tamalog 2022-08-18T01:46:48+09:00 Output and input from 1998 to 2010 JUGEM 未来の自分自身を予測するということ http://tamachan.jugem.jp/?eid=712 2010-12-31T23:55:00+09:00 2013-06-06T14:41:52Z 2010-12-31T14:55:00Z 2003年から書いてきたこのブログですが、今日で一旦終了します。
今後については、こちらのサイトで情報発信していきますので、ブックマークやRSSリーダーのURLの変更をお願いします。(このサイトは今後も残ったままにするつもりです)
http://tamalog.me/
20... tamachan
今後については、こちらのサイトで情報発信していきますので、ブックマークやRSSリーダーのURLの変更をお願いします。(このサイトは今後も残ったままにするつもりです)
http://tamalog.me/
2013年の自分はどうなっているんだろう。
このサイトは、もともと2003年頃に、十年後の自分がどうなっているかっていうことを考えるために書き始めたものでした。2013年に、自分がどうなっているかを知るためには、過去と、それから現在の自分自身のインプットとアウトプットをアーカイブして集積していくことによって、それが繋がっていくとそこから演繹的(えんえきてき)に未来の方向性が見えてくるんじゃないかと思って始めたものでした。いわゆるライフログのひとつの実験とその成果だと言えます。この間、僕の記憶の大部分をこのサイトに逐一アーカイブしたために、他人の方が僕のことをよく知っているというような出来事が起きたり、予想外の人間関係が生まれたりということが起きました。結果的には、それは予想以上の効果をもたらしてくれたと思っています。特にTwitterが登場してからこの一年数ヶ月間の出来事は非常にエキサイティングなものでした。
CONNECTING DOTS
そのような手法がまさか本当に未来予測の現場で使われていることだとは知らずに、当時は本当に個人ブログとして始めたものでしたが、その後、2005年の夏に、スタンフォード大学でスティーブ・ジョブズ氏が、卒業生向けにスピーチを行った中の一節が、その後の自分をどれだけ勇気づけてくれたことでしょう。
大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。 CONNECTING DOTS|http://tamachan.jugem.jp/?eid=56
そして2008年頃から徐々に自分の進みたい方向がハッキリとしてきてからは、日本固有の文化の中における発見や、地域社会のレポート、それに最近ではイノベーションや、変化の第一線にいる方々のレポートサイトのような性格を帯びるようになってきていました。関係者も徐々に広まってゆき、ここ最近はとても個人のライフログの実験の範疇には収まらなくなっていました。
最近「きみはジャーナリズムをやっているのか?」と言われたりすることもあります。
そう言われると、そうなのかな?と思ってしまったりするのですが、ジャーナリズムにシンパシーは感じていつつも、ちょっと違うなと思っています。どちらかというと、もっとポジティブな未来を描くための材料を提供したい。ここ一年くらいは、第一次産業が変化をしていく地域社会の第一線の現場を取材しながら、そんなことを思っていました。マスメディアには、信じられないくらい一次情報が流れておらず、なにを拠り所にしてこれからの社会をつくっていって良いのか、その指針が最近ではまったくと言っていいほどありません。そのために必要な、前の世代が残してくれたものを発見したり、今起きている変化の最前線を伝えていくということは、今後もやっていきたいと思っています。演繹的に、未来を予測するべき対象が、自分個人という存在から、ちょっと広げていかなくてはならなくなってきたということかもしれません。
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とにかく社会という現場に出てみたかった。
そういえば、このサイトのタイトルは「Output and input from 1998 to 2010」と、1998年に遡って、それからこちらのことを書いています。1998年というのは、僕が初めて会社というものに所属した年で、キャリアが始まったときのことです。当時18歳で、とにかく社会という現場に出て、世界を見つめてみなければ、自分の人生は始まらないと思っていました。それまでの人生は虚構に過ぎないと、そんな風にも思っていました。丁度16歳で高等学校を中退してから2年が経っていました。当時働いていたエレファントデザイン株式会社は、1998年から、都合一年半とちょっとで退職することになって以降、現在に至るまで基本的にはずうっと個人で働いているという立場をとっています。僕は集団行動がとても苦手で、たくさんの人がいるところだと、自分の存在を消してしまおうとしたり、ペースを乱されるとパフォーマンスを発揮できなくなるのですが、そういったことが個人で働くことに繋がっているのかもしれません。
