tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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いまのケータイ市場を取り巻くあれこれをみていると
日本電気のPC-9800シリーズを思い出す。



かつてパソコンといえば≒NECのPC-9800シリーズのことだった。国民機とまで言われて、現在24代目の僕のパソコンも8代目くらいまでは漏れなくPC-9800シリーズだったくらい、当たり前の存在だったりした。

その字のごとく市場をまるごと支配していたこの機種は、しかし1995年のWindows95の登場によって、一気に市場開放が起きてオープン化され、支配力を失っていったのだった。

iPhoneが登場して以来このかたの状況は、まるでPC-9800がIBM/PC互換機に変わっていったあの時代と同じ事を繰り返すことになるのかもしれないなぁ、なんてふと思ったりもする。
| - | 16:12 | comments(0) | - |
で、ホントのところはどーなのよ。グリーンピースの件
たまにはNGOな仕事もしてみる。

あれって、結局なんだったの?ってよく聞かれるけれど
サミット前の、公安によるNGOたたき、なのだとか。それがホントかどうかは謎。

現場を取材に行った西川くんによれば、私服警官にあんたどこの報道?って聞かれて「市民メディアです!」って答えたときの反応が

「俺ら公安と、マスコミで一緒にやってる事業を邪魔すんな」

って言われてるように感じたのだそう。

まー、個人的には、グリーンピースにはこれっぽっちもぜんぜん興味ないんだけど。
ジャーナリズム不在の日本のマスメディアには興味があるかな。

だから、とりあえずブログサイトつくって走り始めてみるのは、いいんじゃないかなあ。

http://kujiragp.jugem.jp/(仮URL、ドメイン検討中)

| - | 21:28 | comments(0) | - |
地に足のついた仕事してますか?
ふとしたことがきっかけで、昔むかし、11年前にはじめてホームページをつくったことを思い出した。確か、初めてつくったサイトは、ファイナルファンタジー7の攻略サイトだった。おそるおそる、HTMLタグを書いてみて、契約していたプロバイダーの、たった数メガバイトのホームスペースに、FTPソフトをつかってファイルを配置する。そして、BBSのフリー素材をもってきて、攻略サイトを運営していた。当時はデザインをあわせるなんてことは到底できなくて、それでもBBSにはたくさんの人からの書き込みがあった。ファイナルファンタジー7の発売から数日間、BBSの書き込みをもとに、協力しあって攻略にいそしんだ。いろんな人が、情報を集めてきたとき、インターネットって、すげーなぁぁぁ、って思った。

運営してみるといろいろなことがわかってくる。メニューの場所をちょこっとかえたり、かえることで見に来る人の動きが変わる。ウェブサイトっていうのは、対マスではなくて、一対一なんだ。どんな小さな個人的な趣味のサイトでもいいから、運営したことがあるかどうか、だ。どんなしょぼいデザインでも、とにかくウェブサイトをつくって、BBS経由でもなんでもインターネットを通じたやりとりをした経験があるだけで、ぜんぜん違うんだろうなぁ。


たぶん、ウェブサイトをつくるなんて、その頃からなにも変わっちゃいないのだ。
もともと、たいした話じゃなかった。
いつからこうなってしまったんだろう?


これだけウェブサイト製作が専門化されすぎてくると、想像もつかないのかもしれない。もともと、たいした話じゃなかったよ。いつから、ウェブデザイナーという人種は、デザインつくって投げるだけの人になったんだろう?だから、今でもHTML組みたいんだよね。CSSは苦手だけれど。テーブルタグだらけだけれど。自分で中身をいじれないサイトはいやだなぁ。

ユーザーからのフィードバックを感じれないのに、ウェブサイトつくるとかって、意味がわからないねと思ったけれど、自分もそういう仕事してたなと思う。仕事として、対価としてお金をもらうようになればなるほど、それにはまっていったかもしれない。エレファントデザインで、空想家電のサイトをつくっていたときは、サラリーでやっていたから、ギャランティではなかったからいいもんができたなぁ。ギャランティになると、完成して投げるってことが、できちゃうんだよね。100万人のキャンドルナイトのサイトは、そういう仕事していなかった唯一の仕事だ。

工場の縦割りになった瞬間に、足が離れて、大量生産ラインに乗っかってしまう。
地に足がついた仕事か、そうでないか。
| - | 03:01 | comments(3) | - |
サンテグジュペリとその妻


今日、サンテグジュペリとその妻コンスエロとの恋文のやりとりーーー1944年に地中海でドイツ軍に撃墜されるまでーーーのやりとりを一冊にまとめた本に出会ったのでした。

