2022.07.04 Monday
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tamalogOutput and input from 1998 to 2010
2005.03.25 Friday
[暦]万博開幕
2005年3月25日(日) 二十四節気「春分」3/21〜4/4 七十二候 初候「雀始巣(すずめ はじめて すくう)」雀が巣を構え始める 気温4.8度 愛知万博開幕初日。写真は長久手会場、地球市民村から大観覧車方向。実は手前に畑がある。 前日は雨で、会場の周りはパトカーだらけだった。どうやら皇太子他要人が集結していたかららしいけど、あの雰囲気はテロの標的ってこういうことか!?なんて妄想もありうるのかもと思えてしまって、かなり怖かった。 初日は、、、最初の仕事は会場のスタッフのために暖房を買ってきて運び込むこと。とにかく寒かった。徹夜明けということもあったし、万博会場という建物は主に夏用に設計されたハコなのだ。トドメにキッコロゴンドラに乗った時には吹雪が舞っていたのには参った。 2005.03.19 Saturday
脳と創造性 「この私」というクオリアへ 茂木 健一郎
いいなって思える物作りができているか?これはクリエイターの永遠の悩みであり課題である。いいなって思う感覚は、クオリアというらしい。 「芸術作品の価値は、それを前にした時に感じるクオリアの質で決まる。それは言語化できるものではない。 それは記号化できるものではない。 安易にマーケットにのるものでもない。驚くことに、言葉の芸術である文学でさえ、作品の価値は言語化も記号化もできないクオリア体験の質で決まるのである。ふりかえって見れば、人生で大切なことは、全て言語化できないことばかりじゃないか。子供の時に友達とプールに入った時のくすぐったい気持ち。初めてのデートの前のそわそわした時間。他者の心とぶつかった時のずしーんと来る感じ。なにげない日常に由来し、天上の気配の中に結晶化する。そんなことが作品を前にして感じられた時、それを傑作と呼び、感謝する。生きる歓びがこみ上げる。すでに流通しているものなど、放っておけ。自らの内なる、最も切実な、甘美な、哀しきクオリアにこそ寄り添え。そして、そのクオリアをポップに昇華せよ。」 茂木健一郎は、感覚質の正体を研究する立場であるにもかかわらず 感覚質は言語化できないって言い切ってることがかっこいいのです。 そして、それは、偶然気がついたらしい 「私は、ずっと、宇宙の森羅万象の振る舞いは、究極のところ物理学において見いだされてきたような定量的な法則によって記述できると思っていました。実は、物質の<客観的な>振る舞いについては、今でもそう信じています。1994年の2月、電車に乗っていて、突然、「ガタンゴトン」という音が、それを周波数で分析したのでは決して到達できないような生々しい質感として感じられているという事実に気がつきました。この体験によって、いわゆる定量的な方法では説明できない「世界観に開いた穴」があることに気づいたのです。その当時は、クオリアという言葉を知らず、自分が目覚めた問題が、「クオリア」という言葉で以前から議論されていたのだということは、その後知りました。」 それは、しかし、マーケティングにのせられた 「QUALIAブランド」本質思考への回帰によるソニーのブランディング戦略。しかし、企業としては、持続可能性、競争性を重視しなければならないわけで、そういった現状の市場原理に照らし合わせた結果、高級ブランドとしてリリースすることになったけども、近い将来においては、ユーザーのニーズに基づいた少量生産ができる、などなど、の発明がされれば、今の違和感はなくなるかなと思った。 (ということは、値段が高い!ってことは現在の市場原理の限界なので、その要素を無視した場合、あのプロダクト達の前で、クオリアを感じるかどうか?)それはエコロジーにおいても既に実践されていて、新しいものをつくるときは常にそういった問題がつきまとう |