tamalog

Output and input from 1998 to 2010
このウェブサイトは、2010年末で更新を終了し http://tamalog.me/ に移行しました。
廻り舞台の下の奈落「菜の花の沖」司馬遼太郎
数年前の初春、函館山から下りてきて街へ向かってをふらふらとあてもなく散歩していたとき、ただならぬオーラを発する髷を結った江戸時代の人の銅像に出会った。どうやら函館の街に由来のある高田屋嘉兵衛という商人であるということを、その後に入った書店で知った。そこで出会った「菜の花の沖」という司馬遼太郎の小説は、間違いなく司馬文学の最高峰である。

そのただならぬオーラを放つ銅像の彼は、いわゆる「北前船」を始め、蝦夷の豊かな物資を日本海から下関を経由して兵庫・大阪、つまり当時日本最大の消費地の一つである上方まで運ぶという日本の航海史上、非常に長距離を輸送するインフラを発明した人なんだけども、彼の漁場だったエトロフ島近海において操業中にロシアの軍艦に拿捕されてしまう。カムチャツカまで連れていかれ、ロシア語もまったく話せないまま、自分がなぜ拉致されたのかを知るために、11歳のロシア人少年と会話をすることでロシア語を学ぶことから始め、一年後遂に「ゴロウニン」なるロシア人が松前藩に捕虜として捕まっていることを知るのである。「ゴロウニン船長を解放しなければ蝦夷地沿岸を砲撃する」という、江戸幕府とロシア帝国はもつれにもつれた一触即発の状態だったのだ。(いわゆるゴロウニン事件

つまりこのお話は一航海者の立身出世伝などではなく、江戸時代の終わりも近い頃に世界史的な流れの輪廻の果てに現在「北方領土」と呼ばれる地域を舞台にして起こった外交問題を民間人の立場として解決に導いた非常に優秀な外交官の話である。(この話、遠く原因を探るとナポレオンのモスクワ遠征の影響が、ユーラシア大陸を端から端まで渡ってきて日本にまで影響するという流れを持っている。ということが「廻り舞台」の意味にかけられている)

この本のタイトルはその長大な人生を、晩年過ごした故郷の家の周りに咲いていた、菜の花にたとえたことに由来する。
晩年「嘉兵衛さん、蝦夷地で何をしたのぞ」と村のひとがきいたとき、「この菜の花だ」と、言った。
菜の花はむかしのように自給自足のために植えられているのではなく、実を結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている搾油業者の手に売られ、そこで油になって、諸国に船で運ばれる。たとえば遠くエトロフ島の番小屋で夜なべ仕事の網繕いの手もとをも照らしている。その網でとれた魚が、肥料になって、この都志の畑に戻ってくる。わしはそういう廻り舞台の下の奈落にいたのだ、といった。
この本は、社会のグローバル化に伴う「人」と「もの」の交通・流通の活性化がその時代に所属する人間の精神に与える影響がテーマであり、その上で中東方面でおなじみの「報復の連鎖」を断ち切ることに成功した奇跡の実話のお話なのです。

そもそもそのとき、函館を歩いていたのも、嘉兵衛の半世紀ほど後の時代に現れる、榎本武揚という幕末の幕臣を追いかけて、五稜郭に辿り着いた先の巡り合わせだった。榎本武揚は江戸城陥落後、自分が指揮していた幕府海軍を率いて蝦夷にて再起を図り、将軍徳川慶喜公を迎えて、大まじめに北海道に独立国を作っちゃおうとした人なのだけども、それはまた別のお話。
| | 02:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
花鳥風月の科学 松岡正剛


秋に三条木屋町のMediaShopで見つけてから、ずいぶん長い間読んでいたけれど、読み終えたら冬になってしまった。

例のタウトと安吾の思想のぶつかりあいに対する一つの結論が、ここにあった。
賛美もせず、否定もせず。文化はたえず「編集」されてきたのです。
あとがき
(一行空きは中略)

日本を語るにはいろいろの方法があります。司馬遼太郎さんのように大きく「この国のかたち」を問う方法もあれば、網野善彦さんのように「無縁・公界・楽」というマージナルな視点で掘り下げる見方もある。けれども専門的な個々の研究を別とすると、おおざっぱには日本礼賛と日本批判に分かれてしまう危険性がまかりとおっているように思われます。これでは新しい見方は生まれない。海外の民族文化との比較という方法もありますが、あまり薦められないのは、たとえば「石と鉄の西欧」と「木と紙の日本」とか、箪笥に「たたむ日本」とハンガーに「つるす西欧」というふうに、やたらに東西を比較するやりかたです。こういった比較でなんとなく日本がわかった気になってくる場合があるとしても、ほんとうにそれで日本が見えるのか、これはいささかあやしいものです。それにこの方法では、中間部によこたわる多様なアジアの文化の変遷が抜け落ちてしまいます。

観音菩薩は古代ペルシアの、万葉集は古代朝鮮「郷歌」の、初期修道院のしくみは東ゴート王国の、千夜一夜物語はインドの「パンチャンタントラ」の、株式会社の前身コンパニアはイスラム経済システムの、マイセンの陶器は中国や九州の、新聞連載小説はトルコの、ピカソのキュビズムはアフリカの、アメリカの百貨店にティールームができたのは東京の百貨店の、それぞれ文化混入によって成立したのです。

そんなぐあいだから、いちいち「お里」を調べあうだけでは社会文化の本質は見えてきません。とくに日本はコードを輸入してモードに編集するのがたくみな歴史をもってきたので、日本の問題はおおむね「氏より育ち」にあります。

私は本書で、花鳥風月というしくみを通して日本のなかに流れてきたいくつかの重要なコンセプトを検討し、それらの生成過程や変遷過程をつないでみるということをしています。なぜ花鳥風月を話題にしたか、一言でいえば、花鳥風月とは日本人のコミュニケーション様式のためのユーザーインターフェイスだったのではないかというものです。

松岡正剛
| | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ローマ人の物語XV - ローマ世界の終演 塩野七生


塩野七生女氏が1992年から一年に一冊ずつ書き上げてきたローマ人の物語が、とうとう完結した。本日発売。でもちょっと今は読めない。今古代ローマ帝国に行ってしまったら、完全に頭がパンクしてしまう。

けども、事が事だけにちょっと書かねばならんなと思った次第なわけです。これに手をつけてしまったのは確か2001年、9.11の後だった気がする。どうして古代ローマは約千年もの長期間に渡って広大な版図を維持し、初代皇帝アウグストゥスの治世以降300年もの間、一度も対外戦争が無いという状況を作り出せたのか。古代ローマ帝国は事実上西暦476年の西ローマ帝国の滅亡をもって終焉したことになっている。そこにとって変わったものは、キリスト教による支配だったわけだけども、古代ローマは日本と同じ「多神教」文明だったわけである。

あの9.11はなんだったのか、それを調べていくうちにぶち当たったのが、キリスト教も、イスラム教も、そしてユダヤ教も、共通して「一神教」であったことであったり、そして元々これらの宗教は預言者アブラハムから始まった一つの宗教だったのである。ユダヤ教を再解釈したものがキリスト教で、それをまた再解釈したものがイスラム教なのだが、これら一神教の最大の問題は「他の宗教・考え方を認めない」ということにある。これが、アメリカの対イラク戦争や、イスラエル・パレスチナ問題の根源の要素として存在することは否めない。

