tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
選択式にっぽん
去年のある一時期、一番欲しかったものは、すべてお金では買えなかったときがあった。お金で買えるって、どういうことだろう?

江戸時代の遊郭には、なにか非常に憧れるものがある。遊郭の場合は、現在の風俗とはまったく違い、女性側に拒否権みたいなのものがあって、お金のやりとりは前提だけれど、関係性にきわめて恋愛に近いものがあったのだって。愛情をお金で買うことは、究極のパラドックスだと思う。つまり、それが現在は存在しないっていうか、お金のやりとりのみになっているというつまらなさ。

どんどん記号化している。
すべてが交換可能という前提のつまらなさ。
選択することしかできないことのつまらなさ。
恋愛も選択式になっていることのつまらさな。
仕事も選択式。キャリアも選択式。
そんなものはまとめて洗濯しちまえ(笑)

恋愛も選択式なのだ。結婚式とか、もう、最悪。結婚式屋と式場儲からせるだけの仕組みになってるところが。クリスマスにバレンタイン。挙げ句の果てには恋愛していないとやばいんじゃないかっていう恐怖感。あおるあおる。あおっている当事者ですら、あおられているという本末転倒な状況。紋切り型を、いちいち言ってるときりがないけどさ。

そのつまらなさに気が付くきっかけって、人それぞれいろいろあるんだろう。今日出会った京大生のチベット研究者は、それを「チベットで出会った僧侶がお祈りしているのを見て目覚めた」と言っていた。祈りが、力強かったんだって。すごく自分がひ弱に思ったって。つまり、資本にまみれた世界観から、チベット仏教を見たときの強烈なショックが。相対的にギャップが大きかったわけだ。

それって僕の場合は若仲の絵に出会った時だね。僕がいままでやってきた仕事は、多かれ少なかれ、資本主義のくくりにおいての、価値のやりとりの中での、つまり大量生産大量消費システムの「ための」製作技術でしかなかったことに、そのとき決定的にうちのめされたのね。

チベットの僧侶の祈りの力強さって、そりゃあ当然ですよ。
キューバ独立の意志の強さって、そりゃあ当然ですよ。
江戸時代の日本画のが、いまのデザインより美しく感じるのも当然ですよ。

そんな選択式の世の中で「お金を稼ぐ」ということに最適化すれば、そりゃあ稼げるだろうよ。一晩の麻雀で家賃が稼げるらしい。それができるスキルが凄いのだが、三人でグルになって、金持ちをカモるという素晴らしい戦法らしい。

で、・・・・アメリカの政府って、つまりそういうことでしょ?
カモる相手は金持ちではなくて、その反対側ってところがミソですが。

結局、「なにを至上のもの」とするか

エーリッヒ・フロム「愛するということ」なんかそれにぜーんぶ書いてあった気がする。如何にして生きるかという基本的概念が。愛とかって綺麗事としてしか、それまでは認識していなかったんだけどね。やっぱり、価値交換手段として、基本中の基本なのだよね。その場合、価値「交換」ではないのだけれど「価値循環システム」とでも言おうか。それは、どう返ってくるかを、想定してはならないという大前提があって。

その上で「与える」。

その本の中で、親子愛、兄弟愛、恋愛、みたいに、項目が定義されている。すごいね、ユダヤ人てのは。フロムはやはりユダヤの民なのですよ。だからこそ、愛というものを、そこまで考えるにふさわしい民族だと思う。ユダヤ人てのは最も愛という概念がいま、必要な民族なんじゃあないですかね。だから、村上春樹の演説でエーリッヒ・フロムを思い出さざるをえなかった。

チベットには、それがあふれてるのかな。ダライ・ラマ14世の魅力って、まさにそこだものね。

岡崎吉村医院の吉村先生がやばいなーって思ったのは、出産もまた記号化されてるってことを、商売ベースで紋切り型でアルファベットだって言い切ってるとこなのだよね。

アレックス・カーは、日本の住宅に、文化に、それを言っているわけでしょう。
宮崎駿は、風の谷のナウシカで、いわゆるところの生物多様性に、それを言っているわけでしょう。
ミヒャエル・エンデはお金に対して、つまり交換経済に対して、それを言っているわけでしょう。
水戸岡鋭治は、工業デザインに対して、それを言っているわけでしょう。

