2022.07.04 Monday
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tamalogOutput and input from 1998 to 2010
2009.09.25 Friday
だるま商店 安西さん来訪
今日は箱庭の家のお客さまに「だるま商店」さんがやってきました。だるま商店さんは京都の新進気鋭のグラフィックデザインのユニット。「花鳥風月と欲俗」をテーマに、京都のあちこちで見かけるようになってきました。そういえば華道家木村貴史の浴衣イベントで。ホクサイグラフィックスこと市角壮玄参加の六館堂のイベントで。等々と三回くらいまったく別の繋がりでニアミスしていて、本日遂にお会いしました。 そういえば、京都の予約がとれない店で有名な「枝魯枝魯ひとしな」のウェブサイトのグラフィックも彼ら。そもそも「あじき路地」に住んでいる、ってことで一番最初に知ったのでした。あじき路地は大正時代に建てられた築約90年の10軒ほどの町家に、革小物職人さんだったり、照明作家さんだったり、パンやさんだったり、三味線職人さんだったり、若手の職人さんが集まって住んでいるところ。 -- だるま商店 http://dalma.jp/ あじき路地 http://youpv.exblog.jp/8760236/ http://www.rim-works.com/ajikiroji/ajikiroji.html 2009.09.24 Thursday
ジェームズ・タレルの「光の館」
光の館についての説明はpingmagの記事でも読んだ方がよくまとまっているのでそっちにまかせるとして。2003年に初めて越後妻有に行ったときにこいつはえらいもんを作ったなぁと思ったのが光の館だった。 2003年といえば、僕にとってはちょうど100万人のキャンドルナイトの立ち上げの直後で、谷崎潤一郎の陰影礼賛を拝読して蛍光灯にひどく嫌悪感を感じていたり、照明デザイナーの面出薫さんとイベントをつくったりして、日本の近代文化に関する光と闇の興亡にひどく敏感になっている時だった。 この作品は家全体がジェームズ・タレルによる照明のコーディネートでできているのだが、リビングフロアーの開閉式の屋根部分から四角くのぞく空を見上げることが最大のポイントである。夕陽が沈んでから、真っ暗になるまでの約30分程度のあいだ、急激に空の色が変化していく際に、窓の内側から照らしているオレンジ色のLEDが、空の色に対応して徐々に明るく変化してゆき、切り抜かれた空と天井の色のコントラストが最も美しくなるように設計されているのだ。そしてなによりこの光のプログラムは、光の館に宿泊しないと見れないのである。 夕焼けの色の美しさ、その破壊力たるやどんなアート作品も絶対にかなわないであろう。常々六本木ヒルズにある森美術館の設計にはミスを感じる。ひととおり作品を見終えて出てくると、53階の大開口から丁度夕焼けが見えていて、それまでみてきた作品の余韻のすべてが吹っ飛ぶのだ。夕焼けに限らず、自然の精緻さにはかなうはずもないのだ。 いろいろと調べてみると、そもそもこの光の館は、越後妻有アートトリエンナーレの総合ディレクターの北川フラムさんが、2000年の第一回開催時に谷崎潤一郎の陰翳礼讃をモチーフに、日本家屋をつくってくれないかという依頼でつくったものだという。これもまた外国人による日本の再発見の一つの試みであった。 そもそも日本の家屋に蛍光灯を使い始めたことは、大きな大きな間違いの始まりだった。高度経済成長期「明るいナショナル」の標語にあるように、家中の、ましてや町中の明かりという明かりを、蛍光灯に取り替えてしまったことによって、本来明るく照らす必要のない所まで照らされるようになった。その結果、汚れたものまではっきり見えるようになってしまい、すぐに取り替える文化が生まれ、消費サイクルを激しく助長するようになった。またその白い光をオフィスで煌々と照らすことにより、人間を常に活動的にさせることにも成功し、全体的には大きく日本の経済発展に影響を及ぼしたが、結果的にそれは幸せなことだったんだろうか? センスがいいのわるいのという議論を聞くたびに、センスというのは文字通り感じる力のことなのだから、センスが悪いというのは、純粋に感じる力がにぶいということなのだ。そもそも感じる力がにぶいのに、センスが良くなりたいとはどういうことだろうか。センスが良いというのは、いいことだけとは限らない。