tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
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無印良品から学んだ唯一のこと
かつて無印良品に熱中した時期があった。お手軽な価格で、ミニマルで、飾らないことがブランドコンセプトであったと思うが、今となってみるとどこかチープで、実際問題トレースルートできるほど良い素材を使っているわけでもなく、大量生産時代の最後の手段だと、皮肉を言われる状況であることも事実だと思われる。

そんな無印良品から学んだ唯一のことは、素材のマテリアル感を際立たせたしつらいは、衝動的に消費行動をしたくなるように、インスパイアされることなのではないかと思った。

そういえばうちのインテリアは、すべて無印良品の換骨奪胎をやってることに気がついた。

リスンのお香の束を食べたくなる感じ


唐長のカラーパレットから色を選んでコピペしたくなる感じ


HIGASHIYAの和菓子を全部食べきれないのに全部注文したくなる感じ


錦市場のかね松の京野菜を選んでその場で料理したくなる感じ


かまわぬの手ぬぐいのラインナップに季節を感じる感じ


単純に無印良品の商品を買ってきて、それが並んでいるだけの家って気持ち悪いけれど、あのなんとも言えない、無印良品に居るときに「買いそろえてしまいたくなる感じ」っていうのは、なんなんだろう?

さまざまこれまで無印良品批判がされてきたなかで、そこが実は唯一絶対の価値なんではないかと、無印良品が無印良品たる所以は、あの、生活をインスパイアされる感じ、なのではないかと思う。そのインスパイアされる感じが、レゴで言えば突起なのであり、消費者が、つくりたくなると思える程度に、ライブラリー化されていつつも、その組み合わせ如何によっては、どうにでも自由につくれる。

消費者の能動性をほどよくひっぱりだせるデザイン。無印良品万歳。
| - | 03:15 | comments(0) | - |
箱庭喫茶 2009.05.23 sat 17:00-23:00
当日はのべ35人もの方に、5時間ほどの営業時間内に起こし頂き大変ありがとうございました。東京、名古屋等遠方からもたくさん集まっていただき、京都市内においてはインフルエンザ発症によるさまざまなイベントの中止も重なり、予想以上に集まり、いまだかつてない濃ゆい濃密な人たちが集まりびっくりしております。


看板。ゲリラカフェだけど看板は出します。


二階席は最大10人規模くらいで、プロジェクターをつかった映画を見れそう。


ベランダ席は特等席です。


珈琲を煎るmocomococafeの安芸さん。




厨房はバタバタ。


旬の筍と西京味噌の角煮丼定食。1,200円。完売御礼です。


主に東京方面から集まってきた人と。


名古屋からやって来た人達。


キックオフイベントようなかたちになってしまったので、次回以降はもう少しゆっくりとやりたいと思います。

| kyoto kitchen | 03:43 | comments(5) | - |
社会学から見るインフルエンザと日本人
明日の「箱庭喫茶」に向けて京都に移動中の新幹線内にて執筆中。いや、もちろんマスクなんて着けていませんとも。

そんな23日を狙ったかのように、京都市内で新型インフルエンザ発症。
京都市は21日夜、中京区に住む小学5年生の男児(10)が新型の豚インフルエンザに感染したと発表した。京都府内での感染確認は初めて。国内感染者の累計は、22日午前1時現在で6都府県の計292人となった。asahi.com 2009.05.22 01:06
これを受けて、市内小中高は一斉に学級閉鎖。品川駅にはマスクを着けさせられた中学生が一斉に修学旅行先から泣く泣く引き上げてくる有様に遭遇。(これ、ちなみに修学旅行自体が中止なのではなく、行ったは行ったところで発症のニュースが入ったから引き上げるという最悪な判断)僕の身の周りでも関西以西のイベント他ツアー系が4件ほど中止に。仕組みとしては非常に迅速かつ速やかに対応されているように思うけれど、人間的感情の配慮の一切されない非常に統率のとれた軍隊ばりの対応に、嫌悪感を感じざるを得ない。

それから、解ってはいるけれどマスコミはただ状況を煽ることしかできていない。マスコミによるいたずらな煽動によってまだ発症していなかった一昨日の東京・六本木のマツモトキヨシですら既にマスクが完売。マスクをつけたらいいというものなのか?少しは考えよう。むしろなにも考えずマスクを着けて歩いてしまうことの方が、よっぽど気持ち悪い。神戸・三宮の駅前なんて、むしろそっちの意味で近寄りたくない。実直勤勉な日本人といわれるが、ただただ考えず、実直なだけの日本人はなんと気持ち悪いことか。勤勉さはどこに行ったのだ。勤勉さは。

そして今日も経済システムは動きつづける。在庫を掃ききったマスク業界は8月まで新商品が入荷されることもなく、ヤフーオークションには1枚1,000円のマスクが、最高価格はなんと80万円という価格で掲示されている。(本当にこれ買うのか?・・・)観光客及び修学旅行の相次ぐキャンセルによる、関西2府4県での経済損失はトータルで43億円になるという(asahi.com 2009.5.22 01:13)。無思考型観光経済に大幅に依存した経済のダメージは大きいのは至極当然。7500人のキャンセルと相成った有馬温泉に、人の少なくなった今こそ行き時なのではないかしら。

同志社大、立命館大は即日休校(asahi.com 2009.05.22 11:41)。素早いというより、ほんとになにも考えていないのではないか。どいつもこいつもいざ恐慌が起こったらなにも考えずに恐慌してしまう連中ばかりでまことに不甲斐ない。

が!しかしここに考えている人たちがいた。それはやっぱり彼らだった。京都大学は「独自の分析」によって授業を継続するという。
京大は通常通り授業 新型インフル、独自分析の結果

京都府内では、府の要請で休校する大学も相次いだ。府によると、22日午前10時20分現在で47大学・短大のうち34校が休校を決めた。一方、京都大は感染症の専門家チームが独自に状況を分析し、通常通り授業を行うことにした。asahi.com 2009.05.22 12:33
トフラーの言う「第二の波」の世界は、今日も絶え間なく機能しつづけている。それはそれで多くの人々が無思考になっても機能するという、大変良くできたシステムであるということを、肌身で実感したのでした。

ちなみに明日23日の「箱庭喫茶」はもちろん営業致します。中止になった京都市未来まちづくり100人委員会のみなさまなどなど、是非お起こしくださいませ。予約制になっておりますので、事前にお電話一報いただけると助かります。
| - | 17:35 | comments(3) | - |
男女の役割の分離
ジェンダー論というものがとにかく嫌いだ。男だからどう、女だからどうという議論は、本質的にまったく意味を成さないにもかかわらず、古めかしい既成概念から、逆に突破しようとあがいている余波が、時に凶器となって降りかかってきたりするからだ。

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産業革命による第二の波は、ちょうど核分裂の際の連鎖反応のように、それまでずっとひとつの統合体であった人間の生活を、強引に二極に分裂させていった。その課程で、第二の波はわれわれの経済生活、精神構造、さらには男女の特性にまで、いわば目に見えない巨大な楔を打ち込んでしまったのである。生産者と消費者とを分離させた、第二の波の社会の巨大な楔はまた、労働を二つの種類にはっきりと分ける働きをした。このことは、家庭生活、男女の役割、および個人の内面生活に非常な衝撃を与えた。

産業社会でもっとも一般的な男女差についてのきまり文句は、男性は自分の置かれている状況に対して「客観的」であり、女性は「主観的」であるという考え方である。もし、男女の違いについてこうした見方が核心をついているとすれば、それは生物学的に不変の事実ではなく、いま問題にしている、見えない楔による心理的な効果であろう。