我々は古代ローマの治世から学ぶことは大きいんじゃないだろうか。古代ローマが多種多様な民族を従えても統治しつづけられたのは一つには「寛容」の精神だという。多神教に基づいていることが、その理由だとされる。そこで最近気になって仕方ないのは、そのような状況下ではたして何故、キリスト教というものが必要になったかである。現在弊害をもたらし続けているようにも思われる一神教という概念が必要になった社会背景とはどんなものなのか。どういう理由によってそれが必要とされたのかが、とてもとても気になるポイントだ。なんとなく最近漠然とその理由の一つとして、長い平和の果てに自由を謳歌しつづけた人間のエゴを昇華しつづけることが不可能になったことがあるのではないかと、個人的には勝手に想像している。その処理手段として人間性を放棄することを教えたキリスト教という社会装置が必要に迫られてきたのではないかと考えてすらいるが、それはとても消極的な考え方なので実はどうかと思っている。

アブラハムの宗教 - Wikipedia
知力では、ギリシア人に劣り、
体力では、ケルトやゲルマンの人々に劣り、
技術力では、エルトリア人に劣り、
経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
自分たちローマ人であると、少なくない史料が示すように、ローマ人自らが認めていた。
それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。
またそれは、ただ単に広大な地域の領有を意味し、大帝国を築くことができたのも、そしてそれを長期にわたって維持することができたのも、よく言われるように、軍事力によってのみであったのか。
そして、彼らさえも例外にはなりえなかった衰亡も、これまたよく言われるように、覇者の陥りがちな驕りによったのであろうか。
これらの疑問への解答を、私は急ぎたくない。人々の営々たる努力のつみ重ねでもある歴史に対して、手軽に答えを出したのでは失礼になる。また、私自身からして、まだはっきりとはわかっていないのである。史実が述べられるにつれて、私も考えるが、あなたも考えてほしい。
「なぜ、ローマ人だけが」と。

それでは今から、私は書き始め、あなたは読み始める。お互いに、古代のローマ人はどういう人たちであったのか、という想いを共有しながら。

一九九二年、ローマにて 塩野七生
「ローマ人の物語I ローマは一日にして成らず」より

初めてローマ世界に接する人は、一巻からではなく「ローマ人の物語8 - ユリウス・カエサル ルビコン以前」から読むことをおすすめする。ヨーロッパ史最大の英雄カエサルの痛快劇として最もわかりやすいので。
| | 17:13 | comments(2) | trackbacks(0) |
時計の針はなぜ右回りなのか


竹村ゼミのまいんちゃんに教えてもらった本。最近「時間」をテーマにした表現をつくらなくてはならなくなってきたこともあってちょっと研究。

(24時間 x 365.25日) x 46億年 = 40,323,600,000,000時間(40兆3236億時間)にはならない!

一日=24時間ていうのは既成概念なんですね。

一日が二十四時間は不変ではない
地球の自転は少しづつ遅くなっている。やがて遠心力がなくなって軌道からはずれる。地球の自転時間を正確に見ると、一日の時間は、太陽が真南に位置する南中時刻から、次の南中時刻までを測るのが正しいが、太陽があまりにも巨大で、しかも表面が燃えているために、太陽を基準にして地球から正確な南中時刻を観測することはむずかしい。そこで恒星の南中時刻を基準に観測する絶対恒星時で現代の地球の自転観測を測ると、一日は平均23時間56分4秒となる。つまり一日は24時間に対して約4秒不足しているのである。不足している3分56秒に掛けること365日の合計86140秒、すなわちほぼ一日に相当する不足分は公転上の累積誤差が最も大きくなる2月に調節する。

ところが、五億年前の地球は一日が21時間であった。地球の自転速度に最も大きな影響を与えるのは海の潮汐力だが、海面を膨らませる度合いが大きいと自転エネルギーを奪い、回転に対するブレーキとなる。この潮汐力は、地球上の大陸の配置と、月までの距離がわかれば計算できる。プレート・テクトニクス理論によると、五億年前は大陸が赤道方向に一列に並び、月も今よりはるかに地球に近いところにあったため、一日は21時間であったという。それが二億年前は23時間、以降5万年に一秒の割合で一日が延び、現在の約24時間になった。このことは、サンゴの年齢や二枚貝などの化石記録からも裏付けられている。では、これから先はどうなるのかというと、地球の自転の遅くなるペースも落ちてきているので、大陸の分布が現在とほとんど変わらないとするならば、10億年後の一日は26〜7時間になる見込みだ。
| | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニッポン
ニッポン ブルーノ・タウト 講談社学術文庫