現代生きているか、死んだ直後くらいの人で「すごいなーっ」って最近思う人は、みな、そういう共通の同じ未来を見ているのだよね。その未来感を共有している人が、いまもっとも素敵だなあと思うわけで。

僕はまずはそれを一個一個実践していきたい。家づくりはその最初の最初の一歩だ。
| 無意識の意識化 | 05:43 | comments(2) | - |
村上春樹のエルサレムでの演説 ”Always on the side of the egg”
事の発端は、小説家、村上春樹氏にエルサレム市から「エルサレム賞」という文学賞が贈られることになったことだった。これに対し、日本の(一部の?どのくらいの規模かはわからない)NGOは一斉に反発し、受賞を辞退するよう村上氏を説得にかかった。日本のNGOからは「辞退しなければ村上小説の不買運動を始めるぞ」というところまで発展。

しかし、彼はイスラエルに行き、授賞式の壇上、以下のような演説を行ったのでした。youtubeで検索すると、日本のマスメディアによるニュース報道が見られます。

僕がこのことに関しては。言わずもがな、件のNGOのとった行動、つまり「常に最悪の場合を想定すること」からはなにも生まれない、ということが、非常に象徴的だなと思ってさ。それから、それまでの受賞者のようにビデオレターで反発とかではなくって、行ってそこでリアルに話すって、愛があるよね。相手に入り込む行動だから。

---

”Always on the side of the egg”
『常に卵の側に』

So I have come to Jerusalem. I have come as a novelist, that is - a spinner of lies."
今、僕はエルサレムにやって来ました。小説家、すなわち嘘の紡ぎ手として。

Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.
嘘をつくのは小説家だけではありません。政治家も――失礼、大統領閣下――外交官も嘘をつきます。でも、小説家は他の人たちとは少し違っています。僕たちは嘘をついたことで追及を受けたりしません。賞賛されるのです。しかも、その嘘が大きくて立派であるほど、賞賛も大きくなります。

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.
僕たちの嘘と彼らの嘘との違いは、僕たちの嘘は真実を明るみに運び出すためのものだ、ということです。真実をそっくりそのままの形で把握するのは難しいことです。だから僕たちはそれをフィクションという形に変換するのです。でもまず手始めに、自分たち自身の中のどこに真実が潜んでいるかを明らかにしなければなりません。

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.
今日、僕は真実をお話ししようと思います。僕が嘘をつくことに従事しないのは年に数日だけですが、今日はそのうちの一日なんです。

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here 
受賞の申し出を受けたとき、僕はエルサレムへ行かないようにという警告を受けました。

I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side? and that I endorsed the policy of a nation that chose to unleash its overwhelming military power.
僕は自問自答しました。イスラエルに行くのは適切なことだろうか? 当事者の一方を支持することにならないだろうか? そして、圧倒的な軍事力を解き放つという選択を下した国家の政策を是認することになってしまわないだろうかと。

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands, so I chose to see, I chose to speak here rather than say nothing. So here is what I have come to say.
考えた末に、僕は来ることに決めました。たいていの小説家と同じように、僕もまた、人から言われたのと正反対のことをするのが好きなんです。やれやれ、これは小説家としての性みたいなものですね。小説家というのは、自分の目で見て、自分の手で触れたものしか信じることができないんです。だから僕は、自分の目で見ることを選びました。黙っているよりも、ここへ来て話すことを選びました。

It is something I keep in my mind, always keep in my mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall, rather it is carved into the wall of my mind. It goes something like this-
それは、僕がいつも心に留めていることです。小説を書くとき、いつも心に留めていることです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはありませんが、僕の心の壁には刻まれています。言ってみれば、こういうことです――