個人で働くということ。
どうも個人で働くということをとても能力が必要であったり、そのための強さが自分には足らないんじゃないかと思っている方が、いまだにたくさんいらっしゃるように思っています。ユダヤ人の哲学者、エーリッヒ・フロムが著書「自由への逃走」の中で書いているように「人間というものは自由を望んでいない、という命題を背負っていて、多くの人は集団の中に属しているから安心感を得られるんだ」ということを、肯定されている方のなんと多いことかと驚きます。
確かに、僕自身はある程度能力によって、かなり早期に自分自身の価値を社会に対して提示して、経済的にフィードバックされるようになったかもしれません。でも、それが可能だったのは、なによりインターネットのインフラストラクチャーが日本では1994年頃から整備されてきたからであり、その上でウェブサイトをつくったりデザインするということは、極めて換金することがし易かったということがあります。そのために必要な営業や出会いも、そのインフラの中で成立してきました。能力を磨くという作業は、これらの生態系の中での誰かとの共同作業であったのです。
なまじ会社員になると、自分の生んでいる価値と収入の因果関係が解らなくなる。
会社を辞めてから既に10年近くが経っていて、その後ずうっとこの労働集約作業が収入の大部分を占めてきているのですが、自分の働きがそのままメシに直結するため、当初はかなりスリリングな生活をしていました。しかし、それが当たり前になってくると世界の見え方が徐々に変わってきます。
先日、@daisuke_maki さんが「なまじ会社員になると、自分の生んでいる価値と収入の因果関係が解らなくなる。」ということを言っていて、とても本質を突いた言葉だと印象に残っています。社会が複雑化しすぎてしまったために、自分と世界の因果関係が極めて薄くなってしまって、組織や、ひいては国家が思考停止に陥ったりするケースが多々起きています。そういった理由から、個人で働くという選択肢を取ってきてしまったわけですが、必ずしも集団で働くということを否定したいわけではないのです。もしも、会社組織に所属しながらも、社会と自分自身の因果関係を感じ続けながら、キャリアを得ることができる世の中であったのならば、本心としてはそうしたかった。所属という安心感の中で、守られながらも本質を外さずに生きて行くことが非常に難しくなっている。
仕事の三つの意味。「稼ぎ」「勤め」「学び」
とまぁ、そのような形で経済的なフィードバックを生み出していく生活をしていくうちに、一年くらいで労働集約的作業には限界があることを感じるようになりました。なによりも、それを続けて行くためのモチベーションに繋がらないような仕事(それを労働というのかもしれません)も当初は受注していました。このブログを書き始めた2003年頃というのは、丁度そのような悩みを抱えていた時期でもあります。そんな当時、僕が師事していた文化人類学者の竹村真一さんによって、仕事というものには三つの意味があるということを教えられました。一つ目は「稼ぎ」であり、日々を暮らしていくための糧を得るための仕事をすること。二つ目は「勤め」これは、たとえ経済的なフィードバックがされなくても、使命感を持って取り組むことができる、自分にしかできない仕事のことを指します。三つ目は「学び」これは遊びであるとも言いますが、インプットのことを指します。インプットのための作業もまた、仕事のうちの一つであると。これらを丁度三等分するくらいのバランスで仕事の時間に割り当てられるのが良い。といった内容だったと記憶しています。
情報を発信することが、結果的に自分の未来をつくることになる。
その話を聞いたときに、自分自身の未来を演繹的に発想するということを思いついたのかもしれません。とにかく見聞きしたものをひたすらに書いていました。自分自身がそのときそのときに興味を持っていること。それを情報として発信することが、結果的になんらかのフィードバックを生み出してくれるのです。情報としてのフィードバック、人としての繋がり、仕事の受注。その結果として、今僕自身が関わっているプロジェクトの多くは、僕自身の興味や関心に必ずなんらかの関係性があるものだけになりました。Twitterが相乗的に、その可能性を加速してくれたというのも大きな一因になっています。
自分が自分らしく生きていくということ。その戦略的方法論を研究開発してきたのが、この12年間であったのかもしれません。このような生き方が可能なのだということを、誰かがその頼りとして、一つの事例として参考にして頂ければ幸いです。
多くの人々が、自律的に生きて行くために、社会と自分自身の因果関係を明確化して地に足をつけた感覚を取り戻せますように。
2010年12月31日 大晦日の夜に
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ことのはじまり
http://tamachan.jugem.jp/?eid=314
地に足のついた仕事してますか?