産業革命後の社会においても、家庭は依然として、こどもをつくるという生物学的な再生産をはじめ、育児や文化の伝承に従事する、独立したひとつの単位であった。ある家庭がこどもの育児に失敗したり、こどもを将来の労働形態にうまく適応させることができなかったとしても、その結果は必ずしも隣家の出産や育児などに、悪影響を与えるというわけではなかった。言い換えれば、家庭内の労働は、相互依存度が低いままだったのである。こうした状況下でも、主婦は相変わらず決定的な経済的機能を果たしてきた。出産と育児そのほかの家事労働である。主婦の仕事も「生産」であった。しかし、その生産は自分の家庭用であって、市場に出すようなものではなかった。

一般的に言って、夫がどんどん直接的な経済活動に乗り出していったのに対し、妻は家庭内にとどまり、間接的な経済活動に従事する場合が多かった。男性は歴史的に見てより進んだ形態の労働を分担し、女性はそれ以外の、もっと古いおくれた形態の労働を引き受けた。男性はいわば、未来へと前進したのに対し、女性は、過去にとどまったのである。

こうした男女の役割分担は、人々の人格と内面生活に、分裂を引き起こした。工場や事務所は本来大勢の人間の集まる公共の場であり、調整や統合を必要とする性格を持っていた。そのため、工場労働やオフィスワークが一般化すると、客観的分析や客観的人間関係が一般化した。男性はこどもの時から、将来、相互依存の世界である企業内の役割を果たすように育てられ「客観的」であることが期待された。これに対して、生まれた時から社会的にはかなり孤立した仕事である出産、育児、そのほかもろもろの単調な家事を分担するようしつけられた女性は「主観的」たらざるをえなかった。したがって女性は、多くの場合、合理的、分析的な思考が苦手であると思われてきた。なぜなら、合理的思考や分析的思考は、本来、客観性がなくては不可能だと考えられていたからである。

こう考えてみると、比較的孤立しがちな家庭を飛び出し、他人との関係が深い生産活動に従事する女性が、ともすると、女性らしさを失い、冷徹でしぶとくなったと非難されたのは、当然であった。要するにそういう女性は「客観的」になるのである。

男女の差、その役割についての固定観念は、実際は男性も消費活動を行っており、女性も生産活動を行っているにもかかわらず、男性は生産だけに従事し、女性は消費だけを行うという誤った考えによって、いっそう強調されることになった。つまり、第二の波が地球上を席巻するはるか以前から、女性は抑圧された存在であったが、近代の「男女の闘争」は、巨視的に見れば、二つの労働形態の対立とともにはじまり、とくに生産と消費の分離と軌を一にしていた。生産と消費とが分離した経済は、男女の乖離にも拍車をかけたわけである。

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー 第三章 見えない楔
| | 23:19 | comments(2) | - |
時計草


いきものみっけ!
発見場所:東京大学駒場キャンパス裏門隣の花屋さん
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トケイソウ
和名の由来は3つに分裂した雌しべが時計の長針、短針、秒針のように見える特徴のある花を咲かせることに由来する。

英名のPassion Flowerは、キリストの受難(Passion)に由来する。それは、16世紀に原産地の中央アメリカや南アメリカの熱帯・亜熱帯域に派遣されたイエズス会の宣教師たちがこの花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用したためである。彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、巻きひげはムチ、副冠は茨の冠、5枚の花弁とガクは合わせて10人の使徒、葉は槍などと言われた。
| - | 13:41 | comments(0) | - |
かくれたカリキュラム
文科省が親のかたきにも思えるくらい憎い気持ちは一生消えないだろう。奴らによって、一度は規格化されそうになり、ゆえにそこからの離脱は、僕の人生にとって最大の開放であったと、今でも思う。

