tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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いきたいところ
いきたいけどいってない。ところ。
アップデートしました。

・-NEW- 九州デザイナーズ電車に乗る旅
-NEW- 堺市立文化館 アルフォンス・ミュシャ館(大阪府堺市)
-NEW- ほったらかし温泉(山梨県山梨市)
-NEW- 吉村医院(愛知県岡崎市)
「崖の上のポニョ」の舞台だっていう鞆の浦(広島県福山市)
犬島アートプロジェクト(岡山県岡山市)
ロサンゼルス郡美術館 日本館 THE PRICE COLLECTION(L.A)
イサム・ノグチ庭園美術館(N.Y)
モエレ沼公園(北海道札幌市)
養老天命反転地(岐阜県養老町)
香港にあるSHANGHAI TANGの本店
・白谷雲水峡(鹿児島県熊毛郡屋久島町)
金沢21世紀美術館(石川県金沢市)
星のや(長野県軽井沢町)
旧日向邸 ブルーノタウト・熱海の家
こいずみ道具店(東京都国立市)
紅葉の修学院離宮(京都市左京区)


倉敷町屋トラスト(岡山県倉敷市) → 2008.10.16 complete
イサム・ノグチ庭園美術館(香川県牟礼町) → 2008.10.02 complete
アレックス・カーがつくったちいおり(徳島県三好市) → 2008.09.29 complete
北大路魯山人邸 春風萬里荘(茨城県笠間市) → 2008.09.06 complete
STARNET(栃木県益子町) → 2008.08.05 complete
長野県信濃美術館・東山魁夷館(長野県長野市) → 2008.07.12 complete
東福寺 龍吟庵庭園(京都市伏見区) → 2008.05.03 complete
重森三玲邸庭園(京都市左京区) → 2008.03.24 complete
伊勢神宮(三重県伊勢市) → 2007.11.23 complete
庵プロジェクト(京都市下京区) → 2007.10.02 complete
ベネッセアートサイト直島(香川県直島町) → 2007.8.16 complete
NHKスペシャルで見た琵琶湖沿いの里山の風景(滋賀県高島市) → 2007.08.09 complete
花想容(東京都豊島区) → 2007.03.14 complete
HIGASHIYA(東京都目黒区) → 2007.02.24 complete
旧白洲邸 武相荘(東京都町田市) → 2007.02.11 complete
東京都産の食材のみを使った和食屋 Tてぃ(東京都港区)
| - | 23:58 | comments(1) | - |
いよいよ面白くなってきたな
もっとも生きていくことがしんどかった28歳が終わって、もうとにかくとんでもない嵐をやり過ごしたなぁー、と、すべてを年齢のせいにしてひとここちついた気分なのですが、リハビリ気分も束の間、怒濤の如く追い風がやってきつつあるという感じがあります。というのも、全面機能停止していた一年間というか、もっともっと、2005年くらいからほおっておいた仕事達が、あまり明確な成果も出せずにいるということが見えてきてしまって、よくもまぁ、というくらい呆れる状況になっているではありませんか。

それはともかく、もっと凄い追い風が来ているんじゃないかと、薄々感じつつあります。今年9月に起きたという金融経済危機がどういう意味を持つものなのかが、すこしづつではあるけれどどのように捉えるべきことなのかを理解しつつあります。

ここ数ヶ月、金融危機と叫ばれて、景気が悪いと言われて、おまえのところはだいじょうぶか!?と言われるたびに、他人事のように感じていて、言いようのない違和感を感じていたのでした。しかし、よくよく考えてもみたら、金融危機が起きてバタバタとつぶれていく会社というのは、本当の意味で人間に向き合ってこなかった業界ばかりじゃないかと思うのです。金融業界、不動産業界、三井住友銀行、みずほ銀行。最近では、電通、博報堂までもっていうような噂話も耳にするようになった。そんな会社、なくなったってそもそも仕方がない。そのような会社にお勤めになっていた方には申し訳ないけれど。そもそもそんな経済一辺倒な世界にはいないので、大丈夫か?と心配されるたびに、一緒にしないでくれよ、と思うのです。

そして金融危機の流れとしてオルタナティブが採用されるようになった。考えられもしなかった黒人のアメリカ大統領が誕生することになった。このようなオルタナティブは、なにもアメリカの大統領選挙だけの話にとどまらず、いままでマイノリティとされてきた考え方が採用されたり、もっと具体的に言えば金にならないから不採用、みたいなかつてであったら捨てられてしまった(今の資本主義社会の上での表層的な環境ムーブメントではない本質的な)環境ネイティブな考え方が、いよいよポスト資本主義として台頭してくるようなことが起きるかもしれなかったり、前述の水戸岡さんのように密かに地方でやられてきた活動のような、いよいよ資本主義の論理では説明のつかない心地よさに価値が置かれるようになるかもしれないわけです。2001年あたりから見え隠れしていた社会の変革が、こうして動き始めるのか!とリアリティを持ちつつある。なるほど、一度とことんまで壊れるところまで行かなければ、変わり始めたりはしないのだなと。

