tamalog

Output and input from 1998 to 2010
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宮崎駿、日本人の帰る場所を作り続けている人


宮崎駿という人は、僕のリスペクト・パーソンの中で文句なしの一位です。表現方法は違えど、近代日本の表現者でこの人をおいて他にはいないです。そんな彼に会いに行くからおいでと、マエキタさんに誘われて飛んでったのでした。西武池袋線秋津駅午前九時。宮崎駿さんが川掃除をするところに、今年当選した市民派の名古屋市長の河村たかしさんが、里山開発保全問題で大揉めに揉めている話の相談にやってくるところを、みんなで報道しよう!っていう会らしい。

ナマの宮崎駿さんの話を聞いていると、封印していた記憶がちょっとずつ蘇ってくるような、そんな感じがする。彼のアニメーションを見ると、みんなどこかで自分の故郷を投影するものらしい。ところが僕の場合、彼の住んでいるところ、その周辺の、大きく捉えれば武蔵野という地域が、彼の住んでいる東村山市や隣の西東京市、練馬区周辺、主に西武線沿線の地域こそ原点であり、そこに住んでいた七歳頃までの記憶が、少しずつ蘇ってくるような気がするから不思議なものだ。そもそも、このあたりの地域には、一種独特の文化遺伝子が漂っているように思う。その昔、手塚治虫や藤子不二雄が集った「トキワ荘」は、現在日本大学芸術学部のある江古田にあり、僕の生まれ育った石神井公園という町は、藤子不二雄がどらえもんの舞台として描いた、あの土管のある空き地や、平屋根の続く家々がある景色そのものだと知ったときに、妙に納得したものだった。現在でこそ、中央線以北は東京に住処を得ようとするもののトレンドから外れているように思えるけれど、このあたりの地域は、東京都内における芸術家達の居場所であったのかもしれず、そしてなにより自分自身にとっての故郷であった。



それにしても、宮崎駿はアニメーション作家ではなく、映画作家でもないのではないだろうか。ナマ宮崎駿に会ってしまった後に「サマーウォーズ」を見ると、もう残念すぎるくらい次元が違うことに驚愕する。サマーウォーズ、まぁ、エンターテイメントとしては面白かったですよ。だけどうちの親が見るかなぁ?というところでは、まったく到達しないだろうなあと。アニメだけを見てアニメを作っても本物のアニメーションなんて、到底作れないんですね。つまるところ宮崎駿という人は、日本人の記憶の奥底にある「帰る場所」を、ペンで描き続けている人なんじゃないかと。彼が守り続けている川の掃除をしている姿を見て、そんなことを思った。

以下は、今日のマエキタさんの趣旨と感想インタビューです。

interviewer : tamachang

(オリジナル記事)http://ecocolo.com/starblog/maekita/

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- 今日の会談のそもそもの発端はどういうことだったんだろう?

名古屋の平針という里山が開発保全問題に揺れてるんですね。今年の四月から河村さんていう人が新しく市長になった。それまで建築行政の地域だったんだけど市民派の市長になったのね。そのことはgreenzがとても丁寧にまとめてくれているからそっちを読んだ方がいいよ。

平針は5ヘクタールの田んぼを含む緑地、池が四つ。とんぼがいっぱい。めだかもいっぱい。そこを壊して住宅にするって言ってるんだけども、半分学校に売ろうとしていて、名進研っていう予備校が相手なんだけれど。既に工事許可も出ていて、あとは河村市長がハンコを押せば着工なんだけど、市長が押さない。笑。普通は二週間で押さなきゃいけないんだけど、押さない。笑。で、どうしたもんかと河村市長が困って、自費で東京に、宮崎駿さんに相談に来たわけ。基本、もう今は開発する時期じゃないでしょう、ってのが宮崎駿さんの見解。河村さんって人はほんとにいいタイミングで市長になった。さらにCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)があるから追い風になってる。生物多様性を保護しようと主張しているのに、なんで里山を破壊するのかと。



元々平針の問題の場所で農業やってたおじいちゃんの遺族が、5ヘクタールの土地をデベロッパーに売っちゃった。その会社も中小企業なもんで、その費用を回収しないとデベロッパーは潰れちゃう。で、名古屋市としてもお金が出せないから、まずは銀行に相談したら?と宮崎駿さんにアドバイスされた。「私たちもそうやってきましたから」って言われて。河村市長は、そのデベロッパーを潰してまでは里山保全運動をやれないって言ってるんだけれど。駿さんに「ハンコおさないで、その上に書類が溜まっていけば、それで終わるじゃないか。笑」って。

