tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
サステナさんがお引っ越し
そういえば、3月31日をもってサステナさんがお引っ越しします。



思えばこの部屋では大変いろんな事があった。たぶん一番辛かった時期を過ごした時間が長かった部屋かなぁと思う。いろんな人が辞めていって、いろんな人がやって来た。そういえばやっぱりこの部屋に引っ越してきた時の人は、もう誰一人いない。



このマンションは新築で5階に入って、大変有名になった事件ののち、9階に移り、そして4月1日からは11階になり、かれこれもう4年近くの縁になる。サステナさんは常に部屋が狭くなって移っていくことを繰り返している。今度で4度目。ものすごいゆっくりだけれど、確実に大きくなっている。どこまで大きくなってゆくんだろうか。
| - | 02:37 | comments(0) | - |
白川静 漢字の世界観 松岡正剛(平凡社新書)
この本は、家に屋号をつけようと思っていて、漢字の勉強でもはじめるかあ、と思っていたところでたまたま青山ブックセンターで手に取った本だった。

白川静伝説は多方面からよくよく聞いてはいたけれど、読んでいくうちにこりゃあぁとんでもない人だということがよくわかってきた。端的に言っていいものかわからないけれど、つまり、白川静の発見というものは2000年近く語り継がれてきていまなお教科書でも説明されているような漢字の読み解き方の原理の根本をすっかり覆してしまう新説であり、それによって見えてくるものは、今日失われてしまった多くの記憶をよみがえらせる「時空の方舟」だというのである。その上で、東洋を如何にして理解し、活用するか、ということを問うていると僕は勝手に想像する。

しかし、それよりなにより、そもそも松岡正剛の本なんて、中身の一割くらいは理解できればマシな方なんだけれど、この本は三割くらいは理解できる感じがする。なんかはじめて松岡正剛の本が役に立ったなー、ということが驚きであり、彼自身相当襟を正して本気で入門書を書いたらしいことが、あとがきに書いてある。もっと詳しく言うと、松岡正剛という「最もよく解らない日本人の一人」(記号化に迎合する気のない一人)が、不特定多数に対するわかりやすさに対して向き合ったことがもうなんというか感動的ですらあるのだ。
これから本書で、白川静という清冽で深甚な、巨大で精緻な、比類のない知性がどのように「漢字の歴史」を解読し、制覇し、独自に再構築していったかということを、いくつかのステージに分けて私なりにお話したいと思います。

中略

私がなにかをできるとしたら、白川静というあまりに巨大な山岳や山脈のところどころに分け入って、多少の地図や立て札をつけてみるということだろうと思います。いささか口はばったいことですが、私自身はいつがこのような「白川山脈」に分け入って、そこにいくばくかの立て札を残してくる作業がまわってくるような気が、なんとなくしていたのです。
--

白川静 漢字の世界観 松岡正剛(平凡社新書)
http://www.amazon.co.jp/白川静-漢字の世界観-平凡社新書-松岡-正剛/dp/4582854400
| | 15:55 | comments(0) | - |
第二期工事開始
二期目の工事の主な目的は前述の通り、二階のアトリエ化と、蛍光灯の撲滅です。



玄関に残っていた蛍光灯を取り替えて、あと残るは風呂場の蛍光灯のみ。



鴨川ワークショップでつくった焼杉で、床の間がだいぶそれらしくなってきました。



四日間に渡る買い出しと工事の末、いままでまったく手をつけられていなかった部屋が一気に仕事スペースに変貌。



菜の花は終わって、ぼけの花が咲きつつあります。

| kyoto kitchen | 03:22 | comments(0) | - |
アトリエをつくります
鹿ヶ谷の家の二階をアトリエにしたい。あえてオフィスとは呼びません。東京からほどよく離れ、引きこもって物作りができる空間をつくろうと思ってここ数日インテリアショップ三昧になった結果選んだものは、岡山県のアカセ木工さんでした。









--

Master Wal
http://www.masterwal.jp/
| - | 02:55 | comments(2) | - |
町家近況
最近、あまりに文章が、それもタペストリーのごとく模様と化していたので、ちょっとここらで写真を載せなければと思い、京都の近況です。