世の中暗くなっていくどころか、いよいよ面白くなってきたな、と思うのですが。
| 無意識の意識化 | 00:31 | comments(0) | - |
地球大学クリエイティブ 第3回 水戸岡鋭治「旅の経験をデザインする」
この記事は、http://tamalog.ciao.jp/creative03_mitooka/へ移動しました。
| ログ | 00:26 | comments(8) | - |
瀬戸内国際芸術祭 2010年7月19日 - 10月31日


一年くらい前からマークしてきた瀬戸内国際芸術祭の会期が先日発表された。詳しくはmixiにコミュニティをつくったのでこっちを見るべし。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=3842804

最近、瀬戸内はかなりホットな地域になりつつあると見ている。もともとあったイサム・ノグチ庭園美術館の存在。日本中でもほとんど唯一の浦(昔ながら漁港)の要素をとどめている、鞆の浦の景観。それにアレックス・カーの祖谷の古民家がある。そしてそれらの中心が、直島を中心とした7つの島で開催されるという芸術祭だと思います。これらを有機的に、ボトムアップに結びつけることができたら、文化、芸術を中心とした、地域再生モデルのひとつのありかたとして大きな力を持つなと、感じつつあります。

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鞆の浦
http://tamachan.jugem.jp/?eid=317

イサム・ノグチ庭園美術館
http://tamachan.jugem.jp/?eid=453

アレックス・カーの桃源郷「ちいおり」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=452

瀬戸内国際芸術祭について、プロデューサー福武總一郎氏の発言 2007年10月1日
http://tamachan.jugem.jp/?eid=355

瀬戸内国際芸術祭について、ディレクター北川フラム氏の発言 2007年12月8日
http://tamachan.jugem.jp/?eid=375
| - | 03:01 | comments(0) | - |
地球映像アート BELLA GAIA


地球系はだいぶ食傷気味だったので、大変ご無沙汰であったのだけれど、greenzの鈴木奈央さんが新しいことをやるというので彼の開催するプレビュー上映会を見に行ったもの。これ、不都合な真実でアル・ゴアのスピーチの裏に流れていた映像というと、おわかりいただけると思う。とにかくまずは映像を見るべしである。

QuickTimeによる映像 High Resolution 720px x 405px

これをプラネタリウムのような球体の裏側全面にHDクラスの解像度でド迫力に映し出して、この映像をつくったアーティスト、KENJI WILLIAMSが自らバイオリンを生で演奏するのである。それに今回はプラネタリウム・メガスターとのコラボレーションだったが、英語のサイトを見てみると、インドにズームしたところでインド人のダンサーともコラボレーションしていたり、要するにデジタル技術を駆使した地球映像アーティストKENJI WILLIAMSとのコラボレーションライブアートなんだろう、と理解した。





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BELLA GAIA
http://bellagaia.com/
| - | 00:34 | comments(0) | - |
解り合うということ
今年はどうしても篤姫ネタが多くなってしまうが、今年の作品ほど、桜田門外の変を美しく描いた大河ドラマはなかっただろう。いまさらだけれど、8月10日放送の第32回はたぶん、最もよかった。あの1話だけはやたらクオリティが高くて、映画のハイライトシーンでも見ているかのように食い入ってしまった。何度でも、何度見てもいい。

史実、天璋院と井伊直弼が話し合ったかどうかは定かではないけれど、従来ならば多くの維新志士を育てた吉田松陰を殺していたりと、井伊直弼は悪逆非道を尽くした悪役として暗殺されたことを嬉々として語られてきたが、彼は彼なりの立場として役割を演じた、考え抜いた果ての抜き差しならない仮説があって、それを信じて貫くことが彼の生き様だったわけだ。

悪逆非道を諫めようとして井伊直弼を呼び出した天璋院は、茶の湯の席で彼の話を聞いてゆくうちに彼の、江戸幕府の存続のためにわざわざ悪役をかって出ているその立場を理解する。井伊直弼も自分の汚れた手でつくった茶を美味しいと素直に喜び、話を聞いてくれた天璋院に心を開きかけていた。そしてまた私に茶を出してはくれぬかと言って、別れるが二度とその機会は無く、3月3日に桜田門外で暗殺された。

井伊直弼落命の報せを聞いて、天璋院は「これから、もしかしたら解り合い、手を携えられたかもしれなかったのに・・・」と呟いて終わる。一期一会、もしかしたら解り合える相手であっても、それに気がついた時は、もはや手遅れなのでした。

なんだろう、脚本家が上手いのかな。このことはとても人生の本質を描いているようで、解り合えぬことにもがき苦しんでいたあの時に、ささやかなヒントを貰ったような気がした。
| 日本の残像 | 03:01 | comments(0) | - |
MACKINTOSH


