tamalog

Output and input from 1998 to 2010
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契機は2011年かもしれない


2011年に地上波アナログ放送が終了した結果、デジタルハイビジョン放送は、2014年のメディア社会を映像化した作品、EPIC2014におけニューヨーク・タイムズ誌のように、金持ちと老人のためだけのメディアになるという説がある。その従来の放送番組の代わりに、youtubeやニコニコ動画に投稿された映像を見るようになるという。いまでこそ権利問題やクオリティが低いこれらのインターネットを使ったメディアは劇的に変化し、若年層を中心に急速に市民権を得るようになるのかもしれない。

契機は2011年かもしれない。
その結果、なにが起こるのか。

CMを基盤とした民放の無料放送インフラが徐々に機能しなくなり、CMの広告収入がゆるやかな崩壊を始める。事実1990年代初頭にヒットしたテレビドラマは平均的に視聴率20%〜30%台を獲得していたが、2000年を過ぎた頃から、最大でも13%程度まで落ち込んでいる。これはメディアが多様化したことが原因だというのが通説だけども、この状況が2011年以降劇的に変化する可能性を持っている。現在、CMによる広告収入に利益の大部分を追っている大手広告代理店は根本的なビジネスモデルの転換を求められるかもしれない。その結果、多くのマス・コミュニケーションが変化せざるをえなくなる。そんな未来も、ちょっとウソではないなということを垣間見ている気がする。

その果てになにが起きるのか。

youtubeへの違法アップロードの議論を見るよりも前に、著作権制度はデジタル技術の本質についていけていない為に抜本的な改革を求められる。<2002.12.25 NHKスペシャル 変革の世紀第三回「知は誰のものか」>その対応策の一つとして<クリエイティブ・コモンズ>という動きが始まっている。

マス・コミュニケーションにかわって、ブログに端を発した個人メディアから得る情報が個人の購買行動・ライフスタイルに大きな変化を与えていくのかもしれない。<2007.02.16 新しいテレビです

更にそれが個人のライフスタイルを定義していくとすれば、必然的に政治のスタイル、資本主義(経済)、民主主義(政治)にまでメスを入れていかざるをえないのではないか。というのが<2007.05.13 アルビン・トフラー「第三の波」1980年>という本に書かれていたことであると思う。


15世紀ヨーロッパで起きたグーテンベルクによる活版印刷技術によって、当時ラテン語でしか写本されていなかったキリスト教の聖書を「大量に」印刷できるようにした。それを一、地方言語に過ぎなかったドイツ語に翻訳して出版したマルティン・ルターによって(大衆が、ラテン語の読めるローマ教会の司教を通さずとも誰でも読めるようになったので)宗教改革が起こり、ローマ・カトリックからプロテスタントが派生し世界が激変したことは、メディア論の世界では常識だけども、15世紀の活版印刷技術に対応するものが20世紀のインターネットだっていうのは、ずいぶん前から言われていることである。
| 情報デザイン・メディアデザイン | 01:17 | comments(0) | - |
次世代デジタルビデオから垣間見た世界と未来


電気屋をふらふらしていて、つい衝動買いをしてしまったブルーレイディスクレコーダー「BDZ-V7」展示品特価で12万円也。

次世代デジタルビデオの事実上の標準と言われるブルーレイディスクは、25GBのデータが保存できて、フルハイビジョンの高画質映像で約3時間の映像が記録できるシロモノである。

フルハイビジョンの映像は、まずそもそも対応したテレビを持っていなければ見ることはできない。解像度は1920x1080ピクセルほどあり、一般的なコンピュータの液晶画面よりも広く、細かい。参考までにこのくらいの大きさの画像が動画として再生されるのである。まるでデジカメで撮影した写真がそのまま映像になったようなハイビジョン画質で録画・保存できるのがブルーレイディスクなどの次世代デジタルビデオだ。一度この画質に慣れてしまうともう後戻りできないのはよくわかる。

ちなみにこのブルーレイディスク、一枚で現在のところ1700円ほどする。(思えばDVDもCD-Rも最初はそのくらいの値段がしたものだ。一枚100円以下になってくるとポイ捨てできちゃう感覚はかなりやばいと思う)これがそのうち100円くらいで買えるように、なるんだろうと思っていたのだけれども、どうやら雲行きが怪しい。そもそもハイビジョン環境を導入するのに都合40万近い投資をしているのである。誰でもかれでもおいそれ投入できる金額ではない。今が液晶テレビの底値と言われているけども、32インチでも10万円以上はするのである。

そして2011年、現行のアナログ地上波放送が終了する。現在のアナログテレビに+2万円程度の投資でデジタル地上波放送(ハイビジョン放送)が見れるようになるのだけども、それだけだと画質はアナログのまま(640x480ピクセル程度)での視聴となる。この場合、次世代デジタルビデオの画質はなんの意味もなさない。総務省及び家電メーカーはここで一斉にテレビとビデオデッキの買い換えが起こることを想定しているわけだけども、消費者はそのような動きについていけるのか多少疑問に感じる。

そんな激動の予感もあるけれども、デジタルハイビジョン録画は最高ですよ。250GBのハードディスクに、たったの44時間しか録画できないのでこまめに録画予約して、こまめにブルーレイディスクに書き出さなければならない感覚は、1997年に初めてハードディスクに録画をしたときの感覚に戻った感じです。

次回へ続く。
| 情報デザイン・メディアデザイン | 23:30 | comments(2) | - |
「美しき日本の残像」アレックス・カー
アレックス・カーという、とても僕たちと似た感覚を持ったアメリカ人が情熱大陸に出てるというので、東京に戻って番組を見る前に著書の方を読んでみた。そしてそれはやはりいつものようにガケ書房に、まさに手を取って読んでくれといわんばかりに表紙を見せて一冊だけ置いてあった。

1993年、僕たちがウインドウズ95やインターネットなどのテクノロジーに浮かれに浮かれた直前の時代に、彼は一冊の本をまとめた。「美しき日本の残像」海外では「Lost Japan」という名前で翻訳されている。小さな頃から日本での滞在経験があった彼は、エール大学での日本学専攻を経て、自分の研究する日本は果たして本当に住みたい国なのかを確認するために、1972年に三ヶ月間に及ぶヒッチハイクでの日本横断を実行する。その最終到着地点の四国の山奥で、彼は「桃源郷」を発見する。そこは平家の落ち武者が住み着いた山里で、大正時代まではろくな道も無いまま、二十世紀まで保存されつづけてきた世界だ。そこで彼は一軒のうち捨てられた古民家を買い取り、独力で修復を始めることになる。二十世紀に入り、人々の生活に大きな変化がもたらされ、東洋での急激な変化は、著しい文化と自然の破壊を起こした。その頃、自分の家から出て行かなければならなかった人たちは、家からほとんど何も持ち出さず、置いたままでパッといなくなったように見えたのだという。
なかでも興味深かったのは、一九五〇年頃書かれた少女の日記でした。その中には祖谷(地名)の生活の貧しさ、家の中の暗さ、そして大都会に対する絶望的なまでの憧れが、涙と共に素直に書かれていました。その日記を思い出すたびに日本人はなぜ自然破壊に手を染めてしまったのか、なぜコンクリートと蛍光灯という生活環境の中に住みたがったのかが少し理解できるような気がします。その少女が十八歳になったときに日記は突然途絶えています。
そんな彼は、今、京都のボロボロになった町家を修復し、宿泊施設として作り替える事業を行っている。古くて住みにくくなった町家、古民家に住むことはただノスタルジーに浸るためにするのではなく、そこに新たに手を加えて新しいものをつくってこそ意味がある。





この本の最後に書いてある、司馬遼太郎がアレックスに言った言葉が、僕たちに与えられたミッションそのものだ。
「君たちは、まちがったときに日本にきた。五十年前か、それとも五十年後に来るべきだった」と、いった。
五十年前は、農村を水田ごしの遠景でみても、村の入り口から近景でみてもすべて秩序があり、どこからみても絵になった。五十年後にきてくれ、といったのは、むろん修辞である。そのくらい時が経てば日本人たちは今の乱雑さに反省して手直しをはじめるだろうという希望的観測によるものだ。
はたして二年、三年前の自分がこの本を読んだときに、これが最先端の出来事で、強烈なシンクロニシティを感じるほど共感できたのだろうか、西洋のモダニズムばかりを追求し、テクノロジーにのみ未来を感じていた自分が理解できたかどうかは、ちょっと定かではない。だから、どの程度の人が、番組を見てそれがただのノスタルジーではなく最先端の出来事であると理解できるのかなと思うが心配なのだけども、これがまさに、芸術、デザイン、建築、エコロジー、および文化の分野における最先端の出来事なのです。
(当時の日本は)おとぎばなしの世界っていうか夢の世界でしたね。
これはやっぱり美の国。
僕が子供の時代にそれがまだたっぷり残ってましたね。
悔しくて仕方がないのが、僕らは1960年代、70年代の日本の風景を見ることはできないってことだ。でも、悔やんでも悔やんでも仕方がないから、新しいものをつくり出すしかないんだ。

alex-kerr.com|美しき日本の残像
http://www.alex-kerr.com/jp/

庵 京都町家再生プロジェクト
http://www.kyoto-machiya.com/

チイオリ 
http://www.chiiori.org/indexja.html
| 日本の残像 | 23:12 | comments(0) | - |
祇園祭 山鉾巡行


@烏丸御池
信号を渡る瞬間が、隠れたシャッターチャンスだったりします。

CCDさんより。
7月17日はアララト山にノアの箱舟がたどり着いたと言われる日、
ネパールの山舟祭りの日、
八坂神社の山鉾巡行、
剣山のお祭りの日、
なんかさっきサンフランシスコのディープな友人から伝えられたのは
「世界で水のエナジーにお祈りをしたあと、火(太陽)のエナジーに祈る」
のだそうです。
世界一斉にやる祈祷が最近多いね。
| - | 23:16 | comments(1) | - |
祇園祭 宵山


祇園祭は明日がハイライト。四条通りを挟んで配置されている斎竹(いみだけ)に繋がれた縄を、最も大きな山鉾の長刀鉾で切ることで、山鉾巡行が始まる。

神界に入る結界を切って、京都の街を練り歩き、終わったらすぐに、神が残らないよう、全部の鉾をその場で解体してしまうのです。ってことは32個全部毎年作り直してるんだね。



膳處漢(ぜぜかん)の豚まん屋台は祇園祭限定。思わずよだれがたれそうになった人は来年までおあずけ。

膳處漢

| - | 23:26 | comments(1) | - |
祇園祭 宵々山
最近あまりにもブログを更新していないんで。
生きてます。
そしてやっぱり京都にいます。






| - | 23:45 | comments(0) | - |
宗達 鎌倉本店
キャンドルナイトの後始末やら引っ越しやらであらゆる活動が停止しつつも、梅雨の晴れ間につい行ってしまった、宗達 鎌倉本店。

ここはだだっぴろい美術館のようなスペースに、たった三種類の商品しか置いてない、まさに趣味の極地のようなこんぶやさんだ。



お持ち帰りできる商品は、北海道尾礼部産真昆布をすっぽんで煮た「黒松」、おなじく貝柱で煮た「蝦夷松」、それに「とろろこんぶ」の三種類のみ。



店内には小売り以外にカフェスペースがあって、ここでは上記商品をつかったお茶漬けやマグロの漬け丼が用意されている。シンプルなご飯に濃厚な昆布がたまらない。



店内中央にある池は、二ヶ月置きに季節の花や植物が入れ替わる。三〜四月はしだれ桜の大枝を持ってきた贅沢な花見仕様になっていて、四〜五月は池に遊歩道を設けて、菖蒲が楽しめるような嗜好になっていたらしい。

宗達 鎌倉本店
http://www.soutatu.co.jp/
| スポット情報 | 23:15 | comments(1) | - |