宮崎駿さんは「政治的な発言はしませんよ」とか言っておきながら、里山取り壊しのハンコ押さんでいいよ、とか言ってる。笑。今日来ている淵の森は、宮崎駿でさえも近所のおじさんの一員として参加しているってことが凄いよね。それぞれバラバラでやるってことが大事、って宮崎駿は言ってる。それはすごい頭いいなー、って。宮崎駿さんが「みんなで一緒に運動するなんて、なんかヘンじゃないですか、きもちわるい」って。それぞれにその地で守る、っていうふうに展開したい。組織になると組織が動いて組織のためになっちゃうから。



そもそも宮崎駿さんが平針の里っていう反対運動やっている人たちに直筆の応援メッセージを書いて送ったってことが、そもそもの始まりなんだけれど、淵の森をどうやって守ったのか教えてほしい、って宮崎さんに問い合わせたことから始まった。淵の森の保全には宮崎駿が最初自分で三億円を出した、ってのがおっきいんだけど、安田さんていう人がもともと淵の森の保全をやっていて、その人が会長になった。ここは12年前には森の入り口が駐車場だったところをひっぺがして、公有地化して東村山市を巻き込んで、市長がミーハーで宮崎駿さんに会いたい、みたいなところもあって動いた。一方平針の場合は、25億必要だって言われてるんだけど。

今日は河村さんが、宮崎駿さんにあえますかねぇ。って言って、たまたま二人のスケジュールがあいてた。8時半から10時40分まで。ほんとにたまたま実現して、よかったね。



- 宮崎駿さん、だいぶシニカルな人だったね

(環境運動を)「うちじゃしないしない」って言ってるけれど、鞆の浦にしてもなんにしても保全運動に入っていくよね。本人が出て行くことで美談にされることを嫌がってるんじゃないかな。

期待通りのチャーミングな人でした。笑。仕事させたら怖いだろうね。映画つくってたら半数以上スタッフやめちゃうんだよ。いわゆる町にいる頑固じじい。町にいっぱいいると思うよ。あまのじゃくで、子供がえ〜ん。て泣いちゃうような。だけどときどき「ニカッ」て笑ってるとこがチャーミング。面白かったのは、私はナウシカで育ったから言いたかったんだけど、この性格だから嫌がるだろうなと思って言ったんだけど、言ってみた。「ナウシカで人生変わった女の子はいっぱいいると思いますよ」って言ったら「うちの奥さんは変わんなかったみたいだけどね」って。やっぱりシニカルだった。
宮崎駿はそうとうせっかちな性格だと思うんだけど、「あせらないことにしたの。できることをこつこつと」って最後に言ってたのは印象的だった。

最後に、宮崎さんが「なんで今日はこんなことになったの?」(人がたくさんきてて)って言ってた。してやったり!って感じ。

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淵の森保全連絡協議会
http://www.fuchinomori.com/

宮崎駿と河村たかし(名古屋市長)がトトロの森で会談
http://greenz.jp/2009/08/28/hirabari_totoro/

名古屋在住ジャーナリスト関口威人さんによる河村たかし×宮崎駿対談レポート
http://sekiguchitaketo.blog94.fc2.com/
| - | 01:21 | comments(2) | - |
[延期] 箱庭喫茶 第三回 二〇〇九年八月 処暑
急遽スタッフのスケジュール調整の問題で延期になりました。ごめんなさい。
日程が確定次第再度アップします。 m(_ _)m



前からずっとやろうやろうと言っていた流しそうめんを今月はやります。流しそうめんということで立席になるかもしれませんが、予約の必要はありませんので気軽にお立ち寄りください。

● Food + Desert
流しそうめん 旬野菜の薬味と特製麺つゆ
一口おにぎり2個
すいかジェラート
1,000円



数日前、家の外でなんやらバタバタやってるなぁ、と思っていたら、家の一階が凄いことになっておりました。笑



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箱庭喫茶 第二回 二〇〇九年七月 小暑
http://tamachan.jugem.jp/?eid=596

箱庭喫茶 第一回 二〇〇九年五月 小満
http://tamachan.jugem.jp/?eid=569
| - | 12:00 | comments(0) | - |
イン神山 二回目にて
今回の旅の途中。徳島の神山に立ち寄った。神山国の国王大南さんの進める雨乞いの滝に、今回の旅の同行者やよいちゃんは飛びついたのでした。丁度数日前の徳島と岡山への集中豪雨の後で、滝は濁流と化していたのでした。しかし彼女はそんなことは気にも止めず、突入。笑



