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地球大学アドバンス 第23回 「日本の「食」をどうするか?」


地球大学アドバンス 第23回 「日本の「食」をどうするか?」
speaker:竹村真一氏 × 戎谷徹也氏(NGO大地を守る会 理事)× 島村菜津氏(ノンフィクション作家)
date & place:2009.10.19
新丸ビル エコッツェリアにて

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Dialog in the Dark 暗闇トークセッション 茂木健一郎


Dialog in the Dark 暗闇トークセッション
speaker:脳科学者・茂木健一郎 × バースセラピスト・志村季世恵
date & place:2009.10.09
赤坂区民センター区民ホール 3階にて

昨日、東京の赤坂での茂木さんのDialog in the Dark、暗闇トークセッションは、今年見た講演の中で文句なくナンバーワンの会だった。今回残念ながらログはないのです。なぜなら暗闇でトークセッションだったからです。

400人定員いっぱいの講演会場を、誘導灯はおろか、非常灯まで消して、完全に暗闇の中でトークセッションが行われた。こんな経験は後にも先にもなかなかないのではないだろうか。だいたい、この安全第一神話の国のかつ公共施設で、電気を100%消すことは、並々ならぬ理解と関係者の協力があってのものだろう。そして完全に電気が消されると同時に、数名の傍聴者から声が上がり、何人かは暗闇に耐えきれなくなって退場していった。だけど、それもきっと想定されていて、合計8人程度の視覚障害者の誘導スタッフが声を頼りに誘導するのである。

その中で、いつもの茂木さんの江戸弁的な噺家口調のトークと、今回の対談相手である志村季世恵さんの声が聞こえてくる。志村さんの声が色っぽいっていうか、なんかものすごくここちいいあたりは、きっと組織存続に絶大なる効果があったんだろうなぁなどと思ったりする。

我々は日常、あまりにも視覚情報に頼って生きている。視覚情報に頼るためにあらゆる価値判断の上で見た目が重要なファクターとなる。イスラム教徒の女性が外出時にかぶっているショールは、他人から顔を見られないようにするためのものだが、イスラム教の戒律は外見によって人々の価値判断が左右されたりしないような工夫がされているのだ。Dialog in the Darkを日本で始めたごくごく初期の頃、暗闇の世界に入っていった人たちが、涙を流して出てきたことがあったのだそうだ。特に美しい女性の場合は、小さな頃からちやほやされてきて、それが一般社会でコミュニケーションをする上で、感覚として当たり前になりすぎてきたのだが、暗闇の世界で、主に声と触覚だけを頼りに人とコミュニケーションしたときに「本当の自分でいられるような感じ」がしたのだそうだ。それは脳科学的に言うと「脳が全体性を回復する」という。

そもそもこのDialog in the Darkの誘導スタッフは、全員視覚障害者なのだが、先天的、後天的といろいろなケースがある。一端暗闇になってみると障害者なのはむしろこちらの方になって、彼らはスーパーマンだ。通常人間の脳の中にある「大脳一次視覚野」という場所が、視覚情報を司っている場所であるのだが、視覚障害者の方たちはこの場所を日常的に別のことで使っているのではないか、という研究がされているとか。実際のところはわからないけれども、彼らの視覚を除く四つの感覚をフル活用した日常生活は、我々の見えないものを見ているのである。

ゲストスピーカーであり、Dialog in the Darkの理事の一人でもある志村季世恵さんによると、彼らの目はときどき頭の上にでもあるんじゃないか、と思うような体験があるという。例えば、神宮球場の脇を視覚障害者のスタッフと歩いているとき、阪神戦の日か巨人戦の日かなどということが、応援歌や歓声の違いで判るのだという。また、あるときは「今日はどこか体の具合が悪いんじゃないの?」と聞かれたことがあった。呼吸のペースや、歩き方の違いで判ってしまうのだという。

Dialog in the Dark自体、実は10年も前から知ってはいたけれど、まだ実際に参加したことがなかった。しかし、この暗闇の中のトークセッションは、いままで感じたことがないくらい一体感があったことが、とても興味深い。

そういえば、このDialog in the Darkのコラボレート企画の第一回目は東北芸術工科大学にて竹村先生と当時のゼミ生が行っており、また、その竹村さんがプロデュースしていたウェブサイト「センソリウム」のトップページには、今もDialog in the Darkの紹介が残っている。改めて感性や、感覚、センスという言葉を考えされられる。Dialog in the Dark2009は、約一年の計画でロングラン公演中。申し込みはこちらから。

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク
http://www.dialoginthedark.com/