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労働の場が田畑から工場へ移行するにつれて、こどもたちは工場労働に適合する教育を受ける必要がでてきた。「いったん思春期を過ぎてしまった人間は、農業から転業した場合でも手工業から転業した場合でも、工場の有能な働き手になることは、むずかしい」と、一八三五年にアンドルー・ウールが書いているが、産業化したイギリスでは、初期の鉱山や工場経営者がまずそのことに気がついた。若年層があらかじめ産業のシステムに適合するように育っていれば、後年、産業社会で生きていくための訓練を受ける際に直面する困難は、大幅に軽減するはずであった。その結果出現したのが、すべての第二の波の社会に共通な構造。大衆教育(マス・エデュケイション)である。

工場をモデルにして設立された大衆教育の場では、初歩的な読み書き、算術を主体にして、歴史やそのほかの課目もごく簡単に教えられた。これはしかし、表向きのカリキュラムだった。実はその背後に、目に見えない、かくれたカリキュラムが存在し、この方が、はるかに産業社会の基盤として、重要だったのである。それはまず第一に時間厳守ということである。そして第二が服従第三が機械的な反復作業に慣れる、ということである。工場労働者にまず要求されるのは、定められた時刻に出勤することであり、とくに流れ作業の要員の場合がそうである。そして上司である管理者の命令に、文句も言わずに従う労働者であること。また、男も女も機械あるには事務机に向かって、まったく機械的な反復作業を飽きもせずに、こつこつやっていける忍耐力の養成が必要とされたのである。

第二の波が到来して以降の学校は、幾世代にもわたって若い人々を規格化し、電動機械と流れ作業に都合の良い、画一的な労働者を育成してきた。核家族と工業労働者向けの教育は、若い人びとが産業社会で有能な役割を果たすための、総合的な準備体制の一環として機能した。この観点からも第二の波の社会は、資本主義社会であれ共産主義社会であれ、北であれ南であれ、すべて似たようなものだった。

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー 第二章 文明の構造
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「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー
過去11年間、僕が関わってきた主要な仕事には、常にこの本の影響があった。と、言っても言い過ぎではないだろう。エレファントデザインの西山浩平、当時慶応大学SFCの教授だった鈴木寛、そして竹村真一、多大に影響を受けてきた師達は、必ずこの本を携えていた。村井純からも、そしてSFCの設立にも、この本の影響を強く感じる。まさに聖書だ。そして、それぞれの解釈が、それぞれの弟子達によって空想生活になっていったり、フェイスやメディア寺子屋になっていったり、触れる地球になっていったり、センソリウムになっていったりしたのではないかと、今となっては思う。ほぼすべての仕事に気持ち悪いくらい共通する未来観が、ここに記述されている。

そういう存在があることは知っていたけれど、実際に読むことはいままでなかったが、実家の本棚から出てきたので、恐る恐る開いてみることにした。1980年に書かれた本だが、2008.09を経た今だからこそ、何倍も何倍もリアリティを感じる内容だ。

最初の20ページ読んだだけで既に感慨深いものがある。ここに書かれていることは、まさに自分の仕事そのものだ。僕は、この本に書かれている未来を、いろんな人を通じて形にすることをいままでずっとやってきた。それが実家の本棚においてあったなんて。そこに辿り着くまでにどれだけか回り道をしてきたようにも思えるし、いまだからこそ読むときなのかもしれない。

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第一章 明日への大闘争
いま、われわれの生活のなかに、これまでなかった文明が出現しようとしている。そして、そのことに気付かない人々が、あちこちでそれを阻止しようとしている。この新しい文明とともに、新しい家庭像が生まれ、仕事、恋愛、生活の実態が変化し、経済も新しくなり政治もまた新しいものとなる。なにより大きいのは、意識の変革が平行して起こることである。早くも無数の人々が、自分たちの生活を明日の生活リズムに合わせている。

その一方で、未来を怖がるがゆえに一生懸命過去へ逃避し、前向きの姿勢も示さず、ただいたずらに自分たちが生を受けた時代の、すでに死にかけている世界を懸命に守ろうとしている人々もいる。