http://tamachan.jugem.jp/?eid=424 ]]> ソニーの終焉と、日本株式会社の終焉 http://tamachan.jugem.jp/?eid=710 2010-11-25T00:47:00+09:00 2015-07-27T11:52:13Z 2010-11-24T15:47:00Z
たまたま立ち寄った青山ブックセンターで平積みされていた @ktsujino さんの本を手に取った後、以下のことをつぶやきながら一気に読み切った。
ソニーへの鎮魂歌
辻野晃一郎さん。ソニーでVAIOのデスクトップ事業の創業期を担った人らしい。この人がつくったの... tamachan 本
たまたま立ち寄った青山ブックセンターで平積みされていた @ktsujino さんの本を手に取った後、以下のことをつぶやきながら一気に読み切った。
ソニーへの鎮魂歌
辻野晃一郎さん。ソニーでVAIOのデスクトップ事業の創業期を担った人らしい。この人がつくったのか。と同時に読み進めていくうちに「ソニー」という存在そのものを思い出させてもらった。初期のVAIOからはノート型からもデスクトップ型からも、たくさんたくさん夢を貰った。それと当時に、ああ、もうあの神々しいまでにポジティブなエネルギーを放ち、インスピレーションを与えてくれるソニーは、本当に亡くなったんだな。と寂しくなった。この本は、そんなソニーへの鎮魂歌のような本だ。本当に悲しい限りである。
背景にいる創造的な個人の存在
この本を読んで益々思うのが、企業内における一個人の力がどれほどか大きいということである。薄々ながらも当時の一連のVAIO製品群には、その背景にいるであろう創造的な個人の存在を感じさせていた。2000年を過ぎた頃からであろうか徐々にそれを感じなくなっていった。このことから思うのは、すべて「SONY」の四文字にブランド価値を託すのではなく、@ktsujino さんのような開発者個人は全面に立ってピーアールされるべきである。ということだろう。はっきり言って、現在のソニーはウソである。当時のイノベーティブなソニーはもう既に亡い。]]>農地改革と、八郎さんのメダカ米 http://tamachan.jugem.jp/?eid=709 2010-11-12T16:08:00+09:00 2015-07-27T11:51:37Z 2010-11-12T07:08:00Z
今年の初めからお手伝いさせていただいている、岡山県の西粟倉村で、また新しい企画が始まった。「メダカ米」というこの福島八郎さんという地元のおじいちゃんが育てた米を販売するということなのだけど、八郎さんによると合鴨農法もやったし、なるべく農薬を使わない... tamachan
今年の初めからお手伝いさせていただいている、岡山県の西粟倉村で、また新しい企画が始まった。「メダカ米」というこの福島八郎さんという地元のおじいちゃんが育てた米を販売するということなのだけど、八郎さんによると合鴨農法もやったし、なるべく農薬を使わないところでいろいろと試してきたけれど、結局行き着いたのはメダカだったという。田んぼの中を泳ぐメダカ達が死なない程度に除草剤もつかっているのだそうだけれど、除草剤を使いすぎるとメダカの動きが鈍くなってきたりして解るんだそうです。メダカが生きていられる環境でつくった米ならば、人間の体にも悪いものではないはずという。詳しくはメダカ米のページ を見てください。]]>アップル代は、もはや水道代や電気代のような感覚になっている。 http://tamachan.jugem.jp/?eid=708 2010-10-23T00:41:00+09:00 2015-07-27T11:52:55Z 2010-10-22T15:41:00Z
日本時間10月21日未明、アメリカはカリフォルニア州クパティーノで行われたアップルの新製品発表のストリーミング映像を見終えた僕は、割となんの躊躇も迷いもなく、新商品入れ替えのための「We'll be back soon」の画面表示が終了した直後あっという間にクレジットカ... tamachan
日本時間10月21日未明、アメリカはカリフォルニア州クパティーノで行われたアップルの新製品発表のストリーミング映像を見終えた僕は、割となんの躊躇も迷いもなく、新商品入れ替えのための「We'll be back soon」の画面表示が終了した直後あっという間にクレジットカード決済を行い、粛々と買い換え作業を行っていたのでした。]]>イノベーションは学びのプロセス 東京大学i.school 田村大 http://tamachan.jugem.jp/?eid=706 2010-10-12T01:20:00+09:00 2015-07-27T11:18:08Z 2010-10-11T16:20:00Z
INSPIRE lab 第3回 イノベーションは学びのプロセス 田村大
speaker:田村大氏 @tamdai99(東京大学i.school ディレクター)
date & place:2010.08.05 まれびとハウス にて
participant : @MiUKi_None @tamachangg @a_kodama @scommunity @sotacafe @mikitty090... tamachan ログ
INSPIRE lab 第3回 イノベーションは学びのプロセス 田村大
speaker:田村大氏 @tamdai99(東京大学i.school ディレクター)
date & place:2010.08.05 まれびとハウス にて