加賀の酒と、九谷焼と、菜の花。ちょっと居酒屋風になりすぎてるのが気になりつつ、毎晩酒盛りなのは言うまでもないですが。



前々から気になっていた山中漆器の喜八工房で入手したはみだしもの。職人さんが金細工を凝りすぎて、一般流通に出せなくなってしまったものを格安で購入。



不室屋さんの細工麩と、大三輪神宮の三輪そうめんの節。



ゲストブックは四条川端にある裏具の巻物です。

とても優雅な世間離れした生活してるよなあとかよく言われますけども、たった今は東京滞在9日目です。。。京都のみなさま、3/12に戻ります。

| kyoto kitchen | 03:37 | comments(0) | - |
東京も適度に水没して自然に返るくらいが丁度いいんじゃあないかって思っているんですけれど。笑
Earth Literacy Program WORKSHOP 第2回
speaker:竹村真一氏
date & place:2009.03.09
原宿コープオリンピアにて

今日の竹村さんはちょっとだけ本気でした。
これを聞いて、応答せよ、ということだと思うけれど。なにを応答しようかね。

---

世界中で冬至ってのは太陽が死んで生き返るプロセス。節分を過ぎるとほんと日差しが強くなりますよね。張り切っているので「春(はる)」。山で増えてはりきったエネルギーがほとばしり出てくる。そうやって出てくる山のスピリチュアルエナジーのことを「さ」という。さがおりてくるから「さおり」さがおりてくる月が「さつき」それが田の神になって稲を実らせて、山にかえっていく「さのぼり」さが降りてくるプロセスで、一時的に可視化される瞬間が、さくら。もともとはソメイヨシノはなくて、山の中腹に山桜があった。あれが一時的にさのエネルギーとして、可視化される。座。そういうかたちでさくらってのはですねぇ、見えないエネルギーを可視化する寄り代でしたから、花見っていうのはそういうエネルギーを浴びに行くことなんですね。中国では樹木の中で気功する。樹木と気を交換する。「かる」ってのは、交換するっていう意味合いがあって、交換ていうことはお互いインタラクティブなんです。あるいは同一化してしまう。熊が人間となり、人間が熊となるみたいな相互関係が生まれたりする。熊をかるとか、豚をかる、っていうのは生命力を交換してそれと一体化するっていう。はなかり、ってのもそういう意味では、さくらと同一化していくというか。英語で参加っていうとパーティスペーションていって、日本語でも自分、っていいますが。そういう大きな循環に中の分になるっていう感覚がある。さっきから言っていることは日本民族史に基づいてますので、あてずっぽうで言っているわけじゃない。基本的に日本人てのは、そういうさくらっていう小さな花のなかに、大きな宇宙的な循環をみていた。そういう、なんでもないありふれた現象の中に、宇宙的な大きな原理を見る感性というか知性が。それを21世紀的な文脈で見ることができると思うし、ほんとに骨太な地球に生まれてきた意味を語っていける道なんじゃないか。なんでこんなこと言うかっていうと、現代の我々ほど、そういうありふれた現象の中に驚くことができる世代はないんじゃないかって思うんですね。我々だって、僕らの体が日々3000億の細胞が生まれて死んでいく。季節外れの花が咲くっていうのがやたら早くなっていることに環境変動を感じるっていう人がいますけれど、僕は、季節通りあたりまえのように花が咲くことのなかに、隠れた大きな意味を見いだすってことが、本当の意味での環境意識だと思う。よくこれは現代の科学の言葉でいうと、花がさく、これも太陽からエネルギーが降りそそいで、エネルギーを捕獲して植物が光合成をして花を咲かせていくわけですけれど、地球が太陽から与えられているエネルギーっていうのは、石油メタボリック社会の中で無駄にエネルギーをつかっている中でも、それに比較して一万五千倍くらいのエネルギーが太陽から降り注いでいる。この惑星はエネルギー問題なんて本来は生じようもないくらい、うまく宇宙船地球号ってのはエネルギー切れがおこらないように設計されているんですよね。ここまでは本に書いた。

