tamalog

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海士



海士はとても日本海とは思えないくらい穏やかな海と、微妙に黄砂の混じったなんともいえない淡さの空でした。



千本桜プロジェクトによって、島中いたるところに桜が見られる。




彼ら二人が海士を舞台にした学校をつくろうと企画して移り住んできた。



朝6時に起きて、8時からは農作業。



お昼前にはもうバテバテ。



そして午後は海辺で昼寝。最高に贅沢。
| - | 00:07 | comments(0) | - |
「自分の仕事をつくる」ワークショップ
「自分の仕事をつくる」という本があります。自称働き方研究家という著者の西村佳哲さんが書いた、多くのクリエイターへの取材をベースに、仕事のあり方を研究したこの本は、2003年頃、タイトルにひかれて本屋さんで手に取った。いったいいままでこの本を何冊買って、人に渡してきたのかわからないくらいたくさん買った本だ。この本の最後に「竹村先生へ」という謝辞の言葉が書いてあった。西村さんは勤めていた会社を辞めるきっかけとして、竹村真一さんにやりたいと思っていたことを引き出され、後押ししてもらったという。

最初に読んだのは僕がちょうど竹村真一さんの仕事として100万人のキャンドルナイトの立ち上げをしていた頃で、僕自身彼からとてもなにかを引き出されていた感覚があったときだったから、なんともいえない妙なシンパシーを感じたのだった。と同時にそのとき、自分が将来書こうと思っていた本を先に書かれてしまった、という思いもあって、なかなか本人には会えないでいた。尊敬という言葉が適切かどうかはわからないけども、一端そういうふうに見てしまうと、人は会うのが怖くなるらしい。福井信蔵さんといい、最近なるべく会わないようにしてきた人に会うようになってしまったけれど、自分の小ささを認識するいい機会かもしれないと思う。

今日は、その西村さんによる「自分の仕事をつくる」をテーマにしたワークショップだった。ワークショップ形式なので、ログはないけれども、とても印象的だった言葉を書き残す。そして彼の大好きだという本が、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」だと聞いたときに驚きを通り越して身震いしてしまったことを告白しておきます。

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「自分の仕事をつくる」っていうタイトルは自分ではすごいよかったな、って思っています。それは、仕事を「選ぶ」のではなく「つくる」という言葉にしたことにあります。

ユダヤ人の哲学者エーリッヒ・フロムがこのようなことを言っています。
ヴィクトリア朝時代には、他の伝統的な社会の場合と同じく、愛は、結婚へと至ることもありうる自発的な体験ではなかった。それどころか、結婚は双方の家あるいは仲人によってまとめられるものであり、そうした仲介者がいなくとも話し合いによって取り決められるものであった。結婚は社会的な配慮にもどついて取り決められるものであり、結婚した後ではじめて愛が生まれるのだと考えられていた。

中略

私たちの生きている社会は、購買欲と、たがいに好都合な交換という考え方のうえに立っている。現代人の楽しみとは、わくわくしながらショーウインドウをながめたり、現金であれ、月賦であれ、買えるだけの物はなんでも買うことである。誰もがそれと同じような眼で人間を見ている。いずれにせよ、ふつう恋心を抱けるような相手は、自分自身と交換することが可能な範囲の商品に限られる。この取引ではしばしば、不動産を購入するときと同じように、将来発展しうる隠れた可能性が重要な役割を演じる。何もかもが商品化され、物質的成功がとくに価値をもつような社会では人間の愛情関係が、商品や労働市場を支配しているのと同じ交換のパターンに従っていたとしても、驚くにはあたらない。
別に、古き良き結婚がいい、と言っているわけではない。たとえばいままで付き合っていた人よりももっと素敵な人が現れてその人に乗り換えるといようなことっていうのは、自由恋愛ができるようになったから生まれたのだけども、それはなんかちょっと寂しい。仕事も「選択」をするだけではとても寂しい、と僕は思います。

2005.08.14 自分の仕事をつくる 西村佳哲
http://tamachan.jugem.jp/?eid=59
| - | 00:58 | comments(6) | - |
伝説の雑誌、池田版「広告」
雑誌「広告」

大量の写真を整理していて出てきた一枚。これは同業の社会派デザイナー、兼松くんのオフィスに取材に行ったときに撮ったもの。お互い、なんでこういう仕事してるんだろうねぇ?という話をしてて、そういえばきっかけはこれだよねえ、とか言いながら本棚から出してきたもの。

そういえばUKのグラフィックデザイナー、ジョナサン・バーンブルックを初めて知ったのは雑誌「広告」の誌面上に載っていた、核のマークのリボンをつけたハローキティのグラフィックだった。要するにハローキティを構成するお金は膨大なる消費、そしてエネルギーによって成り立っている(つまり原子力によって支えられている)という痛烈な皮肉だ。なんてシュールなグラフィックをつくるデザイナーだろうと思ったけども、その記事掲載を実行したイケダさんという当時の編集長はもっとキレた人だなあと思った気がする。いわずもがなその後、イケダ氏は左遷。博報堂はサンリオから広告出稿停止をくらったという、伝説の雑誌である。

池田正昭さん。2000年頃、博報堂の雑誌「広告」の記事がやたらとエキセントリックだった時期がある。そもそも広告業界なんて興味がなくっても、あの頃の「広告」は面白かった。今でこそ一般に知られる存在となった地域通貨を、この雑誌の誌面と渋谷駅南口から顔をのぞかせている「渋谷川」周辺のカフェを巻き込んで当時始めたのがアースデイマネーだった。あの頃はいったいなにを言ってるんだ、という感じだったけれどもとにかく従来の広告的な発想にとらわれずに情報発信を始めた「池田版広告」にしばらく影響されっぱなしだった。まだ9.11が起こる前、環境だとか社会問題だとかにまだ興味もなく、多くの地域通貨の立ち上げの原動力となった、エンデの遺言も読んだことがなく、ただただそっちに未来があるのか!と思って眺めていた。そして、ハローキティが載ったところで「池田版広告」は終演を迎え、また元の広告業界誌へと戻っていったのである。

池田版広告の最終号は、何年の何月号だかちょっとさだかではないけども、古本屋で見つけたらかなりのプレミアムだと思う。

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ジョナサン・バーンブルック
http://www.pingmag.jp/J/2006/06/23/jonathan-barnbrook-about-responsibilities-in-design/

アースデイマネー
http://www.earthdaymoney.org/
| - | 13:16 | comments(0) | - |