participant : @MiUKi_None @tamachangg @a_kodama @scommunity @sotacafe @mikitty0905 @ryutaro_i @stkbys @8rukun @DialogueBar @t_mashiko @ikeyu @2gta9]]>ダカフェ日記と広松木工さん http://tamachan.jugem.jp/?eid=705 2010-09-29T01:28:00+09:00 2015-07-27T11:53:20Z 2010-09-28T16:28:00Z 前回のつづき。
突然やってきた福岡で、点と点が繋がった僕らは、翌日、当然の如く大川市に向かっていたのでした。博多の町から高速を使って車で一時間半ほど。
広松木工さんのショールームに入っていろいろと実物を見ながら家具のクオリティにひとつひとつ溜息... tamachan 前回のつづき。
突然やってきた福岡で、点と点が繋がった僕らは、翌日、当然の如く大川市に向かっていたのでした。博多の町から高速を使って車で一時間半ほど。
広松木工さんのショールームに入っていろいろと実物を見ながら家具のクオリティにひとつひとつ溜息をしつつも、なにより一番衝撃だったのは、この写真達だったわけです。大々的に大判に引き延ばしたダカフェ日記の写真が、これももちろん木で作られた専用のフォトフレームに飾られて、店内のあちこちに飾られていたこと。]]> 福岡県の「日本一の家具の町」のこと http://tamachan.jugem.jp/?eid=704 2010-09-26T23:28:00+09:00 2015-07-27T11:53:55Z 2010-09-26T14:28:00Z あれは今を遡ること一週間前のことでした。いつものように西粟倉村にニシアワーの取材のために訪れていた後に、ふと九州に行ってみたくなったのでした。年間に結構な回数、東京から岡山あたりまでは往復しているにもかかわらず、西は岡山以西にはあまり行ったことがなく、... tamachan
西粟倉の仕事を始めてからずっと気になっている一冊の冊子がありました。大川コンセルヴと書いてあります。(http://www.okawa-cci.or.jp/conserve/mokuzi.html )福岡県に大川という町があるそうな。その大川市の商工会議所が中心となって始まった、大川にある食べ物と木のコラボレーション事業なのだそうです。もうかれこれ半年くらい前から気になってはいつつ、ここにはなにかあるに違いないという勘でとりあえずは博多に辿り着いたのでした。]]> デザインは新聞を救えるか? http://tamachan.jugem.jp/?eid=702 2010-08-25T01:13:00+09:00 2015-07-27T11:31:00Z 2010-08-24T16:13:00Z
今年の年初から突然のように始まった紙メディアのシフトチェンジについて、ポスト紙メディアはどんなカタチになるんだろうか?iPadアプリとして登場したReederとか、大本命かもしれないFlipboardとか、いろいろ出てきつつあるし、行き着くところ前述のECサイトくらい... tamachan 情報デザイン・メディアデザイン
今年の年初から突然のように始まった紙メディアのシフトチェンジについて、ポスト紙メディアはどんなカタチになるんだろうか?iPadアプリとして登場したReeder とか、大本命かもしれないFlipboard とか、いろいろ出てきつつあるし、行き着くところ前述のECサイトくらいのものがウェブマガジンというか電子雑誌のようなものになっているくらいになんなきゃダメでしょと思っているのですが。
そんなこんなと日々模索していくなかで、ああそっか、こういうのもありなのかっていう興味深い事例を見つけた。もう既にある新聞をリノベーションしたような試み。JR九州の車両デザインを20年かけてやってきた水戸岡鋭治さんに近いかもしれない。]]>ネットでものを買うこと。ecの未来について http://tamachan.jugem.jp/?eid=701 2010-08-22T02:47:00+09:00 2015-07-27T11:54:27Z 2010-08-21T17:47:00Z
いや、なにが良いって、よくわかってるなぁと。生活をするっていう超、超、超、基本的前提の上に、生活雑貨を買うっていう。無印良品とかで買うんじゃなくって、IKEAとかで買うんじゃなくって。だけど代官山のインテリアショップのバカ高い値段の雑貨を買うでもなく、... tamachan
いや、なにが良いって、よくわかってるなぁと。生活をするっていう超、超、超、基本的前提の上に、生活雑貨を買うっていう。無印良品とかで買うんじゃなくって、IKEAとかで買うんじゃなくって。だけど代官山のインテリアショップのバカ高い値段の雑貨を買うでもなく、ミッドタウンのやたらと無駄に資本投下されてしまっていて、扱っているものはいいものだけども買う気が起きないくらい高いものではなくて。
ちょっと良いもの。だけれど骨董だったり、焼き物だったり、木だったり。きちんと誰がつくったかストーリーが語られていて、どこでつくってるのかが見えていて。文脈がきちんと多方向に延びていて。結果的に払ったお金が誰に届いていて、誰が幸せになっているかが、しっくりくるもの。みんな、そういうものが欲しいんじゃないのか?それも「欲しい」というよりも、関わりたいというような言葉の方が正しいのかもしれない。
だけど、そういうもんが無いんだなぁ。今の若者が消費しない世代、だなんてウソだ。いままでの大人達があの手この手で消費させようとしているものが、だいたいウソばっかりだってことが見えて来ちゃっただけの話で。特にネットの世界では。eコマースっていう言葉が生まれて15年くらい経つのだろうか。その間いろいろいろいろさまざまーーーな取り組みがされてきて、Amazon.com みたいに流通を根本から作り替えたような存在も出てきたけれど、僕はなぁんかインターネットっていうものをまったくわかっちゃいない奴らが、都合の良いように勝手な流通構造をつくっているようにしか感じられない。]]>最新のポートフォリオについてはこちらをご覧ください http://tamachan.jugem.jp/?eid=715 2010-07-27T16:17:00+09:00 2017-06-22T07:02:53Z 2010-07-27T07:17:00Z http://tamalog.me/designworks/ tamachan ポートフォリオ http://tamalog.me/designworks/ ]]>デザインって本当に人を幸せにしているのか?ランドスケープ・アーキテクト 山崎亮 http://tamachan.jugem.jp/?eid=672 2010-07-06T11:38:00+09:00 2015-07-27T11:55:39Z 2010-07-06T02:38:00Z
トビムシ オープニング企画「ランドスケープアワー」studio-L 山崎亮
speaker:山崎亮氏(株式会社studio-L 代表)@yamazakiryo
date & place:2010.03.21
3331 Arts Chiyoda(旧練成中学校)1F 株式会社トビムシオフィスにて
僕はランドスケープデザインという... tamachan ログ
トビムシ オープニング企画「ランドスケープアワー」studio-L 山崎亮
speaker:山崎亮氏(株式会社studio-L 代表)@yamazakiryo
date & place:2010.03.21
3331 Arts Chiyoda(旧練成中学校)1F 株式会社トビムシオフィスにて
僕はランドスケープデザインということをやってます。風景をデザインする仕事。1862年にニューヨークにセントラルパークをつくったフレデリック・ロー・オルムステッド という人がいます。
日本は幕末ですね。その当時マンハッタンはまだ集落が立ち並ぶ場所だったんですが、その時代に地政学的にいって将来ここに高層ビルが建ち並ぶ場所だといってここにあらかじめ緑の場所をつくっておくことが重要だと予見してつくったという。自分がこのような広い公園をつくる職能をなんと呼ぶかっていうことについて、こういう仕事は建築家って呼ばれちゃうんだけど、ランドスケープデザイナーの第一号だと言われています。庭を設計したり、会社や大きな建物で空いてるスペースに緑をつくる仕事をランドスケープデザイナーと呼んでいます。風景をデザインするって言ったとたんに「そんなことできるのか?」 って思えてきてしまいます。あるいは風景の側からするとおまえにデザインされるのか? って思う。同時にコミュニティデザイナーって名乗っているときもあるのですが、コミュニティもどっかにデザインされることでもないと思うのです。ソーシャルデザインとかね。大きなものをデザインするときにつきまとうことなのかなと思っています。それが一点目の違和感 。
それから次に、これからどんどん日本の人口が減っていきますね。2100年には、1910年とほぼ同じくらいの人口規模になるんじゃないかと言われております。2050年で、1970年くらいの人口規模。つまり、これまで大阪だったとすれば、里山を壊して宅地にしようと言っていて宅地の周りの緑をどういうふうにつくっていこうというのがランドスケープデザイナーの仕事だったものが、これからはなにをつくっていこう?というわけです。人口が減っていくと同時に税収も下がっていきますから、公共事業っていうのも順調に減らしていかなければならないわけですね。]]>個人発メディアの作り方 greenz.jp 鈴木菜央 http://tamachan.jugem.jp/?eid=727 2010-06-28T20:21:00+09:00 2015-07-27T11:26:45Z 2010-06-28T11:21:00Z
INSPIRE lab 第2回 個人発メディアの作り方 鈴木菜央
speaker:鈴木菜央氏 @suzukinao(greenz.jp編集長)
date & place:2010.03.26
株式会社ビオピオ オフィスにて
written by @tamachangg
participant : @ryutaro_i @a_kodama @stkbys @scommunity @tumaMo... tamachan ログ
INSPIRE lab 第2回 個人発メディアの作り方 鈴木菜央
speaker:鈴木菜央氏 @suzukinao(greenz.jp 編集長)
date & place:2010.03.26
株式会社ビオピオ オフィスにて
written by @tamachangg
participant : @ryutaro_i @a_kodama @stkbys @scommunity @tumaMo @yu_nakamura8
だいぶあいだがあいてしまいましたが。iPadが発売する前、出版業界再編、黒船がやってきた!さあ大変だっていう妄想をばりばりにふくらませていた今年三月の末。ようやく楽しくなってきたと思っていた頃に、greenz.jp 鈴木菜央さんにお話して頂きました。