"If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg”
『硬くて高い壁と、そこにぶつかって行く一個の卵があったとしたら、たとえ壁がどんなに正しくても、卵がどんなに間違っていたとしても、僕は卵の側に立つ』

each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which sometimes takes on a life of its own and it begins to kill us and cause us to kill others coldly, efficiently and systematically.
僕らはみんな、一人ひとりが一個の卵なのです。壊れやすい殻に入った、唯一無二の魂なのです。僕らはみんな、高い壁に立ち向かっています。壁とはつまりシステムのことです。しばしば一人歩きを始めて、私たちを殺したり、冷たく、効率的に、システマティックに他人を殺すように、私たちに仕向けたりするシステムのことです。

I have only one purpose in writing novels. That is to draw out the unique dignity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.
僕にとって、小説を書く目的はひとつだけです。それは、個人が持つ独自の尊厳を引き出すことです。独自性を満たし、システムにからめ取られないようにすることです。だから――僕は、生命の物語を、愛の物語を、人を笑わせ、泣かせる物語を書くのです。

To all appearances, we have no hope...the wall is too high and too strong...If we have any hope of victory at all, it will have to come from our utter uniqueness.
見た限りでは、私たちには希望が無いように思えます。壁はあまりに高く、あまりに強い。もし私たちに勝利への何らかの希望があるとすれば、それは私たちの完全なる独自性を信じることと魂を結び合う温もりから来るものでなければならないでしょう。

Each of us possesses a tangible living soul. The system has no such thing.We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.
私たちひとりひとりには、形ある、生きた魂があります。システムにはそんなものはありません。システムに私たちをコントロールさせてはいけないのです。システムが私たちを作るのではありません。私たちこそがシステムを作ったのです。

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.
イスラエルの皆さん、僕の本を読んでくださったことに感謝します。僕たちが意義のある何かを共有できていることを望みます。あなたたちこそ、僕がここへ来た最大の理由です。

ソース:Les vacances de Monsieur Keitaro
http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406

原文:haaretz紙(イスラエルの左派の新聞)
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html



アサヒ・コム 2009年2月10日記事


アサヒ・コム 2009年2月16日記事
| - | 16:56 | comments(0) | - |
ワークライフバランスなどという言葉は死語だ!
ワークライフバランスなどという言葉は死語だ!死語以前にナンセンスだ!
本日は長文です。本気で書いているので意味がわからないことも多々あるかもしれません。

さて「仕事=趣味」でありたいと多くの人はそう思うであろう。理想ではあるし、最近の僕はそうなりつつある。しかしそこまで来るには大変時間がかかった。少なくとも10年かかったことになる。18歳でelephant designに居たときはすくなくとも、ワークライフバランスという概念があった。12時間(労働基準法では8時間と定められているやつ)を会社に捧げています、みたいな概念の中で仕事をしていた。

その後、20歳で会社をやめたときに、その概念が崩壊した。しかし、仕事=趣味とまでは、まだぜんぜんたどり着かないのである。その次に来るのは「死の恐怖」だ。食っていかなければならないことに従属してしまうのだ。それは、会社から自由になるだけでは、到達されないものなのである。死の恐怖から解放されるにあたって「スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチ」と西村さんの「自分の仕事をつくる」という書籍から得たインスピレーションは大きいし、その二つがなければ、仕事=趣味という領域まで来ることはできなかっただろう。

その結果、現在はポジティブになることでしか、本当の意味での仕事はできないという仮説の元、さまざまな活動をしている。そのはずなのに自分でもそれを時々、いや、かなりよく忘れる。仕事の上でポジティブになるためには、仕事を趣味化するしかなかったんだ。自分の興味のある方向に持っていくしかなかった。それが29歳、最新の状況であり、最新の仮説だ。

そうなってくると、需要と供給という概念が成立しなくなる。というか、需要に対応するのが仕事じゃなくなる。需要に対応するための供給仕事をしているうちは、ワークライフバランスとか言う概念の世界の中に居ざるを得ない。今は確実に需要がないのに、仕事をつくっているという自覚がある。

