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Output and input from 1998 to 2010
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iPadは何がどうイノベーティブなのかについてご説明します


iPadを見ていて。20代から40代くらいまでの、パソコン黎明期を生き抜いてきて、いまバリバリに使いこなしている世代にはすこぶる評判が悪いように感じる。そんな様子を見ていて、しかしまあよくもあんなに使いにくいものを、あたりまえのように使いこなせるようになった我々の方がよっぽどどうかしているんだ。と、思った。

スペックだけ見てると、そんなふうに感じるんだと思う。だけどもまずはこの映像を見てみよう。



あー、やっぱりなー、と思うのは、先日のGoogle Chrome OSについてもまるで同じ事が言えるけれど、いま、我々が慣れ親しんでいる、カーソルやアイコンでおなじみのWindowsやMacOSの、ほぼ完成された水準にある現在のグラフィカルユーザーインターフェイス(以下 : GUI)の時代が終わろうとしているということである。

我々は、初めてコンピュータに触れたときの、どうしていいのかわからないあの悔しい気持ちを、長い年月の間に忘れてしまっていて、すぐに思い出すことはできないけれど、両親や年配の方にコンピュータの使い方を教えたときの、なぜこの人は解らないんだろう?というはがゆい気持ちを思い出せば、少しは理解できるかもしれない。あちこちのブログでの説明を見ているとiPadは、そんなデジタル文房具だというような説明ばかりだ。だけど果たして、それだけなんだろうか?



おそらく一個人としてGUIが実装されたコンピュータを使えるようになったのは、1984年の初代Macintoshからだろう。それが広く一般化したのは1995年のWindows95以降のことであると思う。それから現在までの間に広く蓄積された常識から見ると、マウスの無いiPadでスプレッドシートを書いたり、プレゼンテーションをつくることは非常に面倒で手間のかかる作業のように思えるかもしれない。

iPadに関して言えば、当面は上記デジタル文房具的な使い方や、コンテンツの「受信機」としての役割に特化する形で展開されていくように思う。GUIをベースとしたパソコンは開発環境として棲み分けされていくようにも思われる。しかし、遅かれ早かれデジタルコンテンツのものづくりをしていくプロセスについても、タッチスクリーン上で展開されるようになるであろう。一般的には1995年以前の黒い画面に白い文字が浮かんでいた頃のコンピュータを使っていた頃も、GUIに移行するときにまったくおなじような不安と動揺があったのだ。「あんなものでは作れない」と。



これから初めてコンピュータを触れるようになる世代は、もう最初からタッチスクリーンなのだ。iPhoneに限らず、世界の主要な携帯電話メーカーは、故障部品の点数をできる限り少なくしたいという思いから、一斉にタッチスクリーンへの移行にシフトしようとしている。

年始の記事に書いた、ほのかちゃん二歳は、両親のiPhoneをしっかりと握って、ロックを解除して好きなアプリケーションソフトを起動して遊んでいた。まだ言葉もろくに話せない子供でも、あんなに直感的に操作できるものなのかと。あのとき、次にアップルが作る物がなんなのかってことが、ちょっと見えた気がする。



この映像を見ていると、GUIをベースとしたコンピュータに熟練してしまった我々は、いかにコンピュータというものを操作する上での既成概念にまみれてしまったんだろうと、改めて思う。キーボードとマウスと、ウインドウ操作と切り替えバーによるマルチタスク画面が無ければ、ついつい不安になってしまうのだ。

Googleは、Googleらしい発想でGoogle Chrome OSによって、次のコンピュータのあり方を表現しているし、やはりアップルはユーザーインターフェイスの革新によるユーザー体験の質の向上によって、イノベーションを起こそうとする。



iPadは、ビジネスモデル的には、アメリカで大流行のアマゾンのキンドルに対抗して、出版業界を再編するっていうことらしいけれど。僕はそれよりも子供達がクレヨンで絵を描いたりするような、一昔前でいえばキッドピクスnotaのような、個人の情報発信の手助けになるソフトウェア作りができることにだいぶワクワクします。

GUIは、それがメインストリームになるまで11年かかったけれど、タッチスクリーンインターフェイスは何年でメインストリームになるだろう?初代iPhoneが登場してから現在までに、既に3年が経とうとしている。







| 情報デザイン・メディアデザイン | 21:12 | comments(15) | - |
地球大学アドバンス 第26回 生物多様性シリーズ : 1「地球の担保『種子』を守る」
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| ログ | 02:45 | comments(1) | - |
未来のインスピレーション


