tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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桜の京都に行かれる方へ
いいとこ教えてって問い合わせがあまりにも多いので簡単にまとめたのでご利用ください。

efish & prinz(カフェ)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=284

先斗町 葱や平吉 & 柚子元(飲食)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=280
実は東京にもあるけど、わりと気楽に行けてうまい

百万遍・京大付近
http://tamachan.jugem.jp/?eid=221
手作り市は毎月15日
FoodCafe Gu-(カフェ)は見た目に似合わず定食系です
進々堂(カフェ)は大正の香りがするカフェ。朝食の定番
緑寿庵清水(金平糖)の季節限定の金平糖はかなりオススメ

唐長 & lisn(唐紙&お香)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=208
唐紙の唐長はかなり京都のど真ん中

その他飲食買い物系
http://tamachan.jugem.jp/?eid=203
茂庵(カフェ)は京都で一番好きなカフェ。市中の山居
ガケ書房(本)は京都で一番好きな本屋。ロックな本屋なのでガケ書房
SOU・SOU(服)はちょっとポップなジャパネスクモダン服屋
GALLERYひたむきWEST(インテリア)ではよく焼き物を買ってます
天山の湯(温泉)は京都で一番好きな温泉。ちょっと遠いけど
グリル小宝(洋食)はハヤシライスが名物
Ace-cafe(カフェ)は鴨川が一望
東龍(ラーメン)は京都で一番か二番目くらいに好きなラーメン屋

桂離宮(庭)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=201
要予約

東福寺方丈庭園(庭)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=186
ここ行くのはもはや必須です。400円で入れる。16時まで。伏見稲荷大社とセットで行ける。

旧重森三玲邸庭園(庭)
http://tamachan.jugem.jp/?eid=275
2日前までにウェブサイトから要予約。600円

無鄰庵(庭)
山形有朋の別荘。近場にあって気楽に入れる。400円

迷いの窓と悟りの窓 源光庵(寺社)
遠いけど。根性があればいってみてください。近くには本阿弥光悦の芸術村跡があります。

船岡温泉(温泉)
麩屋町三条(飲食)
TEMAS 御黒染司(服)
京都デザインハウス(インテリア)
IREMONYA DESIGN LABO(インテリア)
| スポット情報 | 23:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
京都デザイナーズカフェ efish & prinz
1999年頃、エレファントデザインで働いていたころ、えらくシンプルでミニマルなデザインをする西堀晋というプロダクトデザイナーについて聞かされていた。無印良品から販売されていたpcompoという名のラジカセが印象的だった。彼は今、アップルのプロダクトデザインチームからヘッドハンティングされてアメリカに居るという。その西堀晋が手がけた二つのカフェを紹介する。

efish 下京区木屋町通り五条下ル


五条大橋のたもとにある全解放型のこのカフェは、三階が西堀のオフィスになっており、元は夫婦で始めたカフェだそうである。そういえば、前述の「京都でいちばん凄くて素敵なお店」は、ここの一階にあったその名プロデューサーの著書を読んで知ったのだった。

この朱色の艶めかしい椅子は材質的なもろさが原因で、もう今は既に亡く、代わりにミニマル北欧系の椅子になってしまっているのが残念。
スポンジチェア 1998年
エフィッシュが位置する五条楽園という遊郭街の入口である。この遊郭街のシンボルは金魚。遊女が肌襦袢を着た姿が金魚のようだったことが、その理由であるという。その話を聞いた西堀は、店のテラスに置いて鴨川の対岸から見た際、水槽に金魚が浮かんで見えるような椅子をデザインした。座りやすさを追求し、波形にカットしたウレタンの上部を柔らかく、下部を硬くしている。


prinz 京都市左京区田中高原町


同じく西堀が手がけたもう一つのカフェが、京都造形芸術大学至近にあるprinzである。こちらは洋書店と併設になっており、洋書読み放題となっている。



ここはまた、宿泊施設も併設しており、ミニマルな部屋に長期滞在することも可能。
| スポット情報 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
北大路魯山人の皿


言われるまではまったく気が付かなかった。前述のお店の店長さんがころころ転がしてたお皿は北大路魯山人のものだということを。

こんな皿、今なら大学生でも作れるんや。でもな初めてこういう形を発見したやつが偉いんや。だからプロダクトデザインの世界なんかはな、もうとうの昔に発掘されきってるんや。もういまさらやってもな。デザインの世界でがんばろうってデザイナーは馬鹿だと思う。そんな世界に居ても目立たへんやん。みんな頭良いやつばっかだから。だからな、日本料理の世界だと思った。だからな、穴を探そうや。お互いにな。