地球大学クリエイティブ 第4回 赤池学「なぜいまキッズデザインなのか?子ども目線で考える」
http://tamachan.jugem.jp/?eid=493
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東京も適度に水没して自然に返るくらいが丁度いいんじゃあないかって思っているんですけれど。笑
Earth Literacy Program WORKSHOP 第2回
speaker:竹村真一氏
date & place:2009.03.09
原宿コープオリンピアにて

今日の竹村さんはちょっとだけ本気でした。
これを聞いて、応答せよ、ということだと思うけれど。なにを応答しようかね。

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世界中で冬至ってのは太陽が死んで生き返るプロセス。節分を過ぎるとほんと日差しが強くなりますよね。張り切っているので「春(はる)」。山で増えてはりきったエネルギーがほとばしり出てくる。そうやって出てくる山のスピリチュアルエナジーのことを「さ」という。さがおりてくるから「さおり」さがおりてくる月が「さつき」それが田の神になって稲を実らせて、山にかえっていく「さのぼり」さが降りてくるプロセスで、一時的に可視化される瞬間が、さくら。もともとはソメイヨシノはなくて、山の中腹に山桜があった。あれが一時的にさのエネルギーとして、可視化される。座。そういうかたちでさくらってのはですねぇ、見えないエネルギーを可視化する寄り代でしたから、花見っていうのはそういうエネルギーを浴びに行くことなんですね。中国では樹木の中で気功する。樹木と気を交換する。「かる」ってのは、交換するっていう意味合いがあって、交換ていうことはお互いインタラクティブなんです。あるいは同一化してしまう。熊が人間となり、人間が熊となるみたいな相互関係が生まれたりする。熊をかるとか、豚をかる、っていうのは生命力を交換してそれと一体化するっていう。はなかり、ってのもそういう意味では、さくらと同一化していくというか。英語で参加っていうとパーティスペーションていって、日本語でも自分、っていいますが。そういう大きな循環に中の分になるっていう感覚がある。さっきから言っていることは日本民族史に基づいてますので、あてずっぽうで言っているわけじゃない。基本的に日本人てのは、そういうさくらっていう小さな花のなかに、大きな宇宙的な循環をみていた。そういう、なんでもないありふれた現象の中に、宇宙的な大きな原理を見る感性というか知性が。それを21世紀的な文脈で見ることができると思うし、ほんとに骨太な地球に生まれてきた意味を語っていける道なんじゃないか。なんでこんなこと言うかっていうと、現代の我々ほど、そういうありふれた現象の中に驚くことができる世代はないんじゃないかって思うんですね。我々だって、僕らの体が日々3000億の細胞が生まれて死んでいく。季節外れの花が咲くっていうのがやたら早くなっていることに環境変動を感じるっていう人がいますけれど、僕は、季節通りあたりまえのように花が咲くことのなかに、隠れた大きな意味を見いだすってことが、本当の意味での環境意識だと思う。よくこれは現代の科学の言葉でいうと、花がさく、これも太陽からエネルギーが降りそそいで、エネルギーを捕獲して植物が光合成をして花を咲かせていくわけですけれど、地球が太陽から与えられているエネルギーっていうのは、石油メタボリック社会の中で無駄にエネルギーをつかっている中でも、それに比較して一万五千倍くらいのエネルギーが太陽から降り注いでいる。この惑星はエネルギー問題なんて本来は生じようもないくらい、うまく宇宙船地球号ってのはエネルギー切れがおこらないように設計されているんですよね。ここまでは本に書いた。

量と質の話でいうと、質的な意味ではエネルギー問題は生じないって言いましたけれど、地球に降り注いだエネルギーは、それだけでは終わらないんですよ。動力源としてつかっていますけど、植物はそれを光合成、葉緑素でそれをとらえて高分子活動として蓄えていくわけですよ。水素を六つと炭素が十二個と炭素が六つかな。それくらいを結合させるととうができて、それがデンプンになる。これは炭素という非常に柔軟性を持ったシステムが、結合力という形で太陽エネルギーを貯蓄しているわけですね、それを僕らはとっている。本当だったら太陽エネルギーってのは、ばーーーっとやってきて、宇宙に放出されて終わっちゃうところが、地球には植物プランクトンがいる。それをエネルギーのお金として貯めてくれている。それを僕らはとうぶん、グルコースだとか言っているわけですけれど。それが千円札とか一万円札みたく貯蓄されているのがデンプンで、それをさらに効率的に貯蓄されているのがお米なんですね。そこからエネルギーを引き出して僕らは生きている。で、なにを言いたいかっていうと、太陽の立場からすると、地球ってすげー星だなあって思ってると思うんですよ。太陽は火星も水星も同じようにあっためているのに、あいつらはあったまったら、ただ冷めていくだけなんですよ。それを地球は貯蓄していて、それを動物が食べる。このプロセスをインフォーメーションて僕は訳しますけれど、情報じゃあない。この地球ではインフォルムしている。とてつもなく豊かで、なによりも美しい。高次元の貯蓄をこの地球では生んでいる。これは凄いことが起きていますね。

