2022.07.04 Monday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| - | | - | - |
tamalogOutput and input from 1998 to 2010
2007.06.28 Thursday
人の死を扱う商売
昨日来てた葬儀屋さんベンチャーの社長さんが言うには、東京の葬儀の30%は葬儀をせず、病院から直接火葬場に遺体を運ぶそうである。それを彼らは「直葬」(ちょくそう)と呼ぶ。焼いて、しまって、終わり。葬儀をしないということはどういうことなのか。江戸時代の村八分ですら、残りの二分は祝言と葬式だったくらいで、いまだに会社員でも誰かが亡くなれば仕事を休んでかけつけてもいいことになってるくらいだ。 「直葬」は元々あった。それまでの割合は5%ほどで、主に身寄りのない人などの場合だったという。それが30%までにふくれあがっているのは、葬儀というものの意味が理解できない状況が生まれているからだという。かくいう自分も葬儀の意味はよくわかっていなかった。しなくても別にいいよねって思う人が増えているっていうことは、どういうことなのか。近代合理主義的に考えれば確かになんのためにあるのかさっぱりわからない。 しかし葬儀をやるということは、人の死がなんなのかを考える、またそれを教えるための儀式なのだという。そのプロセスがカットされていくということは、人の死について考えるという機会が減ってしまうということだ。それがつもりつもって、殺人事件の増加や、自殺の増加に、関係がないはずはないであろうという話を聞いた。 結局それを聞いてなにを言いたかったのかというと、人の死については今はあまり興味のあるテーマではないけれど、近代合理主義の果てに、社会にもともとあった装置を取り外してしまうということで、まったく予想もつかない事態が発生するということは、あらゆる分野で起こりうるんだな、ということだと思う。 | - | 11:11 | comments(0) | - |
2007.06.23 Saturday
Adobe Creative Suite 3 Design Premium
忙しい最中だけども、買いに走ってしまった。CreativeSuite3という新バージョンのPhotoshop、Illustrator、Dreamweaver、Flash等々のパッケージングソフトウェアである。昨今希なくらい発売が待ち遠しかった。それは「劇的」に動作速度が向上するから。劇的って、そりゃあもう早くなる。いままで起動に12秒はかかっていたPhotoshopが5秒くらいにはなる。上記4つのソフトの速度が速くなるということは、仕事が速くなるということとまったく同義と言っても過言ではない。 ただし、速くなるのはintelチップ搭載のMacだけ。Windows版はもともと速いのだ。ようやくWindows並の速度になったってだけ。それだけのことだけども、速くなったのは嬉しい。 2007.06.20 Wednesday
in SFC
久々にSFCで作業。写真が汚いのはケータイなのでご愛敬。なんかとても懐かしい。もう誰にも会わないと思ってたけど、やっぱりたくさんの人に出会う。ちょっとしたタイムマシン。 | - | 21:38 | comments(0) | - |
2007.06.18 Monday
[log] 東京芸術大学美術解剖学講義 前期第5回 白洲信哉氏
speaker:茂木健一郎氏×白洲信哉氏 date & place:2007年6月18日 東京芸術大学上野校地 美術学部中央棟 第3講義室にて 録音されて全部公開されるって知ってるんだけどね、あえて記録してみてしまったんだよね。 どういう因果か、茂木健一郎、白洲次郎、白洲正子、小林秀雄、伊藤若沖、プライスまで、最近のキーワードが勢揃い。 白洲信哉という人は、怖い人で有名らしいけど、とてもとても美意識が強い人なんだと思った。美意識が強すぎて、さまざまな物事が許せなくなってしまう。とてもシンパシーを感じるが、それはとてもとても辛いことでもあるのだから、良いことばかりでは決してないのだ。彼は審美眼が強すぎる人特有の目をしていた。それも仕方ないくらい恵まれた曾祖父をもつのだから、それは彼の運命というよりほか思い当たらない。日本における「美」という言葉に対するサラブレッドが、彼である。 2007.06.12 Tuesday
