったら手助けできるか、ということをお話したいと思います。

会社で働いていると、変わる事が如何に大変かということが分かりますよね。たとえ自分は変われても他の人を変えるのは難しかったりして。僕は研究者として、研究した内容をいかに実践で活かすか、ということを考え続けていた人間なのですが、以前、実践する時に常にボトルネックになっていたのは、「いいアイデアや革新を起こす事こそ、社会に何らかの変化を起こす要因だ」と思っていたことです。例えば、それは「innovation」という言葉の捉え方一つにも現れているのですが、この言葉を、野中郁次郎は「技術革新」と訳した。これはけっこう罪深いと僕は考えていますが 笑。僕も技術を変える事で世の中が変わると思っていた時期がありました。僕は修士・博士過程を東京大学大学院の坂村研究室 (※) で過ごしました。坂村先生と言うのはマッドサイエンティストで知られていて 笑。毎日毎日コードを書かされていた。それでだんだん先生への不満が高まっていくんですが、年末に集まったとき、坂村先生が必ず、未来を語るんですね。で、その内容がすごい、悔しいんだけどワクワクさせられるんですよ。騙されてるとわかっていても 笑。

※ 東京大学の坂村健は日本語OS「TRON」の開発者だが、インターネットの父と呼ばれる慶應大学SFCの村井純、ソニーコンピューターサイエンスラボの所眞理雄、ウェブ進化論を書いた梅田望夫は、皆、慶應大学理工学部にあった相磯研究室の出身である。これら、我が国における情報分野の先駆者は皆、この研究室から始まっているという文化の遺伝子について大変興味深い。
- 原点(創造性を最大限発揮できる環境作りの、現代日本における原点)http://tamachan.jugem.jp/?eid=595


アイデアを出すより人間が変化する方が世の中が変わる

けれど、やっぱり技術で社会は変わるかっていうと、そこに関しては、やっぱりかわんないな、と。僕は半分は大学教員で、半分は博報堂の兼務出向社員としてデザインコンサルテーションの仕事をしています。IDEOが日本を撤退したのは2003年ごろですが、とはいえ日本の会社と交流したいということで、2006年頃から一緒にIDEOとリサーチしたり手伝ったりしていました。エスノグラフィをデザインの領域に持ち込んだ論文を書いたのは多分僕が日本で最初だと思います。IDEOは、世の中を変えるような素晴らしいアイデアを出してくれる会社だと思われていたので、僕もそんなことができるようになればいいなあと思っていた。実はそこはある意味IDEOというブランドに対して少し騙されていたという感じはあるんです。IDEOの人たちはオープンで自由なのですが、じゃあ素晴らしいアイデアが社会を変えるのか、というと、それはさきほど言った技術が社会を変えるのか、という問題と等価で、実は技術が世の中を変えないのと同様に、素晴らしいアイデアは世の中を変えない。アイデアを出すより人間が変化する方が世の中が変わる、という結論に僕は至ったんです。



IDEO(アイディオ)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州パロアルトに本拠を置くデザインコンサルタント会社。http://www.ideo.com/



IDEOがクライアントであるアップルに提案したソリューションとして大変有名なのが、PowerBookDuoシリーズにおける、デスクトップ用ドッキングシステム「Duo Dock」である。アイデアからプロトタイプ作りまでを二週間の工程でやり抜いたことが、アップル社内で評判になり製品化されることになった。


コトが大切な時代になってからは、モノをどこに置くかが大事になった

@a_kodama
- どういうコンテクストによってそれが動き始めるのか

「バンクオブアメリカ」の「キープザチェンジ」という商品があります。これはデビットカードに二つの口座が付いていて、ひとつは貯蓄口座、普通口座が同時に開けます。それで、例えば43.37セント買い物したとき、普通預金のほうから44ドル引かれて、おつりの63セントが貯蓄預金に入りますよ、と。消費しながら貯める。アイデアとしてはそこそこいいな、と思うけど、売れるか売れないかで言ったらどうでしょう?アイデアとしてはすごいつきぬけたものではない。しかしこの商品は実際に蓋を開けてみたら、とんでもない大ヒットになった。半年で250万口座が開口され、99.8%のリテンションが得られた。この例で思ったのが「アイデアって実際重要じゃないんじゃないの?」ということです。アイデアとしてはそこそこだけど、これをあてはめた文脈がすごかったんじゃないか、と。キープザチェンジを日本に持ってきても成功しないでしょう?それはアメリカのベビーブーマー世代の人たちの間に、お金を貯めたいけれど貯められないという問題があって。彼らはなんでお金を貯められないのかってわかってないんですよ。おっきな買い物をしちゃうから、お金が貯められないんじゃないかって思ってる。だけど、実際に観察してみると、おっきな買い物って計画して買うから意外と収支が合ってるんですよ。実は、日常のちいさな買い物でお金を失っていることを発見したのがIDEOだったんですよ。だから、「キープザチェンジ」はヒットしたんです。そこを発見することが重要なんじゃないですかね。彼らにすると、使うときに貯められるという新しい貯蓄の習慣を作ろう、という逆転の発想が響いたんですよね。そこのチャンスにアイデアを埋め込んだ。



