tamalog

Output and input from 1998 to 2010
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光の鳥居


明治神宮の入り口からここ数日、天空に向かって放たれる光の柱が見える。照明デザイナーの面出薫の作品だ。こういうのを見ていると、半世紀の昔、ドイツのニュルンベルクで行われたというナチス党大会を思い起こさせる。当然そのエピソードを知っての仕掛けであろう。



1934年のナチス党大会でヒトラーの建築家と言われたアルベルト・シュペーアは党大会の会場を国中からかき集めてきた150基の対空サーチライトで囲み、垂直に照射して光の大列柱を作り出したという。その演出は「光のカテドラル」と呼ばれ、女流監督レニ・リーフェンシュタールの撮った記録映画「意志の勝利」とともに、ナチスの栄光を全世界に印象づけた。



ベランダからは代々木公園を挟んでこんな風に見える。

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明治神宮御社殿復興50年記念「アカリウム」
http://www.meijijingu-anniversary.com/

アルベルト・シュペーア
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルベルト・シュペーア

デザインの窓 第2回 面出薫編
http://tamachan.jugem.jp/?eid=153

| - | 23:49 | comments(0) | - |
これが僕らの生き方なわけで
最近、サステナに関わりたいという希望を持った人で、とてもビジネスライクな世界の人がいる。ロジカルに物事を考え、練りに練って行動し、すべてを一元的に経済的なフィードバックを獲得しようとする姿勢はとても凄い、というか壮絶だな、と思う。しかし、その文化をそのままサステナに持ってこれるかどうか僕は少々懐疑的である。

その人がこれを読んでいようがいまいが関係なくここに書くが、そもそも僕が一番最初に働いていた会社は、マッキンゼーの元コンサルタントだった人が立ち上げたベンチャー企業で、朝は9時半に出勤、すべてのプロジェクトにコードネームを付けて、すべてを守秘義務契約で管理し、費用対効果を綿密に計算した上で仕事を進めていくという、資本主義社会では当たり前のことなのだろうけれど、経済をベースにガチガチに固めていくという仕事のスタイルが嫌だった。ので一年半でその会社を辞めたのでした。面白いことをやってるなー、と思いつつ、その違和感をその会社のトップにはとても当時の言語力では伝えることができなかった。今だったら正面切ってやり合うところだろうけれど、10年昔の自分はあまりにも未熟だった。

その後、その違和感を抱えつつ大学に行きはじめ、そしてセプテンバーイレブンが起きて、産業革命以来約200年続いた資本主義という考え方が、崩れ始めた瞬間だと思った。その後関わり始めたNPOという世界は、その名も示すとおりNon-Profit-Organization(「非」営利組織)という風に翻訳されてはいるものの、ここに経済的価値が流通すべきという思いから、サステナを立ち上げて以来現在まで、まったく経済的フィードバックのない(予算のない)仕事は受けていない。

けれどもあまりにゆるゆるやってきたとは思っているわけで、そこは是非ともただしていただけたらとは思っているけれど。ただ、そのまま経済システムを輸入してきても、それはもうたいそう時代遅れなのである。そこに関わる「人」のことがまったく考えられていない組織なんてただの工場でしかないじゃんか。

しかし、文化的価値観の相違っていうのは、大変なもんだなぁと思う。
| - | 23:34 | comments(0) | - |
自分の中に一匹カイブツを飼っている人
最近、もっぱらテンションコントローラーとして使っている茂木さんの講演MP3。朝に聴くことはとても有効ですが、深夜に聴いてしまうと眠れなくなるので要注意。

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本物のアーティストは毒を持ってるんですよ。自分の中に一匹カイブツを飼っている人でないとアーティストにはなれません。ただそれを他人にネガティブな感情で吐き出すだけでもやっぱりアーティストにはなれません。いかに自分の中の毒を美しいものに転換するか。白魔術なんですよ。ホワイトマジック。

茂木健一郎 クオリア日記
2008年6月22日横浜美術館レクチャーホール
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/06/post_8cb5.html
| - | 18:44 | comments(0) | - |
篤姫 敗者の美学
今年の大河ドラマが面白かったかどうかは置いておいて、テーマ設定は非常に興味深く思って今日まで見ている。いよいよ年末に向けて、あとは教科書通り倒幕という名の革命に突き進んでいくのだろうけれど、この革命という暴力的なまでの社会の劇的な変化について、歴史小説を読むたびに深く考えさせられるのが、革命を引き起こした側の論理ではなく、革命によって「時代から滅び去らねばならない側の立場」に立ったものたちの身の処し方の方に非常に興味深く、強く共感するものがある。

正直、明治維新における坂本龍馬や西郷隆盛などの革命派の人物を単純に評する風潮は、虫ずが走るほど嫌いだ。社会が大きく激動する時代に、そのうねりの中心になったものたちを単純に評価するのは安易すぎ、そして愚かだ。滅び行く側に立ったとき、その立場に立たされた人たちはなにを考え、どう行動したのか。

18世紀末、フランス革命における貴族たち「王党派」は革命が火蓋を切って4年目の1793年3月、フランス西部、ヴァンデ地方において大規模な反乱を起こし瞬く間にフランス西部が争乱状態となった。これに対して当時のフランスの立法機関である国民公会は「反乱軍に関わったもの全員を処刑する」という方針の下、反乱が鎮圧される1795年までの2年間の間にのべ30〜40万を虐殺することとなった。現在のフランスでもヴァンデの戦いについては「革命の闇の部分」としてタブー視されているという。

聖戦ヴァンデ 藤本ひとみ・角川文庫

また、日本の明治維新においても、壮絶な戦いを強いられたものたちがいた。江戸幕府の海軍奉行、榎本武揚は僕の中で明治維新の最大の英雄だ。彼は徳川慶喜が大政奉還を行った時点で、西洋式軍艦六隻を率いる日本最強の海軍を率いる立場であった。冷静に考えても幕府軍が負けるはずがなかった。が、しかし、彼の上官であった勝海舟は江戸城の無血開城を果たしてしまい、江戸城陥落後、勝の指令を無視して自分が指揮していた幕府海軍と奥羽越(現在の新潟、福島、山形、岩手、秋田、青森)での戦いに負けた藩士と旧幕臣達を率いて函館の五稜郭に集結、再起を図り、将軍徳川慶喜公を迎えて、大まじめに北海道に独立国を作ってしまおうとした。(この独立国づくりはかなり綿密な科学的見地による蝦夷地における食糧政策と、軍艦六隻による自国防衛戦略があった)この国際的にも認められた蝦夷共和国は、実際に慶應5年(蝦夷に立て籠もった人たちは、明治と元号が変わったことを知らなかった)まで存在し、新撰組の土方歳三はじめ、蝦夷に集まった人たちは海軍の旗艦開陽丸が沈み、一隻また一隻と軍艦が沈んでゆくにもかかわらず、自分自身の武士という「生き方」のために最後まで戦おうとするのである。

武揚伝 佐々木譲・中央公論新社

革命はいつもそれまで虐げられてきたものたちの恨みと怨念によって容赦なく行われるが、それ故に大義名分があろうとも、とても見苦しく惨い。敗者の側の身の処し方にこそ人の「生き方」の美学が色濃く浮き彫りにされるように思える。篤姫は、そんな時代の女性の生き方として描かれているのである。
| 日本の残像 | 00:15 | comments(0) | - |
real japan travels #02 day2「祖谷峡」+ アレックス・カー インタビュー
今回の旅の目的のひとつに、アレックス・カーに会うという目的があった。その人を学ぶには、その人と一緒に仕事をすることが、もっとも手っ取り早いというのが昔から常々思っていることなので、前回撮影した写真をベースにいろいろと作って持っていってみた。やっぱり現物を見てもらうのが、どんなプレゼンテーションをするより話が早い。

そんなアレックスに皆でいろいろと聞いてみた。



Alex
日本の古い建物は目的なしの再生を行ってしまっている。飲食禁止や時間制限が設けられていて使えなくなってしまういわば死んだ博物館だよ。今の人々が泊まりたいような宿泊施設ではなくて、目的があって作られても最後には結局誰も使えないものとなってしまう。勉強不足でやってしまって後戻りがきかないか、あるいは蓋を開けたら使えない。

Q
「日本的」と呼ばれるものは不便なものが多いのが実状だと思うのですが?

Alex
住みにくいと思うのは改築する技術がしっかりとしていないから。技術なしのゼネコン。古い家を現代に持ってくるということを京都の町屋で試みているんです。たとえばボストンは京都より木造建築が多い。それはなぜかというと技術を用いているから。不便、というのは言い訳にすぎない。要は勉強不足。新築にするのが文明だという先入観があるんですね。現状のままでの日本古民家なんて住めたものではないんですよ。たとえば改修していない京町家のお風呂はまるでホラー映画の世界。現代の人々が「昔ながら」を受け付けないのは当然であって、それにはおじいちゃんやおばあちゃんが時代に対応する知恵を持っていなかっただけで、今の技術でならやり直せるはずですよ。



Q
私は学生時代に京都の町屋で生活をしてみたり着物で大学に通ってみたりもしたがどこか違和感があった。まるでコスプレのように。

Alex
そうですね、やはり限界がある。現代的なのはもちろん欲しい。しかし、かといって昔のものを壊してしまったら二度と同じものはできない。ヨーロッパでは歴史的なものがちゃんと保存されている、だからといってかつての貴族のように大きなカツラを頭にのっけて生活しているわけではないよ。わたしは三年ほどオックスフォードの寮で暮らしていましたが、石壁が1メートルくらいあって、ものすごく分厚いんだけど、壁に水道管を通すのは大変だったりするわけで、一方で日本の家屋はそれに比べて時代に適応できるものがたくさんある。日本の木造家屋にしても。まぁこのお話はCHIORIでは実感し難いでしょうが、京都のIORIでの方がわかりやすいと思います、IORIは100年以上経っている町屋を改築して、とてもエレガント。

小値賀(長崎県)では二年後に、8軒の古民家の改装を予定している。根本構造を変えないのを約束として設計士と相談しているんだけど、いかに現代的にできるかがポイントになる。日本の古民家は暗さとの闘いですが、天窓を入れたりすると明るくなる。それでいて味は消えない。



Q
やはり改築には莫大な予算がかかるのではないでしょうか?

Alex
そうですね。まず無駄が多すぎるんです。昔の手仕事といっても全部をそれでやるわけではない。たとえば断熱材もいれる。なぜなら資料館を作るわけではなく「家」を作るのですから。最近は京都で町屋専門のゼネコンができていて知恵ができはじめた。今の日本に足りないのは古いものへの理解と新しさ。

Q
何が「新しい」のかわからないというのがあると思うのですが。

Alex
それは不勉強な証拠です。僕はアジアのリゾートホテルをまわったりして枕の置き方ひとつとってもたくさん勉強をしてきました。そこにはちゃんと哲学があり美学がある。彼らは本当のニーズをわかっている。たとえばアマンリゾートなんかはいい見本になります。インドネシア人のオーナーさんが言うには、サービスは特別に素晴らしいわけではないけれど余分なサービスを省いたのがよかった、と。本当にお客さんが必要としているもの例えばインターネットなどを完備していることなども大切な要素です。しかしIORIのインターネットはワイヤレスで、CHIORIはケーブルのまま。お金なくて大変なんですよ(笑)。とまぁアマンには特別な美学があり、妥協をしない。そうするとお客さんが安心する。あるいは小さな家にバックパッカーが泊まれるようにしたり、安いからといって、ちゃっちくしないで要は簡略化したつくりにしたり。小値賀は素晴らしいですよ。島にはいろいろなものがある。浜や港、無人島、昔の天主堂もある。一軒につきレンタカーがひとつつく。すると泊まりながらあちこちにまわれるんです。マイホームからマイアイランドへ。



Q
例えば軽井沢にある「星のや」のようなものでしょうか?

Alex
いや小値賀はもっと素朴ですよ。結婚式場やらなにやら置いたら、、、ねぇ。小値賀ならではの世界。

Q
そういう施設と地元の人はいかに関係を結んでいくのでしょうか?日常生活に根付かせるためには?

Alex
外部の人がやって来ないかぎり、地元の人だけで(良い部分を残したまま建物を改修したりすること)はなかなか難しいでしょうね。でも外部から人が来ることによって職業が生まれ過疎化に歯止めをかけることができ、地元は(経済的に)潤うんです。地元の人にその良さを伝えても無理がある。残念だけれどそういうことは現実的に、リアルに考えなければだめです。「田舎のリサイクル」というのがあるでしょう。日本はお金をかけて守ろうとしすぎていて、でもそれには限界がある。その意味でリサイクル。外部の人の力によって変える、そして地元は恩恵を被ることができる。

http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/tags/祖谷/

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小値賀町 - wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/小値賀町

アマンリゾート - flicker
http://www.flickr.com/search/?w=all&q=Amanresorts&m=text

alex-kerr.com|美しき日本の残像
http://www.alex-kerr.com/jp/
| real japan travels | 15:52 | comments(1) | - |
東京にいなければならない理由って
一昨日、たまたま一緒に食事をした20代前半の若者は、東京にいなければならない理由について「食っていかなきゃならないですか」と、言った。そうだ。20代前半の頃は食っていくことに必死だった。東京にいれば仕事がある、ように思える。衣服の延長線上として、都市は発達してきたと、都市計画の専門家は誰でも言うだろう。・・・なんだろうこの幻想は。

東京にいれば友達がいる。・・・そうかな?昔、仲がよかった友人は皆ヨーロッパにアメリカに、名古屋に京都に大阪に、と遠くへ行ってしまった。でもね、そういうことじゃないんだよね。

「生き方」の問題なのです。

最近友達になったデザイナーの女の子は、東京に居つつも目の前は鬱蒼とした竹林に囲まれて、家の中に大きな大きな蜘蛛が住んでいて(これがまたとても足が長い・・・)彼の抜け殻について説明してくれた。近所には古民家がたくさん保存されている世田谷区営の古民家村があって、近所の畑からとれた野菜を食べて生活していた。家の中に蜘蛛があるいていたら、気持ち悪いと思う人もいるだろうし、僕も正直苦手だが、自然と共存するっていうのはこういうことだろうなあと思うわけで、これはかなり東京都内でできる20代のライフスタイルの一つの極みだなと思った。

倉敷で泊まった町屋はたったたたみ六畳しかないんだけれど、廊下が縁側になっていて、ちょっと高台にあるから倉敷の瓦屋根が延々と続く風景が見えていて、お風呂とキッチンは新品。まさにいま探している部屋のスペックそのものだった。でもここは倉敷。東京>倉敷間の新幹線代は片道で16,860円。往復で33,720円。じゃあ東京に、ってそんな物件あるわけないんですね。しかし瀬戸内はいい!いずれ住みたい。尾道あたりの海岸線から見える多島海の風景にはかなわない。

一年前の夏に京都で町家を借りる寸前までいって、いろいろとあってとりやめたんだけれど。京都には大きな町屋を二人で借りて、二階をオープンスペースとして「一見さんお断りコミュニティ」をやっている友達がいる。彼らにはあまりプライバシーがないがしかし、突然やってきた友達(とその繋がりの人々)を受け入れて、三年間で何百人ものネットワークができたという。でも、京都の盆地特有の夏は容赦なく暑く、冬の比叡山から吹いてくる風は湿っていてとても冷たく、寒い。

はたまた、僕の友人で唯一20代で家を建てた人がいる。彼は岐阜の田舎に、しかし田舎とはとても思えないくらいコンピュータに囲まれてはいるが、大学を卒業すると実家の隣に家を建てて、たくさんの部屋を持てあましつつも日々持ち込まれるたくさんのエンジニアリングの相談にのって生活している。田舎に拠点を持ちつつも、電話をするとよく東京にいたりするフットワークさを備えつつ、田舎に拠点を持つことができているのは、彼の両親をはじめとする地域のネットワークがあるからこそではあると思うが、これはこれで一つの方法だ。

最近、どれだけか近所の不動産物件を見てまわったけど、どれひとつとして腑に落ちないのは、結局そもそもの「生き方」の部分が腑に落ちてないからなんだろうなあ、というところまではわかってきているのだけれど。
| 無意識の意識化 | 15:16 | comments(0) | - |
mogi-log
でも結局、トンネルとか地下とかで電波が切れちゃうので、アイフォンに入れておくのが一番だったのであった。

| - | 16:44 | comments(0) | - |
real japan travels #02 day1「倉敷」













http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/tags/倉敷/
| real japan travels | 15:54 | comments(0) | - |
新幹線の中での新しい過ごし方
久々にインターネットの良さを感じる出来事があった。仲間との旅の途中、名古屋から倉敷までの長時間の車での移動中にアイフォンを車のスピーカーに繋いで、延々とJ-POPを聞く。J-POPってのはその曲自体の良さがどうのではなく、相対的な個々人の経験のフィードバックとなる香水みたいなものだねと思いつつ、3時間も経って飽きてきたころ、たまたま入れてあった茂木さんの講演録を流してみた。これはいいですねー。まとまって1時間以上の移動時間があったら大変オススメです。もちろんコミュニティにもよりますが。これはこれでなかなか良い発見をしたなと思いました。

ところがそれだけではないのである。これは元々、茂木さんのブログからあらかじめダウンロードしておいたMP3ファイルを、コンピュータ経由でアイフォンに入れておいたものだ。しかし、日々茂木さんは膨大な数の講演をこなし数は着々と増えている。そこで、アイフォンから直接茂木さんのブログにアクセスし、最新の講演ファイルをおもむろに指でタップしてみると。なんとなんと、そのままストリーミング再生が始まるではないか!

このような体験はいままで存在したデバイスでも相当頑張ればできたのかもしれない。ポケットサイズのコンピュータに月々5千円でも払ってイーモバイルでも繋げばできただろう。しかしこういうことが「現実的に」簡単にできるようになったことによって、ブログによる個人情報発信にますますメディアとしての力が増えてきたなと、そんな世界をちょっと垣間見たのでした。一度はコケおろしたけども、アイフォンてのはやっぱり未来を作ってるなぁ、と思いなおしたのでした。

茂木さんに限らず、授業や講演ていうのは、話を聞き入るってことより、聞きながら他のことを考えたりまとめたりするのにとても効果的。なんだか筆がよく進むようになるのです。ただし、関西に行くと関西弁が移りそうになるのと同じような感覚で、講演者の喋り口調が文体にもろに反映されてしまうという問題もありますが。

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茂木健一郎 クオリア日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
| - | 23:57 | comments(0) | - |
人間が幸福であるための条件
いま、これが最も悩ましく、ハマっている難題。

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人間が幸福であるための条件 茂木健一郎

人間は、さまざまな機器やシステムがうまく動くためにはどのような条件を整えればいいか、客観的かつ合理的に判断する能力を持っている。たとえば、コンピュータが快適に動く環境がどのようなものか、それはわかっている。

・計算速度の速いCPUを搭載していること。
・大容量のハードディスクを内蔵していること。
・インターネットと大容量の回線でつながっていること。
・安定した電源が供給されること。

そのような条件を整えさえすれば、コンピュータは快適に機能してくれる。同じように、人間の幸福のために必要なファクターは、案外とはっきりしたものだ。

・たとえば、大きな広々とした空間のある家。
・家族や、心の通い合う友人たちや、あるいは恋人と過ごすゆったりとした時間。
・好きな時に、好きな場所に行ける手段と余裕があること。
・将来の目標についてある程度の展望があり、その目標に向かって、少しずつでも進んでいるという感覚のあること。

ちょうど、どのような環境を整えればコンピュータが快適に働くかがわかれば、後はそのような条件を整えることに努めればいいように、人間が幸福であるための条件がわかっているのならば、後は、そのような条件を整えるように努力すればよい。
だが、人間の場合、なぜかことはそのように簡単にはいかない。なぜならば、私たちは、どんなに幸福な環境に置かれたとしても、次のような質問をしてしまうからだ。

・たとえ物質的に満たされていても、必ずしも幸せとは言えないのではないか?
・私はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
・人間は、死ぬとどこへ行くのか?
・人生の究極の目的は何なのか?
・人間の行動規範を決定する、価値基準の究極の根拠は何なのか?

残念ながら、このような質問には、機能主義的な、「割り切った」態度で答えることができない。このような質問は、結局のところ、処方箋が書けないことこそが特徴だからだ。ところで、このような質問をしてしまうのも、私たち人間が「心」をもっているからだ。

私たちは「心」を持っていて、広い世界の中で、自分の心だけが特別な存在であると確信しているからだ。このような「私」、「私の心」に対するこだわりが、人間が幸福になるための条件を、とてつもなく難しいものにしている。

「生きて死ぬ私」ちくま文庫 P.40
| - | 01:43 | comments(0) | - |