腐草為蛍 ふそう ほたると なる
2007年6月12日(火) 二十四節気「芒種」6/6〜6/21 七十二候 末候「腐草為蛍(ふそう ほたると なる)」腐った草が蛍になる 気温22.6度 北鎌倉の明月院の前の小川は密かにホタルスポットなのだって。それも5年前に配水管が通るまでは泡ぶくぶくのどぶ川で、たった5年でホタルが戻ってきたのだとか。ホタルの光る時間は決まっていて、19時過ぎから21時まで。それも毎年決まってこの時期、つまり七十二候で腐草為蛍の時期、つまり6月11日〜6月16日頃なのだ。もろ横須賀線の線路脇の場所にホタルが漂ってるのだ。カァン、カァン、カァン、カァン、って踏切の音が聞こえる。普段は大嫌いな踏切の音だけれども、北鎌倉の踏切の音だけは心地よく聞こえるのはどうしてだろう。 そういえば一昨日は明治神宮で満開の菖蒲の花をじっと眺めていた。特別拝観料で500円とかとられるけども、今が旬。箱根、天山湯治郷のホタル鑑賞会もおそらく明後日くらいまで。どっちも人づてで聞いたから行けたわけで、そういう情報を仕入れるメディアがなさすぎるし、そういうものがいいんだって価値観自体がなさすぎる、早く作らなくてはと思う。紫陽花も今がシーズンだ。行きたい場所がありすぎるこの時期が、1年で最も忙しい時期なんだ。だからあれほど鬱陶しかった梅雨も、ここ数年鬱陶しいと思った記憶が無い。だいたい仕事が落ち着くと、毎年梅雨はあけてカンカン照りの夏がやってくる。 2007.06.07 Thursday
若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵
雪中錦鶏図 茂木健一郎が言うには「今後も、当分はないのではないか。少なくともハレー彗星くらいに思っていた方が良い。」という今回の展示。これを見るためだけに京都に行った。行って良かった。行かなかったら後悔してただろう。 その中でもたぶん雪中錦鶏図の前で指紋だらけのガラスに顔面を擦りつけながら30分は立ちつくしてた。鶏がばさっと木に乗り移った瞬間を捉えたこの絵は、まだ写真の技術も無い頃に、ばさばさっと雪が落ちる瞬間を捉えている。 2007.06.05 Tuesday
大企業の歯車
某大手広告代理店に勤める、大事な仲間の一人が先月急遽、名古屋に転勤になることになった。これは栄転なのか左遷なのか、詳しいことは定かではないけども。それがどういうことなのか、僕もしばらく逡巡していたのだけれど。 最近、風のウワサで名古屋に転勤になる彼がそれまで担当していた仕事のポジションが広告代理店の中ではそうとうに窓際な部署であったというようなことを聞いた。その話をしていた人もやはり広告代理店の人間らしいという。 それを聞いたとき様々なことがハッキリした。これは明確に左遷なんだろうと。世の中的にはこれほど不名誉な話もないだろう。僕らの想像以上に企業って所は歯車となる人間の方が評価される所なんだろう。そういう見方からするとおまえは最も最悪な社員なんだろう。 でも、それっておまえの性格を見事に表してることじゃあないか。歯車になるやつなんざいくらでもいるさ。事務処理能力だけが仕事じゃない。そんなことでおまえは1ミリも凹む必要は無いのにな。歯車の世界であがいてることによって窓際ポジションになるなんて、勲章くらいに思っていたらいい。 大企業の歯車になっても変わらぬおまえのそのクリエイティブ魂に拍手! 鴨川荒神橋上流の飛び石にて | - | 15:18 | comments(1) | - |
2007.06.04 Monday
見よ、ぼくら一銭五厘の旗
青山ブックセンター新宿店亡き後本屋ランキング一位を独占し続けているガケ書房で、 今回出会った人は、花森安治さんでした。 大政翼賛会にて「ほしがりません、勝つまでは」というコピーの成立に大きく関わり、戦後「暮らしの手帖」を創刊し、死の直前まで原稿を書いていたという彼は、なにものなのかいままであまりよくつかめていなかったけれども、この本を読んで、だいぶ見えてきたように思う。 「ほしがりません、勝つまでは」というコピーには「鬼畜米英」や「贅沢は敵だ」といったようなえげつないプロパンガンダとは違う美学が隠れている。ものをやたらと欲しがる生活みたいなのはやめましょう、っていう意味ですからね、と、昔教えてもらった。