tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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竹村真一×鈴木寛 3時間ダイアローグ#03
社会創造家すずかん

鈴木
こないだ水の話をしたんですよね。水ともう一つよくわかってないというか、光。いろんなことを理解する上で光りってどういうことか考えてみたいんですけど。
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| ログ | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
機能過剰の問題について (DoCoMo SO902i)
ドコモ、ソニーエリクソンユーザ待望の初FOMA対応機種となったSO902iをつかってみて・・・

・プッシュトークが不要。902iを持ってる人なんてそうそういませんて
・テレビ電話機能が不要。対FOMAにしか使えない上に馬鹿高い
・QRコード読み込みが不要。めんどくさい
・カメラに300万画素もいらない。他キャリアの人に写メールが送れれば十分
・iチャンネルのためにわざわざボタンが増えているのが理解不能
・トルカはまだまだ実用的な段階でないので不要
・赤外線もドコモユーザに対してしか使えないので不要

そして、極めつけは

ユーザインターフェイスが重たい!

メールを書くのにPreminiに比べても2倍近くかかる。

これはもはや致命的。

いや、初代Preminiはやっぱり良かった。近年希に見る傑作機種だったわけだ。アルミの質感とその極小サイズは当然としても、電話ができて、アドレス帳がついていて、メモがかけて、電卓がついていて、iモードで路線検索ができて、メールがPOBOXでかければそれでよかった。

これってオジサン発言なんだろうかね・・・。でも一つ大問題なのは、どれもこれも新しい機能はドコモ同士でないとつかえないっていうのが、どう考えても致命的というか、いい加減、キャリアの存在は弊害なんじゃないかと、声を大にして言いたいのだが。

SO902iはキャリアに媚びている。ソニーエリクソン社がFOMA展開する為に作られただけの駄作である。
| - | 15:30 | comments(2) | trackbacks(0) |
過去にエントリー 2001年12月16日


今日、ふとしたメールがきっかけで、人生のどん底から救われた日を思い出した。過去にエントリーしてみるのもちょっといいかもしれないね。

2001年12月16日
第十七回メディア寺子屋定例会に連れて行かれ、フェイスに出会いSFCを中心としたそのスタッフ達と交わっていく過程で、僕はたぶんそれまで抱え続けてきたキャリア・コンプレックスから解放されたのです。あのときは本当に救われたと思った。彼らは、よくわからないけどもキラキラしていて、陽の当たる存在で、とても行動に自信を持っていたように見えた。その前の日にそのときのすべてを賭けていたプロジェクトが消滅し、人生どん底だったということもあり尚更だったと思う。その日を境に、それまで関わってきた人間関係のほとんどをリセットした。それと、この日辺りを境に、ようやく9.11のコトの本質を理解し始め、ものの見方が180度転換したことも大きい。おおよそ、ただのデザイナーの世界から大きく外れ始めたのはまさにこの日があったから。

なので、今の人間関係はほとんどこの日から始まったのです。この日とその次の日に出会った人とは、ずいぶん腐れ縁になったものだ。写真左からぐるっと、しゅうご、かまちゃん、とくちゃん、たくちゃん、わたる、りゅう、久美ちゃん、一年生だったもう一人のしゅうご、☆の、シミズアヤコ、浜崎。この写真は慶応大学でのミーティングだった気がする。今となってはとても大事な写真だ。机を五角形に並べてペンタゴンみたいでカッコイイ!なんてバカやってた。まさにこの席上で、後に「カタリバ」と呼ばれる団体の構想がお披露目されたのだった。

しかしなによりこの日を思い出すことの重要性は、このときの救われた気持ちと、そこから何かしようとしはじめたこと。それがたくちゃんの言う「創発環境」であったのかどうかは定かでないが、今日送られてきたメールの内容は、カタリバに対して同種の感情を持ったという話であったからだ。同系統の文化遺伝子を引き継いでいる団体であるにせよ、このことは団体の主催側の立場にあるものとしては、とても興味深いわけで。

そうそう。第十七回メディア寺子屋の講師だったのが竹村真一先生であったのは縁ですねぇ・・・。ユビキタスマン・カワイさんという謎の人も登場した。触れる地球(の可能性)に純粋に感動していた気がする。

この記事はしばらくしたら元の日付にそのまま移動することにしよう。
| - | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
[暦] 望日


太陰太陽暦では15日前後がかならず満月になる。このため中国暦では15日を望日と呼んだ。
満月の時、月と太陽は地球を間において反対側にある。これが正反対になるとき、月食が起こる。満月の日周運動は春と秋、夏と冬を逆にした太陽の日周運動とほぼ同じである。日没頃に昇り、夜半に南中し、日の出頃に沈む。日本では春分・秋分頃は真東あたりから昇り真西あたりに沈む。

| | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
宇宙を捉えるということ
mars

Googleは火星をもマッピングしたようだ。
http://www.google.com/mars/

宇宙のことは、とても把握がむずかしいという先入観があって、手を出したことは無い。
しかし、遠い遠い悠久の歴史を見つめながら、未来を考えていくアプローチと同様に、地理的な世界観を極めるとすれば、それは宇宙に眼をむけるということにほかならないのか。

宇宙のことを考えるとき
「魂を重力に縛られた人々」という、昔々どこかで聞いたフレーズを思い出す。
やがて地球の視座からではなにも見えなくなってしまう時代が来るのかしら。
| 情報デザイン・メディアデザイン | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
[暦] サクラ、サオリ、サツキ
いや、決して女の子の名前の話ではないですよ。