感じすぎてしまって、それはそれで大変なことなのに。だからこそ現代社会はそうして感覚を閉ざしていないと、生きていくことができないのもまた避けがたい事実である。 光の館は、そんな現代社会を痛烈に批判するとともに、閉ざされた感覚を多少なりとも開くことができる場所であってほしいと僕は願ってやまない。 -- House of Light http://www11.ocn.ne.jp/~jthikari/ ジェームズ・タレルの「光の家」に泊まって|pingmag http://pingmag.jp/J/2006/08/21/staying-in-james-turrells-house-of-light/ | - | 01:35 | comments(1) | - |
2009.09.14 Monday
交通事故に遭いました。
えー。大変ご心配をおかけしました。身代わりだったのか、愛車二号機「LOUISGARNEAU LGS-SIX」は前輪後輪共に大きく湾曲し、メインフレームも傷だらけ。廃車にするか、再起をかけてみるかは悩ましいところであります。 人間の体の修復能力というのは素晴らしいもので、三日目にして松葉杖で歩けるようになり、四日目にはタクシーによって病院までいけるようになり、五日目には自転車に乗れるようになりましたとさ。 | - | 02:19 | comments(3) | - |
2009.09.06 Sunday
大地の芸術祭2009に
いってきました。 芸術祭としては三回目。越後妻有地方には通算六回目の来訪となります。もはや東京、京都に次いで、そらで道が解る場所になりました。 今回一緒に行ったメンバーは最高でした。現代アートの既成概念に囚われず、大変マイペースな人たちで、フィールドを使い倒すことに長けた彼ら彼女らから学んだことは、大地の芸術祭はそれ自体でひとつの学校のようなものであると。トビアス・レーベルガーのつくった森の中の図書館があり、河口龍夫のつくった黒板だらけの教室がある。そして日大芸術学部彫刻コースの有志が作った図工室があると。そんな学校だったら、自分の子供を通わせてもいいかなと、ちょっと思った。 まだまだそういう風潮が幅を利かせているように思うが、現代アートを現代アートとして丁重に祭り上げてホワイトキューブの中にとじこめておくことはまことにナンセンス極まりない。そんなものはコンピュータの画面の世界に閉じこもっているウェブデザイナーや、エコエコしている環境業界人とまったくなんら変わらないタコツボ思想である。 現代アートを地域と結びつけたり、教育と結びつけたり、ひとつのツールとして捉えることで、世界の見え方はまったく変わってくるのだろう。 031 行武治美「再構築」 215 鞍掛純一・日本大学芸術学部彫刻コース有志「コロッケハウス」 234 クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン「最後の教室」 147 河口龍夫「関係-農夫の仕事」 180 トビアス・レーベルガー「フィヒテ(唐檜)」 214 鞍掛純一・日本大学芸術学部彫刻コース有志「脱皮する家」 215 鞍掛純一・日本大学芸術学部彫刻コース有志「コロッケハウス」ミュージアムショップ 006 芹川智一「田園の中の異国ing(OUTLAND)」 010 木村吉邦「安堀雄文記念館」 063 ジェームズ・タレル「光の館」 240 マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」 147 河口龍夫「関係-黒板の教室」 030 ヘンリク・ハカンソン「音の波」 www.flickr.com|2009.09.02-04 大地の芸術祭2009 http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/sets/72157622274841856/ -- 茂木健一郎×北川フラム「越後妻有アートトリエンナーレ」 http://tamachan.jugem.jp/?eid=375 大地の芸術祭 -越後妻有アートトリエンナーレ2006- http://tamachan.jugem.jp/?eid=172 | - | 22:58 | comments(0) | - |
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