そのコピーから、主に主婦のためのメディアである「暮らしの手帖」はぜんぜん距離があるなあと思っていたけども、一貫した美学に貫かれていることがわかる。 花森安治という人は、国や政治というような大きいものも、個人の生活の半径5メートルから始まってるんだということを、身をもって証明した人生だったんだろう。戦争が終わっても、人のココロの本質的な問題は、変わらなかったと、僕はそのように受け取った。 「暮らしの手帖」は現在に至るまで、一切企業広告は載せていないという。それは、企業に対して、的確な言論をもちえなくなるからという、至極わかりやすい理由からだ。「暮らしの手帖」はライフスタイルにおける、ジャーナリズムだったのだ。地味に、しかし着実に時代に即したメディアだったのだ。ライフスタイルからこつこつ変えていくことの意義を、彼から継承しなければならない。 --- 見よ、ぼくら一銭五厘の旗 花森安治 美しい夜であった もう 二度と 誰も あんな夜に会う ことは ないのではないか 空は よくみがいたガラスのように 透きとおっていた 空気は なにかが焼けているような 香ばしいにおいがしていた どの家も どの建物も つけられるだけの電灯をつけていた それが 焼け跡をとおして 一面にちりばめられていた 昭和20年8月15日 あの夜 もう空襲はなかった もう戦争は すんだ まるで うそみたいだった なんだか ばかみたいだった へらへらとわらうと 涙がでてきた | - | 23:14 | comments(2) | - |
2007.06.03 Sunday
前世の記憶のような街
二ヶ月ぶりなのに、いつもなにか前世にでも帰ってきたような気持ちになるところだね。 でもそれは、しばらく記憶を封印していたからかもしれないな、ともおもう。 京都に居るということは、時間がゆっくり流れていて、そのときの興味から、大学の授業やガケ書房で見つけた情報を、鴨川や三角州の公園で寝そべりったり、東福寺や無鄰庵のお庭を眺めながら本を読むことで拡張し、キーワードを見つけたら現地に自転車で赴く(日本文化史に関することはたいがいこのまちの中に存在しているから)そして見つけたキーワードをまた大学やガケ書房に持っていって情報の連鎖を楽しむ。なにも目的をもたずにただただ繰り返す。この繰り返しのインプットの時間である。 ・・・っていうことをすっかり忘れて、気が付いたらまた東京の時間の中に巻き込まれていて、なにか具体的な目的が無いと行けなくなっていることに気づく。 いつかまた、なんの目的もなく一年くらい京都に住むんだろう。そう遠くない未来に。 | - | 23:59 | comments(1) | - |
2007.06.01 Friday
日本の原風景シリーズ「鞆の浦」広島県福山市
心を亡くすと書いて忙しいと読むけれど。いまはなんか心失ってる感じだ。 三つ目のなくしものから無理矢理目をそらそうとしている気持ちを、人は敏感に察するようで、隠しきれません。強く結びついてしまったものを自分から切らなくてはならないって、なんて辛いことなんだろう。切られる方がよっぽどマシだ。 心失うといえば、ワココロカテゴリの記事を二ヶ月も書いてないことに気が付いた。こりゃあまずい。 wacocoloがとりあつかうものとして、一つ「日本の原風景」ってのは大きな分野だと思うのだけど、ちょっと前から目をつけてた場所があった。それがここ、細い路地が続く、坂の多い町。広島県福山市にある、鞆の浦(とものうら)という江戸時代から続く浦(商船の寄港地)で、朝鮮通信使節に東洋一美しい景色だと報告された場所だという。 この町の湾港が一部、広島県、および福山市によって埋め立てられるというような話をマエキタさんが持ってきたもんで、こりゃあ一度現場を見にいかねば、と思った。 などと、思っていろいろ調べていると、もう一人ここに目をつけた先駆者が居た。宮崎駿はスタジオジブリの社員旅行でここを訪れて、案を練った。それが新作「崖の上のポニョ」らしい。さすがです。 「日本古来の失われた文化がここにはある。これからの学びの場として、鞆こそ、21世紀の最新の町である」大林宣彦 Date: Tue, 29 May 2007 10:57:39 +0900 (JST) スタジオパーク「鞆の浦の“世界遺産”訴訟」 |