ほのかちゃん。彼女の笑顔を見ていると、ここのところ抱えてた諸々が吹き飛ぶようだよ。2010年最初の記事に、彼女の写真と、それにまつわるストーリーを書くことは、今年のテーマが「未来」と「インスピレーション」という二つの言葉で始まろうとしているときに彼女の笑顔はふさわしいと思った。

そうそう。僕が彼女のパパに出会わなかったら、今の僕はいないと言えるし、彼女もいないかもしれない。



山本尚明くん、31歳。パナソニックで働くプロダクトデザイナーだ。家電機器や設備を通じたソーシャルコンセプトクリエイションの実践と研究が主な仕事らしい。1999年の夏を過ぎて季節は秋に変わりはじめていたある日、エレファントデザインでの仕事に疲れ果てていた僕が、彼に連れられてSFCに行っていなければ、その後の僕のほぼすべての人間関係も存在しないことになるし、従って今の僕はいないことになる。そのくらい大きな大きな転機だった時期を共に過ごすことになった、初めて知り合ったSFCの学生、当時環境情報学部の2年生だった。

当時の僕は、彼を通してその先にあるSFCの学生達が共通して持っている、未来に対するあふれんばかりのアグレッシブさを感じ取っていた。彼はもともと、空想生活の開発をサポートしてくれるスタッフとして参加していた。そんな彼に誰かが、SFCの学生だったらこのプロジェクトをどのようにつくる?と質問したときに「SFCの学生だったらこんなん自分たちでつくっちゃいますよ」と言っていたのを聞いたのが、SFCという場所に対するファーストインプレッションだった。

SFCって、慶應大学が10年前に藤沢に作った新しいキャンパスということすら知らなかった僕は、その言葉の意味不明なくらい強気で、しかもあたりまえのように言う態度によって、その存在に気がついたように思う。彼は、まさしく「未来からの留学生」そのものだった。



そもそも、センソリウム竹村真一さんについて最初に教えてくれたのも彼だった。彼に2001年にメディア寺子屋に連れて行かれなければ、その後の100万人のキャンドルナイトにしても、そこから派生した全てについてもなにも無かったことになる。

彼とは当時「時間」についてよく語り合った。時間という概念が人によってつくられたものであること。それは特に産業革命以降、19世紀、20世紀を通して社会は時間に都合を合わせて進んできたけども、そこには幸せはなかったのかもしれない。21世紀はそういう概念から脱却しよう。なんでもかんでも同期をとろうという考えはやめましょう。非同期で、お互いにストレスをかけない関係でコミュニケーションして、そこに出来上がってくるものに、何か幸せを見てみましょう。なんていう議論をしていた。それは後々、環境の世界ではスローという言葉で呼ばれていたり、アメリカ人の未来学者アルビン・トフラーによって1980年代に書かれていたことだということを発見した。

ともかく、10年前の僕らは、世紀の変わり目に未来というものをアグレッシブに捉え、来たるべく未来はどのようなものであるか、一つ一つ学んでいっているうちにあっという間の10年が過ぎて、2010年になった。僕は彼が当時示していたコンセプトの世界をひたすらに突き進んでおり、彼は父親になった。



2009年の終わりに、僕のアウトドアの先生である弥生ちゃんとこれからについて話していたとき、彼女は「子供に冒険を教えたりできる場所をつくりたいんだ」と言っていた。

そのとき、僕は、子供達に未来を見せてあげる人になりたいんだ。と強く思った。

みらい。
僕は、宮崎駿さんに、未来をたくさん見せてもらったなー、と思う。ほかにも、いろいろな人に、見せてもらったけれど、そこで何が見えたんだろうか。何が良いか悪いかなんて価値は、自分自身ではわからなくて、こうあるべきだ、これが美しいんだ、美味しいんだ、いいことなんだ、っていう価値は、いろんな人から教えてもらって、それをまねして、知ってきたと思う。

宮崎映画っていうのは、子供達がこういう未来をつくっていったらいいんだよ、っていうことを暗に示しているところが、僕はとても共感するところであるとおもう。そんな、未来。

宮崎駿さんの手段は映画で、僕の手段はまだわからない。だからブログを書いている。景気が悪くなったり、世間の雰囲気が悪くなればなるほど、なにかを照らしていかなきゃと思う。特に東京にいると余計それを感じる。

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未来からの留学生
http://tamachan.jugem.jp/?eid=631

sensorium と Night and Day
http://tamachan.jugem.jp/?eid=392

「第三の波」The Third Wave アルビン・トフラー
http://tamachan.jugem.jp/?eid=561
http://tamachan.jugem.jp/?eid=562
http://tamachan.jugem.jp/?eid=564
| ひと | 23:53 | comments(3) | - |