その後、ずいぶん立派な崖に遭遇。最近ロッククライミングを始めたという彼女は、もちろん言うまでもなくこの崖も登って行ったのでした。



www.flickr.com|2009.08.10 - 16 しまなみ海道から淡路島まで瀬戸内海548km(うち自転車126km)6泊7日の旅
http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/sets/72157622111050808/

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レベル20 徳島県名西郡神山町 神山アーティスト・イン・レジデンス
http://tamachan.jugem.jp/?eid=577

泥臭いことをスマートにやりよるんよ グリーンバレー 大南信也さん
http://tamachan.jugem.jp/?eid=578

Sense of Wonder 神山
http://tamachan.jugem.jp/?eid=576

ちっちゃな訪問者
http://tamachan.jugem.jp/?eid=583
| 自転車生活 | 00:50 | comments(0) | - |
しまなみ海道三日目 〜 サンセットカヤック
三日目は伯方島を出発。そしてしまなみ海道最後の橋、来島海峡大橋を渡る。全長約四キロのこの橋を渡ると、四国に入る。



百キロ近く走ってきて、たぶんこの橋を渡ってるときが一番良かった。南に来れば来るほど海水が澄んでくるのは気のせいだろうか?もうなんかそのまま飛び込んでしまいたくなるような入り江が何カ所かあった。



橋を渡りきって六キロで今治駅。とりあえず一端自転車の旅は終わり。この日は夕方に小豆島でカヤックの予約をしていたのでした。そこからは、夕焼けに間に合うように大急ぎで特急電車の旅。一気に156kmを駆け抜けます。そしてなんとか夕焼けまでに小豆島にたどり着いたのでした。



ぜんぜん知らなかったけれど、カヤックって特に免許もなにもなくて、勝手に乗っていいものなんですね。本体がほぼ海面すれすれなので、海の中に手を突っ込めるような距離感。こんな乗り物があったとは。島に移住したら絶対一台は欲しい乗り物だなと思う。ちなみに一台10万円〜20万円くらいなそうな。







より大きな地図で
| 自転車生活 | 21:15 | comments(0) | - |
しまなみ海道二日目 弓削島と地域再生事業家、兼頭さん


初日の目的地を、わざわざしまなみ海道からちょっと外れている弓削島にしたのは、この人に会うためだった。兼頭一司さん三十八歳。元々彼が凸版印刷にいたときにサステナに飛び込みで現れた人だった。二〇〇四年だったか、環境活動に目覚めた直後の彼は、某大手外食チェーンや某大手飲料メーカーの環境報告書をサステナと一緒に作りたいと言ってやってきた。凸版印刷にいたときから、ちょっと飛んでる人だなー、と思っていた。なにかをしでかしそうな、そんな感じ。

その後彼は、凸版印刷を退職して、全寮制の松下政経塾に入り、周囲は政治家に転身するものだとばかり思ってみていた。ところが、一年ほど前の年賀状で愛媛の島に一家で移住しました、と書かれていてびっくり。奥さんと現在二歳になるはじめちゃんと弓削島に移住してなにをしてるんだろう?とずうっとずうっと気になっていた。



去年の十月に「株式会社しまの会社」を設立。弓削島の中心地に「しまでCafé」を地域の人たちと一緒に立ち上げ、最近では畑を開墾し「大豆レボリューション」を植えているところだった。

兼頭さんの雰囲気は、いまだどこかしまのおっちゃんとは違う、都会で仕事をしていた人の空気が残っていた。けれど、そんな外からの視点は残しつつ、数年後に行ってみたら村が形成されていてほしいと、切に願う。そんな彼の現在の生き方は、ちょっと今の僕の思っている未来に近いんじゃないかと思っている。彼のように一家で移住、となるのかどうかは定かではないけれど、中央を変えていくことよりも、小さな小さな単位で小宇宙をつくっていくことの方が、はるかにリアリティがあるように思う。



弓削島をぐるっと一週見てまわっていて、出発が遅かったのもあって、隣の隣の井口島の多々羅大橋で夕焼け。この日は伯方島で一泊することになった。

つづく。

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| 自転車生活 | 09:35 | comments(0) | - |
しまなみ海道から淡路島まで瀬戸内海548km(うち自転車126km)6泊7日の旅
しまなみ海道!広島県尾道市から愛媛県今治市までの多島海が橋で結ばれてから十年。開通した直後にクルージングしたときから、一度自転車で渡ってみたかったのです。六月の琵琶湖自転車の旅に続き第二弾。