このお店にきて本当によかったと思ったのは、彼が自分が良いと思ったことに自身をもって実践している姿を見れたことだったと思う。それを見れたことでとてもとても勇気をもらってきた。
| 日本の残像 | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
技魯技魯ひとしな


このお店のオーナー兼店長兼料理長、京都のみならず東京、名古屋にも系列店を出すプロデューサー。33歳。

2006年11月3日。桂離宮を発見した日の帰りに見つけたときから気になって気になって気になって、今日やっと辿り着いた!なかなか予約がとれなくて、それも予約がとれても夜の10時まで待たされて。9品出てきて3500円、若い人にも割烹を。というのがこのお店のコンセプトなのだ。毎月季節ごとに違う料理が出てくる。同じ月に二度来るな、というのがモットー。



京都宇治出身の彼は高校卒業してしばらくプータローだったそうだ。しかし世間の風当たりは鋭く、半年目にしてついに伏見の居酒屋にアルバイトで入る。それまでは大根と蕪の区別もつかず、茄子に種類があるなんてことすら想像がつかなかったという。それがその居酒屋の常連さんだったとある料亭のご主人に生麩の田楽を出されて、まさに「目から鱗が落ちた」という。そしてその料亭に押しかけて二年間修行し、その料亭の経営者との折り合いがつかず飛び出すことになる。そしてこれまたとある京都の実業家に出会うことで、今のお店を持つきっかけとなった。そんな彼は今、ヨーロッパ進出をすべく計画中だそうだ。
| 日本の残像 | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
祇園で一番最初に咲く桜


2007年3月23日(金)
二十四節気「春分」3/21〜4/4
七十二候 末候「雀始巣(すずめ はじめて すくう)」雀が巣を構え始める

気温9.5度

「毎年この樹が一番なんやわ」って地元のおじちゃんらしき人が言ってた。ここだけ異様に人だかり。テレビカメラもやってきた。



鴨川沿い、八条川端付近の桜も咲き始め。
| | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
先斗町ランチ開拓中


先斗町 葱や平吉 葱牛鍋すきやき 1600円
葱がしずる感を出していたので入ってみた店。桐箱入りの山盛りのきざみ九条葱が食べ放題なのがたまんない。






先斗町 柚子元 柚子豚鍋 1500円
こっちも柚子が良い感じのしずるを出してたので入ってみた店。豚肉と水菜を柚子と柚子胡椒で食べる。



どっちもいい店みつけたなあ、と思ったらこれら両方とも、際コーポレーションが全国展開していて、渋谷にもあるんじゃん。。。結局どっちも軒先のヴィジュアルにやられたってことか!?
| スポット情報 | 23:28 | comments(1) | trackbacks(0) |
2007.04.01 comming soon.2


3月20日。月齢は0.5になりました。一覧表示モードでは、その日を中心に前後12日ずつ、計24日間が一覧表示されます。暦に関する重要な出来事も一覧表示に含まれます。

明日は二十四節気で「春分」。最近調べていてわかってきたのが、二十四節気はその日に当てられているのではなくて、切り替わる時間があって、そのタイミングにこのカレンダーを眺めていると、色が変わる瞬間に出会えるわけです。春分に切り替わるのは3月21日午前9時だそうです。
| - | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.04.01 comming soon.1


やっとこさ時計が時を刻み始めました。
レビューも含めて、機能紹介をしていこうと思います。

3月19日 月曜日 午前3時57分。この日は旧暦で2月1日にあたります。旧暦で二月は如月と言います。月齢は29.1です。1時間で約0.416ずつ増えていき、一日で1づつ増えるので、あと22時間ほどで新月(30.0)ということになります。二十四節気は「啓蟄」。既に13日目を迎えているので、5日づつで変化していく七十二候は末候の「菜虫化蝶」になります。

これら現在値がすべてリアルタイムに、自動的に計算されて表示されます。
| - | 03:57 | comments(2) | trackbacks(0) |
SHANGHAI TANG 上海灘




上海灘。
http://www.shanghaitang.com/

wikipediaには
1994年に香港の実業家であるデビッド・タン(David Tang Wing-Cheung)が設立した。1930年代の上海租界をイメージした服、バッグなどの小物類からインテリア、香水まで様々な商品を展開し、世界的な人気を博す。
とある。

上海租界とは行政自治権や治外法権をもつ外国人居留地のことをいう。近代中国における列強の半植民地支配の拠点であった。

まだショップに行ったわけではないのでなんともいえないけど、これ、もっと西洋的でもいいかもしれない。西洋と東洋とミックスするっていうテーマは中国的なものの方が一歩先を行ってるなと思う。