僕はいままで漠然と大化の改新以来、約1500年間の日本の歴史と呼ばれるものの積み重ね、平安朝、源平鎌倉、室町、安土桃山〜江戸の積み重ね、そしてそこに大きく影響を与えた中国と仏教の混沌とした集合体文化を「日本」だと漠然と捉えていたけども、多くの外国人を通して日本を眺めていると、それは要素を適切に分解することで「日本的」である部分と、そうではない部分とに分解されることに気がついた。

そして、このくだりでは、日本の独特な二元政治(天皇と将軍)によってそれが表現されている。この場合、天皇が日本的なるものの象徴なのである。1936年という時代背景からこの書が日本のナショナリズムと符号しているような印象も与えるけども、70年後の今ようやくそのような邪推をせずとも直視できるのではなかろうか。

桂離宮に日本の古典的建築を見た眼には、それら(京都、東京、日光、鎌倉等の、今は寺院となっている、かつての将軍の屋敷)は建築芸術でもなければ、日本的でもないのである。それらは建築芸術ではない、何となれば、建物の構成が雑然たる装飾の中に姿を没してしまっているからである。それらは日本的ではない、何となれば、全様式が中国からの輸入であるがゆえに。しかもこの輸入品は正当に理解すらされていない。中国の絢爛と飾り立てられた宮殿、寺院建築は広大なる空間を基礎としているのである。何キロメートルも長い彫像の並木道をたどって行くとすれば、かくして遂に達せられる建物は豊麗豪奢であって好い。たとえばヨーロッパにおけるバロック様式の宮殿の原理に似ているのである。しかしこれはまことに非日本的であって、前庭や入口の並木路等の如きものを全く欠いている。日光のそれのような絢爛たる建物は、環境がどんなに美しくとも、それだけにますます不快な感じを与える。規模の均整はほとんど製図板上の図でも見るように凝固してしまっていて、遊覧案内書の中で日本最大の観物と讃えられているものは実は日本文化の大敗北である。実際、日光東照宮のあの著名な門を公平な眼で眺めて見るが好い!あれは実はまったく粗野な無趣味ではないか?
| | 11:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ここしばらくの聖書です
最先端を突っ走っている皆様は、もう既にお読みになられたかもしれません、が。

ウェブ進化論 梅田望夫 ちくま新書



新宿のルミネにある旧青山ブックセンターだったブックファーストにて
ただならぬ雰囲気の新書があった。
およそ100冊ほども置ける一等地の新書コーナーに、残りただ一冊のみ。

時を同じくして1995年12月に出版された伝説の二冊
・ビル・ゲイツの「ビル・ゲイツ未来を語る」アスキー出版局
・村井純の「インターネット」岩波新書

以来およそ10年ぶりにインターネット及び情報テクノロジー分野において開明的な本が出た。

この10年間って。日本では、xDSL、光ファイバーのインフラによって、インターネットの利用が劇的に進み、一般化したし。GUIによってとてもとてもコンピュータのインターフェイスがわかりやすくなったように思う。けども、テクノロジーの「普及」はしたけども「進化」はおよそほとんどなかったように思う。

ヤフーやライブドアや楽天というネット企業に感じられないもの。そしてひょっとしたらソニーや松下などというような日本を代表するエレクトロニクス企業にはできたかもしれないのに、やってこなかったこと。特に2000年が過ぎてからの5年間は空白だった。虚無感が漂っていた。9.11以降特にその傾向が強くなった。(本書によるとそれは2000年の米国におけるITバブル後の経済停滞期にテロと戦争が拍車をかけたからだという)