丁度一年くらい前から、急激に普及し始めたTwitterでたぶん僕の周りでは一番最初に使っていたのは菜央さんだったと思います。個人が発信する情報のポテンシャルが急速に高まっているのを、うまくウェブマガジンというメディアと結びつけ、ただ投げっぱなしの情報発信ではなく、ゆるやかにコミュニティ作りをしている舞台裏から、編集とはなにか?自分自身の暮らしとの一体化までありのままを語っておられます。]]>原生林と腐海の森 http://tamachan.jugem.jp/?eid=688 2010-06-22T14:51:00+09:00 2010-06-22T09:30:42Z 2010-06-22T05:51:00Z 西粟倉に行く時はなんだか生命か生態か森林に関係する本を読んでいる。特に意識しているわけではないけれど、前々から読まねばと思っていたものを、一冊ずつ取り出している感じ。
前回は福岡伸一「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」を読んでいた。生命とは何か?生... tamachan
前回は福岡伸一「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか 」を読んでいた。生命とは何か?生命の本質っていうのは、エントロピー増大の法則にある。エントロピーっていうのはどんどん散らかっていくこと。生命っていうのは脆いようなイメージがあるけれど、本質的にはどうにも押さえられないくらい強いものであること。生きていくうちにどんどん散らかって、やがて秩序を失っていって、あちこちで障害や機能不全が起こって、そのために死というプログラムが仕込んであって、そして次の世代によって再構築される。延々とその繰り返しであるっていうことを、動的平衡という。
前々回はメアリー・マイシオ「チェルノブイリの森 」を読んでいた。1986年4月26日に起きた原子力発電所の事故の後、20数年経って立ち入りが禁止されている発電所20km圏内の周辺地域は広大な森に変わっていた。という話。事故の直後は草木がまったく生えない荒野になるとか、生物が巨大化するなんていうSFのようなことが言われていたけれど、生態系はもっとしたたかだった。いまなお汚染されているにも関わらず、植生は元に戻り、ヨーロッパ中から、人間がいない場所を求めて希少種の動物が集まり完璧な食物連鎖が生まれていた。というお話。
そして今回は宮崎駿「風の谷のナウシカ 」でした。この本は、ずうっと前から大きな大きな宿題でした。映画版は見たことがあったけれど、コミック版を読む気には何故かなれないまま、風の谷のナウシカ全7巻BOXセットが本棚の奥底に眠ったままになっていたものを、デジタル化したっていうのもあって読んでみたのでした。文脈を一つずつ遡っていって、ようやく辿り着いたという感じ。大前提として竹村真一さんの宇宙観的な視点による季節やエネルギー循環の話 を聞いた上で、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー 」を読み、この国に数多ある伝統文化とその根本にあるアミニズムの世界観を追いかけ、そのもっとも源にあったのはこの国の風土であり、そこに存在する自然だった。そういう文脈の上でやっと辿り着いたところ。
nishihourのサイトをつくる前に、となりのトトロを三回か四回見てつくっていたりするんだけれど、今回のお仕事は牧大介という人との対話だけではなくって、なにより宮崎駿との対話をしなければならないんですね。そんな牧さんも、やっぱり「風の谷のナウシカ」によって生態学の世界に入った一人だったのでした。
そんな西粟倉の最も北にある、西日本で一番目か二番目くらいの大規模な原生林に行ってきました。
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www.flickr .com |2010.06.19 西粟倉 源流の森ツアー
http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/sets/72157624330018346/
nishihour ニシアワー
http://www.nishihour.jp/ ]]> 松岡正剛 立命館大学 白川静 生誕100周年フォーラム http://tamachan.jugem.jp/?eid=686 2010-06-15T23:35:00+09:00 2010-06-16T08:31:46Z 2010-06-15T14:35:00Z 立命館大学 白川静 生誕100周年フォーラム
speaker : 松岡正剛氏(編集工学研究所所長)
data & place : 2010.06.06
立命館大学 衣笠キャンパス 以学館2号ホールにて
なんか京都にいると大学にばっかりいるな。と、思いつつ。精華大の翌週は立命館大学におりました... tamachan ログ
speaker : 松岡正剛氏(編集工学研究所所長)
data & place : 2010.06.06
立命館大学 衣笠キャンパス 以学館2号ホールにて
なんか京都にいると大学にばっかりいるな。と、思いつつ。精華大の翌週は立命館大学におりました。
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遊
できるだけカジュアルな話をしたいと思いますが。1970年に漢字という岩波新書の本を出されたときに「遊」(ゆう)という雑誌を発案し、翌年創刊しました。私の27から8歳にかけての創刊だったんですが、非常に大きな挑戦でした。しかも当時漢字一字の雑誌というものは書店には無かったと思うのですが。私はなにかこれは時代に挑戦するために変えなければいけないと思いましてね。そこで遊というタイトルにしたのですが、それこそが白川先生が当時岩波新書から出された本に強烈なインパクトを受けたせいでした。後に白川先生に連載していただくわけですが「遊」という漢字の意味をお願いします、とお願いして書いて頂いたのですが、今度は道字論、道という字の話になり、約二年間くらい連載をしました。先生が最も好きな漢字が遊という文字だったということが解ったのはそれから更に二十年後のことでした。いったいなぜ白川先生が遊という字に注目され、私が惹かれたのか。それについてお話したいと思います。