太陽エネルギーがあるから、原発はもういらないよっていうのがもう当たり前なのですが、ドイツとかデンマークが20年も前からやってますから、同じことをやればいいだけで、そんなものはクリエイティブじゃあない。ただソーラーパネルから取り込んで、それをもっと凄いものに変化させていっているわけですよ。より上位の、美の秩序へを絶えざるジャンプをしているわけですね。この凄いことが地球でおこっているわけで、その上で生きているのが僕らである。自然界に対する胞子であるまま、インフォルムされているのがさくらという花であったり。米をたべたりさまざまなことをしながら、アイデアという花に咲かせているのが人間であったりするわけですよね。人間てほんとに愚かで未熟だと思いますけれど。セルフリスペクト、そういう感覚を子供達に伝えていないってことは僕は犯罪だと思いますね。それを認識する鏡というような役割として人間ていうのは存在していると思いますね。太陽エネルギー、ちょうど太陽から第三惑星として存在していて、気圧と気温の関係って相対的ですから一概にはいえないですけれども、お隣の火星ではぜんぶ蒸発してしまっているし、金星では凍りついてしまっている。地球は、水を液体であるように自分で自己調節してきたという形跡もありますし、こんなにレアな星が生まれた。最近の物理学の発達で、いい加減に満ちている。物理法則でもいろんなものがちょっとでもずれていたら、こんなに奇跡的な宇宙は生まれていなかっただろうって言われていて、陽子とか中性子を生み出す、核力ってのがあって、いまよりちょっと核力が弱かったら、酸素とか炭素とか、生命を作り出すのに不可欠な原子は生まれなかっただろうっていわれていますね。水素二つくっついてヘリウムってのがあるけど、それが三つくっついて炭素になるし、四つくっつくと酸素になる。簡単に言うとビリヤードのたま三つくっついているのが炭素なんだけれど、ビリヤード玉みっつもよっつもくっつけるのにけっこうな力がいるわけですよ。その力がなければ、そこから生命が生まれるなんていうシナリオはなかっただろうって言われているんですよ。原始のレベルで非常に微妙なところがあって、もうちょっと強かったら水素が全部なかったかもしれないし、ほんとに「いいかげん」なところで、宇宙が存在する基礎があった。でも、その条件は宇宙にあまねくあるんですよ。その条件をベースにして、酸素と炭素と水素を組み合わせた、さっき言った、糖分とか、炭水化物っていう、いわゆる有機物ですよ。それがまた複雑に繋がっているんだけれど、簡単にいえば全部炭素と酸素と水素の結合物なんです。丁度いい加減の力で奇跡的にこの宇宙で生まれてきたにしても、それをパワーユーズして、生命という力をインフォルムすることができていることは、この宇宙で滅多に無い。20世紀最大の発見はアインシュタインとかみんな言いますけれど、この宇宙がどんだけ奇跡的なバランスで存在しているか、とんでもなく奇跡的な豪華絢爛な花々をさかせることができたということが、僕は20世紀最大の発見だと思うんですね。

そういうことを語ってくれている本がまだ一冊もないってことが犯罪的だと思うんですね。こういう発見を20世紀後半に見つけたにもかかわらず、この地球の未来は悲惨だとか、だからレジ袋をつかわないでおこうね、とか、ほんとせせこましいじゃあないですか。もっとプライオリティが高いことがありますよね。温暖化をなんとかして止めよう!って言っている人たちからみたら、僕の本に書いてあることはいやなことが書いてあるかもしれませんね。どこに行くために地球温暖化対策っていうのがあるのか。どこに僕らが解放されていくプロセスとしてあるのか。そういうことを考えずに、とにかくレジ袋は使わない方がいいよとかっていうのは、猿でもできることですね。


今日、季節の話から始めたのは、三浦梅園の「枯れ木に花咲くより、生木に花咲くを驚け」ってもう200年くらい前に言われているんですけれど、梅園さんに言われなくたってそのすごさに気付いている時代なはずなんですよ。この宇宙の知性化プロセスですよね。この地球っていう星にだけ、とんでもない破格な展開をしているんですね。そういう解像度で世界が見えてきているはずなのに、特に人類は70億のメタボリック社会で、ちょっとアメリカでなんかあっただけで、とっても風邪を引きやすい免疫のない社会であることをなんとかしなきゃいけないってことはあたりまえなんだけども、その前にどこに行きたいの?ってことを子供達に語ってあげられる時代になっているわけじゃあないですか。たかが石油を使いすぎているだけで人類社会が滅亡するようであればそれは本当にもったいないことですよね。食べ物を残すことよりも、こういうことのほうがもっと「もったいない」ですよ。


石油を燃やして火力発電所で燃やして送電しているときに、投入している石油エネルギーの40%くらいが発電のプロセスでなくなり、30%くらいが送電のプロセスでなくなる。僕らが得たいのは光なんですけど、光という目的に向かっていることはその全体の中の1%くらいなんですよ。これはとても美しくないと思うんですよ。とてつもなく美しいバランスで生命系が成り立っているのにもかかわらず、これは美しくないと思うわけです。これが僕は許せないんですよ。エコ・エコノミーって言っているうちはだめですよ。最近のそういうことをがんばっている人たちからしてみたら僕はいやなやつだと思うんですけれど、カーボンオフセットでがんばっておられる方も大事だと思うんですけれど、もっと骨太なところでやれることがあるんじゃないかって。そういう骨太な経済をデザインしていこうっていうモチベーションは、僕は経済的なものでも政治的な問題でもなく、僕の中では「美意識」の問題である。こんな99%のエネルギーを無駄にしてしか生きられない生き方でいいんですか?って。そんな感じですね。実際僕もしょうがなく車だって乗ってますし、パソコンだってつかっていますけれど。アイドリングだってしてりゃあ200万頭の馬が交差点ではねているだけ。笑。っていう。これがただ跳馬美しくないですよねって話ではなく、この生命のプロセスをどこまで理解した上で、美しいと感じることができるかどうか。さっき言いましたけれども、季節外れの花に気候変動を感じて驚くよりも、当たり前に花が咲くことのとてつもなさ。そういうことを可視化したり、伝えていくっていうことにおいて、それがぜんぜんされていないことが犯罪的だって言いましたけれど、僕らもやっとそういうことを始めたわけで、ああいう地球儀をつくったのも、直感的にそれを感じることができるために作った。まずあの雲の流れる地球をちゃんと感じてもらって。宇宙人からしてみれば、どこもインフォームされない星々ばかり見てきた宇宙人が、この地球をみると本当に目を見張るだろう。そういう宇宙人的な感覚で驚いてもらおう。そういうポジティブは発見を共有していこうっていうことがほとんどされていなくて、とにかく削減をしましょうとか、これも行き過ぎるとエコファシズムみたいなもので、丁度恐慌の後の大変な状況のなかでナチズムによって救われるとか、共産主義によって救われるとか、そういう単純なアリバイ工作による、複雑な現実の隠蔽みたいなことって、人類はずいぶん反省してきたはずなんだけれど、ひょっとしたらさっきのカーボンオフセットみたいなものって、本当に大事な地球リテラシー的なものが無視されるのであれば、ナチズムに傾倒した頃のようになっちゃうのであれば非常に危険だと思っている。東京も適度に水没して自然に返るくらいが丁度いいんじゃあないかって思っているんですけれど 笑 それはまた別の機会に。

いまの理科離れだって当然だと思いますよ。現代地球科学が発見していることって、とてつもなく面白いことなのに、それを驚かさせないで、酸素16とか、炭素12とか、ただ覚えさせているだけ。レイチェル・カーソンの言葉を借りるとセンス・オブ・ワンダーですよ。センス・オブ・ワンダーを育てることが、理科離れを回復させる最大の鍵でもあるし。宇宙がそういう増えるプロセス、自己増殖するプロセスで成り立っているんだっていう気付いていく十分なスローな時間と空間があれば、勝手に言語感覚に繋がっていくんじゃないか。挑発的に言えば国の教育は縦割りで結構。