春になると、山の神が里に降りてきて、田の神となって稲穂に宿る。山の生命力がフユに増え、ハルに張り切って里の方へとあふれだし、やがて稲となって結実する。
その生命力が山から降りてくる兆し、眼にみえない力のあらわれが、ほかならぬ山桜の開花だった。「サ」は穀神=田の神を意味し、「クラ」はその座、つまりちょうど山桜が色づくあたり、山と里の中間領域での、しばしの休息(トランジット)の場所ということらしい。
ちなみにこの眼にみえぬ霊力がひたひたと降り来たるプロセスを「サオリ」、実りののちに再び山へ昇ってゆくのを「サノボリ」と呼んだ。サオトメ/サツキなどの言葉も、この「サ」の同行をめぐる日本人の霊妙な感覚のあらわれといえる。

宇宙樹 竹村真一 慶応義塾大学出版会
| | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
[暦] 梅


2006年3月6日(月)
二十四節気「啓蟄」3/6〜3/20
七十二候 初候「蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく)」冬蘢りの虫が出て来る

気温16.9度

写真は梅ヶ丘にある羽根木公園の紅梅。
この日、東京では春一番が吹いた。ちなみに春一番の定義とは立春から春分の間に、初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強風のことで、風速8m以上であることが必要らしい。
| | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
暦データベースつくります


古くから日本のライフスタイルとして、季節を生活の中に取り入れることはとても重要なこととされてきた。しかし、都会に居ることの宿命として、これがなかなか難しい。桜の季節には気がついても、うかうかしていると新緑は過ぎ、ホタルは5月末には終わってしまう。一年365日、一元的なカレンダーに旬がすべて書き込まれていたら、そんなものが欲しいのです。

暦の世界は入っていくとものすごく深い。現在使われているグレゴリオ暦はカエサルが作ったユリウス暦に、1582年、教皇グレゴリウス13世が修正して現在の形をつくりあげて以来424年間使われているが、これは元々ヨーロッパの暦なのであり、日本は明治6年にグレゴリオ暦に移行した。このため旧暦と呼ばれる暦が存在するが、その間約一ヶ月ほどずれているのである。なので本来の七夕は8月7日であり、秋の入り口としての祭りであったらしい。これを無理矢理グレゴリオ暦の7月7日にやるものだから、梅雨の真っ直中にやることになってしまった。(旧暦では、7月7日は必ず上弦の月となるので、これを天の川にかける渡し船に見立てることもあったのだそう)

そう、暦とは緯度経度のあり方によって、さまざまなかたちがあるのです。暦を読み解く軸の一つに、黄道十二星座も並べてみた。これはギリシャ神話をベースにしているものの、その大元はメソポタミア文明に由来があるらしくメソポタミアにおいて1月は秋であった。これが長い年月をかけて暦がずれていったのだという。そもそも黄道とはなにか。ここから先は・・・紀元前の天体の世界までいってしまうので説明は割愛する。ともかくもウィキペディアを辿っていって朝になってしまったことだけは間違いない(苦笑)

さまざまな事情から今当たり前のように使われている暦というものは、過去に設定された時期や場所や人為的な事情によってさまざまであり、必ずしもノスタルジーに浸る必要も無く、新たに作り出すということもありうるわけだ。ちなみにこのデータベース、デジタル化して数多のブログを繋ぐSNSのような展開ができたら、新たな暦の形が見えてくるように思う。壮大な構想だけれど、そういうのつくりませんか?
| | 23:34 | comments(2) | trackbacks(0) |
suicaを使った移動の可視化


文化庁メディア芸術祭で見た先端技術ショーケースにて。
suicaを画面の所定位置にタッチすると、履歴を読み込んで地図上にマルをプロットしながら直線のラインで繋いで行く。
二度以上通った駅のマルは大きくなる。

 
| 情報デザイン・メディアデザイン | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
続・近い未来のMacintoshは手書き
APPLE LINKAGEによると
Appleの従業員が、2004年8月25日に「ワイドタッチパッド」に関する特許を米国特許商標庁に出願している。ワイドタッチパッドは、グラフィカル・ユーザ・インターフェイス上でのポイント、ドラッグ、タップ、ダブルタップといった従来のマウスの機能のほか、画像のスクロール、パン、ズーム、回転が可能と説明されています。

Appleの新しい「真の」ビデオiPodは、縁が4分の1インチの4インチのディスプレイを搭載するようだ。当初、Appleは、従来のクリックホイールを廃止し、タッチスクリーンクリックホイールを採用した新しいiPodを開発しており、3.5インチディスプレイを搭載するようだと伝えていましたが、より大きい4インチディスプレイを採用することになったようです。この新しい「iPod」は、前面全体をディスプレイが占め、指を触れるとデジタルのクリックホイールが表示され、指を離すと消えるようになっていると伝えられています。発表は3月下旬もしくは4月上旬の見込み

そして、マイクロソフトが用意しているiPodキラー「origami」はテイザー広告の展開を始めた。どうやらorigamiはWindowsXPを搭載したコンピュータのようであり、単純に音楽を聴くためのものではないようだ。

このような流れから想像できるのは、4インチの液晶を搭載した第6世代iPodに、従来の基準で考えられる音楽・映像再生プレイヤーを思い浮かべるのは、既成概念にとらわれてた考えかもしれないと思えてくる。iPodというよりはむしろ従来PDAと呼ばれていたジャンルの製品に近いものが登場してくるのかもしれず、入力インターフェイスが一新されることからも、どのようなオペレーティングシステムになるのかが興味深いのではないでしょうか。
| 情報デザイン・メディアデザイン | 13:58 | comments(0) | trackbacks(0) |