私、編集工学や編集ということを仕事や研究にしております。編集というのは新聞を編集するとか雑誌を編集するというふうに使われておりますが、私は必ずしも狭く編集をとらえているのではなくて、人間がイメージを頭の中で浮かべたときに投影して、なにかに定着するまでのすべてを編集と見なしています。私たちの頭の中にはイメージというものがあるわけですけども、それがマネージされている。マネージというのはマネージメントという言葉でいま大変、企業では大事な言葉ですが、もしマネージメントがあるのならば、イメージにもイメージメントという言葉もあったであろう。そう思って、そこに分け入っていく。それが編集の仕事であり、研究だ。というふうに思ってるんですね。ということは、そのためにはいくつか、赴かなければならないことがある。一つは、幼児がどのようにイメージを言葉や身振りや、あるいはコミュニケーションにしているのかということを研究しているわけです。あるいは二つ目は、古代人はどうして言葉や文字というものを持ち出したのか。日本は古代、長らくオラルコミュニケーション、文字はつかっていなかった。少なくても漢字がやってくるまでは文字は使っていないんです。だとするといったいどうやってコミュニケーションをしていたのか?中国の甲骨文化の前はどうしていたのか?白川先生は、このイメージの世界になにがあるのかということ、どう社会化されたのかということを研究されたわけです。みっつめ、古来そのようなことはどのように学問になったのか。例えば言語学というのはいつできたのでしょうか?15世紀でしょうか、ルネッサンスでしょうか?ローマでしょうか?ギリシャ、あるいは漢の時代でしょうか?また、民族、あるいは風習、そのようなものを研究するようになったのはいつでしょうか。おそらくは文字が確定し、そのいくつかが民族あるいは国家にわかれ、民族言語が並立、あるいは林立、ないしは乱立してから、言語やコミュニケーションということが気になり始めたんですね。
国風というふうに書いて、日本ではくにぶりといいますね。脳とどう関係があるのか。手を振ると日本ではこっちに来なさい、ということになるし、英語圏では、あっちにいけっていうことになりますね。それと同じように言語と文字表現は変わってくると思いますね。白川先生の言語学には針が一杯出て来ますけども、身体性を持っていたんだと思います。例えば山水画というのは見上げる、のぞき込む、見通すというヨーロッパとはまったく違った遠近法の見方をしますが。先生は後に共時論をお書きになりますけども。日本の禅は、南の禅の影響を受けているんですね。奈良の仏教は最初、北魏仏教が入ってきていますから北から入ってきているんですね。それらは学問だけでなくて、芸能や芸術にどのような影響を持ったのかが重要です。
暮
暮(くれ)ってのはシャーマンの女性の媚びを売っている姿を現しているわけですね。文字の中に芸能性や芸術性がとってもあったわけですね。野村万之丞は、中国のほぼ大半の芸能を訪ねて、弦楽や能とどう関係しているのかを調べていました。それは白川文字学の奥にある人間のパフォーメントとして大事なんですね。
以上のようなことを、私は白川先生の、漢字という本から衝撃を受けました。イメージとイマージの間にある世界に行かなければいけないと思ったわけでした。自分の仕事として、研究として、文字とか漢字を白川先生から教わりつつ(勝手に私が学ぶだけなんですが)ち、と、さを、子供がよく間違えますね。くさび形文字はだいたい途中で回転します。北九州に出土した卑弥呼の時代に、和という字がこのように 表現されているのですが。
文字の世界には人間の身体があるわけですね。腕のストロークがどれだけ動きやすいかが、文字の文化と非常に関係がある。編集的な思想や、編集的な変化に応じて、白川先生を学ぶということをしてきました。途中からそういう勉強の仕方ではまったく足りないということに気がつきました。それは、何故あのような白川先生が書かれたような世界は、今日無いんだろうか。あんなに素晴らしい生き生きしたものが、どこで失われたんだろうか。じゃあ、いつ失われたんだろうか。たとえば王という字はまさかりを持った字であったり、家という字には犬の犠牲が潜んでいる。くらいは今日でもなんとかわかるし、そういうイメージと連続的に持てるかと思いますが、イメージの中でいくつかの重要なものは、まったくどこかで失われているんですね。先生が言われた「巫祝王」(ふしゅくおう)という。絶対王ですね。こういうシャーマンはどっかでいなくなったわけです。卑弥呼の頃なのか、藤原の頃なのか、後醍醐の頃なのか。私の中で気になったわけですね。漢字というものはいつまで呪能を持っていたのか。やっとそこで白川先生の研究書を読むようになったのですが。
興
興(きょう)という字。これに驚きました。ピクトグラム、図表文字がいっきに甲骨文字に変わったわけです。それは周、もしくは殷の時代に絶対的な巫祝王が現れたわけです。それを、秦の始皇帝が全ての文字を一旦中止させて、文字を置き換えたわけです。長らく革命は、文字をつくりかえるか、通貨を切り替えるか、暦をおきかえることで成立しています。これはレーニンも言っていますし、ゲバラも書いています。
起興。興を起こすこと、というメソッドがあって、紀貫之が真名字(まなじ)をかいたときに、興というものがひとつのパスワードというかコマンドというか、なにかリーディングフレーズとなっているんですね。三歳、五歳の頃、私たちがなにをしゃべっていたのかを思い出せないように、私たちはあの時代を起興できないわけですね。万葉集は幸い、万葉仮名が入ってきてからまとめています。そこで白川先生は万葉の民俗学を研究されはじめたんですね。万葉の中の変化、たらちねの、と書いたらどうして母が出るんですか、ひさかたの、というとどうして光が出てくるんですか。古今和歌集の頃はまだそれが生きていて、生きたまま流布していて、百人一首にも伝わっている姿が見えるじゃないですか。驚きました。そういうことを持って、自分は単純に編集ということを考えていたな。と。幼児は、学校で文字を学んで、だんだんだんだん成長してくると、単純に思っていたんですね。どうもそうではない。むしろ、一旦失われることが、忘却のみならず棄却もある。本来私たちは発明したことの本筋や本懐を忘れるという本質に気がつきました。聖書の中にバベルの塔のような物語があるように、簡単に聖書には書いてありますけれど、ほんとにそうなのかなと。ネアンデルタール人は、既に死の概念があって、埋葬をしていたという。けれど文字は持っていない。漢字や文字の中で、そのままそこで封印されたこともあるんじゃないか。そのようなことから編集はリニア、線形的に進むということではなく、じぐざぐに、封印され時には殺害され、白川先生の、初期に研究室でお書きになられていた50代前半のものを読み直しますと、白川文字学というのは、封印と殺害と開示、によって構成されていると気がつきました。
さらに申し上げておきたいのは、そのようなことを辞書にされた。そのようなことは衝撃でした。当時先生は大量の原稿をお書きになったとおっしゃられていたのですが、辞書を書かれているとは気がつきませんでした。編集ってのはちょっと大変だぞって思い直しました。その頃に世界中の辞書をトレースするという研究に入りました。たとえばユダヤの民族の十二使のなかにも入っています。レキシコグラファーが、時代時代において、新しい概念革命を起こしていたということに気がつきました。辞書というのは既存の意味ということを対象にするだけでなくて、レキシコグラファーが、その時代時代に、セマンティックな提案をするということだと、やっと気がつきました。インクポッドタームという、例えばどうしてイギリスに議会ができたんですか。あるいはマグナカルタができたんですか。それらは全部レキシコグラファーがつくった理想的な概念なんです。英語というものをつかって、新しい自由ということやジェントルということを作っているんですね。リバーからライバルが生まれてきたり、その前のロビンフッドの時代には使われていたかもしれないけれど、そういう意味では使われていなかったわけですね。辞書というものはただならないものである。
辞書っていうものは戦争なんですね。革命なんです。三つだけエポックメイキングなことをお伝えしたわけです。]]> 作り手と売り手、そして使い手の関係性。エフスタイルのものづくり http://tamachan.jugem.jp/?eid=685 2010-05-31T19:43:00+09:00 2015-07-27T10:59:58Z 2010-05-31T10:43:00Z
京都精華大でのプレデザイン授業 第三週
speaker : 西村佳哲氏 x 五十嵐恵美氏、星野若菜氏(F/Style エフスタイル)
data & place : 2010.05.29 京都精華大学黎明館 L-001教室 2限〜4限
たぶん、いま一番興味のある分野かもしれない。ものを売って、買って、... tamachan ログ
京都精華大でのプレデザイン授業 第三週
speaker : 西村佳哲氏 x 五十嵐恵美氏、星野若菜氏(F/Style エフスタイル)
data & place : 2010.05.29 京都精華大学黎明館 L-001教室 2限〜4限
たぶん、いま一番興味のある分野かもしれない。ものを売って、買って、使うということは、イギリスで18世紀に産業革命が起こってから現在までの間に、分業化、専業化が繰り返され、そして20世紀の初めにアメリカでT型フォードが大量生産されるようになった時点でだいたいの基本形が完成した。その後100年を経て現在の僕たちがものを売り買いしている状況になっているのだけれど、様々な観点からこのシステムの矛盾を日々感じながら暮らしている。大量につくられることで発生する大量のゴミの問題。大量に販売されることによる造形としてのデザイン上の矛盾、プライスと流通の原則の前では、なにをやってもいいかのようなメーカーとマーケット関係者の振るまい。このような矛盾が何故生まれたのかということについて、僕も十数年ずうっと疑問に思い続けているし、そして西村さんという人も思い続けてきたのだろう。今回のお話は、その原因の一つに、作り手と売り手、そして使い手の関係性が希薄になってしまっているのではないかという仮説に基づいて、その最新の調査結果と挑戦の報告といったような内容だったと理解している。
日本のものづくりに魅力がなくなってきたと言われはじめてだいぶ経つけれど、この一年くらいで遂に終わり(と同時にドラスティックな変化の時期を)を向かえつつあることを感じている。崖っぷちのソニーが、自らの最大の弱点であるソフトウェア技術を補うためにグーグルと戦略的提携を行うなどの対策がとられているけれど。ひとつひとつ掘り返していけば、さまざまな問題点があったといくらでも理由付けをすることはできるけれど。そもそものところで一人一人の思いを丁寧に受け渡していくことを僕らは忘れていたんじゃないだろうか。等身大のスケール(ここが重要)で、そういったごく当たり前のことが日本の隅っこから、小さく小さく始まっていることが、どういうことなのかを考えるいい機会になった。]]>