その空白は辛かった。だから!だからね、NPOだの社会貢献系に走ったのですよ。最近Web2.0と呼ばれていることは既に2003年あたりからだいぶ僕らはやってきたことだし、NPOだの社会貢献系っていうのはそれが既存メディア及びその関連業界では非常にやりにくいんだけども、やりやすいフィールドだと思ってそれなりにいろいろやった気がする。でも最近だいぶ不完全燃焼、欲求不満が募っている。だからこのような流れはとても歓迎したい。

まぁ、空白の10年間を埋めるような出来事が海の向こうでは始まっているのですね、と、2005年末からふつふつと思っていたことが、綺麗に一冊にまとめられてることに、驚きました。


梅田望夫さんて、そうか、こないだのアエラの記事「Googleが脳に変わる日」にも出ていた人だ。ブログも書いてるみたい。
| | 18:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分の仕事をつくる 西村 佳哲
自己の精神安定と、sustenaのナレッジマネジメントの為に、再読中。


近代が生み出してしまった仕事に対するひずみがわかります。

仕事の意味

空間やマネージメントがよくデザインされたとしても、それだけで人が生き生きと働けるとは限らないということ。彼らは「仕事の意味」にフォーカスしていた。「やり甲斐が感じられる仕事」、ないし「意味のある仕事」とも言えばいいだろうか。

「意味のあること」「意味のないこと」。この二つが並んでいたら、人は意味があると思える方を選択する。人間という生き物は、意味を食べて生きる動物であり、意味がないと感じられることを長時間つづけることは出来ない。

「意味のない仕事」は、人にとって耐え難い苦行だ。たとえば二つのバケツの間で水を入れ替える作業を無限に繰り返させるという刑罰が、昔のロシアにあったという。しかし世間の仕事をあらためてふり返ると、多くの仕事は本来の意味を失ってしまっている。高度成長は達成され、モノは身の回りに十二分に溢れた。世界人類の一部は、「安定的に生存する」という長年の目標を、一見達成してしまったかのようだ。なんのために生きてゆくのか。存在しつづけるのかという目標が「発展」という言葉で共有されていた時期は、少なくとも先進国社会では終わりつつある。
 そうした中で、ひとつひとつの仕事が、意味的な危機をむかえはじめている。すでにたくさんのモノが溢れているのに、これ以上モノをつくる意味があるのかどうか。モノづくりに限らない。警察官は戦う相手を失い、仕事への誇りを失ってしまった。教師という仕事も、予備校などの台頭により本来の価値を希釈された。

[中略]

「あなたはどんなときに生き生きと働くことが出来ているか」
たとえば、お客を降ろすときに車を停める場所や、ちょっとした車体の揺れに対する気遣いを重ねることで、いつの間にか一年間のスケジュールが予約で埋まるようになったタクシー・ドライバーの話。
 もっとも生き生きと楽しく仕事が出来たのはスーパーのレジ打ちだった、と語る女性も登場する。最初のうちは仕事が単調に感じられ、短大まで出た私がなぜレジ打ちなのかと不満に思っていた彼女が、いつも見かけるお客さんには「今日は○○ですか」と声をかけてみたり、お年寄りの買い物なら持ちやすいように袋を二つに分けるなどしているうち、親しい挨拶や感謝の言葉をかけられるようになり、地域の人々とのコミュニケーションを深めていったという。そしてある日、隣のレジが空いているのに自分のレジにお客さんの列が出来ていることに気づき、たとえがたい感慨深さに包まれたそうだ。
「意味」は、自分が行った行為に対するフィードバックによって生成される。

JAFの仕事は、一見するときつい3K業務のように見える。車のトラブルは時間を選ばず、かつハードな状況下で発生する。しかし、JAFへの就職希望者は後を絶たないと聞いた。トラブルの現場へ向かうと、必ず感謝される。修理中の担当者は、その一挙一動が注目を浴びる、ステージ上の役者のような存在だ。そして、自分の好きな車いじりで、人の役に立てることの喜び。どうやら彼らの仕事に「モチベーション・リソース」が多く含有されているようだ。