こういうブランドを日本をテーマにやった場合は「四季」がテーマになると見ている。中国は「ダイナミズム」だと思う。その国の文化やアートや表現は、結局最終的には国土を表すのだなぁと思う。アジア人はなんだかんだいって、19〜20世紀を通して、欧米を見続けてしまった。日本の場合は明治維新からずっと、更に第二次世界大戦に負けたしね。デザインといえばコルビジェであったり、バウハウスであったり、建築家もことごとく外を見ざるをえなかった。やっと僕たちの世代になって、身近にあるものを評価できるようになったんじゃないかと去年の秋に京都にいて思った。それに気が付いたのは日本画であったり、日本庭園であったり、それらって結局日本の四季を表現しているのだから。
| スポット情報 | 00:00 | comments(2) | - |
伝統文化の破壊 重森三玲のモダニズム
東福寺方丈庭園北庭、小市松の庭園


重森三玲はモダンだ。彼の作品の中でもデビュー作にあたる昭和14年に作られた東福寺の方丈庭園に最もモダンさを感じる。これが昭和14年の作であるということはどういうことなのか、モダンなんていう言葉は非常に相対的なのかもしれないが。昭和14年の時点で彼は一つの大きなテーマを抱えていた。それは日本庭園の中でも特に「枯山水」が長い年月をかけて洗練されていき、室町時代に作られた「龍安寺の石庭」で遂に抽象の極みに達するとされる、日本の庭園文化にこびりついた「余白」と「間」についての既成概念である。龍安寺の石庭以後「枯山水」はものすごい勢いで普及していき、普及するとともに、徐々に庭園文化から創造性が低下していった。それから500年ほどたった昭和初期、このままでは日本の庭園文化は廃れてしまうのではないかという思いから彼は、市松模様のモチーフを投入してみたり、北斗七星の形に、石を配置することによって、空間をダイナミックに埋め、それまで究極の完成品とされていた「龍安寺の石庭」に敢えて挑んだのであった。

東福寺方丈庭園東庭、東寺の基礎で構成された北斗七星


旧重森三玲邸庭園


京都大学の近所、吉田山の麓にある自邸。1942年、吉田神社の社家の家だったものを三玲が買い取った。写真右、敷石と玉砂利が海の波頭を表している。



写真左、重森邸には、親友イサム・ノグチから送られた照明と、ノグチ設計の庭の設計図を書いた書がかけられている。
京都・東山 重森三玲邸で見つけたのは・・・

発掘!重森邸に残されているのは、イサムが贈った<あかり>と、ほとんど人の目を触れることのなかった掛け軸と幻の茶釜である。重森三玲とイサムの関係はユネスコ庭園に始まる。イサムに日本の石を教えたのは重森。イサムがユネスコ庭園を手がけることになった時、日本の石こそが庭園の骨格になると考えていたイサムに紹介されたのだ。
庭園の研究家であるばかりでなく、名庭といわれる数多くの庭を手がけ、モダンな作風で知られていた重森三玲は、ただ純粋な日本庭園を作りたかったワケではないイサムにとって、最適な人だったのだろう。代表作である東福寺方丈庭園の、市松模様に敷石と苔で構成された北庭を見て、「モンドリアン風の新しい角度の庭だ」と驚いたことが、当時の新聞にも掲載されたほどである。
重森三玲は、この自邸でも使っている徳島の青石を進め、1957年、一緒に石を探しに(石を釣りに)行く。1日に80個もの石を釣り、翌月に徳島の空き地で試作に取りかかる。何度も試作して、やっと満足のいく石組みが出来たその夜、重森とイサムは記念に書を一幅交換し合う。それが、この掛け軸。当然、彼が描いたのはユネスコ庭園の図である。
一方の茶釜だが、イサム・ノグチ財団からの問い合わせにより、この2003年に蔵から発見されたばかり。重森のことを「茶人」と称したイサムの贈り物だ。鋳物で出来ているが、釜というよりも彫刻作品といったほうがいいような作風である。58年暮れに、イサムから茶釜が届いたと重森三玲の日記にはある。
一節を要約すると「確かにこの茶釜、今までの釜の概念からは全然異なったものである。だが困ったことには、重量が何倍かあって使いづらい。芸術的には新しくても、茶への新しさが分かっていない・・・・・・」。このためか忘れられ、蔵の奥底に眠っていたという。
なかなか辛口批評。石の心は分かっても、茶の心はまだまだってことだったんですか、イサムさん。

岸和田城庭園八陣の庭と天守閣


天守閣から見下ろした時に見える幾何学模様の風景は、諸葛孔明の八陣法の陣形がモチーフとなっている。この兵法は守りの方であり、戦後における恒久的な平和を意図されている。
| 日本の残像 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |