tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
個人発メディアの作り方 greenz.jp 鈴木菜央


INSPIRE lab 第2回 個人発メディアの作り方 鈴木菜央
speaker:鈴木菜央氏 @suzukinao(greenz.jp編集長)
date & place:2010.03.26
株式会社ビオピオ オフィスにて

written by @tamachangg
participant : @ryutaro_i @a_kodama @stkbys @scommunity @tumaMo @yu_nakamura8

だいぶあいだがあいてしまいましたが。iPadが発売する前、出版業界再編、黒船がやってきた!さあ大変だっていう妄想をばりばりにふくらませていた今年三月の末。ようやく楽しくなってきたと思っていた頃に、greenz.jp 鈴木菜央さんにお話して頂きました。

丁度一年くらい前から、急激に普及し始めたTwitterでたぶん僕の周りでは一番最初に使っていたのは菜央さんだったと思います。個人が発信する情報のポテンシャルが急速に高まっているのを、うまくウェブマガジンというメディアと結びつけ、ただ投げっぱなしの情報発信ではなく、ゆるやかにコミュニティ作りをしている舞台裏から、編集とはなにか?自分自身の暮らしとの一体化までありのままを語っておられます。
続きを読む >>
| ログ | 20:21 | comments(0) | - |
原生林と腐海の森
西粟倉に行く時はなんだか生命か生態か森林に関係する本を読んでいる。特に意識しているわけではないけれど、前々から読まねばと思っていたものを、一冊ずつ取り出している感じ。

前回は福岡伸一「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」を読んでいた。生命とは何か?生命の本質っていうのは、エントロピー増大の法則にある。エントロピーっていうのはどんどん散らかっていくこと。生命っていうのは脆いようなイメージがあるけれど、本質的にはどうにも押さえられないくらい強いものであること。生きていくうちにどんどん散らかって、やがて秩序を失っていって、あちこちで障害や機能不全が起こって、そのために死というプログラムが仕込んであって、そして次の世代によって再構築される。延々とその繰り返しであるっていうことを、動的平衡という。

前々回はメアリー・マイシオ「チェルノブイリの森」を読んでいた。1986年4月26日に起きた原子力発電所の事故の後、20数年経って立ち入りが禁止されている発電所20km圏内の周辺地域は広大な森に変わっていた。という話。事故の直後は草木がまったく生えない荒野になるとか、生物が巨大化するなんていうSFのようなことが言われていたけれど、生態系はもっとしたたかだった。いまなお汚染されているにも関わらず、植生は元に戻り、ヨーロッパ中から、人間がいない場所を求めて希少種の動物が集まり完璧な食物連鎖が生まれていた。というお話。

そして今回は宮崎駿「風の谷のナウシカ」でした。この本は、ずうっと前から大きな大きな宿題でした。映画版は見たことがあったけれど、コミック版を読む気には何故かなれないまま、風の谷のナウシカ全7巻BOXセットが本棚の奥底に眠ったままになっていたものを、デジタル化したっていうのもあって読んでみたのでした。文脈を一つずつ遡っていって、ようやく辿り着いたという感じ。大前提として竹村真一さんの宇宙観的な視点による季節やエネルギー循環の話を聞いた上で、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読み、この国に数多ある伝統文化とその根本にあるアミニズムの世界観を追いかけ、そのもっとも源にあったのはこの国の風土であり、そこに存在する自然だった。そういう文脈の上でやっと辿り着いたところ。

nishihourのサイトをつくる前に、となりのトトロを三回か四回見てつくっていたりするんだけれど、今回のお仕事は牧大介という人との対話だけではなくって、なにより宮崎駿との対話をしなければならないんですね。そんな牧さんも、やっぱり「風の谷のナウシカ」によって生態学の世界に入った一人だったのでした。


そんな西粟倉の最も北にある、西日本で一番目か二番目くらいの大規模な原生林に行ってきました。

dsc_0658dsc_0648dsc_0660dsc_0634dsc_0737dsc_0694dsc_0665dsc_0768dsc_0691dsc_0645dsc_0764dsc_0767dsc_0770dsc_0049dsc_0052dsc_0064dsc_0068dsc_0072dsc_0076dsc_0078dsc_0095dsc_0089dsc_0087dsc_0098dsc_0108dsc_0109dsc_0118dsc_0120dsc_0121dsc_0122dsc_0113dsc_0114dsc_0103dsc_0124

--

www.flickr.com|2010.06.19 西粟倉 源流の森ツアー
http://www.flickr.com/photos/25410558@N05/sets/72157624330018346/

nishihour ニシアワー
http://www.nishihour.jp/
| - | 14:51 | comments(0) | - |
松岡正剛 立命館大学 白川静 生誕100周年フォーラム
立命館大学 白川静 生誕100周年フォーラム
speaker : 松岡正剛氏(編集工学研究所所長)
data & place : 2010.06.06
立命館大学 衣笠キャンパス 以学館2号ホールにて

なんか京都にいると大学にばっかりいるな。と、思いつつ。精華大の翌週は立命館大学におりました。

--





できるだけカジュアルな話をしたいと思いますが。1970年に漢字という岩波新書の本を出されたときに「遊」(ゆう)という雑誌を発案し、翌年創刊しました。私の27から8歳にかけての創刊だったんですが、非常に大きな挑戦でした。しかも当時漢字一字の雑誌というものは書店には無かったと思うのですが。私はなにかこれは時代に挑戦するために変えなければいけないと思いましてね。そこで遊というタイトルにしたのですが、それこそが白川先生が当時岩波新書から出された本に強烈なインパクトを受けたせいでした。後に白川先生に連載していただくわけですが「遊」という漢字の意味をお願いします、とお願いして書いて頂いたのですが、今度は道字論、道という字の話になり、約二年間くらい連載をしました。先生が最も好きな漢字が遊という文字だったということが解ったのはそれから更に二十年後のことでした。いったいなぜ白川先生が遊という字に注目され、私が惹かれたのか。それについてお話したいと思います。

私、編集工学や編集ということを仕事や研究にしております。編集というのは新聞を編集するとか雑誌を編集するというふうに使われておりますが、私は必ずしも狭く編集をとらえているのではなくて、人間がイメージを頭の中で浮かべたときに投影して、なにかに定着するまでのすべてを編集と見なしています。私たちの頭の中にはイメージというものがあるわけですけども、それがマネージされている。マネージというのはマネージメントという言葉でいま大変、企業では大事な言葉ですが、もしマネージメントがあるのならば、イメージにもイメージメントという言葉もあったであろう。そう思って、そこに分け入っていく。それが編集の仕事であり、研究だ。というふうに思ってるんですね。ということは、そのためにはいくつか、赴かなければならないことがある。一つは、幼児がどのようにイメージを言葉や身振りや、あるいはコミュニケーションにしているのかということを研究しているわけです。あるいは二つ目は、古代人はどうして言葉や文字というものを持ち出したのか。日本は古代、長らくオラルコミュニケーション、文字はつかっていなかった。少なくても漢字がやってくるまでは文字は使っていないんです。だとするといったいどうやってコミュニケーションをしていたのか?中国の甲骨文化の前はどうしていたのか?白川先生は、このイメージの世界になにがあるのかということ、どう社会化されたのかということを研究されたわけです。みっつめ、古来そのようなことはどのように学問になったのか。例えば言語学というのはいつできたのでしょうか?15世紀でしょうか、ルネッサンスでしょうか?ローマでしょうか?ギリシャ、あるいは漢の時代でしょうか?また、民族、あるいは風習、そのようなものを研究するようになったのはいつでしょうか。おそらくは文字が確定し、そのいくつかが民族あるいは国家にわかれ、民族言語が並立、あるいは林立、ないしは乱立してから、言語やコミュニケーションということが気になり始めたんですね。

国風というふうに書いて、日本ではくにぶりといいますね。脳とどう関係があるのか。手を振ると日本ではこっちに来なさい、ということになるし、英語圏では、あっちにいけっていうことになりますね。それと同じように言語と文字表現は変わってくると思いますね。白川先生の言語学には針が一杯出て来ますけども、身体性を持っていたんだと思います。例えば山水画というのは見上げる、のぞき込む、見通すというヨーロッパとはまったく違った遠近法の見方をしますが。先生は後に共時論をお書きになりますけども。日本の禅は、南の禅の影響を受けているんですね。奈良の仏教は最初、北魏仏教が入ってきていますから北から入ってきているんですね。それらは学問だけでなくて、芸能や芸術にどのような影響を持ったのかが重要です。





暮(くれ)ってのはシャーマンの女性の媚びを売っている姿を現しているわけですね。文字の中に芸能性や芸術性がとってもあったわけですね。野村万之丞は、中国のほぼ大半の芸能を訪ねて、弦楽や能とどう関係しているのかを調べていました。それは白川文字学の奥にある人間のパフォーメントとして大事なんですね。

以上のようなことを、私は白川先生の、漢字という本から衝撃を受けました。イメージとイマージの間にある世界に行かなければいけないと思ったわけでした。自分の仕事として、研究として、文字とか漢字を白川先生から教わりつつ(勝手に私が学ぶだけなんですが)ち、と、さを、子供がよく間違えますね。くさび形文字はだいたい途中で回転します。北九州に出土した卑弥呼の時代に、和という字がこのように 表現されているのですが。