仕事を「受ける」と。仕事を「つくる」の違いかもしれない。後者は趣味になりうる。前者は、需要に対する供給でしかない。仕事をつくることが、つまり、クリエイティブだということだ。需要に対応する仕事は、たとえデザインだとしても、クリエイティブと呼べるのだろうか。そこが、僕が誰かにデザイナーと呼ばれることに対する懸念事項だ。残念ながら、まだまだデザイナーという職業はクリエイティブな環境でないことが多い。あとは、自発性の存在と、自足できているかどうかだということが重要だ。それからイノベーションがなければクリエイティブではないかもしれない。だからそういう意味でいうと一般的なデザインの業界には興味がないことが最近はっきりとしてきた。

ある時期のソニーは、とてもクリエイティブだった。それは、他社が絶対につくっていないものをつくっていたからだった。常にイノベーションが存在していた。その遺伝子はアップルが継承した。
国でいえば、キューバは非常にイノベーティブで、クリエイティブだと思った。戦後日本がある時期までは非常にイノベーティブで、クリエイティブなのは当然。それはなにもなくなったのだから。

自立できていないものを、勝ち取ろうとする動きは、だから常に美しいんだね。白洲次郎が日本国憲法を日本人の手で作りだそうとしたものも、同様のロジックだと思う。しかしそれには失敗した。60年代半ばから、この国はまた元のもくあみに戻っていった。全共闘運動は、悲しいかなそんな時代のあだ花のようなものだ。

話がちょっとズレた。
少なくとも、1999年の時点で、僕が理解に至ったのが、T型フォード以来今日まで丁度100年間の間続いてきた大量生産・大量消費はクリエイティブから遠ざかるということだった。それがelephant designで得られた最大の学びだった。

マスプロダクト、マスメディア、マス広告、etc...
マスメディアに対してはインターネットがその代案として有望視されたのは周知の通りだが、そのような構造は社会の隅々まで普遍的に存在していると思うようになっていった。だから、構造的に、トップダウンになってしまうことで、全体のクリエイティビティが一気に低下してしまうんだね。自発性の欠如。つまり今の日本社会の姿だ。

だいぶ元に戻るけれど、それはつまり、仕事を「受ける」ことしかないように思えてしまう元凶を生み出すことにもなっている。なんかクリエイティブとか創造性とかが結局根底にあるのは自発性なのかなと思う。それをある人は、ポジティブアプローチと呼んでいる。僕の周りにいる人たちは、こういう人種がやたら多い。いままでは単なるクソポジだと思っていたが、一つの方法論として確立されているようだ。結局「自分で生きる」ということは「自分に自分で責任をもてるか」ということだ。

支配されないようにするのがレベル1。死なないようにするとこまでは、レベル2的な段階だ。レベル3が、好奇心のバランスかなと考えている。このレベルはいくつくらいまであるんだろう?僕にもまだわからない。レベル1で止まっている人に相談されることが多くて、ちょっと困る。もちろん、組織の中にいるけど支配されていない人、というのもあるとは思う。そこは相対的にどちらにもありうる構造だ。

いままでの、大航海時代以来の組織論で考えたらレベル1がなるべく多くなければ成り立たなかった。それが、東インド会社以前にアラビアに存在したというコンパニアの起源である。大西洋を横断するためには組織の結成が不可欠であって、そのために株式会社制度が誕生したけれど、それってもはや500年も前の話だよね。時代錯誤もいいところだ。



いままでこのような話を共有しなければならない人は多数いたと思うけれど、それを僕はやってこなかった気がする。文脈や暗黙知がありすぎてそれを共有していないから、そもそも話にならないのだ。それをひとつひとつ説明しているうちに、なんの話をしていたのかがわからなくなるし、第一疲れるので、あきらめてきた。その上、それを上回る速度で知識がインプットされていくから、結果的に間に合わなくて、ギャップは拡大の一途をたどっていく。

では、そのギャップの存在に対してどういうアクションをとれるかということだが、まずそもそもの株式会社制度が古いという問題がある。株式会社というか、資本主義というか、それがどう変わっていくのか、だいたいそこに行き着く。

「我々がどうあるべきか」

20世紀において、それは三択であった。資本主義、共産主義、ファシズム。極端に言えばどの仮説も、結局は失敗した。僕らはいまだ資本主義に対する「処方箋」ばかりを思考しているということに気付く。ここらで「処方箋」より「理想」を作るべきなのかもしれないと2006年くらいから思い始めた。

しかし、実際問題「処方箋」の方が主戦場なのだ。地球温暖化云々にやたら予算が付き、盛り上がるのは、記号化しないと主戦場での武器にならないからである。そこで、2004年の時点ではサステナという仮説ではその主戦場で戦うことにしたのだった。それは今も変わらないし、今後も当面は変えないだろう。シンプルモダンイズベスト。オシャレエコ万歳。

でも、2006年以来いまは、ポスト「我々がどうあるべきか」を模索したいという気持ちに駆られている。それを模索しているうちに京都や関西、四国、つまり地方に行き着き、そこらへんの整理がつかないから、東京と京都を物理的に分けるしかなかったのだった。どちらも僕の中の最適解のつもりだ。

それを二年考え続けた結論が、東京と京都の50%づつの分割というライフスタイルだ。きっと、30半ばにさしかかるくらいまでにはそれらを融合する方策が見つかるといいなと思っている。時勢も変わってくるだろうし。東京に居続けたのでは、ポスト社会がどうあるべきか、すらわからないというのが、29歳の現時点での仮説である。

時勢がどう変わってくるかが、まだなんとも見えないし、しかし意外と早く変転がやってきたという感がある。


まあ、なんか、こういうことをなにかに一度きちんとまとめなきゃってことだね。相当無意識に言語化していないことがあるみたいだ。しかも、その仮説は一生実践しつづけて、その経過報告ができるに過ぎないかもしれないけれど。
| 無意識の意識化 | 05:23 | comments(0) | - |
加賀で本当に面白いところは
加賀で本当に面白いところは、金沢からちょっと外れた田舎にこそあると思う。

あらためて加賀に来てみて思ったのは、金沢はただの観光地になってしまっていて、面白いのは金沢からちょっと外れたところにある田舎に、尋常ならざる素材が眠っていることだ。


北大路魯山人の別荘「いろは草庵」


魯山人の机

ぱっと見、山代温泉はご多分にもれずバブル期の乱開発の影響で経営破綻寸前の旅館が建ち並ぶさびれた温泉街だと思ったが、星野リゾートによるテコ入れによって再建された旅館「白銀屋」は、ずいぶん前から一度は泊まってみたい宿だと思っていた。


白銀屋の外観

ここは、魯山人の別荘「いろは草庵」からわずか300メートルの距離であり、先々代のご主人が魯山人と交流があったという。山代温泉の旅館のご主人たちは皆そうして魯山人との交流があったというが、相当な文化人達であったのだろう。つまり、山代温泉には再建できるだけの文化資源が眠っていたのだ。


白銀屋のロビー

また、同じくリニューアルによって成功していると思われる旅館「べにや無何有」は、原研哉によるアートディレクションによってだいぶシンプルモダンよりのコンセプチュアルな旅館となっており、多少、21世紀美術館的なミーハー色を感じるが、わりあいリニューアルに成功しているパターンだと思われる。


べにや無何有のエントランス

そんな加賀で、今回発見したのが九谷焼だ。京都にいてずうっと清水焼、信楽焼と追いかけてきたが、いまいちそこに手を出す意味を感じられていなかったが、九谷焼の鮮やかな釉薬の色は、やっと見つけた、これこそ追い求めていたものだと感じるものがある。


九谷焼作家 人間国宝 三代徳田八十吉の作品

帰りがけに立ち寄ったうどん屋さんで目にした雑誌に書いてあった、小松にあるという「吉田屋」の花器の青緑色は、珊瑚礁の海の色にも、瑠璃の珠の色とも見えて、よく磨かれた日本刀を見つめているときのように、心地よく奥に奥に吸い込まれていくのだ。

---

山代温泉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/山代温泉

九谷焼作家 人間国宝 三代徳田八十吉
http://www.mangetsu.co.jp/tokudayasokichi/
| real japan travels | 23:40 | comments(1) | - |
加賀に来たからには行かなくてはならないところがたくさんあるのです
金沢に来たのは5年ぶりだ。その頃はまだ21世紀美術館もなかったし、金沢駅も古い頃で日本海沿岸独特のどことなくさみしげな、しかしそれがまた良い雰囲気を残す古い古い駅舎だったが、だいぶ派手にリニューアルされてしまった。全体的に再開発後のピカピカした感じになってしまっているが、金沢の、あの「名古屋と京都を足した」派手だけど洗練されている感じは健在だ。東京からだと飛行機を使わざるを得ない感じがするけど、京都からだと車で約3時間で着くので、だいぶ気楽に行ける。このあたりが京都に家があることの大きなメリットだと思っている。


福光屋本店

とりあえず加賀に来たからには行かなくてはならないところがたくさんあるのです。

日本酒の「福光屋
加賀麩の「麩室屋
兼六園の中にある茶室「時雨亭
茶屋「志摩」(国指定 重要文化財)
北大路魯山人の別荘「いろは草庵
山代温泉にある旅館「白銀屋」と「べにや無何有
山中漆器の「嘉門工藝


時雨亭の縁側

いずれも現代まで残った文化資源と素材を生かした最高の料理であり、日本的なサステナビリティーのかたちであり、非常に「21世紀的な」文脈を持った地域だと昔から思っていた。やっぱり素材の上では京都ではとうてい太刀打ちできないものがあり、どこで飯を食っても基本的に美味いのは、素材の質が良いからだと思う。考えてもみればすぐそこに日本海があるので当たり前といえば当たり前だが、あらためて当たり前に驚く。


志摩のエントランスの吹き抜け

そんな日本海でとれた食材によって作られた料理によって魅せられ、料理人への道を開かれたのが北大路魯山人だ。当時は篆刻作家だった魯山人は32歳のときに山代温泉の看板をつくるために加賀へやってきた。逗留中に金沢の近江市場で買ってきた食材で京料理をつくりはじめ、とうとう九谷焼で自分で皿をつくるまでに至る。この間約半年間であったらしい。この出会いがきっかけで、一篆刻作家が、あの美味しんぼの海原雄山のモデルである美食家、北大路魯山人となるのである。


麩室屋の井戸と「わらじ麩」

最近、家をつくっていて思うのは、電気配線でも水道管工事でも棚板をつくるためにのこぎりをつかったり、かんなをかけたり。案外やってみればできるもので。デザインだけでなく、写真も文章もといろいろやっているつもりで、まだまだ世界が狭いと思わざるをえない。魯山人から学ぶものがあったとすれば、どこか一つの領域を突き詰めるのみにあらず、マルチに世界観を作っていくことに恐れないということかもしれない。

---

北大路魯山人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/北大路魯山人

2007.03.28 北大路魯山人の皿 - tamalog
http://tamachan.jugem.jp/?eid=283
| real japan travels | 19:07 | comments(0) | - |
金沢21世紀美術館に行ってきた


金沢21世紀美術館に行ってきた。しかし、そこには21世紀はなかった。あるのはただ、ただ、ル・コルビュジエ以来連綿と続く20世紀だけ。皆、金沢というと21世紀美術館のことを言い、前評判だけが一人歩きしていたからこそ落胆がコントラストとなって現れてしまうのかもしれない。とはいえ、どこをどうしたら妹島和世に21世紀を感じられるのかを問いただしてみたいものだ。



ジェームズ・タレルは、いつものように鮮やかに天空を天井近くまでひっぱってきていた。新潟直島と続いて国内タレル作品を制覇した。なんだかいつもよりとても大きく感じる。雪の日の夜にしんしんと降り続く雪が窓から落ちてくるのを見てたら幸せだろうなぁと思った。



ここ数年で見た美術館の中で、すごいなぁと思ったものはルーヴルくらいなものじゃなかろうか。もうそろそろこういう真っ白でガラス張りの建築物を都市のど真ん中につくるのはすでに「21世紀的」ではない、ということに気がつかれたらいかがだろうか。いまのものはコピーすればどこの都市にでも出来てしまうただの白い円盤型の箱だ。前田家が入ってきて以来約400年の文脈を少しでも考えて欲しいものだ。
| - | 10:17 | comments(0) | - |
大恐慌にならないためには
大恐慌にならないためには
みんなが恐れないことだ!