社員が100人いたら、そのうちの10〜20人くらいは放っておいても課題を見つけだし、自ら意味を見いだして働き始めることができる、主体的でセルフ・モチベイテッドな人材だろう。
 問題は、他の八割だ。その多くは、どのような環境や目標が与えられるかによって、能動的にも、受動的にもなりうる人々で占められている。

空間のリデザインで、人々のワークスタイルを変えることが出来る。しかし、同時にマネージメントという見えない環境づくりを行わない限り、それは機能しない。そしてさらに仕事そのものに含まれる意味を醸成しない限り、人々が生き生きと創造的に働く姿はあり得ないのだ。
| | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
脳と創造性 「この私」というクオリアへ 茂木 健一郎

いいなって思える物作りができているか?これはクリエイターの永遠の悩みであり課題である。いいなって思う感覚は、クオリアというらしい。

「芸術作品の価値は、それを前にした時に感じるクオリアの質で決まる。それは言語化できるものではない。 それは記号化できるものではない。 安易にマーケットにのるものでもない。驚くことに、言葉の芸術である文学でさえ、作品の価値は言語化も記号化もできないクオリア体験の質で決まるのである。ふりかえって見れば、人生で大切なことは、全て言語化できないことばかりじゃないか。子供の時に友達とプールに入った時のくすぐったい気持ち。初めてのデートの前のそわそわした時間。他者の心とぶつかった時のずしーんと来る感じ。なにげない日常に由来し、天上の気配の中に結晶化する。そんなことが作品を前にして感じられた時、それを傑作と呼び、感謝する。生きる歓びがこみ上げる。すでに流通しているものなど、放っておけ。自らの内なる、最も切実な、甘美な、哀しきクオリアにこそ寄り添え。そして、そのクオリアをポップに昇華せよ。」


茂木健一郎は、感覚質の正体を研究する立場であるにもかかわらず 感覚質は言語化できないって言い切ってることがかっこいいのです。

そして、それは、偶然気がついたらしい

「私は、ずっと、宇宙の森羅万象の振る舞いは、究極のところ物理学において見いだされてきたような定量的な法則によって記述できると思っていました。実は、物質の<客観的な>振る舞いについては、今でもそう信じています。1994年の2月、電車に乗っていて、突然、「ガタンゴトン」という音が、それを周波数で分析したのでは決して到達できないような生々しい質感として感じられているという事実に気がつきました。この体験によって、いわゆる定量的な方法では説明できない「世界観に開いた穴」があることに気づいたのです。その当時は、クオリアという言葉を知らず、自分が目覚めた問題が、「クオリア」という言葉で以前から議論されていたのだということは、その後知りました。」


それは、しかし、マーケティングにのせられた
「QUALIAブランド」本質思考への回帰によるソニーのブランディング戦略。しかし、企業としては、持続可能性、競争性を重視しなければならないわけで、そういった現状の市場原理に照らし合わせた結果、高級ブランドとしてリリースすることになったけども、近い将来においては、ユーザーのニーズに基づいた少量生産ができる、などなど、の発明がされれば、今の違和感はなくなるかなと思った。 (ということは、値段が高い!ってことは現在の市場原理の限界なので、その要素を無視した場合、あのプロダクト達の前で、クオリアを感じるかどうか?)それはエコロジーにおいても既に実践されていて、新しいものをつくるときは常にそういった問題がつきまとう
| | 12:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
エンデの遺言「根源からお金を問うこと」河邑 厚徳


近代が生み出してしまった経済に対するひずみがわかります。

僕たちが無意識に無関心に当たり前に使っている「お金」が、とてもとても人類や社会や環境や戦争、今のありとあらゆる問題の引き金になっているということが書いてあります。

行き着くところ、環境問題は環境のことだけ考えてても解決しないし、戦争の問題は戦争のことを考えてても解決しなくって、身近な「経済」に、すごく問題の本質が隠されているのです。
| | 10:37 | comments(0) | trackbacks(0) |