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現代美術家 束芋


「じっとしていること」。これが人を愛するための必須条件であるそうだ。ただ、今のあるままを受け止めて、何も考えずに過ごすこと。それが一人でいること。自分を信頼し、自分を愛すること。でも、人間なかなかそこまでいけるもんじゃなく、東京を飛び出してしまったのは、本当に会いたい人はほとんど東京にいなかったからで、こんなことでもなければ元々そんなに社交的な人間ではないはずなんだ。

月曜日は、そういえば茂木健一郎の授業の日だったことを思い出して、上野の東京芸術大学に居た。無意識に彼に泣きつきたい気分だったのかもしれない。ゲストはブルータスの副編集長、鈴木芳雄さん。「若沖を見たか?」「脳科学者ならこう言うね!」「国宝って何?」など、最近の切れ味の鋭い号はすべて彼が担当していたのだった。授業後、単身飲み会に突撃、鈴木氏の横を陣取りしばしインタビュー、彼はミシュラン東京版の発表にいたくそわそわしていた。その後、なぜだか鈴木氏からふと束芋さんの話を聞いた。

京都に束芋さんという映像インスタレーションをつくる現代美術家がいることは、前々から知っていた。若干26歳で京都造形芸術大学の教授に抜擢されたのは学内では有名な話である。作品自体は直接見たことがなかったけども、アニメーションをつくる技法として、浮世絵をスキャナにかけて、そこから色を(テクスチャを)抽出する、という方法をとっているということには、ものすごく興味があった。数ヶ月前、Jonathan Barnbrookのマネージャのエルさんにアレックス・カーについてあつく語ったときだったか、一度会ってみたら?と言われたのを思い出してロンドン経由でご紹介いただいて、お会いした。さまざまなインタビューを読むと「社会風刺」の作家として紹介されることが多いけども、自己紹介のときはそれをしないという。社会風刺をしているつもりはないと。

束芋さんは、現代美術の世界がフィールドであることが、なによりもアニメーションの世界で埋没せずに、独自のポジションを作り出せた人であると思っていた。彼女は実は元々広告の世界でデザイナーになろうとしていたのだが、Barnbrook Designに三ヶ月ほど働きに行き、そこで自分にはデザインの世界に存在する責任に向き合うことができないと思ったのだという。予算もあらかじめ存在するわけでもなく、クライアントや締め切りがあるわけでもない仕事。ただ、自分がアーティストと名乗っていれば、なれる仕事を彼女は選んでいるのだけども、それが自分には合っていると。たとえ借金ができようがなんだろうが「自分の作りたいものをつくる」ことが、生き甲斐であるという話を聞いて、このタイミングでその話を聞くことは、僕自身のこれからを突きつけられたように思う。

今日まで無意識だったのだけれども、僕にとってクリエイティブエイジェンシー・サステナを続けていくかどうかは大きな問題である。それは、社会問題をテーマにした広告をつくって行きたいと、どれほど深く思えているかはもう既にかなりウェイトが低い状況になっていたまま、この数年間を過ごしてきてしまった。100万人のキャンドルナイト実行委員を辞めるつもりはさらさらない。これはこれからもなにがあっても続けていかなければならない大きなテーマだと思えるから。サステナというよりも、もっと根底にあるのは、広告というビジネスモデルの世界に自分が居続けることに、もう無理があるのかもしれないということ。今日からアーティストと名乗ってやっていくことはできるかもしれないけども、そんなに簡単に収入が安定する世界ではないのであって、そのために従来のビジネスモデルも残したまま、そのウェイトを徐々に減らしながらシフトしていこうと思っていたのは、実はとても誠実なことではないんじゃないかということを、僕は彼女から突きつけられたのかもしれない。
| 日本の残像 | 23:38 | comments(0) | - |