tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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これを沸騰といわずしてなんという
2005年になってから、すごいペースで仕事が増えていく。京都議定書発動、CO2周りが一時騒然とするが結局、環境省の国民運動「クールビズ」というかたちで出現する。愛知万博開催、でもこれらは前哨戦にすぎなかった・・・。100万人のキャンドルナイト直前にほっとけない〜がはじまる。どうやってこのへぼへぼ企画をかっこよくするか悩んでるうちに、コトが肥大化して手に負えなくなる、ウェブは後手後手ついてくだけで精一杯。キャンドルナイトはもはや放置寸前。ほっとけない〜新聞広告で着火。ホワイトバンド100万個突破までたったの一週間。一週間で100万ヒット。ビルゲイツ&メリンダ夫妻がいつの間にかほっとけないの新聞広告を出していてサーバが一時パンク。ますます仕事は増える。ほっとけない〜視聴率1%のTVCMに出る1%でも100万人。G8の二大テーマが「環境」と「貧困」まさにビンゴ。この追い風はいったいなんなんだ?内閣府の基本戦略の中に、ITはアメリカに、バイオは欧米にもってかれてしまったから、日本は環境で戦っていくしかない云々の記述があるとかないとか。Live8にビョーク来日。APfes2005代替エネルギー使用という答えを出す画期的。ソトコトがLOHASの二番煎じがそろそろ出てきますよなんて言ってるさなか、eco雑誌をやろうなんて企画が出てくる。eco-communityはありうるか?。candle scapeみたいなことをやりたいって話は相変わらず多い、パテント管理すべきか。キャンドルナイト本も同様。そろそろ投資家はecoの台頭に気がついているんじゃないか。環境が食い物にされかねない危惧。郵政民営化法案の否決以後の政治のゴタゴタに戦慄。9.11は選挙という皮肉。プロジェクトフォルダがecoだらけでecoeco。
| - | 04:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分の仕事をつくる 西村 佳哲
自己の精神安定と、sustenaのナレッジマネジメントの為に、再読中。


近代が生み出してしまった仕事に対するひずみがわかります。

仕事の意味

空間やマネージメントがよくデザインされたとしても、それだけで人が生き生きと働けるとは限らないということ。彼らは「仕事の意味」にフォーカスしていた。「やり甲斐が感じられる仕事」、ないし「意味のある仕事」とも言えばいいだろうか。

「意味のあること」「意味のないこと」。この二つが並んでいたら、人は意味があると思える方を選択する。人間という生き物は、意味を食べて生きる動物であり、意味がないと感じられることを長時間つづけることは出来ない。

「意味のない仕事」は、人にとって耐え難い苦行だ。たとえば二つのバケツの間で水を入れ替える作業を無限に繰り返させるという刑罰が、昔のロシアにあったという。しかし世間の仕事をあらためてふり返ると、多くの仕事は本来の意味を失ってしまっている。高度成長は達成され、モノは身の回りに十二分に溢れた。世界人類の一部は、「安定的に生存する」という長年の目標を、一見達成してしまったかのようだ。なんのために生きてゆくのか。存在しつづけるのかという目標が「発展」という言葉で共有されていた時期は、少なくとも先進国社会では終わりつつある。
 そうした中で、ひとつひとつの仕事が、意味的な危機をむかえはじめている。すでにたくさんのモノが溢れているのに、これ以上モノをつくる意味があるのかどうか。モノづくりに限らない。警察官は戦う相手を失い、仕事への誇りを失ってしまった。教師という仕事も、予備校などの台頭により本来の価値を希釈された。

[中略]

「あなたはどんなときに生き生きと働くことが出来ているか」
たとえば、お客を降ろすときに車を停める場所や、ちょっとした車体の揺れに対する気遣いを重ねることで、いつの間にか一年間のスケジュールが予約で埋まるようになったタクシー・ドライバーの話。
 もっとも生き生きと楽しく仕事が出来たのはスーパーのレジ打ちだった、と語る女性も登場する。最初のうちは仕事が単調に感じられ、短大まで出た私がなぜレジ打ちなのかと不満に思っていた彼女が、いつも見かけるお客さんには「今日は○○ですか」と声をかけてみたり、お年寄りの買い物なら持ちやすいように袋を二つに分けるなどしているうち、親しい挨拶や感謝の言葉をかけられるようになり、地域の人々とのコミュニケーションを深めていったという。そしてある日、隣のレジが空いているのに自分のレジにお客さんの列が出来ていることに気づき、たとえがたい感慨深さに包まれたそうだ。
「意味」は、自分が行った行為に対するフィードバックによって生成される。