量と質の話でいうと、質的な意味ではエネルギー問題は生じないって言いましたけれど、地球に降り注いだエネルギーは、それだけでは終わらないんですよ。動力源としてつかっていますけど、植物はそれを光合成、葉緑素でそれをとらえて高分子活動として蓄えていくわけですよ。水素を六つと炭素が十二個と炭素が六つかな。それくらいを結合させるととうができて、それがデンプンになる。これは炭素という非常に柔軟性を持ったシステムが、結合力という形で太陽エネルギーを貯蓄しているわけですね、それを僕らはとっている。本当だったら太陽エネルギーってのは、ばーーーっとやってきて、宇宙に放出されて終わっちゃうところが、地球には植物プランクトンがいる。それをエネルギーのお金として貯めてくれている。それを僕らはとうぶん、グルコースだとか言っているわけですけれど。それが千円札とか一万円札みたく貯蓄されているのがデンプンで、それをさらに効率的に貯蓄されているのがお米なんですね。そこからエネルギーを引き出して僕らは生きている。で、なにを言いたいかっていうと、太陽の立場からすると、地球ってすげー星だなあって思ってると思うんですよ。太陽は火星も水星も同じようにあっためているのに、あいつらはあったまったら、ただ冷めていくだけなんですよ。それを地球は貯蓄していて、それを動物が食べる。このプロセスをインフォーメーションて僕は訳しますけれど、情報じゃあない。この地球ではインフォルムしている。とてつもなく豊かで、なによりも美しい。高次元の貯蓄をこの地球では生んでいる。これは凄いことが起きていますね。

太陽エネルギーがあるから、原発はもういらないよっていうのがもう当たり前なのですが、ドイツとかデンマークが20年も前からやってますから、同じことをやればいいだけで、そんなものはクリエイティブじゃあない。ただソーラーパネルから取り込んで、それをもっと凄いものに変化させていっているわけですよ。より上位の、美の秩序へを絶えざるジャンプをしているわけですね。この凄いことが地球でおこっているわけで、その上で生きているのが僕らである。自然界に対する胞子であるまま、インフォルムされているのがさくらという花であったり。米をたべたりさまざまなことをしながら、アイデアという花に咲かせているのが人間であったりするわけですよね。人間てほんとに愚かで未熟だと思いますけれど。セルフリスペクト、そういう感覚を子供達に伝えていないってことは僕は犯罪だと思いますね。それを認識する鏡というような役割として人間ていうのは存在していると思いますね。太陽エネルギー、ちょうど太陽から第三惑星として存在していて、気圧と気温の関係って相対的ですから一概にはいえないですけれども、お隣の火星ではぜんぶ蒸発してしまっているし、金星では凍りついてしまっている。地球は、水を液体であるように自分で自己調節してきたという形跡もありますし、こんなにレアな星が生まれた。最近の物理学の発達で、いい加減に満ちている。物理法則でもいろんなものがちょっとでもずれていたら、こんなに奇跡的な宇宙は生まれていなかっただろうって言われていて、陽子とか中性子を生み出す、核力ってのがあって、いまよりちょっと核力が弱かったら、酸素とか炭素とか、生命を作り出すのに不可欠な原子は生まれなかっただろうっていわれていますね。水素二つくっついてヘリウムってのがあるけど、それが三つくっついて炭素になるし、四つくっつくと酸素になる。簡単に言うとビリヤードのたま三つくっついているのが炭素なんだけれど、ビリヤード玉みっつもよっつもくっつけるのにけっこうな力がいるわけですよ。その力がなければ、そこから生命が生まれるなんていうシナリオはなかっただろうって言われているんですよ。原始のレベルで非常に微妙なところがあって、もうちょっと強かったら水素が全部なかったかもしれないし、ほんとに「いいかげん」なところで、宇宙が存在する基礎があった。でも、その条件は宇宙にあまねくあるんですよ。その条件をベースにして、酸素と炭素と水素を組み合わせた、さっき言った、糖分とか、炭水化物っていう、いわゆる有機物ですよ。それがまた複雑に繋がっているんだけれど、簡単にいえば全部炭素と酸素と水素の結合物なんです。丁度いい加減の力で奇跡的にこの宇宙で生まれてきたにしても、それをパワーユーズして、生命という力をインフォルムすることができていることは、この宇宙で滅多に無い。20世紀最大の発見はアインシュタインとかみんな言いますけれど、この宇宙がどんだけ奇跡的なバランスで存在しているか、とんでもなく奇跡的な豪華絢爛な花々をさかせることができたということが、僕は20世紀最大の発見だと思うんですね。

