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The Wonders of China


http://www.impactlab.com/modules.php?name=News&file=article&sid=11344
| - | 14:06 | comments(4) | - |
多くの日本人は今 -終戦- を待ち望んでいる「犬と鬼」アレックス・カー


この本のレビューはなかなか書き出せなかった。読むのに時間がかかってるということもあるけども、なにより東洋に「理想郷」を見いだして希望をもってこの国にやってきたアレックスが、日本の文化を学んでいって、そして行き着いた先に待っていたものは、再建不可能とも思える絶望に満ちあふれたカオスな世界だったからだ。

「なんでそんなことになってしまったのか」

彼を突き動かす原動力はただ、この一点の言葉に集約される。言うまでもなく高度経済成長期を経た日本人がそれまでの生活スタイルを大幅に脱ぎ捨てていったことについて。
先ごろ、アンドルー・マークルという一六歳のアメリカの少年が、学校の休みを利用して、大阪に住む両親を訪ねて来た。そのとき、彼と両親と私の四人で、車で神戸から東へ向かい、大阪を抜け、大阪湾に沿って、新関西空港近くの泉大津まで出かけたことがあった。高架の高速道路を走っていると、見渡すかぎり工業都市が広がっているーーー何時間走っても、そのおぞましい光景はなかなか終わらない。周囲の工場ととくに見分けもつかない、無機質に立ち並ぶマンションに何百人もの人々が住んでいるのだ。点滅する看板、高圧電線を支える鉄塔、木々も公園もなくどこまでも広がるビルと炎を噴き上げる煙突を、アンドルーはしげしげと眺めていたが、やがて言った。

「学校でよく日本のマンガを読むんだけど、日本人の描く未来にはいつも感心してた。終末的っていうのかな。ああいう発想がどこから出てくるのかこれでわかったよ」
この国の景色は確かにもはやカオスとしか言えない状態になっている、と、僕も最近ようやく自覚しつつある。いままではそれが東洋なんだろうとか思っていたし、あまりに無自覚だったことに愕然としている。そしてそれらはそんな曖昧としたことが原因ではなく、政府の失策がつもりつもってそのようになっているということを数字を裏付けにして表しているのがこの本である。
しかしそれはどうやら日本政府の土木政策が破壊しつくした「景観」だけではとどまらないという。

自殺者の増加、教育の問題、環境破壊、etc...
すべての問題は連関している。いま、環境問題をテーマにして活動をしている人たちが増えているが、その多くがなにを目指しているのか甚だ疑問に感じていた。自分の国で起きていることを知らずして地球がどうの、社会がどうのと言うのだから滑稽極まりない。日本は相変わらずの経済戦争のまっただ中なのである。この言葉は皮肉などではなく戦争状態そのものだからだ。

アレックスはこの本の第五章「モニュメント」について書いた章の最後をこう結んでいる。
一九三〇年代、日本が戦争に突き進んだころを思わせる。まさに猪突猛進である。いま、国民は”終戦”を待ち望んでいる。戦前、日本は大陸深く押し入ったが、あれは不良債権を拡大しに行ったようなもので、その処理ができずに日米戦争に突入した。どこかで止まらなければならなかった。破局は差し迫っていたが、誰も止められなかった。”ご聖断”の代わりの切り札はもうない
次回へと続く。

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alex-kerr.com|美しき日本の残像
http://www.alex-kerr.com/jp/
| 日本の残像 | 14:28 | comments(0) | - |
日本の原風景シリーズ「NHK 映像詩 里山II・命めぐる水辺」滋賀県高島市針江地区
2年ほど前だったか、夜中にふとテレビをつけたときに、こんこんと湧き出る水とその水辺を取り巻く人たちの生活の、なんともいえない情緒的な映像が流れていた。突然目の前に現れた風景は最初、現在の日本の風景だとはとても思えなかった。日本史をやっていれば避けては通れない近江の国なので、琵琶湖の周辺にはきっととても優れた文化があるのだろうとは薄々思っていたけれども、その番組が終わるまでの60分間は画面の中に現れる、ただただポエティックな世界に引きずり込まれていた。

うだるような暑さの京都を脱出。湖西線でずうっと琵琶湖を眺めながら一時間ほどで到着。



この井戸のようなものは「かばた」という。この地域から湧き出てくる水を貯めておく上下水設備で、各家庭が個人の所有物として敷地内にほぼ一つずつ持っている。



かばたの水は平均して年間14度前後の温度を保っていて、夏は水道水より冷たく、冬は水道水より温かい。わき水が直接流れ込む上水部分である「壺池」には、季節折々の野菜を水に浮かべて冷やしたり、そこで顔を洗ったり、食べた後の食べ物を洗って、その隣に流れている下水部分である「端池」に流す。



写真左。端池では鯉やナマズがペットとして飼われていて、ごはんをたべたあとのナベや食器を入れておくと雑食性の彼らはそれをひとつのこらず全部食べてしまう。(当然、生ゴミ入れではないので、残り物をそのまま流すことはない)カレーのような油を含んだものでも食べるが、野菜の切れ端のような人間が食べないものは彼らも食べない。

写真右。各家々の下水部分の端池はすべて繋がっていて、上流の家で洗ったものが当然下流の家にも流れてくる。基本的には鯉が食べてしまうのでクズは流れてこないけれども、もしも上流でなにか毒性のあるものを流してしまったら、下流の鯉は全滅してしまったりするわけで、そのようなことが起こらないような地域としての信頼関係をベースとしてこの水のシステムは成り立っている。



上水部分である壺池の種類もさまざま。陶器でできた立派なものから、臨時でバケツをつかっているところもある。



お寺のつくばいもかばたで。100年前より続く地元のとうふやさんはもちろんかばたの水でとうふを冷やしている。



ヴェネチアのような都市としての派手派手しさはまったく無いけれども、この地域の人たちは有史以前からものすごく絶妙な水との距離感覚のある生活をしてきたまま、あまり多くの人にも知らないまま、遂に21世紀までそれは保存されつづけた。かつては日本各地に井戸やわき水をつかった文化があったのかもしれないけれど、そのほとんどが現存しない。19世紀から20世紀にかけての急激な変化に耐えることができなかったからだ。ここが現在まで残った理由は、ポンプをつかわずともほおっておいてもどんどん出てくるわき水の水量にある。



ボランティアガイドさんによると、そのとめどもなく湧き出てくる水を見て、大阪からやってきたおばさんは「私たちはお金を払って水を飲んでいるんや、もったいないから水をとめて」と本気で言ったというけれども、とめるにもとめようがなく湧き出た水は各家庭の端池から共同水路へ、そして子供達がボードで遊ぶ幅2メートル程度の針江大川に流れていき、琵琶湖にそそぎ、蒸発して雨や雪となって、雪解け水が長い時間をかけて濾過されてまた湧き水となってわいて出てくる。そんな地理的条件が揃っているから残ったのだし、見て回ったとしてもまたそれをそう簡単にはなにかに応用することもできそうにない。

針江には、京都駅からJR湖西線で約一時間ほどで来ることができる。ただ、この針江という地区は、元々住宅地である上、テレビで放映された後は、外から来る人が絶えず、地域にまったく知らない人がうろついていることが増えてしまったため、急遽地元でボランティアガイドチームが結成された。かばたのある風景を見て周りたいときはボランティアガイドへの連絡が必須である。まずはこちらにお電話を。090-3168-8400(ボランティアガイドチーム代表)



針江生水の郷委員(ボランティアガイドチーム)
http://www.geocities.jp/syouzu2007/

NHK 映像詩 里山II・命めぐる水辺
http://www.nhk-ep.com/view/10926.html

雪景色のかばた
http://www.geocities.jp/ike7zaki/newpage530.html
| 日本の残像 | 08:11 | comments(0) | - |