モンテッソーリの教育にあるんだけれど「魚は海を動かす。魚は水を動かす」って。普通逆だろ?あの頃からこういう地球物理化学的なことが語られていたんだけれど。石灰岩だとかそういう地球の炭素循環を担っていたんですけれど。魚なんかに貯蓄して、生まれた川に帰って、陸と海を繋ぐようなかたちで循環させているわけですよね。そういうことを念頭に起きつつ、そういうことを書いてらっしゃいますけれど。そこでモンテッソーリが一番強調したかったのは、魚は水の中で生かされている、生かしている存在である、ということを言いたい。もっとコズミックな、宇宙論的なところを説明することが教育の最も大事なところだ。さくらがインフォームしているということをこの場で話したかったのは、そういうつもりで言ったんですね。モンテッソーリの学校がすべてそういうことをやってくれているのかってのは、きびしく見ていたいですけれどね。ゆくゆくはそういう学校を作っていくみたいなところに繋がっていくんでしょうけれど。いまはネットとかそういういろんなかたちでね。クルーズというのも特権的な学習空間であるかもしれないですね。ピースボートみたいきちんと志がないところでも、陸から離れるっていうのは、陸の鎧を外していくんですよ。陸の教育システムではなかなかしきれないところを、洋上学校ということに徹してやっていくということは、けしてピースボートさんが来ているからやっていることではなくて。

ほんとクリエイターって名ばかりで、案件病になっちゃって、ほんとに大事な仕事ができないっていう。ほんとに自由にやれる責任があるのに、それを放棄しているのはどういうことかと。

しんぜんび 真善美

真が善に昇華して美になる。この三つは並列ではなくって、入れ子構造になっているんだよね。日本人は善のとこまではもっていっていたんだよね。
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地球大学アドバンス 第14回 藤田和芳「日本のスローフードの先駆者」
地球大学アドバンス 第14回 藤田和芳「日本のスローフードの先駆者」
speaker:竹村真一氏×藤田和芳氏(大地を守る会会長)
date & place:2009.01.15
新丸ビル エコッツェリアにて

大地を守る会はとても土のにおいのする会社なのに、創始者である藤田さんは、常々、風のような人だなと思います。

今回はその独特の語り口を音声で聞いていただきたかったので、録音してきました。
http://www.sustena.org/tama/mp3/20090115_fujita.mp3(02h18m23s)146MB

実はこの会があった前夜、直接、藤田さんや竹村さんと話をする機会があり、そのときにカストロとゲバラについて聞いたことが、以下の内容なのですが、まさかそのような認識でいたとは思わず、ただただ驚くばかりでした。
藤田
1960年代当時、キューバ革命というのは、革命の亜流であって、本流はマルクスでありレーニンだと思っていましたね。カストロとかゲバラの話は知っていましたが、今回キューバに行こうと思ったのは、なんだかあっちが有機農業で盛り上がってるらしいぞ、と聞いたからなのです。

ほんとここ最近になって彼らの功績について本当の意味での理解をしつつあって、あの当時から既に多様性のある社会作りをしていたんだなあということを知ったのです。
今なぜカストロでありゲバラなのか。9.11を経て、金融危機を迎えて今本当に幸せとはなんなのかを問われつつある今だからこそ、彼らの功績が意味ある時代なのではないかと理解し、またそういう生き方に触れる良いタイミングであったんじゃないかなと思いました。

(22,230字)
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地球大学クリエイティブ 第4回 赤池学「なぜいまキッズデザインなのか?子ども目線で考える」
地球大学クリエイティブ 第4回 なぜいまキッズデザインなのか?子ども目線で考える
speaker:竹村真一氏×赤池学氏(ユニバーサルデザイン研究所 所長)
date & place:2008.12.10
新丸ビル エコッツェリアにて



なんていうか、プレゼンテーションしながら、泣きそうになって言葉をつまらせている人は初めて見た。というくらい情の厚い人なのだということが、文章からは伝わらないと思いますので書き添えさせていただきます。

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地球大学クリエイティブ&デザインの窓 過去ログ
水戸岡鋭治編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=487
廣村正彰編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=451
吉岡幸雄編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=266
鈴木エドワード編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=214
隈研吾編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=191
内田繁編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=167
面出薫編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=153
佐藤卓編 http://tamachan.jugem.jp/?eid=133
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地球大学クリエイティブ 第3回 水戸岡鋭治「旅の経験をデザインする」
この記事は、http://tamalog.ciao.jp/creative03_mitooka/へ移動しました。
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地球大学クリエイティブ 第2回 廣村正彰「意味のコンテクストをデザインする」
この記事は、http://tamalog.ciao.jp/creative02_hiromura/へ移動しました。
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コミュニケーションギャップがあるところが私たちの仕事場なの
サステナのサイトをリニューアルする作業をしていて、いろいろパソコンの中をひっくり返してみたら、4年前に最初にウェブサイトをつくったときにマエキタさんにインタビューしたログが出てきた。100万人のキャンドルナイトの立ち上げも一段落して、サステナのオフィスを借りたり、これからどうしていこうか、って夢を語っていた日。思えばここから始まったのでした。クリエイティブエージェンシーとしてのサステナが目指していきたい展望も、ここに書いてあったり、どこまで達成できたのか、改めて読み返してみると面白い。