そういうことを語ってくれている本がまだ一冊もないってことが犯罪的だと思うんですね。こういう発見を20世紀後半に見つけたにもかかわらず、この地球の未来は悲惨だとか、だからレジ袋をつかわないでおこうね、とか、ほんとせせこましいじゃあないですか。もっとプライオリティが高いことがありますよね。温暖化をなんとかして止めよう!って言っている人たちからみたら、僕の本に書いてあることはいやなことが書いてあるかもしれませんね。どこに行くために地球温暖化対策っていうのがあるのか。どこに僕らが解放されていくプロセスとしてあるのか。そういうことを考えずに、とにかくレジ袋は使わない方がいいよとかっていうのは、猿でもできることですね。


今日、季節の話から始めたのは、三浦梅園の「枯れ木に花咲くより、生木に花咲くを驚け」ってもう200年くらい前に言われているんですけれど、梅園さんに言われなくたってそのすごさに気付いている時代なはずなんですよ。この宇宙の知性化プロセスですよね。この地球っていう星にだけ、とんでもない破格な展開をしているんですね。そういう解像度で世界が見えてきているはずなのに、特に人類は70億のメタボリック社会で、ちょっとアメリカでなんかあっただけで、とっても風邪を引きやすい免疫のない社会であることをなんとかしなきゃいけないってことはあたりまえなんだけども、その前にどこに行きたいの?ってことを子供達に語ってあげられる時代になっているわけじゃあないですか。たかが石油を使いすぎているだけで人類社会が滅亡するようであればそれは本当にもったいないことですよね。食べ物を残すことよりも、こういうことのほうがもっと「もったいない」ですよ。


石油を燃やして火力発電所で燃やして送電しているときに、投入している石油エネルギーの40%くらいが発電のプロセスでなくなり、30%くらいが送電のプロセスでなくなる。僕らが得たいのは光なんですけど、光という目的に向かっていることはその全体の中の1%くらいなんですよ。これはとても美しくないと思うんですよ。とてつもなく美しいバランスで生命系が成り立っているのにもかかわらず、これは美しくないと思うわけです。これが僕は許せないんですよ。エコ・エコノミーって言っているうちはだめですよ。最近のそういうことをがんばっている人たちからしてみたら僕はいやなやつだと思うんですけれど、カーボンオフセットでがんばっておられる方も大事だと思うんですけれど、もっと骨太なところでやれることがあるんじゃないかって。そういう骨太な経済をデザインしていこうっていうモチベーションは、僕は経済的なものでも政治的な問題でもなく、僕の中では「美意識」の問題である。こんな99%のエネルギーを無駄にしてしか生きられない生き方でいいんですか?って。そんな感じですね。実際僕もしょうがなく車だって乗ってますし、パソコンだってつかっていますけれど。アイドリングだってしてりゃあ200万頭の馬が交差点ではねているだけ。笑。っていう。これがただ跳馬美しくないですよねって話ではなく、この生命のプロセスをどこまで理解した上で、美しいと感じることができるかどうか。さっき言いましたけれども、季節外れの花に気候変動を感じて驚くよりも、当たり前に花が咲くことのとてつもなさ。そういうことを可視化したり、伝えていくっていうことにおいて、それがぜんぜんされていないことが犯罪的だって言いましたけれど、僕らもやっとそういうことを始めたわけで、ああいう地球儀をつくったのも、直感的にそれを感じることができるために作った。まずあの雲の流れる地球をちゃんと感じてもらって。宇宙人からしてみれば、どこもインフォームされない星々ばかり見てきた宇宙人が、この地球をみると本当に目を見張るだろう。そういう宇宙人的な感覚で驚いてもらおう。そういうポジティブは発見を共有していこうっていうことがほとんどされていなくて、とにかく削減をしましょうとか、これも行き過ぎるとエコファシズムみたいなもので、丁度恐慌の後の大変な状況のなかでナチズムによって救われるとか、共産主義によって救われるとか、そういう単純なアリバイ工作による、複雑な現実の隠蔽みたいなことって、人類はずいぶん反省してきたはずなんだけれど、ひょっとしたらさっきのカーボンオフセットみたいなものって、本当に大事な地球リテラシー的なものが無視されるのであれば、ナチズムに傾倒した頃のようになっちゃうのであれば非常に危険だと思っている。東京も適度に水没して自然に返るくらいが丁度いいんじゃあないかって思っているんですけれど 笑 それはまた別の機会に。

