tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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変化
昨日は、100万人のキャンドルナイト実行委員会の合宿だった。またしても来年の開催日程について紛糾。毎年毎年、日程を決めるのに一番時間がかかる。2003年当初、夏至の日だけの開催だったものが、環境省の都合でライトダウンが日曜日でなければならないっていうんで2004年は19,20(日),21(夏至)、2005年は18,19(日),20,21(夏至)と、どんどん増えていったのだった。そこに来年は7月7日からの洞爺湖サミットがあり、6/21〜7/7なんていう表記にしようなんて話まででてくる。しかもここになんらかのアクションを行うという。実行委員会は呼びかけのみを行う、という暗黙の了解があったのだが・・・。2003年に始まってから4年間、変わらないでいたものが変わろうとしはじめている。

4年前は、環境問題、社会問題というカタイ世界を、いかにやわらかく、ミーハーに、素敵に伝えるかにすべてがかかっていた。逆に言えば、それさえできればよかったんだ。あくまで自分は一般市民側の視点からNPO,NGOのたこつぼ専門家を相手に敷居を低くする立場だと思っていたけれど、それだけではすまされなくなりつつある。

そして身近なところでは、遂にマエキタさんが電通を辞めることになった。サステナという名前でクリエイティブエイジェンシーをはじめて3年、絶対にやめないと言い続けてきたけれど、やっぱり片手間で起業しても成功はありえない。ずっと中途半端でありつづけたサステナもまた変わろうとしている。
| - | 10:55 | comments(0) | - |
茂木健一郎×北川フラム「越後妻有アートトリエンナーレ」
CLUBKING presents 茂木健一郎ジャパン・ツアー「ホープフル・モンスターを探して」
speaker:茂木健一郎氏×北川フラム氏
date & place:2007年12月8日
ビジョナリーアーツにて

北川フラムという名前を初めて知ったのは、2003年の大地の芸術祭の帰りに公式ガイドブックに書いてあった彼の文章を読んだ時だった。大地の芸術祭はただのパブリックアートの展示イベントなどではなく、明確な地域再生のヴィジョンに基づいたプロジェクトであるということを、行って、見て、知ったときに、そこに北川フラムという人の強烈な意志を感じた。彼は現代アートを武器に、税金を使って、地域変革、社会変革の大実験を行っているのだ。アートとは、それ自体が重要なのではなく、そこへ至るArs(道)であることを体現しているような人だと思った。

そこに2006年ベネッセの福武總一郎会長が参加して、2010年、瀬戸内国際芸術祭が開催される。直島を中心とした瀬戸内海沿岸地域において5年に一度開催されるという。

今回のログはかなりの基礎知識と体験を要求するので、以下の二つを参照されてから読むことをオススメします。

2006.09.03 大地の芸術祭 -越後妻有アートトリエンナーレ2006-
2007.10.01 東京芸術大学美術解剖学講義 後期第1回 福武總一郎氏
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| ログ | 10:11 | comments(0) | - |
枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け 三浦梅園


実はめがねを買ってみた。生まれてこのかた、視力を補うことをまったくしてこなかったものだから、昔はきちんと見えていたのだろうけど、実は0.3くらいになっていたらしい。そしたら世界があまりにも綺麗で綺麗で綺麗なもので、千駄木から根津、上野公園、湯島を通り越して御茶ノ水まで延々と歩きながら世界を改めて見渡して見ると、人工物よりもむしろ自然物の精緻さに驚く。上野公園でちらっとのぞいてみたシャガールの展示よりも、公園のなにげない木の枝の先端のディテールに衝撃を感じたのでした。

そして三浦梅園を思い出した。江戸時代中期の哲学者である彼は、とかく私たちは派手で奇跡的なことばかりに驚くけれども、本当に驚くべきことは、毎年春になるとあたりまえのように花が咲く、そのことにこそ驚くべきではないか。珍しいものや珍しいことではない、ふつうにあるもの、ふつうにあること、花が咲くこと、人が生きているということ、そうしたことにどれだけ奇跡的なことが起きているのかということを、上記タイトルの言葉で言い表している。

今僕たちが生活している文明は、あまりにも作られた、記号化されたもので構成されているけれども、東洋やアメリカの、既に滅亡してしまった文明に(「日本の文化」も文明としては既に滅び去ったものだと思う)魅力を感じてやまないのは、むしろそれらの、現代の価値基準から見たら一見何の役に立つのかわからないことにと共存していたからだと思う。それを僕は勝手に複雑系の科学と名付けているのだけれど、そこにこそモダンや未来を感じてやまない。

そういえば、星の王子さまも言っている。

「本当に大事なものは、目に見えないんだよ」って。

僕はなんとなくその言葉に、梅園の言葉を重ね合わせて理解している。
だからね、季節の移ろいとか、一瞬一瞬の夕焼けの移り変わりがたまらなく好きなんだと思う。
| - | 23:12 | comments(0) | - |
「時間」と「時刻」という既成概念


「あなたは何故、今の仕事をしているのですか?」
と問われて。

このことに限っては、今の仕事とは、サステナでやっているような広告制作業のことではなく、本業の話だ。何故かと問われると、いろいろあって、高校を辞めたことによっていろいろと見えるようになってしまったからとか、9.11とか、辻信一がいうスローみたいな概念の影響だとか、アルビン・トフラーの「第三の波」だとかいろいろあるけども、そういえば無意識の中で、ものすごく大きなテーマを突きつけられた出来事が、2000年12月31日、慶應大学三田キャンパスで行われた第二回世紀送迎会に関わるプロセスの中で考えたことだったかもしれない、ってことを思い出した。

1900年に行われた第一回世紀送迎会で、福沢諭吉と塾生達は19世紀の悪習を風刺画に描いて、鉄砲で撃ち抜くというデモンストレーションを行ったという。100年後の第二回ではなにをテーマとするか、その一つに「時」というテーマがあった。そもそもは、イベントの進行の理由で、慶應義塾では18時に世紀を越えます、という無茶苦茶な理由から考え始めたことだったけれども、考えていくうちにそれが20世紀の機械産業を象徴する大きなテーマであることがわかってきた。

そもそも、時刻というものは産業革命以前には現在ほど明確に意識はされていなかった。産業革命から始まった社会の工業化によって、工場労働者が流れ生産を行っていく上での管理のために「厳密な時刻」という概念が必要になる。そしてフランス革命によってスイスに亡命してきたフランスの職人達の手によって、時計は発明された。今、僕らが当たり前のように見ている時計と時刻の概念は、たった100年ちょっとの既成概念に過ぎない。19世紀、20世紀を通して社会はその方向に進んできたけども、そこには幸せはなかったのかもしれない。21世紀は、そういう概念から脱却しよう。なんでもかんでも同期をとろうという考えはやめましょう。非同期で、お互いにストレスをかけない関係でコミュニケーションして、そこに出来上がってくるものに、何か幸せを見てみましょうというテーゼを出そう。だからこそ、カウントダウンは24時にはこだわらないっていうスタンスもあるよね。

という議論をしたことが、後から後から大きな意味をもってくるのだった。今、季節のうつろいや、暦っていう複雑な概念を、具体的な概念として表現しようとしているのは、このあたりに思考のルーツがある。

「あなたの仕事は、まだかたちになってない概念を、具体化することなんじゃないの?」

と、あるとき誰かに言われて、よくわかってるなあと思ったのだった。
| - | 20:27 | comments(1) | - |