JAFの仕事は、一見するときつい3K業務のように見える。車のトラブルは時間を選ばず、かつハードな状況下で発生する。しかし、JAFへの就職希望者は後を絶たないと聞いた。トラブルの現場へ向かうと、必ず感謝される。修理中の担当者は、その一挙一動が注目を浴びる、ステージ上の役者のような存在だ。そして、自分の好きな車いじりで、人の役に立てることの喜び。どうやら彼らの仕事に「モチベーション・リソース」が多く含有されているようだ。

社員が100人いたら、そのうちの10〜20人くらいは放っておいても課題を見つけだし、自ら意味を見いだして働き始めることができる、主体的でセルフ・モチベイテッドな人材だろう。
 問題は、他の八割だ。その多くは、どのような環境や目標が与えられるかによって、能動的にも、受動的にもなりうる人々で占められている。

空間のリデザインで、人々のワークスタイルを変えることが出来る。しかし、同時にマネージメントという見えない環境づくりを行わない限り、それは機能しない。そしてさらに仕事そのものに含まれる意味を醸成しない限り、人々が生き生きと創造的に働く姿はあり得ないのだ。
| | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
天山湯治郷

およそ15年くらい前からもう何十回と通っている箱根の日帰り温泉「天山湯治郷」
最近になって、なぜここが洗練された空間を演出できているのか、そこに隠れた要素を発見することで見えてきた。1.極力、シャンプー、石鹸を用いないようなオペレーションになっている。これは、界面活性剤を河川に流出させないという環境思想が存在していることを示している。2.当然のごとくここで出てくる食べ物はオーガニックである(が故に、刺激物に慣れた現代人には、味がさっぱりに感じてしまうが)3.入ってすぐ右手にあるカフェの老練のマスターが煎れるコーヒーの手つき、館内の清掃スタッフの動きをみていても、いずれも熟練揃いで、意図的に高齢者を採用している、といった点である。

このような徹底的なクオリティの維持は、商業化された世界観では到底なしえなく、non-plofitな、卓越した思想を持った人々によって運営されていると思われる。

  


「天山」はヴィジュアルアイデンティティから、館内のサインまで徹底的に洗練されている。それも商業的な仕事の受発注の関係では到底表すことのできないクオリティの高さは、おそらくグラフィックデザイナー個人の思い入れと、経営サイドの思想のキャッチボールが成功している。
  

 

ここに来るたびに、なぜ多くのスーパー銭湯がああも画一的で大量生産的で、低品質路線まっしぐらなのか。まったくエンドユーザーをただの「消費者」としてナメてるとしか思えなくなってしまう。

※写真は2004.12.18のもの

| スポット情報 | 03:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
移植中・・・
Output and inputのインプットである「本」カテゴリを3年分過去に遡って更新しました。

http://tamachan.jugem.jp/?cid=4
| - | 03:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
「反日」の正体
中国、韓国で激化している反日運動。
これ、実は中国人の視点から、日本の報道を見ると、おかしいってことに気がつくらしいんです。
日本の報道だと、中国全土で反日運動が起こっていて、中国人全員が敵対しているように見えてしまうという状況を見た中国の人が、そんなのありえない!誤解だって、言うんです。
反対に、中国では日本人全員が、新しい教科書に賛成していたり、歴史をねじまげているように報道されている。
これって、単純に、マスメディアの一局を大局に見せてしまうというメディアの性質に起因しているんだってことに、最近気がついたのでした。どっちもどっち。

でも問題は単純じゃなくて、複雑怪奇に絡まっているから、それだけの問題じゃないんだけどね。

半分は、マスメディアの性質による問題で
もう半分は、いいがかりをつくるきっかけをつくってしまった歴史上の問題
まだなにかあるかもしれない
| - | 02:38 | comments(0) | trackbacks(0) |