いまの理科離れだって当然だと思いますよ。現代地球科学が発見していることって、とてつもなく面白いことなのに、それを驚かさせないで、酸素16とか、炭素12とか、ただ覚えさせているだけ。レイチェル・カーソンの言葉を借りるとセンス・オブ・ワンダーですよ。センス・オブ・ワンダーを育てることが、理科離れを回復させる最大の鍵でもあるし。宇宙がそういう増えるプロセス、自己増殖するプロセスで成り立っているんだっていう気付いていく十分なスローな時間と空間があれば、勝手に言語感覚に繋がっていくんじゃないか。挑発的に言えば国の教育は縦割りで結構。


モンテッソーリの教育にあるんだけれど「魚は海を動かす。魚は水を動かす」って。普通逆だろ?あの頃からこういう地球物理化学的なことが語られていたんだけれど。石灰岩だとかそういう地球の炭素循環を担っていたんですけれど。魚なんかに貯蓄して、生まれた川に帰って、陸と海を繋ぐようなかたちで循環させているわけですよね。そういうことを念頭に起きつつ、そういうことを書いてらっしゃいますけれど。そこでモンテッソーリが一番強調したかったのは、魚は水の中で生かされている、生かしている存在である、ということを言いたい。もっとコズミックな、宇宙論的なところを説明することが教育の最も大事なところだ。さくらがインフォームしているということをこの場で話したかったのは、そういうつもりで言ったんですね。モンテッソーリの学校がすべてそういうことをやってくれているのかってのは、きびしく見ていたいですけれどね。ゆくゆくはそういう学校を作っていくみたいなところに繋がっていくんでしょうけれど。いまはネットとかそういういろんなかたちでね。クルーズというのも特権的な学習空間であるかもしれないですね。ピースボートみたいきちんと志がないところでも、陸から離れるっていうのは、陸の鎧を外していくんですよ。陸の教育システムではなかなかしきれないところを、洋上学校ということに徹してやっていくということは、けしてピースボートさんが来ているからやっていることではなくて。

ほんとクリエイターって名ばかりで、案件病になっちゃって、ほんとに大事な仕事ができないっていう。ほんとに自由にやれる責任があるのに、それを放棄しているのはどういうことかと。

しんぜんび 真善美

真が善に昇華して美になる。この三つは並列ではなくって、入れ子構造になっているんだよね。日本人は善のとこまではもっていっていたんだよね。
| ログ | 01:45 | comments(0) | - |
僕は個人の経験値から、世界を見たいんだ
ずいぶん前から、おすすめのスポット情報をブログで公開している。
http://tamachan.jugem.jp/?cid=15

なんでこんなことやってるかっていうと、こういうのほんとはちゃんと、googlemapAPIを使ってつくりたいんだよね。おすすめスポットAPI地図的な、あくまでも「自分のブログにエントリーした記事」をベースとして、ボトムアップされるインフラストラクチャー。なんていうか「自分のブログ」と、世界をつなぐ方法が、もっとあってもいいのかなと。今は大半が本のレビューならamazon.com、家電の評価ならkakaku.com、写真ならFlickrの方で一元管理されているのがとてもいやだ。インターネットの大きな方向性として、各個人のブログをベースに情報発信、整理されていく新しい形になっていくんじゃないかというふうに、何年か前から思い始めた。

それが、なにをきっかけで、そういう方向に突破されるかっていうのがいまいち見えて無くて、いまだ上記のようなポータル型を続けている。それがおきると、mixiのような小宇宙モデルは崩壊する。SNSは過渡期のスタイルに過ぎないと思うんだけれど、googleの存在って、つまりそういうことだよねえ?と。

僕はたぶん、あらゆる情報を、マス情報でなくて、ガイドブックではなくてものすごく恣意的な、個人の経験値から世界を見たいんだ。

僕は、好きな人が好きなものを徹底的に取り込んでしまうクセがあるのですよ。だからね、余計、そういう個人情報発信的な世界であってほしいと望む。価値判断を、なにを基準に行うのかっていうところで、知り合いの、友達の、さらには恋人の、いいっていっているものが、いいと思う。なんかね、たぶん、僕は情報を「自分の目指す道を選ぶための指標」としてずっと考え続けていて、ただ単においしいお店ってどこ?っていう平坦でありきたりなグローバルな価値なんて、最初から無いと思っていて、グローバルに見渡した上で、どれがいいかを「選ぶ」。選択社会においての生きていく道筋であったのね。