八月十日。今日から丁度一週間前に出発。京都から尾道までは自転車を解体して電車で運びます。今回は時間の都合上新幹線を利用。新幹線でも自転車は運べます。尾道で組み立てて渡船で渡るところからスタート。



しまなみ海道はアップダウンが激しいからね〜、とは噂で聞いていたけれど、その意味が最初の島、向島から因島に渡るときに、身をもって解ったのでした。合計で七回、橋を渡るのだけれど、その旅に橋の高さ平均して約五十メートルを登らなければならないのだ。これは、その数字からはちょっと想像できない。特に真夏のこの時期は・・・。



因島大橋だけ、橋の下を通ります。瀬戸大橋を通ってるマリンライナーとか、お台場のゆりかもめな感じ。自転車の通行料は50円。



そしてなんとか夕焼けまでに目的地の弓削島に到着。本日の走行距離は三十キロちょっと。弓削島はしまなみ海道からはちょっと外れているけれど、行ってみてびっくりしたのが、砂浜が大変大変綺麗なのだ。ピンク色に光っている感じ。





瀬戸内海って太平洋ベルトラインのど真ん中なのでどうしても海が汚いように思うけれど、ここはゴミがひとつも落ちてなく、砂は桜貝が混じっていて夕陽に反射して美しい。しかし、この浜は六年前まではヘドロで汚れていたのだそうだ。どうやらこの島には婦人団体が大小あわせて十六もあり、ここ数年地域の自治再生が始まっているという。

つづく。

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| 自転車生活 | 15:44 | comments(0) | - |
五条坂の陶器まつり


毎年八月の第一週の週末を挟んで数日間、五条大橋から清水坂の手前までの五条通り(の両側の歩道)で陶器市が開催されている。この時期は毎年必ず京都にいて、ひたすら陶器を買いまくっている。五条坂はもともと、京都の料亭で使われる「清水焼」と呼ばれる陶器の一大生産地であった。うちにある食器のほとんどが、この陶器市で買ったものだったりする。一個とかで買っていくとバラバラになってしまうので、必ず五個単位(我が家の想定同時来客数)で買うことにしている。もちろん買いたたくのは言うまでもない。



今年の戦利品。しめて約三万円くらいだろうか。今年なにより嬉しかったのは、ずっとずうっと探し続けていた瑞松さんの茶碗を発見したことだ。瑞松さん独特の紫色の釉薬に惹かれて探し続けていた。茶碗のものでこれ一個ネットで買うと6,300円するところが、11個あるだけ全部買って、13,000円、つまり一個あたり1,181円で買ってきた。しかももう窯を閉じるということで、入手困難になるという。



そんな瑞松さんの茶碗の存在を知ったのは、京都では大変有名なくずし割烹「技魯技魯ひとしな」でだった。技魯技魯に通うこと二十数回。毎度毎度、最後のごはんのとき、この紫色の茶碗が出てくる度に、ひたすら撫で、いつか手に入れようと思ってきたのだった。そういえばここの大将に陶器市のことを聞いたんだったっけ。

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五条坂の陶器まつり2009 8/7(金)〜10(月)
http://www.toukimaturi.gr.jp/

京焼 清水焼窯元 瑞松陶苑
http://www8.plala.or.jp/zuisyo/

技魯技魯ひとしな
http://tamachan.jugem.jp/?eid=282
| - | 05:16 | comments(0) | - |
3年目の3代目のiPhone(3GS)


このたび、わたくしiPhone3GSに機種変更いたしました。

2007年9月28日(発売日)にiPod touch(iPhoneOS1.0)を買って、しばらく触ったあと、ほとんど使わなくなり。

2008年8月11日(発売日)にiPhone3G(iPhoneOS2.0)を買って、しばらく触ったあと、メインのケータイは従来通りソニー・エリクソン製のものを併用しはじめ、iPhone3Gは電子手帳としてしか使わなくなり。

3代目にして、やっと、タッチスクリーンに完全移行しようと決意いたしました。決定要因は「速度」でした。思えばもう丸2年もタッチスクリーンから逃げてきたのですね。(正直大変苦手)

三度目の正直、三顧の礼と、三にまつわる伝説が多々あります。コンピュータ業界ではバージョン3はいいものができるという伝説もあり。そういえば、WindowsXPを見限って、仕事環境をMacOSXに移行することを決意したのも10.3の時だった気がします。革新的なものが登場して、実用段階に入るまでは3年かかるということかもしれません。
| 買物三昧 | 02:27 | comments(0) | - |