http://www.bankofamerica.com/promos/jump/ktc_coinjar/

@a_kodama
- それで彼らなりの商品をつくるっていうことは銀行にとっても、彼らにとっても良かったんですね。テクストの発見というか、モノからコトへの変化っていうのは解りやすい。そこにある気付いていない行動習慣みたいなものがあって、それを見つけることがビジネスデベロップメントになっているっていう。

そうですね。まったくそうです。それを見つけるってことは、それってなにかっていうことを知るってことと、文化を知ることなんですね。文化を知るためには何百年も人類を知るために培われてきた人類学っていう方法に辿り着くのが一番早いと僕は思いますけどね。僕はもともと認知心理学から来ているんで。実験やさんでした。学部の頃はねずみを走らせたり。人間の超短期記憶が人間の行動にどう作用するのかっていうようなことを学士のときの論文にしていました。

@a_kodama
- 人間の行動やふるまいに興味があるんですね

それはまったく一環していますね。僕はでもそういう話をしているとよく考えるのは、なんで広告代理店に入ったんだろうなー、って思うんですけど、共通してるなぁと思うのがコミュニケーションが苦手なんです。広告の人ってそういう人が多いと思います。社交的じゃないし。今では話すのはそれなりに上手くなったと思いますけど、高校生の頃って最悪で、自分で話をするときに次になにを話していいのかわからなくなっちゃう。それで無言になっちゃったりして。

@a_kodama
- 研究者ってけっこうそういう人多いですよね

意志決定システムの不合理さにフラストレーションを感じている

コミュニケーションをなんとかしたいっていうのが最初の動機で、最近でもよく思うのが会社で仕事をしていて、事情で仕事をする人っていうのが本当に嫌いなんですよ。「これこれこういう事情だからしょうがないじゃん」みたいな。例えばあとよく会社であるのが「上のナントカがナントカって言っています」って言う人がいるんですよね。僕はそういうのすっごく嫌いで、おまえはどうなんだ?って。なんでこんなに腹が立つんだろう?って思ってたんですけど、たぶん意志決定のシステムっていうもの自体が不合理に出来ていることに対して、僕はそこにフラストレーションを感じているんだなって思います。

変化しないのは、人間が変化をすることを拒んでいるから

そこでエスノグラフィっていうことが、アイデアの創造に効くっていうことが大事なのではなくて、自分が「これが正しいんです」って言えることにストーリーをつくれるための道具というか、アプローチだって思っているんです。だって、自分はこう見えてきたんだし、こう見えることがもっともでしょ?って言える。それを元にして、例えば偉い人の小さな脳とか小さな経験の中で、これが正しいことだとかって決められないようなしくみを作りたいんです。だからこそ僕はフィールドに行け、とか、おまえの頭で考えろよ、とか、インプットもきちんと自分でしようと思っていて、そのときになにが大切なのかなって考えると僕は「変化」っていうのが大切なんじゃないかと思っています。それで変化をしていくってことが、自分も変化するし社会も変化していきますと。当たりなんですけど、人間が社会をつくっているし、社会が変わると人間も変わるんです。それで人間が変化するってことがなんで今日本はダメなのかっていうと「人間が変化をすることを拒んでいるから」だと思います。そういう人達が変化をしたい、って思うような環境をつくりたいんです。

新たな道筋を与える事で新しい知覚や価値観、習慣を作り上げる事がイノベーションである

僕のやっているエスノグラフィの手法というのは、広告代理店やマーケティングがやってるような「世の中には正解がある」という態度ではありません。むしろ世の中に真理は無いという考え方です。今まで世の中にないような事象や知覚や習慣というものは、真理を探究する事で生まれた合理的なものではなく、人間の行動やインタラクションを通じて生まれた、単に習慣化された行為の集積である、と考えた方が実は正しいのではないか、と思うんです。イノベーションは真理に近づいていくことではなく、僕たちがやっている事に対して新たな道筋を与える事で新しい知覚や価値観、習慣を作り上げる事がイノベーションじゃないかな、と思ったんです。

ビジネスエスノグラフィで出てくる発見と言うのは、言われてみれば「そりゃそうだよね」というごくごく当たり前の事なんですが、自分たちが置かれている状況によっては、その発見やモノの見方と言うものの影響を与える大きさが全然違うんですね。僕はその見方を変える事をリフレーミングと呼んでいますが、新しいアイデアが世の中を変えて行くと言うより、見る側がどうやってセンシティブになり、自分自身が変われるのか、視点が変わるといろんなことに気付くきっかけになる。

会社っていう文脈と個人っていう文脈がますます離れている

@a_kodama
- 非常に大変な事業ですね

でも面白いじゃないですか。人を見ていると最近の日本では、会社っていう文脈と個人っていう文脈がますます離れているように思うんです。個人は勝手に変化してってますよね。最近の子達を見ていると、あぁ〜、どんどん変化してっているんだなぁとすごく思います。でもそれは、小さな成功体験に満足しているおじさん達から見ると「最近の若者達は、勢いがないとか、チャレンジ精神がない」とか言うんです。でもなんでそういうことを彼らが言うかっていうと、彼らにチャレンジしてこないからなんです。でも最近の子達を見ていると、彼らにチャレンジしないのは、彼らにチャレンジしてもしょうがないから。ていうことを意志決定をする人達が気付いていないってことが問題だと思うんです。その「しようがない」っていうのは、そのおじさん達に対して「人間として会話ができない」からではないでしょうか。


i.schoolを何故東大に作ったか

2008年の春ぐらいからi.schoolの現校長である堀井先生と僕が3、4年前に出会い、一緒にいろいろやってて。「東大ってそもそもなんのためにあるんだっけ?」ということを考えていた。東大が持っていた大きな特性の根本の事を考えると、リーダーシップなんじゃないか。新しいリーダーシップをどう作っていくか、を考えると、今の時代って「俺がこういうことを考えてるからお前らついてこい」というようなリーダーシップなんてもはや機能しなくて、むしろヘテロニジアスな組織の中でその中にある異質さとか多様さを統合してあたらしいシナジーを産み出す事を自分が引っ張っていくのではなく後ろから押す事ができる人材というのが新しいリーダーシップだと思うんですね。じゃそれを一言で表すとどういうことかというと、それはイノベーション人材じゃないかと思うんです。つまり、異質なものに対して常に開かれていて、そこに新しい道筋を与えられる人が魅力的なリーダー。昔、深澤直人が言っていた事で、「エスノグラフィ(観察)なんて必要ない。なぜなら僕は毎日やっているから」。本当にその通りだなと。素晴らしいアイデアを考えるのと同時に、それはどこに置くのか、時代がどう変化し人はどう生き、価値観というものはどう変遷してきたのかについて人一倍興味を持つ。今まで工学的なイノベーションとは、新しいアイデアを出して、とにかくどこかに着地させることだと企業活動の中では考えられていた。けれど本当は、コンテクストのほうが重要で、それを知る方に技術がいるんじゃない、と思っています。



田村さんが作った、東京大学の新しい教育プログラムi.school(http://ischool.t.u-tokyo.ac.jp/)第三回ワークショップ「新聞の未来をつくる」についての記事

単位は出さない、学位は出さない

i.schoolでチャレンジしていることの一つは、最初に堀井先生とかなり議論をして、最初は半分妥協でやったんですが今は確信を持っているのが、単位は出さない、学位は出さない、けども、そこに高いモチベーションを持ってやってきている学生に対しては必ず報いるっていうようなプログラム、っていうふうに考えている。普通にやっていても会えないような人達に会える。世界中回っていって、いろんな人と会って話をして議論をしてっていうことをやっている。北米の大学や企業を回って、東大に呼んでくる。グローバルネットワークづくりっていうことを、自分たちが率先してやっている。そこから、普通にやると呼べないような人達を、ある種の信頼関係をつくった上で呼んでくる。i.schoolは、基本東大の全学部に開かれています。少し厳しいセレクションがあって、だいたい20人くらいが一年間受講します。他のパートナースクールと提携していて、去年はそれこそIDEOのチームが来て、彼らと学生が一緒にワークショップをやったりしていた。今年だと博報堂のイノベーションラボで、今週末から韓国のKAISTと一緒にやります。で、その次はポートランドにジーバというすごく面白いデザインコンサルがあって今度一緒にやります。最後が堀井先生と住谷俊樹さんという元マッキンゼーの方で、教育に関するソーシャルベンチャーをやってる人ですね。

サラリーマンの人たちは無意識に制約を持ってしまう

で、i.schoolにはスポンサーが5社付いていて、出資してもらうだけでなく、人も出してもらってます。それが学生にとっても企業にとってもいいシナジーになっていると思っています。学生とサラリーマンではどちらが発想の飛躍があるかというと、圧倒的に学生なんですね。サラリーマンの人たちは無意識に制約を持ってしまう。「これは通らないだろう」とか。学生にはそれがない。躊躇せずにばんばん出しちゃう。社会人にとっては、昔を思い出すと言うか 笑。ああ無意識に制約してたんだなあ、ということがわかった後に彼らがどうするかというと、学生が出したその荒唐無稽なアイデアを、どうやって着地するかを考え始める。おかげでそのアイデアが空中分解せずにうまく回るんですね。スポンサーとパートナースクールと大学、この3者の絶妙な仕組みで回している。これ、税金でやってるんじゃないかとよく言われるんですが、全部スポンサーが出してくれているので、講義内容には税金は一切使っていません。けっこういい仕組みができていると思います。

去年、「働く母親と子供のいい関係」というテーマでワークショップをやりました。実際保育園に行ったり、母親にインタビューしたりとかして、そこからいろんなアイデアを出したのですが、いい発見があったのが、実は働く母親にとって、両立が大変だとか時間的な制約があるとか保育園が見つからなくて困っているとかに隠れて深刻な悩みになっているのが、「孤独」だということです。子育てに一人で向き合う孤独を解消するのは実は困難。そこで出たアイデアが「SONO(small office nursary office)」SOHOのもじりですけれども、一階が保育園、2階がVPMを備えたリモートオフィスなんです。一階で預けながら2階で仕事ができる。これすごく面白いなと思ったんですけれど、焦点の当て方が、今までのように時間不足を解消するかより、母親にとって子供とどうリレーションを保ちながら働くか、これにいい見通しを与えられたなと。働く母親にとって、アイデア自体は大したことないんだけど、見つけてきた事とそれをどう結びつけたのか、そっちのほうが僕は大事だと思っています。

異業種のコラボレーションを通じたイノベーション

最近はオープンイノベーションをやりたいと思っていて、それはいろんな技術を企業が出し合って、一緒にやろうと言うものだと思われていますが、僕の考えは違って、今やっているのは「オーナーシップ」。所有のモデルがどう変化してゆくかについてグローバルに5つの会社に参加してもらって調査していて、出資してもらってフィールドワークやインタビューをやったり、各社のインターナルのステークホルダーインタビューをやったり、各社変化のシナリオを創っていこうとしていて、僕の後輩がインドや中国にいってフィールドワークをやっています。ほかスペインやデンマークなど7カ国8都市で調査をし、新しい未来のシナリオを作ってゆこうと言うことをやっていました。僕の中である種これは異業種のコラボレーションを通じたイノベーションだと思っています。

イギリスではシンクパブリックという会社があって、そこは行政や地域の変革を支援する専業のデザイン会社です。イギリスでは、デザインコンサルタントは、プロダクトやサービスをデザインするというより、もっといろんな方面に広がっていて、どうやったら社会を草の根的に手助けするのかという方向に来ていて、今僕がチェンジ・ファシリテーションと呼んでいるのは考えているのが、企業の人たちのマインドセットを変えてゆくことなんですが、イギリスはそれをむしろ社会全般でやってゆくということを考えています。イギリスのひとつの自慢が「国民皆保険」。しかし、その一方でNHS(国民健康保険)のサービスの質は低いわコストがむちゃくちゃかかるわ、でイギリス国民はあまりいい印象を持っていない。そこでNHSがなにをやり始めたかというと、自分たちで草の根的にヘルスケアの制度をどうつくっていくかをデザインコンサルタントに頼んだ。で地域の人達とワークショップをやって、自分たちがどう役に立つのかまで考えながら新しい制度を作っていこうとした。僕もそういうところに興味はあるんですが、まだそこまでたどり着いてないです。


デザイン思考は「フォワードシンキング」つまり未来を見ている

ピーター・マドローリという先生が言っていた言葉で「デザイン思考」という言葉があるんですが、それが何かというと、「デザイナーの考え方だよ!」みたいな。笑 マドローリが言っていたのは、「デザイン思考」と対比する考え方で「マネジメント思考」というのがあって、デザイン思考は「フォワードシンキング」つまり未来を見ている、「マネジメント思考は「バックワードシンキング」である。まったくそのとおりだと思ったんです。僕がエスノグラフィーの話をするときに聞きに来る人たちはたいてい新しいことがやりたい意欲的な人たちなんですが、講演のあとに言われるのが「ついては、今までに先行した事例を教えてください」その気持がわからないでもないですが、今までに起きたことから未来を考えるというのが、企業に限らず合理的とされるものの考え方です。フォワードシンキングというのは今あるものや手がかりからとりあえず勝手に想像してみる。で僕が言うのはもっともらしいか、そこに流れがあるか、それがあると、これは未来の道筋としてあるんですよ。デザイナーの仕事というのは、過去を見てもデザインはない。過去とか現在から勝手にイマジネーションをふくらませて未来を想像し、そこから振り返って現在を見る、というある種のバックキャスティングですね。実はその過去の要素から演繹的(えんえきてき)に未来を想像するのは、バックワードシンキングというのは過去の延長線上でしかない。デザイン思考は、過去の延長線上に未来を見ない。28日のイベントに来るマイケルシャンクスという先生は、スタンフォード大学のd.schoolというデザインを生み出すためのエデュケーションセンターがあるんですが、彼は考古学者です。考古学にとっての現在というのはローマ時代、そこから未来としての現在を見ている。今(未来)からローマ(現在)をバックキャストすることで歴史の動きが見える。

理系の話というのは、昔あったものを延長させて作っても面白くないよね、という考え方ってあるとおもうんです。ただ、面白いものを作ったとしてもそれがお前売れるのか?ヒットするのか?と言われたら、エンジニアたちは何も言えない、だからとても今はやりにくくなってると思います。だからこそデザインシンキングという言葉が出てきたとき、僕がやりたいことと近いかも、と思ったんです。マネジメントシンキングは、ある種管理する側の考え方なんですよね。基本的にどう失敗しないかを考えている。基本的に、デザイン思考というのは「なんでだろうなんでだろう」と考えることだと思っていて、自分自身が変化するのを好まない人にはこの仕事はきついだろうなと思います。

-- 講演ここまで。以下番外編。@a_kodama と田村さんの対談


ソーシャルメディアの未来と広告代理店

@a_kodama
- 僕は十代くらいからインタラクティブメディアをつくっているんですが、ある意味マスメディアをやっつけてやりたいっていうのがあるんです。15歳のときに書いた論文に、今のCGMみたいなものがあるのですが、そのときに書いた仮想的がいまのマスコミュニケーションそのもののモデルが変わっていってほしい。すごくマスコミュニケーションが一つにはパワーがシフトしていく。みんなのコミュニケーションの取り方が変わっていっている。そこを博報堂みたいなところが、対応というか、どのように入っていくんだろうかっていうのは興味深い。

ソーシャルメディアってどうなんだ?みたいな話。ソーシャルメディアっていうのに今の広告代理店のシステムが対応できるかっていうと、できないでしょ?

不要になる巨大広告代理店のシステム

@a_kodama
- オーエスが違う感じですよねぇ

ビジネスモデルが違うので、無理だと思います。そこは代理モデルからグーグルみたいなソーシャルメディア企業が勝手にやって、それで成長していくんだろうなぁと。広告代理店はこれからジリジリと死を迎えていくんだろうなぁと。たぶんテレビは無くなんない。けれど、テレビが無くなんない代わりに、総合広告代理店というシステムはいらなくなると思います。単純にそこは機械化されるだけなんじゃないかと。メディアバイイング(広告媒体社から広告枠の仕入れ・買い付け)というものが普通にオークションで買えるようになればいいだけなので。新聞とか雑誌は小さなメディアとしては残ると思うんですよ。逆に言うと四媒体っていうのは成立しなくなるんで、テレビだけが残ってあとは死にます。

@a_kodama
- それに付随して広告代理店も死んでゆくと

でも、いる人達が能力の低い人達かというと、別にそういうことはないと思っていて、そういう人達がその中で、自分が面白いと思っていることをできるような仕組み、プラットフォーム作りはやりたいと思っていて。

@a_kodama
- 紙のメディアのライターさんとか、これで食っていけるのか?っていう

個人のライターとしては食っていけるかもしれないけど、雑誌社として高給を保証するシステムはつぶれるでしょう。付加価値というよりは既得権益ですね。能力を持っている人が既得権益と共に淘汰される必要は、僕はないと思っているんです。

オールドメディアなりの方法でこれからもやっていけばいい

@a_kodama
- そこの受け皿は今はまだ無いですし。僕が興味があるのは、その人達がどうするのかっていうことなんですよ。その人達が持っているエディトリアルのスキルが、ソーシャルメディアの中でどう生きていくのか。

僕はあまりそこは信じていないです。そういうオールドメディアの人達が、ソーシャルメディアの世界で活躍できるかっていうと、ちょっと違う気がしていますね。ただ、例えばこの近くに往来道っていう書店があるんですけどね、本屋大賞っていう本屋の店員が選ぶ年間の本の大賞がある。本屋大賞をつくったきっかけが、千駄木にあるほんとにちっちゃい本屋がある。そこに行くと本当に品揃えが、ワクワクするっていうか。なんだこのセンスは!みたいな。自分が、あぁー!この領域の本を読みたかったよみたいな。そのセレクションもけっこうしょっちゅう変わっている。ある種の本のセレクトショップなんですけど。これってセンスの問題だよな?って。それで本屋大賞をつくろうって提案したのが往来道の店主なんです。小規模本屋っていうのはもう無理です。全部Amazonになりますって言われていたのを、たぶん往来道はかなり繁盛していると思います。あぁ、こういうモデルだなって思ったんです。

@a_kodama
- オールドメディアが、いま言ったみたいに無くなるけども、変えた文化として

そういう人達は無理してソーシャルメディアに行かなくても、普通の本の編集者で食ってけばいいじゃん。って思うんです。例えば広告代理ビジネスは死ぬかもしれないけど、例えばメディアプランニングっていうので食っていきゃいいじゃんって思う。それを組織として支えることができなくなるだけだと思う。だから別に僕はあえてそういう人達が今のソーシャルメディアが流行っているからってそっちに行くのは、苦手なものに今更取り組んで自分を劣勢に置くだけだと思うんです。

グローバルなリサーチは、会社でなければできない

博報堂の僕らのチームっていうのは、ぜんぜん一人で食っていけるひとたちがいるんですが、博報堂にいるよりフリーになった方がぜんぜん給料が高いんじゃないかっていう。だけど、僕が思っているのは、全員が全員そうではないけれど、博報堂を離れても、組織がなくてもぜんぜんやっていける人達がほとんどだと思う。だからこそ、ここでは個人でやってもできないことをやっていきたいと思っている。

@a_kodama
- そのために会社をつかっているという感覚ですね。

そうです。ここでチャレンジしているのでいくつかあって、一つはグローバルだと思っていて。例えばグローバルのリサーチをやるのって、お金がめちゃめちゃいるんですよね。個人で受けるとするとそのパーツしかできない。グローバルのリサーチプロジェクトを、一回大きなくくりでつくって、インドに行ったりとか世界中でフィールドワークしてくる。そういう環境をつくることを今年実現させたんですけど。あとは、日本の企業とだけ仕事をするのをやめようと。韓国とか中国とか、とりあえずアジア圏の会社と関係をつくっていて、その辺りの仕事を今年の後半からやろうと。

@a_kodama
- たしかにそれは個人では難しい

個人でやっていたような人達がむしろここに来た方が面白い仕事がやれるっていうような人達が来る。そういう環境作りをやっていることが実験なんですが、それで本当に会社でやった方がいいか個人でやった方がいいかを見極めたい。たぶん僕は個人でもぜんぜんやっていけると思いますよ。ただ、決定的に問題なのはお金を儲けることに興味がないんで。たぶんだから僕は、フリーにはなんない。次になるとしたら大学の教員になっていると思います。