文字の世界には人間の身体があるわけですね。腕のストロークがどれだけ動きやすいかが、文字の文化と非常に関係がある。編集的な思想や、編集的な変化に応じて、白川先生を学ぶということをしてきました。途中からそういう勉強の仕方ではまったく足りないということに気がつきました。それは、何故あのような白川先生が書かれたような世界は、今日無いんだろうか。あんなに素晴らしい生き生きしたものが、どこで失われたんだろうか。じゃあ、いつ失われたんだろうか。たとえば王という字はまさかりを持った字であったり、家という字には犬の犠牲が潜んでいる。くらいは今日でもなんとかわかるし、そういうイメージと連続的に持てるかと思いますが、イメージの中でいくつかの重要なものは、まったくどこかで失われているんですね。先生が言われた「巫祝王」(ふしゅくおう)という。絶対王ですね。こういうシャーマンはどっかでいなくなったわけです。卑弥呼の頃なのか、藤原の頃なのか、後醍醐の頃なのか。私の中で気になったわけですね。漢字というものはいつまで呪能を持っていたのか。やっとそこで白川先生の研究書を読むようになったのですが。





興(きょう)という字。これに驚きました。ピクトグラム、図表文字がいっきに甲骨文字に変わったわけです。それは周、もしくは殷の時代に絶対的な巫祝王が現れたわけです。それを、秦の始皇帝が全ての文字を一旦中止させて、文字を置き換えたわけです。長らく革命は、文字をつくりかえるか、通貨を切り替えるか、暦をおきかえることで成立しています。これはレーニンも言っていますし、ゲバラも書いています。

起興。興を起こすこと、というメソッドがあって、紀貫之が真名字(まなじ)をかいたときに、興というものがひとつのパスワードというかコマンドというか、なにかリーディングフレーズとなっているんですね。三歳、五歳の頃、私たちがなにをしゃべっていたのかを思い出せないように、私たちはあの時代を起興できないわけですね。万葉集は幸い、万葉仮名が入ってきてからまとめています。そこで白川先生は万葉の民俗学を研究されはじめたんですね。万葉の中の変化、たらちねの、と書いたらどうして母が出るんですか、ひさかたの、というとどうして光が出てくるんですか。古今和歌集の頃はまだそれが生きていて、生きたまま流布していて、百人一首にも伝わっている姿が見えるじゃないですか。驚きました。そういうことを持って、自分は単純に編集ということを考えていたな。と。幼児は、学校で文字を学んで、だんだんだんだん成長してくると、単純に思っていたんですね。どうもそうではない。むしろ、一旦失われることが、忘却のみならず棄却もある。本来私たちは発明したことの本筋や本懐を忘れるという本質に気がつきました。聖書の中にバベルの塔のような物語があるように、簡単に聖書には書いてありますけれど、ほんとにそうなのかなと。ネアンデルタール人は、既に死の概念があって、埋葬をしていたという。けれど文字は持っていない。漢字や文字の中で、そのままそこで封印されたこともあるんじゃないか。そのようなことから編集はリニア、線形的に進むということではなく、じぐざぐに、封印され時には殺害され、白川先生の、初期に研究室でお書きになられていた50代前半のものを読み直しますと、白川文字学というのは、封印と殺害と開示、によって構成されていると気がつきました。

さらに申し上げておきたいのは、そのようなことを辞書にされた。そのようなことは衝撃でした。当時先生は大量の原稿をお書きになったとおっしゃられていたのですが、辞書を書かれているとは気がつきませんでした。編集ってのはちょっと大変だぞって思い直しました。その頃に世界中の辞書をトレースするという研究に入りました。たとえばユダヤの民族の十二使のなかにも入っています。レキシコグラファーが、時代時代において、新しい概念革命を起こしていたということに気がつきました。辞書というのは既存の意味ということを対象にするだけでなくて、レキシコグラファーが、その時代時代に、セマンティックな提案をするということだと、やっと気がつきました。インクポッドタームという、例えばどうしてイギリスに議会ができたんですか。あるいはマグナカルタができたんですか。それらは全部レキシコグラファーがつくった理想的な概念なんです。英語というものをつかって、新しい自由ということやジェントルということを作っているんですね。リバーからライバルが生まれてきたり、その前のロビンフッドの時代には使われていたかもしれないけれど、そういう意味では使われていなかったわけですね。辞書というものはただならないものである。

辞書っていうものは戦争なんですね。革命なんです。三つだけエポックメイキングなことをお伝えしたわけです。
| ログ | 23:35 | comments(2) | - |