2022.07.04 Monday
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tamalogOutput and input from 1998 to 2010
2006.08.28 Monday
若冲と江戸絵画展
最終日にゆきました「若冲と江戸絵画」展。ふつうに20代の着物ガールが多くて「この絵って応挙っぽくないよね」なんて聞こえてくるととても知性を感じてしまうのですが場所柄、東京芸大生でしょうか。。。 さて、多くの作品のなかで最も衝撃だったのがこの絵「鶏図/伊藤若冲」デザイナー好きする絵なんでしょうか。いくらトリミングして明るくしたり鮮やかに補正しても本物にはとうていかなわないんだけども。この展示会、実はウェブも凄かった。 「若冲と江戸絵画」展コレクションブログ この公式ブログサイト、コレクションの持ち主のジョー・D・プライス氏が解説している。(ように見える。翻訳して、きちんとディレクションされての上のことだけども) さらに本気を感じるのはこのブログテンプレート。はてなダイアリー用。 猛虎図/伊藤若冲 紫陽花双鶏図/伊藤若冲 鷲図/伊藤若冲 鳥獣花木図屏風/伊藤若冲 更にはてなブログの機能で展示全作品がネットである程度の解像度で公開されているのである。 そもそもこの、伊藤若冲と恋に落ちるようにめぐりあったアメリカ人、ジョー・D・プライス氏とは何者なのか?彼はアメリカいちにをあらそう規模の財団持ち主なのですが、1953年、父親の友人であった建築家フランク・ロイド・ライトと訪れたニューヨークで、葡萄を描いた水墨画に心惹かれたプライス氏が、大学の卒業記念として買うはずのスポーツカーの代わりに、名前も知らない画家の1枚の絵を手にしたのでした。 彼が光を当てるまで、伊藤若冲らの江戸絵画はまったく日本人には知られていなかったという。誰かが言っていたけども、日本の文化というのは一度逆輸入されないと広まらない、というか、一度外に出て一定の評価されることで自分自身の存在を確かめているようだ。と。 2006.08.18 Friday
いたらいいな。今日のギャップ
すげー、天然でぽやぽやしてるのに、たまにものすごく本質を遠慮せずストレートに言い当ててきて、普段隠している奥深くにある知性を感じさせる女の子。 2006.08.17 Thursday
軍事予算と技術者の夢の狭間で
ヴェルナー・フォン・ブラウン。ガンダムに登場する月面都市の名前で有名なこの人について、NHKで4夜連続で放送していたのでした。この人、簡単に説明すると自身の宇宙旅行への夢のために、ナチス・ドイツのロケット開発予算を使い、ナチス親衛隊の将校にまでなり、第二次世界大戦末期、多くの部品とともにアメリカに投降して、ソ連との宇宙開発競争の中で今度はアメリカの軍事予算をつかって口説いて口説いて、口説き続けて、月面着陸までの間NASAのロケットを開発しつづけた人でした。平和利用なんて言葉はきもちわるいけども、自分の夢に軍費を投入するというセンスは悪くないとおもう。 2006.08.07 Monday
すーつかいました
僕の交友範囲が平均して+5歳以上だったこともあって、上の世代の結婚式ラッシュが一段落して数年ブランクがあった。というか油断していた。今年になっていよいよやってきました同年代結婚式ラッシュ。人並みのプレッシャーが襲いかかってくるなか、とりあえずスーツだスーツ!と、もう何年も着てなかった、いっちょうらのスーツは何度かの引っ越しの後、どっかへ行ってしまったし、買わなきゃ買わなきゃと時間切れが迫るなか、これぞというやつをみつけました。 DZINEというグラフィックデザイナーと、COOL STORUTTIN'というブランドのコラボレーション。ポイントは、言うまでもなく「裏地」。このハデハデな柄は裏地のみなので、ぱっと見はフツーのブラックスーツなのです。もちろんただのスーツでは無くて、尋常ではないラインの美しさを持ったブランドなのです。 ちなみに裏地はもう一パターン、赤い柄のものもある。 これがお値段149,100円也。なんと・・・これが、両色とも最後の一着でありかつサイズもぴったり、で、そんなに気に入られたのなら、セール対象品として半額にしますので、どうせなら赤い方も一緒にどうですかと言われ、びっくり!!! COOL STORUTTIN'というブランドにココロをがっちり持ってかれたのでした。 2006.08.01 Tuesday
初恋の記憶
まるで北朝鮮のようだった、、、息苦しい小中学校時代というものが僕にもあった。あの狭苦しい世界に捕らわれたくなかったし、高校をやめる前のことについては封印することにしていたので、基本的に人に話したことがないし、自分でももうだいぶ忘れてしまっていたのだけど、たまたま発見したMixiの中学校コミュニティから当時とても仲が良かった友達を捜していたときだった。 見覚えのあるあだ名、本名が書いてあったわけではないけど、封印していた記憶が一瞬にしてフラッシュバック。12年前の、卒業式の日に告白したその娘らしき名前を見つけた瞬間、フルカラーで鮮明に中学生のままの、青いジャージ姿で、ボーイッシュなショートカットの彼女のビジュアルが頭に浮かんできた。 そして、本名でgoogle検索。まさにその記憶の人そのままの写真がブラウザに表示されたのはなんだかとてもリアルで生々しくてショックだった。日付は2002年5月28日、芸大の展示会の告知ページのものだった。22歳の彼女が、それもまさか芸大に進学していて写真や油絵をやっているとは想像もしていなかった。13歳当時の彼女にはそんな側面はなかったし、はたして美術の成績もそんなに良い方だとは認識してなかったし(美術の成績上位者は常に特定されていたしライバル同士が多かった。僕は三年間通算6回の成績表で常に5段階評価の「4」であったが、これは出席日数が圧倒的に足りない為)もしそうだと知っていたならそういう会話もたくさんできただろうに。でもその当時の僕はそんな資格はないと思いこんでいたんだ。 その頃の僕は自分の将来に対してなにも考えていなかったし、学校には三時間目からしかいかなかったし、受験勉強も部活も学校生活のすべてに興味が無かった。今に繋がるキャリアの一歩すら踏み出していなかった。ほっておいたらニート一直線なはずだった。 でもそんな真っ暗な中学校生活も三年生だけはやけに楽しかった。なぜか一年間通して常に席が近かった彼女が企画するイベントに一緒に参加することが楽しかったから。合唱祭で一位になることもそうだったし(これは見事優勝した)地域の大名行列イベントに旗持侍役で参加したのもその娘が言い出しっぺだったから。(当時、TBS系ドラマで17才 at seventeenというドラマが放送されていた。主役の内田有紀が巻き起こすトラブルに武田真治や一色紗英といったクラスメイトが巻き込まれていくという話だったのだけど、その内田有紀に重ねていたんだと思う) その他、修学旅行、体育祭、文化祭 etc...、常に彼女は何かを企画していた。ともかくそれらに参加するためだけに学校に通っていたといっても過言ではないような状況だった。でもそんなことがなければ引っ込み思案&内向的なままの大人になっていたかもしれないわけで、そういえばそれは高校を辞めることの前に、一つ大きな転換点だったんじゃないかと思う。 |