そりゃまあひとことでマスメディアの次の世界っていう言い方をすれば、インターネットが標榜している世界って、そうやってみんなで経験を共有することによって、最適化していこうっていう動きなんじゃないの?まあなんかここで言いたかったのは、世界を良くしていくためには、みんなきちんと情報発信しなきゃねぇ、っていうこととと、あとは切り取り方ですよねぇ、っていうことかなあ。そういう意味ではクリエイティブ・コモンズ以前に、情報は共有することが前提で当然だ。

昔。日記サイトが始まった頃、好きな娘の日記とか読んでて、ものすごい妄想したり、男の話が出てくるとショックだったり 笑。それが今はmixiとかブログで起きているんだけれど、あれって価値判断の大きな動機であって、価値の刷り込みがされるんだなあ。好きな娘の日記読んで、同じことをしてみたくなったり、同じものに共感しようとする本能が、価値観を与えているという。でもそれって、誰かにコントロールされた価値観を広告を通じて刷り込まれるよりは、まだだいぶマシかなと思う。バリエーションもあるし。その辺に、ブログとか公開日記の力があると思っているのですが、如何に。
| 無意識の意識化 | 00:00 | comments(0) | - |
2009年。ブリーフィング中
プランは常に修正されるものだが。書いてみるといやでもバックキャストされるものだねと思う。

1月
家を探す
家を借りる
東京と京都を行ったり来たり

2月
家をつくりこむ
加賀遠征
京都での仕事場を見つける

3月
有松遠征。有松絞りで暖簾をつくる
美濃遠征。美濃和紙で照明をつくる
お金がなくなる。なのでとりあえず年度末まで仕事をがんばる
ちいおりサイト公開・四国遠征、犬島アートプロジェクト見学
琵琶湖一周自転車旅行
鹿ヶ谷の家(仮称)正式名称決定。ウェブサイトオープン

4月
鴨川で盛大に花見をやってみたい
同居人がみつかる
瀬戸内の様子を見に行く
鹿ヶ谷の家の庭造りを始める。庭師の仲間募集
鹿ヶ谷の家に冷蔵庫・洗濯機購入
仙台遠征
東京芸大で日本画を始める

5月
いきものみっけをがんばる。開発の日々
小松遠征。九谷焼人間国宝徳田八十吉さんに会いに行く
ついでに能登輪島に行ってみたい
アレックス・カーとの次のステップに進む

6月
いきものみっけをがんばる。開発の日々
鹿ヶ谷の家のエアコン買い換え。湿気対策
屋久島日食ツアー
紫陽花ツアー。ホタルツアー

7月
いきものみっけサイトオープン
くたくたになったのでどっかに行きたくなる
札幌・モエレ沼公園とか夏がいいのでは
鴨川でバーベキューをしてみたい
鹿ヶ谷の家の水回りの改修工事
瀬戸内国際芸術祭サイト作り開始(会期一年前スタートを目指そう)

8月
遠征ラッシュ
N.Yのイサム・ノグチ美術館とL.Aのプライスコレクションを見に行く
ついでにケンジに会いに行こう
ロサンゼルスでジョー・プライスに会いたい
青春18切符で行く九州電車の旅 平成21年7月20日から平成21年9月10日
瀬戸内国際芸術祭サイト作り

9月
大地の芸術祭に一週間くらい行く
瀬戸内国際芸術祭サイト作り

10月
京都造形芸術大学でマエキタ授業が始まるのに合わせてイベント企画

11月
紅葉の修学院離宮に行く

12月
大掃除
| - | 10:43 | comments(0) | - |
過去10年に影響を受けた大学及び学校の分析
自分の人間関係の中で知らず知らずのうちに大学コミュニティからの影響を受けているものだ。1998年から現在までに知り合い、かつケータイのアドレス帳とマイミクになっている人の中で、出身大学を認知している(記憶している)合計139名の友人知人の分析だ。