今年のコートはなににしようかなあと思いつつ、やはり惹かれるのはMACKINTOSHであった。MACKINTOSHのコートの美しいラインに勝るコートは存在しないだろう。MACKINTOSHといえばマットなブラックだったりネイビーだったりっていう地味な柄ばかりだと思っていたけれど、2008年のモデルにチェック柄があって買ってしまいそう。

MACKINTOSHは、アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であるチャールズ・レニー・マッキントッシュの意志を引き継いだというブランドだ。アール・ヌーヴォー好きにはたまらない。

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チャールズ・レニー・マッキントッシュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/チャールズ・レニー・マッキントッシュ

アーツ・アンド・クラフツ運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/アーツ・アンド・クラフツ運動
| 買物三昧 | 00:38 | comments(0) | - |
NHKスペシャル デジタルネイティブ
番組の内容としては、インターネットを通じて会ったこともないデザイナーにカードゲームのデザインを発注し、州の助成金で報酬を支払い、1000万円の売り上げをあげた13歳の少年を取り上げていたり、負の部分では、13歳から18歳までの5年間、ネット上で自分の裸のライブ映像を売っていた少年を取り上げていたり、日本では株式公開に走らず、先行者利益を受け取らなかった、資本の論理にとらわれない新しい世代のベンチャー企業として、京都のはてなをとりあげていたりという内容であった。僕らの親の世代にはまったく理解できないという世界としてデジタルネイティブ世代が生まれつつあるという。

番組を見ていて、いろいろと思うことがあった。ここに取り上げられていたような前向きな幻想を90年代の後半の時期は本気で思っていたこと。インターネットは、まったく新しい世界であったこと。SFCは日本におけるまさにそのデジタルネイティブたちの第一世代のコミュニティであったこと。90年代のネット上での出会いは、大学教授がいたり、通産官僚がいたり、リアル社会の縮図だった。けども2000年を過ぎたくらいからだろうか、急激に日本のインターネットを使えば使うほど世界が狭くなっていくんじゃないかと感じ始めた。今となってみれば、SFCからは学ぶ物も多かったが、やはりエスタブリッシュメントジュニア達のネットワークでしかなかったし、はてなはデジタルおたくのコミュニティにしか見えない。日本のマスコミの無能っぷりよりは多少はマシなので2ちゃんねるをのぞきに行くこともたまにはあるが、基本的にあの無意識たれながしっぷりの惨状には目も当てられない。

情報通信など所詮道具である。インターネットをツールとして使いこなすことは、もはや必須スキルであると同時に、学生のうちにさんざんやり尽くしておくべきことであって、そのことすら理解できない上の世代はもはや論外であるのだけれども、そこに理想を見いだそうとすることも、もはや上の世代の幻想である。使いこなすことが当たり前の上で、それをなにに使うかということについては、やっぱりフットワークで探すしかないと思う。冒頭に出てきたインドの13歳の少年は、デジタルの世界観におけるネイティブだから凄いのではなくて、彼の行動力がもの凄いからなんだと思いますが。

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NHKスペシャル デジタルネイティブ
http://www.nhk.or.jp/digitalnative/
| - | 01:23 | comments(0) | - |
久々にアメリカがまぶしかった日
セプテンバー・イレブンが起きてツインタワーの崩壊を見て、それがどういうことか、を知って、それまで当たり前であった価値観がボロボロと崩れ去ってからしばらくは、資本主義の象徴としてのアメリカという国が嫌いで嫌いでたまらなかった。アメリカを、資本主義を忌み嫌うことが世の流れであるかのようだった。

しかし最近、やたらと目の前に出てくる。東洋文化研究家のアレックス・カーにしても、彫刻家のイサム・ノグチにしても、伊藤若冲のコレクターのジョー・プライスにしても、その彼に日本の自然を教えた建築家のフランク・ロイド・ライトにしても、日本の文化をよりよく知っている外国人に、やたらアメリカ人が多いのである。これはどういうことだろうと思っていたけれど、たぶんアメリカ人のフロンティアスピリットというか、新しいことに怖れずにチャレンジしていく精神なのだろうと思った。その感性が日本の文化に向けられたとき、新しくモダンなものとしての日本文化の追求が始まるのだと、最近はそのように理解することにしている。

黒人が大統領になるというようなことは、たぶん日本の政治ではこれからも起こらないだろう。既成概念にチャレンジしていくことができる、不可能だと思われていたことに挑戦することで報われる文化をつくり上げていることに、今日ほど羨ましく思ったことはない。

ラジオで、とある「経済識者」がこんなことを言っていた。「オバマはうさんくさいんですよ。この状況は1920年代、世界恐慌のあとに、アドルフ・ヒトラーが現れたときととてもよく似ているんですよね、彼も民主的な手続きを経て世に現れたのだから」と。なんの識者かは知らないが、そんな100年前の歴史をそのまま当てはめてなにがわかるというんだ。食うためになんでもかんでも言えばいいと思っている識者など消えてしまえ。

実際問題アメリカがどう変わろうとも、不可能と言われていたことが可能になった、ということだけで、それはもう歴史的な変化なのである。
| - | 23:01 | comments(0) | - |