彼女がやりたいことって、クリエイティブエージェンシーっていうより、ジャーナリズムなんではないかと、改めて思う。メディアを持ちたいんだなぁ、やっぱり。いやあ、マエキタさん、会社辞めるの三年遅かったよ。こんなことインタビューしたことも、すっかりすっかり忘れてた。

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Data : 2004.08.05

いずれはメディアを作りたい。テレビはすごく大きいけれどあまりにもつまらない。マスメディアへの入り方は環境とかCMで入るのがいいと思うけど、それで満足かっていうと、本来はなんのためにそれをやるのかっていうと、民主主義の礎になるはずのマスコミっていうのが「望ましい民主主義」を支えている形になっていないから。下村健一だってもっと前に出ないといけないし。そのために道を空ける場所を確保したい。作れる人はいっぱいいるのに、その場を確保する場所をつくろうよ。今ある民放がサステナに番組を売るよとか、そういうことをもくろんでいる人たちが、目指している人たちがいるんだってことを分かる必要があるのかもしれない。

新聞社にいるとデスクにニュースがつぶされるって、不満をウェブにぶちまける人が多い。下村健一はオウムの問題の時に出てきた。いずれは筑紫哲也みたいになる人なんだけど、サタデーずばっとって企画の中で、市民の人が撮影までして流すっていうのをやろうとしてたんだけど、当日になってみのもんたが「俺がいままでやってきたような仕事をばかにしとる!」って言って潰されたんですよ。みのもんたさんが、ここまで番組に関係してるのがすごい。

下村健一は生粋のジャーナリストなんだけど、もっとちゃんとこう、ジャーナリストとして彼のニュースを出したいし、そもそも市民テレビってのをやろうっていって「やろうマエキタ!」って言われたのは10年前。誰がぱっとみてもわかるニュース局。核爆弾が降ってきても壊れないテレビ局。マスメディアの責任てそういうものだと思うんだけど、ペンは剣より強しっていう言葉がある。民主主義とのせめぎ合いで、言論への弾圧っていうのがすごい。そういうのが無いからつくろうと。歌舞伎町の裏話を書いたジャーナリストが、ヨットに手足縛り付けられて死んでたわけ。危険があって、そういう人たちの命を守るセキュリティのある場所をつくらなくちゃいけないね。政治に関わることのなにかをすっぱ抜こうしたときに、ちゃんとかくまえる場所をつくること。しょっちゅうスクープにつきあっていると命狙われるかもって思うんだよね。

で、そういうメディア機関を作るってのが、事業計画に関わってくる。言論の自由ってのはタダじゃできないんですよ。見栄えとして、決意として。真実を曲げようとする圧力には負けないからね、ってツラしてることが大事だと思うんです。昔の岩波書店はそういうことを考えてたみたい。あの会社がそういうことやってるんだよって噂が流れることも大事なんだよ。朝日新聞は襲撃されてオイオイ泣いてる場合じゃないんだ。セキュリティ甘いもん。

・広告代理業
・クリエイティブデザイン
・メディアを持つ

クリエイティブって言うのは表現だと思うのね。広告って言うのは媒体をちょっとづつお金で買って表現を出していくってのが大事。クオリティを高めて、効率を高めて、情報を伝えていく。社会表現。メディアは問わないスキームで、広告だったり、ファンドだったり、選挙のキャンペーンだとか、だから道具を決めない。道具を自由に選んで勝負をしているので、目的はムーブメントを起こしていくことだったり、必要な情報をちゃんと伝えることだったり、むずかしいとか説教くさいって思われていることを本当は楽しいんだって、伝えたり、表現の力で「人の既成概念を突破していく」。人の可能性を信じさせたり、結果、経済っていうのが環境経済にエコシフトしたり。

オフィス・フォー・クリエイティブ・ディストラクション。土方の仕事をしてる人が着るジャンパーを850円で買って仕事に行くってのが好きで、デザイナーとか、タレントがカッコつけるのがダサイって、あるとき思ったらしくて、土方ファッションに走った。工事現場の土方のようにクリエイティブワークをするのがいいねって話になった。クリエイティブはいいけど、ディストラクションてなんなの?って考えたときに、既成概念だねって話になった。コム・デ・ギャルソンの川久保玲は、常に新しいモノ、美しいモノを作りたかった。なにがカッコイイ?たとえば環境っていうものを、ゴミの分別をしたり、食べ物を新しくしたり、そういうライフスタイルもカッコイイんじゃないの?新しさを感じさせるのは、文脈が新しくなったと思ったらカッコイイと思う。