1.慶応大学SFC 56人
そりゃあそうだろうね。

2.同志社大学 12人
おお。意外な結果が出てきた。てっきり京大か東大だと思っていたけれど、最近ここの出身者がやたら多い気もする。

3.東京大学 9人
ちなみに官僚は一人もいないです。皆ぶっ飛んだ方々ばかりです。

4.京都大学 8人
京大生は皆似たような風貌をお持ちなのは気のせいでしょうか。

5.早稲田大学 7人
5.慶応大学 7人
この二つの大学が同列になるのは因縁なのでしょうか。笑

6.京都造形芸術大学 6人
6.青山学院大学 6人
なんだかんだとちょくちょく行くことになる大学です。

7.桑沢デザイン研究所 3人
全員elephant design関係の方でした。

8.全部2人ずついらっしゃいます。
立命館大学、明治大学、東海大学、武蔵野美術大学、桜美林大学、上智大学

9.以下1名ずつ。ロングテールの世界ですが、たぶん一番濃い方々な気がします。
愛媛大学、東京医科歯科大学、成蹊大学、京都嵯峨芸術大学、立教大学、東京外語大学、中央大学、聖心女子大学、金沢美術工芸大学、東京薬科大学、東北芸術工科大学、東京芸術大学、国際基督教大学、龍谷大学
| - | 23:33 | comments(0) | - |
ブログを書く時間が無い問題
2/26。いいだっちから京都市100人委員会の相談を聞く。仕事が一つまた増える。今日こそ床屋へ!BONDという町家を改装した美容室でいいだっちと髪を切る。四ヶ月ぶりくらい。夜のゲストの準備。今日のゲストは我らが嘉村賢州。今後の展望について語る。彼の町家は500万の助成金が出て外観が改修されるらしい。羨ましい限り。五月に石川の小松で九谷焼の人間国宝「徳田八十吉」さんに会いにいけそう。

2/27。朝から呼び出された用事が不愉快極まることだったので、下鴨神社で禊ぎ。おみくじには「つきあう相手をきちんと考えよう」と出る。いつもながら意味深。京都造形芸術大学の卒展をちらっとのぞきつつ、夜のゲストの準備。今日のゲストは「あじき路地」の照明アーティスト、ムーラン。本日のゲスト宿泊はなし。家の近所に園芸屋さんを見つける。

2/28。月末なので一日経理になってはじめて家賃を払う。一ヶ月先の見通しをたてる。夕方、京都を出発。岐阜までしばし在来線の旅を楽しむ。先日出会った岐阜の若き建設会社社長りゅうじと金華山麓にある旅館「十八楼」の温泉に浸かりつつ、美濃和紙の照明の可能性に改めてやばいなー、と思う。3/19に再度岐阜に遠征にいくことにする。岐阜泊。

3/1。朝10時から愛知の有松で絞り染め体験しつつ、ひたすら絞り染め発掘調査。のれんに使えそうなものを一枚だけ購入。絞りの種類が100種類以上もあるというのはとんでもない遺産を引き継いでいる地域だなあというのと、実は有松は桶狭間古戦場の隣だったのでした。夜は名古屋へ。りゅうが美女四人を引き連れて名古屋で「いきものカフェ」なる組織をつくっていたのにびびりました。そして日付も変わる頃に岡ちゃんと「ゆらり庵」最寄りのスーパー銭湯に行ったのでした。岡ちゃん相手にひたすら語る。名古屋泊。

3/2。エスカの山本屋で朝一番に味噌煮込みうどんを食いつつ、お昼のサステナの会議にあわせて東京へ。ひさびさに新幹線から見る富士山が綺麗だった。会議を聞きつつ「ちいおり」の作業を進める。もうちょっとで完成。夜は目黒で「いきものみっけ」のリニューアルのための企画まとめ作業。二年くらい前に考えていた企画がそのまま使えそうで嬉しい。サニーが朝方まで延々輸入ドラマを見ていた。なんていう集中力だろう。目黒泊。

3/3。疲労MAX。朝8時からのバスに乗り損ねる。行き先は富士吉田。とりあえずうどん屋をはしごする。その後環境省生物多様性センターでひさびさにプレゼンテーションのようなものをする。はっきりとしたフィードバックを感じられた。カヤックともうまく進められそう。朝から降り出した雪が吹雪きになっていくさなかバスで御殿場経由箱根へ。天山にはほとんど客がおらず貸し切り状態で満喫。東京まで戻れないので実家泊。
| - | 09:38 | comments(0) | - |