その本を読むまで、彼に恋人や妻がいることなんて、まったく知らなかった。やっぱり撃墜されたというニュースに、最も悲しんだ人がいたんだ。どんな人でも、愛する人がいるわけで、サンテグジュペリにも彼と彼の作品のミューズがいることを知って、ちょっと嬉しくなった。そして、読んでいくうちにとてもとても羨ましくなり大好きな人にラブレターを書いてみたけれど、なんかうまくまとまらなくて、そのことを素直に書いてみるとうまくまとまったりするから、なにかをまねてみようと思ってもそんなにうまくいくもんじゃない。

サンテグジュペリとコンスエロは、何度も何度も別れの危機と、そして実際に別れることがあった。戦争でアメリカに亡命し「星の王子さま」を書き始めることになった直前には、二人は離婚の寸前だったという。弁護士を介して、口論になったけども、結局サンテグジュペリから強いキスをしてきて仲直り。(話はそう簡単ではないのだけれどめちゃくちゃ長いので端折る)
その後に住んだノースポートというところの家で二人はまた幸せな生活に戻り、そのときに「星の王子さま」は生まれたのだって。

「彼女はぼくをいい匂いでつつみ、明るくしてくれたんだ。
ぼくはぜったい逃げてはいけなかったんだ!
彼女の下手な駆け引きの裏にある優しさを見抜くべきだったんだ。
でも、ぼくは彼女を愛するには若すぎた」
『星の王子さま』

王子さまのバラはこの人がモデルだったんだ。
飛行機、女性、文学。三つの情熱がアントワーヌ・ド・サンテグジュペリを「若き神」に変えた。空を飛んでいないときはつねに不幸な雰囲気を漂わせ、イカロスのように日常生活の迷宮から逃れたいと願った。実際、飛行機と女性、文学には共通点があった。この三つのおかげで彼は上昇することができたのだ。上昇は彼が望んでいたものであり、永遠の子供の感受性から逃れる酸素のようなものだった。彼女は彼のバラとなると同時に「星の王子さま」のバラにもなった。彼は初めて会ったとたんに彼女を妻にし、何度も別れがあったにもかかわらず、終わりを望まなかったこの愛に忠実を貫いた。
| - | 01:20 | comments(1) | - |
NPOカタリバとくみちゃん
今週末、一年半ぶりに会って、その後24時間以内にまた偶然会ったくみちゃん。



7年前に、高校生と大学生が語る「NPOカタリバ」を設立し、現在は登録スタッフ数3500名にもなり、都立高校の約四分の一にはカタリバのスタッフが派遣されたことがあるらしい。感慨深いなぁと思う。


2001.12.15 慶應大学にて

彼女との出会いは7年半ほど前にさかのぼる。9.11の後の沸騰していた時期、メディア寺子屋のスタッフをやっていた彼女は、自分のやりたいことはメディアとはちょっと違うんじゃないかと思っていたらしい。

ちょうどその頃大学四年生の冬、就職活動もあまり積極的にやっていなかった彼女は一緒にプロジェクトをやっていた仲間からも独立して、高校生と大学生が勉強や恋愛のことを語れる場所をつくりたいと思っていた。そんな頃に出会った。そしてどこにも就職することなく卒業して22歳の4月1日、周りの友達はみな真新しいスーツで入社式に望み、これからの社会人生活のキックオフをする日に、髪を短く切ってスーツを着て、一人でオフィスにやってきたときの顔は忘れられない。そのときのことは聞いたことがないけれども、相当な不安とプレッシャーがあったんじゃないかと思う。


2002.10.5 第一回カタリバ

高校をやめて以降、日本の教育のいけてなさに憤慨していた僕は、そんな彼女のことがほおっておけなくなりしばらくあれこれ手伝っていた。ウェブサイトつくったり、パンフレットつくったり、やっていることはいつも一緒のことだけれど。そんな彼女がNPOカタリバを設立したそもそもの理由を、昨日久しぶりに聞くことができて嬉しかった。

「私の地元の友達と話していると、昔だったら彼氏の文句、今だったら旦那の文句をいい、文句を言っているだけでなにもしない。だけど私はSFCに来て、とてもショックだったんです。SFCの人たちは、なにか問題があったら自分から行動して変えて行こうとする。私自身そんな風に変われたことがきっかけです。そして高校生がそんな風になれる場所をつくりたかった。」

そっかそっか。そうだった。このあいだ村井純がSFCだって書いたけれども、そういう側面も大きかった。SFCにはセルフモチベイテッドな、自分から問題やテーマを見つけて突き進んでいくことができる人がやたら多い。だから、そこにはじめて本当に仲間を見つけることができたと思ったんだ。彼女はまさにそんな時に出会った一人だ。

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NPOカタリバ http://www.katariba.net/
| ひと | 20:37 | comments(0) | - |