核として「表現をしていく」人の心に働きかけることができる仕事ができるのが、クリエイティブっていう仕事のすごいところ。特にマスコミュニケーションていう領域で、表現ていうテクニックをもって仕事をしている人たち。その領域で既成概念を突破して、社会を新しいステージへ乗せていくってことをやらなくちゃいけない。誰かが先陣切って冒険して、こういうことってカッコイイでしょ、みんなでやろうよって言って見せていきたいよね。

これからやらなきゃいけないことって、イノベーションを作り出しやすい環境をつくること。民主主義ってみんなの想像力にかかっている社会だと思う。想像力のケアが足りてない。みんながネックなんだけど、みんなが責任を感じた方がよくて、マスメディアに関わる人も教育に関わる人もみんなが健全に関わるようにしなくちゃいけない。端的に言うと、法律は自分でつくらなくちゃいけない。変えられないって思ってるところが多い。それはみんなの想像力なの。想像力には想像力を持って働きかけるから、マスコミュニケーションの表現が必要になってくる。

広告ってタブーがあるところが狙い目なの。それが覆ると、みんなが「あっ!」というから。新入社員の時に、ワインのコルク栓を抜いて、ワインを注ぐってシーンをとって、「それって、私が初めて受けた性教育でした」っていうCMだったんだけど。意味深なわけ。ワインを飲みながら男の人が女の人になんか言ったんだろうなって、思わせぶりなCMなの。下ネタを上品に言う。普段言わない言葉をどんなふうにつかったら、ぎょっとするかなって思った。グリーンピースなんてそのものがタブーだし。画像をくっきり思い浮かべられる能力が必要。なんだかそれは置き去りにされてることが多いので、そういう訓練が滞りがち。それを一生懸命訓練して、いい表現者になろう。

啓蒙活動として、一人一人の想像力を掻き立てることを常にやらないといけないんだけど、一方でイノベーションが起こる社会システムをつくらなくちゃいけないね。社会科学をやっていて広告代理店に入ろうと思ったのは、仕組みがおいついていなくて、NPOをどんどんつくっても変わらなくて、大きいモノと小さいモノの間を埋める仕組みができてないね。アイデアの資本主義というか、成果主義になっていればいいんだけど、いままでそうなっていなかった。メディアにおいても自分から仕掛けられるメディアがあったりとか、お金についてももっと証券化が進むと面白いと思うんだけど。NPOみたいなものって、資金調達の方法をもっとしっかりしたほうがいい。

お金の面で支えなくちゃいけない、メディアの面で支えなくちゃいけない。「社会は可変だ」ってことを伝えたい。想像力を活性化させることが、社会を変えることになる。あ、そういうことって可能なんだ、って、で、それはひとつの社会は可変なんだってことの証明になる。結局は想像力の先に伸びていくことだから。そのためには、なるべくありえもしないことを達成する。こういうことってありえなかったよな、ってことを思いつくことでもいいと思う。よく思いつくよなあってことでもいいと思う。佐藤雅彦は、なるべく人の思いつかないことを思いつこうとしようねって、でも本人は思いつかないから、みんなをけしかけて、まーちゃんは観客なのね。そういうのが面白かった。

100万人のキャンドルナイトって、あんなに簡単に有名になれるはずがない。ってみんな思っている。広告代理店の人がいるからできるのね、って思いこんでいる人もいる。あそこまで仕掛けられる人って、世の中にいないんですよ。方法論が世の中に無い。いままで企業のコミュニケーションって、一個の会社が一個のものを売る表現が一つだったんですよ。タグボートのスタイルが新しくない理由っていうのが、相変わらずCMしかやらなかったり。それに対して佐藤可士和は、街全体を表現してたりする。で、サステナは、多メディアを対象にしてたり、いろんな会社を相手にする。一個の表現方法でモノが売れない時代にどうするかっていう話。一個のモノを一個のメディアに表現するのはやめて、ジャンルで切ったほうがいいんじゃないかと思う。一個の会社がやっても現状打破出来なくて、同じ事業者が集まって、共通のことを表現する仕組みが必要なんじゃないかなって思う。キャンドルナイトとか万博って、環境問題とその周辺ってカテゴリで切っていて、そこに協賛するっていう会社がいるっていうかたち。環境問題だけをサステナがやるっていうのは間違ってるなっておもっていて、いくつもの関係する人たちをうまく束ねて、ムーブメントに関係するいろいろな人たちに送ることが大事。