会社員はすぐ「事情」を話し出す

@a_kodama
- 大学っていう環境の方が魅力を感じられると

たぶん僕は、会社員からよりも、大学生からの方が刺激を受けます。会社員はすぐ「事情」を話し出すんで。笑。

@a_kodama
- そこが田村さんにはつまらないと。

自分がなにをやりたいのか、よくわからない。でも僕はぜんぜん自分のことをすっごい頭がいいと思ってないし、人並み。だけど僕がなにができるのかっていうと、組織の正義にノー!って言えるところはたぶんあると思う。僕の中の培われた親から受け継いだ人格なんじゃないかな。建前がすっごくキライ。そこは自分の中のコアですね。

上の人と正面切って戦いを挑まず勝手に動かしていけるかどうか

若い人達がこれからどうなっていくのかを見たい。シェアハウスをつくったりとか、がんばっている若い人。それでも彼らは建前に、長いものに巻かれちゃうのか。それぐらい日本の文化っていうのは強いのか。それぐらいの人達っていうのが「そんなの関係ないよ」って言って生きていけるのか。それがすごい興味があって、上の人と正面切って戦いを挑まず勝手に動かしていくのかなー、となんとなく思っていて。2ちゃんねる的に「スルー」するっていう。ことでやってけるってことが見えたらすごい希望がある。50歳くらいの人を、どれくらいスルーできるのかは、ちょっと気になってるんですよ。賢い子達だし、処世術もある子たちだから、そういう子たちがなんだかんだ言って、上の人達の意見にイエスって言っちゃうのかなー、ってちょっと心配だったりする。で、イエスと言いながらもスルーしてくれればそれはそれでぜんぜんオッケー。

僕はすごい上の世代の人達からいやがられます。何故かというとすごい戦いを挑んでくるから。「おかしいですよねえ。おかしいとおもいませんか?なんでおかしいと思ったのに正そうとしないんですかー?」っていうことを言う。でもそれはうざいって思われるんです。でもまあそういう年代だからしょうがねえかあって僕は思ってますが。僕と似てんなー、って思うのがStudio-Lの山崎さん(※)とか。あの人もおかしいおかしいおかしい!ってずっと言ってます。それで大半の人にうざがられます。でも一部の人に、山崎さんのことは好きだって言われる。

※Studio-Lの山崎さん(デザインって本当に人を幸せにしているのか?)http://tamalog.ciao.jp/yamazakiryo/


東大のこれから

@a_kodama
- たぶんその承認のありかってのが大事で。それを通して承認のありかっていうか、コンテクストをつけられるのがすごい大事なんでしょうね

でも日本社会のメインストリームってなんだとおもいます?僕はそれを確かめるためにi.schoolをやってるところもあるんです。「i.schoolってなんなんですか?」って聞かれたときになんて答えるかっていうと「東大のこれからです」って答えるようにしているんですね。最初に堀井先生と議論をしたことの一つに「東大ってなんのためにあるんでしたっけ?」っていうことなんです。東大と、慶應と、早稲田は一緒ですか?ただ賢い子達が来るところですか?昔は明らかに意味があった。官僚を養成することと、それから科学技術を開発すること。その二つにはっきり絞ってもいい。ところが今は、官僚はいらないって言われる。科学技術も外から持ってくればいいと思っている。少なくとも、東大が特別な科学技術を出せるとは誰も思っていない。ていうのがなんのためにあるのかっていうときに東大ってなんの意味があるんでしょう?で、そのときに歴史的に見て東京大学がある意味っていうのは、上位の国立大学のためにあるんじゃなくて、東京大学は国のための大学ですと。日本という国のために東京大学はあったし、そうあるべきだっていう。とすると日本という国が、知っていう面から見たときに日本を代表するところでなければだめだ。そのレーゾンデートルを示せるようなところでなければいけないっていうふうに思っていて。だから東大から出た人達っていうのが、少なくてもi.schoolから出た人達っていうのが、これからの日本ていうものを背負う上でのモデルになるべきだと思っています。

@a_kodama
- たぶん一般的な意味ではなくて、さきほどから田村さんが言っているような意味での変化ですよね

そうです。常にいままでの自分を軽やかに否定できる人だと思っているんです。偉そうにしないで、常に学ぼうと思う姿勢を持っている人。そういう人達が出てくれば成功だったのかなー、とか、それを元にして日本ていう国が変わってくれれば、東大も在る意味があったのかなーって。それこそ受験秀才だったら、東大行っても京大行っても慶應行ってもどこだっていいと思ってるんですけどね。東大は国のための大学、だとすると、やっぱり国を背負ってもらわないと、と思います。
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