って言ったの、スコッチだっけ?
最近常に想像力の限界にぶちあたる度に、この言葉を思い出します。
経済の低迷にあわせて、周りがどんどんマイナスの方向に引きずられ
そういう否定的な議論が巻き起こる度に
馬鹿野郎と言いたくなります。

しかし本日は想像力はありふれるほどお持ちなのだけれども、
世界観がとっても狭い方がいらっしゃいました。
その情熱が世界観の狭さを突破して、あらぬ方向へ向かって行ってしまっているのでした。
NPO・NGOの方によく見受けられる症状です。
常にリサーチして、自分を見つめ直してください。
マーケティングとは、常に自分がどこらへんに居るかを確かめる作業だと
昔、誰かが言ってましたが、これは個人にも当然求められてしかるべきスキルかと思います。
| - | 01:43 | comments(1) | - |
焼杉板作りワークショップ


日本の伝統的外壁材である焼杉を使って棚を作るために、焼杉を自作します。(作業はこんなイメージ)作り方は簡単。バーナーでただひたすら炙って、その後にブラシでこすって炭を落とすだけ。ただ、けっこうなバーナーの轟音と、舞い上がる炭のために屋外でやることにしました。お手すきの方は是非いらしてください。

日にち:2009.2.11(水曜日・祝)
時 間:12:00〜18:00(日没)まで
場 所:鴨川(加茂川)出雲路橋付近
その他:雨天中止、汚れてもいい服装
※状況によって場所を変更するかもしれないので、参加される場合にはこちらまでご一報お願いします。


大きな地図で見る


| kyoto kitchen | 13:25 | comments(0) | - |
想像力の限界によって生まれる壁
想像力の限界によって生まれる壁に、日々悩む。それを、つまり「既成概念」と呼ぶ。

最近、いや有史以来の人間の課題なのかもしれませんが、その場をファシリテーションする人間の想像力の限界のために、抑圧されてしまっている現場をよく目撃するのですが、自分の想像力に対してはなるべく謙虚にならねばいかんなあと思うのです。

だいたいこういう状況が仕事の上で多々起きているわけですが、これが滑稽なくらい顕著に起きているプロジェクトがあり、担当者の想像力で自分たちの可能性をものすごく小さなものにとどめてしまっている。これはものすごい損失である上に、自分たちの可能性に損害まで与えてしまっているのだから、目も当てられない。「運動体」を自認している組織が、極めて官僚的になっているなど、滑稽以外のなにものでもない。

想像力とは如何にして育まれるものなのか。主体性、自発性があれば、必然的に生まれてくるものだと思うのだが、たいがいそのような状況に陥っているときは、それが無いか、周りに助けを求めることに失敗している。

かくいう自分も自分の想像力の限界によって抑圧してしまっているものが多々あるのではないかと自戒を込めて。

以下、誰が言ったとはいわないが、忘れないように転載させていただく。
一つ感じたのは自分のしている活動や自分自身の視点でしか物が見えていない人が多くて。特にクリエイター系の人々はろくに勉強もしていないのに社会を語ろうとする人が多いと最近感じていて。上記の方々は比較的自分の業界のことに関しては精通していて業績もあると想像出来るのですが、なんつか、打開策やらを生み出そうとする前に、自分が一体どうやって世界を見ているのか、自分自身が作り出している「縛り」というか「枠組み」を見直す必要があるのではないかと思いました。
あぁ、だから僕はクリエイター系の人たちに友達が異常に少ないのかぁ、と、妙に納得する。文化庁メディア芸術祭に、去年あたりから嫌悪感を感じている理由もちょっとわかって、すっきりした。
| - | 00:48 | comments(0) | - |