目立ち方なんだけど、人がやってないことをやると目立つ。タブーっていうのは言っちゃいけないことだから振り向く。そこまでいかなくても、みんながやってないことを敢えてやる。既成概念を突破するために、やっても悪くならないよ。時代が変わって今やったらぜんぜん平気なのに。反原発派の人と原発推進派の人が同時に同じテーブルに同席していること。いままで同席しないことを美徳とする社会があった。同居させることで既成概念を突破できることに人は気付いていない。ちょっとのお金でたくさんの広告効果が得られる。100万人のキャンドルナイトのことだけど、いままで環境NGOは連名でなにかをするってことが得意でなかった。えっ!?っていう意外性っていうか、文脈がずれているように見えるものっていうか、幕の内弁当じゃないけど、揃えて見せると「そういう時代になったんだー」って、目立ち方として一つ仕込んでみた。なるべく「NGOが」って書いてくれって新聞社に頼んだ。ほっとけば「環境省がやった」っていうふうに書いちゃうから。

サステナがいろいろ仕掛けていくことに対する方法論として、そこに居る人たちを束ねる。束ねて表現するっていうことがすごく意味があるってことを説明できたらいいんだけど。

コミュニケーションギャップがあるところが私たちの仕事場なの。有明諫早は日本最大のコミュニケーションギャップなの。諫早湾締め切ってあそこに干拓地が欲しい人って、いったいどこにいるのー?さーっぱりいないわけ。ばかじゃん!て世界なわけ。みんなの思いと現実がこんなに乖離してることって、そんなに無い。NO WARのピースパレードもそうなんだけど、日本国民の80%は、アメリカはイラクを攻撃するべきかって調査にノーだったわけ。でもピースパレードに来たひとはすごい少なかった。なんでこないんですか?って聞いたら「あ、でも私、誘われてないから」って言って、それって本質だなー、よし!じゃあ誘ってやろうって思った。社会問題はコミュニケーションの問題である。ギャップが大きければ大きいほど、いい仕事になる可能性が高い。行政対市民ていうふうに見るとギャップには見えないけど。大きな大きなギャップがあるのです。
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茂木健一郎×北川フラム「越後妻有アートトリエンナーレ」
CLUBKING presents 茂木健一郎ジャパン・ツアー「ホープフル・モンスターを探して」
speaker:茂木健一郎氏×北川フラム氏
date & place:2007年12月8日
ビジョナリーアーツにて

北川フラムという名前を初めて知ったのは、2003年の大地の芸術祭の帰りに公式ガイドブックに書いてあった彼の文章を読んだ時だった。大地の芸術祭はただのパブリックアートの展示イベントなどではなく、明確な地域再生のヴィジョンに基づいたプロジェクトであるということを、行って、見て、知ったときに、そこに北川フラムという人の強烈な意志を感じた。彼は現代アートを武器に、税金を使って、地域変革、社会変革の大実験を行っているのだ。アートとは、それ自体が重要なのではなく、そこへ至るArs(道)であることを体現しているような人だと思った。

そこに2006年ベネッセの福武總一郎会長が参加して、2010年、瀬戸内国際芸術祭が開催される。直島を中心とした瀬戸内海沿岸地域において5年に一度開催されるという。

今回のログはかなりの基礎知識と体験を要求するので、以下の二つを参照されてから読むことをオススメします。

2006.09.03 大地の芸術祭 -越後妻有アートトリエンナーレ2006-
2007.10.01 東京芸術大学美術解剖学講義 後期第1回 福武總一郎氏
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考えるヒントを探して 枝廣淳子
第60回新聞週間「記念の集い」
speaker:枝廣淳子氏
date & place:2007年10月19日
プレスセンターホールにて

やはり、新聞なんてメディアは置いておいて。最近、どこにいようがとにかく枝廣淳子という人に関わらざるをえない。別に否定的に書いているつもりはなく、この人は常にマイミク二等親先には存在しているようなものだ。いやがおうにも無意識に影響を受けているのだと思う。思えば4年前に100万人のキャンドルナイトが始まったときから近くにいたけども、やたら助成金に詳しかったり、不都合な真実の翻訳をしている程度でしか認識をしていなかったから、初めてまともに何者なのかを知った感じだったりする。
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