とりわけ重要なことは、後述するように、産業革命によって分離を余儀なくされた生産者と消費者をふたたび融合させ、「生産=消費者」(プロシューマー)とでも言うべき存在に支えられた、明日の経済をつくりだすことである。こうした理由からだけでも、新しい文明は、われわれが多少知的な努力さえすれば、歴史上はじめて人間性に溢れた文明になりうるはずである。

今日、二つの明らかに対照的な未来像が、一般の人々の想像力を拘束している。多くの人々は、われわれの知っている世界が際限なく続いていくと考えている。現状に安心しきっていて、少しでも未来のことをなど考えるのはめんどうだ、と思っている。自分たちがまったくいまとちがった暮らし方をするなどということは、想像することもできない。ましてや文明が全面的に新しい様相を呈することになるなど思ってもいない。もちろんかれらも、物事が変化しているのは認める。しかし、現在進行中の変化は、ともかく自分たちの傍らを通り過ぎていくだけで、慣れ親しんできた経済機構や政治体制は、微動だにしないと決め込んでいるのだ。未来は現在の延長線上にある、と信じて疑わないのである。

この直線的な思考は、さまざまな形態をとってあらわれる。けっして検証されることのない思いこみが、単純な段階では、ビジネスマンや教師、親、政治家などが決定をくだす際の前提となっている。もう少し高度の段階では、こうした考え方が統計とかコンピューターのはじきだすデータ、未来学者の専門用語などですっかり粉飾されて、世の中をまかり通る。いずれにせよ帰するところは、未来の社会も本質的には現在と大差ない、ということに尽きる。

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第二章 文明の構造「かくれたカリキュラム」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=562

第三章 見えない楔「男女の役割の分離」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=564
| | 02:20 | comments(0) | - |
京都の我が家にて毎月一回カフェはじめます


月に一回くらいオープンに誰でも来れる場所をつくろう。ということで今月から月一ではじめます。箱庭喫茶。5月の旬は筍(タケノコ)をつかった定食をつくります。7月は流しそうめん、9月は七輪で秋刀魚を炭火焼きします。(予定)基本的には友達の友達という繋がりからはじめて行きますので、まだうちに来たことがない方で、お越しになられたい方はこちらまでご連絡ください。

● Food
旬の筍と西京味噌の角煮丼定食 1,200円(限定20食)

● Drink
ひやしあめ 300円
青竹で飲む日本酒 500円(一合)
緑樹庵清水の今月の金平糖(トマトの金平糖)と加賀棒茶 500円
湧き水で入れた珈琲 300円(with mocomoco cafe

※ 仕入れの都合によりメニューが流動的に変化する可能性大です
| kyoto kitchen | 11:24 | comments(2) | - |
九谷陶芸界の頂点
竹画家の八十山和代さんに連れられて、石川県小松市にて「発見」しました。今回連れていってもらった窯元の中でも本物中の本物。北出不二雄さん。90歳。元金沢美術工芸大学学長で、作家であり教育者だ。

元々見に行きたかった作家さんには会えなかったけれど、もっと凄いものを見てしまった。まぎれもない「本物」を作っている人だ。北出不二雄でgoogle検索しても、あまりまともに作品が出てこないから、紹介のし甲斐があるもんだ。





北出さんの作品には、青を使ったものが多い。青は色相環の中でも最も多い幅を占める色なのだが、北出さんはこれを沖縄での修業時代に沖縄の海から会得したものだという。「デザインからデザインを起こすのではなく、写生をして現実のものからデザインを作る」のだそうだ。やはり自然から獲得するのだ。

続きに11点の写真があります。
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| 日本の残像 | 00:10 | comments(2) | - |
加賀・小松 九谷焼窯元ツアー 1泊2日の旅






続きに12点の写真があります
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| - | 12:29 | comments(0) | - |